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ファクターズ  作者: 綾埼空
三話 二十六日
93/131

雷鳴事件~闇夜の氷霧~

「あつ……」


 西の方に沈もうと強い日差しを発する太陽を、夜霧萌衣よぎりめいは手でひさしを作り忌々しげに睨んだ。


 いつもはポニーテールにしている藍色の髪は、黒のエクステで隠れ、彼女は今、黒髪ロングの女性に変わっている。


 先天的に髪が青く、染色料も落ちやすいため見慣れず、余程近付かなければ親友であるのどかでも分からないだろう。


 頭が蒸れる、とイライラしながら、それとはまた別の事を吐き捨てる。


「たくっ、『科学魔術』保持者の外出許可が普通に出ている事からおかしいと思いなさいよ」


 独自に得た情報から『科学魔術』保持者である水城飛鳥の正体がクラスメートの久澄碎斗の妹だという事。その二人が外界に出ているのを知った萌衣は、それを承認した病院の前に居た。


 久澄が何度か運び込まれているあの病院だ。


(この街では、重要人物が外へ出るのは基本的禁じられている。余程深い裏の医者でない限り、顔写真は回されているはずだけど……)


 予想が当たっていれば、と元々の髪と同色の瞳で穿つように病院を睨みつける。


「てかそれにしても……」


 何で自分はこんな事をしているのだろう、と今更ながらに考えた。


(何にせよ、あの時には考えられない事よね)


 歩み出す萌衣。その無意識下では、あの雨の日に連なる四月を思い出していた。








 MGR社日本支部の学校は、その規模、種類に関わらず四月の第一月曜日に入学式が執り行われる。


 二〇七一年四月六日。


 桜の花は道を桃色に彩り、歩く人々を不可思議な世界へといざなう。まだ見ぬ新天地へ足を踏み入れる事となる春の季節を象徴しているようだ。


 一陣の風が吹いた。


 産湯のような暖かさが頬を撫で、不安に支配された心を朗らかに解いていく。


 空気を胸一杯に吸い込めば、桜の甘酸っぱい香りや草木の若々しさが身体を満たすだろう。


 誰もがやる気に溢れ、それでいて安全な季節。


 それが春。


 しかし、それに似つかわぬ空気を醸し出す少女が一人。言うなれば、鋭利な氷が制服を着て歩いているというのが正しい。


 適当にまとめた感のある藍色髪のポニーテール。永きを経て鋭さを極めた氷の如き目つき。その奥に宿る髪と同色の瞳は淀んでいた。


 通学路である坂道を登る足は大股。しかし足音は鳴らない。


 その事から、彼女が武芸を嗜んでいる、もしくは礼儀作法が叩き込まれていると、どちらにせよ良家の出だと推測できる。


 彼女は幼さの残る容貌を精一杯鯱張らせた新入生達をどんどん抜き去り、校門へ。


 逡巡なく踏み入る。






 体育館で行われた入学式もそこそこに、電子掲示板掲示されたクラス表から自分の名と共に目的の人物の名を見つけ出し、驚く。


(偶然とか運命とか、数的結果で出ないものは信じない主義だけど、確率論よりよっぽど信じられそうね)


 運が巡っているわ、なんて考えながら三階にある一年二組に。


 まばらに居るクラスメートとなる人達を横目に前へ歩いていく。


 目的である電子黒板に映されている席順から自分ととある人物の名を見つけ、窓際の後ろから二番目の席に荷物を置いた。


 席に着きながら、右斜め前を睨む。


 沸々と怒りが湧いてきた。


(あいつのせいで……)


「あ、あの」


 挟み込まれた弱々しい声により、思考が急速に冷めていく。


(てか、全然気付かなかった)


 周りが見えていないのを自覚しつつ、音源である後ろを振り向く。


 一目で、日本人形を思わせる姫カット。前髪に隠された目は、正面を見ないようにオドオドしている。


「何?」


「あ、あの、よ、よろ、しく」


「あーうん。よろしく」


 適当にあしらい、正面に向き直る。


 物事をハッキリしないタイプは、嫌いなのだ。


 だが、思考を遮ってくれたことには感謝する。狂気の使いどころは知っているが、暴走した感情が何をもたらすか。理解できない程甘い世界には居なかった。


 復讐はあくまで冷静に。


(読書でもして気を紛らわしますか)


 鞄から、電子辞書くらいの大きさのディスプレーを取り出した。特別な場合を除き木の伐採が法に触れる現在、この小さな端末が教科書や書籍といった旧時代に紙媒体であった全ての代用品になっている。


 一年以上前に購入したファイルへイン。


 ファイルのタイトルは『天にも昇る気持ちよさ! マッサージの全て』であるが、開かれた書籍自体の題名は『地を這う苦痛! 拷問全書』と、物騒なものだ。


 それを眺める。ページをめくるスライドは早い。それもそのはずで、紙であったら穴が開いている程読み込み、今行っているのも単なる確認作業だ。


 どうしたら、苦痛を多く殺せるか。


 と言っても、女子高校生。生きている相手にそこまで複雑な事はできないし、力で勝てるとも思っていない。るなら一瞬の隙を突き、一撃で。


 その後の死体をどう蹂躙するか。その計画を練っているのだ。死体を届けられた家族に、多くの苦痛を与えられるように。


 二百を超えるページを五分程度で読めば、顔合わせが目的のホームルームが始まるチャイムが鳴った。


 本人が思っている以上に集中していたらしく、クラスメートの殆どが揃っていた事に驚く。


 すぐさま視線を走らせ、右斜め前に。


(−−居た!)


 黒い髪。日本人らしく足より胴が長い背。座高だけで百センチ程度はありそうだ。折り曲げられた足から推測するに、全体では一八〇センチくらいだろう。逆側を向いているため、顔は見れない。


 中学校からの知り合いか、黒の上に黒を染めたような濃い色をした髪を持つ少年と話していた。


 今知り合った可能性は、排除されている。


(人殺し(・・・)がこんなに早く友達をつけれるはずないから、昔からの知り合いか……)


 自分に納得のいく解答を導き出す。


 ひとまず視線を外して、ディスプレーを鞄の中にしまう。


 他のクラスに足を運んでいたのだろう一部もだんだんクラスに集まり、チャイムが鳴ってから一分程。前のドアが開いた。


 入ってきたのは、背の高い女性。入学式のため制服姿だが、着ていなかったら先生だと判断できないだろう。


(何あれ、珍生命体?)


 思わずな思考をしてしまう。


 同じ感覚を得たのか、教室の至る所で動揺が見れる。黄色いものが多いのは気のせいだと思いたい。


 幼かった。何が、と問われれば顔が。スタイルが。


「おはようございますぅ〜」


 あと声が。


 甘ったるい声色と語尾の伸ばしに、吐き気を覚えた。


(生理的に受け付けないわけじゃないから大丈夫だろうけど……慣れるまでが……)


 お弁当が始まるまでに何とかしなければ、と頭を抱えていると、件の先生が電子黒板をいじっていた。


「はいは〜い。注目ですよぉ〜」


 電子黒板にははっきりと見える黒字で、『薄宙小詠』となっていた。


「わたしの名前は、うすぞらこよみと言いますぅ〜。公私さえ分けてもらえれば渾名で呼んでもらっても構いませ〜ん。よろしくですねぇ〜」


 宙でそらって読む名字あるんだ、と片肘付きながらふんわり思っていると、


(ん? 薄宙小詠って……)


 その名を彼女は知っていた。同時に、黄色い声が気のせいでないと理解する。


 夜霧、錠ヶ崎寧々、ランク4の特殊才能保持者アビリティー・ホルダーに次ぐ、この街の有名人。


 見聞によれば、非公認にファンクラブがあるという有名人。その規模は、万単位に昇るという。


 何をしているのかは定かではないが、曰わく人生相談らしい。


 それで有名人なのだから、凄い人物なのだろう。


(ま、私には関係ないか)


 興味を失い、外を見る。


 小詠の方を向いた右耳に、あの甘ったるい声で、彼女にとって避けたい事が届けられた。


「先生の自己紹介も終えたのでぇ〜、今度は皆さんのお名前を教えていただけますかぁ〜」


 顔をしかめなかったのを褒めてもらいたい。それくらい、嫌な事。


 頭を抱える。だが、避けられない。


「ではぁ〜、相田君から出席番号順に、どうぞぉ〜」


 相田というらしいのっぽの、もやしっ子みたいな細々白々とした少年が立ち上がり、軽い自己紹介をしていく。


 名前の他に出身中学校や特技などが付け加えられる流れで進み、「やーやー」うるさいのも無視して行っていた頭を抱えるのを一旦止め、右斜め前を見る。


「久澄碎斗です」


 その名前に、ピクリと反応した人物を見逃さなかった。


 久澄の名前をこの街で知っているという事は、裏路地組だろう。


「出身校は、四区にある緑川中学。特技等はなく、趣味は読書。まっ、気軽に話しかけてきてください」


 気軽にと言うが、正直話がけづらい。低い声でぶっきらぼうに告げ、纏う雰囲気は針のように刺々しい。


 さらに、目つきの悪さ。人の事を言えた義理ではないと理解しているが、それでも思わずにいれない。


 自分の周りには人殺しを是とする人物が溢れかえっており、誰もがその瞳を淀ませていたが、久澄はそれ以上だ。


 感情が、失われている。


 三年前の秋にターゲットの確認のために見たときも不安定な感じだったが、約二年の間に何があったのか。


 まあ、何があろうと同情も憐憫も湧いてこないが。


 ざまあみろ、と思う。


 なんて考えているうちにも、渾名が委員長になりそうな堅っ苦しい女子の喋り方が耳に残ったり、「ニャーニャー」これまたうっさい男子の声が耳に入ってきたりしてイライラが増した。


 それが雰囲気に出れば後ろがオドオドし始める。


(何、このクラス)


 久澄碎斗と同じクラスになれた事を考えれば安い代償だが、一年間となると。……気が滅入る。


 嫌な事が迫る程時間の流れは早く感じるもので、体感ではあるがもう自らの番が回ってきた。


(晒し者ね……)


 自嘲しつつ、椅子を音もなく引いて立ち上がる。


 溜め息一つ。それから名乗りを上げる。


「夜霧萌衣です。高校からの入学組。苗字の夜霧はあの夜霧ですが、今は縁を切っているのであしからず」


 動揺が、広がる。夜霧との縁を切った夜霧と聞き思い当たる点がしっかりあったようで、こちらを向いた久澄の表情にも動揺が見れた。


(狙い通りではないけれど……まっ、早まったのは事実よね)


 先に知っていたからか、ニコニコしている小詠を気味悪く思いつつ、自らの存在を久澄に印象付けられた事に満足を覚える。


 それさえできたならば、儲けものだ。その他塵芥共の喧騒など無視できる。


 心の裡に湧いたどす黒い感情など一片も感じさせない優雅な動きで、椅子に座った。


 同時に、慌ただしく椅子を引く引っ掻き音が響いた。


 萌衣は後ろの彼女を可哀想に思う。


 ただでさえオドオドしているのに、自分の前に夜霧何ていう大物が名乗ってしまったのだから。この一年を棒に振ってしまうだろう。


 誰にも覚えてもらえず、独り。孤独というのは得てして耐え難いものである。


 一時期自分もそうだったから、理解できた。


 だが今の萌衣に、そんな余裕はない。必要ならば、他者の屍すら踏み越える。


 そう気持ちを割り切り、罪悪感を意識の埒外に追いやった。が、


「あ、え、わ、わたし、の名前、は、和ヶ原和わがはらのどか、です。しゅ、出身中学、は、洲原嶺すばらみね。よ、よろしく、お願いします」


 夜霧に対するざわめきはどこへやら。萌衣を含め皆、声の主を凝視する。


(和ヶ原ってあの和ヶ原よね?)


 一会社でしかないMGR社に融資する個人、企業は様々だが、本当の意味でMGRを支えられている株主は世界に十と居ない。


 日本にはそのうちの三が在住している。和ヶ原はその一家。


 しかも洲原嶺といえば、日本支部においての五指には入らないものの、有数のお嬢様校として知られている。


 この街においてはある意味異端。特殊才能に拘らず、礼儀作法を極める事を目的としている。


 だがエレベーター式でないにしろ、それなりの推薦枠や特殊才能のランクが低くても三区で十分やっていけるだけの学習は徹底されているはず。


 和ヶ原家には男児が生まれないまま、母親が閉経を迎えてしまったため婿養子を取らざるを得ないが、それでも和ヶ原の子だ。それなりの体裁というものがある。


 女児という共通点はあるものの、あの和ヶ原か不審感を覚える萌衣だったが、周りは疑わず騒ぎ立てた。


 どちらにせよ自分には関係ないと、思惟を振り払った。


 それより、と標的に対する興味から久澄の方を見た。


 和ヶ原和に対して、どこまで思考を巡らせられているか、勉強とは別の、頭の良さを探るため。


 果たして。萌衣は息を呑んだ。


 目に見える変化はない。ただ瞳の奥。矛盾している自覚はあるが、変わっていないはずのそこに強烈な何かを見た気がした。


 和ヶ原和に対しアクションを起こす。


 萌衣はそう予感し、今後の予定に微調整を加える事にした。







 放課後。元々在籍する上級生は、入学式に携わる一部を除き、今日はクラスの確認のみなため朝早くに帰宅していていない。


 入学した一学年は、自己紹介の後諸々の連絡事項があり、解放されたのは時計の針が真上で交わった頃だった。


 萌衣は久澄が先程の友達−−ニャーニャーうるさい猫屋計とかいう奴−−と共に下校するのを横目に、とある生徒が歩き出すのを待っていた。


 久澄がクラスを出て数十秒。荒々しくも、周りにはあまり注目されない挙動で一人の男子生徒が立ち上がった。自己紹介の際に久澄の名前を聞いて反応した彼だ。


 萌衣は自然な動きで起立をし、その名前も覚えていない少年の後を適当な距離を開けついて行く。


 彼は早歩きで足を動かす。


 萌衣は下駄箱の陰で予想通りとほくそ笑む。


 そこで合流した久澄に、少年は怒声を振りかけたのだ。


「おい、ツラ貸せや」


 単純であるが故に、勘違いのしようがない台詞。


 久澄は恐ろしく冷たい目線で応じたが、怯みながらも少年が引かない事を視認し、溜め息を吐いた。


「悪い。先行っててくれ」


「そのつもりニャー」


 計はさっさと、面倒くさい事から離れるように走って下校した。


「あいつ、薄情だな……」


 既に見えなくなった姿にそう呟いてから、靴を履き替えてた少年に久澄は黙ってついて行く。


 二人が外に出てから、日常を不変的に紡ぎ出す下駄箱で、その役割を果たす。


 上履きをしっかり詰め込んだ時には、影も形もないが、経験則から二人が向かったであろう行き先は予想していた。ここで言う経験則は自らの体験ではなく、夜霧として幾つかの実験の副次物としてはじき出された人々の統計結果から導き出されたものを指す。つまり、データ、知識だ。


