少女漫画の主人公には向いてない
うへぇ、となんとも言えない息が漏れる。私の後ろには壁。前方にはなんとも整ったお顔立ち。そして両脇には目の前のお方の両腕が。
これはいわゆる壁ドンというやつでは。いやいやまさか。そんな少女漫画でもあるまいに。
我が名は高坂逸奈。誉れ高き高坂家長女である。と仰々しく名乗ってはみるものの、実際は特段特筆すべきもののない平凡そのものの女子高生に過ぎない。
対して、今現在そんな私を至近距離からじっと眺めているのは菱科隼基。我が校が誇るイケメン様である。クラスは違うが、あまり世事に詳しくない私でも知っている有名人だ。
そして現在。そんな菱科さんに呼び出されて来てみれば、何故か壁に貼り付けられてしまったと言うわけだ。
私は別に面食いという訳でもないので、良く知らぬ男子に突然このような奇行に走られてもただただ怖いだけである。私にかけらでも女子力が備わっていれば可愛らしく照れることもできたであろうが、生憎と平凡な私の唯一目立った特徴が女としての魅力がゼロであることなので、それは期待できない。
と、心の中で冷静に分析してみるものの、やはり恐怖は恐怖だ。びくびくしながら菱科さんを見上げていると、やがてそんな私に気付き我に返ったように壁から離れる。
とりあえず、それ程壁が好きなら私を挟まない状態で貼り付いて欲しい。ばくばくと震える心臓を抑え、恨めしげに彼を見上げる。
菱科さんはすまなさそうに眉を下げて、私から目を逸らした。
「あ、あの、ごめんいきなり。ついというか……また逃げられるかもと思って焦って」
目を泳がせてそう言う彼に、私は首を傾げる。
「また、とは?」
「ほら、俺が話しかけると、高坂さんいつも逃げるように向こうに行っちゃうから」
その言葉に更に首を傾げる。私は菱科さんに話しかけられた覚えも、逃げた覚えもなかった。
「人違いではないでしょうか」
「いや、人違いなんてするはずないよ。だって」
そこで菱科さんは言葉を区切る。一度こちらを見て、目を逸らし、またこちらを見て……やがてため息をついて額に手を当てた。
「……うん、まあ、ともかく。ちょっと確認だけさせて。高坂さんって俺のこと嫌い?」
「嫌いではないです」
先程の恐怖で好きでもないですが。と面と向かって言うことは憚られたのでやめておく。
「良かった」
ほっとしたように笑む菱科さん。菱科さんは冷たそうな印象の美形だが、笑顔はとても柔らかいのだと初めて知った。もしかしたら顔で損をするタイプかも知れないなぁ、と余計なお世話な感想を抱く。
ぼんやりしていると、菱科さんは真剣な顔になった。
「あ、あのさ。それで……もし良ければだけど。嫌いじゃないなら、これからも俺と話とかしてくれないかな」
「……まぁ、大丈夫、ですけど……」
私と彼の間に接点はなく、話すにしても何を話せばいいか分からず気詰まりになるだけな気がする。そんな私の疑問を他所に、再び表情を明るくする菱科さん。嬉しそうな笑顔を見て、私はぴんときた。
成程、この人もみぃちゃん狙いだ。
みぃちゃんというのは依藤みみと言って、私の大事な親友だ。ほんわり可愛くて、とっても優しい、気遣いの出来る子。彼女に落ちない男子は居ないと胸を張って断言できる、自慢の親友。小学校からの付き合いであるみぃちゃんは実際とてもモテる。私は男子の魔の手からみぃちゃんを守ったり、守らなかったりする。いつも守ってしまうのはみぃちゃんの為にならないし、何よりみぃちゃんにうざがられて嫌われてしまうのが嫌なので、みぃちゃんを特別視しなかったり性格の良さそうな男子には何も言わず見守るようにしている。
私は菱科さんを見た。謎の壁ドンには困惑したが、それ以降は話していて嫌な感じもしないし、優しそうではあるかなと思う。勿論選ぶのはみぃちゃんだが、私が橋渡し役をする位なら特に問題はなさそうだ。今の所は、ではあるけれど。
そういえばと振り返って、菱科さんはよくみぃちゃんに話しかけてくる人の中にいたと思い出した。あまり人の顔を覚えられずよく見てもいなかっためうろ覚えだったが、みぃちゃんに対してやたら邪な接し方をしないのでその都度大丈夫と判断して私もすぐに引いていた気がする。
ふむ。まぁ、親友であって本人でない私が評価するのは少々傲慢だが、少なくとも私からすれば彼は合格点だろう。
うんうんと頷いていると、彼は携帯電話を取り出していた。電話が来たわけでも無いのに、一体何を?と考えていると、私にも携帯を出すよう言われる。
「連絡先、交換しよう」
ああ、なるほど。確かに連絡先がわからねば情報も得られないだろう。
察しが悪すぎるのは私の数ある欠点のうちの一つだ。そういえば、普通じゃ無いほど鈍いと母に言われたことがある。女子力はなく、とても鈍い。なんだ、私は平凡ではない点が二つもあるじゃないか。これは自己認識を改めねばなるまい。
現代人の半数以上が入れているだろうアプリに、菱科さんの名が加わる。
「そういえば今まで男子の連絡先はグループくらいにしか無かったなぁ」
ぽつりと呟くと、菱科さんが口元を押さえて笑った。……性格が良いという評価は改めるべきか?
