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ファクターズ  作者: 綾埼空
三話 二十六日
94/131

雷鳴事件~偽りの雷鳴~

 とある研究室。設計図上では存在していないとされるそこでは、男性の怒声が飛び交っていた。


「おい、どうなっている!」


「分かりません! 急に……って、データが抜き取られています」


「セキュリティーは何をやっているんだ。くそっ、どこのどいつだ」


「考えてる暇なんてないぞ。完全に抜き取られたら、俺たちは……」


「…………」


 それを言葉にするのはできなかった。


 彼らのしてきた事を考えれば当然の報いだが、それでも人間としての尊厳は譲れない。


 しかし、


「……データ、抜き取られました。しかもハッキングではなく、クラッキングです……」


 結果は、無情だった。


 もう自分達に未来はない。


 悟った彼らは、自らの白衣のポケットに入れてある家族や恋人の写真を眺め、ライターで燃やした。


 せめて、巻き込まれないように。


 希望的観測にすぎない。人間関係など調べられているだろう。


 だが、この行為で人としての心に訴えかければ。


 果たして。


 上から、物音。隙間は、ないはず。


 設計図上に乗らない研究室に勤める彼らですら知れない空間があったのだ。


 天井が開き、悟る。


 全てが無駄な行為だったと。


 何故なら−−


「−−−−−−−−−−」


 −−地獄がその相貌を現したから。






 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「…………」


 空は仄かに白ずみ、隙間からはまだらに水色の空模様が覗いている。


 第二区。天体観測を主とした研究所の近く出来た物陰。


 オンラインが可能なゲーム機を持って、胡桃渚は佇んでいた。


 首の辺りで適当に切られた黄色い髪。温暖色を主とする服装をしている。


 ゲーム機に入ってくる、見るからに容量をオーバーしているだろう情報を眺め、渚は舌を打った。


「決定打となる情報がない……」


 ゲーム機の電源を落とす。


 周りにある監視カメラへ誤情報を流させるように調節していた電流を切りながら、三区へ走って戻りだした。



 渚がこのような行動を始めざるを得なくなったきっかけは、二十日前、四月の六日にあったとある出来事が起因する。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 夕焼けに燃える街。コンクリートと鉄で造られたそこで、周りの視線を集める三人の女子中学生が、その身分を証明し、視線を集める原因でもある制服姿で歩んでいた。


「ひっさしぶりに遊んだわー」


 右手を肘に添え、支えられた風になっている時計をつけた左腕を天に伸ばしながら喜々たる声を上げたのは、黄色い髪の少女−−胡桃渚。


「ランク4様も大変ですな」


「やっぱりランク3が一番いい位置なのかしら?」


 それに横に居た二人の少女が苦笑混じりに答えた。


「まっ、実験の頻度で言えばランク3の方がいいかもね。その分、優遇はされているんだけど」


 今日の戦利品であるスーパーボールを右手でいじりながら友人の疑問に答え、渚は自身の左側へ視線を向けた。それは狙っての行為でなく、ただ視界の端に入ったものが興味を引いたからである。


 それは、高校らしい。その校門の前。学校名と共に並び、地面に固定された縦長の電子黒板に写された入学式の文字だ。


「春ね」


 呟き、今更ながらに桜の香りを感じる。


 入学式ともなれば新入生や生徒会の面々は忙しいものの、二、三年はクラスでの顔合わせ程度しかやることがなく、気楽なものだ。


 また上の研究者達も完全に入学が決まった新入生に関して様々な動きがあるため、データ観測などを主とする実験も今日は中止の流れとなっているのだ。


 また、彼女達の通う冷兎大学付属中学校。


 名門らしく校則は厳しく、学校の敷地内にある寮での暮らしを強制されるが、一定時間までは外出許可も降りる。


 そういう、渚にとっては偶然が重なり合い、友達と遊べたのだ。


「全く、入学式様々ってね」


「どうしたの? さっきからぶつぶつ。気持ち悪い」


「失礼な!」


 返しに、相手は軽快に笑った。


 その反応に、溜め息が漏れるのが抑えられない。


 ただこういうやり取りができるのも遊べるからこそ、と考えると悪い気はしない。そう渚は思った。


『胡桃渚』


「えっ」


 何の前触れもなく、名前を呼ばれた気がした。耳にではなく、脳内に響き渡る感じの。


「さっきからどうしたの? 体調でも悪い?」


「う、ううん」


 答えるために向けば、心配そうな声を出した少女の奥に居るもう一人も、同じ意を感じさせる目線を向けていた。


 その反応から、他の皆には聞こえていないらしい。


 だが呼ぶ声は、未だに脳内へ響いてくる。


(厄介事の匂いしかしないけど……放っておいた方がまずい気がする)


 渚は時間を見る風に見せかけ、時計の周りにセンスのよい意匠にも見えるボタンを幾つか押した。


 その遠隔操作でポケットのスマートフォンが起動。さらにストーカー避けとして登録された機能であるダミー着信を使い電話が来たふりをして、実験場から急な呼び出しがかかったから、と音源である裏道へ駆けだした。


『そこを右で、真っ直ぐ進めば左に曲がる道がある。そこを行け』


「どんだけ進ませるのよ」


 悪路のためでもあるだろうが、かれこれ五分は走っている気がする。脳内の声に導かれながら進む道は、整備されている三区にこんな場所があるのかというくらい暗く、荒れていた。


『そこを右だ』


 指示通り曲がると、円形の突き当たりに辿り着いた。


 そこに、黒い外套を着た人物。顔は目と口、最低限の穴しか開いていない黒の仮面で隠されている。


「あなた……誰ですか?」


 握っているスーパーボールに意識を向けながら訊ねる。


 答えは、脳内に響いてきた。


『やー、正体は明かせないね。まっ、真実を知る者でいっか』


「真実を、知る者?」


 男か女かよく分からない声色。とても不気味に感じた。


『やー、それにしてもこれ、便利でしょ。半径二キロまでなら遮蔽物とか関係ないんだ。今やおれしか使えない技術だけど』


「技術!? 特殊才能じゃなくて?」


 疑問に返しがなかった事に怒るより、そちらの驚きの方が大きかった。


 幼い頃から特殊才能を身に宿してきた渚には、念話テレパス系の能力かと思っていたのだ。


『やー、生まれた・・・・・から特殊才能を身に付けている君に信じてもらおうとは考えてないさ』


「……どういう意味で? 私が才能を開花させ始めたのは、五歳の・・・・だからだけど」


『やー、自覚したのは(・・・・・・)五歳。けれど、君は生まれた・・・・・から特殊才能を持っているんだよ』


 的を得ない答えに、遂に堪忍袋の緒を切らせた渚は、掌にあるスーパーボールを浮かせた。


 ランク4。それに伴うレベル2の力、『滋化変換』により普通は電気を通さないはずのスーパーボールに磁力をもたらせ、電磁系エレクトロ才能アビリティーの能力により宙に浮遊させているのだ。


「遠まわしは好きじゃないの。用件があるならさっさとして」


「本当に直球でいいの?」


 威勢良く告げてみたものの、そう言われてしまえば逡巡が起こる。


 それに仮面の人は、笑い声を上げた。


『やー、怖いだろ。自らのルーツを知る羽目になるんだからな』


「私の……ルーツ?」


『やー、ヒントをあげるよ。自分と親とされる者のDNAと自分のDNAを比較してみるといい。そしてこの紙にある研究機関を君の才能で探れば、答えはいずれ顔を出すさ』


 懐から、綺麗に折り畳まれた藁半紙を取り出す。質の悪い事で知られるが、木を原材料としている。今の時代では、失われた種類の紙。


 そこには等間隔で十ほどの研究施設が書かれていた。規則性はない。


 医療関係だったり食品関係だったり。有名だったり無名だったり。


 どれも二区にあるが、そういう研究関連の会社のために二区は存在するので、共通点とは言えないだろう。


「これは……?」


 疑問をていじようと出した声は、しかし疑問系となる。


 何故なら、仮面の人物の姿が消失していたから。


 渚の常識では、紙に目を落としていた数瞬に音もなく消える方法は、転移テレポート以外に思い付かない。


「一体何が……」


 しかしその予想は口にされなかった。


 あの人間を常識で計るのは、愚行だろう、と判断したからだ。


 渚は再び手元に目を落とす。


 そこには、父と母の勤める研究所の名も記されていた。


 仮面は言っていた。両親のDNAと自分のDNAを比べてみろ、と。


 そこから導き出される可能性へ、渚はすぐ行きついた。


(……二人が私の親でないと? 有り得ない)


