1-2
「きゃあっ!」
足を取られてシェイザスは転倒する。幸い、土がやわらかく、怪我をした様子はなかったが、その拍子にダルシュの手を離してしまった。
慌てて顔を上げてダルシュの姿を探そうとした、が、すでにあたりは深い闇に閉ざされてダルシュの姿も見えなくなっていた。
「シェイザス! どうした!」
ダルシュの声が聞こえたが、近くにいるはずなのに気配すらわからなくなっていた。
「ダルシュ! ダルシュ、どこにいるの!」
「シェイザス! どこだ!」
ダルシュの声が、少し遠ざかる。
「ダルシュ! 私はここよ!」
シェイザスは、声を張り上げたが、返事になるはずのダルシュの声は、どんどん遠ざかっていった。
「ダルシュ!」
はっとして、シェイザスは、口をつぐんだ。
暗闇の中に、冷たい不穏な空気が漂っていた。森のざわめく音がさわさわと冷徹に聞こえる。ダルシュの声が遠くで聞こえ、何か恐ろしいものの気配が彼女の側にある。
(これは、変だわ。ただ、日蝕になっただけではないの?)
急に気温が下がった気がして、近くから、はぁはぁと獣のような荒い息遣いが聞こえる。
シェイザスは、はっとそばの籠を引き寄せた。恐くなって立ち上がって逃げようと思ったのだ。その時、籠から時計が転がり出た。
シェイザスが反射的に時計に手を触れようとした時、時計に手を伸ばす、もう一つの黒い手が見えた。
シェイザスは、悲鳴を上げてその黒い手を振り払った。時計を拾い上げて、彼女は、立ち上がって走り出す。がさがさ音が鳴るのは、草むらを走り抜けているからなのか、彼女を追いかけてくる黒い手の主の足音なのか区別がつかなかった。
「ダルシュ! 助けて! ダルシュ!」
シェイザスは、そう叫びながら森の中を逃げるが、返事がない。ダルシュはどこにいるのだろう。いつもなら、すぐに飛び出してきて助けてくれるのに。
と、耳慣れない轟音が鳴りひびいた。その音に、思わずシェイザスは立ち止まる。
目の前の暗闇から、強い光が目に飛び込んでくる。一直線にのびたその白い光は、森の木々を照らしながら、どんどん近づいてくるようだった。
後ろにも何かが追いかけてきている、けれど、前からも何かが来る。シェイザスが、身動きできずに身をかたくしたとき――。
大木を避けて、何か大きなものが目の前に飛び出した。
はっとシェイザスは、目を見開いた。かすかな光に照らされているだけだったが、その大きなものに人が乗っていた。そのなびく髪の毛の色が金色だ。その人物が、一瞬シェイザスに視線を送る。
その時、背後に何者かが立った気配がした。
黒い手がシェイザスの首元に伸びる。異常に冷たい感触で、触られたところから凍り付いてしまいそうだった。
思わず悲鳴を上げたシェイザスだったが、何かの破裂音と閃光が走った途端、その黒い手はするりと彼女を離す。
いつの間にか、大きな乗り物が彼女の方に向かってきていた。どうやら通り過ぎた後、戻ってきたのだろう。
黒い手の主がひるんだ隙に、乗り物は、動けずにいる彼女の側で止まった。
「大丈夫?」
乗り物に乗っているのは、男だった。
日蝕が終わりはじめたのか、かすかに光を取り戻した森の中で、男の顔が見えた。金色の髪の若い男だ。男はかなりの大柄で、乗り物に乗っていても彼女から見上げなければならなかったが、碧の瞳をしていて、その視線が優しかった。
そして、その顔は、夢の中で出会ったあの青年にそっくりだった。
男は、ふと彼女から視線をはずして、手に持っている鉄の塊を構えた。
「あー、やっぱり、この程度じゃきかないか?」
彼の視線を辿って振り返ると、黒いものがぐにゃぐにゃと歪んでいた。人の形に似ていたが、今はその胴体から下が不定形なものに変化していた。
「まだ来る気だな。しつこい!」
