第9話
6月中旬 14時40分 日本 東京国際空港 国内線第2旅客ターミナル
予定の時間に少し遅れて集合した希や由香里たち生徒と教員を含む東部高校約170名は搭乗手続きを終わらせ、1人ずづ金属探知機を使って行われる保安検査を終わらせた。その過程で希は金属探知機のゲートを通った際に反応してしまった。
ピー
「すいませんが、もう一度お願いします」
係員に言われて一度探知機から下がり、再度ゲートを通ったが、
ピー
「申し訳ありませんが、こちらへお願いします。次の方はそのままお進みください」
希は心配する友人達に“大丈夫”と言ってからゲートの端へ連れて行かれ、再び小型の持ち運びできる検知器で係官が調べた。そこでももちろん反応がありそこで初めて希は小声で、
「警察庁警備局から連絡が来ているはずです。Japan Air Wing航空 301便に搭乗する以下の者にスカイ・マーシャルの権限を与え、武器の持込を許可すると。空港警察に確認をお願いします」
と答えた。係官は空港警察に確認を取り、その際に決められた確認を行い搭乗許可が下りた。
「どうもありがとうございます。それでは」
検査から開放され、友人と談笑する希を見て検査していた係官達は
「あの子、女子高生にしか見えないけど何であんな子にスカイ・マーシャルの権限なんか・・・」
「俺に聞くなよ、警察の考えることは分からん。あの女の子まだ17才くらいだろ」
係官達の考えた通り彼女は17才、普通日本なら高校2年生である。しかし彼女は17才にして、世界中の軍隊や法執行機関、そして特殊部隊等の出身者で構成されるICTOの陸戦ユニットの中でさらに限られた人間しか所属できない特別対応班に所属しているのである。
その後東部高校一同は出発ロビーでしばらく待機する事となってしまった。理由は沖縄に飛ぶための機体が海上保安庁の航空機の離陸に合わせ、1度着陸復行したため、点検・出発準備に遅れが生じているということだった。結局出発は遅れに遅れ、実際にゲートを通れたのは16時を過ぎていた。希たちはそのまますぐにJapan Air Wing航空が運用している機体の1つであるB-747-8に搭乗した。この機体は747シリーズの最新モデルである。
Japan Air Wing航空 301便 沖縄那覇空港行きの担当になったそのチーフパーサーは修学旅行客をそれぞれの席へ誘導し一息ついた。沖縄は那覇空港へ向かうこの301便には約170名の高校生と教員、添乗員の他にも263名の一般人の搭乗が予定されている。一般の方の中には修学旅行生の行いに苦情を言ってくる可能性がある。座席は機体前部と中部に一般の方が搭乗し、ギャレーを挟んだ後部に修学旅行生を固めた。しかし修学旅行というイベントを前にしてテンションが高ぶってきているため、これは気休め程度だ。
それに加え、今日はとある物も搭載されると機長から先ほど連絡されたばかりだ。これを搭載している際のフライトはいつもよりも神経を使う事になる。これからの数時間のフライトの事を考え、チーフパーサーは思わずため息を付いてしまった。
「すいません。私の席はどちらですか?」
「はい、ただいまご案内します」
彼女に座席の場所を聞きに来た客が居た為、プロとして彼女は強引に微笑の笑みの仮面を被った。
「・・・修学旅行ですか。今日は大変ですね」
「いえそれほどでは。お客様の席はこちらになります」
「あぁ、どうもありがとう」
男は礼を言い席に着いた。そのためチーフパーサーは入り口まで戻って行きその途中でふと思った。
“あのお客様、妙に体格の良い方だったけど何のお仕事やられているのかしら?”
このチーフパーサーと同じことを思ったフライトアテンダントは数名いて、体格のいい男は合計で8人居た。
同日 17時15分 日本 駿河湾上空
「希、何で加藤君は来れなかったの?」
301便の左翼側の3人がけのシートの窓側に座っている高野 夏美が希に質問してきた。
「あいつ、昨日の夜いきなり熱出したみたいでね。今朝も熱測ったら38度近くあったから参加できないそうよ」
「こんな時期に風引いたの?季節外れの五月病?」
「さぁ、分からないわね。体調管理をしっかりしていないからこうなるのよ。・・・この間お腹出して寝ていたのが悪いのかしら?」
・・・さり気無く問題発言を希は小声でした。
「え?最後の方何て言ったか聞こえなったんだけど、何て言ったの?」
「いや、何も言ってないわよ」
「そう。・・・由香里は何で笑っているの?」
「別になんでもないわ」
3人がけのシートで窓側に居た夏美には聞こえなかったようだが、隣に座っている由香里には聞こえたらしく、クスクスと笑っていた。しかし真顔に戻って小声で聞いてきた。
「で、彼は本当は何で来れなくなったの?」
「本当も何もあいつは風邪で来れなくなったって・・・」
「嘘でしょ。私、午前中に私の家の裏にあるマンションの玄関に黒いSUVが止まっていたのを見たの。スモークが掛かっていて車内が見えないようになっているし、アンテナみたいなやつも付いてたから、何かなと思って見ていたら、全身黒装束の彼が出てきてSUVに乗った。何かあったと考えるのが普通じゃない?」
流石の希も反論できず、片手を顔に当ててため息をついた。
「そこまで見られてたら何も言えないじゃない・・・えぇ、本当は呼び出しがあって、すっ飛んでったわ」
「それってやっぱり私に関係あること?」
「えぇ、そうよ」
「危険なの?」
「何とも言えない。勿論、敵に撃たれるという可能性はある。でもそんなに簡単にやられたりはしない」
「あなた達はいつもそんな所に?」
「何時もって訳じゃないけどね。普通の人では居たくないと思うような場所にいることもあるわね」
「・・・私が攫われるような事になったとしても、守ってくれるの?」
「勿論。私1人でもあなたの事は絶対に守るわ」
「・・・ありがとう」
「お礼なんて言わなくて良いわ。私達はこれが仕事だから」
2人が小声で話しているのが気になったのか夏美が聞いてきた。
「ねぇ、2人とも何話してい・・・きゃっ!」
夏美が2人に質問しようとした瞬間、機体が大きく揺れた。エアポケットにでも入ったかのように降下し、左右に揺れた。
「大丈夫よ。この機体はそう簡単には落ちないはずだから。でも可笑しいわね天気は悪くないのに」
周囲にいる生徒は勿論教員や前方の一般客もざわついた。不審に思った希は前の席に座っている石井正人に質問した。
「ねぇ、どうしたの?」
「いや、なんか機体が降下する前に音がしたとかで・・・」
「音?音ってどんな音?」
「さぁ、流石にそこまでは・・・」
不審に思った希は前方へ行き、フライトアテンダントに事情を聞こうとしたが席を立つ前に機内放送が機長から入った。
『お客様にお知らせいたします。ただいまの揺れは、接近中の低気圧が原因です。進路の変更で、今後も若干の揺れがあるかもしれませんが、どうぞご了承下さい』
