北海道オブザデッド 3
なんの躊躇いもなく場内を逆走し、軽自動車が立体駐車場の入口を通過する。
すでにバーは切り落とされ、障害物ではなくなっていた。
あのきれいな切り口は、あきらかにみなみさんの仕業っすね。
「脱出するとき足止めされないように思って斬り捨てておきましたが、駐車場にゾンビがいないのであれば、普通に料金を払っても良かったですわね」
「払った料金が回収されるかどうかは判らないけどね」
いまさらな発言に笑う俺に、みなみが舌を出してみせた。
軽自動車は快調に国道五号線を目指す。
映画や漫画などで幾度も題材に使われてきたゾンビだが、ここまで安心感のある序盤は滅多にないだろう。
なにしろ超能力者が一緒なんだもの!
SFなのかホラーなのか、どっちなんだって気分だ。
そして俺も、えらく余裕がある。
なんか現実感がない。
旅行先だからって理由も、もちろんあるだろう。
これが自分の通っている大学や、あるいは自分が暮らしている街だったら、もっとずっとパニックを起こしていたと思う。
初めての場所、見たこともない景色だから、まるで映画の中の出来事のように感じるのかもしれない。
だが、死にそうな目にあったのは紛れもない事実だ。
旅行鞄も、中に入っていた荷物も失ってしまった。
命あっての物種というが、惜しくないといえば嘘になる。
それなりの値段したのだ。
バッグだって、入っていたタブレット端末だって。
そしてそれ以上に、ちょっとしたお菓子も入っていたのである。
お腹もすいたし喉も渇いた。
「まあ、あれだけ運動したのですから、仕方ないですわね」
「そういうきみは、ぜんぜん余裕だね」
「私たちにとっては、あの程度は運動のうちに入りませんわ」
ふふーん、て、笑ってる。
さすが超能力者である。
その体力と持久力、うらやましいねたましい。
「まっすぐいったさきに道の駅がありますわ。なないろ・ななえ。そこで食べ物と飲み物を調達しましょう」
「人いるかなぁ?」
俺は首をかしげた。
ゾンビパニックが新函館北斗駅の周辺でだけ起きたとは、ちょっと考えにくい。
「まあ無理でしょうね。ゾンビになったか、逃げ出したか」
「つまり盗むってことだな」
「無断で持っていくだけですわ」
シニカルな笑みを交わし合う。
俺もみなみも、金を払うつもりは充分にある。
しかし、人がいなくては払いようもないのだ。ましてゾンビにお金を渡しても、まったく意味がないだろうし。
「食べ物もそうだけど、俺としては武器が欲しいな。せめて身を守れるように」
「道の駅に、さすがにピストルとかは売ってないと思いますわ」
当たり前である。
北海道は異世界みたいなもんだとはきくが、さすがに拳銃を市販するほどエキセントリックではないだろう。
もし仮に売っていたとしても、そんなもんの使い方など判らない。
俺はごく一般的な大学一年生なのだ。
「木刀くらいならあるかもしれませんわねえ」
「どうだろうな?」
いまどき土産物屋に木刀が売ってるだろうか。
洞爺湖とか書いたヤツだったら、ちょっとほしいけど。
「武器は望み薄かもしれませんわ」
「いつまでも足手まといってのも心苦しいんだけどな」
年下の女の子を戦わせておいて、自分は高みの見物というのは、さすがにちょっと精神衛生上よくない。
と、そこまで考えで俺ははたと気付いた。
そもそもみなみっていくつなんだろう。
漠然と高校生くらいと思っていたが、女性の年齢ってあんがいわからないものだ。
「ところで、みなみっていくつなんだ?」
「十七ですわよ。ていうか、なんの躊躇いもなくファーストネームで呼びましたわね。このナンパ師は」
だいたい見た目通りの年齢だった。
そしてナンパ師あつかいされた。
「……自分だって名前で呼んでるくせに……」
拓真さんって。
なんで俺が呼んだらナンパ師なんだよ。
いやしかし、セクハラ呼ばわりされなかっただけでも喜ぶべきなのかもしれない。
むつかしいテツガクである。
やがて見えてきた道の駅『なないろ・ななえ』は、道南でもかなり新しい道の駅らしい。
外観も真新しいが、駐車している自動車は少なかった。
まあ平日で、時間も中途半端だったから。
というより道を走っている自動車もいない。
「これってどういうことなんだろう?」
「これとは?」
「車が走ってないからさ」
「ゾンビに運転は無理だからではないでしょうか?」
もっともだ!
