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ラプラスの悪魔

先日のコンビニ強盗事件から一夜明け、清々しい青空が広がる午前の町中で坂田 悳は自身が通う高校に向けて足を運んでいた。家から最寄りの駅に行き、電車に乗って一駅進む。ふと、悳は電車の中で辺りを見渡した。


電車の中には非常に多くの人がいる。自身と同じように学校に向かう制服を着た学生達。イヤホンを耳にさした非常にラフな格好をしたお兄さん。手鏡を手に、化粧を顔に施すOL。つり革に掴まり、ずれた眼鏡をかけ直すサラリーマン。立派な制服を着た私立の小学校の生徒と思しき子供。杖を片手に座席へと腰を据える老人。


誰も彼も過ごしている日常は千差万別だ。彼ら一人一人に個性があり、この中にいる誰にも同じ人間など二人としていない。


なのに、今の悳にとっては彼らはあまりにも「普通」に見えた。まるで突出のない、非常に平凡な人間。本来そうでは無い事は悳にも分かっているのだが、先日に出会った彼女と比べれば、彼らはかなりまともな人間なだった。


電車が到着した駅から降りて、悳は旭ヶ丘高等学校行きのバスに乗る。ここまで来ると自身と同じ学校に通う生徒以外の人の姿は全く見えなくなる。バスの中では既に知り合い同士の生徒達がグループを作って会話を楽しんでいた。悳にも待ち合わせをすれば彼らのように会話を嗜める友人とバスを共にすることが出来るのだが、帰りをいつも一緒にしているせいか、行きはほとんど接する事は無かった。


バスが目的の停留所に到着し、高校の生徒達が次々にバスから降りていく。悳も彼らの流れに自然に乗りながら、交通用のICカードをカードリーダーにかざしてバスを降りた。


それから悳は丘の上にある高校までの坂道を上ぼる。先日と相変わらず、この道には多くの生徒達がたむろしていた。どこもおかしくない普通の光景なのだが、今の悳にとってはそれが逆に異様に思えた。彼らと同じ学校にあんな超能力者がいるというのに、何故彼らはこんなにものんきに生活をしているのだろうか。彼女は何故自身の力を隠しているのだろうか。


自分一人だけが世界から弾き出されたかのような、言いようの無い孤独感を感じ、悳は周りの生徒達の声から逃げるように歩みを早めたのだった。


校門を抜けてから校舎の入り口へとたどり着くと下駄箱の前で三人の少女が集まっていた。悳はその中に先日会った彼女の姿を見いだす。


漆のように艶やかな長い黒髪、雪のように白い肌と桃のような血色のよい唇、吸い込まれるような大きな瞳を持つ浮き世離れした美しさを持つ少女。悳と同じクラスメイトであり、未来を見る力を持つと言っている女性、神崎 律。


彼女は自身の靴を履き替えて顔を上げると、ふと、入り口に突っ立っていた悳と目が合った。その瞬間、それまで楽しそうに友達の話を笑いながら対応していた律はその顔から笑顔を消し、逡巡、当惑、驚き、他様々な感情のこもった顔を悳に見せ、それから一秒も経たない内に自身の友達に向き直り、そのまま会話をしながらその場を後にした。


(・・・・・・まあ、どんな顔を向けりゃ分からんよな。)


先日のコンビニ強盗事件以降、悳と律の間には秘密を持つ者とそれを知る者という特別な関係が出来あがっていた。悳は彼女から能力に関しては他言無用であることを念に押されており、悳自身も誤って口を滑らさないように気を張っていた。

そんな中でお互いが顔を合わせれば反応に困ってしまうのも仕方のない事であろう。


律が下駄箱から去って行った事を確認した悳は自身も靴を履き替え、所属しているクラスの教室へと足を運んだのだった。


教室へと到着し、悳はドアを開けて中に入る。その一歩を踏み出した瞬間、彼は違和感を感じた。その違和感の正体はとても明白であった。悳が教室に入った瞬間、教室内にいた一部の生徒が自身の方へと視線を向けたのだ。