この機内放送で機内にいる人間は殆どが納得した。その中で希は釈然としなかったが、隣に居る2人との話に没頭し始めた。希の位置からは見えなく、他の人間は気が付いていなかったが、前方の一般客が座っている所で2席だけ空いていた。
同時刻 Japan Air Wing航空 301便 操縦室
希が怪訝と思っていた頃、操縦室の扉の電子ロックは黒ずんでその役目を終わらさせられていた。
「これでよろしいか?」
機長は操縦室の後方を振り返りながら言った。
「それでいい。協力的で何よりだ機長」
操縦席の後ろに立っている男は出発時チーフパーサーに席を聞いた男だった。彼はCZ75 P-01を機長に向けながら言った。
「正気か!?機内で爆発物を使うなんて!」
「こんな事をしている時点で正気ではないと思え。それに使った爆薬はほんの数グラム、電子ロックを吹き飛ばすくらいの量しか使っていないから機体に影響は与えていないはずだ」
「下手したら墜落するぞ!」
「それは不味いな。我々には犠牲になってもやり遂げなければならない事があるからな」
男は目を話していた副機長に向けて言った。顔が無表情で感情を持っていないような男を見て副機長は顔を青ざめた。
「・・・そこまでにしたまえ副機長」
「しかし機長・・・!」
「もしこれが地上なら問題ない。頃合を見て特殊部隊が突入して解決できる。しかし上空1万メートルではどうしようも出来ない。最寄の空港に着陸しようとした所で、彼は私と君を殺して自分で操縦桿を握るだろう」
「機長の判断は正しい。話が早くて助かる」
「私だって出来るならこんなことしたくないし、ハイジャックをやるようなあなた方に協力などやりたくない!」
「しかし機長、残念だが我々の指示に従って目的地に向かってもらう」
「目的地はさしずめ地獄かな?」
「いいや、ここだ。おい」
男は後ろに控えていたもう1名の男から航空図を受け取り、副機長に渡した。
「韓国に向かうコース11へ進路変更?さらに北へ・・・この目的地は・・・北朝鮮です機長!」
「そう。日本にしてみればミサイルや拉致問題等やっかいな国だ。何か問題でも?」
「領空に入った途端、撃墜される!」
「それはない。話は通している。指示通りに飛ばしてさえいれば撃墜はされない。それに精度はCATⅠだが、一応はILS方式だ。この地点を過ぎたらトランスポンダーを・・・」
男は機長たちに詳しく指示を出し始めた。
同日 18時00分 日本国
希と由香里達を含む東武高校の約170名とそれ以外の一般人263名プラス乗組員の合計442名を乗せた301便の異変に最初に気がついたのは航空路管制業務を行っている福岡航空交通管制部と那覇航空交通管制部だった。301便は福岡航空交通管制部から那覇航空交通管制部の担当空域に移動し計器進入のために管制塔にコンタクトしてくるはずが、コンタクトは無くそれどころか、進路を変更して韓国の大邱コントロールの担当空域に向かう進路をとり始めた。
この時点で国土交通省の航空局が騒ぎ始め、フライトプランにない行動をとったため、航空自衛隊の西部航空警戒管制団の第19警戒隊及び第15警戒隊のレーダーサイトからの情報が上がり、西部航空方面隊作戦指揮所にいる要撃管制官が状況確認のため、航空自衛隊築城基地に配置されている第8航空団 第304飛行隊にスクランブル発進を命じた。
しかし、韓国側の防空識別圏に301便が進入してしまったためスクランブル機は一時上空待機とし、丁度、機動展開訓練で新田原基地に飛来していた警戒航空隊 飛行警戒管制隊に所属しているE-767早期警戒管制機を直ちに離陸させ、情報収集を開始した。このため先に離陸した2機のF-15JはE-767を護衛する形となった。
この事態は東京都多摩地域中部にある航空自衛隊横田基地の航空総隊司令部へ自動警戒管制システムにより伝わり、同司令部にいる在日米軍の連絡将校から同基地内存在する在日米軍司令部へも伝わった。国内でのハイジャックならばここで報告は止まったかもしれない。しかしハイジャック機は既に日本の領空を離脱し、隣国に向かっている。もはや事態は日本だけの問題では無くなっている。
この報告を受け、在日米軍司令官を兼任する第5空軍司令官はハワイのヒッカム空軍基地に司令部がある太平洋空軍司令部に連絡。直轄部隊である第36航空団の応援を要請した。ちなみに太平洋空軍は太平洋とアジア地域のアメリカ空軍戦力を統括する組織である。これを受けグアム島のアンダーセン空軍基地からRQ-170センチネルを、青森県三沢市にある三沢基地からRQ-4グローバルホークを発進させ、前述の2種類の機体に空中給油を行うため嘉手納空軍基地から第18航空団所属のKC-46Aを発進させた。
この太平洋空軍と太平洋陸軍、太平洋艦隊、太平洋海兵隊、その他部隊・機関で9つある統合軍の1つであるアメリカ太平洋軍は構成される。太平洋軍司令官は担当地域の指揮権を持つ者として合衆国大統領と統合参謀本部の助言を受けた国防長官に続くナンバー3の指揮権を持っている。
一方でICTOは、太平洋戦隊の主要拠点である南島からE-10 Spiral 2とRQ-170、KC-46Aを発進させ、日本とその周辺に展開中の部隊に待機命令を発令した。
この頃には航空総隊から防衛省へ報告が上がり、そこから数年前に新設された内閣官房の国家安全保障局へ上がった。この報告は防衛省だけではなく、国土交通省からも届いた。そして国家安全保障会議の緊急事態大臣会合の開催が決定した。
NSCに参加するメンバーが招集されている頃には韓国の光州空軍基地から2機のKF-16戦闘機がスクランブル発進した。この機体は米空軍が運用しているF-16C/D Block 52に相当する。この2機が301便の左翼側の警告位置に付いたときには既に韓国の領空を侵犯していた。
ここで何の反応も今まで示さなかった301便がトランスポンダーで“スコーク7701”をコールした。通常、飛行機は搭載されているトランスポンダーという自機をレーダーに映りやすくするための無線装置で4桁の数字をセットするようになっている。例えば、有視界飛行で飛行する飛行機は高度10000フィート以下を飛行するときは“1200”にセットして飛行し、高度10000フィート以上の場合“1400”にセットする。航空機が一般非常事態に陥った場合は“7700”とする。今回はハイジャックという特殊な場合なので、これとは別の“7701”をコールした。
この情報は直ちに大韓民国外交部と大韓民国国家情報院から日本の外務省と国家情報局《A》を通して、国家安全保障局へ伝えられ、そこからNSCに伝えられた。そして国家安全保障局から防衛省と国土交通省も伝えられた。
韓国空軍は強制着陸を試みたが、失敗に終わり301便は韓国領空を抜けて北朝鮮領空へ侵入した。領空に侵入してしばらく経った後、同機に接近してきたのは北朝鮮空軍所属であることを示す国籍マークをつけた戦闘機8機だった。この8機の戦闘機が問題であった。その戦闘機は航空自衛隊のE-767やICTOのE-10 Spiral 2によるレーダー反射波の解析によると北朝鮮空軍が運用しているはずが無いMiG-35だった。この8機は瞬く間に301便を護衛する位置に付き、機体を誘導していった。
