大火への布陣
MGR社。近年では日本支部にマスコミや国家権力等の力入れがされているが、その本部はイタリア、細かく言えばサルデーニャ島にある。
本部の役割として日本支部への金銭、人員支援が主として知られるが、事実は最先端技術の発見。また、埋もれた科学的才能の発掘にある。
つまるところが、科学の『総本山』であるのだ。(日本支部は科学と魔術がちょうど半々となっている)
サルデーニャ島全土を使ったビル群。その全てが連絡通路により網目状に交錯し、繋がっている。それがMGR社本部の外観だ。
内部の様子は、特殊なガラスにより視認も、電波による透視もできない。
その第一煉と呼ばれる幾つもあるビル群から一つ飛び出た全てのビルに対する入り口の建物から、二名のスーツ姿の男性が出てくる。
先頭を歩くのは、黒髪黒目の日本人然とした青年。達観したような眼差しをしている以外、特筆した点は見られない。
その二歩後ろに控えるように歩むのは、茶色い髪に青い瞳をした少年。容貌が自信を表すように高圧的なのが特徴だ。
「それにしても、君がこうやって誰かに付き従う何て白々しいにもほどがあるね、己世界おのせかい君」
青年の方が口を開いた。
「いやいや。あんたには従うしかないだろ、新さん」
少年の方が、内容とは裏腹の口調で青年の名を呼ぶ。
MGR社科学サイドリーダー夜霧新の名を。
「うわ、さん付け似合わな」
「嫌悪感満タンの顔するなよ。一応礼儀は重んじるんだぜ、俺様も」
「はいはい。……じゃあ、警護共々お願いするよ、第一位」
第一位。今の世界にてその言葉から連想されるべきは、一つだ。
特殊才能保持者ランク4、第一位の座。
『自己世界マイワールド』。〈独裁王〉の己世界。基本的な特殊才能は、世でただ一人しか発現していない唯一無二オリジンの創出系。そしてレベル2は−−
界は羽織っているスーツの上を脱いだ。そのまま適当な動作で腕にかける。
すると背から自然な事のように光沢のある黒い翼が生えた。長くて幅もあり、先端が尖っている。オオグンカンドリを思わせる形だ。
さらに界を中心に、円形の微妙な空間の歪みみたいのが見れる。
「−−さて、行くぜ新さん。ただでさえ短いんだ。バチカンなんざ俺様の前では大した距離じゃねぇ」
「無論だよ」
新は躊躇なく歪みに足を踏み入れ、界は新の身体を片手で持ち上げた。
「知っていると思うが、俺様の世界に入ったからな、別に喋っても唾を飲み込んでも構わないからな」
嘲弄とも見れる笑みを浮かべる界。
それに新は、馬鹿を見る目で返した。
「考えてからものを言えよ。君を発掘したのは、この僕だ」
「そりゃそうですな」
新を肩に担ぎ、翼をはためかせる。
まばたき一つ。その間に二人は、この場から消え去った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
バチカン市国。中世の街並みを思わせる古びた外観の建物と、緑豊かな自然が共存する不可思議な国である。
アルファによる変革の影響が比較的に少なかったため、森林の伐採などは行われなかった。
その敷地面積は日本の北海道より小さく、島国の県にすら及ばぬ最小国家が国家として存続できているのは、ある役割を担っているためである。
バチカンは、ローマ教皇庁によって統治されるカトリック教会と東方典礼カトリック教会の中心地、いわば『総本山』である。現在もそれは変わらず、バチカンの統治者もローマ教皇のままだ。
しかし、幾年月のなかでは変わらぬものはない。潮流は変化をもたらす。
もう一つの顔が生まれた。つまり、魔術師達の本拠地。
最大規模を誇るカトリック教は、隠れ蓑として様々な面で便利なのだ。
常人には理解できない科学が世界を覆い、ある種の宗教と同じ側面を持つ現代も、たとえ数は減ろうと神を信じる仔達の存在は消えはしない。
いや、それだけでは済まない。神という存在が公式に認められてから、その信仰心は信仰者の減少と反比例するように高まった。
そんな背景から、バチカンに集まるのは敬虔なカトリック信者のみ。
行き交う神の子の信者達にに紛れ、重き歴史を地盤とする古き都にて二人の女性が歩みを進める。
一人は白銀の髪を左右でまとめ肩まで垂らしたロリータファッションの幼子。
もう一人は、千ページはあろうハードカバーを脇に抱え楕円形の黒縁眼鏡をかけた司書のような気難しさのある賢女。
眼鏡の賢女が、業務的に口を開いた。
「穏やかですね」
「不可侵国家」
幼女は端的に、そう答えた。
「科学にその領分を奪われた魔術オカルト。その唯一の抵抗の砦が、ここですか」
呟く賢女は、立ち止まり目の前に広がる建物を見上げる。
サン・ピエトロ大聖堂。
白き外観は何者にも汚されない事を象徴し、堂々と構える様は不屈の雰囲気を漂わせ、人々が心のより所とす最後の砦として荘厳さと神聖さの入り混じってそびえ立っている。
「久方振りだ」
そこから一人の老人が重く低い挨拶と共に出迎えへやってくる。
皺の寄った白肌の顔は歴戦の老獪さを雄弁に語る。顎に生える髭より清く白い修道服を身にまとったその姿は、神に仕える従者だと容易に想像させた。
その姿は、事象改変により人の認識に働きかけ、その姿を高位の魔力を持たぬ者以外には見られないように細工されている。
彼の老人が届けた挨拶に無言を返す上司の替わりに、眼鏡の賢女が驚きを含めて返す。
「初めまして、ローマ教皇。談合の地にこの古き都を提供していただいた事、水仙蒔華すいせんじはな、そして恐れ多くも私、思惟秤しゆいはかりが感謝の意を述べさせていただきます」
せせらぎのような自然な動きで二人は頭を下げる。
「よい、魔術界の実権は水仙蒔殿に提供しておる。彼の仇敵との談話、是とも魔術縁の地にて臨んでいただきたい所存であっただけのもの」
伸びた白髭を扱しごきながら、恭しく、しかし厳かにローマ教皇は告げる。
その言葉を合図に二人は頭を上げた。
焦点が合った瞬間に、ローマ教皇はサン・ピエトロ大聖堂へ身体を向けた。
「ついて参れ。夜霧殿はまだ到着しておらぬが、先に会議室へと案内いたそう」