 萌衣は迷わず近くにある裏門、とは関わりのない左の道に足を向ける。


 その手の人物が向かう先として多いのは、人目に付かず陰のある所。


 そして、建築物には付き物だ。わざわざ学校を抜ける理由がない。


 ただそれだけでは、数ある建物の裏から久澄達の居る場所は特定不能。


 では何故。


 それは学校の造りだ。


 公立臥内高校の校舎は、一、二年が階分かれで過ごす一煉と受験生、就活生である三年に対する配慮から切り離された二煉からなる。


 その二つを繋ぐ通路のうち、三階に職員室はある。


 二煉は一煉より見て、左側にある。


 悪さをする上で、気を付けるべき事柄の一つに、目撃者を出さない事がある。


 いつもならしん、と静まり返り、ストレスの巣窟である二煉において悪行を働くには喜ばしい条件ではないのだが、今はもぬけの殻。


 二年生も学校で暇を潰すより街に繰り出す方が都合が良い。


 入学式が行われた初日から積極的に問題を起こそうとする程度の頭脳である一年生は、この学校に入れない(つまりあの少年は、問題を起こしてでも久澄に返さなければいけない借りがあるのだろう)。


 萌衣は不自然にならないように二煉の、そして職員室から死角になる中で一番近い場所を顔を半分だけ出し窺った。


 予想は、当たっていた。


 話し声が十分に聞こえる距離だったため顔を引っ込め、耳を立てる。


「何で呼び出されたか、分かっているか?」


「さあ」


 萌衣が聞いた感じ、久澄の声に感情らしきものは乗っかってない。


「まあ、路地裏の不良なんて、ストレス解消−−つまるところ八つ当たりにしか使ってないからな」


 ただ空虚ながらも口調はシニカルで、それでいて自虐的に感じられた。


「俺がした誰かの報復だろうが、残念、有象無象、いや違うな、とるに足る存在ではあった。そうだな……ゴミの存在なんて覚えてねぇよ」


 その言葉が萌衣が何かを思うより速く、肉を殴りつける音が耳朶を叩いた。


 反射的に半顔を覗かせる。


 あの少年がキレて殴りかかったための音と判断していたが、瞳に映った光景は違かった。


 直立不動の久澄と右手を中途半端に突き出しながら、左手で鳩尾を抑え悶える少年。


 吸血鬼と成り主を殺す事で人間に戻った過去を持つ久澄。階級制の縦社会でどうやって実現したかは分からない。だがその方法はかなり無理矢理で、僅かながらに吸血鬼の血が残り、左手に循環の蛇という夜霧が研究のため保管していた恐苛の一つを宿らせる事で封印している。


 つまり、吸血鬼としての力は今、使えない。


 そもそも人間への執着、というか慣れが強かった久澄は、吸血鬼として超能力じみた力を振えなかったと姉に聞いた。


 ならどうしてあのような状況になるのか。−−やはり慣れなのだろう。


 素早く、人間の急所に手を出す。その行為への。


「テメッ」


 歯を食いしばり、生理的に受け付けられない苦しみに耐え顔に向かい拳を振るう。


 ダメージを引きずっているのか、その速度は萌衣から見ても余裕で躱わせる程度。


 −−ゴスッ。


 だが、それを久澄は避けず、骨と肉、その両方に当たる音が鳴った。


(何で躱わさないの!?)


 萌衣と同じ事を思ったのか。目を見張り、一瞬拳を止めたが、都合が悪いわけではない。


 右の手を引き、左の手を突き出す。無論、固く握られている。


 再び、直撃。


 躱わさない。好機と見て、体重をかけた重い拳を突き刺す。


 そこで萌衣は新たな疑問を得た。


 久澄が一歩も動いていない。先と変わらず直立不動。動きといえば、殴られた衝撃で首を捻っているくらいだ。


 幸いにして、萌衣の頭脳をすれば簡単に解けた。


 一歩も身じろいでない。つまり、動く程の衝撃−−ダメージになっていない。首を捻っているのも、衝撃のためでなく、受け身をとっているからだ。


 決定打とならず、されど表面的な傷はある。


 それが指すところといえば−−、


「ここまでだな」


 顔を狙って突き出された右手。その手首が掴まれる。少年の天下は、計五発で終了した。


 困惑する少年。


 口の中が切れていたのか、久澄は血混じりの唾を地面に吐き出した。


「さて、口から血が出るくらい殴られたんだ。これ以上酷い事をされないために、正当防衛を盾にして抵抗しますか」


「なっ!!」


 絶句は当然。しかし、久澄の顔は殴られてすぐなのに腫れ上がっている。


 そんな状況で恐怖から適当に振った手や足が、たまたま(・・・・)相手を傷付けたとしても、ある程度なら正当防衛が成立する。


 最初の鳩尾に対する攻撃も、久澄が認めなければ少年の戯れ言として判断されるだろう。


 見た目では、どちらが被害者かなど一目瞭然だから。


 −−目撃者がいなければ。


「…………」


 ただそんな事で揺すれる相手とも、状況とも思ってない。


 襲われそうになったから反射的に手を出した。そう言われればこちらも黙るしかない。


 どちらにせよ、手を出そうとしていたのは事実なのだから。


 それに、久澄との関わりは、そんな悪印象から始めたくない。


 良い印象でなくともよい。ただ、警戒されなければ。


 だから萌衣は、苦痛だけの呻き声を聞き流し、その場を後にした。








 次の日。朝はやる事もなく、時間ギリギリに登校した萌衣は、前のドアから入室して久澄の顔を横目見た。


 顔の腫れが、引いている。


 吸血鬼の力が封じ込められた今、自然発動である回復能力も使えないはずなのだが。


 疑問が脳内を巡ったが、朝のホームルームの開始を告げるチャイムがそれを遮った。


 立ち歩いていた生徒達−−自分含め−−は、それぞれの席に着く。


「おはようございますぅ〜」


 同時に前のドアが横に引かれ、小詠が例のディスプレー片手に入室する。


 一瞬久澄とあの少年の席に目線を向け、教卓に歩を進めた。


「はいはぁ〜い。進藤君以外は皆様揃っていますねぇ〜」


(ああ、進藤って言うんだ)


 久澄を見る際、対角線上にあるあの少年−−進藤某の席も意識に投影していたため、驚きはなかった。


 改めて名を知る機会を得られたが、萌衣としてはずっとあの少年扱いで不便だっただけで、今更感が強い。久澄碎斗の実力は、十分に知れたがら。


 進藤某の役割は終了しているという事だ。


 君の価値は、一分程忘れないわ。


 それはさておき、


「さてさてぇ〜。今日は予定通り特殊才能測定アビリティーテストなので皆さん、体操着に着替えた後、春休みに配布されたプリントの通り、特殊才能別にグラウンド、体育館に集まってくださぁ〜い」


 学校開始から二日目。進学校ならともかく、大体の場合は学校内部の案内に当てられる。


 しかしそれは、MGR日本支部発足前まで。現在は、内外関わらず必要となる教室は、授業で使われると同時に案内されると言うやり方が行われている。


 外の学校では入学者説明会で配られたり、通知表と共に渡される春休みの宿題の回収、そのまま授業に移行するが、日本支部では違う。


 特殊才能測定。その名の通り、特殊才能の力を測定するのだ。


 そこで0、1、2、3、4までのランクを分けられる。


 その会場は、グラウンドだ。


 足早に、行動を始める。着替えは基本、一組は女子、二組は男子のように奇数偶数で分かれてする。この処置は、体育のような体操着に一番着替える授業が二クラス男女別に行うからだ。


 萌衣の特殊才能は、念力系。その言葉の通り、思いをこめて物事を祈る事でその事象を実現する、現在ある特殊才能の中で一番多角的な広がりを見せる分野である。


 ただし今のところ、祈って実現できるのは一種類のみで、萌衣はものを浮かしたり動かしたりできる、俗にサイコキネシスと呼ばれる種類の才能を発現した。


 この街には、夜霧として在席していたが、学生として、つまり被験者として来たのは今年の四月が始めてで、ランクは1とその時に計られている。特に変化した様子はないため、そこは変わらないだろう。


 といっても、自らがどこまでやれるのか、誰にも怪しまれず、周りを警戒しないでやれる機会はそうないので、気が滅入る事はなかった。


 体操着の入った袋をぶら下げ、一組へ足を向ける。


「あ、あの」


「うあ?」


 背から声がかかる。その独特な喋り方を、一日やそこらで忘れる訳がなかった。


「和ヶ原さん……どうした?」


「え、えっと、あ、っと……」


 オロオロし始める和。


(何なの!? ウザいんだけど!)


 面には出さず、心の内でイライラする。と、萌衣はそのつもりなのだが、実際は初日の印象から反射的にただでさえ悪い目つきがさらに酷い事になっており、和はそれに怯えてしまっているのだ。


 それにより、また怖さが増すという悪循環に。


「あ−−−−」


 意を尽くすような表情になり、和が口を開こうとしたその時、


「和ヶ原さーん」


 見た目特筆するところがない女子三人組が、そこに割り込んできた。


 萌衣は一目で看破する。和に話しかけた三人組のリーダー格っぽい女子の瞳が、虎視眈々と獲物を狙う肉食動物のそれと類似している事を。他の二人も、嫌らしい目をしている。


 おおかた和に取り入り、和ヶ原に懇意にしてもらうのが目的だろう。


 状況が上手く読み込めず、視線をキョロキョロさせている和に、リーダー格の女性は言葉を続けた。


「和ヶ原さん、どこで測定を?」


「え、え? あ、あの……た、体育館で、す……」


「あら奇遇、私も体育館なの。一緒に行きましょ」


 わざとらしい会話−−口調は真面目そのもの−−に辟易した萌衣は、その場を立ち去った。


「何あれ?」


「せっかく和ヶ原さんから話しかけてもらったのにあの態度? ムカつく」


「まあまあ、陰口はおよしなさい。和ヶ原の気分を害してしまいますわ」


 ただ、と和には見えず、萌衣には見える角度まで足を進め、嫌らしい笑みを浮かべて呟く。


「元夜霧さんは、過去の栄光にしがみついてお高くとまりたいんでしょうけど」


 仕組まれたようなこちらへの嫌悪感混じりの声音。自分達が関係の上位に立ちたい三人には、和自ら話しかける萌衣の存在は目障りなのだろう。


 もちろん無視だが。


「…………」


 こちらに縋るような目線は、気のせいだと思いたい。








 念力系は基本的に、障害物の有無や距離を評価されるため、それらの自由度が高いグラウンドにて測定を行う。


 他にも、炎熱、電磁、氷水(プールもこの場ではグラウンド扱い)、風力、転移、重力が挙げられる。唯一無二オリジン保持者が居れば増加するが、そもそも研究価値が高いので三区の学校に学費学校側が全負担の推薦で入れるため、四区の学校には来ない。


 ローファーではなく、スニーカーに履き替え外へ。自然保護の下、土地の活用ができないため部活動はあまり盛んではないが、それでも配慮はなされる。


 広大な−−と言っても三区の学校に比べれば小さい−−グラウンドには、障害物走を思わせるような一定の間隔で各特殊才能を計るための機器や道具が並べられている。


 萌衣が向かったのは、グラウンドに入ってすぐの場所にある遠投や砲丸投げに使われそうな形をした測定場。円とその前に広がる五メートル感覚の線が引かれ、細々と円の中に置かれた鉛の詰まった合成繊維で作られた袋の底と同じ円周をした円が書かれている。


 特殊才能測定は、学年を時間に分けて行うとはいえ、ここは念力−−サイコキネシス系統−−だけでなく、転移系も使うため、長蛇の列ができる。ならば数を増やせばいいのでは、と思うがグラウンドの広さと特殊才能に関わる事故を考慮すると、臥内高校では一ヶ所しか造れないのである。


 炎天下でないとはいえ、何をするでもなくただ待つ事の苦痛をまだ知らない一年生は呑気なもので、まだこの場所には誰も居なかった。念力系は多く発現者が確認されているためともかく、転移系は数が少ないのはもちろん、その科学的価値から三区の学校へ推薦が来る事が多々あるのも起因しているだろうが。


 何にせよ、萌衣にとって不都合な事はないため、監督の教師に話しかけ、測定を開始する。


 円の中で両足を揃え、まずは五キロの袋に意識を向ける。


 −−浮け。


 袋にその意識を向けるだけで、宙に浮く。


 実際には脳領域空間アイデンティティに電気信号や糖分などを送り込み、その結果念力が麻袋に作用しているのだが。まあ、腕や足を動かすのと一緒で、そうしたい、と思えば勝手に脳の機能が働きそれを叶える。


 そんな経過を得て浮かせた袋に、次は前に進めと命じる。これは、クレーンゲームをボタンではなく思考で行っている感覚と考えてもらえれば分かり易い。


「……ぅ」


 動かしていくにつれ、自然とでこにしわが寄る。永い歳月を経て遺伝子に刻み込まれた動作とは違い、経過は同じでも、そこに要する集中力は全然異なる。脳領域空間が広がれば容量が大きくなり、同じ規模の力を出すにも余裕が生まれるが。


 その他にも恩恵は色々あり、大きければ大きい程特殊才能を上手く扱える。あくまで細胞分裂、脳の成長であるため、脳に疾患を与える事は絶対・・にない。


 これは夜霧が、あの冷夢までもが協力し出した結論だ。


「−−はい、五キロ、二十メートル地点クリア」


 袋は二十メートル地点の線。その上に書かれた円の中に収まっている。


 萌衣は一息吐き、金槌ように先が横に広がった形状をした携帯端末を見る教師に向き直った。


 教師は何を見ているのかというと、袋の円に対する誤差である。


 日本支部の領内には地震計測器が埋め込まれている。学校のグラウンドのはその機能を利用して上からかかる重さを計測できるような作りなのだ。もちろん、オンオフできる。


 もともとの目的は、重力系のためだったのだが、細やかなデータが取れると黎明期に提唱され、今や一般的になっている。


「誤差は……おっ、二ミリ。惜しいな」


 口にされた計測結果に、表情を変えずグラウンドに目を戻しながら内心では成長の喜びを噛みしめていた。発現したのは今年の四月。その頃は目標までの誤差はセンチ単位だったからだ。


 そんな様子を勘違いしたらしく、教師は説得する声音で告げた。


「私も元々特殊才能保持者だったからな。気持ちは分からなくもないが……あんま考えない方がいいぞ」


 具体的に何が、と示されたわけではないが理解できた。


「いえ、私は違いますよ」


「そうか。ならいいんだが」


 元夜霧として、現特殊才能保持者として、自ら演算して得た知識と感覚を血肉とし安全性を認識している萌衣には、無縁の事柄だが確かに居る。


 変革した世界を安定させた夜霧の総力を上げた実験結果を理解していても、脳という重要器官に普通とは違うものを宿し恐怖を感じる人間が。一時の感情に流された人間程、特に。