30分後、301便は北朝鮮の首都平壌から約30キロ離れたところにある第101空軍基地へ8機の戦闘機と共に着陸した事を航空自衛隊、米空軍、ICTO太平洋戦隊からの情報で分かった。
こうした事情を機内の乗客たちは全く知らなかった。ごく一部の人間を除いて・・・
同日 19時03分 日本 東京千代田区永田町 総理大臣官邸地下一階 危機管理センター
「現在の状況は?」
日本国のトップであり、自衛隊の最高指揮官であり、このNSCの議長である高木健治内閣総理大臣は開口一番そのように発言した。
国家安全保障会議、National Security Council は外交問題や国防問題、安全保障政策等を審議、立案、調整、決定を行う機関である。これが創設される前に存在していたのが安全保障会議である。安全保障会議は国家安全保障に関する重大事項の審議が目的とされていた。しかし、形骸化している安全保障会議を国防の基本方針・防衛計画の大綱を含む外交安全保障の基本方針の政策立案、関係省庁間の調整、武力攻撃事態その他の重大緊急事態などを含む重大事態に対する基本方針の政策立案の各機能を首相の直轄下で統合的に行なう機関として、安全保障会議は国家安全保障会議に再編され、同会議に事務局として国家安全保障局が設置された。
国家安全保障会議は4大臣会合、9大臣会合、緊急大臣会合の3つに分けられる。
4大臣会合は国家安全保障に関する外交・防衛政策の司令塔として機動的、定期的に開催し、実質的に審議。中長期的な国家安全保障戦略の策定を含め、基本的な方向性を定めるためのもの。
対象者は総理、官房長官、外務大臣、防衛大臣。オブザーバーとして国家情報局局長、統合幕僚長等々
9大臣会合は「安保会議」の文民統制機能維持するため、国防の基本方針、防衛大綱、武力攻撃事態への対処等、国防に関する重要事項を総合的、多角的に審議するためのもの。
対象者は総理、副総理、官房長官、総務大臣、外務大臣、財務大臣、経産大臣、国交大臣、防衛大臣、国家公安委員会委員長。オブザーバーとして国家情報局局長、統合幕僚長等々
緊急大臣会合は緊急事態への対処を強化するため、重大緊急事態等に関し、高度に政治的な判断が求められる重要事項等について審議。事態対処につき、迅速・適切な対処に必要な措置を総理に建議するためもの。
対象者は総理、官房長官、総理にあらかじめ指定された国務大臣。オブザーバーとして国家情報局局長、統合幕僚長等々
この3種類の中で現在開催されているのは緊急大臣会合に当たる。
「1時間前に平壌から約30km離れている第101空軍基地に301便は着陸しました。これは空自の早期警戒管制機以外にも米軍のUAV等からも同様の情報が送られてきております」
「現在内閣衛星情報センターが運用している情報収集衛星で確認作業中です」
総理の質問に対し防衛大臣とNIA局長が答えた。
「外務大臣、北朝鮮からの反応は?」
「スウェーデン経由の外交文書には“今回のハイジャック事件と北朝鮮政府は無関係である”と表明しています。しかし残念ながら人質グループの即時返還は難色を示しているようです。即時変換するいくつかの条件を挙げています」
「具体的には?」
「米と小麦を100万トンずつ、100万トンの原油に医薬品。それに1億5000万ドルの援助金だそーー」
「連中は本気か!ハイジャックは関係ないと言っておきながら、人質を盾に要求してくるとは。ここで要求を呑むとあの時と同じようになるぞ!」
官房長官が言ったあの時とは数年前に北朝鮮との間であった話だ。長年の懸案事項であった拉致問題がある一定の段階で解決を目指されていた。その時、北朝鮮はその見返りとして数字は違えど、援助を日本に要請、日本はこれに答えた。しかし、のちの調査でこれらの食糧や医薬品、原油はほぼ全て朝鮮民主主義人民軍へ流され、援助金は弾道ミサイル開発や核開発の資金となってしまっている事が判明。当時の政権はアメリカや韓国は勿論、さり気なく中国からも“なんてことをしてくれた”と言われてしまった。
「問題はその人質グループだな・・・」
高木は国家安全保障局の職員が急遽作成した資料の3ページ目に目を向けた。そこには301便に搭乗している乗客及び乗組員、442名の名簿が載っていた。
「出来るだけ、交渉は続けるように。交渉で解決できれば問題ないが、向こうが返還しないというなら、こちらから奪還しに行くだけだ。防衛大臣、統合幕僚長、自衛隊は動かせるか?」
「ちょっと待って下さい、総理!自衛隊を動かせば海外での武力行使に当たりますよ!」
「今はそんなことを議論している場合では無い、法務大臣。ハイジャック犯らが凶悪なテロリストだったとして交渉に応じると思うか?」
「い、いえ・・・」
「ならば残念ながら機内に強行突入するしか選択肢は無くなってしまう。国家公安委員長、この状況で警察の特殊部隊は投入できるか?」
「・・・本来ハイジャック等に対応する特殊急襲部隊は国内での運用が前提です。国外の場合最低でも現地政府と治安当局の了解と協力を得ない事には無理です」
「北朝鮮政府からは協力は得られないのか、外務大臣?」
「目下、非公式ルートを通じてコンタクトを要請していますがすべて無視されています」
「我々はあらゆる事態を想定して対策を練らなければならない。このような事になってすまないが防衛大臣、統合幕僚長、改めて聞く。自衛隊は動かせるかね?」
NSCに参加していた岡本雅弘防衛大臣と柏崎勝彦統合幕僚長は顔を見合わせ、頷き合った。
「総理、現行法では通常部隊の派遣は難しい・・・いや、ほぼ不可能と言わざるを得ません。しかし防衛省としては全く手がないわけではありません」
「どういうことだね?」
「詳しくは柏崎統幕長に説明していただきます」
岡本防衛大臣は柏崎統幕長に顔を向け、頷いた。柏崎統幕長は一礼してから立ち上がり説明を始めた。
「先ほど防衛大臣がおっしゃったように通常部隊の派遣は無理でしょう。政府専用機を派遣したとしても、十中八九北の領空に入った途端に撃墜されます」
「そのため、我々は特殊作戦部隊による救出作戦を提案します」
「特殊作戦部隊というと例の陸自の特殊作戦群という部隊か・・・」
「特殊作戦群でも本隊ではなく、カウンターテロを主任務とする第4中隊を出します。更に海自の特別警備隊第6小隊も一緒に」
「ちょっと待ってくれ。特殊作戦群は確か第3中隊、特別警備隊は教育隊を含めて第5小隊までしか編成表には載っていないと思うのだが?」
この質問には防衛大臣が答えた。