 そう断じながら、しかし一抹の不安が心から離れない。


「………………」


 だから手に収める紙を握りつぶし、その場を後にした。






 渚にとって親のDNAデータを調べるのは、簡単な事だった。


「おじゃましまーす」


 電子キーにて扉を開き、衝撃に対し、それを対消滅させる演算型特殊鉄板で造られた部屋に入る。木の仕様が制限されている現代、どの住宅もそういう造りとなっている。


 渚の親は本部から派遣されてきた日本人研究者で、二区にある有名研究学所の物理学の教授と助教授の地位を得ている。


 研究所の寮と学生寮とで住まう場所は違うが、家族だから理由とも言えない理由で管理室から鍵の受け取りが可能なのだ。


「さて」


 その一声でやる気のでない心を無理矢理奮い立たせ、捜索に入る。


 DNAは、人間の設計図だ。人体のどこからでも採取は可能である。


 その中でも頻繁に落ちたり、また切るのは、髪の毛や爪。


 なので床やゴミ箱に捨てられた髪の毛や爪を探してみたが、元々几帳面な気質のせいか、はたまたランク4の娘を生んだDNAが流出する可能性をできるだけ排除するためか、見つからなかった。


 溜め息を吐く。それを渚は疲労のためと判断したが、その表情には安堵が浮かんでいた。






 別の日。実験の合間を縫って両親の勤める研究所へ足を向けた。


 こちらは寮とは違いきちんとした理由を必要とするが、冷兎中学校生、ランク4の肩書きが、両親に会いに来たというだけの理由を通した。


「久し振り!」


 挨拶。共に抱きついた。


「うお。どうした」


 その疑問に笑ってごまかしつつ、右手を父親の後頭部に向けた。


 特殊才能を使い静電気を造り髪を浮かせ、数本焼き切る。それを『磁化変換』で磁化させ、対極に変換済みの手に張り付けた。


「お母さんは?」


 離れ、研究所内には父親以外居ない事に気付く。


「ん? ああ。奥でみんなと実験中だよ。何をしているかは、言えないけど」


 確かに、研究所入って少し進んだ先にある物理学部の扉を開いてすぐにあるこの部屋は、応接室的扱いがなされる。この部屋の奥は、研究員の休憩室兼仮眠室となっており、その奥がようやく研究室だ。そのため、研究室で何が行われているかは応接室からは見えない。


 どの部屋も防音で、当たり前だが守秘が徹底されている。


「じゃあ、お父さんも戻らなくちゃだから、ここで待っててくれるかな。入れ替わりでお母さん来るだろうし、待てるよね?」


「当たり前でしょ。もう中学生なんだから」


「はは。それはでかくなったな」


 頭を軽く撫でられる。その感触にくすぐったさを覚えた。


 扉の奥に消える背を見ながら思う。この感覚は、偽りにより作られた関係ではなされない、と。


 だからそれを証明するために、結果を出す。


「渚、久し振り」


 決意を固めたところで、父と入れ替わりで母が来る。


「元日に会ったきりよね」


 母は女の勘みたいのが強いので、抱きつかず、ただ歩み寄る。


 その間に、彼女が浅く首を傾げるのを渚は見た。


「で、何か用があったの?」


「いや、一応三年生になったから顔見せした方がいいかなって。……まあ、忙しいみたいだから連絡して日を合わせるべきだったけど」


 それに母は苦笑した。


「なあに遠慮してんのよ、親子・・でしょ」


「……それもそうね」


 当たり前の関係を、自分以外の当事者に証明してもらえ、渚は安堵を覚えた。


「んじゃあま、顔見せ終わったし帰るね。仕事頑張って」


「ええ。渚もしっかり勉強するのよ」


 渚は母に背を向け、足を進める。後ろに意識を向けながら。


 数歩進んだ所で、母に巡る生体電気が研究室へ戻る動きをしたのを感じた。


(ごめんね)


 内心で疑うような行動に罪悪感を覚えながら、渚は特殊才能にて母の髪を数本焼き切り、手に納めた。


「さて、時間はまだあるわね」


 腕につけた時計で時間を確認し、研究所を後にする。








 意匠の細やかな立派にそびえ立つ門構え。縦十メートルはあろうという大きさのそれは、左右に外壁を走らせ佇んでいる。


 そんな門の脇。名札を掛けるような長方形の枠に、渚は同じ大きさの媒体を当てた。


 生徒手帳である。


 それから門はデータを読み込み、自校の生徒だと認識する。


 それにより厳かに門は開く−−事はなく、小さく人一人分が通れるような長方形が開く。


 通常時は門に溶け込んでいるが、データを認識する事で分離し、扉となる仕掛けだ。


 扉をくぐれば、生体電気を認識し、通り抜けた瞬間扉は閉じる。


 目の前に広がる風景は、白を基調とした綺麗な校舎。その脇を固めるように、幾つもの体育館と広大なグラウンドが存在している。


 冷兎大学。附属として、幼稚園から高校までを抱えるマンモス校だ。


「さて」


 と言い、時計を確認する。


「あんま時間ないな」


 実験施設自体は校内に存在するのだが、それを含めても余裕があるとは言えない。


 なので渚は、自らの周りに電子を侍らせた。


「敷地内だから『風紀委員』とか気にしなくていいから楽だわ」


 渚は呟きつつ、軽く跳ねた。そのまま、自分の背をなぞるように存在する電子の極をマイナスに、周りに漂う電子の極もマイナスにした。


 そして、弾ける。


 同極同士は反発しあい、その力で渚は全面へ流れる。出力を上げればスピードはさらに増す。


 数百メートルは下らない距離を、渚は五秒で埋めた。


「と」


 特殊才能を解き、重力に従い着地する。


 放課後。軽い物を打つような音とスチール音、そして若く元気のよい声が響き渡るそこは、体育館。高校生用に用意された三つのうちの、二つ目だ。


 閉じられた扉を開く。


 風を通さぬため密閉された体育館は、肌にからみつくような熱気と微かな汗の臭いを循環させていた。


 バドミントン部が活動中だった。


「あー、失礼」


 コートの端で筋トレを行っていた一年部員らしき少年に声をかけた。


「何でしょうか……って胡桃先輩!!」


 黄色い髪の人間なんてそうはいない。それに加え、ランク4という事で様々なところに顔を出している。なので面識がないのに名を当てられたのだ。


「あれ、渚、どうしたの?」


 驚愕の声とは大きいもので、その声に反応して、入学式の日に遊んだ片割れが振り向いた。打ち合っていた相手に手で静止をかけつつ、だ。


「練習中にごめんね。ちょい急用で」


「なら早めに。先生来たら面倒だし」


「じゃあ、DNA型照合の実技行いたいから、髪の毛一本くれない? あっ、そこの君も」


「ん……ほい」


 流石の三年生は、冷兎ならではのやり取りに慣れており、簡単に髪の毛を千切り渡すが、


「どうした、一年?」


「……あ……はい、どうぞ」


 入って十数日しか経っていない一年生は、戸惑いの色を隠せていない。


 だがいちいち説明している暇もないので、


「それじゃあ、失礼しました」


 扉を閉め、空気中に漂う電子の電極を変換。


 本校舎まで流れた。








 冷兎大学の附属校である冷兎中学校は、MGR社日本支部において多大な利益をもたらしている功績により、中学生のうちから将来を見据えた授業を受けれる設備が献上されている。


 優秀な学生から、一人でも多くの科学者を出そうという狙いも含まれているようで、機材類は科学関連に偏っている。


 そこには、DNA型の照合を行う機械もある。


 ならば、後は教師陣を納得させられる優等生的な理由で許可を得ればよい。


 日頃から、良くも悪くも目立たず、ただ成績だけを積むという事実は、余計な干渉を与えず許可を得る事に役立った。


 本校舎四階。広大な敷地と高度な機器を揃える科学実験室。縦長に置かれたテーブルは、一つに計八人が集まれ、それが横に七、縦に八と隙間を開けつつ等間隔に並べられている。


 渚は真ん中の、一番前の席に着き前にある黒板側を向く。


 DNA型照合について無知なため、まずは教師の説明を聞かなければ始まらない。


「まず初めとして、今と昔でのDNA型照合の違いについて軽く触れたいと思います。それから、方法を説明しますね」


 教師は一息吐いてから、語り出した。


「夜霧が登場するまでの技術では、ヒトゲノム−−つまり人間の全遺伝子情報の塩基配列のすべてを調べるわけではありませんでした。なので一卵性双生児以外すべて結果が異なるという、現代では常識的な認識も、昔は違っていたのです」


 それが今昔こんじゃくでの違いです、と締める。


「え〜、で胡桃さんが採取してきた髪の毛。DNA型照合でよく使われる物と思われがちですが、そもそも髪の毛にはDNAデータなど存在しません」


「え? ならよく刑事ドラマとかで見るのは?」


「あれは髪の毛に付着した頭皮からDNAデータを読み込んでいるにすぎません」


「なら、照合できないという事ですか?」


 虚脱と安堵が入り混じった感情が、渚の心を支配する。だが、


「いえ、大丈夫です。髪の毛細胞の周りにあるミトコンドリアを調べればいいので。ただ、想像しているのと違いますよってだけです」


「よかった……」


 本当に? という思惟が走るが、それを振り払うように頭を振るい、教師の話に耳を傾ける。


「鑑定方法は、ミトコンドリアDNA型。細胞核の外側にあるミトコンドリアDNAに於ける塩基配列の塩基の違いを調べます」


 教師は、机に並べた道具に手を触れた。


「さて確か二人分、持ってきていたのですよね。最初は私がやりますので、見てやり方を覚えてみてください。髪を」


 促され、友達の分を手渡した。


「バド部の部長さんですよね、この髪の持ち主」


「ええ。こっちは新入部員の子のです。名前は聞きそびれたので、確認ついでに彼女へ訊ねといてもらえませんか」


 冷兎の技術は多の学校の追随を許さぬものだが、それ故様々な制約が存在する。


 ましてや高位特殊才能保持者のDNAデータなど、今の世の中では黄金より価値を持つ。


 そのため、後に出たDNAデータと本人のDNAデータとの確認だが、


(私の特殊才能を使えば、深夜にデータ採取するくらいわけないし)