一応、と私は菱科さんのことをみぃちゃんに報告する。みぃちゃんはいつものにこにこ笑顔を引っ込めて、真剣に微に入り細に入り彼との会話を確認してきた。意外にも、みぃちゃんの方も彼に興味があるらしい。これは菱科さん、もしかするともしかするやもしれぬぞ、と私はにやけてしまう。
そして、一通り聞き終わったみぃちゃんは、深いため息をついた。
おや。これは、恋をしているような反応ではないな。
問うような視線を向けると、みぃちゃんは私を見て、考えるように目をつむって、そうして両手のひらで顔を覆って俯いてしまった。
「ん!?みぃちゃん、どうしたの」
突然の行動に驚いていると、みぃちゃんは絞り出すような声を出した。
「……ちがう……ちがうよぉ……」
遂には首を振って違う違うを繰り返し呟き始めた。何やらとても恐ろしい。さすがの私もみぃちゃんの突飛な言動に少し引いていると、みぃちゃんは指の隙間から私を見上げた。
う……!うるうるとした瞳で上目遣いなんて、みぃちゃんは一体どこでそんな技を身に着けたのだ。
あまりの可愛さに心臓を撃ち抜かれていると、みぃちゃんが小さな声で何かを言った。
「……菱科くんが可哀そうすぎるよ……」
「んん?」
可哀そう、ということはみぃちゃんのお眼鏡にはかなわなかった、ということか。
「いまぜったい、いっちゃん間違ったことかんがえてる」
むす、と唇を尖らせ眉を寄せるみぃちゃん。みぃちゃんは怒った顔もかわいいなあ!とつい顔が緩んでしまった私に、みぃちゃんの眉がさらに寄っていく。いつも笑っているみぃちゃんの眉間にはしわの跡ひとつないが、このままではしわが出来てしまう。慌てて両手で眉を開かせようとする。ぐぐぐ、と寄せるみぃちゃんと、みみみ、と開かせる私との静かな攻防がしばし続く。
やがて、みぃちゃんが耐えかねたように私の両手を掴んだ。
「もう!いっちゃん何してるの!」
そう言って手を下ろさせられてしまう。
「だって……みぃちゃんの眉間にしわが……」
「私のしわはどうでもいいの!」
私怒ってるんだよ、と顔を近づけてくるみぃちゃん。怒っている顔は確かに可愛いが、別に無理に怒らせたいわけでもないので緩みそうな頬を叱咤して神妙な顔をつくる。
「私、みぃちゃんに何かした……?」
「私にじゃない、菱科くんにだよ」
びし、と人さし指を突き付けてくる。人を指でさしてはいけませんとはよく言うが、ならば何故に人さし指という名の指があるのだろうか。さしてはいけないのであれば人さすな指とでもしておいた方が賢明だろう。やるなやるなと言いつつも、案外誰かを示すとき、人は指をぴんと立ててしまうものである。と、謎の思考に浸っていると、唐突に鼻からの空気供給が止まった。
「ひ・と・の・は・な・し・を・き・く・のーっ!」
「ふぁあい、ふみまふぇん」
鼻をつままれぐりぐりされる。痛い。
やっと解放された鼻をおさえ、私は涙目になりつつ、みぃちゃんの言葉を振り返る。
菱科さんに、私が何かをしたと。それで、彼は可哀想だと。首をひねる。何かするも何も、私はまともに彼と話をしたのはあれが初めてだ。かと言って先程の会話を振り返ってみても、何かまずい対応をした覚えはない。彼の方も特に気分を害した様子はなかったし、寧ろみぃちゃんとの繋がりが出来そうで上機嫌だった気がする。
疑問符にまみれた私の顔に、みぃちゃんは一つ息を吐いて真面目な顔になった。
「あのね。いっちゃんはとっても良い子だよ。いつも私の味方でいてくれるし、優しくしてくれる、凄く良い友達を持ったなって思う。それに、人を色眼鏡で見ない。独特の眼鏡を持ってはいるけど、人を見るときに変に捻じ曲げたりしないで真っすぐ見る。それはなかなかできる事じゃないと思う。……でもね、自分を見るときだけは特別分厚いサングラスをかけてるし、自分がもらった褒め言葉を全部私にくれちゃうところとかは、直した方がいいところだよ。いっちゃんが思っている以上に、皆はいっちゃんのこと見てるんだから。ね?」