男はうんざりとした様子で呟いて、再びシェイザスに目を向けた。
「ここにいると狙われるよ。早く乗って!」
男が手を差し出す。白い手袋をした大きな手だ。ふと彼を見上げると、男は優しい表情でにっと笑った。
思わず手を握ると、男は強い力でシェイザスを引き寄せていた。
気がつくと、彼女は乗り物の上に乗っていた。
「しっかりつかまってるんだよ」
男は一言彼女にそういうと、急に乗り物を発進させた。ドンと、圧力がかかる感じがして、その乗り物がどれほどの速さで走っているのかを、彼女は理解した。
「おい、ハンス。こんなガキ連れてどうするんだ! 俺達は”飛び込む”つもりなんだぞ!」
不意にそんな声が上からきこえたので目を向ける。男の肩に黒い鳥がとまっていた。カラスのようだ。今の声は、カラスの声なのだろうか。
「どうするんだっていわれても、おいていったらあいつにやられちゃうよ?」
男は、カラスにそう答える。
「とりあえず、あいつを振り払ってからじゃないと、俺達も”飛び込めない”よ」
彼らが何を話ししているのかわからなかった。ただ、明るくなり始めた森の中を高速で突っ切る乗り物に負けず、追いかけてくる黒いものが背後から迫っているのがシェイザスに見えていた。
「まだ来るわ!」
「ったく、しつこいんだから」
男はうんざりとした口調でぼやく。緊急事態にも関わらず、どこか間延びしたような口調で、シェイザスは、彼が何を考えているのかわからなくなった。
「しょうがない。奥の手を使おうか」
ハンスはそう吐き捨てると、ふと足元にある筒のようなものを持ち出して、片手でなにやら作業をしているのが見えた。
「お、おい、お前ッ、そんなもの……! この森の中で、爆弾類はやめとけ!」
カラスが焦ったように男に言ったが、男はのんびりしたものだ。
「大丈夫。これ、煙が出るだけのやつだから」
男はそういって紐をひっぱり、ちらりと追ってくる相手を見た。すでに森の中は薄明るくなっている。
「それじゃあな!」
男はそういうと、正確に黒いものめがけて筒を投げつけた。人の姿を失いつつあるその黒い影が、筒を受け止めたように見えた瞬間、ぱっと閃光が走った。続けて破裂音と共に煙が凄い勢いで巻き始める。
「さ、今のうちに逃げちゃおう」
「お、おい! ハンス!」
男が明るく言った時、カラスが何か叫んだ。
シェイザスは男の背から顔を出して前を見る。目の前に大きな木があった。このままではぶつかってしまいそうだ。が、それよりも、目に付くものがあった。
その木の枝が二つに分かれていたが、その間が青く光っていた。キラキラと水面のようにたゆたい輝き、稲妻のようなこまやかな光が走っている。枝の間に光の幕があるようだった。
急に乗り物が大きく揺れた。ブレーキをかけて急激にスピードを緩めようとしたのだとわかったが、どんどん木が迫ってくる。
「ハンス!」
カラスが叫んだが、男は何を思ったのか、急にスピードを上げだした
「こうなったら”飛び込む”しかないよ!」
男の声が聞こえたと同時に、乗り物ががっと地を蹴って浮き上がった。飛び上がった彼らの目の前には、木の枝の間に張られた光の幕が迫ってくる。
その間のことは、実にゆっくりと感じられた。シェイザスは恐くて男の大きな背にしがみついた。
やがて光の幕に差し掛かったとき、パリ、と静電気のような痛みがかすかに肌に触れたが、思ったほどの衝撃は来なかった。
幕を通り抜けた後、急に周りが真っ暗になり、体中に重圧がかかった気がした。
「しっかりつかまってるんだ!」
男の声がシェイザスの耳に聞こえたのは覚えている。彼女は、必死で男の背中にしがみついていた。
*
気がついた時には、日光がきらきらと降り注ぐ場所にいた。あおあおとした緑の草原と向こうに青くさざめく湖が見える。青空に雲が悠々と漂っていて、とても綺麗な景色だった。