「ローマ教皇直々に案内してくださるとは……恐悦至極に存じます」
湧き上がる驚愕を声に乗せて感謝の意を示す。
「今日こんにちの会議は時間差なく集団の目に晒されるもの。故に場所を特定されるのは避けたい。部下に任せるわけにもいかないだろう」
「ごもっともです」
そもそも解っていた事に理解の意を表しつつ、その背に一つの質問を投げかけたい衝動に襲われた。
「………………」
が、はぐらかされ、しまいには無礼千万を突きつけられても異は唱えられない。無駄な軋轢を生んでまでする質問ではないと、思惟秤は諦めた。
彼女はその程度には優秀で、葛藤してしまう程度には馬鹿であった。
頭を悩ませている間にも足は進んでおり、意識が外界へ向く頃には内部へ入っていた。
一言で言えば絢爛豪華。中世の城と言えばこれをイメージするだろう内観が奥に広がっているのが見える。
今足を進めている長い道も、壁に煌びやかで細かな意匠が組み込まれ、しかし無駄なく建物を支えている。
そんな風景に感動を覚えながらも、自らの役割は忘れない。
水仙蒔華の補佐役として、ローマ教皇を見定めるため関連する情報の羅列を脳内で再生する。
マジックサイエンスウォー開戦前まで魔術界トップは、各宗教の長が世論に影響を与える表向きの、その裏に世襲制で選ばれた魔術師二人が居るという制度が採られていた。
だがある時代からローマ教皇と魔術師二人、という構図が出来上がった。
ファティマの予言による影響だ。
カトリックに伝わる様々な奇跡を引き連れた聖母マリアより、三人の子供に伝えられたという三つの予言。
第一の予言−−第一次世界大戦の終戦。
第二の予言−−第二次世界大戦の勃発。
明かされていた予言は、以後の時勢をピタリと当て、人々の興味を集めた。
しかし第三の予言は、その内容からローマ教皇の一存により封じられ、聖母マリアより命じられた一九六〇年を過ぎても封切られる事はなかった。
しかし二〇〇〇年五月十三日に、ローマ教皇庁は、六十年近く封印してきたファティマ第三の予言について、一九八一年に起きたヨハネ・パウロ二世の暗殺未遂事件を暗示する内容だったことを初めて明らかにした。
ファティマの地で行われた教皇による列福式典で教皇庁は、この予言が『白装束の司教が十字架に向かう歩みの途中で銃弾に倒れ、死んだように見えた』幻影だったと発表したのである。
だが前述にある二つの予言とのスケールの違い。
六〇年代になってこの記録を閲覧したローマ教皇ヨハネ二十三世はその内容に絶句し、再度封印してしまい、続いて次代の教皇パウロ六世も再度封印を解いたが、そのあまりの内容に数日の間、人事不省になったという。
以上の事から、民衆は真の予言は隠匿されたと感じる。
民草は愚かであっても馬鹿ではなかったという事だ。
そしてそれは、核戦争や第三次世界大戦の勃発という終末の引き金だと語られ始めた。
その予測は大方正しかった。
マジックサイエンスウォー。第三次世界大戦というには一つも国が参戦しておらず、しかしその結末は世界に大きな変革をもたらした戦争。
白装束の司教を魔術に置き換え、銃を科学にしたならば。ファティマ第三の予言は、今の時勢を言い当てている。
魔術が科学に殺される。それはあってはならぬ事だと魔術師達は思っていたし、闇へ秘していた魔術の存在を明るみに出す事もできない。それ故に、ファティマ第三の予言は、時期が来るまでローマ教皇以外には隠匿されてきた。
そしてファティマの予言が全て実現した今、全てを知っていながら抗えなかった自分カトリックに指揮の一部すら採る資格なしと、全権を現魔術師トップ−−水仙蒔華へと委譲するよう他宗教へ働きかけた。
夜霧の台頭により力を失っていた他宗教は、今なお最大勢力を誇るカトリックの長に抗えるはずもなく、また今の時代に夜霧に対抗できる実力・・を持つ者は魔術を生業に生きる奇跡の具現者しか居ないと、多少の摩擦はあれど全権は水仙蒔華へと渡された。
(けれど……)
と思惟秤は思う。二つの不安要素があると。
(華さんに全権が委譲されたのは、前ローマ教皇の時。現教皇であるピウス十三世はかなりきな臭い)
謎の懐刀〈夜〉。彼の凶刃を使役し行った〈聖人〉結神契の親族殺し。
他にも様々な場面で〈夜〉に邪魔や危害を加え続けられた。かなり優秀な暗殺者で、証拠は何一つ残さずピウス十三世の地位を盤石なものとしている。
(それに、ファティマ第三の予言は、全てが履行されてない−−)
「止まれ」
ファティマ第三の予言について思考を向けようとしたその時、ピウス十三世に静止の声をかけられた。
勘案をしていても決して外側への注意を忘れなかった思惟秤は、この場までの道のりを覚えている。
関係者通路を通り、魔術的に壁だと何重にもカモフラージュされた先にある清潔な実験場を思わせる白の廊下。奥に向かって幾つもある扉の一つの前に居た。
「この部屋が会合の場である。全権を預けているが故、私は参加できないが……健闘を祈っておりますぞ」
「要努力」
ようやく返した言葉は、ぴんと張られた緊張の糸を緩ませる。
水仙蒔華の性格、というか性質みたいなものをよく知る思惟秤ですら冷や汗を知覚できるくらいに流している事を鑑みれば、眉一つ動かさなかったピウス十三世の胆力はすさまじいものなのだろう。
(相変わらず何を考えているのか理解できない……)
困惑の思考を小さな溜め息一つで追い出し、仕込みを入れる。
「すいません。お手洗いはどこですか?」
「この先を行くと十字路に出る。そこを左に曲がって左側三番目が女性用だ」
手振りを交えて懇切丁寧に教えてくれたピウス十三世に礼一つ言わず、水仙蒔華はその小さな歩幅でお手洗いへ向かい始めた。
「……! ご丁寧に、ありがとうございます」
上司のあまりの行動に呆けていたため、数瞬遅れて本来言うべき言葉が紡がれた。
「それでは、私は夜霧新殿を案内せねばならぬので暇す」
特に気にかけた様子もなく、ピウス十三世は来た道を戻った。
(ああいうのが上に立つ者余裕なの?)