ふわりと微笑んだみぃちゃんはとても可愛らしくて、そして、とても綺麗だった。
菱科さんの件との関連が全くわからなかったが、私はその笑みに圧されて、ただ頷いた。
菱科さんから度々連絡が来るようになった。
内容は他愛ないもので、みぃちゃんのことを尋ねるでもない文面に首を傾げながらも、ぽつぽつと続いていた。私は筆不精なのであまりしょっちゅう返せないのだが、菱科さんは気にしないでといつも優しい。
しばらくして、映画好きという共通の趣味を発見して一緒に観に行くようになった。初めは共に行動するといつもついて回る女性からの視線に居心地が悪かったものの、すぐに気にならなくなった。菱科さんは確かに見かけは目立つけれども、話してみればどうということはない、普通の男の人だ。いや、普通というのは語弊がある。菱科さんはかなり優しい。みぃちゃん並みに気遣い屋で、いつも穏やかな笑顔を浮かべている。私が何かしらやらかしても、驚きはするものの最後には笑って許してくれる人格者だ。顔も整っていてここまで性格が良いとなると女性が放っておかないのも頷ける。
しかし、どうやらみぃちゃんとの仲は進展していないらしい。私をきっかけに仲良くなるつもりだっただろうに、彼は私に何も言わない。あの性格だ。きっと途中で私を利用しているようで気が引けてしまったのだろう。彼のことはよく知るところとなった私に、もはや妨害する意思はない。どれ、ここらで人肌脱いでやるか、と重い腰を上げることにした。
私は菱科さんとみぃちゃんの仲を取り持つ作戦を考えているうちに、あることに気付いて呆然とする。彼ら二人の姿を並べてみて、心の奥底がじりじりと焼けるように痛むことに気付いたのだ。鈍いことで定評をいただいている私にもわかる。それは間違いなく恋慕の情だ。どうやら私は特別な意味で菱科さんを好きらしい。
何ということだ、と一瞬頭を抱えかけたが、何ということはない。私がするべきことは変わらない。好きな男の幸せを応援することに抵抗などあるはずもない。
ただ、仮にみぃちゃんと成就しなかった場合には傷心に付け入ることも考えている。ない女子力を振り絞って全力でぶつかっていく所存である。
―――まあ、その計画が実現することはないだろう。なにせ二人はなんだかんだ気が合うと思うからだ。私の奇行に対する寛大な対応と言い、いつも微笑んで人のために行動するところと言い、似通っているところは多い。おまけに揃って美男美女。私の邪な計画の前に、彼ら二人を成就させる計画がすんなり実現しそうである。
悲しむ気持ちもないではないが、それ以上に嬉しい。私の大切な人が二人いっぺんに幸せになるのだ。これ以上喜ばしいことが他にあるだろうか。いや、ない。私は自棄コーラをあおりながら、二人をくっつける上での段取りを夜ごと考えた。
「三人で?」
眉を下げ心なしか残念そうに訊き返してくる菱科さん。邪魔者が居ることに不満なのだろうが、この日くらいは我慢して欲しい。そのうち心ゆくまで二人でいられるようになるのだから。痛む胸の蓋をしっかり閉めて、私は頷いた。
「みぃちゃんを紹介したいんだ。クラス違ってあんまり話す機会もなかっただろうし、折角だから。みぃちゃんは可愛いし、優しいし、自慢の親友なんだよ」
知っているとは思うが、私は彼の気持ちを知らないことになっている。一応遠回しな言い方にしておいた。そう言えば、随分仲良くなったとは思っていたが未だに恋愛相談すらされていないのだ。思ったより彼からの信頼は得られていなかったのかと少し落ち込む。心情的に名前は出せないにしても、誰かはぼやかして相談することくらいはできるだろうに。
そんな私の心をよそに、菱科さんは嬉しそうに笑った。
「そっか。高坂さんの自慢の親友を見せてくれるんだ。ありがとう」