その視線を感じて悳は一瞬ビクッと固まってしまうが、すぐさま歩き出して自身の使っている机へと向かった。


「ようトッキー。おは。先日は大変だったようだな。」


悳が机に着席すると同時に、彼の元に一人の少年が声をかけた。彼の名前は沖田 勝(おきた まさる)。悳が高校に入学してから友人となったクラスメイトだ。運動部に所属している彼は悳よりも立派な体を持っており、身長も大分高かった。


「ええ?もうその話出回ってるの?」


「そりゃあな。この学校での一大事件だ。今はクラス中、その内学年中に噂が広まるぜ。」


どうやらいつの間にか悳が強盗事件に巻き込まれてたことがクラス中に広まっていたようだ。それを聞いた悳はなるほど、教室に入ったときの違和感の原因はこれかと納得した。


ならばと悳は隣に座っている少女、律に視線を向ける。彼女も机の周りを多くの女生徒達によって囲まれており、彼女が先日に巻き込まれた事件に関して嬉々として問いただされていた。


「まさか、内のクラスのマドンナまで事件に巻き込まれるとはな。ハッキリ言ってお前より話題に上がってるよ。」


「俺、皆から心配されていないのかな。今日聞いてきたのもお前だけだし。」


実を言うと悳も先日の事件についてあれこれ話すのは面倒だったのだが、いざ誰からも聞かれないとそれはそれで寂しく感じた。


「俺は心配してたぜ。神崎さんの次ぐらいには。」


「こんのおまえ!」


勝はへらへらと笑いながらそう冗談を言った。それを聞いた悳も少し怒りの突っ込みを入れる。

その直後、教室に担任の先生が入ってきて、全員席につけ、ホームルームを始めるぞと言って教壇に立った。それを受けて生徒達も全員が自分の席に座り、静かにホームルームが始まったのだった。


それからして午前の一時限目の授業の最中。生徒達が黙々と黒板の文字を書き写す中で、悳は隣にいる律に小さな手紙をこっそり渡した。その内容はこういう物であった。


「昼休みに校舎裏で待ち合わせ。お前の能力について聞きたい。」


非常に簡素にしたためられた手紙を受け取った律は指のジェスチャーのみで承諾の合図を送り、二人はそのまま授業へと意識を向けたのだった。


それから昼休み。悳は授業を終えてすぐに席を立ち上がり、教室から出ようとした。


「おいトッキー、今日は一緒に食堂行かねえのか。」


彼の背中に勝が声をかける。悳が振り向くと、勝の後ろには中学以来からの友人である大谷 海斗の姿もあった。彼らは昼休みはよく一緒に食堂で昼食を摂っていたのだった。


「悪い。これからちょっと用事があって。また今度な。」


悳は彼らからの誘いを断ると教室を駆け抜けて校舎裏へと向かったのだった。


「・・・・・・さて、私も行くとしましょうか。」


悳が教室から出てしばらくした後、律も机を立って校舎裏へと向かう。


「あれ?りっちゃん、今日は一緒にお昼行かないの?」


席を立った彼女の元に友人である倉橋 明美(くらはし あけみ)が声をかけた。


「うん。ごめんね。今日は皆と食べてて。」


彼女の誘いをやんわりと断った律はその綺麗な足取りで教室を後にしたのだった。



「ごめんね。待たせたかしら。」


「いいや、それほど。」


校舎裏で待っていた悳の元に律が到着する。この学校の校舎裏とは教室がある第一棟では無く、科学の実験や特別講習などで使う特別教室がある第二棟の裏の事である。ここには丘の上の学校と言うこともあってフェンスの向こうには山の植物が多く生い茂っており、野生に生息する小動物が小さな生態系を形成していた。