内心で自分みたいなタイプには絶対に理解できない世界だと、微妙な感慨を得ながら、思惟秤は会談部屋の扉に手をかける。自分側に寄せて、扉は開いた。
淡色の床や壁はMGR社製の特殊演算型鉄板。部屋の中央にはゴム−−正確には人工的に精製されたゴム−−の机が二つ、くっつくように並び、同素材の椅子は机に対し一つずつ。そして周りには、それらを死角なく収めるために配置されたカメラが音なく佇んでいる。
「んっ」
動作に伴う声一つ。思惟秤は一考する事もなく、それが自然という風に上座、つまり入り口から遠い席の右斜め後ろに立った。
しばらくそうしていると、扉が開いた。
現れたのは、お手洗いに向かっていた水仙蒔華。
椅子を引きながら彼女に向かって、一つ言葉を投げかける。
「お花摘みは済みましたか?」
「終了。完璧」
歩み出しながらサムズアップ。
思惟秤も同じポーズで返せば、入り口近くの椅子を自ら引き、小さな身体を収めた。
「入り口側」
「はあ……?」
引いた椅子はそのままに、思惟秤は上司の奇行に首を捻りながらも従った。
そのタイミングを狙い澄ましたように、声が来た。僅かな風の乱れと共に。
「お待たせしました」
スーツ姿の男性二人。
一人は達観した眼差しを持つ青年。
一人は全てを見下すような炯々とした瞳の少年。
特徴的な双眼を見据え、水仙蒔華は座ったまま会釈する。
「挨拶」
端的な言葉。しかし、
(空気が……変わった)
無色透明だった空気が、鈍色の空気へ変わるように感じた。
向こうの代表は笑み。こちらの代表は無表情。
余裕な感をまとわす青年は、右斜め後ろに少年を従え上座に着く。
「さて、定時ですし始めましょうか」
警護の役として従う己世界は、周りに所狭しと並ぶカメラの電源が入り、放映が始まったのを認識した。
(それにしても……純粋な魔術師ってやつはこんな線の細い女ばかりなのか?)
探るような目線で二人を観察する。
彼が知っている魔術界から抜けていない魔術師は、先に案内してくれたローマ教皇を除けば、全員女性だった。それも、特別身体的特徴のない。
魔術というものを見た事はあるが、交戦経験があるわけではないため、どうしても侮りが出てしまうのが否めない。
(眼鏡の女なんて思いっ切り文学少女って感じだしな。第二……いや、第三世代か。そんなに新さん睨んで、遺恨はいつまでも残るんだな……怖っ!)
内心で、喜に皮肉を混ぜた複雑な笑みを浮かべた。
そして数秒。未だ始まらない会議は己世界の意識を外側から乖離させ続ける。
(それにしても、俺様みたいな馬鹿より、道化師のような従順なやつを連れた方がいいだろうにねぇ……それとも、お気に入りは見せたくないってか?)
内心の笑みから喜を消し、思う。
特殊才能ランク一位も、夜霧新という人間の前では大した価値はないのだと。
さらに先へ思考を進めようとするが、遮られる。
ようやく口火が切られたのだ。
「北極の件、停滞?」
視線の交錯で思惑を巡らせ、数秒という少なくない時間を費やして固められた地盤は、まずは挨拶で感触を確かめられる。
「いやいや、まさか。なかなか皆さん優秀ですから……そうですね、後一年もあれば結果をご覧に入れましょう」
「承知。期待」
皮肉混じりの報告も、水仙蒔華の仮面にひび一つ入れる事叶わない。
「華さん、たまにしか会えないから世間話をしたくなる気持ちも分からなくはないけど……僕達はそう暇じゃないはずだ。話を進めよう」
その言葉に、僅かな驚きを得る。
(へぇ〜、……今はデリケートな時期って事ですかな)
いつもの夜霧新なら、むしろ世間話にこそ重きを置く。何故なら、僅かに出されたぼろから決して知られたくないだろう背景が浮き彫りになる事が多いからだ。
しかし、当たり前だが逆もあり得る。
それを踏まえて避けたというのは、決して探られたくない何かが今あるのだろう。
真意を見透かすように、水仙蒔華の目がほんの少し細まる。初めて、表情が動いた。
「……結神契の件」
果たして、何かを見つける事はできたのか。淡々と本題を告げた。
「状況を簡単に整理しましょうか。〈聖人〉である結神契氏は、我々の抱える魔術師・・・を抹殺に来た。しかしそれを魔術師・・・に阻止された。締結した法により魔術師同士の戦闘は摩擦としない。故に、結神契氏はMGR社日本支部を悪戯に破壊して回ったという結果が残ります。これは、明確な敵対の意思があると認めざるを得ませんが?」
「見解の相違。我々は、『科学魔術』を特殊才能と判断」
「それは情報調査能力の低いあなた達のミスでしょう。ベースは特殊才能ですが、レベル2−−つまり『科学魔術』は魔術に比重が置かれているのは、結神契氏の報告にありませんでしたか?」
「……朱雀の右翼は、報告から確認」
「なら、話は最初に戻りますね」
水仙蒔華の判断にこの会議の終着点を予見しつつ、己世界は内心で感想を持った。
(まあ、そっち選ぶしかないよな。全くうちのボスもイヤらしいね)
夜霧新が仕掛けたのは、魔術師の沽券を盾にとった簡単な誘導だ。
もし水仙蒔華が報告になかったため知らないという旨の事を返せば、情報収集能力の低さを認める事にはなるものの、見解の相違を理由に話を膨らませられたかもしれない。
が、それを認めてしまえば結神契を御しきれていない事を示唆する。
彼女が『科学魔術』保持者−−久澄飛鳥と戦闘したのは紛れもない事実であり、戦いの様子は一部ながら録画されている。その化け物さながらの、戦闘風景を。
そんな戦略級兵器に劣らぬ力を、魔術師は支配下に置けず、野放しにしている。
それは、糾弾されて然りな事柄である。
それを理由に、結神契をMGR社に引き込むと、夜霧新なら決定しかねない。
