北海道オブザデッド 4
閑散とした道の駅、なないろ・ななえ。
客も従業員もいない。
避難したのか、ゾンビになってどこかに行ってしまったのか、ちょっと判断のしようがないが、店内が荒らされていないのは助かった。
掃除の行き届いた清潔なトイレで用を足して戻ってくると、みなみがイートインブースでなにやら作業していた。
まあ、なにやらっていうか、食べ物を(勝手に)もらって、使い捨て容器に詰めているだけだ。
この道の駅には、おにぎりやいももち、クレープやコロッケやメンチカツなどを売る店があり、けっこう評判も良いらしい。
長丁場になるだろうから、弁当的なサムシングは絶対に必要になる。
だから、みなみの略奪行為は正しい。
しかしそれとはべつに、俺は腹が減った。
いま何か食べたい。
きょろきょろと周囲に視線を投げると、メニューが書かれたプレートが目に入った。
「こぼれイクラ丼……だと……?」
なんという魅惑の響き。
よし。これを食おう。
店の人がいないから、自分で作って。
調理場の側に移動して、冷蔵庫だのジャーだのを開けてみる。
「くくく……あるじゃねえか……」
「なんですの? その世紀末の野盗みたいな言動は」
呆れたようにみなみが見つめる。
だが甘いぜ道産子よ。呆れるのはこれからだ。
どんぶりにご飯を盛り、そこにイクラをかけてゆく。
イクラをかけてゆく。
イクラをかけてゆく。
「かけすぎですわ。どんだけかけるつもりですか」
「まだだ。まだ終わらんよ」
どばーっと。
溢れるように。
こぼれるように。
「ぐふふふふ……」
「痛風になってもしりませんわよ」
俺謹製のこぼれイクラ丼をながめ、やれやれとみなみが肩をすくめた。
なんか腹立つ。
このくらいべつにいつでも食えるし、みたいな態度が、ものすごく腹立つ。
「そもそもイクラなんて家でつくるものですわ。私の母も毎年作ってますし。なにをありがたがっているのやら」
「道産子が! いい気になるなよ!!」
「そこでキレられましても」
悔しいから、がつがつ食ってやることにした。
北海道には味はあっても料理はない、という言葉を俺はきいたことがある。
えらく語弊のある言い方だが、これはようするに京懐石や関西割烹のような妙技を期待しても仕方がない、という意味だ。
なにしろこの北の島でとれる食材は、ただ焼けば、ただ煮れば、ただ揚げれば、極上の味になる。
ごてごてと手を加える必要はない。
ちくしょう。
美味い。
ごはんにイクラをかけただけなのに、なまら美味い。
もう一杯食っちゃおうかな。
「いい加減になさいまし。お腹をこわしますわよ」
「ばっかみなみ。ばっかみなみ。北海道にきたんだから腹壊すまで食わないと嘘だろ」
俺はこの旅行で、体重が五キロ増えたってかまわない。というくらいの覚悟があるのだ。
邪魔はさせない。
「大沼牛と澪豚のメンチカツがありますわよ」
そういって差し出したのは、良い感じに揚がった小判型の物体だ。
美味そうではある。
「だがしかし、俺の心はすでにイクラに支配されている。メンチカツごときで……」
それでも出されたからには食べますよ。
さくり、と。
え?