 なのでここではアリバイを作り、方法を学ぼうという魂胆なのだ。


 そして科学の教師随伴の元、DNA型照合の実習が始まる。


 無論、他人なため適合率は小数点以下。


「ありがとうございました」


 機材の片付けを行い、謝礼をしてからその場を後にし、実験場へ駆け出した。







 深夜。月明かりに照らされた暗闇の中で、渚は暗躍を始めた。


 ルームメイトを起こさぬよう、静かにベッドから降りる。


 机の引き出しを開け、しまわれた真空パックを取り出す。中には両親の髪の毛が。中身を特殊才能で手に張り付ける。


 そのまま近くにある窓を開き、飛び降りた。


 寮は、本校舎の裏手にある。


「ふっ」


 なので自らの周りと下の空気中の電子の極を変換。同極にし、磁石の要領で空中に一瞬浮く。


 だが一瞬あれば充分。


 背の極を同じにし、離れた本校舎へ弱めに流れる。


 そして直撃の瞬間、鉄筋に力を走らせ、張り付いた。


「さて」


 蜘蛛のように張り付きながら、微弱な電気を校舎に流す。これにより、学校を巡る監視カメラを司る電子回路を探すのだ。


「……あった」


 監視カメラの情報をまとめる端末をハッキング。その動きを、今の風景に固定した。


「さてさて、と」


 鉄筋を伝い、四階へ。


 そのまま機材の置かれた科学実験準備室の窓の鍵を特殊才能で開け、侵入。


「意外と簡単ね」


 気軽に呟いているが、ランク3の電磁系才能保持者でも叶わぬ芸当だ。レベル2以外にも、明確な差が3と4にはある。


 そんな事実を知らぬ渚は、機材を見繕い、電子キーで開く扉を、特殊才能で開ける。警備ロボットを警戒して閉じれば、オートロックのようで鍵が自然に閉じた。


 機材を廊下側の机に広げ、


「じゃあ、やりますか……」


 渚は、気付いているだろうか。いつもより多弁になっている事を。それが、不安を隠す行為だと。


 渚は手に流れる電子を散らし、髪の毛を机の上に落とす。


 母親のデータを取り、次いで父親の。最後に自分のを取り、比較した。


 そうすれば、あの仮面が言った偽りは消え、真実が浮かび上がると信じて。


「そんな……」


 しかし、隠された真実は得てして厳しいものである。


 結果−−母親、父親共にDNA適合率小数点以下。

 その結果から、血縁関係を認める事は不可能である。


 不意に、よろける。


「何で!? ……計測違いよね」


 焼き切った髪は、一本ではない。


 再び、計測。


 しかし、結果は小数点以下一パーセントも変わらない。


 夜霧のお膝元で造られた機器がはじき出す数字は、不動にして絶対。


 何度も何度も何度も繰り返そうと、それは変わりはしない。


 だだ、現実を叩き込むだけだ。


「くそ! 何で!? どうして!!」


 焦燥感に駆られ、机を叩く。


『音声確認。音声確認。急行します。急行します』


 それが警備ロボットの巡回に重なってしまったようで、


「やば」


 空気中の電子を変換。弾かれるように跳ぶ。機材は後からついて来るように跳んできた。


 右手で機材の使用ログを消しつつ、左手で扉を開く。


 中に入ると扉のログを削除しながら道具を所定の位置に戻し、髪の毛は回収。


 開けっ放しの窓から飛び降り、遠隔操作で窓とその鍵を閉じた。


「−−−−!!」


 渚は背から落ち、歯を噛み締める。感情は声に出せない。


 しかし、手に付けた髪の毛を焼き消した事が、彼女の怒りを表していた。



 そして−−。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 四月二十六日。渚は、手元に目を落としていた。


 藁半紙。そこに書かれた名称は、悉く赤い線で消されている。


 両親の働く現場を除いて。


「……やるしか……ないわよね」


 正面を向けば、そこに在る。


 毎回のようにクラッキングを仕掛けるも、


「……一定の箇所から異常なくらい固い」


 これは、単純に組まれたセキュリティーが渚の特殊才能を上回っているという事。


「そこまでして隠したい事が……あるんだ……」


 溜め息一つ。こぼすだけで諦められた。


「行きますか」


 電子を纏い、行く。






 現代において、人間がこなすべき仕事というのは、三割を切っている。それでも全体が広く、結果雇用の機会はほぼ等しいのだが。


 けれど、セキュリティー関連は機械任せの方が効率よく確実だ。


 現代のネットワークは、二人の電磁系ランク4によって形造られている。


 渚に試行される実験の殆どは、セキュリティー関連の構築や新規の防護力テストだ。


 ならば、だ。


 渚にとって、この街のセキュリティーの多くは、一度攻略法を見つけたものとなる。


 右手を振るい、電気を流せば最高峰の機密保持能力を持つ研究機関の電子ロックは、その効果を失い。


 左手を振るい、電気を流せば死角なく張り巡らされた監視網は、その役割を止める。


 音もなくセキュリティーを潰した渚は、そのまま真実が眠っていると思わしき物理学部のドアを開いた。


 応接室には、誰も居ない。


 さらにその奥、休憩室の扉を開く。誰も居ない。


 だが驚くべき事ではない。昼とはいえ、研究室に平気でこもっていられるのが学者だ。


 だから、そこへ繋がる扉を開く。


 恐れはない。今は、自分の出生が分からない方が怖い。


 本当の両親は何者なのか。


 何故今の親に育てられているのか。


 幾つも、悪い予想はつく。けれど、確かめるまでは杞憂だ。


 開く。しかし、


「誰も居ない?」


 電気は消され、もぬけの殻。


 けれど、電気を点けて気付く。


「人が居た形跡はある……」


 無理矢理押し込んだのか、微妙にずれた椅子。机の上の機材は片付けられているが、そこには微妙に液体のこぼれた痕が残っている。


「さっきまで居た……なら」


 皮膚感覚を研ぎ澄ます。高位の電磁系才能保持者は、自らの裡にある電気と共鳴、或いは反発しあい他者の生体電気を感じる事ができるのだ。


「……この部屋の中に隠れているわけでもないのね。そしたら」


 と、地面に手をついた。手のひらから電気を流す。


 その電気は、少し前に学校での回線を見つけたように走り、この部屋のどこかにある高セキュリティーの入り口を見つける。


「あった……てい」


 静電気を超強力に起こし、小さな爆発を生み出す。


 それにより、横にあった隠れた扉が弾かれ、新たな通路が見つかる。


 そしてこの先に、決して入れなかった回路がある。


 走り出す。







 非常灯の緑の光で照らされた通路は、鈍色の鉄板で作られたトンネルのようなものだった。


 決して一直線でないのと、この先に何があるか分からない事から、同極での反発飛びは控え、その足で駆ける。


 今あるのは、ローファーが鉄を叩く音のみ。


 他の人の足音も、吐息も響いてはこない。


(逃げてからそんなに経ってないはず何だけれど)


 多分、セキュリティーを全てハッキングされ、急いで逃げ出したはずだ。


(なら、出口が近いという事かな……)


 予想は、正しかった。


 考えてすぐに、上へ上がる階段が見えてきた。


 逸る気持ちを抑えつけ、一歩一歩確実に近づいていく。


 到達し、昇る。その先には、分厚そうな鉄扉が存在した。


 足を進めながら、右手を扉に向ける。そのまま特殊才能を使用。磁力により簡単に開けられた。


 まず来たのは、冷たい風。それから、地面を叩く水っぽい音だ。


「雨……」


 呟いた通り、雨が降っていた。


 気にせず、外に出る。すると、


「初めまして、胡桃渚さん」


 女性が、立っていた。


 白い髪を雨から守るようにさされた白い傘。白い肌を風邪から守るように着けられた白いドレスにレースのついた白い手袋。ただ、こちらを向く瞳だけが、お嬢様とした感を台無しにする赤。