「おーい、大丈夫?」
不意に視界にあごひげを生やした男の顔が飛び込んできて、シェイザスは、思わず声を上げた。と、同時に我に返った。
「あ、あれっ? ここ?」
きょろきょろとあたりを見回してみる。先ほどまで見ていた綺麗な景色だが、まるで見慣れない風景だった。
目の前にいる大男は、彼女の反応を見て安堵の笑みを浮かべていた。
「よかったー。びっくりしちゃって放心状態になってたんだね」
「ほ、放心状態?」
シェイザスは、そういえば先ほど、この大男たちと一緒に変な乗り物に乗って大木の枝の間の光の中に飛び込んだのを思い出した。
だとしたら、ここはあの光の向こう側なのだろう。大男の側に不思議な乗り物がとめられている。
「そうだ、名前も名乗ってなかったね。俺は、ハンスだよ」
「はんす?」
あまり聞きなれない名前である。外見からしてそうだったが、このあたりの人間ではないのだろう。
「でね、こっちは、リケンさん」
そういって男は、肩にとまっているカラスをさした。カラスは、やれやれと言いたげに首を軽くかしげる。
「リケンじゃここいらの地域じゃ通用しづらいだろう。ラシードの方で名乗っておくよ」
「ラシード?」
その名は確かに西方ではよく聞く名前だと記憶している。
「ラシード・ハディド。ラシードと呼びな」
「私は、シェイザスっていうの」
反射的にそう名乗った所で、ハンスは屈託なく笑ってうなずいた。年齢がいくつか知らないが、成人はしているように見えるのに、なんとも子供っぽい雰囲気の男である。
「シェイザスか。よろしくね」
シェイザスは、立ち上がる。改めて辺りを見回してみるが、辺境の森の中ではなさそうだった。後ろの方に深い森が見えているのでそれが辺境なのだろう。けれど、てんで知らない風景だ。なんだか不安になってきた。
「ここ、どこ?」
「ここはねえ、俺もよく知らない」
身も蓋もないことをハンスはいう。
「なんか、あの光の中を通るとここに出ちゃうんだよね」
「ひ、光の中を?」
「扉だよ、扉」
いきなり、ラシードが口を挟んだ。
「あれは、扉なんだよ。門と例えてもいい」
「どういうこと?」
「どうやら、ありゃあ、異界への入り口なのさ。で、出口がソコ。ちょいと森の外にでちまったが、お前さんならわかるだろう?」
ラシードは、羽を広げて背後を振り向くように促した。
後ろを見ると森の中に、何か薄く光が立ち上っているのが見える。
「何か、見えるわ」
「えー、そうなんだ。俺にはここまでくるとさすがにわかんない」
ハンスが無邪気に首を振る。
ラシードは、軽く羽ばたいてシェイザスの肩にとまった。
「まあ、反応としちゃあ、ハンスのが普通だろ。この娘はちょっと勘が鋭いらしいからな」
そばで見るとラシードは、首にペンダントをかけているらしく鎖が見えた。その先に見えるのは人間の指輪のように見える。
「あれが出口だ。入り口から入って出口から出た。それだけの話。まあ、それじゃあ困るんだけどな」
ラシードは、うんざりした口調になっていた。
「本にはあそこの入り口から入れば、元にも戻れるって書いてあったのにね」
ハンスは、そういって荷物袋から立派な書籍を取り出した。大きくて重そうなものだ。
「そうだが、スピードを緩めたし、入射角とか色々条件があるんだろ。もう一度読み直して、解読しなおさなきゃならねえ」
「それは面倒だなあ」
ハンスは、危機感の全くない声でそう答えると、本のページをめくっている。
シェイザスは、どきりとしていた。
最近目撃されている奇妙な男は、大男で金髪で不思議な乗り物に乗っているという。そして、盗まれたエノルク書。シェイザスとて、エノルク書の実物をみたことはないけれど、今ハンスの持っている本は、もしかしたら――。
