後夜祭
一陣の風が吹く。
勝者には追い風に、敗者には向かい風となって。
「どうするんだ。もう少しすればお前を捕獲に暗部が動くぞ」
「……捕らえておかないの?」
「俺の身体を見ろよ」
肩を竦めながら言う久澄に従い、契はその姿を視界に収める。
お世辞にも動けるような状態には見えなかった。
それでも、投げかけられた言葉の真意が分からず、契は表情で訴えかけた。
「いや別に俺は、飛鳥さえ殺されないならいいしな」
先の一撃で開いてしまった肩の傷口を抑え、久澄は続けていく。
「それに、お前はもう俺達を襲えないよ」
シニカルな笑みで顔を歪める久澄に、契は意味を問いかけようとする。
しかし、すぐ近くに来る人の気配に、これ以上は無理だと悟る。
回復した体力を絞り出し、立ち上がり立ち去ろうとする。
けれど立ち止まり、振り返った。
「あなた、名前は?」
よく訊かれるなと思いつつ、答える。
「久澄碎斗だ」
「そう。覚えておくわ」
いや遠慮しとく、と告げようとしたが、既に契は風となり去っていた。
暗闇に紛れていた暗部衆も、それを見て消えていく。
いつ爆発してもおかしくない爆弾の前に居るような緊張感から抜け出した久澄は妹である飛鳥の方に振り向き、そのまま横に倒れ込んだ。
「碎斗ー!!」
兄の名を呼ぶ飛鳥の声だけが、闇夜に虚しく響いていった。
祭りの終わりは、そのまま閉幕を意味しない。
後夜祭。夜に開かれる祭りの後の祭りが待っている。
昼間の時とはまた趣の違う出店が立ち並び、温暖色の明かりが優しく地上を包む。
今回はそんな表側とは逆。暖かさなど皆無の冷たい裏側の後夜祭をお見せしよう。
日本支部と外を分ける堅牢な外壁を抜け、契は樹海のような森の中を歩いていた。
彼女の耳には今、太ももを突き破って開花した花が通信器具のように付いている。
そこから、瑞々しい、それこそ十代で通りそうな声音が響いてくる。
『失敗』
「すいません、華さん」
声の主は、魔術界の実質的リーダーである水仙蒔華であった。
「しかし邪魔者が入りまして。名はクズミサイトです」
『聞いた名』
しばらく沈黙が続き、それから華は言葉を発した。
『思い出した。三年前、「吸血姫事件」の時。夜霧新本人が動いたから記憶に残留』
「吸血姫事件……ですか?」
契は知らず、首を傾げた。
「何ですか、それ?」
「恐苛。既知?」
「はい、それなら」
恐苛。『変革の七日間』以降に発生した空想上の生物を模した現象である。
『恐苛最強種、吸血鬼の中でも最も恐ろしい才を持ち誕生し、それを忌避した吸血鬼の王が力を封印し、最恐最弱となった吸血姫が死んだ事件』
「はあ、けれどそれとクズミサイトが何の関係が?」
『久しいに澄むで久澄。普通は使わない方の碎に北斗の斗で碎斗。認識?』
こちらの微妙なイントネーションから漢字を理解していない事に気付き、教えてくれる。
声からは判断しにくいが、仮にも一つの世界を仕切る者。頭の切れは半端ではない。
『軌道修正。久澄碎斗は、吸血姫の最初にして唯一の眷属であり、殺害した者』
「なっ!!」
驚きながら、契はバラバラだったピースがはまっていくのを感じていた。
あの紅い目は、吸血姫の眷属だった頃の名残りだろう。
しかし逆に、疑問を感じる。
吸血鬼とは完全に縦社会のはずだ。
眷属が主を殺すどころか、傷付ける事さえ不可能だ。
それを訊ねてみると、
『不明。調査不可能』
という答えが返ってきた。
どころか、
『けど、厄介』
「? 何がです?」
『魔術界側の窮地が決定』
「何故です!?」
自分が追われる立場なのを忘れて、思わず叫んでしまった。
それもそのはず。
最初に手を出したのは自分とはいえ、結局ターゲットを殺す事はできず、逆に完全な敗北を喫されたのだ。
天秤にかければ、痛み分けで済む結果だ。
『残念。久澄碎斗は特殊才能保持者ではないランク〇。それどころか、魔眼保持者』
「それ、本当ですか!!」
もし事実ならば、魔術師同士の内部問題となり適応はされない。
恐苛の存在は、表向き世界にない存在なのでカウントしない。
結果、契が日本支部を襲ったという事象しか残らない。
飛鳥を殺せていていたならそれでよいが、実際は違う。
『本当。元精霊眼保持者で、二週間程前、寧々の魔術で封印されている事実が通達』
契は舌を打った。
二週間前といえば、情報の世界では大昔も大昔。
日本支部に忍び込ませたスパイは、一体何をやっているのか。
できるなら今すぐ戻って、そいつに一発食らわせたい気分だった。
「やはり衰退した忍者の一族は信用なりません。変えるのをお勧めします」
契の提案に、通話口の向こうで首を振るような音が聞こえた。
『駄目。人手不足』
痛いところを突かれ、押し黙るしかできなかった。
変わりに終幕の言葉を口にしていく。
「分かりました。ではバチカンに戻ります。細かい報告はそちらで」
『承認』
そう言うと、契に取り付いていた花は黒き灰となり、この世界から原子も残さず消え去った。
「……久澄、碎斗」
怨敵の名を呟き、契は闇の向こうへ駆けていく。
〈塔〉の内部。『存在しない研究所:冷暗の間』に二人の人影が在った。
一人は、色彩が失われたような白髪に、絶望をかき混ぜたような淀んだ
