志帆子の最初の投資先
「わっしょい! わっしょい!」
あたしはクラスの子たちと一緒に球場にいた。
もくもくと入道雲が湧いている。
容赦なく照りつける太陽の下、青いメガホン片手に、吹奏楽にあわせて踊っていた。
汗が伝う。
逆転されて、2点差を追う7回裏。
先頭が3塁打を放ち、続くバッターがライト前に落とした。それで1点差。
ランナー盗塁の後、内野安打でノーアウト3塁1塁となって、スクイズが決まり、同点。
なおも1アウト2塁で、次のバッターはフォアボール。もう押せ押せだ。
そして次のバッター。
乾いた音とともに、白球が空に上がった。スタンドにいる全員の目がそれを追った。相手センターが懸命に背走している。そのはるか後方の芝にボールが弾んだ。球場が歓声に包まれた。
ランナーが帰ってくる。二塁から。そして一塁からも。逆転! 2点差!
沸きかえるスタンド。みんなで抱き合って喜んだ。
「高校野球、サイコー!」
試合が終わって、みんなとわいわい言いながら、帰った。
「校歌をうたうのが、こんなにうれしいなんて思わなかった」
ある子の感想に、みんなで激しく同意した。
思えば、去年まで声出し応援がNGだった。拍手だけ。
静かな野球観戦もわるくない、のかもしれないけど、高校野球はやっぱり盛大な応援あってのもの。
吹奏楽にあわせてみんなで歌い、チアがポンポンもって踊り回る。グラウンドとスタンドが一体となって、ゲームに没頭する。
「来週から夏期講習でしょ」
そう、学校で7月いっぱい、進学組の特別講習が開かれる。去年までこんなのなかった。
変わったのは、マリノさんが国立大学に入ったからのよう。
「8月も教えてほしかったら、教室を開くから」
数学と英語の教師はそう言ったから、わからないところは徹底的に教えてくれそうだ。
「で、セラは経済学部?」
それは考えた。株式投資部にいると、会計のことなど嫌でも意識せざるを得ない。でも、お金のことばかり勉強してもなあ、と思った。
「心理学はどうかなって思ってる」
「心理学? へー、なんかカッコいいじゃん」
なんで心理学?
思ったのは、株式投資のことだった。
株式投資の分析は、ふたつあると言われる。
ひとつは「テクニカル分析」と呼ばれるもの。
これは株価チャートを分析することで、将来の株価の動きを想定する。
株式投資は人間がする以上、人間の思考・行動パターンが株価チャートに反映するはずだから、株価チャートを仔細に分析すれば、未来の株価の動きがわかるという考えに基づく。
もうひとつは「ファンダメンタル分析」と呼ばれるもの。
これは株価の適正価格を求めることで、現在の株価が割安なのか割高なのかを知ろうとする。具体的には、資産価値や利益の期待成長率、金利などから、適正価格が導き出せるという考えに基づく。
あたしは、まだまだ投資初心者だから、テクニカル分析も、ファンダメンタル分析も、正直よくわかっていない。
株式投資の記事には、「テクニカルから言えば」とか、「ファンダメンタルから見ると」といった表現が少なからずある。けれど、正直なところ、よくわからない。
株価チャートの見方はいろいろある。
ただ、チャートを見て、何がどれに当たるのか、あたしにはさっぱりわからない。
顧問に聞いたこともある。
「申し訳ないですが、私にはチャートを見て、ここから株価がどう動くか見通す目を持ちあわせていません」
でも、世の中には株価チャートから売り買いのタイミングを掴んで大儲けしている人もいるらしい。
「神業を持ち合わせている天才だと思います、そういう人は」
適正価格も難しい。
株価はEPS × PERだから、先々の成長率を見極めることができれば、先々のEPSと成長率に見合ったPERから適正価格を導くことができるはず。
なんだろうけど、「一寸先は闇」の諺どおり、先のことなど誰もわからない。
コロナウィルスが人やモノの動きを止めることも、ロシアがウクライナに侵攻することも、安倍元首相が日本で銃撃されて亡くなることも、想定外だった。気候変動が及ぼす影響だって、正確に言い当てることは至難だろう。
わからないことをあれこれ想定して、適正価格を算出するのは、途方もないと思う。しかも、状況が変われば、前提が変わるので、適正価格も修正を迫られる。
かように、先々の株価を見通すことはむずかしいわけだが。
一方で、あたしには、とても不思議に思えることがあった。てゆーか、株式投資をすればするほど、不思議な気持ちが深まってきた、といったほうがいいかもしれない。
テクニカルにせよ、ファンダメンタルにせよ。
世界中でどれだけの人たちが株式投資をしているのかわからないけれど。
あたしのように、なにもわかっていない小娘ばかりが市場参加者ならいざ知らず。
あたしなどとても及びもつかぬ秀才や天才が、市場参加者の大半を占めるなら。
その知恵と経験の全てを注ぐにもかかわらず、なんで暴落や暴騰が起こるんだろう。
株価は常に割高でも割安でもない適正価格に近い範囲で保たれるはずではないの?
もちろん、企業の業績発表にサプライズはつきものだ。
だから、サプライズに伴って、個別株が急騰・急落するのはわからなくない。
けれど、サプライズがあったにせよ、その影響による適正価格はわかるはずではないの?
それこそPERを見れば、誰だって割安も割高も判別できるだろうに、実際には上がりすぎたり、下がりすぎたりする。
どころか、時には市場全体が急騰・急落する。味噌も糞も一緒に上がる・・・ことはあまりないかもだけど、一緒に下がることは珍しくない。
そう考えると、株価は客観的、合理的な判断というより。
「うっわ、早く買わないと、上がってしまう」
「さっさと売っ払わんと、損してまうやん!」
といった心理的な何かに最も影響を受けているのでは?