「それ、エノルク書?」
シェイザスは、そっと言葉に出してみる。
「えのるくしょ?」
ダルシュと同じようなアクセントで、ハンスはシェイザスの言葉を反芻する。
「エノルク書だと?」
ラシードが口を挟む。
「なるほど、俺の読みもまんざら外れちゃいないな」
「あ、そうだね。リケンさんも、エノルクって読んでたもんね」
ハンスが無邪気に同意する。
「それじゃあ、貴方達がそれを盗んだの?」
「盗んだなんて人聞きが悪いなあ」
ハンスは、かすかに不服そうに眉をひそめる。
「だって、王国の騎士団の人たちがそれを探しているのよ」
「ええ? そうなの? どうしよう、これ盗まれたものだったのかな?」
ハンスが、例の子供っぽい口調でラシードに視線を向ける。
「俺に聞かれたってわからねえよ。でも、そいつがないと、今の俺達は非常にまずいぜ」
ハンスは、シェイザスのほうを振り向いた。
「これは、俺が夢の中で拾ったんだよ。これと、赤い石を一塊拾ったんだ。で、ある日、目が覚めると枕元にこの本と赤い石があったんだよ。で、本を読んでそのとおりに改造したのが、このツェルベルス」
ハンスは、乗り物を指差した。
「つぇるべるす?」
「そう、ツェルベルスっていう愛称なんだ。本来は、そうね、自動二輪車っていうやつ。わかるかな?」
「……な、なんとなく」
何の動力かはシェイザスには理解できなかったが、この乗り物は、からくりで動いているらしかった。こん、と乗り物を叩いてハンスは満足げだ。どうやら、彼はその乗り物に非常に愛着があるのだろう。
「で、本のとおりに改造したツェルベルスに乗って試験走行していたら、何故かここに来てしまったんだ。元の世界に戻る鍵も、この本の中に書いてあるみたいなんだけど、何故か白紙のページが多くてよめないんだよねえ」
ハンスは、シェイザスに本を開いて見せた。おそるおそる手を出してページをめくってみると、最初の方だけ何か読めない文字がかかれ、画像で解説がついてあった。なにかからくりについての解説のようだったが、どんどんページをめくっていくと、やがてそれが白紙になってしまった。
「試験走行中にトラブルがあって出てきたのが、この「出口」だよ」
ラシードが口を挟む。
「で、このままじゃやばいっていうんで、元の場所に戻ろうと思ったんだけど、本によるとね」
ハンスは、シェイザスに本を見せながらページをめくる。白紙ばかりの中に、地図が浮き出しているページがあった。その二点に印が描かれていて、詳しくなにか解説がなされているようだ。
シェイザスも地図は見たことがある。この地図は、それなりに広範囲だが、カルヴァネス王国からやや東よりの近隣国を描いた地図なのは間違いなかった。
「扉を示すのは、ここと、ここ」
ラシードが、印を足で指差す。
「俺達が最初にやってきた時にも、どうやらこの東の地点で出てきたらしい。一方通行らしくてな、来る時はこっちから出てくるが、帰りはこの西の地点でからしか帰れない、と書いてあるんだよ」
「ここ、私の村の近くだわ」
「そう。さっきシェイザスとであったところが、その地点らしいんだよねえ」
「で、ここに入れば元に戻る事が出来るって書いてあるんだが……。実際、失敗して、何故かまたこの東の地点から出てきてしまったわけだよ」
ラシードがあきれた様に首を振った。
「やっぱり、スピードとかあるんだねえ。研究の余地ありだなあ」
他人事のように明るいハンスは、別に落ち込んだ様子もない。
「それじゃ、もう一度チャレンジしなおしってことだね。西の地点に行くのにはどうせ時間がかかるもん、その間にゆっくり解読しなおせばいいよ!」
ハンスはやたらと明るい。そんな彼にラシードはため息混じりに呟く。
「お前は、少しは落ち込め」
