第十二話
桜ノ園学園も夏休みに入り、可憐はベネツィアに来ていた。
噂に聞く自家用ジェットというやつで、である。
(まさか本当にあるとは思わなかったけど...)
清太郎にベネツィアに行く趣旨を伝えると、「いいよ、一台ぐらい」という非常に軽い感じで貸してくれたのである。
(一台ぐらいって言い方がなんか引っかかるんだけど...)
かの有名な西園寺財閥には一体何台の自家用ジェットがあるのかと考えたりもしたが、考えるだけで恐ろしくなってきたため、可憐は考える事を放棄した。
今回の旅行は清太郎がニューヨークで仕事があるとかで一緒に行動できないため、従兄弟である奏太が保護者として代わりに参加した。
もちろん、言うまでもなく使用人はいる。
ホテルへチェックインを済ませ、部屋に荷物を運び入れ、これからどこかに行こうかというときに、可憐達はいるはずのない人に出くわした。
(...何で真也様と有栖川様がこんなところにいるわけ?)
「想定外だわ...」
思わず常日頃心がけている口調を忘れ、素で喋ってしまうくらいに動揺していた。
「どうかしたか?」
(どうもこうもないわ!)
「何で、お2人がこんなところに?」
ようやく平静を取り作り、「何でお前らがいるんだ?」と言うのをオブラートに包んで言う。
「何でって、ねぇ?」
「バカンスだな」
「だからって、なんでここなんですのよっ!」
休日の間くらいあわなくても済むと思ってたのに、というのがだだ漏れである。
「君がここに来るって僕達に言ったんじゃないか」
「確かに言いましたけど、まさか本当にくるとは...」
可憐の様子を見て、悠貴は笑いを噛み殺した様な顔をする。
「それに真也が...」
「...悠貴」
笑いを隠しきれていない悠貴を真也はジロリと睨みつけて言った。
「はいはい、これ以上はいいませんよ」
大袈裟に肩をすくめる。
真也は悠貴に"真也が君と一緒にバカンスを過ごしたいって言ったんだよ"と言われずに済んだ。
「なんですのよ、もう」
(意味がわからん)
おそらく意味が分かってないのは、可憐だけであろう。
「可憐、観光に行くんじゃなかったのかい?」
奏太のナイスタイミングな言葉に、可憐はガッツポーズしそうになる。
「そうでしたわ。私達はここで失礼いたしますわ」
これでこいつらとおさらばできる、という喜びも束の間、可憐の言葉を聞いて、悠貴はにっこりと笑みを浮かべる。
「そうそう、僕達もちょうど今、出かけようと思ってたところなんだよねぇ。ねぇ、真也?」
「そうだったな」
(この流れってもしかして...)
そう思った時には、時すでに遅し。
「じゃあ、一緒に行く?」
奏太の言葉に悠貴はにっこりと笑みを浮かべる。
「お言葉に甘えて!」
(ですよねー)
もう、どうにでもなれ、と可憐はガックリと肩を落とした。
やはり、まずはベネツィアの中心地、サン・マルコ広場に行かなくては、という可憐の言葉で、可憐とその他3名はサン・マルコ広場にやって来た。
可憐は1人、テンションがハイになっている。
「可憐。ぼけーっとしてたら、悪いお兄さんに連れて行かれるよ?」
「そこは"置いて行くよ"ではありませんの?」
どっちもどっちだよ、と2人の会話を聞いていた悠貴は内心でツッコむ。
「僕が可愛い従妹を置いて行くような男に見えていたのかい?心外だな」
奏太があからさまに凹んだ顔をする。
(そんな顔されると、罪悪感半端ないんだけど)
「そ、そうではありませんのよ?あくまでも一般論ですわ」
罪悪感に耐えきれなくなった可憐がそう言うと、奏太の顔に光が差す。
「あぁ、可憐。僕の愛おしい従妹。さあ、僕の胸に飛び込んでおいで」
(は、ははは...)
そういえばこういう奴だった、と可憐は苦笑いする。
「お兄様、気持ち悪いですわ」
釘をさすことも大事だ、と可憐がそう言った瞬間、奏太は地面に崩れ落ちた。
「可憐に、可憐に嫌われた...もうダメだ」
(えっ、ちょっ...)
周りからの視線が、可憐達に突き刺さる。
知り合いだと思われたくない可憐は、奏太の事をほって置く事にした。
護衛もついているし、置いといても大丈夫だという結論である。
「真也様、有栖川様、お兄様は置いて、次に行きましょう」
「え、置いて行くの?」
「いいのか、従兄なのだろう?」
(|地面に伏せって泣いているお兄様を従兄とは思いたくない...)
