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辺境偽典-ヘンキョウギテン-  作者: 渡来亜輝彦
1・青年ハンスとエノルク書
2/3

1-1

 向こう側に鬱蒼とした森が生い茂っていた。

 その森から向こう側を「辺境」とここでは呼んでいる。そもそもは、国境地域を指す言葉であった辺境を秘境である森に適用しているのは、そこがそのまま人の文化圏の境目となったからに他ならない。人が辺境と向かい合ってすでに随分長い時間が経過していたが、いまだに辺境は人の立ち入りを拒んでいる。

 しかし、ここに住む人間なら、辺境と向かい合わないわけにもいかなかった。入ってはいけない場所ではあるが、その入り口付近には珍しい薬草も生える。乾燥した草原地域の多いこの場所では、辺境はいつもそこにある資源でもあった。

 シェイザスの養親である占い師は、医術を多少心得ていて、辺境の森に程近い場所の薬草を乾燥させて薬として用いていた。今日はそれをとってきてほしいということだった。危険な辺境の森ではあるが、その境界線より手前であればそれほどの危ないこともない。ただ、入る場所は気をつけなければならないので、シェイザスは、皆が入る森の入り口を目指して街道を歩いていた。近道すればもっと近い場所に森に入ることの出来る場所はあるのだが、道に迷うと出てこられない。

 ふと、おーいと後ろから声がかかった。よく知っている声だったので、シェイザスは、声をかけた人物を予想して振り返る。後ろから走ってくるのは、一人の少年だった。近所に住んでいるダルシュである。

 彼もシェイザスと同時期に村に来た孤児だった。子供のいない農夫のもとに引き取られた彼とは、そうした同じ境遇だったこと、そして年頃も同じだったし、家も近くだったので兄弟のように仲が良かった。

 どこか大人びたシェイザスと違って、ダルシュは、年相応のやんちゃな男の子だったが、シェイザスは、表向きは適当にあしらいながらも、彼のそうした素直な子供っぽさを気に入っていた。

 シェイザスが足を止めると、ダルシュはあっという間に彼女の側まで駆け寄ってきた。同じ年頃の少年の中では、彼は運動能力に恵まれた方だった。

「どこにいくんだよ」

 シェイザスが、なにか用? と言いたげにしているのを見るまでもなく、彼はそうきいた。

「薬草を取りに行くの」

「薬草?」

 ダルシュは、目を大きくして首をかしげた。

「何だ。辺境にいくのか?」

 あんなところ危険だろう、という表情をしている。

「ええ。おばあさまに頼まれたもの。なあに、ダルシュ、ついてきてくれるの?」

 シェイザスは、彼に視線を合わせてきいてみた。少し背が高く、性格の割りに整って気品のある顔立ちのダルシュが、一瞬ドキリとした様子を見せたのが、瞳越しにわかる。

「ん? ま、まあ、暇だから、いいよ」

「それだと助かるわ」

 シェイザスは、わずかに微笑んで答え、さっさと歩き出す。慌ててダルシュがついていく。

「本当は、あまり辺境の森に入るのは好きじゃあないんだけど」

 ダルシュは、今になってそんな本音を漏らす。

「お前の所のばあさんは、よくお前を一人で辺境に行かせるよな」

「そんなに危ない所じゃないわ。奥にさえ入らなければ」

 シェイザスは、ちらりとダルシュを振り向きながら答える。

「森に入るのは、入り口からほんの少しのところまでよ。そこまでなら、恐いこともないもの」

「そうかあ。でもよ、なんとなく不気味だろ?」

「それはそうかもしれないけれど」

 ダルシュの感想はもっともだろう。シェイザスは、小さな頃から不思議な物を見たり、感じたりすることが多くて、そういう面では達観している部分があるけれど、一般人はそうでない。辺境の森のただならぬ気配、何か得体の知れない未知のものが存在するという確信は、人間の心に一方ならない不安を抱かせるものである。

 ふいにダルシュの視線が、街道の向こうに向いた。蹄の音が聞こえるのだ。旅商人だろうか。と、シェイザスがダルシュの視線を辿る。

 砂煙を上げて馬に乗って向こうからくるのは、意外にも煌びやかな武装をまとった男達だった。彼らの背中に旗が見える。

「カルヴァネス王国の王立騎士団だ」

 ダルシュが、キラキラした目になった。

 農夫の養子になったものの、ダルシュは力も強く体格も恵まれているし、何せ気性も激しかったので、そうした軍人に憧れを抱いていることは知っている。特に、今やってきているのは、どうやら旗の紋章からして武官達の中でも花形である王都キルファンドの騎士たちである。それがやってくるのだから、ダルシュの興奮もただならなかった。