全ては夜霧新の手の上。
この会議は、先の大戦での勝者と敗者が繰り広げる、結果が確定したものでしかない。余程強力なカード(・・・・・・・・)がなければ、ひっくり返せない程の立場差が存在する。
果たして、今の流れを作っている夜霧新の思惑は、背を目にしている己世界には窺い知れない。
そして会議は、終着点へと辿り着こうとしている。
「さてさて、どう責任をとってもらいましょうかね、ナルツィス・ツヴィトークさん?」
余裕な語り口の中に悪意が混ぜられた台詞の内容に、水仙蒔華の表情は内心を吐露する。
その表情を正そうとしないまま口を開こうとしたのを先んじて、夜霧新は楽しそうに続けた。
「やはり仇敵に本名を知られるのは不快ですか。日本語は一つの言葉で多彩な意味を持たせられる。故に、生まれてからまず初めに名付けられるのは日本語の名前なんでしたっけ? 要は心の保ちようですもんね。初めに付けられた名は世界に認識される。だから後に本名として母国の言葉が使われても魔術は振るえる」
のべつ幕なしに語られた法則。切れたところでようやく水仙蒔華は疑問を挟めた。
「教えたの、誰?」
「キーア……いえ、錠ヶ崎寧々と言うべきですね。もちろん無理矢理聞き出したりはしていませんよ。MGRうちが魔術の研究をしていたのはご存知でしょ。その際に、教えてもらいました」
「成る程」
「皆さん本当に協力的ですよ。だからまあそういうわけで、スパイとか送り込んでも無駄ですからね」
「……認知」
その答えに満足気に頷いた夜霧新は、「さて」と前置きを入れ、
「そろそろ本筋を進めましょうか。こちらとしては、幾人か魔術師を提供していただきたいのですが。例えば……そう、そこの子とか」
水仙蒔華の右斜め後ろに控える眼鏡の女性を指差す。
それに遂に我慢の限界が来たのか。今まで魔術師に行ってきた所業、侮辱としか取れない皮肉の数々への怒りと共に始まりの一言を口にする。
「貴様っ!!」
しかしその先を言う前に、真面目な表情になった夜霧新が冷たく言い放つ。
「おい、お前なんかが発言して良いと誰が許可した。華さん、これはそっちの監督不行き届きになりますが」
「謝罪。許諾」
「あなたの顔を立てたいのはやまやまなんですが……残念。人は痛みを伴う教訓でしか学べないという実験結果が出ているので。その謝罪は受け入れできません」
「そう。残念」
常套としてはここで謝罪を受け入れる事で貸しを作る。が、現在の関係性で言えば貸しを作る事は無意味である。
貸し借り云々で関係性が変わる場所は、既に過ぎている。
ようやく自分の行いに伴う不利益を理解した眼鏡の女性は、顔を青白く染める。
「夜霧新」
失敗を犯した女性を見向きもせず、水仙蒔華はその名をこの場で初めて口にする。
「何でしょう、華さん」
「責任の取り方。提案」
「ほう、聞くだけ聞いてみましょうか」
端的に、宣言。
「−−我々魔術師はMGR社との全面戦争に移行を決断」
告げられた瞬間、全てのカメラに鉄の杭が刺さった。
全員が水仙蒔華の発言、起こった現象に思考を錯綜させる。
そんな中、発言者の水仙蒔華だけが行動を起こす。
「思惟叶、夜霧新と己世界の足止めを命令」
状況が読めない現状、唯一正しいと言える上司の命令に従う。
「軽い本には重い思いを、重い本には軽い正義感を」
起動文言クイックスペル。つまり、魔力を抑えなければいけない程の実力者だという証明。
さらにそれだけではなく、彼女は純粋な魔術の中で生きてきた本物の魔術師である。
そして逃げ出す水仙蒔華。
その背を追いかけるためテーブルに足をかけつつ、
「己世界。殺さない程度に、やれ」
そんな相手と対峙させる第一位に、夜霧新は気軽にそう告げた。
「−−了解」
答える声も、気軽。
「行かせるか! 無礼の数々、命を以て贖ってもらう!!」
上司の命令以上の行動は、私怨によるもの。
脇に抱えたハードカバーを宙へ投げ出し。しかし、
「ハッ、テメェはもう、俺様の空間に捕らえられているんだよ」
指を交差させ、音を響かせる。
すると、風景はそのままに何か(・・)がずれる。
「??」
疑問符を浮かべる眼鏡の女性に、嗤いながら答える。
「テメェら魔術師に合わせて答えようか。特殊才能ランク一位の俺様−−己世界の特殊才能は『自己世界マイワールド』。この部屋の次元を俺様の心の殻の中に合わせた
「そんな事が……!!」
「あり得るんだな、これが。感情や精神みたいな電気信号とは違う、心の在処ってやつだ。全ての次元に対して互いに干渉できない。誰もが触れられない最後の砦−−人間の深奥なんだよ!」
「お前みたいなチャラけた奴が、心を語るなんて失笑させてくれる」
「ハッ、笑ってろ。けどな、俺様みたいな奴だから、こんな特殊才能に目覚めたのかも知れねえぜ」
大層面白そうに、己世界は言い切った。
だがそんな事は眼中にないとばかりに、事象は進んで行っていた。
「次元がおかしくなろうと魔術は振るえるみたいね。なら見せてあげる」
眼鏡のブリッジ部分を中指で上に押し、高らかに名乗りを上げる。
「名は思惟秤。渾名はなし。天災と事象改変の複合魔術保持者だ」
魔術は天災と事象改変の二つに分類される。
だが時たま、そのどちらかとは考えられない現象を起こす魔術が生まれる。
有名どころで言えば、結神家の紙結びからの神結び。紙千切りからの神契り。
天かみからの災厄でありながら、同時にこの世の事象を改変している魔術。それをそのまま、複合魔術と呼んでいる。
思惟秤もその使い手らしい。
「さあ、量らせてもらうわ。あなたの正義を」
宣告した瞬間、視界に影が差す。
原因は頭上。
振り仰げば、先程投げられたハードカバーをそのまま部屋の面積まで広げたような物体が生まれ、降ってきていた。