「官房長官、確かにご指摘の通りです。ですがこれらはテロが増加し、テロリストも重武装化している現状を見て警察や既存の部隊の対応力、即応力、機動性、柔軟性を超えた事案に対応するために極秘裏に創設されました。現在、部隊の隊員達以外で存在を知っているのは総理と私と統幕長、後は陸海空幕僚長とオペレーションに携わる限られた人員だけです」
「そんな部隊があったとは・・・」
「申し訳ありません。私も現職に付くまで全く知りませんでした。これは昨今の防衛大臣の重要申し送り事項になっており、防衛省が定めた数ある特定秘密の中の1つです」
「いやそういう事なら仕方ない。我々には知る資格がなかったのだからな」
「・・・話を戻そう。それで第4中隊と第6小隊の準備にどれくらいかかるかね?」
高木総理が質問した問いに対し、柏崎は苦い顔をした。
「総理、それぞれの部隊は準備に入っていますがどんなに早くても作戦の決行までに24時間~48時間は掛かってしまいます」
「そんなにか!?そんなには待っていられないぞ」
「申し訳ありません。我々は今回の案件に関して1976年のエンデべでイスラエルが行った救出作戦を参考にしたいと考えていますが、当時より技術が進歩したといっても、相応の時間は掛かります。これは作戦の立案だけの問題ではありません。情報収集や分析により、敵の戦力数や配置場所、人質の位置等を出来るだけこちらが理解していなければなりませんし、投入する部隊も成功率を上げるならば、何度も何種類もの演習を行わなくてはなりません。我々だけでは・・・」
「“我々だけでは”とはどういう事かね?」
「現状、特殊作戦部隊を出したとしても、自衛隊だけでの救出作戦の成功率はかなり低いものです。理由は上記ものの他にもいくつかあります。現場での部隊を支援する戦闘攻撃機の燃料が持ちません。空中給油機を出すとしても、あまり長くは上空に留まることは出来ないのです」
「韓国国内の空軍基地が使用できればまだ何とかなるかもしれません。自衛官の私がこういう事を発言するのはどうかと思いますが、現在の日韓関係を考えると使用は出来ないでしょう」
そこで会議室に国家安全保障局の職員が3名入室してきた。その職員達は外務大臣と国家情報局局長と高木の脇に来て走り書きのメモを手渡した。それを見ると3名は苦い顔をしてお互い見合わせた。
「・・・私の予想が当たりましたか?」
「残念ながらその通りだ。諸君、韓国外交部から非公式に通達があったそうだ。“今回の件は遺憾に思うが、いかなる場合においても我々は貴国に協力できない。もし自衛隊機が我が国の領空を侵犯するならば、これの撃墜も厭わない”とな」
「「「「「「「「「!!!!!」」」」」」」」」
「総理、それは韓国が基地使用はおろか領空の空域通過も認めないと言っていると言う事ですよね」
「あぁ残念ながら、その通りだ」
危機管理センターの中枢フロアと壁で遮られた会議室に重い空気が流れる中、さらに国家情報局局長と統合幕僚長に連絡が入った。情報を持ってきた職員と少し言葉を交わしてから彼らは発言した。
「総理、現地からの情報によると韓国軍と在韓米軍、そして在日米軍のデフコンレベルが上がり始めました。これに呼応するように中国とロシアもです」
「なに!?」
「自衛隊の方でも確認しました。情報本部が通信量の増加、及び機密コールサインへの変更を確認。使用回線も戦時の物に変わっています」
「まずいな。下手に事態が長引けば朝鮮戦争が再び始まってもおかしくない」
「これで我々に残されたものは1つになりました」
「その残されたものとは何だね?」
「はい、我々に残された最後の切り札は“ジョーカー”です」
「っ!・・・防衛大臣、統幕長、それは必要なことかね?」
総理の問いに2人は再び顔を向かい合わせ、総理に向き直り頷いた。
「はい、必要なことです。もし彼らとの合同作戦でなくなった場合、統合幕僚監部によるシュミレーションによると作戦の成功率は4割を下回ります」
「彼らとの合同作戦の成功率と予想されるこちら被害は?」
「現時点での成功率は5割~6割です。この数字はまだ上向きに変化する可能性が十分にあります。ちなみに戦闘損耗限度は8割です」
「その戦闘損耗限度と言うのは何かね?我々にも解るように言ってくれ」
「戦闘損耗限度というのは人員を投入して、どれくらいの犠牲を出せば目標を達成できるかという事です。例えば100名の隊員を投入した場合、80名は20名と人質の盾となり戦い死亡します。しかし!残りの20名が必ず人質を連れ帰ります!勿論、場合によっては全滅する事になったとしてもです」
「8割もの人員を犠牲になるとして人質は何名になるのかね?」
「・・・何とも言えません。なにぶん人質の人数が人数ですので」
ここで防衛大臣の後ろに控えていた背広組の1人が厳しい顔をして小声で言った。
「ここまで金と時間を掛けて作った連中に全滅されては困る」
本人は小声で独り言のようにつぶやいたつもりだろうが統幕長、防衛大臣、官房長官には聞こえてしまった。
「誤解のないように言っておきます。皆さん、彼らを虎の子と同じように扱わないで下さい。彼らが必要だと感じた時に“今まで培ってきた物が壊れるから辞めよう”と思わないで下さい。彼らは国家の意思に生命を捧げるのです。祖国がいかなる犠牲を払ってでも行わなければならないと信じた事、許してはいけないと決めた事、それを貫こうとする国家の意思に自らの生命を捧げるのです」
その場を静寂が支配した。
「総理、これは非常に困難な作戦です。人質の人数が多く、早急に解決しなければならない。世界で最初に特殊作戦部隊を創設したイギリスは公になっている物だけでもいくつかの特殊作戦を成功させています。同時に失敗もしていますが・・・私は総合的な情報収集と伝達、政治家の瞬時の意思決定、そして作戦実施技術。これら全ての組み合わせが成功の鍵だと思っています」
これらの統合幕僚長の発言に続き、防衛大臣が言った。
「77年のダッカ事件の際、我々は超法規的措置を取りました。当時は救出作戦を行えるような部隊はなかった。しかし今はある。この状況で人質を早期に助けに行かなければどうなるか・・・相手はテロリストです。ならば恐らくは、自分の命すら厭わない連中でしょう。交渉では解決しません。残念ながら力を行使するしかないと思われます。総理、世界中が見ています。ご決断を」
「他に何か意見のあるものはいるか?」
「「「「・・・・・・」」」」
居るはずがない。すでに総理は交渉による人質返還は不可能と考えている。この状態では力による人質の奪還しかない。
「国際テロ対策機関の太平洋戦隊長に繋いでくれ」
「もしもし、日本国内閣総理大臣の高木です。Japan Air Wing航空 301便の件についてお電話申し上げました」
『初めまして総理。私はICTO作戦部 太平洋戦隊 戦隊長の斉藤篤です。その件の状況は我々のほうでもある程度つかんでおります』
「はい、そのハイジャックされた301便の人質の奪還を要請したいのですが・・・」
『・・・総理、我々が救出作戦を行うとして幾つか条件があります』
「我々に出来ることならば」
