第1話 『日常にお別れを』
一瞬の走馬燈…その後、白那の体は砲弾のような速度でそのまま地面に叩きつけられるはずだった。
だが目を瞑っていても何時までも衝撃は来なかった。恐る恐るゆっくりと目を開けてみると緑の地面から数センチの高さで体が空間に固定されたかのようにピタリと止まっていた。
生きていることに安堵するのもつかの間、一度瞼を閉じた次の瞬間には深く、暗い、漆黒の世界にいた。
「いてっ!」
重力にしたがい、一度静止した体が顔面から黒い世界に落ちる。足元は見えないのだが、足場は安定しているためその場に立ち上がる。
しかし上下左右の感覚が徐々に分からなくなり、よろよろとふらついてしまう。
「どこだよ…ここ……もしかしてビビッてショック死!?どこの異世界転生者だよ!嫌だァ!死にたくない!」
叫びながら辺りを見渡していると先ほどまで何も無かった場所に華麗な赤のドレスを着た金髪の女の子が現れた。
あどけない顔立ち、未発達だが何処か美しさを感じさせるスタイル。金髪がふわふわと柔らかそうな毛質で触りたいという衝動に駆られる。
そんな金髪の少女を白那は見つめる。
見つめている理由は女の子としての魅力にも興味があるのだが、一番はこの異質な環境に置いて不意に現れた存在だからだ。
正体不明の相手に話しかける事も出来ずに白那は相手の行動を待つ。
待ち始めて数秒後に動きはあった。やんわりとした笑顔を浮かべ、少女は口を開く。
「まだ死んではいませんが、異世界に旅立ちましょう!」
「え、なんだって?」
自分で相手の声を掻き消すなんてことはしていない。
かといって難聴スキルがあるわけでもない。
強いて言うならば自分の耳と脳が仕事をしてくれない。
相手の少女も聞き返されると思っていなかったようで、固まっている。
すると聞き返されたことを無視して金髪の女の子が再度喋りだす。
「私は女神!そしてあなたは神によって多分選ばれました!更に詳しくに言うと丁度よく異世界に行きたいと言っていたので多分選びました!あともう一度言いますが死んでないです!」
(なんなのだろうこの頭が可哀想な人は?確かに美少女だがこれは少しキツイな…)
時々現実世界に現れる。痛い人の代名詞「中二病」。
本当にこういう人はいるのだと世界を広く感じる白那だったのだが、同時に一つだけ疑問が生じる。
”何故彼女は部屋で呟いていたこと知っているのだろうか?”
少し謎があるのだが、白那は危ない組織に盗聴器でも仕掛けられたということで納得をした。
(そういうことにしておこう。とりあえずこの本格的ドッキリから家に帰る手段を聞くことにするか)
この場の雰囲気に乗っかり、地味に家に帰りたいことを伝え始める。
「なあ自称女神さま、俺は死んでいない。それは分かったけどさ、ドッキリは終わりなんだろ?もうそろそろお腹が減ってきたっていうか、夕飯食べたいんだけどさ~?」
「えっ、もう帰れませんよ?だって召喚しちゃいましたし」
「えっ?」
「えっ?」
自称女神はさも帰れないことが当然のように言って、こちらのリアクションをオウム返しする。
先ほどの空中落下もそうだが、確かに頬をつねっても痛みを感じる。ビンタをしても、鳩尾を殴っても、息を止めても苦しい。
「ちょ、ちょっと何やってるんですか!もしかして変態さんですか!?」
「初対面の相手に変態とかいうな!失礼だろ!」
感覚のある夢ではなく現実であることは可能性としては高いが、ドッキリにしては内容がおかしいのではないか?そんな疑いの目を向けている白那に対して自称女神が説明を始める。