優しい言い方だ。先程の少し残念そうな雰囲気は欠片も見せず、みぃちゃんではなくあくまで私を尊重するような言い方に、なんだか涙が出そうになった。一体どうしたというのか。自分の気持ちを測れず持て余したまま、私は曖昧に微笑んだ。
悩んだ結果、学校から一駅のところにある小さな遊園地に行くことにした。あまり大きいと並ぶ時間が長そうだし、ここならば定期で交通費が浮く。いつものように映画館とも考えたが、時間の大半を無言で過ごすことになるので仲を深めるには向いていないと思った。感想を言い合うのも、あれはあれで会話が弾むものではあるのだが。
「あ、こっちこっち」
息を切らして現れたのは全体的にふわふわしているみぃちゃん。服にはあまり詳しくないのでどういった名前のものかはわからないが、とにかくお洒落で愛らしかった。
走り寄ったみぃちゃんは私を見て眉をひそめた。なんだか最近みぃちゃんにはこんな顔ばかりさせている気がする。いつも笑顔のみぃちゃんにこんな顔をさせる特別感にしばし浸る。と、みぃちゃんは私を引き寄せて小さな声で何事かを囁いてきた。耳を寄せる。
「ねぇ。いっちゃんその恰好、もしかして今までもずっとそれだったの?」
言われて我が身を振り返る。薄手のコートに黒いTシャツにジーンズ、スニーカー。特におかしな恰好ではないと思うが。
「駄目?」
「だめもなにもないよぉ……もおいっちゃん、デートくらいかわいくしないと!オシャレ苦手なら私も手伝ったよ?」
言ってよーと手足をじたじたさせるみぃちゃん。可愛い。デートではないが、確かに好きな相手と出かけるならばもう少し力を入れるべきだったかもしれない。習慣がなさ過ぎてすっかり失念していた。だが、今日の主役は私ではなくみぃちゃんだ。みぃちゃんが可愛ければ何も問題はない。未だ不満げなみぃちゃんを菱科さんのもとへ連れていく。
「こちらが依藤みみ、みぃちゃんで、こちらが菱科隼基、菱科さんです」
少々畏まって紹介すると、お互い笑顔で、何故か頷きながら握手し合った。恋愛というより外交が始まりそうだ。菱科さんは照れるかと思ったが、意外にすんなり話をしている。私はそんな二人に、ひとり頷いた。やはり、通じ合う何かがあるのだろう。
二人はしばらく楽し気に話し、なにやら盛り上がっていたが、少し離れたところでついて行っていた私に気がつくと私にこまめに会話を振るようになった。二人とも気遣い屋であるし、やはり邪魔だったかもしれない。
「高坂さんは邦画派なんだ。洋画も見るけどエンドロールが読めないのが嫌なんだって、ね?」
「あ、う、うん……特に意味はないけどエンドロールを心の中で読み上げるのが好きで……」
「いっちゃんはコーヒー牛乳を愛してるの。朝とお風呂上りに必ず飲むんだよ、ね?」
「え、う、うん……昔銭湯で飲んだあの味が忘れられなくて……」
一体何の話をしているんだ。二人の共通の話題が私なのはわかるが、それにしたって「ね」のトーンが妙に本気で怖い。
「……さすが親友だね」
「……そっちこそ、日が浅いわりに、やるね……!」
なんだこの河原での殴り合いの後みたいな会話は。二人ともそんなに劇画調な顔つきをしていただろうか。二人は意外と負けず嫌いだったらしい。やはり気が合うのだろうとは思うけれども、男女の色めいたやり取りとは到底思えない。首をひねりつつ、組み立ててきたデートコースをなぞるようにアトラクションへ誘導することにした。
「えっ……」
何故か二人とも絶句している。遊園地となれば先ずはコレだろうに、何をそんなに驚いているのか。
目の前には、可愛らしい装飾に身を包んだ、暖かなまなざしの馬がいる。緩やかに遠ざかって一周回って戻って来るその背には、無邪気な笑顔のお客が両親に向かって手を振っている。
「やっぱりコレに乗ってる人は皆笑顔になれるよね!仲良くなるにはもってこいだよ!」