 恐怖の深みにはまってしまえば、もう特殊才能を扱う事はできない。


 何故なら、特殊才能は脳領内空間−−つまり脳を経由して現界できるものだから。無意識にでも発動を躊躇えば、それを拾って形にする。


 地雷原を歩く感覚に近い。前に踏み出そうとする足も、無意識下の恐怖から動かず、立ち止まってしまう。或いは、引き返してしまう。そこは安全だと、確定しているため。


 そして、敢えてその恐怖を煽り、脳領域空間を摘出して別の子供に植え付けるという実験をしている奴らが居る事も。


 それは、夜霧としての知識。


 だが今はもう、切り捨てた場所だ。関係もない。


「−−次、どうする? そろそろ来始めているし、飛ばし飛ばしでいけるが?」


 思惟に耽っていた意識を、その言葉が引き戻す。


 言われた通り、多少は騒がしくなってきた。


「いえ、十キロで。それが前までできた限界ですから」


「分かった。よいっしょっと」


 十キロの袋を片手で持ち上げ、円内にセッティングする。見た感じは細身だが、その殆どが筋肉で構成されているのは一目で認知していたので驚かなかった。


「ふっ」


 時間がないため、多少・・真面目にやる。


 錯覚だろうが、脳が活動している感じがする。


 先の半分の時間で、三十メートル地点の円に下ろした。


「おお速いな−−誤差はまた二ミリ」


 携帯端末を横目で見ながら、十一キロの袋をまたしても片手で運ぶ。


 驚きの声が多方面から上がる。列ができているのもそうだが、この場所は入り口に近いためでもある。


「あの、私十キロでストップしたいんですが。持ち上げられるのは、そこまでなんで」


「と言われても。成長の可能性は切り捨てられないし。正確なデータを採るために頼むよ」


 そう言われてしまえば、元科学者として納得せざるを得ない。


「分かりました」


 軽く頭を下げてから、袋に意識を向ける。


 だが、うんともすんとも言わない。


 通常ならば浮かないまでも、重力や空気以外の力を受け倒れたりするものだが、何故かそれすら起きない。


 十キロから一グラムでも重いと、その現象は起きる。その代わりに、ちょっとした恩恵があるが、これは唯一無二に近いため、そう簡単に見せびらかせない。


 その後、教師は全く動かない事に訝しむ様子を見せるも、自らの価値を決める場で手を抜くはずはない、と何の小言なく切り上げさせてくれた。


「放課後にランクは発表されるからな」


「はい。ありがとうございました」


 教室に戻るため校舎に足を進めながら、ランクは1だな、と冷静な判断を下していた。







 一番に到着し、一番に終えたので教室に先客が居るとは思っておらず、一瞬表情に動揺が走った。いや、誰が居ようと気にしない。彼−−久澄碎斗以外なら。


 前の窓から見えるグラウンドを見ていた。


「よう、夜霧。お前、サイコキネシス使いなのな」


 窓に付いている転落防止用の棒に背を預け、久澄は萌衣の方を向いた。


 声をかけられたせいでの心の乱れを、無理矢理抑え込み、萌衣は口を開いた。


「久澄君、だったかしら? 何故ここに?」


「そりゃあお前、0だからだよ。ミクロ単位でも現象を起こせない方のな」


 ランク0。これには三つの意味が存在する。


 一つ目は、特殊才能が起こす事象があまりに弱すぎ、ランク1にもなれないと判断され、押される烙印。


 二つ目は、魔術選択者。二兎を追う者は一兎をも得ず。魔術はプロセスこそ簡単だが、使えるようになるにはそれなりの時間を要する。なので、そもそも特殊才能の発掘を受けていない場合。


 そして三つ目。何も起こせない。脳領域空間すら生み出されず、何もできない普通の人間。


 特殊才能の発現は、約一週間。それなのに一年もこの街に居続け実験動物に甘んじるとは。


「それよりも、夜霧。夜霧萌衣。お前には、興味があるんだ」


 気味の悪さを感じていた萌衣の感情を、無感情な声が襲う。


「私に……興味?」


「ああ。元夜霧。それに思い当たる人物が居てな」


 萌衣の感情が、目に見えて揺れる。


「夜霧舞華。お前、知り合いか?」


「…………し…………か」


「悪い。聞こえなかった。もう一度頼む」


「知り合いも何も、家族って言ってんのよ! 夜霧舞華は私のお姉ちゃん。夜霧の中で唯一血の繋がりがある姉妹よ!!」


(最初の印象は良く? 馬鹿らしい。どうせやる事は変わりないんだ。気にしてられるか!)


 感情が、爆発していく。


「よくその名を出せたものね。お姉ちゃんを、舞華を殺したくせに!」


「ああ、そうだな」


 認めた。簡単に。


(これだ。この感覚)


 さっきもあった。脊髄にムカデが這い回っているような気持ち悪さ。


 熱せられた心が、冷えていく。冷めていく。


「言い訳や謝罪はないの?」


「言い訳はないさ。事実だし。それに謝罪しても、虚しいだけだろ。どうせ、形だけなんだから」


「それでも普通はするものよ」


「じゃあ俺は、普通じゃないんだろうな」


 何の感情なく、告げる。


 言い負かされ、萌衣は歯を噛み締めた。


「論戦しても平行線だよ。だからできれば、質問をさせてもらいたい」


「質問?」


 久澄の提案に、その意図が読めず戸惑う。


 舞華という共通の知り合いは居ても、久澄が告げた通り彼女については平行線の一途を辿る。


(なら萌衣ではなく、夜霧の方か……)


 そう当たりを付け、肯定した。久澄が何を目的としているのか、分かるかもしれない。


「なら、何でお前ら姉妹は、夜霧を抜けたんだ?」


 ふっ、と思考する。


(開示しても大丈夫な情報だけど……頭が熱くなって失態を犯したばかりだから、多少有益になると思わせとけば近付きやすいわよね)


 やる事は変わらずとも、そこに辿り着くための道程はできるだけ平坦な方がいいに決まっている。


「身内……元身内にマッドサイエンティストが居てね。お姉ちゃんに憑いている恐苛に興味を持って人体実験を行おうとしたの。それでもギリギリで逃げ出せてね。私は人質になるからって同行したの」


 その後、外で二人暮らしを始めた。名字を変える事も可能だったが、夜霧の名が及ぼす影響力は伊達ではないので、捨てずに利用している。


 舞華は恐苛を集めている夜霧への叛逆に恐苛狩りの仕事を行い生計を経て、三年前の夏。吸血姫の眷属である久澄碎斗に一度殺された。


 それが全ての経緯だ。


「成る程、な……」


 一人で勝手に納得した後、


「次、つーか最後の質問だけど」


「っ!?」


 纏う雰囲気が、変わる。怒のそれへ。


夜霧新・・・は何をしようとしている?」


(夜霧ではなく、新さんが行おうとしている事? ……そういう意味か!)


 確かめなければいけない情報は多々ある。けれど、仮説を立てるには今ので十分だった。


 それを踏まえて、萌衣は答えるか考え、告げる事にした。


 夜霧新に恩義はない。


 自分の目的のために、利用させてもらう。


「私とお姉ちゃんは明確な属性、新さんの細胞や不変さんの光合成みたいなのがまだなかったから具体的には教えてもらえなかったけれど」


 そこで一度言葉を切り、本当に情報が正しいか精査する。


 仮説−−久澄碎斗は夜霧新に恨みを持っている−−が正しければ、下手な芝居を入れた瞬間とばっちりが来る可能性が高い。


 記憶を反芻して正しい事を確認し、それを口に出した。


「新さん曰わく、世界を救う、だってさ」


 ギリッ、と歯を擦り合わせる音。


 警戒する。どんな場合にも対応できるよう、瞬時に二十の作戦を編み出した。


 しかし、


「……ありがとう。助かったよ」


 怒りの感情はどこへやら、いつもの無感情で礼を言う。


 けれどまやかしではない。彼の握られた手に滲む血が怒りの傷跡として残っている。


 そこでちょうどよく、第二陣が帰ってきた。


 二人は会話をしていたそぶりも見せず、自らの席に着いた。







 日と時計の針が真上に並ぶ。


 二年、三年の特殊才能測定の間、委員会やクラス委員などを決めて、放課後になった。


 帰りのホームルームにて渡された特殊才能測定の結果は、予想通りランク1。


 しかし予想外の事があった。


 この学校、というよりこのクラスに、唯一無二保持者が居たのだ。


 風間集。男子クラス委員長になった朱混じりの黒髪をした少年。


 その特殊才能名は、他人偽造ダミーサクセサーと言うらしい。


 対象の体組織の一部からDNAデータを読み込み、それに五分間だけ成りきれる能力。だから偽りの(ダミー)後継者サクセサー


 その北極問題、特殊才能開発に対する影響のなさからランクは1。学校推薦も来なかったそうだ。


 そして今、何故か久澄、猫屋のグループと一緒に居る。


 姉を殺した人物の周りに人が集まるのはあまりいい気分ではなかったが、今はそんな暇はないと切り捨てる。


 この後の予定に眉を寄せつつ、足早にクラスを出ようとして、視線を感じた。


 この遠慮気味の感じ。つい数時間前にも受けたばかりだ。


 視線を追う。するとやはり、あの三人組に絡まれた和が居た。


 三人組は何やら話しかけ続けていて、和の見る先に居る萌衣の姿を視認していない。


 関わってもよい事はない。


 見なかった振りをして教室の外に足を出す。


「…………チッ」


 小さく、舌を打つ。


 廊下に出た右足を軸に回転し、クラスに戻る。


 そのまま和の方に歩み、彼女の腕を取った。


「ああん?」


 取り巻きの一人が、女子らしからぬ声を出す。


 −−ああ、うるさい。


 三人組が何やら言っているが、聞こえない。


 何事かと騒ぐクラスメイトの声も聞こえない。


 けれど、うるさい。


 内面が叫ぶ。


 それでいいのか。正しいのか。意味はあるのか。偽善者が。欺瞞。本心をさらけ出せ。不義。腐敗。不満こそ人間だろ。夜霧萌衣。お前だろ。


 −−ああ、うるさい。


「これが、私よ」


 呟くと、耳の奥に響いていた打算と言う名の声は消え去った。


 変わりに、周りの喧騒が届くようになる。


「つうかさ。あんたどういうつもり? 無理矢理腕掴んで。和ヶ原さん嫌がっているじゃない」


 三人組のリーダー格である例の少女が口調を崩して−−こちらが素で、怒りで和の前にも関わらず演技が解けたのだろう−−怒鳴る。


 他クラスからも野次馬が集まり始めている。帰りのホームルームは終えたばかり。騒ぎを聞きつけた先生が駆けつけてくるのも時間の問題だ。


「……行くわよ」


 和にそう耳打ち、彼女を引きずりながらクラスを後にした。







「はあ」


 萌衣は溜め息を吐いた。


 学校から寮の間にある商店街に差しかかった所で、一息吐く。


「あ、あの……」


「何?」


 ピシャリと言えば、押し黙る。


「あの、さ。はっきりしてくれない? そういうの好きじゃないんだ」


 商店街近くに備え付けられたベンチに座り、告げた。


 オロオロし始める和に、またも溜め息を吐く。


「取り敢えずベンチに座りなさい。そのまま立っていられると、私の性格が悪く見えるでしょう」


「あ、あ、うん……し、失礼、します」


 優雅な感で萌衣の隣に腰を降ろす。


 素原嶺の教育もあるのだろうが、やはり。


「ねえ、和ヶ原さん。あなた、あの和ヶ原でいいのよね?」


 初日から疑問に思っていた事を、訊ねた。


「……う、うん」


 いつものワンテンポズレる喋り方とは別に、一拍反応が遅れる。


 それは萎縮しているためだろうと、萌衣はあまり気にしなかった。


「もし答えられないようならいいんだけど、何で四区の学校なんかに? 和ヶ原ならランクが低くても、その名前で推薦がきたでしょう?」


「……め、萌衣ちゃん、も、やっぱり、わたしが、和ヶ原、だから助けて、くれたの?」


「萌衣ちゃん!?」


 質問そっちのけで、叫んでしまった。


 和はビクッとなりながらも、言葉を紡ぐ事を止めなかった。


「そ、その、わたし、は、和ヶ原って見られるのが、好きじゃ、ないから。も、もちろん、家の、人が嫌いな、訳、じゃなくて。そういう眼鏡、で見られるのが、嫌、で。だ、から、萌衣ちゃんも、夜霧って、言われるの嫌かなって、思って」


「いや別に。けどまあ、呼びたいように呼んでくれてかまわないわよ」


 気を使ってもらって、悪い気はしない。


「けど納得したわ。まあ、よくある話よね。推薦を受けるって事は、和ヶ原って目で見られるのを肯定してしまう。だから蹴ったけど、学力はともかく、特殊才能が釣り合わなかったと」


「そ、そう。萌衣ちゃん、頭、いいね」


「こんなの誰でも分かるわよ。けど、腑に落ちない事もあるのよね」


「な、なにか、な?」


「和ヶ原さんが」「和」


 キッパリと。


 いつもの様子からは想像できない口調で、断言した。


「それはともかく」


「よ、横に、逸らさない、で」


「…………和ちゃんは」


 意外と頑固なのかもしれない、と萌衣はそんな風に認識を改める。


「何で私を頼ったのかが理解できなかったの。私と和ちゃんの関係性は、席が前と後ろ。それ以上でもそれ以下でもないはずでしょ」


 萌衣の疑問に、和はキョトンとした。


「……も、もしかして、萌衣ちゃん、鈍感さん?」


「どういう意味よ、それ」


「だ、だって、わたし、が自己紹介した時、萌衣ちゃん、だけは、わたしを、和ヶ原って目で見なかった、から。今わたし、が四区に来た理由、を理解したはずなのに、それを認識、できて、ない、なんて、自分の気持ち、に、鈍感なんだ、なって」


 それは誤解なのだが。


 ただ単にあの和ヶ原か訝しく思っていただけで、もしそれがなかったら萌衣も物珍しさに反応していただろう。


 だからといって、わざわざ訂正するつもりはない。


 真実を語る事は美しいが、必ずしも正しいとは限らない事を理解しているから。


 言わぬが花と言うやつだ。


 それに、鈍感なのは事実だ。


(私がお姉ちゃんの人質にされそうになっていたのも結局、連れ出されてから知ったし)


「だ、だか、ら」


「ん?」


 記憶に沈んでいたため、和の言葉へ反射的に問いかけてしまった。


 普通なら失礼に値するが、この喋り方が影響してそのような事に慣れていたので和は特に感情を抱く事なく、繰り返す。


「だ、から、萌衣ちゃんには、ありがとうって、言いたく、て」


「……さっき言おうとしていたのってそれ?」


「う、うん」


 何の躊躇なく頷く姿に、萌衣は顔が熱くなるのを感じた。


 和を助けたのはあまりに当たり前の事であったし、夜霧の世界に居た頃、姉の舞華と外の世界で二人暮らししていた時も、褒められはしても、お礼を言われる事はなかった。


 虚を突かれ感情を制御できず、端的に表してしまえば恥ずかしい。


「……それだけなら、私は帰るわね」


 萌衣はそんな様子を見られたくなく、顔を逸らして立ち上がった。


「確か和ちゃんは、寮暮らしじゃないのよね」


「え、え? あうん。お父さん、のし、知り合いが、こ、こっちに居て」


「ならここでー」


 慣れない感情に耐えられず、状況の読み込めていない和を置いて逃げ出した。







 落ち着いたピンクを基調とした物品類、棚の上には少女感漂う人形が大量に置かれている。


 かなりの足音を床に叩きつけながら、この部屋の主は飛び込んできた。


「はぁはぁ」


 手を膝について、息を整える。


「たく」


 冷静さを装い手櫛で乱れた髪を整えるも、さっきの事を思い出し、ベッドに飛び込み悶絶する。


「ぉああああああ!!」


 転がりまくる事五分。


 一応先の記憶を見て見ぬ振りをできるくらいには回復し、元々放課後行うつもりだった予定を済ませるため行動する。


 ベッドの上に座り、転がりまくった際に何度も下敷きとなりペッタンコになった鞄から、開発より半世紀以上経ち変遷してきたスマートフォンを取り出す。形こそ少し小さくなっただけだが、中身はかなり変化している。