と思うようになったのだ。
心理学を修めれば、株式投資にヒントになるような何かをつかむことができるのか。
それはわからない。わからないけど、あと4年、猶予が与えられるなら、素直に感じた疑問を解く時間にしてもいいのでは? と思った。よくわかってない進路に、なかばこじつけのように理由づけしてるに過ぎない。と言われれば、きっとそう。でも、あれこれ考えたところで、他に何かが見つからないなら、今はそこに焦点を当ててもいいんじゃないか。
7月14日現在、あたしのポートフォリオ
・2588 プレミアムウォーターホールディングス 100株 2022年5月2日購入 買値2,370円、現在2,574円、評価額257,400円、含み益20,400円、含み益率8.6%
・3661 エムアップホールディングス 200株 2023年6月2日購入 買値1,055円、現在1,225円、評価額245,000円、含み益34,000円、含み益率16.1%
・3695 GMOリサーチ 200株 2022年8月3日等購入 買値3,695円、現在3,200円、評価額640,000円、含み益▲99,000円、含み益率▲13.4%
・4380 Mマート 1,000株 2022年4月18日等購入 買値853円、現在1,486円、評価額1,486,000円、含み益633,000円、含み益率74.2%
・4498 サイバートラスト 200株 2023年4月26日購入 買値1,665円、現在2,910円、評価額582,000円、含み益249,000円、含み益率74.8%
・6777 santecHD 100株 2022年5月2日購入 買値1,220円、現在2,935円、評価額293,500円、含み益171,500円、含み益率140.6%
・6999 KOA 200株 2023年6月27日購入 買値1,760円、現在1,786円、評価額352,000円、含み益5,200円、含み益率1.5%
・9432 NTT 300株 2023年6月30日購入 買値172.7円、現在163円、評価額51,810円、含み益▲3,060円、含み益率▲5.9%
・現金 3,605円
・評価額計 3,909,850円、含み益913,455円、 含み益率30.4%
1年生の志帆子が、7月10日と11日の二日に分けて株を買った。
「意外でした」とひろこ。
「意外?」
何がと思ったら、ひろこが言うには
「いきなりフルに買ってきたし、インデックスのETFも入れてきたので」
いきなりフルってことは、株価が下がったときに買い増しすることができないわけだけど、
志帆子曰く「インフレならば現金を持っておくよりいいと考えた」とのこと。
そのポートフォリオは。
・1678 NEXT FUNDS インド株式指数 Nifty50 連動型上場投信 1,400株
・2579 コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス 200株
・6623 愛知電機 100株
・7330 レオスキャピタルワークス 300株
・8306 三菱UFJフィナンシャルグループ 400株
ざっくり1銘柄あたり40万円ほどずつを投資した格好。
それぞれの意図を聞くと。
「インド株式は、インドの将来性に投資したいと思った。インドの人口は中国を抜いて世界一になったとみられる。中国と違って若い世代が多いことから、かつての日本や中国のような高成長が期待できる。インドのインデックスなら、インド市場そのものを買えるので、日本から投資するには最適だと考えた」
「コカコーラは業績回復株として買った。コカコーラはここ数年、赤字続きで有利子負債も多く、株価も低迷している。しかし、フリーキャッシュフローはプラスで、そのブランド価値は絶大だ。インフレのため、値上げが許容される環境変化もある。地球温暖化による気温上昇が、この会社の製品需要を継続的に高めることも期待できる。赤字体質から脱却するなら、売り込まれていた株価が反転高騰する見込がある」
「愛知電機は割安株として買った。PBRが0.5倍ほどに過ぎず、PERは7倍ほどと格安に放置されている。時価総額340億円ほどに対して、ネットキャッシュは40億円あり、TOBの対象となり得るのではないかと考えた。そうなれば、短期間のうちに株価が高騰する可能性がある。もしTOBにならなくとも、配当金の利回りが4%以上つく」
「レオスキャピタルワークスは成長株として買った。ひふみブランドの投信を扱う。インフレになって銀行預金ではお金が目減りすると考える人が増えると、投資に踏み切る人が増えると考える。その恩恵を受けると考えた。有利子負債はなく、配当金がつき、EPSが順調に増える見込みにもかかわらず、PERは10倍程度に過ぎない。今後、株価が急騰する可能性があると考えた」
「三菱UFJは安定株として買った。国内最大の金融グループで、今後、インフレが進み、日銀の金融政策が見直され、金利が上昇すれば、恩恵を最も受けると考えた。株価は既に一時に比べて倍以上に高騰しているが、PBRは0.75倍程度に過ぎず、PERは10倍に満たない。配当金が毎年増加していることも好ましい」
この子、入部してまだ3ヶ月ほどというのに、どこまで理解してるんだろ。
血色の乏しい華奢な少女は「一旦はここから開始する」と言って、しばし首を微かに傾けてから、「他によりよい銘柄を発見したときは乗り換えてゆく」と加えた。
ひろこが「他にどんな株がいいと思ったの?」と聞くと、志帆子は即座に答えた。
「優良株を加えたかった。具体的には、キーエンスとオービック。しかし、手持ち現金では購入不可のため、断念する他ない」
キーエンスとオービックのどこがいいのかを聞くと、「高く一貫した成長率と利益率」と即答した。
「いずれ、これらの株も入手したい。入手するには、市場全体が暴落して、これらも一緒に下がったとき。そのとき、購入できるよう、手元資産を増やすことができればと考えている」