私は我ながら最高の案だと頷いた。初めは穏やかに笑って過ごせるような乗り物が良いだろう。端からお化け屋敷で恐怖のあまり険悪になる、というのは避けたい。お化け屋敷やジェットコースターは後の楽しみに取っておくことにする。
「え、本気で乗るの?……メリーゴーランドに?」
「いっちゃん、私たち高校生だよ?わかってる?ねぇわかってる!?」
二人とも、何故か青ざめているように見える。どうしたことだろう、私は疲れているのだろうか。メリーゴーランドは皆を笑顔にする素敵な乗り物だろうに。
「きっと楽しいよ!」
私はわくわくして緩む顔を抑えずに二人に勧める。二人がにこにこしてくれる様子を想像するだけで楽しい。
「それに、菱科さんは格好良くて王子様みたいだし、みぃちゃんは可愛くてお姫様みたいだから、きらきらした馬とか馬車とかすごく似合うと思うんだ!」
そう。きっと物語のワンシーンのように素敵な光景が見られるに違いない。私の熱弁が効いたのか、二人は顔を見合わせてため息をつくと、無事に承諾してくれた。
「え、いっちゃんは乗らないの?」
「うん、だって今回は二人が仲良くなってくれることが目的だし」
そう言うと、二人ともすごく嫌そうな顔になった。
「ほぼ話したことない依藤さんと二人でメリーゴーランドとか、何の罰ゲームなの……高坂さんと乗るならともかく」
「何言ってるの、いっちゃんは私と乗るの!最近は菱科くんのせいでいっちゃんと遊べなかったんだし、譲ってよ」
「い、嫌だ……一人でメリーゴーランドは嫌だ……おまけに目の前でイチャイチャしてるのを見てるだけなんてなおさら嫌だ……」
「私だって嫌だよ!」
な、何やら険悪になってしまった。初めから二人きりはハードルが高かったか。結局、メリーゴーランドには三人で乗ることになってしまった。
その後、作戦はことごとく失敗した。お化け屋敷で存在感を徐々に消し二人きりにする作戦を決行するも、みぃちゃんにずっと腕にしがみつかれ、予想以上に恐ろしかった為に私自身菱科さんの服の袖口から手が離せなくなってしまい敢え無く失敗。ジェットコースターで二人を並んで座らせようとしたのだが、店員さんの誘導に流され私を挟んで三人で並ぶことに。鏡張りの迷路で鏡に紛れてさりげなく離れようとすれば方向を見誤り思い切り鏡の中の自分に頭突きをかましてしまい、心配した二人に両脇をがっつり固められた状態で鏡の国を出ることになった。
正直なところ、ここまで上手くいかないのは無意識に二人を結びつけることに反発しているせいなのではないかと思う。人の幸せを願えないなど我ながら最低だ。なんだかんだと二人の間に挟まれている自分に幸せを感じてしまい、罪悪感がつのる。
みぃちゃんの方はともかく、菱科さんはみぃちゃんのことが好きなのだ。みぃちゃんが菱科さんのことを好きになってくれなければ、菱科さんは悲しい思いをする。なんともわかり易い話であるのに、自分一人の勝手な感情が問題をややこしくする。幸せになって欲しいのに、その幸せに自分が関わっていないことがとても辛い。重いため息が口から漏れる。
私はそこで、唐突に思い付いた。
いっそのこと、この思いを打ち明けてしまえばどうだろうか。菱科さんの方は迷惑だろうが、ここですっぱり振ってくれれば気持ちの整理もつく気がする。そうすれば、私は思う存分二人を祝福できるだろう。私にはこれが非常に良い考えのように思えた。
そうと分かれば早速実行に移すとしよう。善は急げだ。
私はお手洗いに行ったみぃちゃんを待つ今を好機と見て、菱科さんに声をかけた。
菱科さんはその一見すると冷たそうな美貌を、いつものように柔らかな笑顔に崩して振り返った。しかし、その笑顔はどこか硬い。もしかすると私の決心に気付いているのかもしれない。優しい菱科さんには断ることも辛いのかもしれないと思うと胸が痛むが、今は自分の我儘を突き通すことにする。
「菱科さん……私、あなたのことが好きです」
