北海道オブザデッド 1
失敗した!
くるんじゃなかった!
宝石のような夏、なんて言葉に踊らされるんじゃなかった!!
エスカレーターを駆け昇りながら、俺は内心で叫んでいた。
もう幾度めになるか判らない心の叫びである。
「後ろがつかえております。ハリーハリー」
鈴を鳴らすような声が聞こえる。
「とろとろ走ってるとカンチョーしますわよ?」
振り返ると、とんでもない美少女が両手を組んで人差し指を立てていた。
その不穏なポーズをやめろ!
事の起こりは三ヶ月ほど前だ。
俺こと西山拓真は、大学生活最初の夏休みをいかに過ごすか計画を練っていた。
大学生だもの!
高校までとは違ったことをやりたかった。
そこで考えついたのが旅行である。
しかも一人旅。
行き先は、なんと北海道!
蒸し風呂みたいな東京を離れて北の大地へ!
おりしも最も過ごしやすい季節である。
旅費を稼ぐため、かなり頑張ってアルバイトをした。
大学に行く時間を惜しんでね。おいおい学生の本分を見失ってんじゃねーかっていわれそうだけど、そこは勘弁してもらいたい。
お金がないと旅行に行ってもつまらないし、勉強しかしてない大学生ってのも、リアリティのない話なのだから。
そんなこんなで旅費を貯め、俺は新幹線『はやぶさ』に乗って憧れの北海道へとやってきた。
ぶっちゃけ飛行機の方が安いし時間もかからないのだが、やっぱり北海道新幹線に乗ってみたいじゃん?
そして北の大地に訪れた俺を待っていたのは、往年の恋愛アドベンチャーゲームの名作『北へ。』ばりの出会いではなかった。
いやまあ、美少女との出会いは会ったんだけど、状況が異常すぎた。
おかしいとは思ったんだよ。
到着した新函館北斗駅のホームには、誰もいなかった。
ここがそもそも変だよな。
ホームにはキヨスクだってあるのに。
販売員も、駅員すらもいないってのは、どう考えてもおかしい。
どうなってんだ? と、思う暇もなかった。
襲いかかってきたのだ。
ゾンビでも『奴ら』でもいいけど、ようするに怪物どもが。
新幹線に乗っていた客は、次々と咬まれていった。
なにしろ年配の人が多かったから迅速に逃げるってわけにもいかなかったんだろうな。
かろうじて第一波から逃れた俺だったが、じつのところ命日の横移動にすらなっていなかった。
なにしろスプラッタ映画のように、こいつらは感染するのだ。
咬まれた人たちが、すぐにゾンビになって襲ってきた。
旅行鞄を振り回して追い払っていた俺も、すぐにホームの片隅に追い込まれ、もはやこれまでという状態になった。
もうね。
こいつらに咬み殺されるくらいだったら、ホームから線路へ、線路から高架下へと飛び降りて死んでやろうと思ったね。
そのときである。
俺を取り囲んでいたゾンビどもが千切れとんだのだ。
一瞬で。十体ほどが。
目を見張る俺の前に立っていたのは、黒い髪の美少女だった。
白いフィッシュテールコルセットのスカート、頭にのせた小さな帽子。
髪と同色の瞳は挑戦的に輝いている。
「ようこそ、死者の国へ」
赤い唇が半月を描いた。
「な、な、な……」
俺はといえば、状況に頭がついていかず、酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくするだけだった。
なんというか、なさけないやらみっともないやら。
でもさ。
ゾンビに追いかけ回されるってだけでも非現実の極致なのに、そのゾンビが高校生くらいの女の子に薙ぎ払われるなんて。こんなんまるっと受け入れられる人間がいるならみてみたいわ。
尊敬しちゃうか呆れ果てるか、どっちかだろうけど。
「逃げますわよ。こんなところにいても、状況が良くなる可能性はゼロですわ」
俺の手を引いて駆け出す。
すぐにゾンビどもが追いすがってきた。
「ああもうっ! しつこいですわ!」
ぶん、と、女の子が振り向きざまに右手を振るとゾンビの首が二つ三つまとめて飛ぶ。
いつの間にか光り輝く剣みたいなものが、その手に握られていた。
「えー なにそれー」
「PKブレイドですわ」
うん。
べつに武器の名前を訊いたわけじゃないのよ?