「すごい。何かあったのかな!」

 ダルシュは、興奮した様子になりつつも、邪魔にならないようにシェイザスを伴って道を譲る。その目の前を、騎士達がまっすぐに通り抜けていく。十人はいるようだ。ダルシュが興奮するのももっともで、通常、こんな田舎まで王立騎士団がやってくることは少ない。十人もやってきたのだから、何か一大事なのだろうと、シェイザスは、傍らで目をきらめかせているダルシュを尻目に、ふと不安を抱いていた。

 と、その時、後続していた一人の騎士が、二人の前で馬を止めた。

「やあ、お前達はこの近くの村の子かね?」

 騎士は挨拶をして、馬から降りて声をかけてきた。立派な口ひげをした男で、気品のある顔立ちをしていた。結構な貫禄があったが、年のころはよくわからない。外見より若いのかもしれないとシェイザスは思った。

「は、はい、そうです!」

 ダルシュが、どきどきしながら元気一杯に答える。

「そうか。それなら、聞いてみたいのだが、お前達、ここいらで怪しい男をみなかったかね」

 騎士に聞かれて、二人はきょとんと顔を見合わせた。

「怪しい男ですか? ええと、このあたりでは、昨日から特に他所の人間は出入りしていないと思います!」

 声をかけられたという興奮もあいまって、ダルシュが顔を真っ赤にしながら答える。

「そうか。確かに東に逃げたときいているのだが」

「何かあったんですか?」

「うむ。エノルク書が盗まれたのだ。そのうちこの地にもふれが回るだろうが」

「えのるくしょ?」

 ダルシュが、意味がわからない様子でそう単語を反芻する。その単語を聞いたとき、シェイザスの頭の中で何かがはじけた。

「エノルク書ですか?」

 黙っていたシェイザスが、反応したのでダルシュが驚いたように彼女の顔を見る。

「エノルク書は、王国の宝物だ。初代国王が、この本を手にした時に、けして他人には手に触れないように保管せよ、との啓示を受けたとされている。それゆえ、建国以来、他人の手に渡さないように厳重に管理されてきたものだ。それが盗まれたというので、先日から国中に騎士団が派遣されて捜索をしている」

 騎士がダルシュにそう説明をする。

「手がかりはないのですか?」

 ダルシュがたずねると、騎士は首を横に振った。

「どうやら男であるらしいということはわかっているが、目撃証言が極めて乏しい。ただ、一つこのあたりに気になる情報があってな。それで私はここにきたのだ」

「気になる情報?」

「最近、このあたりで不思議な乗り物に乗った謎の男が出没しているという。そいつは大男で、どうもこのあたりの人間でないような風貌をしているらしい。なにか関連があるのかもしれないと思ってな」

 二人は顔を見合わせる。今の所、村の大人達がそんな男の噂をしている様子はなかった。

「もし、何か不審なものを目撃したら、村の役人か、我々の詰め所に連絡をよこすようにしてくれ」

「はい!」

 騎士はそういうと、馬を駆って仲間達を追いかけていってしまった。

 それを憧憬の目で見送ると、ダルシュはやや興奮気味にシェイザスに顔を向ける。

「なぁなあ、えのるくしょってそんなに大切なものなのか」

「うん。カルヴァネス王国の宝物庫にたいっせつにしまわれている本なの。おばあさまに聞いたことがあるわ」

 シェイザスは、続ける。

「最初の王様が、本をどこかで見つけてきた時、絶対に他のものに渡してはならない。お前が保管するように。悪用されると大変なことになるから、って神様に言われたんだってきいたわ。それから、王国では、あの本を厳重に保存しているはずだったの」

「でも、それが盗まれたって……」

 ダルシュは、眉根をひそめた。

「それって凄い大変なことなんじゃないか!」

 いまさらのようにダルシュが焦った顔つきになる。

「大変なことだから、あの人たちが慌てているんだとおもうわ。でも、宝物庫って凄く厳重に管理されているはずなの。特にカルヴァネスは騎士団を抱える国だし、警備の体制も十分に出来ているってきいてたんだけれど」