聞いた途端の菱科さんの顔は、言っては悪いが実に見ものだった。私が学校の創立者の銅像の髭をへし折ってしまったときですらここまで驚かなかっただろう。あの時は全くの無関係だった菱科さんまで一緒に謝ると言ってくれてその心の清さに感動したものだ。
文字通り目を丸くしてうっすら口を開けた状態で固まる菱科さんは、その状態でもやはり美形だ。
顔が整っているというのはこういうものなのかと感心しつつ、はて、と疑問が生まれる。てっきり私の気持ちに気付いていたと思っていたが、そうでもなかったらしい。とすると、先程の緊張したような表情は何だったのだろう。
暫く彼の顔を眺めていたが、答えが出ることも彼の硬直が解ける様子もなさそうだったので、話を進めることにする。
「……まぁ、大丈夫。菱科さんの気持ちはわかってるから、無理に答えなくて良いよ」
「え……」
やっと菱科さんは身動ぎし、動揺したように目を泳がせた。
「みぃちゃんは可愛いし性格も良いしもう完璧だからね、私も気持ちはわかる」
「え、」
「だから、大丈夫。今すっぱり振ってくれれば、私もきちんと諦めるから!」
「え、ええ!?」
菱科さんが「え」しか言っていない。余程ショックだったのだろう。なにせ今までそれについては黙していた。私が彼の本当の気持ちを知っていたとは、まさか想像すまい。
私は笑った。
「私、二人とも大好きだから、だから……私のせいで悲しんでほしくない。無理しないで、正直でいてほしい。菱科さん、頑張って。私はずっと応援してるか」
最後まで言葉を発することは、出来なかった。視界が隠され、なにやら暖かくて苦しい。抱きしめられているとわかったのは、数秒経ってからだった。
「俺は……」
かすれた声が耳に響く。その声の近さに、あっという間に頭が沸騰する。菱科さんはそんな私に追い打ちをかけるように呟く。
「俺が、好きなのは……高坂さん……です」
照れたように言葉尻がすぼまったが、それでも私の心臓を破裂させるには充分な威力を持っていた。薄っすら瞳を濡らしていた涙が恐るべき速さで引っ込む。
「高坂さんは覚えていなかったみたいだけど、一年の時何度か図書室で話したことがあって……なんのフィルターもかかってない、まっさらな考え方をする人だなって気になってて。……なのに、見かけて話しかけようとする度にすっと逃げるから嫌われてんじゃないかと思って、確かめるために呼び出したら何一つ覚えてないし。……でも、また話してみてやっぱり……その、好きだな、と思ったし、俺には思いもよらないようなことをやるから面白いなとも思う。一緒にいて、楽しい。何をどうして依藤さんなのか凄い不思議だよ、その依藤さんも俺の気持ち気付いてたし」
菱科さんが一体何を話しているのか全く理解できない。思考が追いつかない。
菱科さんは一旦私から離れて、私の目を真っ直ぐに覗き込んだ。
「高坂さん、俺と……付き合ってください」
どん、と衝撃が背中を襲った。
次いで、柔らかい感触と弾んだ声に、それの正体を知る。
「……よかったぁ!上手くいったんだね!おめでとう!いっちゃんすっごい鈍いからどうなるかと思ったけど、菱科くん、男を見せたね!ね、いっちゃ……」
視界に笑顔のみぃちゃんが写り込む。みぃちゃんは私を見た瞬間、急に無表情になった。
「……?どうかしたの、依藤さん」
「駄目だ、これ、何にも理解してない。全く分かってない顔だ」
「え、えええ!?あれだけハッキリ言ったのに!?」
「頭がついていって無いみたいだね……どんまい菱科くん」
「そ、そんな……」
項垂れる菱科さんの肩を、みぃちゃんは再び例の劇画調な顔になってぽんと叩く。あれは顔の筋肉をどう使えば出来るのだろう。私は徐々に思考が回復して来るのを感じた。
「や、やっぱり二人はお似合……」
「皆まで言わないで!」
やっとの事で言葉を発しかけると、二人が必死な顔で遮ってきた。
「いっちゃん、それはだめ、それは本当に菱科くんかわいそすぎるから!」