『1つ目に航空自衛隊が保有しているC-2輸送機を3機ほど使用させて下さい。パイロットは空自の方で問題ありません。2つ目は自衛隊の特殊作戦部隊である、特殊作戦群と特別警備隊の第4中隊と第6小隊を作戦に参加させることです。そして3つ目はこの案件が終了した際には我々の名前は出さないでいただきたい。もし救出作戦を行ったと発表するならば日本単独で行ったと発表していただきたい。この3つが条件です。よろしいですか?』
「はい、我々としては問題ありません。申し訳ない、国民を守るのは国家の義務なのに・・・」
『今回の案件に関しては色々と複雑でしょうからね。日、米、露、中、韓、この5ヶ国の思惑や事情が絡み合うでしょう。何しろあの北朝鮮です。ですがご心配には及びません。我々はこのような事態に対応するために存在しておりますので』
「よろしくお願いします」
『分かりました。作戦の詳細の方は連絡官をそちらに派遣し、説明を行わせていただきます。あとは自衛隊と細かい部分は詰めさせていただきます。では』
プチ
「統幕長、2つの特殊部隊と輸送機の件よろしく頼む」
「お任せ下さい。特戦群と特警隊の方は既に当直の即応チームがそれぞれの基地を出発しております。輸送機に関しては現在、空自に部隊の選定を行わせています・・・大臣」
「うん。総理、私と統幕長は本省に戻り、オペレーションルームに詰めます」
「分かった。あと我々に出来ることは・・・成功するように祈るぐらいか」
「残念ながら・・・」
NSCのメンバーは目の前のモニターを注視して、黙り込んだ。この救出作戦が成功するようにと思いながら。
同日 19時35分 日本 男女群島より南 10カイリ 深度20 グラム級2番艦オーディン
「艦長、戦隊司令部より追加の指定暗号電を受信しました。艦長、副長コードをお願いします」
高木総理が斉藤戦隊長と会話をしてから約30分後、ICTO作戦部 太平洋戦隊 運用グループ 水中ユニット 潜水支援隊所属で、太平洋戦隊の水中ユニットの長であり、この艦の艦長もかねているアンナ・ホワイトは緊急の命令を受け取り、F-35B、AH-64E、RAH-66、CV-22Sといった航空機と陸戦ユニット長のウィリー・アボット准将とSRT隊員数名、第2特殊作戦グループ隊員数十名を艦内へ収容した後、奄美大島沖から黄海へ向けて航行中のオーディンの発令所で通信担当の乗組員からそのように言われた。
「分かりました。副長、お願いします」
ホワイトは首から提げていた鍵を副長の下村良幸に渡した。下村は自分の首から提げている鍵とホワイトから渡された鍵を手に持ち、航海長を従え金庫へと向かい、入っていた封筒を回収して戻ってきた。下村は封筒に入っていた1枚のカードを渡した。
「艦長こちらです」
ホワイトは受け取ったカードを二つに折り、中身を露出させた。下村も同じように自分のカードを折って中身を確認した。
「ありがとう。では読み上げます。アンナ・ホワイト、准将、本日のコードはC D R5 R V T2 T AE6」
「・・・確認しました。副長、お願いします」
「読み上げる。下村良幸、大佐、本日のコードはA B W 7Z X X 1Y ZH9」
「確認。解凍完了しました。こちらですどうぞ」
通信担当の乗組員が暗号解除のコードを打ち込み、文章になったものをホワイトのPDAに転送した。
「これは・・・」
戦隊長からの命令書を読み副長にPDAを差し出した。そこに書かれているものを読んで副長は、
「なんてことだ。これでアボット准将まで出張ってきた理由が分かりました」
その状況説明兼命令書には以下の様に書かれていた。
発 ICTO作戦部 太平洋戦隊長 斉藤篤
宛 ICTO作戦部 太平洋戦隊 潜水ユニット長 アンナ・ホワイト
本日1800時頃、Japan Air Wing航空 301便がハイジャック宣言をした。現在、当該機は北朝鮮の第101空軍基地に着陸している。我がICTO太平洋戦隊は機内にいる人質442名の救出作戦に関する全権を日本国総理大臣より委任された。
貴艦は黄海上にて救出作戦を支援されたし。この救出作戦の統合指揮を貴官にゆだねる。陸戦ユニット長のアボット准将等と熟考した上で作戦を決定、決行せよ。
なおこの作戦には日本国JGSDFの SFGp Fourth Company から4名、JMSDFの SBU Sixth platoon から4名、JASDFの2nd TAG 402th TAS からC-2輸送機3機が参加する。よって日本国自衛隊との共同作戦になる。彼らと連絡を密にし、作戦を行うように。健闘を祈る。
「・・・副長、これは相当難しい案件ですね」
「はい、人質救出作戦に関して素人と言える私でも難しいという事は分かります」
「しかし現在、周辺各国軍は動きを活発化させ、デフコンと我々ICTOの株はうなぎ上りのようです」
下村はそう言って正面にあるメインモニターに目を移した。そこには日、米、露、中、韓、朝の軍の動向に関する情報が衛星経由で続々と届いていた。通信増加に伴い傍受できる通信量が増え、情報が増加したためだ。
例えば日本は全国の陸海空自衛隊に対して非常呼集が発せられ、警戒レベルが高まった。陸自では実弾が弾薬庫から運び出され、各種装備と共に搭載する準備に入り、車両の点検が開始され、複数の部隊では命令が入り次第展開できる状態に。海自では緊急出港に備えて物資・弾薬の積み込み、積み込みが完了が完了した数隻が出港を完了。空自ではスクランブル待機に就いているF-15Jの武装を通常の20mmバルカン砲、AAM-3/AAM-5×2、増槽×1から20mmバルカン砲、AAM-3/AAM-5×4、AIM-7M/AAM-4×4、増槽×1に変更、5分待機の機数を2機から4機へ増やした。それとは別に各基地から戦闘空中哨戒(CAP)に数機が離陸した。
在日米軍では青森県三沢基地の第35戦闘航空団の当番隊であった第13戦闘飛行隊に待機命令が、第14戦闘飛行隊には非常呼集が、硫黄島沖で演習中であった第5空母打撃群のニミッツ級航空母艦 ロナルド・レーガンと搭載されている第5空母航空団、それに随伴していたタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦 アンティータムとアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦 ラッセンが進路を北西に向け航行中。さらに神奈川県横須賀基地からアーレイ・バーク級 カーティス・ウィルバー、ジョン・S・マケインが出港、ロナルド・レーガン等に合流すると見られる。長崎県佐世保基地ではタイコンデロガ級 シャイロー、アーレイ・バーク級 フィッツジェラルド、マッキャンベル、ワスプ級強襲揚陸艦 ボノム・リシャールが出港準備中。沖縄のキャンプ・ハンセンの第31海兵遠征隊が装備を整え普天間に移動。第3海兵遠征軍全体に非常呼集がかけられた。使用する無線は機密コールサインに変更され、回線はすべて戦時の物となった。