「ふうん、そうだよなあ。そんな大切なもの盗まれて、誰に盗まれたのかもわからないって……。でも、あの人が言ってた、変な男っていうのがやっぱり怪しいんじゃないかな。俺も今日から注意してみてみよう!」

 ふと、シェイザスは、何か気がかりになった。おそらく、その変な男とエノルク書の盗難事件が、何か彼女の直感にひっかかったのだろう。だが、一体何がひっかかったのか、その時は結局わからなかった。

 いつの間にか、目の前に森の入り口が見えてきていた。


  *


 森の入り口から少し入った茂みで、薬草を刈り取っていると、いつの間にか太陽が高くのぼっていた。

「よいしょっと」

 刈り取った草をばさりとその場において、ダルシュは背伸びした。

「ああ、中腰でいると疲れちまうよなあ」

 なにやら老けたことを言う。ダルシュが刈り取るのは、薬草だけでなく、周りの雑草も混じっていることがおおいので、シェイザスは、ダルシュに草を刈らせて、必要なものを選び取る作業に入っていた。

「そろそろ、大分取れただろ?」

「そうね。あと、もう一つ違う種類のをとらなきゃいけないの」

「ええー? まだあるのか」

 ダルシュは、少しうんざりした様子で座り込む。その反応が面白かったのか、シェイザスはくすくすと笑ってしまった。

「でも、もうお昼になるから、お昼ご飯でも食べる?」

 シェイザスは、手に持っていた籠を引き寄せた。そこにパンを三つほどと葡萄を搾った飲み物を持ってきていた。念のために多めに持ってきておいて良かったと思った。

「おう、そうしようかな」

 ダルシュは、それを聞いて嬉しそうにした。

 シェイザスは、籠に手を入れて持ってきた昼ごはんを取り出そうとして、ふと首をかしげた。手に、明らかにパンや瓶とは違う感触がしたのだ。指先に当たったのは、紛れもなく金属の冷たい感触で、手のひらぐらいの大きさがあるようだ。そんなものをもってきていただろうか。

 シェイザスは、そっと中を覗き込んで、そして、どきりとした。

 籠の中できらりと何かが輝いている。金色に輝くそれにはつまみがついており、シェイザスは恐る恐るそれを押してみた。難なくふたが開き、中から見えたのは時計盤だった。

 見覚えがある。これは、『懐中時計』だ。夢であの不思議な男が自分の目の前で拾い上げて見せたものに間違いない。

「どうした?」

「え?」

 小首をかしげているダルシュに気づいて、シェイザスは咄嗟に首を振った。

「なんでもないわ」

 まさか、夢で拾った時計だなんて言えない。いくらダルシュでも、信じてくれないと思うし、シェイザスも自分でも何かの間違いだと思ったのだ。思わず、時計を籠に戻して何事もなかったかのように籠を置きなおすと、シェイザスはダルシュにパンを二つ渡した。

 倒れている木の上に座って、二人は昼食をとることにした。ちょうど、森の木々が抜けて、木漏れ日が差し込んでくる。まだ森の入り口付近であるので、緑も浅く、森の中はさわやかな光で明るかった。どこからか、鳥の声がしている。パンをちぎって口に入れながら、シェイザスはぼんやりとその風景を見やっていた。