「ど、どうしてそこまで俺を依藤さんとくっつけようと……さっきのあの告白は俺の夢?あまりにも報われなさ過ぎて白昼夢を見て……!?」
「落ち着いて菱科くん。大丈夫、私も陰から見てたよ、間違いなく言ってたよ!昔から見る目のない男の人たちに囲まれ過ぎて、いっちゃん自分への褒め言葉とか好意とか全部私へのものだと勘違いしちゃうの。一応忠告したとき頷いてたけど、全く分かってなかったみたい!」
「え、じゃあ今まで俺が言ってたことも」
「このぶんだと、全部私に近づくためのお世辞か何かだと思ってるね!」
「どうりで反応が薄いと……」
なにやら、二人で私を分析している。違うとは言いつつ、随分と気が合っているようで、私は少し胸が痛くなった。いやまてよ。胸を痛める必要はないのか。なにせ私は先程きっぱり振られて……ない。ないどころか、こ、告白されて。おかしい。だって、菱科さんはみぃちゃんが……好きではなかったらしい。何故だ。みぃちゃんはこの世の宝だぞ。何故私など。そう言えば私と話したことがあると。全く記憶にないし人違いなのではないだろうか。そうだ、きっと勘違いを……いや、彼はまた話してみてやはり好きだと思ったと……。ち、違う。そんなわけ。いや、とにかく、おかしい!
私は混乱のあまり頭を抱えて座り込み、唸った。顔が熱いどころか、耳や首まで熱い。頭の中がこんがらがり、知恵熱が出そうだ。
確かに彼がみぃちゃんに振られれば、それを慰めてあわよくば、とは思った。けれどそれはあくまで、彼を気遣う優しい自分を装ってでも手に入れたいと思っただけで、まさか気遣いのかけらもない素の自分が好かれるなどとは思わない。
唸り続ける私に、二人が困ったように近づいて来る。やめて欲しい、特に今、菱科さんにだけはこちらに来て欲しくない。
唸りながら、しゃがんだままじりじりと後ずさる。
「どうしよう、高坂さんが手負いの野生動物みたいになってる」
「いやぁ、私もこれは予想つかなかったよぉ。良かったね、私も来てて!今日告白するつもりだったんでしょ?私いなかったら完全に逃げられてたよ」
「確かに。助かったよ依藤さん。……で、高坂さんマスターの依藤さん。対処法思いつく?」
「……うーん……まぁ、人からの好意に慣れてないわけだから……慣れさせれば良いんじゃないかな?」
「なるほど、とりあえず依藤さんへの言葉じゃないことは分かってくれたみたいだし、褒めまくれば良いのかな」
「そうしようか」
そして、二人が笑顔でこちらを向いた。何やらただならぬ雰囲気を纏う二人に、私は怯える。
「いっちゃん。いっちゃんは素直で優しくて可愛い子だよ」
「そうそう。今の真っ赤になった顔も凄く可愛い」
「いつも何かに一生懸命になって、そのせいで変なことになることも多いけど、だいたい人のためを思っての行動だもんね」
「自分の価値観をしっかり持ってて、でも人の考えを否定したりしないところも良いよね」
「私のこといつも守ってくれて、私が嫌な思いしないように頑張ってくれて嬉しかった」
「俺のことを偏見なく見てくれて、個人として認めてくれた上で一緒に居てくれて、ありがとう」
「いっちゃん大好き」
「好きだよ、高坂さん」
これが、噂の言葉責めというものか。
余りにも都合が良すぎる幸せに、頭がおかしくなりそうだ。
私は頭を沸騰させながら、耳を塞いだ。引っ込んでいた涙がじんわり滲んで来るが、構っていられない。必死で首を振る。
これは、絶対に私を駄目にする類の幸せだ!
尚も言葉を言い募る二人の顔は、これまで見たことがない程楽しそうだった。い、意地の悪いやつらめ!
両手を耳に押し付けても薄っすら聞こえてしまう誘惑めいた言葉の数々。耐えきれず私はその場から逃げ出した。
私はちやほやされることには、向いていない!
『とりあえず壁ドンさせればイケメン』と思っているふしがあります。菱科さんの影が薄めなのは彼のせいであって決して私がイケメンを書くのが苦手だからでは……。