回避は不可能。この部屋のみを隔離しているため、逃げるには次元を元に戻さなければならない。
既に夜霧新はこの部屋からは出ているので構わないのだが、己世界自身の回避行動のスピードより押し潰される方が速い。
「なら−−」
言うと、ロケットランチャーが地面に生まれた。
そのままひとりでに放たれる。
直撃を告げる爆音。立つ煙が消えた先は、物理法則に違い無傷の本。
「無駄よ。私の魔術は、天秤の審判。絶対中立で一つの事以外に関しては干渉不可。ただ単純に、相手の正義感を量る。軽ければ重くなり、重ければ軽くなる」
上を仰ぎ見、眼前にまで迫っているのを視認。
そして−−直撃。
音はない。正義の鉄槌は、静かに結果だけを示す。
思惟秤の正義感は認められ、軽い圧力が一瞬鼻先にかかって、通り過ぎた。
「解除」
己世界より背の小さな自分が終えた事で結果はついた。彼女は命じ、それに従いハードカバーは元の大きさで己世界との間に落ちた。
向き直り見る。肉塊になっているはずの己世界を。
「随分と軽かったな」
声がした。決してあり得ないはずの、高圧的な声が。
「己世界……! なんでっ!!」
「そう睨むなよ。自分の事だろ? 俺様の頭上に当たった本は軽かった」
無傷の身体を誇示。
そして嗤い、断言する。
「じゃあ俺様の正義感は重かったって事だろ」
「そんな訳ない。あんたらMGR社がやっている事は悪。そこに正義なんてあるはずない! どうやって世界を騙したの!?」
「んなの知らないけどよ。一つだけ断言できる」
スーツの上を脱ぎ捨て、色物ワイシャツ姿に。肩甲骨部分が穴空いている。
その穴から、勢いよく黒く光沢のある鳥の翼が飛び出す。
前傾姿勢で羽ばたき。しかし前進はしない。
自らの世界の重力を操り、前に行かないよう不可をかけているのだ。
だが翼だけは風をつかみ続ける。
その現象が生み出す結果は−−それを容易に予想できた思惟秤は回避のため左足を軸に横へと駆け出す。
が、遅い。
世界最速の鳥、オオグンカンドリの前では圧倒的に遅すぎた。
重力制御を解除。結果、弾かれるように数メートル。その勢いが死ぬ前に翼をはためかせる。
前進。身体を捻り、翼の先で地面を削りそうなすれすれを進んでいく。
その体勢のまま行き、交差する。
残った左足の腱を鋭い翼の先端が断ち切った。
ゴムが切れたような音がした。
その後生まれた静寂の中に、人一人が倒れる音が落ちる。
「あ……ぐぁ……」
左足を押えた思惟秤の口から、噛み殺したような苦鳴が漏れた。
痛みに震える彼女へ、繋がる言葉を告げる。
「俺様の世界では、俺様が最強。それが『自己世界』の法則だ」
三次元空間。
己世界の才能で自分以外の全てが彼の空間に呑み込まれたのを現実として知った夜霧新は、床を蹴り扉へ。
開かれたままの鉄板を抜け、止まる。
「−−やっぱり君か、相馬颯真」
「お久しぶりですね」
絡みつくような声音と共に夜霧新の前に立ちふさがったのは、十五、六歳程の少年。
きっちりと整えられたストレートの黒髪。卵形の輪郭に乗るパーツは一つを除いて平凡で、それが唯一の特異点を際立たせる。
真っ黒な瞳。感情が欠けているようで異なる、そう、まるで死人のような光を反射しない目。
そこからはるか下に向かおうと奇怪な身体的特徴はない。そんな身体を外部から隔絶する黒の学ランも、またおかしな点は見受けられない。
だが、彼を構成する身体から一歩離れれば、異常が浮き彫りとなる。否、異常と言うには余りに自然な体でそれ(・・)は彼の五指に挟まれていた。
長細い、金属製の杭。先程全国中継を行っていた各国のカメラを穿ったものと同質だった。
彼の名は、夜霧新が口にした通り相馬颯真。またの名を−−
「異質な魔眼使いが、まさか僕みたいな凡人と戦うのかな?」
「いえいえ。私が命じられているのは、今のところ監視・・だけですので。から、挨拶だけでも」
手首と指の動きだけで鉄杭をいずこかに隠し、優雅に一礼。
「我々〈身喰らう蛇〉が、この世の全てを支配して見せましょう。次は新R帝国で(・・・・・)合いまみえましょう」
相馬颯真の右目が、朱色に光る。
それに呼応し、ガラスが割れるような音が響いた。すると、彼の姿は消えていた。
「……ふ」
軽く笑みをこぼし、夜霧新は駆け出す。
幸いにして、逃げた方向は右側だと見れていたので選択に時間を取られはしなかった。
走る。走る。走る。
MGR社創設者にして、夜霧のトップである彼は、人並み−−もしかしたらそれ以下の体力しか持たない。
明晰な頭脳のみで生き残ってきた彼は、ただがむしゃらに走る。
世界のため。自分のため。
その努力が実った−−わけではないのだろう。
ただの必然として、夜霧新は一つの声を聞いた。
「終わりなき鎮魂歌に、捧げる死の花束を」
次の瞬間、一面に花が咲き誇る。白と黄色の、水仙が。
それを踏み分け進めば、二人の水仙蒔華の対峙が確認できた。
「これはまた面妖な……」
呟きは虚空へ消える。事態は、夜霧新を置いて進んでいく。
「死の宣告」
逃げ道を塞いでいる方の水仙蒔華が、もう一人の自分に右手を向けた。
床に生える水仙達が揺れ、そして告げられた方の水仙蒔華に変化が起こる。
前触れなく、全身に水仙の花が咲き誇ったのだ。
「あぁぁあああ……」
苦痛に染まる悲鳴が、小さな口から吐き出される。
そのまま血色はどんどん悪くなり。
ポン、とその姿が人型の紙へ変化した。
「式紙」
呟き声と共に視線が動く。視野の外にある後ろへすぐさま振り向こうとしたその時、その華奢な首筋に鈍色の刃が押し付けられた。
小振りのそれは忍刀。