 典型的なアルビノ体質。


「誰?」


 渚は、知らない相手だった。


「第二位、〈電離の令嬢〉という二つ名を頂いている、由麻静波ゆましずはという者ですわ。第一位同様、偽名なのであしからず」


 確かに、彼女の顔立ちは西洋寄りだ。


「で、第二位がこんな所で何をしているの?」


「あら、察しがお悪い。或いは、まだ無垢ですわね、と言うべきでしょうか」


 言い、静波は口を弧にした。


「お仕事ですのよ。わたくし、この街の闇の一端を担う者ですので」


「闇? この街に陰謀論でも持ち込むつもり? 頭の中までお姫様然としているのかな?」


「あら、以外とわたくし、リアリストですのよ?」


 赤の瞳が、強気な色を帯びる。


「少なくとも、貴女よりは」


「……どういう意味?」


「早朝、星羅天文台の奥底をクラッキングしましたわね。それからここに来るまで、時間がかかりすぎではありませんの?」


「……っ!」


「現実を見るのが怖かったのでしょう? いいではありませんか。引き返すなら、今ですわよ」


「それ……は」


 いいのだろうか、と思う。


 けれど、この事実は知らなくても生きていける。そういうたぐいのもののはずだ。


(……けれど)


 もう遅い。渚が信じたかった平穏は、研究所に乗り込んだ時点で壊れている。


 否−−本当は、遙か前から壊れていたはずなのだ。それを偽って、見て見ぬ振りをしてきていた。


 だからこそ、真実を知ろうと思ったのだ。


 渚は、雨に濡れた髪を左右に振り、周りに市販のゴム弾を侍らせる。


「そこを通して」


 そして、宣言する。


「でなければ、あなたを蹂躙する事になる」


「蹂躙、ですか。平和ぼけしたランク4らしい、傲慢さの表れですわね」


 静波は言いながら、天を仰いだ。


「雨はいいですわ。日が出ていないから、比較的動きやすい」


 そして、赤い瞳を細める。


 戦いが、始まる。








 渚は周りに浮くゴム弾のうち一つを、牽制として飛ばした。同極での反発跳びだ。


「知っています? わたくしも、電磁系才能保持者なんですのよ」


 静波は傘を両手で持ったまま、微動だにしない。


 迫るゴム弾。しかし、あるところまで近付き、消え去る。


(なにが!?)


 驚愕と疑問が一挙に押し寄せてくる。


 それを脳の片隅に置きつつ、前後、左右、上へゴム弾を走らせる。


 全く違う方向からの五弾。唯一交わるところは、静波の鳩尾部分だ。


 しかし、対応しきれないはずの攻撃は、静波へ一定距離近付いたところで消滅する。


(一定の空間に、物体を消滅させる力を働かせている?)


 よく見れば、雨は傘まで届かず消え去っている。


 渚は思考をしつつ、動き出した。移動方法は、自分をプラスとし、向かいたい場所をマイナスとする磁石の引き寄せと同じ原理を使用したものだ。


 これにより、同極反発跳びの欠点である急なストップができないというものを補う。


 一ヶ所に引き寄せられたら、別の場所にマイナスを作る。それを繰り返し、縦横無尽に静波の周りを跳び回る。


 これは、思考をまとめるための時間稼ぎだ。


(第二位というだけでなく、〈電離の令嬢〉、という二つ名からも彼女が電磁系だというのは確定している。そして、二つ名にある電離。電気に関する方法は−−)


 始めに渚は、電気分解を思い浮かべた。


 しかし即座に否定する。


 電磁系才能保持者は、単純な電気の流れなら感じ取る事ができる。なのに、今は冷たい雨で身体の芯が冷える感じしかしない。


 ならば、ともう一つの可能性を口にする。


「電離放射線による、分子の分解か」


 放射線とは、放射性元素の崩壊に伴い放出される粒子線、或いは電磁波・・・のことを言う。


 放射線を生成する事は、電磁系才能保持者には簡単な事だ。


 磁場を生成し原子核を励起状態にする。そしてそれは、ガンマ線を放出して放射線元素の崩壊を引き起こす。


 そして放射線分解とは、何も分子構造を壊すだけではない。


 放射線が物質に当って化学結合を破壊したりするのはもちろん、予期しない化学反応を引き起こしたりする事も指す。


 電離の性質を帯びた放射線が物質に当たると電子を励起させたり、電離させて引き剥がしてしまい、その結果分子が破壊されたり原子が励起したりといった反応が起こって、分子レベルで別の物質に変化したり、化学反応などを引き起こしてしまうのだ。