 もちろん、色はピンク。


「音声認識、中馬英里なかまえり、通話」


 電源を点けパスワードを解いてから、そう口にする。


 それで、通話モードに。


 数回のコール音の後、


『萌衣、どうしたの?』


 ちょっと訛りを感じさせる女性の声が響いてきた。


「ちょっとした報告と確認をね」


 萌衣の声音が冷たいものとなる。今野彼女をそこまでさせるものと言えば−−


『久澄碎斗君だっけー? 萌衣がご執心の』


「そう」


『うちらの方でも調べてみたけど……駄目ね、専門外だったよ』


「だから探らなくていいって言ったでしょ。逆にそんな事して、変なのに目付けられたらたまったもんじゃないから止めて」


『うちらがしくじると?』


「相手は世界の九割を支配している化け物よ」


『八割、のまちがいじゃなくて?』


「そっちの世界にも根を強く張ってるよ。英里が気付けないだけで」


 一触即発の空気。だがこんなもの、ただの挨拶だ。


「一応実行日は、二十五日に決めたから」


『ほう、何故?』


 幼い子供が興味を持った事を聞くような純粋な声色。こうなったら下手に情報を隠しても探られ、逆に不利益を被るため、包み隠さず報告する。


「ちょっとばかし面白い面子が集まってね。和ヶ原に唯一無二保持者。それらに久澄碎斗がどう行動を起こすか、ギリギリまで待ちたいの」


『へぇ〜、和ヶ原。あの家は面白いからね』


 唯一無二保持者である風間集に触れなかったのは単純に、四区の学校に来ざるを得ない程度の特殊才能保持者だと言わなくても分かったからだろう。


 それより、


「和ヶ原家が面白い?」


 いつもの萌衣なら引っかかりを覚えないと断言できる。


 だが彼女自身気付いていないけれど、あの会話は、かなりの影響を心に及ぼしていた。


 少なくとも、凍っている感情に、ひび一つ入れるくらいには。


『本当萌衣は興味ない事は最低限しか知らないよね。抜けても夜霧ってか?』


「止めてよ気持ち悪い」


 溜め息一つ。すると電話口から笑い声が聞こえた。


「仕事の話じゃないんだからさっさと進めてよ」


『いやはや。長年続けていると癖になってしまうものかね〜』


 若い声からは考えられない程老獪な声色で呟かれる。


『結論から言ってしまえば、和ヶ原家は社会の縮図なのね。完全な女性ワンマン。うちや洋頭はまだ、男性陣も絡めるし、まあ、直系なら男性でも指揮できるみたいだけど。今の時代女尊男卑……て言う程じゃないけれど、能力的な差は完全に出ちゃってるからね』


 何故そこまで他家の事を詳しく知っているのかは、訊ねない。


 お互いの事にあまり踏み込まないのが、この関係を築く上での条件だからだ。


 そういう側面もあり、久澄碎斗の事を調べなくてもいいと告げたのだ。


 あちらは関係が崩れても構わないのだが、こちらとしては困るため、そこらヘんの配慮は大変である。


 そんな憂いを知らない英里は、嬉々として言葉を続けていく。


『けれどそんな和ヶ原家頭領−−和ヶ原美嘉みか氏は約十六年前、とある失敗をしてしまった。故意ではないから責められないけれど、それでも多くの人間に影響を与えるくらいの失態をね』


「十六年前……って、私としては、嫌な予想しかできないんだけど」


『夜霧としての直感でしょ。流産みたいな生物関係が専門分野なんだから』


 萌衣は舌を打った。そんな予想をできてしまう自分に対してであり、同時に和ヶ原和を取り巻く事情に対してでもある。


『まあ、ここまで言えば普通は気付けるよね。和ヶ原和が貰い子だってのには』


「…………」


 和ヶ原のような世界に影響を与えている家のスキャンダル。それにより世界に及ぼす経済効果は、計り知れない。


 それにより得をする少数に潰される前に、和ヶ原家は手を打ったのだ。


 それが和。


 親戚筋の子なのか、それともどこかの養護施設に捨てられた子なのかは、想像するしかない。


 けれど前者ならともかく、後者ならば全く血が繋がっていないため、家内でも風当たりは厳しいだろう。


 もしそれが和の性格に影響しているなら、納得できる部分が多い。


 得てして精神的に弱い人物が酷い環境に置かれると、自らを害するものを好く事で現実逃避する傾向にある。


 あの家の人嫌いでない発言がそうだろう。


 和ヶ原和を取り巻く環境とは、そういうものらしい。


 理解すると同時に、これを面白いと言ってのける英里の性格の悪さを改めて痛感した。


「話、ありがとう。取り敢えずブツは二十五日に合わせて届けて」


 長話は得ではない。


「わっかりました。毎度ありー」


 脇の甘くなった心に釘を差しつつ、通話終了のボタンを押した。


「……ふぅ」


 毎度の事ながら、疲れる。中馬英里と話すのは。


 世界に十しか居ないMGRの大株主。日本に滞在している三家のうちの一家−−中馬の長女が彼女だ。ちなみに、兄が居るため頭領ではない。


 そもそも中馬家は、他の二家−−和ヶ原、洋頭−−と違い、そのルーツを滅びたC国とする。


 例の戦争後、R国に吸収される前に、この日本に来た経緯を持つ。


 当時のC国の上流階級では、日本の土地を買い取る事が一つの義務として貸せられていた。上流階級だった中馬家の祖は、例に漏れずそれ行っていたため、別荘こそ壊されていたが、土地そのものの権利は所有しているため、亡命に困る事はなかった。


 その後、様々な箇所に張っていた根を使い戸籍を得、今に至る。


 が、過去から築いてきた関係から、中馬家には裏家業が存在する。担わされるのは、後から生まれた弟、妹達。


 しかしその地位に生まれた英里は、喜々としてヤバい仕事−−主に武器の仲買人−−をしているから侮れない。


 つまり、萌衣と英里はビジネスパートナー。ただし、英里は関係が途中で切れてもダメージは少ないが、萌衣は計画そのものが破綻する劣勢なものだが。


 夜霧の名は、使えばそういう人間の元へ運んでくれるのだ。


「っと」


 今日入ってきた新たな情報をまとめ終え、立ち上がる。今日は会話に時間を取られすぎた。


 お昼を摂るため、萌衣は冷蔵庫に足を進めた。







 次の日。相変わらず空は青く、桜の香りが鼻につく。


 教科書内蔵のタブレットの他に、今日から始まるお弁当を詰めた鞄は、ただでさえ気が進まない通学を、さらに億劫にさせる。


 それでも定時より少し速く教室に着き、ざわめきが起こるのを感じた。


 それが今日は顔を出している進藤某に対するものでなく、自分へのものだと察するには、十分な視線がこちらを刺していた。


 その視線は、左右に動いている。


 もう一つは、自分の席とその後ろの方面。


 嫌な予感が背中を走り抜け、自然と早足で歩み寄った。


 その感覚は、現実となる。


「はあ。ぐだぐだ言ってないで、美衣達に従ってくれればいいのよ。そうすれば、ね? 和ヶ原さん」


 あの三人組が和の席を囲うように佇んでいる。隙間から見るに、和も対抗するみたく席に着いていない。


 内容からして事は既に佳境へ入っているようで、萌衣は原因を探ろうと、視線を動かそうとする。


 しかしその前に、声をかけられた。


「あらぁ、夜霧さん。おはようございます。今見ての通り大事なお話をしているところなので、昨日みたいなお邪魔はなさらないでね」


 萌衣と和の間に、腰巾着二人が入る。


 苛つきが頭を占め始めるが、どうにか冷静さを保ち、まずは鞄を自らの席に置くために、身体の向きを変えた。


 その時、ようやく事の発端に気付いた。


「反吐が出る」


 思わず、吐き捨てた。


 自分の机。そこに水性が油性かは知らないが、ペンで雑言の数々がかかれていた。


 後ろから、吹き出す声。


 目に怒りを宿らせ反射的に振り返ると、三人組が笑いを殺していた。


「あらぁ〜、そんな目で見ないでくださいます? 美衣達は何もしていませんよ? 確かに美衣達はあなたが嫌いですが、それだけで判断されるのは辛いですよ」


 そう確かに。物的証拠がなければただの言いがかりだ。


 けれど、


「………………はぁ」


 そんな手しか使えない奴らを相手にするのが、馬鹿馬鹿しくなってきた。


 萌衣は無表情で向き直り、ポケットからハンカチを、鞄から水の入ったペットボトルを取り出した。


 ハンカチに軽く水を含ませ、机に滑らせる。


 案の定、消えた。


(あんだけ保身にこだわる連中が、証拠の残るやり方をするわけないものね)


 内心で罵倒されていると知らない三人組は、何も言わず机を拭く萌衣の姿に優越感を覚えていた。


「惨めなものね。夜霧の名が泣くわよ」


(んなもん、汚れてくれた方がありがたいんだけどね)


 あくまで心の内でツッコむ。


 そして。


 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて自らの席に戻っていく三人組。


 そのスカートに、サイコキネシスで成分を浮かせたそのまま水性のインクを撫でるようにこびりつけた。


 スカートの表層に軽く触れるように。だから、気付かれない。黒地のスカートなため、後になっても知る事はないだろう。


 そんな行為をし、教室がさらに騒がしくなったが、彼女達には萌衣に対するものだと聞こえているらしい。


 自信満々な歩き方は、変わっていない。


 そんな様子が滑稽で鼻で笑って、席に着いた。後ろ向きで。


「さて私は、あのような方法が取れるのですが、それでも気を使う?」


 ビクッと和が反応する。


「その、さ。嬉しいけれど、だからってそれでそっちが身を削られちゃあ、こっちが辛いんだよね」


 辛辣な口調は、照れ隠し。


「……う、うん。ご、ごめん、ね」


 だがそれを察するには、和の精神は弱すぎた。


 まずった。すぐに失敗を悟るも、何故かすぐに謝罪の言葉は出ない。


 そしてチャイムの音は鳴り響き、遂に誤解を解くチャンスは失われた。







 放課後。初となる六時間授業−−脳科学の観点から、タブレットを使い同じ授業でも男女別のやり方−−を終え、予想以上に疲れるものだと伸びをする。


 最終的に、あの三人組はインクについて気付かなかった。


 それだけで彼女達のクラスでの立ち位置、友好関係が透けて見える。


 友好関係といえば、


(結局……)


 後ろの席には、もう誰も居ない。


 今日一日中、機会もなく顔を合わせていない。


 お昼時には彼女がクラスから出て行ってしまった。あの性格と中学校のレベルの高さから友達はまだ居ないだろうから、裏庭等で一人食事をしていたのだろう。


 久澄の姿も見えない。


 本来ならばこの二人が会っていないか、確認するべきなのだが、


「萌衣ちゃ〜ん。早く来てくださぁ〜い」


 例の特殊才能の使用を誰かに告げ口されたようで、放課後残る羽目になっているのだ。


 クラスでの立ち位置は、自分もあまりいい方ではないようだと、自嘲の笑みを浮かべた。


 向かうのは、生徒指導室。職員室の隣にある。


 質素な部屋に、机と四つの椅子が置かれているだけ。


 そこに向かい合うように座った。


 早速萌衣は、疑問を覚える。


「生徒指導の先生は来ないんですか?」


 入室する際、小詠の手によって入り口は閉められている。晒さない、という名目を考えたら納得できるが、そもそもそういう役割の人は先に待っているものではないのか。


「ん〜。そこまでの事じゃないと判断したまでですよぉ〜」


 果たして。そう答えた。


「学校内で、というよりこの街内で無断の特殊才能の使用を禁ずる。それがルールですがぁ〜、それを夜霧である萌衣ちゃんが理解していないわけがないですからぁ〜」


「……という事は、今回は担任の先生からの厳重注意でしょうか?」


「それもありますがぁ〜」


 僅かながら、小詠の甘ったるい雰囲気が消える。


「萌衣ちゃん、何に悩んでるんですかぁ〜?」


(これが噂の)


 教師の鏡と呼ばれる所以ゆえん


 多分、面には出さないようにしていたけれど、和関係で悩んでいるのが隠し切れていなかったのだろう。


 だがそれを察する嗅覚。


 生徒一人一人に気を配っているのだ。萌衣に向いた意識などトータルで一分程度。


 それに感嘆しながらも、萌衣は首を横に振った。


「先生にお話しする程の事は。生徒の自立心を成長させると考えて、今回は引いてもらえないでしょうか」


 そう。和との問題は、自分の力で解決しなければならない。


「……そうですかぁ〜。ならいいですぅ〜」


 それを持ち前の嗅覚で察してくれたのか。無理矢理聞かれる事はなかった。


 小詠に扉を引いてもらい、退出する。


「なんか困った案件がありましたらぁ〜、いつでも相談に来てくださいねぇ〜」


 自分の心の在処ありかを確認できた。


 不快感を覚えていた声も、今は頼もしく背に届いた。





 外に出て携帯を確認すると、一件メールが来ていた。


 開くと英里から送られてきたものだと判断でき、本文はなく、添付データのみ。画像のようだ。


 ボタンを押し、画像を確認する。


「なっ!」


 絶句した。いや、ある意味で予想していた事態ではあった。


 久澄と和が会話している事は。


 このタイミングを窺われていたとしか考えられない。情報をリークしたのは、久澄なのでは。


 メールが来た時刻は五分前。今からでは間に合わない。


(チッ、英里の奴、探っていたな)


 これは、お互いの深い事情に突っ込むものではない。ギリギリの線ではあるが、有効である。


 それに損があったわけではない。むしろ、二人が放課後、わざわざ街中で会話をしたという事実が知れたのだから感謝をすべきだろう。


 感謝のメールを送る気にはなれないが。


 過ぎてしまった事は仕方ないと、頭を切り替える。


 過去への対策を立てつつも、今は未来へ向かねばならない。


 現実味がある分、人生最大の命題とも言えるのだから。







 下準備は全て終わらせた。


 相変わらず三人組のイジメは酷さを増し、周りはそれを見てみぬフリをしているが、全て特殊才能で対応可能であるし、今はそんな事に構っていられる精神状況ではなかった。


 結局のところ。


 −−ごめん、言いすぎた。


 そんな簡単な言葉が、のどの手前で突っかかり口にできない。


 あちらもあちらで色々葛藤があるようだが、形にはなっていなかった。


 そんな課題を置き去りに、時は巡る。


 相変わらずの晴天。変わったところといえば地面に桜の花びらが目立つ事か。


 春の香りはどこへやら、陰鬱な空気が漂い始める。


 −−二十五日。土曜日。


 実在する宅配会社から例のブツを受け取り、変わりに法外な値段を取られる。


 箱越しにも伝わる重い感覚は、冷たい心に上手く嵌まる。


 今だけは、入学前と同じ感覚に戻る。


 萌衣は充電して机に置かれている携帯を手に取った。パスワードを解いてから規則性のあるタップをし、開発し内蔵させた変声機能を呼び出す。


 電話帳を開き、両性寮−−事実は男性寮化している−−をハッキングして手に入れた電話を探し出した。


 久澄碎斗。通話。


 ツーコールの後、電話口から低い声が聞こえた。


『はいもしもし、久澄ですが』


 当たり前に受け答えする久澄に、萌衣は決定的な一言を落とす。


「四区の東端にある廃倉庫四番へ十九時に来い。私は、三年前の夏休みを知っている」


 ボイスチェンジャーにより、向こうには男性の声に聞こえているはずだ。


 久澄から何かしらのアクションが帰ってくる前に、通話を切った。


 そして英里と久澄に関するデータしか入っていない携帯を、メモリーカードごと特殊才能で潰した。


 もう引き返せない。だが後悔もない。


「さて」


 先程届いた箱を開け、包装を丁寧に剥がしていく。


 中にあったのは、黒光りする塊と、金色の物体。


 つまり、拳銃と弾丸。


 『M36 Lady Smith』


 あまり拳銃に詳しくないため、小型で女性でも扱いやすいの、と頼んだらこれが来た。弾は五発。


 持ち上げれば、ずっしりとくる感じと冷たい感触や嫌に手へ馴染んだ。


 同封されていた説明書により打ち方は理解した。弾を入れ、学校用の鞄へ丁寧に置く。


(怖っ)