なにこれ。
濃厚なのにキレがある。噛むほどに広がる肉汁。芳醇な味わい。
それはまるで旅路のように。
ひとりで歩くこともある。仲間と進むこともある。
立ち止まることもあるだろう。
どうしても前に進めないことだって、あるかもしれない。
だけど、それこそが人生なのだ。
「人生は肉に似ている……」
「しっかりしてくださいまし。どこに旅立ってるんですの」
ゆっさゆっさと、みなみが俺の肩を掴んで揺すっていた。
「おおう……俺はいったいなにを」
はっと気付く。
ちょっとべつに宇宙に行ってしまっていた。
美味かった。
「遊んでる暇はありませんわよ。食事が終わったら出発ですわ」
「そうだった」
トリップしている場合ではないのである。
東京に戻る手段を見つけなくていけないのだ。
俺は食べ終わった食器を洗い、調理スペースを出る。
みなみの手には使い捨て容器に詰められた弁当があった。
メンチカツも入ってるかなあ。入ってたらいいなあ。
道の駅を出た軽自動車は国道五号線をそれ、函館新道へと入った。
簡単にいうと無料の高速道路だ。
大沼公園まで伸びている道央自動車道と、いずれは接続するだろう。
そうなったら無料では走れなくなる。
「これで函館空港までいけるのか?」
「そこまで延伸してはおりませんわ。市内に入ったら産業道路を走ることになりますわね」
解説してくれるが、もちろん俺には函館の道の名前など判らない。
他に車もいない高速道路を、軽自動車が快調に飛ばす。
「ていうか、見事なまでに誰もいないな」
「戒厳令が敷かれましたもの」
「戒厳令て……」
辞書的な意味なら、一切の立法・司法権を軍部が握ることだ。
ただまあ、日本に軍隊はないので辞書的な意味では使われない。どちらかというと非常事態宣言とか、そういうのに近いだろうか。
「現状、走っているのは自衛隊の車くらいですわね。一般市民は外出禁止になっていると思いますわ」
「おいおい……」
「避難所を開設したとして、そこに移動するまでに咬まれたらアウトですもの。家なり会社なり学校なりに引き籠もっているのが安全ですわ」
「たしかに、それはあるか」
「外をふらふらしていたら、問答無用で撃たれますわよ」
「ここ法治国家!」
怖いことを言い出すみなみだった。
なんでいきなり発砲って話になるのか。
まずは不審尋問とか、そういうのから入りなさいよ。
「で、がぶっちょと咬まれるのですね。話しかけた瞬間に」
シニカルな笑みを浮かべる。
なんだろう。
まるで見てきたかのように語る。あるいはそういう事態を経験しているような。
「この島を守る戦士に、そんな間抜けはおりませんわよ。吸血鬼でもゾンビでも良いですが、感染したものを救う手段がないことくらい知っております」
そして戦える人間が減れば減るほど、民間人の被害も大きくなってしまうということも。
と、付け加える彼女の瞳には、ある種の達観が浮かんでいた。
本当に十七歳か? この子。
「なんつーか、ちょいちょい吸血鬼が引き合いに出されるな」
「気のせいですわ」
はぐらかされる。
なにか隠しているのは明白だけど、訊くのははばかられた。
一般人の俺が踏み入っちゃいけないような、そんな気配を感じたから。
そこまで踏み込んだら、もう後戻りできない。
根拠はないけど、そんな予感だ。
やがて軽自動車は函館の出口へとさしかかる。
かなり大きめなホームセンターが見えてきた。
「ホーマックですわ。大昔は石黒ホーマって言ったそうですわね」
「その情報はべつにいらないと思うけど、あそこなら武器が手に入るかな」
「ピストルは売ってないと思いますわ」
「拳銃から離れようぜ」
なんでこの女は拳銃にこだわるのか。
道の駅だろうとホームセンターだろうとコンビニエンスストアだろうと、拳銃なんぞ売ってない。
そもそも、映画などではゾンビを相手に拳銃はあんまり役に立ってないはずだ。
威力的な問題で。
まあ、頭を吹き飛ばすくらいのパワーがあるやつなら話は別だろうが、そんなバケモノ拳銃を取り回せる大学生は、あんまりこの国にはいないだろう。
銃器ならショットガンとか、そういうのでないとゾンビには有効打にならないのではないか。
もちろんそんなのがあっても、俺には使えないが。
「ぶっちゃけ、鉄パイプとかでいいんだよな。それなら振り回すことくらいできるだろ」
「気休めにもほど遠いかと思いますわ」
ハンドルを握るみなみが笑った。
鉄パイプぶん殴ったくらいでゾンビがやっつけられるなら、ゾンビ映画が成立しない。
「寄るなら警察か、あるいはヤクザの事務所ですわね。武器がありそうって意味で」
「物騒すぎる」
苦笑を交わす。
ホームセンターの前を通過した軽自動車が産業道路に入る。
湯の川を目指して。