 より広義には、放射線の照射によって生じた物質との化学反応も含めて放射線分解の対象とする。


 放射線を照射して始めにできるイオン、励起種、遊離基がその後の化学反応でにできる生成物の開始剤であるとされている。


 ただし、その放射線は意思なく周りに散るもの。


 だから、


「あなたのレベル2は、生成した電離放射線を指向性を持って操るもの」


「正解。レベル2の『電離線』ですの。いつもは相手を混乱させるために、『波形粒子砲』と名乗っているのですけれどもね」


 さて、と静波は告げる。


「これで情報に於いては条件が対等ですわね。ならばそんな時間稼ぎは止めて、わたくしを蹂躙して見せなさいな」


 静波は傘から片手を離し、虚空へその手を向けた。そこから放たれるのは、無色の放流。


 それにより、空中に飛ぼうと引き寄せられるはずだった身体が途中で止まる。


「チッ」


 舌を打ちながら、地面に向け『磁化変換』を行う。草や土が磁化し極はマイナスに。それにくっつきに身体が流れる。


 着地と共に、渚は口にする。


「『電離線』による変換した電子−−そこに含まれる分子の分解か」


 『磁化変換』により電極を変化されているが、人一人を引き寄せるだけの磁力となると、それなりの量を要する。


 なので面に対し『磁化変換』を行っていたのだが、静波はそこに集合している電子酸素や水素などの原子の塊−−にある分子を分解し、引き寄せる力をなくしたのである。


 同じ電磁系才能保持者なのに、その相性は最悪だった。


「けれど、諦めるわけにはいかない」


 渚は駆け出す。向かう先は、今さっき抜けたトンネルへの入り口。圧倒的実力差があるからか、静波は追撃してこない。


 今はそれを受け入れ、渚は放つ磁力を最大限にまで上げる。


 その力が向かう先は、鉄の扉だ。


 数十キロは下らない扉は、それを止める金具の堅牢さもあり余程の事では外れないようにできているのだが、ランク4が操る磁力の前では簡単に引きはがされる。


 渚は前面空気中の電子を磁石とし、勢いよく飛んでくる扉をそこに貼り付けた。


 その流れのまま、左手を後ろに伸ばす。


 そこに、マイナスの磁力を最大出力で貯める。


 次いで、鉄の扉の極をプラスに変換。


 さらに加え、渚は脳に電流を走らせた。


 そして、


「ふっ」


 左手を、放つ。


 強大な磁力は引き寄せ合う力を高め、渚の手の軌跡は、通常人間が持つ動体視力を超えたスピードで鉄の扉へ向かう。


 最初に肩関節の外れる音が響き、次いで苦悶の声が雨に紛れる。


 もはや磁力に引かれるだけの力なき左手が、鉄の扉に触れる瞬間を、脳に電流を走らせる事で強化された動体視力で視認した渚は、


「っ!」


 纏わせるマイナスの電気を、肩口へ流した。


 残るのは、引き寄せる力の余韻。


 最高速度を保ったまま流れる左手に、渚は変換したプラスの電子を宿らせる。


 いきなり最高を精製できない電圧は、尤も近い手の平で変換すれば、小さな力でしか反発しない。


 企てられていた一撃の準備は万全で、変換されたプラスは最高電圧。


 変換、最高電圧の精製、そして左手に流すスピードは一瞬で、少し離れるも鉄の扉はコンマゼロ距離で、


「っっっ!!」


 放たれる。


 同時、渚は左手の電気を地面に流す。濡れ、また変換された地面は電気を良く通す。


 その狙いは、静波を守る放射線という電磁波の乱調だ。


 確かに静波の特殊才能は、渚の才能に対し毒になる可能性を孕む。


 しかし彼女は、〈電子の暴女〉。全ての電子は、渚のしもべでしかない。


 だから、打ち消える。


 鉄の扉は高速で開いた静波の身体を叩きつけようと流れていた。空気抵抗によりその形は太い剣の刃のように潰れ、しかし全てを押し潰す密度を得ていた。


 弱々しい静波の身体など、原形も残さず挽き肉にされる未来を、渚は態勢をそのままに予見した。


 しかし、渚は見た。


 静波の口が、半月を描いているのを。


 次の瞬間、鉄の扉はかき消えた。


 電離放射線の城を壊そうとも、その先には『電離線』による分解が待っている。


 ただし、


「来なさい!!」


 渚が一度ならず二度も受けた攻撃を、失念するはずがなかった。


 右手を天に掲げ、命ずるは雷帝の光来。


 促され、地上に光が落ちた。遅れて、咆哮ほうこうが轟く。


 〈電子の暴女〉の支配に下った雷は、彼女の力に沿い静波の身体を撃ち抜く。


 視覚外からの光速の一撃に、さしもの静波も感知はできても反応はできなかったようで、その身体は地に伏した。


 彼女の敗因は、胡桃渚という人間の攻撃性を舐めていた事。


「仮にもランク4の電磁系才能保持者なんだから、死んではいないでしょうね」


 脳に対する電流を、左腕の細胞に移し筋肉の再生を促しつつ、呟いた


 電磁系才能保持者は、自らの持つ性質故に電気に強い。


 ただし、雷ほどの電圧となると。


「…………」


 一応、生体電気を感じてみた。


「……うん。生きている」


 十四歳で人殺しは避けたい、と渚は胸をなで下ろした。


「それより」


 意識を切り替える。


 ここは四方を壁で囲まれた狭い庭。しかしその実、そう見えるだけで、静波の背後。そこに地下へ通ずる階段が隠されているのを渚は感じていた。


 そして、幾つもの生体電気も。


 全ての始まりと終わりがあるであろうそこへ、渚は歩んだ。


 特殊才能を使い、カモフラージュを解こうとするも、そこに使われているのは鉄が含まれるものではないようだ。


「けれど、関係ない」


 『磁化変換』を使い、磁化させ、地面を持ち上げる。


 その先に、階段があった。


 向こう側は、暗闇。


 底は深い。


 けれども渚は、そこを一歩一歩確かに、踏みしめるように下っていく。






 金庫の扉をそのまま大きくしたような扉の前。


 三十二桁の英数混じりのパスワードを要するらしいそれを、渚は電撃を流し内側から鍵を壊す事で開いた。


 その先。決して広いと言えず、壁にモニターが埋め込まれた一台の大型パソコンのみが置かれた部屋に、五名の白衣姿の人間が立ち竦んでいた。


 その中には、両親の姿もある。


 渚は目を一度伏せてから向き直り、後ろにある壊れた扉の破片を特殊才能を用いて喉元に突きつけた。


「どういう事か……説明してくれるわよね」


「な、何を言ってるんだい、渚?」


「お父さんの言う通りよ。これを下ろしなさい、渚」


 両親の声音にあるのは、困惑。


 会釈くらいしかした事のない三人も、同様の感情を浮かべていた。


「そんな演技じゃ騙されないわよ! 逃げ出したという状況証拠に、DNA型鑑定で類似性を否定する物的証拠も掴んでいるんだから!!」


 渚が叫ぶと、父親は柔和な笑みを浮かべた。


 そして首を横に振る。


「渚、勘違いをしているよ」


「何が!?」


「DNA型鑑定は、親子鑑定とは違うんだ」


「えっ?」


 思考に、空白が生まれる。


「どう僕達のDNAデータを取ったのかは……まあ、以前研究所に来た際に抜かれた髪の毛だろうけど。中学生だから有り得る勘違いだね」


 その空白を埋めるように、父親の言葉は染み込んでくる。


「それに逃げたのも、由麻静波という少女に促されたからなんだ。僕達ほどになってくると、この街に巣くう闇を垣間見る機会は幾度とあるからね」


「なんならアナタ、ここで親子鑑定してしまえばいいじゃない。生物関連は専門でないとはいえ、それぐらいならここの設備でも可能でしょう」


 母親が破片を避け、渚の元へ歩む。


 そして数センチの距離まで近付き、肩に手を置いた。


「どうする、渚?」


 その答えは、破片が動いた彼女を貫かなかった時点で示されている。


 つまり、


「お願い」


 答えてから、俯き面を隠した。


「分かったわ。血、少し頂戴」


 渚は顔を伏せたまま、先まで母親の喉元を狙っていた破片をこちらに寄せ、手の甲を浅く裂いた。


 次いで、発動中の特殊才能を全て解く。


 鉄同士が叩き合う音が不規則に響いた。


「じゃ、始めるわよ」


 母親が命ずると、父親は床に落ちた破片を拾い上げ、渚と似たように手の甲を裂いた。


 そして零れ出た血を、白衣のポケットから取り出した付箋のような形をした緑色の紙に染み込ませた。


 母親も同じく、足元の破片で手の甲を裂き、自分と娘の血を緑の紙ですくった。


 他の三人は、パソコンに向かい何かの操作をしている。


 その操作はどうやらメニューの切り替えのようで、


「できました、主任、副主任」


 金属がズレる音が響く。キーボード横の空白地帯となっている音源からは、薄い板が飛び出ていた。


「ありがとう」


 そう言って父親と、その背を追いかけるように母親が板の前まで向かった。


 そしてその板の上に三人の血が染み込んだ紙を乗せ、空白地帯に押し込む。


「始めます」


 研究員の一人がキーボードを叩くと、画面に無数の数列や丸が線で繋がれた細胞の形が浮かび上がり、流れていく。


 渚は伏せていた顔を上げ、その画面におかしな点がないか必死に、それこそ特殊才能を使って追った。


 渚の体感的には一時間にも感じられたそれは、実際は十秒程で終わった。


 結果は、


「うん、親子関係は確かめられたよ」


 あっさりと、全てが否定された。


 特殊才能で見た限りでも、不正が働いた様子もない。


 なら、つまり、


「私は……」


 安堵と共に、吐き気を伴う罪悪感が襲ってきた。


 渚はここに辿り着くまで、二十近くの場所をハッキングしてきた。


 あの藁半紙に書かれた建物には、必ず生体電気は存在するのに、データ的にはないとされる場所が存在していた。


 最初は、そんな場所にあるデータがまともであるはずがない、という理由からクラッキングを行っていた。


 しかし、徐々にそれは答えに辿り着けない苛立ちに対する怒りへと変わり、データを壊し続けた。


 果たして、大事なデータを故意でないとはいえ失った彼らは無事で済むのだろうか。


 先程渚は、闇を知ったばっかりだ。そして、その行く先がまともでないと、直感で理解できる。


 彼らの中には、愛する者や家族が存在する者も居ただろう。


 その者達も、無事では済まないのかもしれない。


 確かに、闇に染まった研究員達がしていた研究は、内容を理解する事こそできなかったが極悪非道なものだとは感じられた。


 けれども、どんな悪人でも、自分のせいで死ぬのは気分が悪い。それだけでなく、何も知らずに付き合っていた一般人まで。


 渚は、殺したのだ。


「どうしたんだい、渚?」


「い、いや……」


 極論を言ってしまえば、研究員達は裁かれて然り。身内を殺すのも、闇がいけない。


 けれども、素直に親子関係の証明を喜ぶには、無視できない事実でもあった。


 と、不意に、風が流れた。


「あら。その結果、嘘ですわよ」


 そして背後から、雨風混じりの声がした。


 先程聞いたばかりだ。声の主は、


「由麻静波……動けたの?」


 振り返れば、その通り。


 ただ雷を一身に受け、身体を動かす電気系統は狂っているはず。


「これでも電磁系才能保持者ですので。自分の力で身体を動かす事くらい、わけないですわ」


 つまり静波は、雷のせいで動かない身体を、自らの才能で動かしているという事だ。


 それは言葉にするだけなら簡単だが、身体を構成する全筋肉の役割を知り、それにあった電気を常時流し続けなければならないのだ。


 だがそれで今更ながらに疑問し、納得のいく点もあった。


 生命維持に必要な心臓や肺を動かすのも、電気。それが狂っているなら、本来は死んでいる。


 けれど彼女は生きていた。


「……嘘つけ」


 しかし、それに渚は否定の言葉を紡いだ。前提が間違っているのだ。


「特殊才能だって発動には電気信号を要する。最低でもそこまでコントロールする人材が、近辺に潜んでいるんでしょ」


「ありゃ、バレましたか」


 静波は舌を出した。


「ご明察ですわ。わたくしが特殊才能を発動させられるまでは、パートナーである人が支えてくれたんですの。まあわたくし、こんな体質ですので。その人は今、貴女と敵対する事はないので安心してくださいな」