その他の露、中、韓も同じようなに陸海空軍に非常呼集を発し、既に一部国境周辺にはロシアや中国、韓国陸軍が展開、陣地構築を始めた。それに呼応するように北朝鮮軍の動きも活発化し、再び朝鮮戦争が再開されても可笑しくない状況となった。
「今回の件、以前判明した案件の様に三号庁舎が関係しているとは私は思えません」
「そうですね。それどころか北朝鮮ではなさそうね。彼らは自分で自分の首を絞める事になる・・・」
「えぇ。今回の件を考えたミスターXが誰だか分かれば、少しは作戦に生かせると思ったのですが・・・」
「取りあえず連絡を待ちましょう。幸か不幸か、アボット准将と戦隊長は保険を掛けておいたみたいですし。我々は我々に出来ることをしておきましょう」
「まずは情報収集ですね。うちの情報部に情報提供の要請を。防衛省統合幕僚監部の運用部特殊作戦課の方達と第402飛行隊の方達とのホットラインの準備もお願いします」
「イエス・マム。直ちに行います」
この後ホワイトはアボットと陸戦ユニットの作戦幕僚、第20STOVL攻撃飛行隊、第61攻撃ヘリ飛行隊、第611輸送ヘリ飛行隊から派遣されてきた各部隊のチーフを集め、ICTO情報部が収集した情報と日、米、露、中、韓の各情報機関が収集した情報を組み合わせてとりあえず、ICTO部内だけで救出作戦の骨組みを議論し始めた。
ここで時間軸は同日の1756まで遡る。
Japan Air Wing航空 301便は沖縄へ向かうルートから韓国へ向かうルートを取り、韓国が定めている防空識別圏に接近したため韓国空軍の光州空軍基地よりKF-16C戦闘機2機が緊急発進した。この2機の戦闘機はレーダーサイトの誘導に従い301便の左翼側へ付き、警告を開始した。
まず初めに1番機から無線による警告が英語、日本語でそれぞれ2回ずつ繰り返され、その後2番機が301便の前方に出て自機の翼を振る「我に続け」の警告を行ったが反応が無い。そのため韓国軍機は司令部に問い合わせ、警告射撃の許可を求めた。許可は直ぐに取れ、無線で警告射撃を行う警告を行ったが反応は無く、2番機が301便の後方につき、1番機は少し前方に出て警告射撃を行った。
ここでようやく301便は“スコーク7701”をコールした。これによりスクランブル機は無線による更新を再び試みたが、やはり応答しなかった。そこで大邱広域市にある南部戦闘司令部から政府上層部の命令が伝わった。”自爆テロの可能性が無ければ燃料が続く限り、ハイジャック機の監視に務めよ”という事だ。この命令により301便が韓国領空を抜けるまで、各空軍基地より代わる代わるKF-16戦闘機が離陸し、監視任務に当たった。
そして今現在、301便は北朝鮮の第101空軍基地に対して着陸態勢に入った。この1時間ほど前から乗客は疑問を感じ始め、15分ほど前からは騒ぎ始めていた。窓から見える眼下の景色がいつまで経っても山ばかりなのである。その中には席を立ち、フライトアテンダントに詰め寄る者もいた。しかし着陸態勢に入ってしまったためチーフパーサーは直ぐに座席に座りシートベルトを締めるように機内放送でアナウンスを行った。
機体は南側からその基地にある唯一の滑走路に進入していった。滑走路の右手に市街地が見えたが、ひどく閑散としていた。古い工場が立ち並び、煙突からはひと目で環境に悪いと分かる黒い煙がまばらに立ち上がっていた。
「これ、どう見てもおかしいよな」
窓の外を見て渡辺浩介が言った。
「ああ、沖縄じゃないな。それどころか日本でもなさそうだな・・・」
隣に座っている石井正人が答える。その後ろの席では窓の外を見ている夏美を置いて、由香里が希に話しかけてきた。
「希、さっきの見た?戦闘機が左翼側にピッタリくっ付いていたわよ」
「えぇ、海上を飛んでいた時には韓国空軍のKF-16Cが。30分くらい前には北朝鮮空軍の国籍マークを付けたMiG-35が付いていたわね。KF-16は警告射撃を行っていたし、北朝鮮空軍機が居たという事は今私達は・・・」
希が呟き終わる前に機体は無事着陸した。着陸し、格納庫の前までタキシングする際に希が窓から外を見た。するとそこには、
「マサ、見てみろよ。あれ、MiG-21戦闘機だ。その隣にあるのはMi-24攻撃ヘリだぞ」
旧ソ連が開発し、旧東側諸国や中東、アフリカ等に輸出された戦闘機と攻撃ヘリが四機ずつ駐機していた。その他にも格納庫に数機の航空機が格納されているようだった。
しばらくタキシングを行うと今度は戦車や装甲車、トラックや各種車両が見え、地対空ミサイルや対空車両、対空陣地も遠くに確認できた。
「あっちに見えている戦車がT-55で、その脇に止まっているのがBTR-60で、あっちの車両が・・・」
この後も浩介は窓から見える兵器の数々を見て、名前を挙げていた。もちろん、希もしっかりとそれらの兵器を確認していた。浩介のように声に出したりせず、どのような兵器が、どのような場所に、どれくらい配置されているのかを記憶に留めていた。
そして、希はそこにある兵器と戦闘機に描かれている国籍マークを再確認してから確信した。
(間違いない。ここは北朝鮮国内の空軍基地だ)
未だに姿を見せていない由香里を狙っている者達は一番確実な誘拐方法を選んだ。“ハイジャック”という古くから行われているテロの手法の1つを。流石に数百名の人質をとられたら、日本は勿論、国際テロ対策機関といえど、そう簡単には手が出せない。加えて301便が降りた国は北朝鮮である。日本、アメリカ、ロシア、中国、韓国の5ヶ国の国益、事情、思惑が複雑に絡み合い、救出作戦の足並みは乱れる。それどころか、日本人が人質になっているにもかかわらず他国が介入し、救出作戦自体を日本が行えないという事すら考えられる。
希は思わず小声で言ってしまった。
「ハイジャックをここまで巧みに活用するなんて・・・見事としか言えないわ・・・」
「希、何か言った?」
「あっ、・・・ごめん何でもない」
現在、希にはほとんど打つ手が無い。グロック19を携帯していたが、装弾数は15+1発で予備マガジンをすべて使っても出来ることはたかがしれている。そもそもハイジャック犯が何名か分からず、着陸した北朝鮮の軍隊である朝鮮人民軍がとのような立場で、どのような対応をするのか今は分からないため、今はただ待つしかなかった。
着陸した機体はようやくタキシングを終了し停止した。停止して数秒後、機内放送が再び入った。
『機内のみなさん、本日はJapan Air Wing航空 301便にご搭乗いただき、まことにありがとうございました』
機体が大きく揺れた際に流れた機内放送の声とは違う男の声だった。
『私は機長に代わり、現在この機の責任者となった者です。殆どの方が既にお察しかとは思いますが、ここは那覇空港ではありません。当機はやむをえぬ事情から、朝鮮民主主義共和国の、第101空軍基地に着陸いたしました』