持ち主は、身体に張り付く黒衣で顔以外の全てを包み、無表情の仮面で面を隠した男性骨格をした人物。
「死ね」
一言。光を反射し煌めく刃の切れ味は、容易に肉に守られた血管を切り裂く様子を予測させる。
「やらせない」
宙から男とも女とも取れる中性的な声色が。
一瞬、黒衣の意識は声に向く。
そしてその一瞬が、全ての命を救った。
「ぐ」
思わずという風に漏れた声は、力みによるもの。
先程まで水仙蒔華の首元に添えられていた刃は、今は声の主が振るってきた小刀と鍔迫り合い。
現れた人物の姿もまた、黒衣。しかし男と違いそのフォルムはコートのようにゆったりとしており、外面にも弱点部分を中心に金属製の衣装が施されている。
それは否が応でも暗器の存在を予想させる。
また、その顔は目口の穴が深淵を思わせる無表情の面で覆われていた。
「…………」
衝突の勢いによる刀折りが叶わぬと知った中性の乱入者は、後ろへと跳躍。
着地は体勢のぶれを起こさず、声を出した。
「不意打ちの不作法、失礼。我が名は〈夜〉。ローマ教皇が懐刀の凶手。貴殿の名を訊ねだい」
「忍びに名乗る名などない!」
疾駆。風をまといて忍びは駆ける。
正面からの攻撃態勢に、〈夜〉も応戦準備に。
が、その姿は霞と消えた。
「そして」
背後から声。
反応し即座に振り向けば、右手の忍刀を逆手に、持たぬ左手は押すように尻の部分へ置いた姿の忍びが斜め上に。
「不意打ちこそ我が作法なり」
肘の動きで放たれる突きの一撃。
狙いは唯一露出した首。
「…………」
回避行動を採るには遅すぎる。
故に〈夜〉は身体から力を逃がし、膝を抜いた(・・・)。
関節の動きに後追いで筋肉が支えるようなその落ち方は、普通に膝を曲げるよりも早く身長を低くする。
その結果喉があったところが仮面になり、刀とぶつかる。その結果は、顔と首に衝撃だけを伝え刃は相殺。
さらに宙にて自由のない忍びに対し、左手を振るう。袖口から隠された鎖が飛び出て、蛇の如く巻き付きに行く。
忍びは〈夜〉の顔を足場にバク転。が、伸ばされた軸足に鎖が絡みついた。鎖の輪と輪の連結部分が肉に噛みつき、間接外しでの脱出を封じる。
「来い」
鎖を引き、忍びの身体を寄せる。
掴み所のない空中でかかる力に逆らう事はできず、引き寄せられた。
一閃。しかしそれは〈夜〉の小刀だけではなかった。
捨て身の一撃は喉を掻きに。
両手は塞がっている。
「ぐ」
初めて余裕を感じさせない呻き声が仮面の奥から漏れる。と同時に、鎖を離して横に−−〈夜〉から見て左に−−ずれる。
振り抜く。残った力に引かれる忍びに対して。
が、強制力のなくなった今、彼を縛るものはないも同然。
逆手に構えたままの忍刀を横に突き出す。
無表情の面と面が、切り結ぶ。
そこで生じた力を支点に彼は後ろへ。そのまま地に足を着けた。
一瞬の静寂が生まれ−−そうになるのを、破る事情が顕現する。
死の花が咲き誇った。
蒔かれた種は発芽し、そのまま花を開かせ、花から飛んだ花粉が人体に受粉し、また発芽。
開花した水仙は人の生命力を吸い取り成長。その対価とばかりに水仙が持つ毒を血液中へ流し込む。
「水仙蒔華。ランクは元二位。渾名は[死の華]」
〈夜〉の介入から沈黙を守っていた水仙蒔華が、遂に動き出した。
「二対一か……望むべくもの」
「じゃあ、三人目に立候補しようかな」
今までの流動的な戦闘の中で傍観者であった夜霧新が、一歩前に出る。
「最弱の男が一人入ろうと戦局は変わらないさ」
「そうでもないさ」
肩を竦める。
「なあ、風魔の忍者−−風間集君」
忍びにとって正体を知られるのは死に直結する。
故に生まれるのは、一瞬の硬直。
誰よりも行動が速かったのは、〈夜〉だった。
低空を滑走。流れる動作で忍び−−風間集の懐へ。逆手に持ち替えた小刀を振り上げる。
小刀は反応の遅い風間集を捉え、仮面の上唇部分に引っ掛け弾く。
かかる力に従い仮面は上へ。固定具の無理矢理外れる音を響かせながら、内に秘められた尊顔を露わにした。
決して特徴的な顔ではなかった。違和感なく民衆という森に潜める平凡な作り。けれど、彼の正体を知った今ならば、それがいかにして造られたか、血塗られた伝統を容易に予想させる。
「……の野郎」
開いた左手で瞬時に顔を覆い、指の隙間から夜霧新を怒の感情で光る瞳が刺す。そして漏れるように呪詛が垂れ流され始める。
純粋な感情の発露は人を竦ませる。−−その人物を余程下に見ているか、関心がないかぎり。
だから夜霧新は飄々と、余裕の笑みを崩さず喋り続ける。
「おいおい、忍者が感情露わにしてもいいのかい。それとも、仮面が感情を制限する拘束になっているとか? そんな事しないと忍者は感情を制御できないのか……どうだい、今なら特別無料で感情を削除してあげるけど?」
「黙れ、不愉快だ」
集は吐き捨て、膝を曲げた。重心は右−−入り口側に。
目に見えて行動準備の結果を示すまで誰にも気付かれなかったのは、忍び故。
今までの戦闘方法から敵前逃亡の可能性を低めにしていた水仙蒔華と〈夜〉は、すぐに各々の攻撃姿勢に移る。が、速さを象徴とする忍びに勝るわけもなく、その全ては徒労に終わる事となる。
ただ唯一非戦闘者故にその場の空気でなく、統計的なデータでその動きを予測した夜霧新だけが、少ない時間ながらも対峙の機会を得た。
「君のボスに伝えてくれ」
ペースに巻き込まれまいと意識しているのか、彼の動きに耳を傾ける様子はない。
それでも夜霧新は、絶対に伝わるだろうと、そしてこの場に居る全員に対する牽制になると言葉を続けた。
「ティラスメニアは楽しかったかい? てね」
内容は全部聞いたかどうか。忍びの影は音もなく消えた。
だから夜霧新は意識を切り替える。居ない人間は意識の片隅に置き、居る人間達を中軸に据える。