 その短い動作だけで、手汗びっしょりだ。


 夜霧はあくまで科学者。この手のものを触れる機会はない。


 当てる自信はあるが。


 取り敢えず指定場所までの距離を考えても設定の時間には間に合うので、お昼ご飯にする事とした。








 夜半。日に日に太陽が日本に現界する時間は増えようと、十九時となれば月と星そして人工光に場を譲る。


 寮の門限から、十九時以降は真っ当な学生は表に居ないし、正規の会社員も区違いで四区には存在しない。それと同期して、交通網もストップしている。


 それでも裏を覗けば俗に不良と呼ばれる生徒はたむろしているもので、それを取り締まる『警備隊』が警邏けいら活動を行っていった。


 一区一区が横に平皿状に広がる形をしている日本支部では、外と内を分ける壁に接する街の端の方は放置されている感が強い。


 今はもう使われなくなった廃倉庫が連なるそこは、人工灯の電気供給期間が壊れて明かりは点せないのをいい事に不良の溜まり場になりやすく、『警備隊』のパトロール対象として筆頭に上がっている。


 現下の萌衣は、鞄に仕込んでいる物が物だけに、決して見つかるわけにはいかない。


 四番倉庫と五番倉庫の間にできた隙間に身を隠し、息を潜めて彼を待つ。


「………………」


 不思議と、緊張はなかった。


 そして、それに動揺する事はない。


 今は、夜霧として活動しているから。


 夜霧舞華の妹である、夜霧萌衣として。


 全ては実験のための礎であり、そこに価値の高低はない。


 電信柱と人間の間に、差異なんてない。


 おしなべて平等。それが夜霧。


 拒絶したい在り方だが、今だけは許容する。


(十九時…………来た)


 息を潜めて数分。月明かりにて照らした腕時計で定時だと確認してすぐに久澄はやってきた。


 錆び付いたドアだが、街の中にある事から腐っても夜霧の息がかかったもの。比較的軽い力で開いたようだ(ちなみに横開き)。


 四番倉庫の中に入っていくのを視認してから、銃を取り出し、鞄は肩にかける。


 『警備隊』が居ないのは久澄が来た事で実証されているが、念のため確認してから、萌衣も倉庫へ足音を立てずに忍び込む。


 月明かりは入り口部分にしか射し込まず、中は暗い。


 萌衣はその月明かりから、時間的な関係で光の届く場所に居る久澄を確認し。


 サイコキネシスでドアを閉めながら、迷わず拳銃を向け、放った。


 反射的に数ミリ動いたようだが、誤差の範囲内。サイコキネシスで空気の圧力を作り、真っすぐ心臓まで向かう道により、弾は命を貫いた。


 さてここで、おかしな点がある。


 念力系。その中でサイコキネシスは、何か一つのものにしか作用できない。


 しかし萌衣は、一つ十キロの制限はあるものの、それさえ守られれば無数のものを操る事ができる。


 理由は、分からない。或いは、レベル2なのかもしれない。


 けれどそれを世間に公表し、再び夜霧の食い物にされるのはごめんだった。


「……………」


 五感に訴える何かがあったわけではないが、それでも萌衣は嫌な感触を味わい、顔をしかめた。


 倉庫内に響き渡った銃声による耳の痛みと、反動による手のしびれを意識しつつ、萌衣はこの場を後にする−−否、しようとしていた。


「待てよ、夜霧萌衣」


 ゾクリと、背筋が凍った。


(ま、待って。有り得ない。心臓を撃ち抜いたのよ!? 数秒は生きていても、あんな普通に喋れるわけがない!!)


 不可解な事が重なり思考を整理できない。


 真実を知るために、萌衣は振り向く。


 しかし、


(見えない)


 扉が閉じられた今、窓すらない倉庫に差し込む光はない。


 それよりも。萌衣はとある事に気付く。


(この状況下で、あっちは見えているの!?)


 条件は同じなはずなのに、久澄は確かに萌衣の名を呼んだ。


 −−吸血鬼。


 一瞬、その単語が頭をよぎったが、振り払う。


 あれはもう、封印されたものだ。


「久澄碎斗! あんたは何故、生きている!!」


 結局萌衣は真相を見る事もできず、そう訊ねるしかなかった。意図せず叫んだのは、恐怖の現れ。


「恐苛。夜霧のお前になら分かるな。そして、俺にそれが宿っているのも」


 久澄は、そう口を開く。


「吸血鬼の力の源は血だ。そしてそれが一番集まる場所が心臓。故に転じて、吸血鬼の弱点となるところだが」


 足音は響かないが、前方にレーダーのつもりで張った薄いサイコキネシスの膜がどんどん破られていく。


 忌避して引き金を引くも、久澄の歩みは止まらない。心臓に穴を空けているはずなのに。


「痛っいな。聞かれた事を答えているんだから、止めてくれ」


 その言葉は、耳に入らない。


(こんな化け物、見た事がない。怖い、恐い、コワい)


 恐怖と言う名の感情が、氷の心を砕き割る。


 引き金は引かれ続ける。しかし弾は五発。


 カチッ、カチッという音が空虚に木霊しても、萌衣は止めなかった。


 彼女の前まで接近した久澄は、構える手に自らの手を添え、こう言った。


「もういい。もういいんだよ、夜霧。お前に俺は殺せない。だからこれ以上、自分の手を汚すな」


 最悪にして最悪の台詞。久澄が萌衣に対して言う言葉として、これ程辛辣なものはない。


 だがここで終わらない。終われないのが、久澄碎斗という人間だった。


「責任はとるよ。とらせてもらう」


 銃を握り固まった手を、それでも優しく解きながら、宣言する。


「だからこれは利子だ。三年分として足りるかどうかは判断しかねるが、まあ、いい」


 ガシャン、と拳銃が地面に叩きつけられる音が響いた。


「なに……を?」


 異常な事により、ようやく萌衣はまし程度の思考能力を取り戻した。


 対して久澄は、まあ見てろ、と告げると、


「おい、中馬英里。喜劇の時間はおしまいだ。出てこい」


「あらら、バレてたや」


 倉庫の奥から、老獪で道化のような少女の声色が届いてきた。


「英里!?」


 その声に聞き覚えのあった萌衣は、その人物の名を叫んだ。


 暗がりの中視覚は頼れない。だからこそ、聴覚は鋭敏になるものだ。


「ハイ萌衣。あなたの復讐劇、楽しませてもらったよ」


「何を言ってるの? 英里」


「何ってそりゃもちろん。夜霧萌衣誘拐計画についてだよ」


 まともな頭を取り戻していた萌衣だが、それでも何を言われているのか理解ができなかった。


「簡単にまとめれば。萌衣を夜霧に売る。その代わりに代金と夜霧との線ができる。まさに一石二鳥という素晴らしい作戦よ。

 上手くいかなくても夜霧の頭脳なら引く手あまただろうし。

 まあ、失敗はないだろうね。夜霧冷夢だっけ? お姉さんを人体実験させたいのって。そのための人質になるだろうし、多様型サイコキネシスも、実験材料になるでしょう?」


「英里、本気で言っているの?」


「本気も本気。本気と書いてマジと読むってね」


 陶酔した様子もなく、あくまであっけらかんとしている語りに、萌衣は全てが瓦解していくのを感じた。


 一から十まで掌の上。そこで踊っていただけなのだ。プレミア価値のある人形として。


「次いで叩き込むようで心苦しいけど、この場所を教えてくれたのもあなただからね。携帯に盗聴機能付いてたの、気付いた?」


「なっ……」


 萌衣が絶句したのは、盗聴機能があった事ではない。夜霧すら騙す技術力に対してだ。


 確かに夜霧は、冷夢という例外を除いて皆生物特化。しかしそれでも、夜霧が物理や機械工学で高い能力があるのを、歴史が証明している。


 裏の技術すら様々な予防策として夜霧が流したものが多い中、それでも足元をすくう方法。


(−−夜霧内部……いや多分、冷夢が協力したんだ)


 萌衣が知る中で、一番切ってはいけない手。


 言葉の端々から予想するに英里は、まだ夜霧の恐ろしさを理解していない。


 数々の修羅場を切り抜けた自信と若さが、認識を阻害している。


 何度注意してきたか。だが誰も、人形の言う事など記憶しないだろう。


「…………」


 今までか細くはあっても、それなりの関係性があると信じていた。それが友情と呼べるものでなかろうと、確かに。


 だけれどそれが失われた今、彼女にかける言葉はない。


「さて脅迫だ。中馬英里」


 変わりに、久澄が口を開いた。


「お前が口を開いてからの一連の会話は、録音させてもらった。これを『警備隊』の方々に売れば、尻尾を見せない中馬を突ける切り札になると、喜びそうだが」


 ズボンのポケットから縦長の形をしたボイスレコーダーを取り出し、眼前で振って見せる。ちょっとマニアックなホームセンターに行けば売ってそうな安価な品だ。


 それによる録音行為が事実なら、長年影も形も見せず実績だけを積んできた中馬の裏家業を潰せる足がかりとなる。


 夜霧新への復讐を成就させたい久澄には、彼を社会的に支える柱をできるだけ取り込んでおく事が必要なのだろう。


 だから和ヶ原である和に声をかけたし、中馬である英里も脅迫という形で同盟関係を築きたいのだ。和はどうだったか知らないが、英里は断れない。


「わ……」


 躊躇。しかし一瞬漏れた言葉に、肯定の意志があるように見えた。


 少なくとも二人は、そう感じた。


 果たして。


「わはははははははははははははははは」


 道化のように、笑う。嗤う。


 怪訝そうな顔をする二人に、英里は嘲弄と共に告げる。


「いや〜傑作傑作。何が傑作かって、武器商人……死の商人を前にしているって実感していないところがね」


 親指と中指を交差させ、音を鳴らす。


 すると闇の中に、軍隊のような規則正しい足音が一歩分、広がった。同時に、機械を動かす音も聞こえた。


 先の絵里の言葉から、それが何を指すのか理解できた。


「お抱えの殺し屋ってところよね」


「嫌だな。あくまで彼らはボディーガード。あんながめつい連中と一緒にしないで」


 くつくつと笑う。


「さて、この状況。これが死よ。覚えておきなさい、ガキんちょ」


 道化が抜けた、本番の交渉時に使われる英里の冷たい本性が乗っかった台詞。


 濃厚な殺気に、萌衣は本気で『死』を感じた。


 しかし久澄は、それを無視してとある事を耳打ちする。


 その内容による萌衣の戸惑いをよそに。


 絵里を馬鹿にするが如く。


 指で音を鳴らした。


「…………っ!」


 萌衣はやけくそ気味に、扉をサイコキネシスで全開にして開けた。


 すると。


 さらに登っていた月明かりが、角度的に倉庫の奥の奥まで照らし出す。


 そこには英里と黒服に身を包み、銃を構えた男性達が佇んでいた。


『!!』


 皆が皆、絶句している。


 それもそうだろう。萌衣ですら、驚いた。


 扉の向こう。


 四番倉庫の入り口部分を囲うように、様々な服装をした女性達が居た。


「中馬英里。これだけの目撃者が居る中で、俺達を殺せるか? いや、無理だな。確実に一人は逃げられる。そして、ここら辺は『警備隊』の重要警戒区域だ」


「……可能よ。これだけの人間があなたのために命を晒しているんだから。どうであれ関係性は見えてくる。そこを突けば冤罪と」


「残念。この人達は俺とは関係性を持たない。友達の知り合いの何かだろ」


 まさかここまで集まるとは思わなかったが、と付け加えて、


「どうする? 殺戮劇を起こして捕まるか、今までと同じ生活を送る代償に、俺の都合のいい財布になるか。選べ」


 決して分の良い脅迫とはいえない。こちらが負ける可能性があるのは、危険だ。


 しかし同時に、あの中馬英里を脅す状況として、これくらいに持ってこれているのはかなり凄い事であると、久澄の顔を見上げた。


(えっ……?)


 できたばかりの銃創があるその頬に、一筋の汗が流れているのを視認した。


「…………、」


 この状況で、緊張しない方がおかしい。つまり彼も、人間だという事だろう。


 それを見て、迷いが生じる。


 久澄碎斗は姉を殺した存在。けれど、それしか知らない。


 最悪のイメージから肉付けし、それを彼だと思いこんでいなかったか?


