【19:じゃあどうしたらいい?】
いつも拗ねたような顔が多いすみれ。
いつも怒って睨んでくることが多いすみれ。
でもそんな彼女が時折見せる笑顔。
その笑顔を見たい。
俺は、ただ純粋にそう思った。
じゃあどうしたらいい?
すみれの家を訪ねて行って、もしも彼女が留守ならば?
そんなのは大した問題ではない。次の機会を探せばいいだけの話だ。
もしも誰かすみれ以外の人がいたら?
こちらの方が問題は大きいんだが、その可能性は極めて低いだろう。
母と二人暮らしで、その母親は出かけたんだから。
あまりビビりすぎない方がいい。しかし万が一ということもある。
──あ、そうだ。あれがあったな。
俺はクローゼットの中から、新品の家庭用洗剤を取り出す。
万が一他の人が居たら、引越しの挨拶ということにしよう。お隣さんなんだから不自然じゃない。
俺は洗剤を手にして、隣の部屋のチャイムを鳴らした。すみれは素直に出てきてくれるだろうか。
ドアスコープを見つめていたら、明かりがつくのが見えた。そしてそれが暗くなる。たぶんドアに顔を近づけて覗いているのだろう。
しかし返事もなければドアも開かない。
すみれは出てくる気がないのか。
どうしたものか。
俺は突然ドアスコープに顔を近づけた。
すみれが前にしたことを真似してやったぞ、あはは。
ドアの向こうでガタッという音がして「あっ……」という声が聞こえた。たぶん驚いたすみれの声だ。
「すみません。引越しの挨拶に来ました」
俺はドアに向かって至って真面目な声を出した。
すみれ……頼むからドアを開けてくれよ。
心の中でそう念じる。
しばらく待つが音沙汰がない。
俺と顔を合わせるつもりはないのか……
そう思いかけた時、カチャリとロックが開く音がした。ゆっくりとドアが開く。ドアの隙間から覗き込むようにすみれが顔を出した。
良かった。もう俺と会いたくないわけじゃないらしい。
──あ。スッピンだ。
初めて見るすみれの素顔。
年相応に幼く見える。これなら妹の夏実と同い年だと言われても違和感はない。
しかしまあ、やっぱり美人だな。
通った鼻筋に、メイクしてなくてもぱっちり大きな目。肌も凄く綺麗だ。
こっちの方がよっぽど可愛くていいのにな。
「何しに来たの? 引越しの挨拶……?」
「ああ、あれは誰か他の人がいたら困ると思って」
俺がドアの隙間から室内を覗いた。
「大丈夫。あたししか居ない」
「そっか良かった。謝りに来た」
「ふぅん……なにを?」
「なにをって……」
不審げなジト目で俺の顔を見ていたすみれが、ふと俺の手元に目をやった。そしてプッと吹き出す。
「なにその洗剤」
「あ、引越し挨拶だからさ……」
「真面目か」
「いや、もしもすみれ以外の人がいたら、ごまかさなきゃいけないからな」
「それも含めて、真面目かって言ってんの」
「悪いかよ真面目で」
なんだよ。せっかく謝りに来るために、色々と考えたのに。
「あ、待って春馬さん。こんな玄関先で話してて、他の部屋の人に見られたらヤバい」
「そうだな」
「そっち行く」
すみれはそう言って、廊下に出てドアに鍵をかけた。
良かった。すみれは俺と話したくないってわけじゃなさそうだ。
俺の誠意をわかってくれたのか。
それとも洗剤で笑ったおかげで気がほぐれたのか。
どっちにしてもちゃんと謝ることができそうで良かった。
二人で急いで俺の部屋に入る。
洋室まで入ってから、俺は振り向いてすみれと向かい合った。
腰に手を当てて偉そうに胸を張ってる。
やっぱり怒ってるのかな。
すみれはいつも見かける、白いTシャツにショートパンツというラフな服装。
服装はいつも通りだけど、顔はスッピンでいつもより幼くそして可愛い。そして大きな胸とのギャップに、一瞬ドキリとした。
「で、春馬さんは、何を謝りに来たのかな?」
「え? あ、昨日のことだよ。すみれがわざわざ待ってくれてたのに、『待っててくれなんて言ってない』って言ったこと。すみれの気持ちも考えずに、俺が悪かった」
「は、春馬さん……」
一瞬すみれは笑顔を見せた──と思ったけど。
あれ? よく見たら無表情になってる。
「ふぅん……そっか」
素っ気ない声と表情。
だけどすみれは頬がピクピク動いてる。笑うのを抑えてる感じ。これって、実は喜んでるんだよな。
「わかった。春馬さんのその態度に免じて許してあげる。あたしは心が広いから。その代わり、お詫びに鍵を貸して」
「あ、そうだな……」
許してくれる流れから一気にそんなことを言われて、一瞬オーケーを出しそうになった。
ヤバいヤバい。
「いやダメだ」
「なんで? 春馬さん、反省してるんでしょ?」
「すみれに悪いことをしたと反省はしてる。だけどそれとこれとは別の話だ」
「むぅぅぅ……」
すみれは悔しげに顔をしかめた。そして小声で何やらぶつぶつとつぶやく。
「くそっ……引っ掛からなかったか」
「は? なんだって?」
「あ、いや。なんでもない」
すみれは取り繕ったけど、ちゃんと聞こえてるっつぅーの。
ヤベぇ。コイツ、油断ならないな。
「じゃあ春馬さん。LINE交換しよ」
「LINE?」
「うん。こういうことがあっても、行き違いを無くせる」
「あ、まあ……そうだな」
至極正論だ。急な用事が入っても、連絡を取り合うことができる。
そう思ってLINEのIDを交換した。
「これで良し」
すみれはニヒと笑った。
まあでも。ちゃんと謝れて良かった。
すみれの笑顔も見れたし。
そう思って俺はホッと胸を撫で下ろした。