 そう言われて安心できるほど、あの戦闘は甘くなかった。


 だから警戒はしつつ、訊ねる。


「何で間違っていると言えるの?」


「そもそも、『何か』がなければわたくしが動くわけもありませんのよ。そんな大根役者にも劣る三流に騙されないでくださいます」


「けれど、不正はなかった。順位はあなたの方が上かもしれないけど、この街ではそれが実力を示すわけではない」


「そうですわね。ですが、一つの証明がこの場にはありますわ」


 それは、


「貴女が、ここに居る事。おかしいですわね? 確かに堅牢ですけれど、わたくしレベルならここのハッキングは可能ですのよ?」


 渚と静波。特殊才能の差は、そこまで存在しない。


 それを思考させる間を作ってから再度、静波は笑みを以て告げる。


「おかしいですわね?」


 純粋な喜の感情が浮かぶ表情に辟易しながらも、渚は一つの答えを得ていた。


「私専用に、防護プログラムが組まれていた?」


「大正解ですわ〜!」


 拍手で讃え、それから指を鳴らした。


 渚はその先から、電気が流れたのを感じた。


「今の状態ではハッキングは無理ですけれど、正式なデータの呼び出し程度なら可能ですのよ」


 親と子の血縁関係を証明した画面が、移り変わる。


 一瞬の文字化けを経て、数字が変化する。


 ゼロへと。


「まだですのよ」


 再び指が交差し、電流

が起こる。


 脇に並ぶ小型端末の一つが強制起動し、そこへデータが送り込まれる。


 データ読み込み率が百パーセントになったのを知らせる音が静寂に鳴り響き、静波の特殊才能で渚の手にそれが届けられた。


「見てみなさい」


「止めなさい、渚!」


 父親が何かを言ってくるが、既に彼に対しての信用は失われていた。他も同様に、だ。


 全てが平等に怪しければ、自分の目で見たものを信じるしかない。


 だから全員をプラス、周りをなぞる空気をマイナスとし、その場に固定した。


 そして目と意識を、手元に向ける。


人工特殊才能保持者アビリティー・チルドレン製造計画についての報告書。


 前提としてまず、人口特殊才能保持者製造計画は二つの目的がある。ここにはその内の一つを記録させてもらう。

 計画名、「犠牲児」。

 人口特殊才能保持者「犠牲児」とは、ランク4へ至る条件であるレベル2を開花させるため、産まれながらに特殊才能を宿した贄である。

 そもそもレベル2とは何か。それは、基礎才能に伴い、科学的には可能と証明された事象の顕現である(ただし、現在発掘中の「科学魔術」はその法則から外れていると予測)。

 開花の条件は、自身の才能を脳に適応させる事。反復を繰り返す事で、まるで数式のように脳へ刷り込まれていく。

 だが、数式一つの解答でも、そこには同努力をしようと適応能力の有無、つまり個体差が出てくる。それは、特殊才能でも同じである。

 これは、生成時から同ランクの特殊才能を宿す人工特殊才能保持者が後の成長にてランクの差異を示した事で証明されている。

 上記は育つ環境が脳、また特殊才能保持者に付随する脳領域空間アイデンティティに与える効果からの差異と見られている。

 「双子の共感覚」を以てしても後の環境に対する考え方には微妙な違いが見られるため、この証明は別の方法を模索する。

 さて、話がずれたが、一つだけ上の事から解った法則がある。

 それは、脳に刻まれる情報は、脳領域空間に影響を及ぼし、特殊才能の行き先すら左右するという事。

 ならば、印象深い情報を特殊才能を用いて脳に対し刻み込んだら、どうなるか。

 反復し記憶を司る海馬の奥底へ刻む混むより、印象深い他の事象と絡める事で思い出しやすく、また海馬の奥底に押し込まれ忘却してしまうという事がなくなるというデータが取れている。

 それなら、脳に特殊才能を素早く適応させる事も可能ではないか?

 前記から仮説は、通常より多くの経験値が得られ、レベル2への開花が早まる、となる。


 「犠牲児」五千人に対し、今該当才能保持者は「雨津目葉」。彼の才能は北極の謎を解く鍵となる可能性を秘めた「禁則事項です」であるが、レベル2の発現には至っていない。

 そのため、四千九百九十人は〈塔〉の実験室にて、そして街に在籍させた十人の人口特殊才能保持者「犠牲児」と一定の状況下にて戦闘。実戦においてその才能と戦闘能力を高め、「禁則事項です」である「禁則事項です」と双璧をなさせる。 ただし、この計画が成就するきっかけとなったファースト・チルドレン−−胡桃渚を最後の被験者とする。彼女は「犠牲児」唯一のランク4にして、現在「禁則事項です」である「禁則事項です」を上回る戦闘能力を有している可能性が高い。

 「天津目葉」の敗北する確率は、演算結果から二パーセントと証明されているが、その二パーセントは大きなものである。

 この二パーセントは、彼の特殊才能の燃費の悪さから、実験中に特殊才能が解けてしまう場合を加味したものだ。

 故に四千九百九十九人を殺し終え、特殊才能の成長が進んでからとする。


 また、人口特殊才能保持者が築いた関係について、彼らの消失が街に与える効果を見るため放置。

 研究成果が出た後、文書等は内々にて処分する。


 禁則事項の部分については、電磁系才能保持者などのハッキングの可能性を踏まえ、孤立ネットワーク内にて別保存される。

 このデータは胡桃渚のハッキングパターンを計測し、それに対抗するプログラムと共に保存する。


 以上が、人口特殊才能保持者製造計画「犠牲児」の概要である。


 −−記録、観察、監督、夜霧冷夢』


 最後に、一つの画像が添付されていた。


 色彩が失われたような白髪に、絶望をかき混ぜたような淀んだ鈍色の瞳。唇は青白く変色しており、乾燥している女性の顔。


 この人物が、夜霧冷夢なのだろう。


「っ!?」


 その顔を認識した瞬間、頭を刺す痛みが襲った。


 ただ、今はそんな事より、


「何よ……これ。人口特殊才能保持者? 犠牲児?」


 訊ねても、答えは返ってこない。


 だから詰め寄り、再度叫ぶ。


「何よこれ!」


 声が震えているのが、自分でも分かった。


 理由も、分かっている。答えは書いてあったのだ。


 けれど、それを信じたくない。信じたなら、


(それは自分自身を道具だって認める事になる……!!)


 だから、


「答えてよ!」


 堪忍袋の緒を切らせ、父親の胸倉を掴む。


 だが、顔を逸らすだけで口が動く事はない。


「無理ですわよ。そいつら(・・・・)は、金と自分の命に目がくらんだ亡者達なのですから」


 侮蔑に染まる声。


 父親から手を離し、主たる静波の方に振り向き、渚は問うた。


「それは、どういう意味?」


「どういう意味も何もないですわ。そいつらは、莫大な報酬と夜霧冷夢が進める不死者製造が確立された時、その方法を自らに施してもらう。そのためだけに命の管理をしていたのですわ」


 静波は自らの才能で周りの電子を分解し、歩み、距離を半分に詰めてきた。


「話す気もないようなので、わたくしから、人口特殊才能保持者が産み出された経緯についての説明をさせていただきますわ」


「待て、〈電離の令嬢〉」


 今まで断固として口を開かなかった父親が、焦ったように言葉を紡ぐ。


「それでは契約が違うじゃないか。お前は我々の命を守る。そうじゃないのか」


 ようやく聞けた声は、余りにも欲にまみれていた。


 そしてそれは心を冷まし、


「……話して。そいつら(・・・・)の事はどうでもいいから」


「いいですわね、それ」


 静波は、血の気のない唇を弧にした。


「ですが少々お待ちを。契約を放棄する場合には、それなりの証明が必要ですのよ」


 この場においての証明とは、


「もう飽きましたわ。もしかしたら、情と言うものが湧いて、この街に反旗を翻してくれるかと期待していましたが……正直、浅ましすぎて反吐が出ますわ」


 研究員達に向き、静波は無表情で決別の言葉をぶつけた。


 彼らの顔が、一気に青ざめる。


「さて、お話させてもらいますわ。試験管で造られた、命の行き先を」


 語る。


「人口特殊才能保持者計画とは、当初読んでそのまま人工的な特殊才能保持者アビリティーホルダーを開発するものでしたわ」


 静波はパソコンに映るデータを書き換え、メモリーのどこかに保存されていたらしい別の画像を呼び出す。それは、女性の顔だった。


「世界で初めてヒトゲノムの構成を試験管の中で成功させたこの人物は、ご存知ですわよね」


「確か……柚素戯鈴実ゆそぎれいみ


「正解ですわ。そしてその名は、夜霧冷夢と彼女の本名を適当に組み合わせて作られたものらしいですわ。それを夜霧の技術を合わせれば」


「一から……人間が創り出せる」


 静波は頷いた。


 しかしそれは、この街においては禁忌である。


(……いや)


 一つだけ、思い当たる点がある。


「お前達……闇が絡んでいるのか」


 指を静波に向けて、告げる。


「わたくし達、というのは心外ですわね。一口に闇と言っても、そこには多くの部類があるのですわ。

 人口特殊才能保持者に絡んでいるのは、闇の大本ですのよ」


 その正体は、


「つまり、夜霧ですわ」


 絶句する渚に、話が逸れましたわねと言い、続ける。


「そうして、一から培養された人間に脳領域空間を植え付ければ、人口特殊才能保持者の完成ですわ。今の科学は、男女の営みすら無駄な行為だと吐き捨てられるくらいに、高度なものになっているのですの。これが人道とやらに引っかかるかどうかは、受けとる人次第ですけれど」