 今目に映る現実が、真実だ。


「………………」


 萌衣の中で、一つの結論が出される。


 同時に、英里の方も答えを決めたようだ。


「分かったよ。降参降参」


 両手を上げ、抵抗の意志がない事を示す。


「はっ。それで後ろの人達を引かせた瞬間撃ったら、容赦しないからな」


「やらないよ。君を殺せないのは見たからね。蜂の巣にし続ければいつかは死ぬと踏んでいたけれど、それも賭だから」


 英里は上げた右手の手首のスナップで後ろに下がるようジェスチャーした。


 銃を下ろして退くボディーガード達を視認してから、久澄は萌衣に声をかけた。


「ついてきて。何があるか分からないから」


 そのまま入り口に足を進める。何を意味する言葉が理解できた萌衣は、反論せず横に並んだ。


「すいません、子供の喧嘩に巻き込んでしまい」


 きっちり頭を下げ、謝罪の意を示した。


 一人の女性が、受け答えをする。


「いやま、あいつの頼みだから聞いたけど、私達には社会的な地位があるからね。もう止めて」


「はい。承知しています」


 頭を上げ、返した。


「理解しているならいいよ。まっ、私達なみに過激な青春を送っているようだから一つアドバイス。何やかんや社会人になれる。だから人生を謳歌したまえ」


 それを挨拶に女性達は皆、お互いに話を交わしながら、去っていく。彼女達自体は、知り合いなのかもしれない。


「てか、あんだけの人をどうやって集めたの?」


「風間集は知ってるよな」


「もちろん」


「あいつが今回中馬英里の仕組んでいる計画を教えてくれたんだ。で、この作戦も風間が立案し、人員も集めてくれたから、詳しくは知らん」


「はあ……?」


 という事はやはり、風間集も何かしらの事情持ちなのか。


 疑問は湧くが、わざわざ突っ込みたいと思わない。


 そんな心理から会話はそこで切れ、英里の元へ足を向ける。


「中馬英里」


「肩っ苦しいのはなしにしようよ。ビジネスパートナーとしてね。英里でいいよ」


「了解、英里。お前に頼みたい事だが……と?」


 久澄が要件を告げようとした瞬間、英里は人差し指を立て自分の鼻の前に添えた。


「財布って事は、中馬としてMGR社にダメージを与えろって意味でしょ?」


「……ああそうか。夜霧の携帯に盗聴機能付けてたんだっけ」


 あの学校での一幕。初めて久澄と会話した時の内容から萌衣と同じように夜霧へ怨みがあると判断できた。そして中馬ができるのは、悪い風評を流し株を暴落させ、破綻に追い込ませることだ。


「まっ、それぐらいで倒れてくれるとは思わないが。念のためというやつだな」


「けど今は父さんが頭領だし、次も兄さんが実権を握るから、日陰者に口出しできるかどうか」


「中馬への取っ掛かりが欲しいんだよ。一番はもちろん内々で進めてくれる事だが、まあ無理だったら俺の介入で揺り動かすから。その際は情報集めを頼むと思う」


「了解、りょーかい」


 ヒラヒラと手を振る。それが別れの合図。


「ああ。そういやあ、久澄君、携帯持ってなかったよね。あれ持ってきてあれ」


 部下の一人に命じ、いつの間にか持たれていたトランクケースから丁寧に包装された小さな物体を取り出す。


「はいこれ。裏で流行の一つの箇所にしかかけられない代わりに、傍受妨害を受けなくて済む携帯ね。あげる」


「はあ。……金は」


 受け取ろうとした手を直前で止め、訝しげに訊ねる。


「ありゃりゃ。そのままとってくれれば五十万は取ったものを。いいよ、同盟祝いだ。タダでくれてやる」


「タダより高いものはないと聞くけどな」


 そう言いつつも、ちゃっかり受け取った。


「じゃあ、これで本当にサヨナラだ。そういえば置き土産が二十時に届くから久澄君、楽しんでくれたまえ」


「何だよ置き土産って」


「それは見てのお楽しみだよ。元々の役割は違かったとはいえ、今はまあ君とこちらとの友情を確かめるいい機会になるだろうさ」


 何が楽しいのか、くつくつと笑う。


「それじゃ。取り敢えず萌衣の言う事を信じ、外でじっくりやってみるよ」


「えっ?」


 素っ頓狂な声には反応せず、英里は部下を引き連れ夜の世界へと去っていった。


「おい夜霧」


 呆けていた萌衣に、久澄が声をかける。


「なに?」


「今何時だ?」


 萌衣は腕時計を確認した。


「十九時半だけど」


「微妙に時間あるな……ここの片付けついでに、話の続き聞いていけよ。後から訊ねられても面倒だからな」


「はぁ……? 聞かせてくれるならありがたいけど……」


 その理由が分からなかった。


 しかし久澄は、答える気がないようである。


「……私の特殊才能で全部やれるから、外出るよ」


「分かった」


 退室し、サイコキネシスにて銃と薬莢を鞄にしまい、僅かに入り込んだ砂や粉となって降ってきたのだろう錆でできた足跡を消す。


「凄いな。レベル2なのか、それとも、新たな派生なのか。興味が出るな」


「どうなんだろうね。炎熱姫の〈空実発火〉しかり、電子の暴女の〈磁化変換〉しかり、分離の令嬢の〈波形粒子砲〉しかり、独裁王の〈自己世界〉しかり。物理的に有り得ない現象を起こすものもあれば、基礎特殊才能を考えれば可能なものもある。レベル2に規則性なんてないし。派生系って考えるのが正しいのかねぇ〜」


 けどそんな事はどうでもいい。


 萌衣は久澄の正面に立った。ちょうど西側に背を向ける形だ。


「さて、私を引き止めてどうしたいのかは知らないけれど、まあ、さっさと聞かせてちょうだい」


「ああ。確か心臓のところまでは話したな」


「……ええ」


 半ば狂乱状態だったが、一応頭に入っていた。


「恐苛である(・・・・・)吸血鬼、さらにその姫とまで崇められ、恐れられた吸血姫でも、その弱点だけは覆せなかった」


「…………」


「そして俺は、この『右手』で彼女を、殺した。人間に戻りたいという願望のために、生き返らせてくれた恩人を、だ」


 右手を天に、否、月に向けて掲げる。


「まっ、その方法が無理矢理すぎてな。完全に吸血鬼の力−−つまり血が抜けきらず微量ながら心臓に残った」


 月に伸ばしていた右手を萌衣の眼前まで下ろし、


「その際、夜霧新が俺の左腕に『循環の蛇』という恐苛を宿させた。……その時はまだ、あの野郎を恩人だと感じていたんだがな……と話が逸れた。こいつは神話でいうウロボロスと同義で、その力は、二つ」


 嫌な思い出を思い出したらしく、顔をしかめながら人差し指と中指を立て、他は丸める。ピースをしている感じだ。


「一つ目は、宿した左手に触れた対象の力を全身に効率良く循環させる事。これにより無駄が整理され、数倍もの力が得られる。俺はこいつの力を『血液が循環しているように身体を騙す』って方法に調節してもらっていて、残った吸血鬼の血を心臓の外に出さないようにしている。それが自らへ常時発動状態と勘違いさせるらしく、左手で触れても力は発動しないし、元々の役割を曲解させているから、軽い運動で心臓の動きを活発化させるだけでその封は簡単に破れちまう。そもそも後遺症は五感の鋭敏もあるから、実際は肉体強化を抑えるだけの代物だ」


 中指が折られ、手の中にしまわれる。


「二つ目は、生と死の循環。体細胞の先送りによる再構成だ。詳しいラインは知らんが、死にかけると寿命を代価に生き返れる。その時は、死の原因と直接関係ない傷も回復する。けれど方法上、指や手みたいな、細胞分裂で再生しないものは元に戻らないらしい」


「つまりそれで、打たれても死ななかったと」


「まあな。最初の一発以外は全部掠めるだけだったからほら、各所に傷がある」


「う゛っ」


 頬や片、脇腹に太ももと、よくもまあバラバラに外したもんだと、萌衣は内心で自分を嘲笑った。


 しかし現実で行動に移したのは、頭を下げる事。


「ごめんなさい」


 姉を殺した復讐すべき相手に、萌衣は素直に謝罪した。


「…………!」


 さしもの久澄も、これには心が驚き揺れるのを隠せなかった。それが狙いなら効果覿面こうかてきめんと言えるが、萌衣はそんな奸計かんけいを仕組んではいない。


 或いは純粋な謝罪だったからこそ、久澄は驚いたのか。


 顔を上げ不思議がっている萌衣に、久澄はわざとらしく咳を入れ、


「取り敢えず俺が生きていた理由の説明は以上だ。……分かっていると思うが、話の流れ上避けられなくて通った話もある。それ自体は知っていても、その方法が思い浮かばないというところも存在しただろう」


 声の質が、言葉を紡ぐたびに重くなる。


 そして、


「けれど全て答えられない。納得してくれ」


「…………分かったわ」


 聞きたい事は沢山ある。もし付け加えられなければ、質問していただろう。


 決定的な一線を、見て見ぬふりして。


「有り難い。あっ、お前相馬颯真って知ってるか?」


「おい、何でそんなケロッと空気を変えられる! てか、聞くなつっといてそっちは訊くのかよ!!」


 思わず拳骨を頭に落としていた。特殊才能でなかったのは、脊髄反射だったから。


 それ程までの切り替えだった。


「痛っー」


「どこ行ったあの空気! 頭抑えてないで答えなさいよ!!」


「と言われても。こっちとしては、あの空気を維持して変に引きずられる方が困る」


 頭から手を下ろし、それを見つめながら言った。血が出ていないか確認しているのか。


 こっちも骨の調子がおかしい。それくらいの勢いで殴った。


「それに一応相馬颯真については、かなり真剣な話題なんだ。だから、失礼なのは承知の上で訊ねた」


 頼む、と頭を下げられる。


 その真摯な姿勢に、萌衣は溜め息を吐いた。


「……知らないわよ。そんな独特の名前、見かけでもしたら忘れないもの。特徴とか要旨教えてよ。もしかしたら別の名前で知り合っているかもだし」


「黒髪で淀んだ黒い瞳。いつも黒色の学ランを着ている存在感がない男だ」


 一瞬の淀みなく、すらすらと答えられる。


 思い出すという工程すら必要ないくらい、記憶に刻まれているのだろう。


 萌衣は告げられた情報を脳内検索し、洗い出す。


 結果を、口にする。


「やっぱり知らないわ」


「……そうか」


 久澄は肩を落とす。


 少しの間だけしか見ていないが、それでも久澄碎斗とという少年は礼節を欠かない、と感じている。


 それでも結果を告げた本人を目の前にして落胆の意を示すという事は、それだけ久澄にとって重要な案件なのだと意味なのだろう。


「一応お姉ちゃんにも当たってみるけど」


「んー、てか聞いてくれるのかな? 俺と戦った時、『尾』は九本合ったけれど。お前のキレようから察して、舞華さんもかなり怒っているんじゃ」


「そりゃ……あっ!」


 萌衣は露骨に目を逸らした。冷や汗だらだらである。


 まるで、都合の悪い事でも思い出したみたいに。


「どうした?」


 久澄の声色に、不審感が混ざる。


「その〜ですね。お姉ちゃん、不死鳥の恐苛を宿しているせいか、自分の命に頓着ない部分があって……」


「つまり、お前が勝手に暴走したと」


 一瞬躊躇し、首を縦に振る。


「またなんで? こんな言い方は好ましくないが、舞華さん、俺に殺された後も八回は死ねたでしょ」


「私も同じく好ましくなかったからよ。恐苛狩りなんていつ死んでもおかしくない業界だからね。命が多ければ多い程いい。てか普通に考えて、姉が殺されたらキレるでしょう」


「……夜霧。あんま言いたくはないが、それは世間一般ではシスコンというんだぞ。シスターコンプレックス」


 いかにも英語ができませんな発音で言われた内容にカチン、とこないでもないが、まだ言い分は続くようなので黙っておく。


「怒るのは普通だ。余程仲が険悪でないかぎり、な。けれど殺した相手を殺しに来るなんて……そりゃ、ちょっと病んだシスコン判定するしかないだろう」


「なッ!」


 思わず子女にあるまじき声音を出してしまった。それ程の衝撃。


「大体わざわざ逃げ出した夜霧のお膝元に来るって。後先考えなさすぎ」


「け、けれど」


 そう言葉を紡いだものの、反論ができるわけではない。


 声が、身体が震えている。


 対する久澄は、まだ気が済まないのか口を動かす。


「まっ、仕方ない気もするけど」


「……はっ?」


 だが口にされたのは、今までと方向性の違うものだった。


「だって小さい頃から舞華さんに守られてきたんだ。親代わりで優しい姉。そういう性格になるのも当たり前の人間らしさなんじゃないか」


「…………それはズルいんじゃ」


「ズルいって、何が?」


 蚊の鳴くような声で呟いたはずなのに、しっかり拾われる。


 何故、と思案したが、先程五感の鋭敏も後遺症として残っていると言っていたのを思い出した。


「何でもないわよ、何でも。取り敢えずお姉ちゃんには電話入れておかなきゃだから。期待せず待っていて」


「舞華さんにも聞いてくれるなら追加検索だ。そいつも恐苛狩りを生業としていて、杭を使う」


「分かった。お姉ちゃんも業界に入って長いからね。引っかかりくらいはあるでしょう」


「……そう、だな」


 その歯切れの悪い言い方に不信感を抱かないでもないが、あまり深く関わるつもりはないため訊ねない。


 会話は終わりなようで、しばらく沈黙。


 萌衣は思い出したような動作で時計を見た。


「十九時四十六分。まだもう少し時間あるけどどうするの?」


「いや、そろそろだな」


「ん?」


 はて、会話が噛み合わない。


「いったい何を」


 −−しようとしているの。その言葉は、言語化できなかった。


 何故なら、


「おーい。こっちだ」


 低いながらよく通る声で、遥か先に呼びかける。暗闇が満ちた世界で、手を拭ったりはしていないが、それは確かに誰かを呼ぶ行為だ。


 萌衣は振り返り見てみるも、月明かりにより浮き上がったぼんやりとした黒い人影しか見れない。


「誰……?」


 その人物は一歩一歩近付いてきており、次第に形が明らかになっていく。


「えっ?」


 そして容姿が明らかになった瞬間、驚きすぎて声が裏返った。


「何で……和ちゃん」


 月下の暗黒から姿を現したのは、和ヶ原和だった。


 始めてみる私服姿。月の明かりだけが頼りの現下では、詳しい色まで視認するのは難しい。けれど、ちょっとふわふわした感じの服装は、大人しめの容姿をしている和によく似合っていた。


 そんな現実逃避も終わってしまい、萌衣は目つきを厳しいものにして久澄へ向き直った。


 和がここに来た理由。もし手を振っていなくても、状況証拠から彼が呼んだと導き出せる。


 それに、意地の悪い英里が萌衣への『置き土産』と言っていない時点で明確だ。


 英里とそのボディーガード達を除いてここに萌衣が来ると知っていた人物。


「どういうつもり」


 簡単な話だ。人の目は、光源がなければものを見る事はできない。また、明から暗へ、急な切り替えが合った場合、慣れるまで数秒から数十秒要する。


 しかしその二つが重なった状況下で、久澄はこう言った。


 『待てよ、夜霧萌衣』、と。


 吸血鬼の視力があろうと、それは後遺症と呼ばれるレベル。鼓動が早まればその力は上がるらしいが、再構成された心臓は、そのままの鼓動だろう。


 それに絵里の存在も看破していた。萌衣が来る事自体は、予見されていたと考えるべきだ。


「言っただろう」


 久澄は、世界の共通認識を説明するような口調で告げる。


「利子分くらいは返すって」


「なっ! はえ!?」


 つまり久澄は、和との微妙な不和を察し、仲直りの場を整えてくれたのだ。


 利害があったとはいえ、命を救ってくれただけでなく。


「さて、三年の利子分くらいにはなったかね、夜霧さん?」


 不意に、心が動く。友好の方向へ。


「……久澄、夜霧って呼ばれるの嫌だから、萌衣って呼んで」


 本当はそんな事ないが。


 それが精一杯の照れ隠しであった。


「そうかい」


 久澄は、何も追及してこなかった。


「取り敢えずうら若き女性達がこんな時間に居るべきではないな。和ヶ原さん、呼び出しといて悪いけど、萌衣についていってくれないかな」


「わ、わかった」


 先程から動揺が少ないところを見るに、和は事情を許諾してこの場に来たみたいだ。


「じゃあ、明後日」


「……んじゃあ」


「さ、さよう、なら」


「気をつけて帰れよ」


 気まずい空気に身悶えそうになりながら、廃倉庫を後にした。








 既に外出許可時間が過ぎているため、距離的に近い和の家で落ち着いて話をする事にした。


「お邪魔します」


「ど、どう、ぞ」


 和に案内され、キッチン備え付きのリビングに通される。必要最低限の物しか置かれていないため、事実以上に広く見えた。


「…………」


 知人から借りている家という事で好奇心が掻き立てたが。


 見た感じ少し土地が広いのと一軒家な事を除けば、学生寮とあまり変わらぬ作りであった。


「こ、こっち」


 部屋の端から客用の椅子を、和用だろう椅子のテーブルを挟んだ対面に置きながら告げた。


「どうも。−−さて」


 自分と和が席に着いたのを視認し、口を開く。


「ごめんな」「ま、待って」


 まずは謝罪から、と深謝の言葉を口にしようとしたところで、和が割り込んできた。


 萌衣はそれを受け口をつぐみ、途絶え途絶えながらしっかりとした意志を感じさせる和の言葉を待つ。


「ろ、論点、が違、う」


「どういう意味?」


「そ、そもそも、何、で萌衣ちゃん、は、謝ろう、と?」


「そりゃあ、和ちゃんの意思を否定しちゃったから」


「それ、は、関係、ない」


 は? と首を傾げる。


「わ、わたしが、萌衣ちゃんを、避けていた、のは、朝上あさがみさん達、に、釘を刺されていた、からなの」


 朝上、という名に心当たりはないが、流れからしてあの三人組のリーダー格だろう。


「釘を刺されていたって?」


「萌衣ちゃん、と、これ以上、関わるなら、落書き程度じゃ、済まさないって」


「私、言ったよね。気遣いされるのは嫌だって」


「け、けれど、人間、は、よ、弱い、生き物、だから。た、多分、あれ以上、酷く、なったら、助けてくれる、人、居ない、と思う……」


「…………」


 自虐ではなく、自分の事を反面教師にしてもらうために自らの体験により得た答えを告げる和。


 あくまでも他を思いやる在り方に、萌衣は諦め混じりの溜め息を吐いて、一言。


「関わんなくても落書きは(・)続けていたけれどね」


「あう」


 冗談として皮肉っぽく告げた言葉に分かり易く反応する和が面白く笑った後、


「まあそれは、私の事を嫌いが故のイジメだから約束を違えてはいないわね。イメージ効果ってのを知らないみたいだけど」


 せっかく和との交渉−−脅迫とも言う−−を成功させたのに、私的理由で条件スレスレの行為をすればどこかで綻びが生まれる。生まれが違うから考え方も違うため仕方ないのだろうが、本当に馬鹿だと思う。