「さて、状況を整理しましょうか」
宣言。それに数瞬を要してから水仙の花が枯れ、武器が収められる。全員の意識が自分に向いたのを確認して、まずは自分から情報を開示していく。
「彼の名前は風間集。MGR社に通う高校一年生。『他人偽造ダミーサクセサー』という[唯一無二オリジン]特殊才能保持者です。その力は、他者の一部分から検出したDNAから自らのをDNAを五分間だけそれに合わせる事ができるもの。見た目の変化自体は彼自身が持つ忍者の力でしょう」
話をしていて思案顔になった水仙蒔華は、言葉を〈夜〉へ向けた。
「……〈夜〉、事情説明」
科学界のトップが情報を開示したからといって、そうやすやすと魔術界トップが身内の情報を口にするわけにはいかないのだろう。
魔術界が科学界以上に一枚岩ではないと如実に示していた。
「いいんですか、私でも?」
それを踏まえた上で、そう応じる〈夜〉。
彼の存在は、今魔術界を荒らしている筆頭各である事を自覚しているらしい。
「構わない。虚偽があればわたしが修正」
「なら、僭越ながら私が」
恭しさを乗せた言葉で、許諾を示した。
「魔術師はの歴史上、忍者の役割を持っていたのはご存じですよね」
無感情の問いかけに、「有名な話だからね」と頷いた。
「歴史に名を轟かせる忍者ももちろん魔術師です。幾ら影に潜む魔術師でも、名が知られなければ仕事は来ず、生きてはいけませんからね」
「魔術師も霞を食っては生きられないか」
「……しかし歴史は流れ、忍びの時代は終わりました」
冗談めかした独白は、見事にスルーされた。
「魔術師も表の変遷に従い、その形を変えます。けれど当時の魔術界トップ達は、その忍者特有の諜報力を捨てきれず、ただ一家のみ存続を命じました」
それに、先を反省し表情を固めてふざけをなくした夜霧新が推論を立てる。
「それが風間かざま、いや風魔ふうまか……?」
「どちらも根幹は同じなので合っています。そして彼の一族は激動の時代で、魔術師ですら敬遠する仕事を幾つもこなし、多大な益を与えたといいます。けれども日本国でいう平成になると時代は凪となりました。暗躍の時代だったのでしょうね。忍者の諜報活動は国家の衰退すら左右し始め、同族である魔術師の中でも腫れ物のように扱われました」
そして、と繋げる。
「そんな時に起こったのが、マジックサイエンスウォーに伴うアルファ到来。それを利用した、夜霧の魔術師提携でした」
それはよく覚えている。夜霧新にとって、そこが始点だからだ。始まりから連なる、地球の運命の。
「同族の中に居場所を失った風魔は、無論夜霧の提案を承諾。しかし、そこにいる水仙蒔華を始めとした何人もの魔術師がそれを許しませんでした。それこそ、錠ヶ崎寧々の一派が離れるよりも」
その理由は簡単だ。
「それはそうでしょう。自分達が一番、風魔の力の恐ろしさを理解しているのですから。どんな恐ろしい武力も、振るうには相手の情報が伴う。どんな強大な武器を用意しようと、情報が筒抜けなら鉄くずに近いものがあります。特に、夜霧相手なら」
「…………」
夜霧新の沈黙が一瞬、ただ話を聞くものから別のものへと変わった。が、誰もそれを気に留めない。
「から水仙蒔華は、自らの魔術−−死の華を使い風魔を殺戮しました。当時十四歳の子供を一人残して」
「殺戮の件は錠ヶ崎寧々から聞いていたが……そんな背景が、ね。で、その残した子供ってのが」
「風間集。先程の忍びです」
そして話は、水仙蒔華が〈夜〉に代行を頼む必要があった理由へ入っていく。
「生かしたのは、彼を恐怖と暴力で支配し、MGR社に忍び込ませて情報を抜き取るという目的があったからです。が、様々な訓練を積ませて使い物になると判断されたそんな折り、日本支部の設立が宣言されました」
魔術界に不利な情報が含まれた言葉。さりとて、それは真実だからか水仙蒔華が修正に入る様子はない。
「夜霧が打ち立てた最新鋭の科学。諜報しない理由が見当たりません。ので、水仙蒔華は死の華の種を風間集の心臓に打ち込みました。死の花の種は人間の老化を防ぎます。−−だから水仙蒔華もこんな幼いままなのですが……これは関係ないですね。そして種は、水仙蒔華の命一つで発芽します。背信があれば命を奪う事もできたというわけです」
さり気なく水仙蒔華に関わる情報を流す。けれど本人の表情に変化はない。
敵対関係が衆人の下にも明白になった今、いちいち隠し立てすべき情報はないと考えているのか。
幼き顔は無表情という表情を見事に作り出し、その真意を読ませない。
「そうして風間集は名を変え見た目を変え、そして特殊才能の発現すら隠し、約六十年間日本支部での諜報活動を続けていたのです」
「……ふむ、怨恨とは恐ろしいものだね。それで、何故彼は今、名と特殊才能を開示したのか。お二人はどう思います?」
彼の発した呟きは自らにより軽く流され、訊ねる。その感は解らないことを質問しているのではなく、答えを合わせるための趣があった。
「簡単。九氷果側への背信。彼女の魔術により、わたしの死の花の種は冷凍状態。から、戦闘」
「そうでしょうね。それに、貴女を足止めできるのはこの世で九氷果だけですから。夜霧新氏、貴殿は彼らの正体をご存じのようだが?」
矛先を向けられた夜霧新は、瞳の見えない目を見て返す。
「〈身喰らう蛇〉。そう名乗っていたよ」
「名乗っていた、とは?」
思案が台詞に乗っている〈夜〉へ、夜霧新は偽りなく答えを示す。
「先程、僕の前にも風間集と同じ一派らしき男が現れてね。彼の役割はカメラの破壊と風間集の監視らしかったから、戦闘にはならなかったけど。組織の名はその時に聞いたのさ」
「その男とは?」