「じゃあ説明してあげます!あなたは何人かの人々と一緒に召喚されました!まあそちらの世界でいうところのふぁんたじー?の世界にですね!そしてあなたは世界を平和にしなければなりません!以上です!」
「説明短いうえによく分からないのをどうもありがとう!!」
「えへへ~どういたしまして!」
「ほめてねぇよ!!」
すると自称女神が口を開き、こう告げる。
「ではもう一回異世界の方に召喚しますね?」
白那はどうでも良くなり面倒くさそうに返事をする。数秒後後悔することになるとも知らずに…
「へいへい」
漆黒の世界に穴が開く。詳しく言えば、白那の真下に。すると視界が広がり再び体が高度何千メートルの高さから落ち始めた。
「すいません女神さま!もう一度助けてくださいィィィィィ!!!」
澄み渡る青空に絶叫が響き渡った。
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白那は暗闇の世界でもう一度女神と対面する。
「あの女神さま、すいません…信じます…だから家に帰してください。このままだと本当に命の問題が…」
「あの~それはできませんよ?まあ代わりに自分の家から持ち物をいくつでも持ち出すのは許可されていますが」
この際1度家に帰ることができれば引き篭ればいい、そう考えた白那はそれで手を打った。
「じゃあ一旦それでも良いんで家に帰してください…」
「わかりました~♪」
謎の紋様が足元に浮かび上がる。するとまぶしい光が目の前を遮り視界が覆われる。2、3秒後には無くなり元の自分の部屋に戻っていた。
自分の部屋の中心で今まであったことを思い出し、1つの結論を導き出す。
「やっぱり夢に決まってるよな!そうだよな!」
「夢じゃありませんよ!じゃあちゃっちゃと持っていく荷物を決めてください!」
忌まわしい女神の声によって、一つの結論は物の数秒で完全に崩壊した。
現実世界にまでも侵食をしてきた女神は白那に何度も話しかけてくる。
「おーい白那さーん?聞こえていますか~?」
(どうしよう、少しリアルな痛みを感じる夢だと納得しかけていたのに完全にそれを否定する存在が出てきてしまった。そういう時はやはり人間が得意なあの行動をするしかないだろう…)
現実逃避…それは日々嫌なことがある度に家に帰りやってきたこと。
それを今、実践に移す時が来たのだ。白那は女神の声は無視して下の階に降りる。
リビングには妹がいたのだがこちらの気配にまるで気づいていないようにスマホをいじっている。
足音や気配で気付いているはずなので、おそらく姿を見たくないほど嫌いという意思表示なのだろう。分かりきっていることなので白那は深く考えずに台所へと入っていく。
いつも買ってきたレトルト製品の置いてある台所の棚に大好きな味のカップ麺があるので、それにお湯を注ぎ自室へといそいそと戻り、ちゃぶ台にカップ麺を置き、タイマーをセットする。いつも通りの平和な日常の夕食。
(あとは3分待つだけ!外野がうるさいが気にする必要はない。ただの幻聴だ)「あの~家にいられるのにも時間制限がありますので忘れないようにしてください。あと20分で支度してください!」
(えっ…?)
「………ちょっと~まだ無視するんですか~!家から持ち出していいと言っているのにもう知りませんよ!」
少し怒気を含んだ口調で言われ、恐怖を感じ始める。
もしかして:ドッキリではない?
(いやいやいや…これがドッキリじゃなかったら何なんだよ…本当に異世界に行けるっていうのか?でも行けるなら…もうこんな生活送らなくて済むんだ。誰とも接することなく、自分の家族にさえ相手もされない俺が、もう一回だけ新天地で新しい人生を歩める?何時も逃げていた俺が?)