『皆さんには複雑な政治情勢下にあるこの地に相応しく、人質になって頂きます。窓の外をご覧下さい』
機内の殆どの者がその言葉につられて窓の外を見ると、BTR-60が2両、UAZ-469が4両とAK-47やAKMを装備した兵士達が301便を包囲していた。
『皆さんを歓迎するそうです。勿論、指示には従って頂きます。逃亡を試みたり、不穏な動きを見せた場合、容赦なく皆さんを射殺します』
この宣言に機内の乗客はどよめいた。
『・・・なお、当空港には皆さんを収容するだけの満足な施設がありません。解放の目処が立つまで、そのまま機内にて待機してください。ご了承を』
同日 19時03分 韓国 黒山群島より40海里 海上
黒山群島から40海里離れた公海上に1隻の潜水艦が浮上した。その潜水艦は文字通り鯨のように浮上してくると艦前部の船殻を開けて飛行甲板を露出させた。すると、どこからとも無くCV-22Sー原型のCV-22にレーダーと赤外線に探知され難くする加工を施されたステルス仕様であり、さらにMV-22の様に折り畳み機能も付いているーが2機やってきて速やかに着艦するとほぼ同時に、船殻を閉鎖した。
「船殻の閉鎖まであと10秒・・・4秒・・・閉鎖完了しました」
「着艦した航空機固定作業完了しました」
「深度100まで潜航します、メインバラストタンクに注水。ダウントリム角10度、15ノットに増速」
「アイ・アイ・マム。メインバラストタンク注水、深度100まで潜航。ダウントリム10度、速力15に増速!」
「深度100まで潜航。ダウントリム10度、速力15に増速、アイ!」
「これで役者がそろったわね・・・」
艦長アンナ・ホワイトの命令を副長の下村良幸が復唱し、航海長等が担当するそれぞれの部署で指示に従い行動するとグラム級2番艦オーディンはその巨体を再び海中に潜らせた。
同日 20時06分 北朝鮮 平安南道 第101空軍基地 Japan Air Wing航空 301便 機内
現在機内は不安げな顔で席でブツブツと何事かを呟いたり、遺書らしき物を書いている者、比較的落ちついている者と2時間近く時間が経過し、退屈してしまい、近くの席の者と騒いでいる者の二種類の人間に分かれていた。もっとも一般客は前者であり、後者は修学旅行が中止になってしまった高校生であるが・・・
彼らも当初は他の乗客たちと同様に不安げな顔で周囲と話したりしていたが、2時間以上何も変化が無いため退屈しトランプ、UNO、花札、オセロ、将棋等は元より、着陸している事をいい事に3DSやPSPといった携帯ゲーム機を使う輩まで出てきていた。いくら叱っても、目を離すとすぐ遊びはじめるので、教師達も諦めてしまった。しかしそれが途切れる時がやってきた。
その時、機内はシーンっと静まり返った・・・というより機体前部から後部に掛けて順に、騒いでいた生徒達が黙り込んでいった・・・通路をに目を向けると、スーツを着た男が3人歩いてきていた。先頭の男は手には何も持っておらず、残り2人の男はポーランドの CZE Vz.61 "Skorpion" サブマシンガンを持っていた。
先頭にいた男が両手を広げて言った。
「どうかしましたか?続けてくれて構いませんが」
そう言われても再び遊び始めるものは居なかった。男は2人の部下に何かを囁き、希たちの方を指差した。
「なんだろ・・・?」
夏美が不安そうに言った。さり気なく希は体を通路側に向け、自然と由香里の盾となる様にした。他の生徒達もヒソヒソと囁きあった。そんな事は気にせず、手に銃を持っていない男が近づいてきた。
「そこのあなた」
男は立ち止まり、穏やかに言った。近くでその声を聞き、先ほどの機内放送をした男だと分かった。
「聞こえなかったかな?47-Iの席に座っているきれいなお嬢さん」
「「「!!!」」」
「あなたの事だよ」
男が希たちの席の直ぐ近くに来て、由香里を見下ろした。当然同じ列に座っている夏美は不安な顔で由香里を見た。
(やっぱり連中の目的は由香里か。今のところ敵は3人。でも他に居るかもしれないし、ここは動けないわね・・・)
希はあえて、不安そうに男を見ながら考えた。今ここで動くべきでは無い、と。
「・・・私に何か?」
「マスコミ向けの映像を作りたくてね。出演してくれる人を探していた所なんですよ」
「はぁ、そうですか。ですが、私では役不足かと思います」
「あなたに出て頂きたいんだが。いい素材になると思ったんでね」
「辞めた方がいいですよ。残念ながら私では映像を見た方々が不愉快になるだけだと思います」
由香里は苦笑しながら言った。
「いや、あなたにしか出来ないんですよ。おい」
男は後ろに控えていた部下の方に向き、合図した。部下が自然に盾になっている希を押し退けて、由香里を引っ立てて通路に引きずり出した。
「いや、だから、放して下さい!どうして私なの!?」
「由香里!」
夏美の声は既に悲鳴に近かった。機体後部の全員が注目する中、43-D席に座っていた担任の前田和美が駆けつけてきて男に猛抗議した。
「ちょっと、私の生徒をどうする気ですか!?」
「少しばかり協力して頂くだけです。直ぐにお返しします」
「連れて行くなら私にして下さい!」
「残念ながら、あなたでは意味が無いので。これはマスコミへの「そんな口実ではいそうですかと言うと思いましたか、この卑怯者が!」・・・」
それまで無表情だった男の顔が歪んだ。だが和美はそれに気が付かず、まくしたてた。
「なんて人たちかしら!?テロなんていう最低な事をして、しかも子供を利用するなんて!どんな理由があろうと絶対に・・・」
男は肩をすくめた後、生徒達が見ている前で胸のショルダーホルスターからCZ75 P-01を抜いた。そしてその銃口を和美の頭に向けた。
「まったく、静かにしていて貰えませんかね・・・」
「???」
いぶしがる彼女の額に向け銃口をポイントされた。男の指に力が入り、引き金が引かれた。
パァン
機内に銃声が響き、近くに居た由香里は目を瞑り、肩をびくりと震わせた。由香里が目をゆっくりと開けるとそこには、右の頬に線のような傷が出来てぽかんとして立ち尽くす和美の姿が映った。
「・・・これは警告だ。次は無い」
男が撃った9mm×19弾は和美の右頬を掠めて機体後部の化粧室の壁を貫通し、反対側の壁で止まっていた。希もこれには流石に顔を顰めた。最初男が和美の額をポイントした時“これは撃つ”と思ったため、腰のグロック19に手が伸びたが、寸での所で堪えた。
男はCZ75 P-01をホルスターに戻し、部下と由香里を引き連れて機体の出入り口へと向かった。この時由香里は後ろを一度振り返って希を見た。希は彼女の目をしっかりと見据えて頷いた。その頷きに由香里も答えた。ほんの一瞬の出来事であったが、そこには確かに“信頼”と言う言葉があった。
男達が出入り口へ向かうとハッチが解放され、タラップから別のスーツを着た男が由香里を連れた男に質問した。