「それは……」


 引っかかるだろうと言おうとし、途中で渚は口を閉ざす。


 最適化された科学という点で考えれば、理論上は認められるものだろう。ただしそれは、現実世界では机上の空論となる。


 何故なら人道に引っかかるからだ。


 しかしその考えを、口にする事はできない。


 静波が受けとる人次第ですけれど、と言った意味は、よく解る。解ってしまう。


 そもそも人道とは何か。感覚的なものだが、敢えて具体的にするなら人が自らを綺麗に保つために植え付けた洗脳のようなものだと、今の渚は思う。


 育つ環境によってそれは変わる。そして少数、または汚れた考えは排他される。


 もしここで人口特殊才能保持者を否定したならば、自らの在り方を否定する事になる。


 自分がこれを知るまでは、否、知ってからも、普通の人間として生きていけると思う。


 だが、自分を普通の人間とカテゴリーしたいなら、人口特殊才能保持者の存在は否定しなければならない。


 もし否定しなければ、世界が自分を否定するだろう。


「それじゃあ私って……何なの?」


 現実から目を背けるように目を瞑り、耳を手で塞いで膝を折る。


 しかし、指の隙間を縫うように静波の冷たい声が届いてきた。


「書いてあるでしょう。十四年前、初めて産み出された特殊才能保持者、ファースト・チルドレンの胡桃渚ですわ」


 その声のためか、或いは入り込む冷気のせいか、身体の芯が冷え背筋が震えた。


「はぁ。義理とはいえ親も親なら子も子ですわね」


「……どういう意味」


 渚は立ち上がり、手を耳からどけた。そして、静波を睨みつける。


「文字通りですわ。やることなすこと全ては形だけ。自己保身のためにしか動けない。ほら、同じじゃありませんの」


「そんな事ない!」


「なら、証明してくださいまし」


 静波は、手を前に伸ばし、人差し指を向けた。その先に居るのは、研究員達。


「殺してくださいな」


「な、何を言って……?」


 渚は困惑した。脈絡も何もない命令に。


 しかし、そう思うところから間違っている。


「おかしな話ですわね。そいつらは貴女を金と命が湧く道具にしか思ってないのですよ? しかもそいつらは闇。殺しても、罪にはなりませんわ」


「そういう問題じゃ……」


「あら? これはそういう問題ですのよ」


 当たり前を教えるように、告げる。


「貴女は自分の出自に嘆いていた。人間らしくていい感情ですわ。しかし、それを貴女自身が今、否定した」


 静波が深い笑みを浮かべ、首を傾げる。


「ならば、貴女は何のために現実から目を背けたのでしょうね?」


「……………それは……………」


 見つからない。解らない。


「答えられなくて当然ですわ」


 そこへ、声音は変わらず静波の声が投げかけられる。


「何せ、データが足りないんですもの」


 そして、頭に何かがのる。それが静波の手だと認識すると同時に、


「自らで閉ざした記憶を取り戻しなさいな」


 電気が、流れた。






 走る電流は脳細胞を刺激し、禁じられた扉を開く。


 闇が、開かれた。


 広がるのは、一つの風景。


 温暖色に照らされた部屋。そこに等間隔で幾つものガラスの容器が並んでいる。


 その容器には、赤い液体が満たされている。


 赤い液体の中には、影が存在した。


 形成されていく臓器の数々。骨の塊。肉の塊。凹凸のない肌色の塊。


 そのどれもが、人間に成る工程を歩んでいる何かだ。


 そんな風景を理解できる私は、何なのだろう。


 意識と呼ばれるものはある。


 だが、身体と呼ばれるものは動かない。あるのかさえ、定かではない。


 人間にとって、見える世界が全てだ。


 ならば私は人間なのだろうか。


 解らない。


「初めまして、始まりの子」


 不意に私は、人間を見た。


 見るものを絶望させるような、そんな不穏な感を纏わせる女性だ。


 いやそもそも、意識というものを今得た私は、何故彼女を視認できる。


 私の知識では、生まれたばかりの人間はものを見る事はできないはず。


 ならば私は、人間ではないのだろう。


 否。


 そもそも私は、何故このような知識を持っている。


 人間以外の動物がものを見たり何が危険かと理解しているのは、DNAに刻まれた本能であるからだ。


 知識ではない。


 そして知識とは、様々な経験を経て、脳に刻まれる情報体だ。


「ふむ、この情報パターンは戸惑いだね」


 まるで、こちらの感情を読み取ったかのように目の前の女性は告げた。


「何に戸惑っているのか、教えてちょうだい」


「私、は、何?」


 たどたどしくではあるが、どのような口の形で声帯を震わせればよいかは知識としてあるので、言葉とする事に成功した。


「何、と言われれば人間、としか。けれど、敢えて特別扱いするなら、一から造られた子供。生まれながらに特殊才能を宿した、ね」


「なら、あなたは、私の、お母さん?」


「製造者の捉え方としては正しいだろうね」


「なら、お父さんは、誰?」


「見解の相違だね。別にワタシは誰かと交わりあなたを生んだのではない。ここに在る容器の数だけ命を産んだんだ。そして初めての成功例があなた。まあ、失敗する確率は零だったけどね」