手が震える。もし異世界に行けるという話が本当ならば、誰も自分を知らない世界で新しい関係を築いて、この世界から逃げることが出来る。そんな考えが白那の頭の中でグルグルと回る。
気付けばタイマーが3分経ったことを知らせる音を鳴らしていた。恐怖を覚えながらも大好きなノンフライカップ麺しょうゆ味を食べようとする。
「できたか……それじゃあ、いただきます!」
だがここで1つの異常事態が起きる。箸で麺を食べようと口元に運ぶのだが口の中に入らず落ちてしまうのだ。何度やってもそれは同じで、それを見ていたであろう女神が深刻な声色で話し始める。
「今の白那さんの体はその世界にはないのです…物体には干渉できますが、実際は白那さんの体はないので飲食はできませんし、もちろんその体は他の人には見えていません。ほら、後ろの鏡を見てください」
そういわれて鏡の方を静かにゆっくりと振り向く。少しづつ見えてくる鏡には体は映ってなく、カップ麺しょうゆ味と箸だけが無情にも浮いていた。それはつまり大好きなカップ麺すら食べることができないという死の宣告だ。
今まで辛い日々を乗り越え、その報酬として食べてきたカップ麺。
それすらも白那は食べることが出来ない。それは想像を絶する程の苦痛で、思わず涙がほろりと出てしまう。そして白那は人間の絶望という感情を顔で見事に表現できているだろう。
「俺はもうこのカップ麺さえ食べることができないんだな…」
「いやいやいや…そんなことでそんな顔しないでください!異世界にもっていけば食べることができますよ!しかも今なら宿屋3泊の無料券付!これは今いかなければ損ですよ~」
そんなセールの安売りみたいな言い方をされると少しインチキ臭いのだが、これも女神の親切心なのだろう。今までの態度も白那の事を心配していたようにも思える。
(そう考えると少し失礼だったのかもしれないな…確かにこの女神は要領を得ない説明ばかりして正直納得できていないけど、この女神は善意で言ってくれているだけかもしれない。本当かどうか分からないならダメもとでこの話に乗ってみてもいいかもしれない。超リアルな夢ならそれで終了、ドッキリなら心が傷つき一生ニート、本当ならば異世界ライフ…いい選択肢だ)
白那は現実逃避を止め、今まで幻聴や幻覚と思ってきた女神の方を向き直り話を合わせる。
「現実、なんだな…あれは夢じゃないし、何も考えてなさそうな女神も幻覚じゃない…」
「今までそんなに馬鹿にしてたんですか!?しかも幻覚扱いって…少しショックなんですけど!」
(あ、ヤバい…演技しようとしたら本音が…)
半信半疑のままだが話を進めるために準備をする。
(えーと、持っていく物か…どうせこっちの世界に帰る事ができなくなるのなら全部持って行ってしまうか…でも持ち運びができないよな…)
「持ち運びなら大丈夫ですよ!直接宿屋に転送しておきましょう!」
「心の中を読まないでください。普通に怖いです」
荷物のことは問題ないらしいので着々と準備を進める。
(後はカップ麺を持っていけば万事解決だな)
再び下の階に降り、台所から妹にバレないようにカップ麺をあるだけ持ってきた。バレないようにした理由は勿論箱だけが浮いているので幽霊と勘違いされるからだ。
(潜入任務(スニ―キングミッション)って難しいんだな…途中で妹が台所に来たときは本当にビビったぞ…ステルス迷彩って便利だな)
某潜入ゲームの道具の便利さを痛感しながら最後の箱を運び終える。その数量は箱にして10箱で全ての箱を重ねた姿は神々しさをも放っていた。箱を自室に運んでくるのに5分はかかった。
つまりあと10分で異世界に旅立つ事になる。とりあえず着替えておこうと思いタンスの中身を物色する。タンスには様々な服が入っているのだが、どれを着ればいいのか分からない。
仕方がないので手前にあった灰色のTシャツと黒色のジーンズを着ることにする。そしてハンガーに掛けてある外出の際に着ていく、ほとんど黒に近い深緑のコートを羽織る。荷物は部屋の物を全て持っていくので着替える事以外はすることがない。
あとは時間が経つのを待っているだけなのだが、この異世界に行ける話が本当の事であると考えると不安と緊張が入り混じり、心臓の鼓動がより一層速くなる。
「もしかして予定よりも早く準備が終わった感じですか?時間よりも早いですが準備が終わればもう行くことも可能ですよ?」
「じゃあ準備も終わったし、女神さまよろしく頼むよ」
女神に準備の完了を告げる。
今までお世話になった自分の部屋を見渡す。これでこっちとはお別れということだ。家族の誰一人とも別れを言ってないが一応手紙は残しておいた。
「じゃあ転移を開始します」
女神の声が一際大きく頭の中に響き渡り、自分の体の周囲が明滅を繰り返す。そして魔法陣のようなものが体を覆い、視界が白に染まる。その中で白那は世界と別れを告げる。
「じゃあな日常(世界)…そしてよろしく非日常(異世界)!」
声は白色の世界に飲み込まれ、転移した後の白那の部屋には静寂だけが残った。
以前からブクマと感想をいただいている方本当にありがとうございます!
いつも見てくれている人がいると思うと嬉しいです!これからもよろしくお願いします!