「なんで? 俺が落ち込んじゃったら、空気悪いよ? リケンさんも立ち直れなくなるぐらいになっちゃうよ。第一、まだ一回しか失敗してないじゃん。失敗は成功の母っていうぐらいだから、何度もチャレンジするのがいいんだよ」
「悠長なこといいやがって」
シェイザスは、二人の会話を他人事のようにきいていた。唐突にそんなことを説明されても、夢の中の話をされているようで、どうにも理解ができない。
彼らの話を真に受けるとしたら、彼らは、「ここでないどこか」からきたということになるだろう。ここでないどこかから、ここに迷いこんできてしまったということなのだろうか。
けれど、彼らが、エノルク書を抱えているのは、不穏な話である。ハンスは夢の中で手に入れたと言ったが、そんな事情が通用するわけがない。国家の重大な文化財を盗んだ嫌疑がかけられているのに、これがないと元の世界に帰れない、などという理由で所持が許されるわけがないのだ。
と、ふいにシェイザスは、エノルク書のことを思い出した。呆然と話をきいていたけれど、先ほどの地図の地点が本当だとしたら本当に東の果てだ。そして、ここは確かに見知らぬ土地である。
そして自分達がいるのが西の果てだとしたら、自分はどうやって村に帰ることができるだろう。
そこまで考えてシェイザスは、真っ青になった。
ハンスは、ラシードとまだ何かわいわい言っていたが、シェイザスが急に顔色を変えて座り込んだので、何事かと彼女の方に目を向けた。
「ど、どうしたの?」
シェイザスには、ハンスの言葉は聞こえていなかった。
こんな東の果てに来てしまって、一体どうしよう。ダルシュもお婆さまも心配しているのではないだろうか。そして、こんな所から元の場所に帰れるのだろうか。東の草原の旅人は、カルヴァネスまで何ヶ月もかかってたどり着くことすらある。この地図を見るとそれぐらいの距離はありそうに思えた。
そう考えると、薄く涙がにじみそうになって、シェイザスは、目をこすった。
「ど、どうしたんだい? 急に」
ハンスが、驚いて心配そうになる。
「どうしたの、って……。そりゃあ、こんな東の果てまで連れてこられちまったら、泣きたくなるだろ。お前、何も考えてなかったな」
ラシードが、ため息交じりに言った。
「だから、俺がガキを巻き込むなといったのに」
「でも、あそこでおいていくと、あの変な黒いやつにやられちゃったじゃないか」
ハンスは、そう反論して、シェイザスに目線を合わせてしゃがみこむ。
「そっか。ここからじゃ、あそこまで地図みたらずいぶん遠いもんね。ごめんよ、急に色々なこと言って。大丈夫だよ。泣かないで。俺たちが送っていってあげるよ」
ラシードが、またそんな勝手なことを、と困惑気味に呟いた気がした。
ハンスは、シェイザスの肩に手を置いた。その大きな手があたたかくて、うつむいていたシェイザスは顔を上げる。
ハンスは、自信に満ちた笑みを浮かべていた。
「どうせ俺たちもあそこまでいかなきゃいけないんだし、巻き込んだ責任もあるしね。でも、心配いらないよ。歩くと凄く時間がかかるだろうけど、俺たちはツェルベルスで旅をするんだから、歩いた時よりずーっと早く西までたどり着けるよ。そんな心配することないよ」
「で、でも……」
困惑気味にハンスを見上げると、彼は小首をかしげてにこりとする。
「こうなったものは仕方がないさ。逆にこの状況を楽しまなきゃあね」
シェイザスは、反射的にうなずいた。というより、彼女にはハンスを信じるほかの選択肢はなかったのであるが――。
これから不安で一杯の旅が始まろうとするのに、ハンスは立ち上がってのんきに背伸びをするのだ。
「よーし、決まったね。それじゃあ、また西へ向かおう!」
ハンスの快活な声と裏腹に、ラシードがため息まじりにやれやれと呟いたのをシェイザスは聞いた。