むしろ、なんでそんなもんを持ってるのか、とか、あんたは何者なんだ、とか、そういうことの方がずっと気になるよ。
「何者、ですか?」
「危機に突然スーパーヒロインが助けにきたってのを、無邪気に信じられたらいいんだけどな」
「菊水みなみ。量産型能力者ですわ」
「……西山拓真だよ」
名乗られた以上、こっちも名乗らないのは失礼なので俺も名乗りかえしたけど、自己紹介がしたかったわけじゃない。念のため。
ていうか、量産型能力者ってなんだよ。
意味不明すぎて、どっから突っ込んで良いのかわからないよ!
「後天的に超能力を付与されたもの、と、解釈してくださってけっこうですわ」
SFかよ。
「いいえ? ホラーでしょう?」
俺の顔色を読んだのか、みなみが婉然と微笑する。
たしかに。
ゾンビが出てくるのはSFじゃなくてホラーだ。
しかもパニックホラー系。
「ともあれ、私の正体を追及するより、ここを脱出するのが優先ですわ」
「そこは、かなりの線で同意見だよ」
肩をすくめ、俺は足を速める。
でてくるでてくる。
柱の影、売店の裏、ホームの向こう側、もう、わらわらと表現するしかないような雰囲気で、ゾンビどもが現れていた。
「あ゛ぁ゛ぁ゛」とも、「う゛ぅ゛ぅ゛」ともつかない声を発しながら。
俺一人だったら恐慌に陥っている……というか、とっくに食い殺されていただろう。
守られているだけとはいえ、女性が一緒なのだから無様な姿は見せられない。
それが男の美学ってもんだ。
「後ろは守りますわ。お先にどうぞ」
「じゃあ前は俺が警戒するよ」
エスカレーターへと駆け込む。
新函館北斗駅の改札口はホームからエスカレーターを昇った先にある。
で、駅の外に出るには、ふたたびエスカレーターに乗って今度は降らなくてはいけない。
少しばかり面倒くさい構造は、たとえば普段なら気にする人なんかいないだろう。
しかし、ゾンビが溢れている状況で、エスカレーターを昇ったり降りたりするのはさすがにぞっとしない。
もちろんエレベーターも設置されているが、さすがにそんなもんを使う気にはなれなかった。
どう考えても、動く棺桶でしかないから。
「せめて、なにか武器があればなあ……」
俺の唯一の装備品だった旅行鞄は、ゾンビどもともみ合っているうちに奪われてしまった。
着替えとかタブレット端末とかはあれの中に入っているのだが、さすがに取りに戻ることはできない。
つまり、今の俺は完全に徒手空拳。
デニムのポケットに入ってる携帯端末や財布では、さすがに戦えない。
「拓真さんが武器を持っていたとして、なにかの役に立ちますの?」
「ひっどっ」
後ろからひどいことを言われた。
本当のことだけど!
「後ろがつかえております。ハリーハリー」
「わかってるよ」
せかされる。
次から次へと現れるゾンビどもを切り払いながら。
みなみの声は余裕たっぷりだが、状況が良いわけでもないのだ。
とはいえ、俺だって全力疾走というわけにはいかない。
上にゾンビがいないとはいえないから。というよりまず間違いなくいるだろう。
そんなところに全速力で突っ込むとか、自殺行為いがいのなにものでもないってもんだ。
「とろとろ走ってるとカンチョーしますわよ?」
不穏な声に振り返れば、みなみが不穏なポーズをしていた。
両手を組み、人差し指を立てるあれだ。
小学生どもがやるような、あのポーズである。
「やめい!」
「冗談の通じない殿方は、もてませんわよ」
「小学生ジョークが通じる大学生はそんなにいねーよ!」
左手で尻を守りながら、俺は少しだけ足を速めた。
まったく。
なにが宝石のような夏だよ。
くるんじゃなかった!