「なあなあ、さっきの騎士の人が探してた男、このあたりに本当にいるのかな?」

 ダルシュが、パンを頬張りながらそうきいてきた。騎士に憧れのある彼は、いまだに先ほどのことがきになるのだろう。

「どうかしら。だって不思議な乗り物に乗っている大男なんて、とても目立つわ」

「そうだよなあ。すぐにわかるよな」

 ダルシュは、少し唸った。シェイザスは、少し笑う。

「ダルシュ。情報を手に入れて、騎士様にほめられようと思っても、ダメよ。そんな簡単に物事はすすまないわ」

 言い当てられて、ダルシュがどきりとした様子になる。

「お、俺はその、別に」

「すぐにわかるわよ」

 シェイザスは、くすくす笑ったが、ふとまじめな顔になる。

「でも、確かに、さっきのこと、なんだか気になるわね」

「そうだろ」

 ダルシュが、似合わないまじめな顔を作るが、シェイザスの心配はダルシュのものとは違うものだった。

 やはり、シェイザスは、ずっと先ほどの話がひっかかっていたのだ。盗まれた本、目撃されている不思議な男。

 不意に、籠に視線がいった。まだあの時計は籠の中にあるのだろうか。先ほどは自分の見間違いだったのではないだろうか。シェイザスは、不安になる。

 あの時計を見たことで、シェイザスは、今朝の夢をはっきりと思い出していた。

 紫に染まる辺境の森。

 狼人のような金髪の大男。

 そうだ、彼は古い本を抱えていたのではなかっただろうか。夢の中で拾ったのだといって。

 聞こえるはずがないのに、時計の秒針の動く音が聞こえてくるような気がする。

「ダルシュは、辺境の狼人って見たことある?」

 何気なく、シェイザスはそんなことを口にしていた。

「へ? 狼人?」

 いきなりそんなことを聞かれて、ダルシュは面食らったようだった。

「いるって言う話だけど、俺はあったことないな。だって、辺境の森もめったに入らないし、あいつらは森の中にしかいないってきいてるし。でも、時々、森の外を旅している狼人もいるんだっていう話をきいたことはあるよ」

「そうね。でも、この森の奥にはきっといるのよね」

 シェイザスはそういってため息をつく。

「うん、でも、別にこっちが悪いことをしなきゃ、襲ってきたりしないだろうし、大丈夫だよ」

 ダルシュは、シェイザスの心配の原因を知らず、ただ単に森の中で不安になっていると考えているのだろうか。そういって笑う。

「そうよね」

 シェイザスは、ふと籠に目をやる。あれが幻であってくれれば、こんな不安な気持ちを覚えなくてもよいのに。

「あのね、ダルシュ」

 思い切って声をかけてみる。いやに思いつめたようなシェイザスの様子に、ダルシュが怪訝そうな顔になる。

「私と一緒に、この籠の中を見てほしいの」

「はあ?」

 ダルシュは、目をしばたかせながら、シェイザスと籠を見比べた。何の変哲もない籠だ。それから先ほどパンを取り出したのは、シェイザス自身だったではないか。

「どうしたんだよ? なんか、虫か蛇でも中に入ったのか?」

「そうじゃないんだけど」

 思わず、シェイザスは、口ごもる。ダルシュの視線を受けて、夢で拾ったものを確認してほしいなどという自分の要求が馬鹿馬鹿しいことのように思えてきた。しかし、何かが不安なのだ。この不安は、間違いなく予感に違いない。

「あのね、ダルシュ、実は……」

 シェイザスがそういいかけたとき、不意に空が暗くなった。顔に落ちた暗闇に、ダルシュも気づいて顔をあげる。

 木の間から漏れてくる日の光が、暗くなってきていた。木の枝の向こうに透けて見える太陽の形が欠けている。

「日蝕だわ」

 シェイザスがぽつりと言った。

「えぇ? それってやばいじゃねえか!」

 日蝕は、とても不吉なことだといわれている。それも、通常天体の運動で起こるといわれている日蝕ならまだよいのだが、それでも予測しきれないものは、辺境の森の深奥にある精霊が起こすものだといわれている。外にいても不吉なものであるのに、辺境の内側に入り込んでいる今だと、もっと不安になってしまう。

「外に出よう!」

 ダルシュが、そういって立ち上がり、集めた薬草をかき集めた。シェイザスも慌てて作業を始める。

 周りがどんどん暗くなっていく。二人は、慌ててかき集めた薬草を籠の中に入れた。

 その頃には、ずいぶんと空は暗くなっていた。急に森がざわつき始め、不安がどんどん膨らんでしまう。

 何故か、黒い霧まで出てきたようで、急に視界が暗くなってきていた。

「なんだか様子がおかしい。早く出よう!」

 ダルシュが、そういってシェイザスの手を引いた。

 帰り道をいそぐ二人だが、視界はその間もどんどん悪くなっていく。辺境の森の中は、足元が悪い。明るい時なら、それほど険しいものではないが、草むらを駆け出すと、どうしても足を草の根やつる草にとられてしまう。

「早く! なんだか変だ!」

 ダルシュが振り返ってそう声をかける。その姿さえ黒い靄がかかって見えづらくなってきている。

 周りが暗い。何か足元を黒い何かが触ったようで、シェイザスはぞっとした。


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