自動車を運転できるゾンビなんてきいたこともないからね!
「つまり、みんな一斉にゾンビになったわけじゃないってことか」
「おそらくは、という前提ですが」
言い置いてみなみが説明してくれる。
現状で判っていることを。
ゾンビは空気感染しない。
まあこれは、俺やみなみがゾンビになっていないことからもあきらかだ。
ただし、咬まれると感染する。
映画のように。
「吸血鬼などと一緒ですわ。ネズミ算的に数が増えてしまいます」
「などとって……」
ゾンビでも吸血鬼でもいいが、そんなもんはフィクションの中にしか存在しない、と、俺は今日まで思ってきた。
いきなり常識さんが逃げてしまったのである。
「目の前で起きているのですから、信じるしかありませんわ。それに」
「それに?」
何か言いかけたみなみだったが、軽く頭を振る。
「なんでもありませんわ。後手に回ってしまったのは事実ですし、現状でどこまで感染が広がっているか、さっぱりわかりません」
どことなく悔しそうだ。
今日になってから、爆発的に感染が広がったらしい。
一斉に。
まるで狙っていたかのように。
「つまり人為的なものってことか」
「わかりませんわ。ですが、ゾンビが自然発生する生物だというのは寡聞にして知りません」
「たしかにな……」
生ける屍が生物であるかどうかは、なかなかに難しい設問だが、ある日突然ぽんっと登場する類のものではないだろう。
まして感染爆発が起きるというのは、少しばかりリアリティに欠ける。
「すでにして数千の被害が出ていますわ。今朝から始まった感染で。いくらなんでも早すぎますわね」
ハンドルを握りながら、器用にみなみが肩をすくめる。
人が密集する場所を重点的に狙ってゾンビが現れた。人為的であるという何よりの証拠だろうと、と。
函館駅や新函館北斗駅などの交通の要衝で、たまたまゾンビが大量発生して人を襲うか、という話だ。
「つまり、だれか黒幕がいるってことか」
「と、私は思っておりますわ。どこか幕の影に隠れて笛を吹いてるヤカラがいるのだろう、と」
「それを見つけてやっつけるのか」
「いいえ?」
ぐっと拳を握りしめた俺に、みなみが笑みを向けた。
「私の仕事は、拓真さんを無事に内地に送り返すことですわ。事態解決に向けては、別の仲間が動いているかと」
「え? 超能力者ってみなみ以外にもいるの?」
思わず質問してしまった。
思い返してみれば、彼女は自分のことを量産型能力者とか言っていなかったか。
こんな戦闘力をもった超能力者が何人もいるって。
どうなってんだ。
もしかして、日本って国そのものが秘かに超能力者を開発してるとか?
やばくね?
俺、そんなことを知ってしまったら、消されるんじゃね?
だらだらと汗が流れる。
「そうです。私は拓真さんが秘密を漏らしたときに消す役割」
「ヒイっ!」
「嘘ですけど」
「ズコー」
「ノリ良いですわね。そもそも超能力者がいる組織がある、なんてことを誰が信じるものですか」
まったくである。
俺が親や友人にこのことを告げたとしても、笑われるのが関の山だろう。
あるいは深刻そうな顔で病院に連れていかれるか。
SNSとかに書き込んでも嘘松あつかいだ。
「日本人って、結局、常識っていう同調圧力からは逃れられないのですわ」
皮肉な口調で皮肉なことを言ったみなみが、軽自動車を駐車場に滑り込ませた。