鈍色の瞳。唇は青白く変色しており、乾燥している。骨の浮いた身体で、羽織られた白衣は、返り血を浴びすぎてその名を表していない。
しかしそのような条件を揃えながら、彼女を美人と思えてしまう。
この部屋の主、夜霧冷夢だ。
もう一人は、ボサボサに放っておかれた紫がかった黒の長髪。背丈は女子中学生程度ながら、その容貌は厳しく、だが美しく綺麗だった。
夜霧裂である。
「さて、今回の件で、〈科学魔術〉の完成は見えたかな?」
夜霧冷夢が口火を切った。
「ああ、完璧だ。量産の目処も立っている」
返す裂も、平坦な声音で恐ろしい事を告げた。
「なら、後は新くんの命令を待つだけか」
「そっちはどうなんだ?」
急な方向転換。裂にはよくある事だ。
「いい感じだよ。一四年やらせてもらっているからね。量産は完璧。〈傀儡児〉の方は経過を見る感じたけれど、犠牲児の方は良いデータを弾き出してくれてるよ。『囚われの烏』くんと猫屋くんも頑張ってるしね」
「そう」
経過報告に、裂は有り得ない程深い笑みを浮かべた。
冷夢も同じ表情であった。
まとう狂気も、同じ。
「ならじゃあね、一番目」
「ええ、二番目」
二人の夜霧冷夢は笑い出す。
世界の中で異端である夜霧の中でも異端の存在。
その笑い声は、狂気、絶望、そして死にまみれていた。
日本支部内にありながら、日本支部と言っていいのか怪しい路地裏。
一般人に無意識のうちに紛れ込ませた夜霧冷夢のクローンはもちろん、特殊な監視網も入ってきてるか分からない暗闇の中、一組の人影が話し合っていた。
その姿形は、暗くて窺えない。
「あの人、目覚めたんですか?」
声も、聞き取れるのが不思議な程小さい。
…………。
少し奥に居る人間に関しては、何を喋っているのか完全に聞き取れなかった。
「成る程」
…………。
「『素体』と接触を図るのですか」
…………。
「八月の二十六日ですか」
…………。
「ええ、あなたの工作のお陰で戦争に一歩近付きました」
…………。
「分かりました。ではわたし達」
声を低めて、宣言する。
「〈身喰らう蛇〉も動き出しましょう」
そして最後は、表と裏。その狭間に居る黄昏の後夜祭。
華やかな舞台とは縁遠い病院の一室。
どういう生活を送っていたのか、「お得意様」だからと個室を与えられていた。
「碎斗……」
飛鳥はベッドの上で包帯やガーゼまみれになっている兄の姿を見つめる。
医者の話によると一歩手前に立ち止まっている状態で、少しでも衝撃を与えれば臓器類が破裂するかもしれないと告げられた。
そんな奇跡的な状態でいるのは、やはり羽の力だろう。
けれどそのせいで自分は死にかけ、兄はこうなった。
裂に電話をかけてみても、繋がらなかった。
なにか嫌なものが水面下で蠢いているのが飛鳥でも分かった。
けれど今はそれを調べるより、兄の目覚めを見守っている方が大事だった。
「……早く……起きなさいよ」
お腹の部分に顔をつける。心音は弱々しいながらも、しっかり聞こえた。
生きている。
その証明だけが飛鳥を支えていた。
と。
「んっ……」
小さな呻き声と共に、久澄の目が開いた。
「碎斗!!」
飛鳥は歓喜を抑え、ナースコールボタンを押した。
「何をしたかは詮索しないが、これに懲りてもう無茶はしない事だね」
「うーん」
久澄は肯定とも否定ともとれる合いづちを返した。
仕事を終え、医者は去っていく。
「それにしても」
飛鳥が何かを言おうとしていたところに被せ、久澄はボソッと呟いた。
「碎斗、か……。お兄ちゃんじゃないのかよ」
目覚めてから妹に言う言葉がそれか、と見ると久澄はニヤニヤしていた。悪戯心が隠せていない。
飛鳥は溜め息を吐いた。
「中学生にもなってお兄ちゃんなんて恥ずかしいでしょ。とっさの時は、昔からの癖で呼んじゃうかもだけど」
昔から揚げ足取りである兄の扱いにはなれているようで、素面のまま正論で返す。
「これが普通の兄妹関係なのよ」
「……そうだな」
飛鳥はそうやって、失われた普通の関係を修復しようとしているのだ。
普段は冷淡で、けど危険な状態になったら真っ先に駆けつける。
認めたくないけれど、多分それが普通の兄と妹の関係性だ。
妹に気を遣わせるなんて本当に駄目だな、と自虐めいた笑みを浮かべると、いきなり胸ぐらを掴まれ、でこをぶん殴られた。
「あの……俺一応病人なんだけれど」
予想外の展開に追い付けず、そんな当たり前の事しか言えなかった。
「ふん。取り敢えず一発殴っとくのがお父さんにここに来る許可を得るために呑んだ条件の一つだから」
「一つって、まだあるのか? てかそれ、俺が酷い目に合う感じだろ」
震える兄を蔑みの目で睥睨しつつ、飛鳥は頷いた。
「当たり前じゃん。けじめよけじめ」
断言されては、返す言葉は見つからない。
代わりといってはおかしいが、久澄は今思い付いた行動を実行に移す事にした。
「けどまあ、言う通りだ。俺達が普通の兄妹に戻るためには、ちゃんとしたけじめもつけないとな」
自分で言っておきながらけじめ、という単語に、飛鳥の表情は固くなる。
それに気付かず久澄は、装いを正し、告げる。
「ただいま、飛鳥」
その普通の言葉に、飛鳥は一瞬呆けてから、大きな笑顔を咲かせた。
「うん。おかえり、お兄ちゃん」