「방금전 총성이 들렸지만, 무엇인가 문제인가?(先ほど銃声が聞こえたが、何か問題か?)」
「좋아, 문제는 없다.(いいや、問題は無い。)」
2人の男は言葉を交わし、由香里と部下と入り口で合流した4人と共にタラップを降りた。入り口で合流した男達は先にタラップを降りてから301便の貨物の搬入ハッチを開け、貨物室に入っていった。
由香里たちはタラップを降りて行き、タラップの先に鼻から右頬にかけて傷がある50代後半から60前半位の年齢の白人を見つけた。その白人は両脇を2人の兵士に固められ、兵士達はAK-12を持ちボディーアーマーの上からタクティカルベストを着込み、ヘルメットやニーパッドを付け、レッグホルスターにはMP-443をサイドアームとして所持していた。完全装備と言えるだろうがテロリストにしては装備が良かった。その白人の近くに居る数名の兵士はロシアの特殊部隊でも使っている装備品を使っていた。
その白人に朝鮮語で話していた2人が近づいてきた。
「Воздушные путешествия мимолетное удивление, если это было, как?(つかの間の空の旅は如何だったかな?)」
白人が質問すると、ハイジャックした機体に乗っていた男が答えた。
「Там нет никаких проблем. Я был в состоянии обеспечить безопасное и цель.(特に問題はありません。ターゲットも無事に確保できました。)」
「Делать добро, как запланировано после этого?(ではこの後は予定通りでいいのか?)」
「Да. Это не проблема.(はい。問題ありません。)」
「Это хорошо. Когда вы закончите немного приветствием к ней, я буду двигаться немедленно.(そうか。私は彼女に少し挨拶を済ませたら、直ぐに移動する。)」
「Также отметил.(了解しました。)」
「자네들의 행운을 빌어. 설날 아침선노동당 작전부 소속박진영대위.(君達の幸運を祈るよ。元朝鮮労働党作戦部所属朴 真永大尉。) 」
「Существует также удачу. Бывший Первое управление КГБ принадлежность Алексея Михайлова(そちらも幸運を。元ソ連国家保安委員会第1総局所属アレクセイ・ミハイロフ。)」
UAZ-469が2両、GAZ-2975 Tigrが3両到着し、由香里と朴と呼ばれた男とその部下達はUAZ-469へ分乗し、ミハイロフは3両のGAZ-2975 Tigrの内の前後を挟まれた真ん中の車両に乗り込み護衛の兵士達は3量に分乗して301便の機体から離れていった。
その光景を機内から見ていた者が居た。希である。希は機体の窓から由香里がタラップを降りていき、和美に向けて銃を撃ったテロリストが待ち構えていたロシア人と思しき人物と会話している場面を目撃した。ーちなみに和美は男達が機体から出て行った後、眩暈を起こして倒れてしまったため、座席を3つ占領し体を横にして随行していた保険医とフライトアテンダントによって様子を見られているー
(迎えた男の両脇に立っている連中は妙に装備が良いわね。AK-12なんてまだロシア軍ですら配備は創進んでいないのに。現地軍ではなさそうだけど・・・それにあの男どこかで・・・)
男達が車両に分乗し、機体から離れていき、機内に居たほかのテロリストの姿も見えない。チャンスは今しかないと判断してからの希の動きは早かった。
「夏美ちょっといい」
「どうしたの希?」
夏美が希の方に体を向け、
「私はちょっとこれから野暮用があるから此処を離れるわ」
「野暮用って?」
「ちょっとお手洗いに行って来るわ。長いお手洗いになりそうだけど・・・」
そう言い残して希は席を立った。希は機体前部のトイレに行く振りをしてそのまま機体前部にあるファーストクラスまでやって来た。幸いにして301便で乗客が座っているファーストクラスは前から3列目がまでだった。そこで入り口の近くに座っていたチーフパーサーに希は声を掛けた。
「すいません」
「何でしょうか、お客様?」
チーフパーサーは声を掛けてきた女子高生を不安にさせまいと微笑んだ。しかし彼女が声を掛けた理由を聞いて驚いた。
「今からあそこのハッチを開けてMECー電子機器室ーへ、更にノーズギア格納庫へ行き、そこから機体の外に出ます。なので私がハッチを閉めたら床のカーペットを元に戻して貰えますか?」
「お客様。ご冗談はお止めになってください。今の状況では外へ逃げてもどうしようもありません。お席へお戻り下さい」
「私は冗談なんて言っていません。機体の外へ出るために必要な事です」
「・・・女子高生がそんな事をしてどうするつもりですか?」
「私の格好は確かに女子高生で搭乗手続きも東武高校の生徒として行いました。しかし今日の出発前のミーティングで機長から連絡がありませんでした?“今日はJが乗る”と」
この場合のJとはジョーカー、つまりはICTOの事である。ICTOは各国の民間航空会社のうち幾つかと関係を持っていて軍用機が入れないような場所に人員、資機材を輸送するのに使用している。テロに関係性のある人物、物、情報をICTOに渡したりもする。勿論、後者に関して各民間航空会社は、情報提供は義務付けられており、地元治安当局に提供する。それとほぼ同時にICTOにも伝わる。ICTOは人員等の輸送に使用させてもらう代わりに、地元治安当局よりも精度の高いテロ対策や危機管理についてのアドバイスを行っている。Japan Air Wing航空は“幾つかある航空会社”の内の1つである。民間の航空会社を利用する場合、どのような人物や物が搭乗又は搭載されるのかは知らされない。ただ当日に会社の運行担当者より“今日はJが乗る事になっている”と連絡がある。しかし“乗る”という表現を使っていてもそれは人物か資機材かは判らない。
「・・・分かりました。では私がファーストクラスのお客様達の気を引きますのでその間に。お気をつけて」
「はい。ありがとうございます」
チーフパーサーは希の目を見て少し考える素振りを見せた後、頷き、更に気を引き付ける役まで買って出た。
チーフパーサーが先を歩き、ファーストクラスの乗客たちに声を掛けていった。その数名の乗客に気が付かれない様、しかし迅速に希は床のカーペットを剥ぎ取った。
(あった。これがそうね)
ハッチを開放し、中に入って直ぐにハッチを出来るだけ静かに閉めた。そして希ははしごを下りノーズギア格納庫ではなく反対側の前部貨物室へ向かった。そしてチーフパーサーはファーストクラスの人に声を掛け終えるとカーペットを閉じられたハッチの上に戻した。それは丁度出て行った4人のテロリストが戻ってくる5分前だった。