「それで、聞きたい事って何?」


律はぶっきらぼうに切り出す。彼女の態度に悳は多少の引っかかりを覚えたが、これが彼女の普段の態度なのかなと思い、そのまま話を続けた。


「先日お前が言っていた未来を見る力、ええと何だったか・・・・・・なんとかの悪魔・・・・・・」


「ラプラスの悪魔。」


「そう。それの詳細を聞きたいんだ。」


律は悳の言葉を聞いてから少しの間押し黙り、それからまたゆっくりと話をすすめた。


「それを聞いてどうするの?」


「いや聞きたいだろ。未来を見る力とか。それに俺はお前に助けられもしたが、そもそも率直に強盗に巻き込まれると言っておけば俺もコンビニになんて行かなかっただろ。なんで言ってくれなかったんだ?」


「・・・・・・あの時言っても貴方に信じられるとは思わなかったからよ。」


そう言ってから律は少しばかりの間また黙り込み、何かを諦めたかのようにため息を一つしてから自身の能力について話し始めた。


「私の能力は未来を見ること。だけど、貴方が考えていそうなニュアンスとはちょっと違う。私はほんの数分、数時間先の未来しか見通せないのよ。」


「それは、またどうして?」


「ラプラスの悪魔って・・・・・・知らないわよね。数学者ラプラスが提唱した理論で、この世の全ての事象を知覚出来る存在がいたとすれば、その存在は未来さえ見通せるという考えよ。」


悳はラプラスの悪魔という言葉も分からなければ、彼女の話した理論の事すら全く飲み込め無かった。そんな彼の態度に見かねて、律は更に詳しくラプラスの悪魔の解説をしたのだった。


「貴方も中学を卒業したならニュートン力学とか学んだことあるでしょ?」


「・・・・・・ああ、力学の第一法則とか振り子の原理とかか。」


「・・・・・・ええ、まあそんな所よ。そういった力学にはある程度条件が整えば決まった結果になるっていう因果律があるの。そしてそれは、この世にあるほぼすべての事象において言うことが出来るわ。」


悳は彼女の言葉を少しずつ飲み込みながら理解していった。その様子を見て、律も更に話を続ける。


「そして、もしこの世にあるそれらの事象の、力学の前提条件を全て認知出来る存在がいたとしたら・・・・・・」


「そいつはその先に起こる未来を見ることが出来る。」


「・・・・・・そういうことよ。」


彼女の言葉は悳にとってはあまりにも理解しがたいものであった。この現実にそんな超能力を持った人間が存在する。とても非現実的で非科学的な存在が今まさに目の前にいる。これは夢かと疑いたくもなる事実であった。


「・・・・・・ん?それで、それとお前がほんの先の未来しか見えない話がどう繋がるんだ?」


前提条件を知ることが出来ればその先に起こることが分かる。そこまでは理解した悳であったが、彼女が少し先の未来しか見えない事と話の関連性は見えてこなかった。


「・・・・・・実はこの理論は不確実なのよ。」


「不確実?」


「ええ、確かに前提条件を知ることが出来ればその先の未来も、またその先の未来も見通すことが出来るわ。でも、それはあくまで力学に則った話し。現実は全部が全部自然科学に則って動いている訳じゃ無いの。」


その後も彼女は悳の疑問を待たずに話しを続ける。


「例えば、人の行動。ある人が手を握るとき、私はその人が手を握る事を予見出来ても、なぜその人が手を握るのかは分からない。そしてこの能力はそういった分からないが集積することによって、見える未来が非常に不安定になるのよ。」


「・・・・・・なるほど。つまり人の心が読めない以上、確実にその人が手を握る未来を見通すことは出来ない。だから、ほんの先の未来しか見えない訳か。」


「ええ。さっきの例えで言えば、その人が手を握るのが三秒ほど後であればそれはもう確実になるわ。ただし、これが一時間後とか、数日先になるとその時が来るまで確実とは言えなくなる。それに、人の意思以外にもこの世には科学では理解しきれない事象がいくつもある。ほんの少し条件が変われば、その先の未来もがらりと変わってくるのよ。」