「相馬颯真。確か彼の存在は君ら水仙蒔華派、ローマ教皇派にも掴み切れていないんだよね」
断定の言葉は、二人への牽制。情報戦はどこでも行われる。
「〈身喰らう蛇〉……」
しかしそんな牽制では揺らがないとばかりに、水仙蒔華が話題の修正を行った。
〈夜〉は自らの作った悪い流れを断ち切ってくれた事に感謝の意を示そうとし、止める。そもそも訂正係を申し出たのは水仙蒔華自身。それなのに貸しを認める必要はない。
なので自らが任じられた通り、語り部としての役割を全うする。
「〈身喰らう蛇〉がどんな目的を掲げているのかは知りませんが、彼の者達は戦争を必要としています。なら、まずは非戦条約を結ぶべきでは?」
「それは−−」
「無理」
夜霧新の表情は笑顔。肯定をしようとしていたのは確実だ。
けれど横からかっさらうように、水仙蒔華はそう告げた。
「ここで戦争の意向を取り下げるには、相手へ払う対価が必要」
「こんな時にですか!? 夜霧新氏、事は貴方方をも巻き込みます。どうか寛大な判断を」
「こんな時って君には言われたくないんだが……まあ、いいや。で答えると、ここの一回を許せば、今まで流した多くの血を無駄にする事となる」
〈夜〉の思いは唾棄される。そして、
「それにそろそろ決着をつけるべきだと思うんだよね。時代は、流れているんだ」
「こちらも、失った同士を取り戻す時」
水仙蒔華は右手を肩と同じ高さまで上げた。指は第二関節、第三関節を曲げ、手の平を上に向ける形で。
「一つ、質問」
「どうぞ。答えられるかどうかは解りませんが」
「ティラスメニアとは、何?」
その発問に、夜霧新は笑みを作った。
「そこに辿り着いていないなければ、例え戦争に勝ったとしても意味がありませんよ。そしてティラスメニアとは、その正体を告げる事には意味がありません。自分で証明する事で、ようやく意味を持ちます」
「回答拒否?」
「いいえ。ただ教えても信じてもらえず、僕自身も証明が不可能だからです。だからヒントだけ伝えさせてもらいます。その存在は、アルファが地球に来た事により生まれました。いや、地球じゃなくても構いません。ただ、あの隕石が変革を起こせるなら、それで」
「……情報の精査を保留」
考え、しかし噛み砕くには状況が悪いと判断した。
そして代わりに、
「終わりなき鎮魂歌に、捧げる死の花束を」
右手を構えたままの体勢で紡がれる、起動文言。
その手の平から、赤く粘っこい液体が生まれ、地へ落ちる。それは魔術師でない人物にも可視できるまで練られた魔力の塊。そしてそれは、死の華の種として床へ溶け込む。
死の華が咲く。華は揺れ、人体へ花粉を飛ばす。
けれど−−疾風が肌を裂いた。
そしてそこにはもう、夜霧新の姿はない。
在るのは、左足を抱えて倒れる腹心の姿。
水仙蒔華はすぐさま魔術を解除。枯れる華を踏みながら彼女へ寄る。
「アキレス腱断裂……」
一瞬で状態を把握し、思惟秤をお姫様抱っこする。その小さい身体からは考えられない力と言えるが、それ故に抱える事も背負う事もできないのだろう。
そして自分も帰るため、向き直る。
それで気付く。〈夜〉の姿がない事に。
彼の凶手もまたこの先に繰り広げられるであろう大火へ備えて、自らの主の元へ帰ったのだろう。
「認識阻害」
その通り、水仙蒔華、そして触れられている思惟秤に対する認識が薄くなる。
この魔術は自然と一体化する法。そのためどんな魔術師でも簡単に扱えるものだが、[死の華]はキャパシティーが大きすぎるため、こうして名を告げ形を明確にしないと彼女は使えないのだ。
そしてそれが、死を司りながらも第二位だった理由。
全ては絶望の中。数で負け、実力で劣る。
それでも立ち去る彼女の顔には、何故か翳り一つ見当たらなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「只今戻りました」
サン・ピエトロ大聖堂。その深奥。
歴代ローマ教皇とその懐刀である〈夜〉を任じられてきた人物以外には知られていない部屋。
石造りの空間は湿っぽく、灯りも奥にある大きな石版に向かう道の脇に等間隔で並べられた柱に燃える火しか存在しない。
今はなき温かみのある灯りに導かれるように、〈夜〉は進んでいく。石版の前に佇む、ローマ教皇ピウス十三世の元へ。
近付いていけば、石版があるのは祭壇のように幾つか高い場所だと解り始める。
階段に足をかける。一歩、二歩、三歩。三段目で、〈夜〉は膝を着き、頭を垂れた。
そして報告。
「命じられた通り、戦争への引き金が引かれたのを確認しました」
その言葉に、されどピウス十三世は反応しない。しばらく石版を見つめてから、ようやく口を開いた。
「全てはファティマの予言通りか。裏切り者の小娘も、多少は役に立ったのう」
そうして、ピウス十三世は〈夜〉へ向いた。
「時代の歯車は動き始めた。〈夜〉よ、儂の付きであった先代を殺したお前さんにはまだ見した事がなかったな。面を上げい。そして歴史の行き先を見るがよい」
ピウス十三世は老獪さを宿す目を細めた。
「予言された事は歴史の必然。ファティマの予言は、未来から過去へ送られた警告文なのだからな」
〈夜〉の脳内には疑問符が浮かぶ。
しかしピウス十三世も、全てを解説するつもりはないらしい。
だけれど、一つだけ明確な事がある。
それは、
「さて、まずはあの小僧のお気に入りから探りを入れるか」
自分の役割は、ピウス十三世の手足として動く事だけ。――約束を、叶えるため(、、、、、)に
「〈夜〉よ、MGR社日本支部に在籍する久澄碎斗と接触。危険分子だと判断した場合−−殺害しろ」
歴史は動き出す。神々の手の平の上、定まりし運命のままに。