 目の前の女性が告げた言葉を精査し、私は口にする。


「それは、倫理に、反する」


 女性は笑い声を上げた。ただしそれは、失笑と呼ばれるものだ。


「倫理や人道なんて何度も塗り替えられてきた。所詮は数さ。容器の数を増やすだけで、この世の常識は変わる。君の目覚めのお陰で、それが証明されたよ」


「その、言葉から、推測、するに、私に、不自然に、宿った、知識の、数々は」


「ああ、ワタシだ。所詮は電気信号。脳に刻むのは簡単な事さ。目が見えるのも同じ理由だ」


「成る程」


 認識を行動で証明できない私は、それを口にし、


「では、私は、これから、どうなるの、でしょう」


「人口特殊才能保持者製造計画は、まだ経過を見る途中だからね。殺さない程度に君をいじるよ」


 笑みを現す。


「ワタシは不死者を造る事を人生最大の命題としているからね」


 私はそこで初めて、彼女の人間らしい感情を見た気がした。


「ならば、だ。ワタシの実験の協力者として固有名詞が必要だろう」


 彼女は、何かのスイッチを押しながら言う。


 すると、ガラスの容器が開き、液体と共に私は外へと落ちる。


 液体は、地面に触れる前に消えた。空気中が湿っぽく感じる事から、気化したのだろう。


 そして支えを失い、重力に従って落ちる私の身体は、


「渚とでもしよう。波打ち際という意味だ」


 彼女に空中で拾われた。


「なぎ……さ……」


 多分、そこに意味はないのだろう。


 けれど自分を自分だと表す記号に、私は口角がつり上がっていくのを避けられなかった。



 そして、場面は流転する。






 暗い暗い闇の中。音も光も臭いも隔絶された謎の部屋。


 あの不思議な暖かみのある部屋で産まれてから約五年の年月が経っている……らしい。あくまで夜霧冷夢に教えられたものだから確かではないが。


 それはともかく、一年前から私はそこで暮らしていた。


「…………」


 暗闇の中、しかし見る深遠は全て霞がかって見える。


 身体には力が入らず、座るという動作すら不可能。仰向けの体制にすら苦痛を感じた。


「………………」


 喉は至る所が裂け声は出ず、呼吸をすれば鋭く痛む。


 ぼろぼろだ。自覚できてしまうくらいに、私は追いつめられていた。


 まるで拷問のような生活だった。


 頭に機器を貼り付けられ、様々な脳波パターンを見られる。


 最初は楽だった。扱いも、下手なホテルより丁寧なものだと私の知識は告げていた。


 が、しかし。一年前に全ては崩壊した。


 たったの数言で、だ。


『うん。ようやく耐えられる肉体年齢になったな』


 と。


 それから肉体的、精神的痛みはもちろん、薬漬け、快楽漬け、様々な生き物を構成する遺伝子すら体内に入れられた。


 夜霧冷夢やそのアシスタントにより育まれた道徳や自尊心は、瓦解した。


 これがどれだけ酷いか、夜霧冷夢がインストールした知識により分かる。


 なまじ分かってしまうから、苦しい。


 誰かに、助けてほしい。


 けれど私を知っているのは夜霧冷夢とその関係者だけだ。


 第一、動かぬ身体では行動を起こす事はできないし、裂けた喉では叫びを上げる事すらできない。


 ヒーローは決して現れない。


 救いがないならいっそ、殺してほしい。自殺は彼女のせいでできないようにされているから。


 手足は鎖で縛り付けられ、口には猿ぐつわが填められている。心停止を狙える特殊才能は、薬により意識が常にブレ、発動に結びつかない。


 しかし夜霧冷夢は言っていた。私を、殺さぬと。


 この拘束だって、私を殺さないようにするもの。


 だから私は、夜霧冷夢が死ぬか私の寿命が来るまで一生終わらぬ地獄に耐え続けなけれならない。


 耐えられるわけがない。


 幾ら肉体に考慮しようとも、精神の方は徐々に衰弱し、やがて意識を切り離すだろう。


 それは、一体いつの事になるのか。


 人の精神と意識の繋がりは、私が考えているより遥かに高い。


 命も、感情も、意識も殺さずに、ただただ夜霧冷夢の実験は絡みついてくる。


 年単位をまたがなければ、私は殺されないのか。


 いや、それとも。


 ……それ以上は思考しないようにしている。


 その線を踏み越えればきっと、私は私である事を呪う。


 あの時、夜霧冷夢が付けた『渚』という名前が拘束であると同時に、証明でもある。


 私は私として、ここに居るという、証明。


 もし自分を呪えば、私は自らを否定する事となる。


 そんなのは嫌だ。


 こんな思いをしても、いや、死に何度も近づいたからこそ、私は生きていたいと思う。


 けれど、絶望は前触れもなくやってくる。


「………………」


 光を背に、何故か口を開かない夜霧冷夢。いつもなら、『さあ、楽しい愉しい実験のお時間だ』と告げるのに。


 表情からは、落胆も見える。


 ……落胆? あの夜霧冷夢がか。


 この世にある全てを面白がり、既存の法則ですら自らで証明しないと気が済まない科学者が。


 ……いや、一つだけある。夜霧冷夢が落胆する事柄が。


 実験体を取り上げられる。


 何らかの事情で、私への実験を止めざるを得なくなったのだろう。


 そこから導ける私の行く先は、簡単だ。


 殺処分。


 おおかた、倫理や人道の問題だろう。私の存在は、それだけ狂っている。


 それに私は、安心と絶望の同居を味わっていた。


 夜霧冷夢の実験から逃れられるのはいい。けれど、死にたくはない。


 ぼんやりとする頭で、しかし行動一つ起こせない身体は、光に一つの影が混じるのを見た。


「だんまりはよくないよ、冷夢ちゃん」


 黒髪の青年。特筆する点と言えば、達観したような瞳という点だけだ。


 私は、彼を知っている。


「初めまして、始まりのファースト・チルドレン。僕は、夜霧新という」


 あの冷夢ですら抱え込む実質的な夜霧のリーダー。


 彼は手をこちらへ延ばしてきた。


「一つの選択をしてもらおうか。このまま彼女の実験体として生きているのか死んでいるのか分からない人生を送るか、僕に利用され、当たり前の人生を歩むか」


 話が上手すぎる。


「………………ぁ」


 けれど今、先の事など考えていられる余裕はなかった。


「……新クン。今渚ちゃんは、声帯が壊れて声が出ないんだ。身体の方もボロボロだから、動きにも移せない」


 声も表情も平坦。しかし五年間、刻み込まれてきたから分かる。


 彼女は実験体を奪われるくらいなら、倫理や損得、約束など蹴散らしその本分を全うする女性だ。


「から、少しの間だ回復を待ってくれないか。……そうだな、二日もあれば完璧に仕上げよう」


 もしこの言葉を鵜呑みにしたなら、その二日間で私はこの世の最小単位として消え去るだろう。


「………………ぁ………………ぅ」


 だから必死に訴えかける。


 けれどどんなに痛みに耐え動こうとしても、身体は言う事を聞いてくれない。


 麻薬の効果に似た作用をもたらす興奮物質も、その麻薬の副作用により分泌が阻害され、今以上の力は出せない。


(嫌だ……よ……)


 霞む視界が、更に曇る。


 乾いた肌に、原因たる水分が吸い込まれた。


 最後の足掻き。身体は電気信号に反応せずとも、まだ私の思いは死んでいない。


 だからなんて、奇跡は起きない。


 結局、私を救ったのは今までを耐えた私自身だった。


「冷夢ちゃん。この子の実験で君は、自らのクローン体の大量精製。脳波を調律した常時受信機能を確立させた」


 けれど、と夜霧新は言う。


「それ以前に君は、三人のクローンを造っていた。なまじクローン体を造ったお陰で、普通の人間ともクローン体とも違う。そんな脳波パターンをした『何か』が浮き彫りになってたよ。

 そしてその三番目は、循環の蛇の能力を応用した『どんな傷も細胞分裂が可能な限り直す』力を備えている。言うなれば不傷者だ」


「……確かにそうだけど、その方法はあくまで三番目にだけ適応できた特殊な方法なんだよ」


「君ほどの科学者がそれは有り得ない。証明した方法は実用化まで漕ぎ着ける。そして科学とは、幾千幾万と繰り返そうとも、たった一つの結果だけを導き出すものを言う」


 逃れど回り込み、絡みつく論法に、冷夢の表情に苦虫を噛み潰したような感情が浮かんだ。


 そして、


「……降参だよ、新クン」


 観念の意を示すように首を横に振った。


「全くをもって不愉快だ。奈々美ちゃんが奪われたばかりだというのに、次は渚ちゃんとは」


「それについては悪いと思っているさ。だから冷夢ちゃんには『犠牲児』と『傀儡児』の監督を任せるんだ」


「どちらもワタシに利益はないじゃないか」


「証明はできるさ」


 会話の意味が分からず更にぼうとする意識の中、革靴の音が反響する。


 そのまま、浮遊感。


「特殊才能は人の力でいいのかという、ね」


 抱き上げられたのだと理解したのは、その声が脳内に巡り消えてからだった。


「どう、楽しそうでしょ?」


 答えは、なかった。


 私は夜霧新の歩みにより作られる振動に身を任せ、力の入らぬ身体は物理法則に従う。


 そのため、私は見えた。


 横を通り過ぎる時。


 夜霧冷夢は俯き、身体を震わせていたのを。


 そして、彼女の姿が背後へ消え。


「アアアアッッハッヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ」


 悲鳴にも似た甲高い笑い声が後ろから響いてきた。


「静波ちゃん」


 夜霧冷夢が奏でる音に、夜霧新の固有名詞を告げる声が混じって聞こえる。


「居ますわ」


 幼くも高貴な声音。


「この子の今までの記憶、消してくれないかい」


「分かりました」


 頭に何かが乗っかる感触が生まれる。


 そして静波と呼ばれる人物を視認できず。


 私の意識は暗転した−−。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「−−はぁはぁはぁはぁはぁはぁ」


 静波の意思により削除ではなく、封印されていた記憶の扉が開かれ、渚は膝から崩れ落ちた。


 膝を着くと同時に口に手を当てるも、


「うっ−−オェェェェ」


 胃の中身を胃酸ごと逆流させてしまう。


 水っぽい音が地面に響き、数十秒後に止まる。


 見開いた目に雫をため、全身から玉のような汗を渚は浮かばせていた。


 二つの滴はやがて落ち、地面にまばらな模様を作り出す。


「はぁ……はぁ……はぁ……うっ」


 気持ち悪さは残るものの、吐き出す中身のなくなった渚は、えずきながらも息を整える事に集中する。その音だけが、この空間を支配する。


 ある程度余裕ができた渚は、口にある苦いものをまとめた唾液を吐き捨てる。粘り気のあるそれは、彼女の口に細い糸を引いた。


 そして、力の入らぬ膝に特殊才能を叩き込み、無理矢理立ち上がった。


「………………」


 腕で唇を拭い、視界に収まる全てを睨みつける。


「答えは、でましたわよね」


 全部を見透かしたような声色で、静波が告げる。


 同じ時に彼女の指先から足下に、電気が走った。その行く先は、渚の生み出した吐瀉物。分解され、消え去った。


 それで静波の体調を悟る。


「……前言を撤回されてもらうわ」


 渚は、冷めた表情で言う。


「私は、私のために夜霧冷夢を……いや、冷夢だけじゃない。夜霧そのものに抗う」


「じゃあ、」「けど」


 渚は、静波の言葉を先回りする。


「夜霧以外を殺したりは、絶対にしない。……汚い大人かもしれないけど、それでも私を育ててくれた大事な人だから」


 そう宣言すると、渚は後ろへ方向転換した。


 ドアは開けっ放しだ。


 そのまま歩み、ドアの横に並ぶと、向き直り、


「……ありがとう」


 そう言って、階段を登り始めた。


「そういう展開は、望んでねえんだよ」


 渚の耳に、不意にそんな声が入り込んだ。


 反射的に渚は振り返る。


 声音も声色も、静波。けれど、もっと根本的なところが違っていた。


 渚の視野に、手を天に向け上げる静波の姿が映る。


「まさかっ!」


「正解ですわ」


 思わず叫んだ渚に、小馬鹿にした声質で言う。


「わたくしも、電磁系才能保持者なんですのよ?」


 そして。


 −−閃光が目を刺し、後から追うように獣の叫び声のような轟音が鼓膜を限界まで震わせた。


 扉一つを境目に、雷帝は全てを破壊し尽くした。


 渚は崩れ落ちる建物の破片や土を掴み、或いは抜け道の一カ所しかない風邪に押し出され、外へ吹き飛んだ。


 地面を転がるようにして脱出した渚。彼女の体力精神力は既に尽き、起き上がる事ができない。


 渚はただ、崩れ無に帰す地面を見ているしかできない。


 大切だったからこそ殺さないと決めたはずなのに、それは雷により地面と同じく呆気なく崩れ去った。


「ぁ」


 脊髄反射的に悲鳴を上げそうになるその時、


「ふふ」


 微かな笑い声と共に視界の端に白い影が映り込んだ。


 それはすぐに消え去り。


 けれど確かに、大きな爪痕を残した。


 そう。


 渚は守りたいものが失われたその時に、感情と思考が乖離し、悲鳴を上げる事も、泣く事もできなかった。


 ただ渚は、目の前に広がるクレーターを眺め続ける。


「……寒いよ」


 雨は、一層強さを増していた。


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