 例えば、このように。


「私に接触したって事は、あいつらに嫌気が差したという意味と捉えていいわよね」


「い、嫌気という、より、も、元々、あまり、好ましく、なかったの。ず、ずっと和ヶ原、としか、見てない、から」


「まあ、確かに。明らか和ヶ原の権力目当てだったしね」


 あっけらかんと言うと、和は押し黙った。


 異論はないのだろう。


「成る程成る程。理解できたわ。けれど、何でこれに久澄が噛んでいるの?」


 そもそも英里への発言からして、彼も三家の権力狙いなのに。


 何故?


 和が上手く言い含められた可能性も考慮してみたが、そういう感じに敏感な和が気付かないわけがないだろう。


「く、久澄君、が、決断の、きっかけ、を、くれたの」


「はっ!?」


「ちょ、ちょっと前、の、放課後から、かな。わたし、と萌衣ちゃん、が、お互い、に、微妙な、感じに、なったの、を、気が付いた、みたいで。そ、それからそ、相談、に乗って、もらったり、していて」


 放課後と言えば、あの日になるのだろう。ギクシャクし始めたその日に。


 小詠が特別なためだと思っていたが、案外分かり易かったのかもしれない。


 だがどうしても、萌衣には解けない謎があった。


「和ちゃん。久澄だって貴女を和ヶ原として見ているのに何で頼ったの?」


 そうこれだけは、触りすら語られなかった。


 それに、和は首を傾げながら答えた。


「そ、そう、なの? わたしは、瞳を、見て、判断している、んだけれど。く、久澄君は、や、やましい感じ、が、なかったよ?」


「そりゃあ、あの目は、感情が欠けている感じだもの」


 あの瞳に宿る感情は、怒りくらいしか思いつかない。


 目は心の窓なんて言葉があるように、あの瞳が久澄碎斗と言う人間の有り様を表している。


「だから和ちゃん、気を付けてね。彼は、目的のためなら何でもできるだろうから」


 そう言っても、和は首を傾げる行為を止めはしなかった。


「そう、かな〜? く、久澄君、いい人、だと、思うよ? そ、それは、萌衣ちゃんも、でしょ?」


 ん? と言っている意味が理解できず萌衣も首を傾げる。


 対して和は、どこかイタズラっぽいニヤニヤ笑いを浮かべて。


「だ、だって、ね。夜霧って、呼ばれても別に、構わないんじゃないの?」


 ぶぶぅー、とお下品にも吹き出した。


「う゛、それは……」


「そ、それに、見ていたん、だから。萌衣ちゃんが、顔、赤らめて、いるの」


「ぐはぁー!」


 中学校の時の黒歴史を掘り返される人間の気持ちが、少し分かった気がした。……中学校に通っていなかったから、あくまで擬似だが。


 そんなこんなで誤解が解かれ、二人は失った数十日分を取り戻すように話を続ける。


 夜は深まっていく。








 早朝。曇天により太陽光が遮られ熱が奪われ冷えた気温の影響で萌衣は目覚めた。


「……………」


 身体を起き上がらせ、半眼の寝ぼけ眼で辺りを見渡し、自分の部屋だと確認する。


「…………さぶっ!」


 起き上がった際に毛布もうふがずり落ちていたらしく、一気に体温を奪われた。


 力を抜き、重力に逆らわない形でベッドに倒れ込み、もぞもぞと毛布を顔の半分まで被せる。


 体温により温まった毛布は刺す冷気を遮断し、心と身体を落ち着かせる。


 そのまま二度寝の誘惑に従いヒュプノスの園へ−−


「ととと」


 そんな奇声と共に起き上がった。


「危ない危ない」


 まだ眠気が抜けきっていないようで、少し呂律がヤバい感じになっている。


 本人も自覚しているようで、毛布をベッドの端に追いやり、勢いよく床に足を付けた。


「さぶさぶ」


 床は時期により保温や保冷の性質を入れ替え、今は保温のため温かいが、他はそうもいかない。


 開けっ放しの窓から吹き抜ける風で意識を起こし、霞む目を擦りながら外を見た。


「雨、降りそうだな」


 灰色の幾重の雲の層は、誰がどう見ても雨という天候を予想させる。


「まあ、いいや。それよりも」


 ドアを開け、真っ直ぐリビングへ。その部屋にある固定電話が目的だ。


「ん? 不在着信来てる」


 昨夜は家に帰るとすぐ自分の部屋に向かい、泥のように眠ったためそこら辺のチェックは怠っていた。


 電話をかける前に、確認しておく。


『えー明日、午後一時に教室に集まってくださぁ〜い。ちなみに、全員強制参加なのでぇ〜』


「はあ、小詠先生からなんて珍しいわね?」


 具体的な目的などが全く語られておらず、それが逆に心を揺さぶる。


 あの先生が強制的に呼び出しているのだから、何かがあると。


 そう考えてしまう。


「……一時よね」


 学校に行く事を決め、とある所に電話をかける。


 精神的疲れがあったようで寝すぎ、今は十一時だが、仕事の時間でなく、また起きているだろう。


 コールは四回。


『はい、どちら?』


 静謐な感の声音が電話口から響いてきた。


「私、萌衣」


『誰それ知らない』


 プツン! ツーツー。


「…………」


 リダイヤル。コール、今度は二回。


『はい、どちら?』


「萌衣で」


 プツン! ツーツー。


(…………マジすか)


 リダイヤル。コール三度目は一回。


「あのお姉さま、怒っているんですか?」


『ああ、私の事を姉と呼ぶのは愛しき妹だけだなぁ。つまり、萌衣ね』


「怒っているのね、お姉ちゃん」


 声音も何も普段と変わらないが、何となく感覚で分かる。伊達に十六年間家族をやっていない。


 こういう時は、素直に謝るべきだ。


「ごめんなさい」


『何に対して?』


「それは、勝手に暴走して……」


『ノン。謝罪の電話を入れられたのは成長だけど、そこを悟れないようじゃまだまだね』


 ここで怒りが収まったのを感じる。


『まあ、いいわ。答えは教えないけれど』


「相変わらずね、お姉ちゃん」


 検索すれば何でも答えを得られる時代だからこそ、過ちなどを犯した時、自らで解決方法を導き出す。それが姉であり母代わりの舞華の境域方針である。


『私は私だから。で、わざわざ電話してきたって事は、何か特別な用があったの?』


「あ、うん」


 そこで萌衣は、相馬颯真という名前とその特徴を告げ、知らないか訊ねた。


『相馬颯真…………知らない名だね。誰が情報のソースなの?』


「えっ? あっ! うん…………匿名希望で」


 言えるわけがない。本人が自分を殺した久澄碎斗の事をどう思っているかなんて知らないから。


『……そう。それなら仕方ないわね』


 一応納得してくれたみたいだ。含みがあった気がするが気のせいだと思いたい。


『まあ、夜霧には気を付けなさいね。後、こっちにも夏休みとかに顔出してよ』


「うん。一応夜霧に見つからないために名前を公式に出す行為は避けたいから頻繁には行けないだろうけど、善処はするよ」


『成る程。じゃあまあ、元気でね』


「お姉ちゃんも命を大切にね」


 電話を切った。


 ちなみに、舞華の携帯には妨害や索敵用の電波を遮断する機能が付いているため、どうあっても彼女には辿り着けないようになっている。


 閑話休題。


「ふぅ」


 寝ている間に溜まった淀みのようなものを吐き出すように息を漏らす。


「取り敢えず、お風呂入ろ」


 汗が湿気と混ざり最悪な感じになっていると、嘆息しながら脱衣場に向かった。








「本格的に降り出しそうね」


 自室で制服に着替えながら窓に目を向け空模様を窺う。


「よしっ」


 いつもの制服の上に藍色のカーディガンを羽織り、肩に財布や携帯を入れた小さめの鞄をかけ玄関に向かう。


 傘立てから傘を抜き取り、いかにも脱ぎっぱなしな散らばり方をしたローファーに足を通し外へ。


 鍵を閉め、ローファーのつま先部分を地面に叩きつけ履き心地を整える。


 傘を手首のスナップでくるくる回しながら、萌衣は通学路を憂鬱げに歩み始めた。


 どんよりと空に重くかかる雨雲が、萌衣の気分を表しているようだった。






 崩れそうで崩れない。そんな天気の下学校に着いた。


 教室に入ると、来ている人間はまばら。


 指定より三十分前だからだろうが。


 流石に小詠自ら呼び出す場で悪さを働くつもりはないらしく、早くに学校に集まって机へイタズラ書きをするなどの嫌がらせはなかった。


 朝一番で久し振りに見る綺麗な机の横に傘をかけ、上に鞄を置く。


 そうしてから、まばらの中に居た少年−−久澄碎斗の元へ足を進めた。


「おはよう……って、傷だらけね」


 昨日見た銃創以外の箇所に貼られたガーゼ。よく見なくても、右と左で瞼の開き方が異なる。


「何があったの?」


 向いた久澄に、そう訊ねる。


 久澄は声を潜めて、答えた。


「置き土産だよ」


「へ?」


「英里の奴、俺が進藤の事ぼこしたのを知ってやがったんだろうな。二十時になったらあいつと他に五人来てな。多分元々は俺達を処分した後、全部あいつらに押し付けるつもりだったんだろう。けど紆余曲折あり、協力関係で収まった。から残ったのは、俺に対する進藤とその仲間達の恨みだけ」


「だから友情を試す、ね」


 英里により取り返しがつくとはいえ不利益をもたらされても、利害関係が揺るがないかどうか。


 英里らしいと思った。


「喧嘩なんざ一対多数で勝てるはずないから逃げようとしたら袋叩きに合って、そのせいで心拍数上がり吸血鬼の血が漏れ出して、反抗できるようになってさ。取り敢えず躱わしまくってやり過ごしたけれど……」


 遠い目をする。その姿はどこか、哀愁を感じさせた。


「それを止めに駆けつけてきたの『警備隊』じゃなくて鈴香赤音だったし」


「鈴香って炎熱姫の!?」


 悲鳴に近い声を上げてしまい、クラスの注目を集める。


 頭を下げ謝罪の意を示しながら、その名の意味を頭に巡らせる。


 炎熱姫、鈴香赤音。四人しか居ないランク4の第四位。曰わく、炎熱系最強。『風紀委員』の委員長をしている。


「何でそんな有名人が。というか、『風紀委員』だって学生なんだからあの時間の仕事は有り得ないでしょう」


 まくし立てる。周りの耳を気にして小声でだが。


「俺に言われても分からないよ。本人は、上からの仕事のついでとか言ってたけど」


「上って『警備隊』は命令系統が違うし……夜霧?」


 どうでもよさそうに聞いていた久澄だが、夜霧の名を出した瞬間明らかに興味を示した。


「何でそう思う?」


 それに内心苦笑いをしながら告げる。


「ランク4となれば、研究者は夜霧の誰かとなる。風紀委員長としての鈴香赤音の上位命令系統を持っているのも、やはり夜霧。接点も機会もあるから条件は簡単なはずよ」


「……へぇ〜」


 予測は久澄の中で精査され、一応の及第点は得られたようだ。


「納得ついでにもう一つ。お姉ちゃんに聞いといたよ」


「どうだった!?」


 遠回しに告げた言葉も、一瞬の空白なく継がれた。


 その執念に恐怖を覚えながらも、萌衣は結果を告げた。


「分からないって。名前すらも」


「そうか」


 反応は、意外にも平坦なものだった。


 奇異の視線を思わず向けると、久澄は苦笑で返した。


「言っとくけど、収穫はあったからな。舞華さんレベルの深さまで闇に通ずる人でも、名前すら知れない地位に居るっていう事が知れた。だから、ありがとう」


「どう致しまして」


 返し、


「それにこちらこそありがとう。和ちゃんとの仲を取り持ってくれて」


 感謝の気持ちを言葉にした。


「いいよいいよ。こっちとしては利子分を返しただけだからな」


 それより、と久澄は萌衣の席の方を向いた。


「和ヶ原さん来てるっぽいから席着いとけば」


「えっ? −−本当だ!」


 自分の席の一つ後ろ。そこにはほんわか笑顔でこちらを見る和の姿が。


 それに軽い頭痛を覚えながら、萌衣はそちらに早足で向かった。








 朝上達の鋭い目線をスルーしながら会話を続けていると、黒板の上に取り付けられた時計が一時だと示した。


 同時に滑らかな動作で、扉が横に開かれる。


 いつもの甘ったるい雰囲気と違う小詠を見て、すぐさま皆、自らの席に着いた。


「みなさん、こんにちは」


 母音で伸ばすあの独特の語り方がなくなり、今の口調は辛辣な感じを覚える。


 そこに宿るは、怒りという感情。


 クラスの雰囲気が、それに感化され引き締まる。


 外もそれに刺激されたように、ギリギリのバランスで保っていた曇り空から、涙が落ちる。


 それはだんだん強さを増すも、小詠の意識には投影されていないようでしばらくクラスを見渡し、


「全員居るようですね。……一名、個人的に事情を聞きたい顔をしている人も居ますけれど」


 久澄の事だ。


「さて、日曜日なのにわざわざ皆さんを呼んだ理由は、他でもありません」


 小詠は一瞬、黒目を萌衣の方向に動かし、


「このクラスで、イジメが起きています」


 告げた。


 反応は、大きく分けて三つ。


 隣人と話し合うもの。


 和のこちらを心配そうに見る目。


 朝上達の自分は清廉潔白ですよ、とアピールするように我関せずを貫いているもの。それが逆に浮いているとは、気付かないみたいだ。


「静かに。この場において、私語は一切禁止します。発言したければ挙手してからにしてください」


 その発言を受けてようやくマズい事態に発展していると嗅ぎ取ったようで、一部を除き皆緊張の色を強めた。


 いつもなら小詠はこの態度を異常なくらい褒めるのだが、今回はそれができて当たり前、と言っているような冷めた目を向けるだけで言葉を続ける。


「高校生の皆さんには説明する必要はありませんね。イジメがどれほど愚かしく、恐ろしい行為だと」


 言葉は、


「ですがこのクラスには、その行為を行う人間が居ました」


 冷たく、


「わたしは他の先生方のように、自主的に手を上げる事を待ったりしません」


 教室を満たしていく。


「朝上美衣、張麻芽利はりまめり刈絹情雨かりぎぬじょう。立て」


 有無を言わせぬような声色で、三人組の名を呼んだ。


 腰巾着である張麻芽理と刈絹情雨は威圧感から素早く立ち上がった。


 しかし朝上美衣はプライドを壁に悠然と、我関せずな態度をとっていた。


 そんな朝上美衣の前まで近寄り小詠は、


「甘えてんな」


 頬を、平手打った。


 いきなりの出来事で完全に音が消えた教室に、軽い音がこだまする。


 朝上美衣も予想できる事柄の斜め上を行く行動に思考が空白を作ったらしく、数秒経ってから叩かれた頬を押さえつつ反応した。


「た、体罰よ! 訴えてやる!!」


「構いませんよ。親、教育委員会、マスコミ。どこへでも。わたしはその全てを説き伏せられる自信があるので」


(えっ? 待った!!)