連れて行った方がいい、と言う二人の背中を押し、可憐は別の場所へ向かった。
「ーーにしても綺麗な街ですわね」
さすがはアドリア海の女王と言われるだけあるな、と可憐は納得する。
なんせ観光名所を廻らなくとも、歩いているだけで楽しいのだ。
(街全体が輝いてるな。......背後さえ振り返らなければの話だけど)
後ろを振り返ると、奏太が暗い顔をして、ブツブツ呟きながらついていていた。
可憐の今の気分は、背後霊に憑かれてるも同然であろう。
しかも周りの人が、可憐達をすごい目で見るのだ。
精神的にもかなりのものだろう。
遂に可憐は耐えきれなくなった。
「お兄様、私が悪かったですわ。だから、お機嫌を直して下さい」
可憐は背後を振り返って言う。
「可憐っ!抱きしめてもいいかい?」
「断固拒否いたしますわ」
その間、0.1秒。
要するに即答であった。
(あら?)
可憐が急に立ち止まる。
「どうかしたか?」
「真也様、あれはジェラート屋さんですわよね?」
可憐は目の前にある小さなお店を指差しながら問う。
「ああ、そのようだな。食べたいのか?」
「ええ、まあ」
(なんか、食い意地張っている様に聞こえるんだけど...気のせいかな?)
断じて気のせいではない。
「そうだね。小腹も空いたしいいんじゃないかな」
「じゃあ、入ろうか」
そう言って、可憐達はお店の中へと足を踏み入れた。
(うーん、どれにしよう?)
「可憐?どうしたんだ?」
「ローズのにするか、ピスタチオにするかで、迷ってるんですの。両方買っても食べ切れませんし...」
「残したらもったいないでしょ?」と言うと
「じゃあ...」と言って真也が提案した。
「俺が片方を頼んで、半分にすればいい」
(天才か!)
全くその案が頭になかった可憐は、純粋に感激した。
「是非ともお願いいたしますわ」
(今で、私を悪役令嬢街道へ導くヒーローだと思ってたけど、意外といい人だったんだな。見直したわ...)
脳内メモに、"伊集院真也は意外といい人"という書き込みをした。
「...君、それってさ......」
「どうかいたしました、有栖川様?」
言いにくそうに有栖川様が口を挟む。
(あ、もしかして)
「真也様の食べたいものを全く考慮していませんでした。すみません」
「いや、別に構わない。特に味にこだわりはないからな」
「そうですの。では、お言葉に甘えて...」
全く見当違いの考察をした可憐にツッコミを入れる。
「いやいや、そういう問題じゃないんだけど...」
(うん?どういうことだ?)
「では、何が問題ですの?特に何も変わったところは見当たりませんわ」
「もういいよ...」
鈍いなぁ、と言って悠貴は頭を抱える。
結局のところ悠貴は、あまりにも2人が純粋だったため、"巷のカップルがよくやるやつでしょ?"などと言えず、口を噤んだ。
まあいつものことか、と悠貴が何を言おうとしたのかを聞き出すのを諦め、思い思いのジェラートを頼んだ。
「美味しいですわっ!」
ジェラートを食べた瞬間、可憐の目が輝き、顔が喜びてみち溢れる。
「やっと笑った」
そんな可憐の様子を見て、真也は頬を緩めて言った。
「へ?」
予想外の言葉に、可憐はぽかーんと口を開ける。
「お前は、俺の顔を見ると大概怒るか、逃げるかの二択だったからな。俺が何かしたか?」
心底傷ついたと言わんばかりの顔である。
(悪役令嬢を刑務所行きの道へと連れて行くヒーローだからです!なんて、口が裂けても言えないしなぁ)
一体何が正解なのか、と悩んでいると、悠貴が笑いながら言う。
「やだなぁ、真也。そんなこと気にしてたの?」
「そんなこととは何だ?俺にとっては非常に重要な問題点であって...」
深刻そうな顔の真也に、悠貴は更に笑う。
「彼女はいつも真也が急に出てきたりするからびっくりしてただけだよ、ねぇ?」
助け舟を出してあげたんだから、もちろん乗るよねと言わんばかりの顔で、悠貴が可憐に目配せする。
ここでNOと言えるほど、可憐に余裕はなかった。
「ソ、ソウナンデスノヨー」とかなりの片言の日本語を返すしかできなかった。
「そうは思えなかったが?」
真也は疑っている様である。
「まあまあ、あんまり細かいことは気にしなくていいじゃん。...それと、ジェラート早く食べないと溶けちゃうよ?」
悠貴が言った時には、もう遅く、溶けて液状化したジェラートが手に流れ落ちて、ちょっとした惨事になっていた。
「言うのが遅い!」
「全くですわ」
悠貴は、次にこういうことがあったら、溶ける前に言うことを2人に約束させられたのであった。