悳は彼女の言葉を一つ一つ受け取りながら、彼女の能力の詳細を把握していった。


「・・・・・・ちなみに、俺がコンビニで強盗に遭う未来が見えたのはいつからだ?」


「貴方が数学の時間に消しゴムを折ったとき。びっくりしたわよ、授業中に突然、未来で死ぬ人の光景が見えたんだから。」


「・・・・・・え?」


「・・・・・・あ。」


今彼女はなにかとてつもない事を本人に暴露したのだが、二人ともそれを聞かなかった事にして話しを進めたのだった。


「・・・・・・ああ、そうか。うん。だから朝の内に忠告は出来なかったんだな。なるど。・・・・・・そう言えば、なんでその力を隠しているんだ?その力を使えば俺のように危険に陥った人を助けられるだろ?」


悳は無理矢理話しを逸らしながら、不意に思った疑問を彼女に聞く。


「別に隠している訳じゃ無いわよ。考えてもみなさい。いきなり私に未来が見える力があるなんて噂が広まったら、私が変な占いやオカルトにでもはまったかと思われるでしょ。」


「おお、そうだな。・・・・・・そうか?にしても随分具体的な懸念だな。」


「中学の頃、友達にそういったことに傾倒しちゃった子がいてね。勉強そっちのけで水晶占いやタロットカードや占星術にのめり込んでいって。・・・・・・今あの子どうなっているかしら。」


そう言って律はどこか遠くを見るような目をした。彼女の言っている子が今はどうなっているかなど悳にとってはどうでもいいことだったが、彼女にとっては少し気になる事柄のようだ。


「・・・・・・それに、貴方のように命の危機に陥る人なんてそうそういないわよ。私もいちいち誰かの不運に口を出せるほど暇も無いし。」


律の言葉に悳もそう言われればそうだと納得する。彼も幼稚園から小学校、中学校を経たこの十五年の間で身近な人が死んだ、もしくは死ぬような目に遭ったなどという話しは聞いたことが無かった。あの教室では悳が周りの誰より特別なだけだったのだ。


「そうか。そんじゃあ、お前の力を知っているのは?」


「貴方を除けば私の家族と小学校の頃にいた友達の一人だけよ。」


「その友達とはどういう関係で?」


「私が自慢げに能力を披露して、それで。力をあんまりひけらかさないように言ったのも彼女だったわ。」


「はえー。」


それから悳は他に疑問は無いかと考えた後、自分の持っていたあらかたの疑問は解消された事を知って彼女への問答は辞める事にした。


「ふーん。それにしても未来予知か。ふふ、そうか。」


律の話しを聞き終えた悳は彼女の言葉を頭の中で反芻しながら、その能力の超常さ異常さを感じて楽しそうに笑った。


「え・・・・・・なに笑ってるの。キモ。」


顎に手を当て、クスクスと笑いながらにやける悳の姿に律は気味悪がって一歩身を引いた。そんな彼女の反応に対し、悳は弁明をするように話し出した。


「いやだって未来視よ。そんな力を持った奴が俺の目の前にいんのよ。わくわくするだろ。こんな変わり映えのしない日常でSFのような話しに巡り合えたんだ。楽しくならない方がおかしい!」


そう語る彼の顔はまるで未知を発見した子供のように純粋で輝いていた。大仰に手を振り上げ、この世にあった異常に出会えた奇跡に感謝しながら、彼は心の内の喜びを全身でもって表現したのだ。


「・・・・・・そう。変わり映えしない日常ね。貴方はそう感じるのね。」


そんな悳の傍らで律は物憂げな表情を浮かべながらふぅと息を一つ静かに吐いた。だが、喜びに打ち震える悳にはその彼女の姿は目に入らなかった。


「・・・・・・それじゃあもういいかしら。私もそろそろお昼を食べたいわ。」


喜ぶ悳に対し律はそう言う。ようやく彼女の言葉が耳に入った悳も自分たちが随分と長い間話し込んでしまっていた事に気づき、彼女の言葉に賛同してこの場を解散することにした。


「ああ、そうだな。呼び出して悪かった。お前の力の事は絶対公言しないようにするよ。」


「ええ、そうしてくれると助かるわ。じゃあ、私はこれで失礼するわね。」


そう言って律は悳に背中を向けて去って行った。やけに綺麗な足運びだなと悳は思いつつ、彼女の姿が見えなくなってから食堂へと向かったのだった。


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