 反論を許さぬ小詠の物言いと今の状況から、萌衣の脳内に嫌な予感が走る。


 だが時すでに遅し。


「分かりますか? あなた達は生徒として、いえ、人としてやってはいけないことをした!」


 怒鳴り声と共に、雷鳴が轟く。


 教室が、稲光で照らされた。


「だからわたしも、教師としての禁じ手を使わせてもらいます」


 禁じ手。確かに、公然な出来事であっても教師が生徒に手をを出したり、晒し者にするのは行ってはいけない行動だろう。


 だけれど同時に、萌衣は思う。


 ある意味において、それは教師の鏡なのかもしれない、と。


 自らの教師生命を突き出し、間違いを痛みを伴う出来事と共に教える。


 人間を含め生物は、受けた痛みを決して忘れない。それを避けるために、間違いを犯さない。


「そして傍観者達。あなた達も同罪です。止めろ、とは言いません。ただ大人に告げ口してくれればいいんです。権力を使う事は、決して恥ずかしい行為ではありませんから」


 張り詰めた空気が、最高潮に達する。或るいは、第三者である自分達に飛び火してきた事で、三人組を非難する空気ができあがっているのかもしれない。


 しかし、と萌衣は思考する。


 果たして、今の世界において何の特異性のない一個人が、『風紀委員』や『警備隊』のメンバーを退き、この街において三番目の有名人になれるのかと。


 彼女は教師の鏡として、この学生主体の街で名を轟かせている。


 だが今彼女が行っているのは、クラスの雰囲気を悪くし、教師という立場を利用した暴力だけだ。


「朝上さん、張麻さん、刈絹さんには後日、停学の日数を告げます」


 反論の声はない。出ないようにも見える。


(…………ああこんなの)


 あんまりにもあんまりだ。


 小詠の行動もそうだが、当事者である自分が、全く関わっていない。


「先生」


 発言をしてから、腰を浮かせた。


 皆の視線が一斉に集まる。


「勝手に話を進めないでいただけますか」


 だから、告げる。


「これは、私がどうにかすべき問題です。あの時も大丈夫だという旨の事を告げたつもりでしたが」


 思いを。


「明後日にでも、朝上達とは話し合いを行い、平和的な和解をしようとしていました」


 昨夜の出来事を経て、復讐のため凍らせ、研いできた氷の心は溶けている。


 だから発せられる言葉は、理性と両立した、本心からのものだ。


 小詠は目を瞑り、溜め息を吐いた。


 そして、


「それが正解よ。夜霧さん」


 そう言った。


「子供の事情に、大人が介入するなんて普通はあり得ません」


 解ってますよ、と。


「この問題だって、結局夜霧さんの判断でしか解決はしませんし」


 けれど、と告げる。


「それでも、わたしは先生なんです」


 小詠は笑みを作った。


「生徒が困っていたら手をさしのべたいし、問題を起こしたらきちんと叱り、その道を正したい」


 声から冷たさが消え、いつもの温かみが戻る。


「先生というのは、親の次に子供の人生を左右できる存在だと、わたしは思っています。確かに人格形成にはもっと大きな、環境というものも関わっているかもしれませんが、それによりねじ曲がった人格を正せるのは、人間しか居ないと思うのです」


 だから、


「朝上さん、張麻さん、刈絹さん、あなた達にわたしは上から目線で偉そうに言います」


 宣告する。


「あなた達は悪い事をした」


 そして、


「今この場で、あなた達の全てを決められるのは、夜霧さんだけです」


 ここから先は言わなくても分かるだろうと言う風に、小詠は口を閉ざした。


 張麻と刈絹は、意見を求めるように朝上へ視線を走らせている。


 しかし当の彼女は、悔しそうに爪を噛んでいるだけで、二人の事は全く気にかけていない。


 雨の音だけが響く教室の静寂と視線が、彼女達へ精神的苦痛を与えている。


 一般論として、萌衣はそれを理解できていた。


(長くなるかな……)


 そう思考した彼女は、静かに腰を降ろした。


 そして鞄の上に腕を乗せ、頬杖をついて彼女達の『選択』を待つ。


 そんな静寂の教室を責め立てるように、雷が再び轟いた。


 光が通り過ぎ、爆音が空気を震わせ終わった後、変化が起こった。


 張麻と刈絹が動いたのである。無論、こちらへ。


 その表情に、葛藤がないかと言えば嘘となる。


 しかしそれを呑み込み、二人は『選択』したのだろう。


 その決断を、萌衣は素直に凄いと思う。


 当たり前の事だからこそ、そこには重い判断があっただろうから。


 だけれど、否、だからこそ、萌衣は生暖かく終わらせる気はない。


「一人、足りないわね」


 目の前まで来た二人に、そして朝上へ向けて、ポツリとこぼした。


「私はあなた達三人にやられたのよ? 二人だけで謝られたところで、そんなものを謝罪として認めるわけにはいかない」


 バン、と一回机を平手打つ。


「さあ」


 −−『選択』の重みの証明を。


 言葉には決してせず、訴えかける。


 その思いが通じた−−わけではないだろう。


「美衣、分かっているでしょう」


 ただ、二人はそこまでの思いでこの場に立っているのだ。


「あーし達が間違えていたのよ、美衣ちゃん」


 二人は、語りかけている。


 それに、爪を噛むのを止めて美衣は振り向いた。


「綺麗事口にしてるんじゃないわよ! 空気に負けて免罪求めてふざけんじゃない!!」


 それは、と二人はたじろいだ。


「ふさけてるのはあんたよ!」


 代わりというわけではない。しかし萌衣は、美衣の言葉に、立ち上がり反論した。


「確かに二人の行為はそう見えても仕方ない。けれど、それを理解して二人はこの場に来たのよ!」


 舌を打つ。


「体裁だけ取り繕っているあんたよりよっぽどましよ!!」


「夜霧さん……」


 その言葉は、張麻か刈絹か。分からないが、悪意や呆れは感じれない。


 縁を切ろうが夜霧だ。そこを履き違えたりはしない。


 そして訊く。


「朝上美衣! フライドズッタズッタに傷つけて、それでも私に頭を下げる覚悟はある!?」


「偉そうに。夜霧萌衣、大体あんたは気に食わないのよ。全てを冷めた目で見やがって。それでいて重要なポジションには居られる。そういう人間が大っ嫌い!」


「はっ、そんなの嫉妬以外のなにものでもない」


「そうよ、嫉妬よ。才能だけで人生上手く生きやがって」


「何が悪い。この街では、才能が全てよ」


「……っ!」


 美衣が図星を指され、押し黙る。


「この街で才能を否定する事は、そのまま自己の否定に繋がるわ。それでもいいなら反論しなさい」


 ただし、と繋げ、


「それをできるなら、私への謝罪くらい簡単よね?」


 ふん、と挑発的に鼻を鳴らす。


「ぐ、ぐぐぐ」


 奥歯を噛み締める音とうなり声が混ざって聞こえてくる。


 そして、彼女が下した『選択』は。


「ごめんなさい。もうしません」


 その場から動かず、頭を下げる行為だった。


 慌てて二人も、


「ごめんなさい」「ごめん」


 と謝罪してきた。


 それに萌衣は目を点にし、笑い出した。それも、クラスに響き渡る程度には大きな声で。


 皆眉を眉をひそめたり、眉間に皺を寄せたりと疑問を覚えている。


「はあ? そんなに美衣の謝罪姿が滑稽だった!?」


 笑われた本人の朝上は、顔を赤らめ怒鳴った。


 自分達が笑われたとも取れる張麻と刈絹も、不快そうに表情を歪めている。


 そこに誤解が生じていると感じた萌衣は、それを解くために口を開いた。


「いやいや、そうじゃないの。ただそこまで真っ直ぐに来られると、実は朝上さん良い人何じゃないかな? と思って。そしたら今まで悪ぶっているのが滑稽で」


「はっ? 馬鹿にするんじゃないわよ」


 しかし張麻や刈絹が、確かに勘違いされやすいけど良い人よね、と頷いているため、説得力がない。


「二人とも!」


「いや、いいじゃない。私、ネチネチ裏でコソコソされるのは嫌いだけど、正面切ってくれるなら好感度上がるわ。朝上さん、私の事、嫌いなままでいいからね」


 その言葉に、美衣は不快気な表情を浮かべた。


「あなた、おかしいんじゃないの?」


「こういう性分なのよ」


 言い切り、


「まっ、謝ったから許すわ。くるしゅうない、てね」


 席に着き、三人も自席へ着くように促した。


 そして萌衣は、息を一つこぼしてから戦慄を覚える。


(一瞬で全部もってかれた)


 先程口にした小詠のやり方を否定する言葉を、しかし彼女は自らの意見として呑み込んだ。


 そしてそれを、停滞していた空気を前に進めるきっかけとした。


 だが、恐ろしいのはその先。


 小詠がしたのは、空気を変えただけの行為。


 重要な部分は全て生徒に任せた。


 これが教師の鏡と呼ばれる女性の所以ゆえんかと、萌衣は舌を巻いた。


「流石、と言うべきですね」


 静観していた小詠が、口を開いた。


「わたしの受け持つ生徒は、自主性に飛んでいて先生的には寂しいですが、それでもやはり、嬉しさが勝りますね」


 笑みを浮かべ、深くする。


「この経験は、きっと皆さんの人生を、よりよいものにしてくれますよ」


 そう断言して、


「では、解散。また明日ですぅ〜」


 最後にはいつも通りの喋り方に戻し、小詠は終了の言葉を発した。


 雷の鳴り止んだ空は、その雨量を増していた。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 冷たい風が、ビル群の隙間を通り抜ける。


 月と星星が暗闇のフィルムを照らし、世界に自然の冷たさを教え込む。


 だが人類の知恵は、そこへ人口の光を投影させて、人々に自然に対する過度な恐怖心を押さえ込む事に成功していた。


 後に『雷鳴事件』と呼ばれるようになる春の一時を思い出しながら、彼女の身体は病院の裏口−−職員用玄関近くの木陰にあった。


 今の世の中、多くが機械化されている。それは病院も例外ではなく、生身の人間が看護を行ってはおらず、院内はHHRの派生体がその殆どを締めている。


 だから、出入りする人間の姿は少なく、だからこそ見逃す可能性というのはない。


 夕刻から、どれほど待っただろうか。


 整備が行き届いているらしく甲高い音すらせず、滑らかな動作で扉が開いた。


 医師なのに清潔なのが似合わない。そんな風に感じさせる人間だ。


 萌衣は飛び出した。


 彼の目は萌衣が飛び出した瞬間から、射るように彼女を捉えていた。


 そして、彼は告げる。


「夜霧、萌衣か」


 それで、彼女は確証を得た。


 つまり、


「あなた、夜霧冷夢のクローン体ね。それも、オリジナルに近いナンバーの」


三番目サードだ。一番目ファースト二番目セカンドは研究者として、私は医師として、夜霧冷夢を発揮している」


 いつも使っている柔らかい喋り方とは異なる、固く機械的な声色で彼−−夜霧冷夢は首肯した。


「そしてこの三人こそが、自分を夜霧冷夢だと自覚している」


「なら、第三位を自由にさせているのは、夜霧冷夢としての考えなの?」


「朱雀は既に役割を終えている。近日中にも公然の認知となる。もう、拘束する理由はない」


 それで、と夜霧冷夢は告げる。


「私に何の用だ? 一番目に情報が伝わると知っていながら、それでも私と接触した理由は?」


「そうね……」


 萌衣の目的は、夜霧冷夢だと確認できた時点で達せられていた。


 しかしその先を求める事ができるなら、と思考を走らせる。


 結局な答えに行き当たり、そのまま口にする。


「今後のために、あなたを潰しておきたい」


「無理だ」


 即答だった。


「そもそもにおいて私の造りは常人のそれとは違う。一番目も二番目も、まだ人間としての形をしているが」


 右手を突き出す。その手には、いつの間にかナイフが握られており、


(いつ抜いたの!?)


 それが口にされるより早く、己の腹部を貫いた。


 粘り気のある液体が、小さな隙間で押しつぶされる音が聞こえた。


 明らかに致命傷。しかし、


「私は一番目の不死者研究の結果として生まれたクローンだ。ベースは夜霧新の細胞だな」


 何てことのないようにナイフを抜いた。その傷口は、見る見るうちに塞がった。


「まあ、人間の細胞分裂の有限の制約からは脱せてないからな。正確には、不傷者と言うべきだろうが……、どちらにせよ、片手間で殺せる奴ではないと理解してくれたかな」


 公開される情報量が、イコールで彼の余裕を表している。


 それに萌衣は沈黙を返した。


「沈黙は肯定と受け取るぞ」


 そう告げて、萌衣の横を通り過ぎる。


 しかしややあって、「あっ」と思い出したかのように言葉にした。


「一番目と二番目は知らんが、私自身は久澄兄妹に危害を加えるつもりはない。それだけは、覚えといてくれ」


 そうして、夜霧冷夢は闇の中に消えていった。


 そして萌衣は、


「ふーーーーーーぅ」


 緊張の糸が切れ、長い溜め息を吐いた。


 そのまま、流れるように心中を吐露してしまう。


「なーんで私がこんな事やってんのかね」


 恋愛感情ではない。あくまで友好のつもりだが、それにしては行き過ぎた行為な気もする。


「誰も答えは持っていなさそうだし…………お姉ちゃんは解ってても教えてくれそうにないし」


 全く、と萌衣は笑みを浮かべた。


「答えなんてどうでもいいか−−私がこうしたいから、こうするだけなんだし」


 萌衣は、久澄碎斗という少年に対するたった一つの感情に気付く事はなく、この場から動き出した。


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