結神契 Side5
四区に戻ってきた契は、認識阻害はそのまま背の高い寮の屋上へ。同時に連絡中継係の式紙を呼び出す。
契が四区にこだわるのは、人が外部から来た人々が一番集まる所だからである。彼女は、無関係で罪のない一般人を巻き込みたくないので、四区に留まっているのが一番なのだ。
それ故に彼女は、同業者から才能の無駄遣い、とやっかみ混じりに馬鹿にされているのだが。
しかし実際に、〈聖人〉がそのような一般的な常識という枷を外してしまったら、世界のバランスは著しく科学側に偏ってしまう。大量虐殺は、時と人を選ばなければ大きな意味を望めない。
もし契に枷がなければ、今回の作戦実行のために投下されたのは、水仙蒔華本人かもしれない。
その時に生じる摩擦など、語る必要もないだろう。
「うーん……まだ時間あるな。仕込みは終わっているのに」
「観光の方も終わらせてしましましたしね」
だから悩んでるのよ、と契は漏らした。
しばらく、沈黙。
そして時計の針が四分の一まで動いたところで、隣に居た式紙の身体が、小さく跳ねた。
「契様、ここは一つ、報告にあった人達を見に行くのはどうでしょう」
「……それ、みんなの総意?」
「はい」
契は思考を巡らせる。
連絡中継係の式紙が気を遣い、各場所に配置された式紙達に意見を聞き、それを総括したのがあの意見だ。
報告にあった人物とは、人工魔術師の酸漿奈々実。そして、幾人か忍び込ませているスパイの一人から伝えられた異世界人、アルニカ・ウェルミン。
前者は、魔術の方式を無視した存在であるため興味が尽きないが、彼女の方は業界に九年間顔を出しているので、顔写真等は何度か目にしているのである。
だが後者。異世界人には興味がある。
魔術という枠にはまった老人達は失笑を漏らすだろうが、契は違かった。
夢物語を信じているわけではない。
そう説明すると辻褄の会う出来事があるのだ。
ローマ教皇という人物が居る。水仙蒔華とはまた異なる意味で魔術界のトップに立つ老人だ。
その右腕にして懐刀がここ数年、姿を眩ませている。
彼の教皇は何かを知っているようだが、表、裏向きでも何かしらの公表は行われていない。
そしてもう一人。魔術界最悪の有名人。
九氷果。
彼女もまた、二年程前からその影を消している。
魔術界において十指に入れていいくらいの有名人が完全に足跡を消失させるのは、到底不可能な話だ。普通の方法では。
裏を返せば、この世の理を越える何かがあれば可能だと思っていた。
攫って色々聞き出したいところだが、
(それが今の状況を作っている均衡を崩さなければ、ね)
アルニカ・ウェルミンは、酸漿奈々実の働きにより、この街の住人となっている。
夜霧に目を付けられた今、これ以上派手な動きを見せれば、何が起こるか契でも予想がつかない。否、予想はつくが、夜霧はその一回り上を行く存在なのだ。
現在そのような危機に晒されていないのは、まだ契が観客だからである。
現下目の前に『在る』冒涜を取るか、それを捨てて世界の真実に繋がる『可能性』を取るか。
「……行かないわ」
リスクとリターンを考えた結果、契はそう断言した。
「かしこまりました。契様、差し出口を申し訳ございません」
「いいのよ。あなた達とは、そういう風に関係を持っていきたいからね」
ふう、といつもより考える事が多く溜め息を吐きながら、首を鳴らす。小気味のよい音が響いた。
「と、なると原点回帰か……」
周りに広がる風景の中に面白いものはないか、と見渡してみる。
人の波は収まり、変わりに人の姿をしながら生命反応がないロボット−−HOME Help Robot−−が祭りの後のように広がったゴミを掃除したり、ゴミ箱内の袋を回収している姿が見れた。既に売れ時を過ぎた出店は畳まれ、影も形もない。
面白いものなどなかった。
けれど契は、笑みを浮かべた。
「私、さ」
「はい」
「科学と魔術が手を組む事自体には賛成なんだ」
「それはまた、聞く人が聞けばひっくり返りそうな内容ですね。何故ですか?」
「だってさ、仲間になれば平和じゃん。喧嘩はあるだろうけれど、しっかりやれば分裂まではいかない」
「しかし契様は科学側につかない」
「まあ、ね。今の状態を平和というには無理があるし、あまりにも陰謀が渦巻きすぎだしね」
「それは甘受しなければならない問題かと。誰かが悪巧みしているんですから、悪巧みで返さないと食われる。知っての通り現実です」
「まあ、夢見がちなのかもね」
けど、と吹き込む夏の風を全身に受けながら瞳を輝かせ、契は優しくも強い口調で告げた。
「理想を追い求めなきゃ、世界はよくならないよ」
生まれて一ヶ月も経っていない式紙。主の事も必要最低限しか知らないが、この時初めて本音を聞いた気がした。
結神に契、重ねて〈聖人〉の力を持った娘を誤った道へ進めないために厳格に教え込んだ常識と家訓という枷や、〈聖人〉として、上からの命令がなければ自由のないが故に、上に依存した精神をそのまま口にするのではなく、それらの意見や在り方を自分の中で昇華した本物の言葉。
「けど、さ。世界に立ち向かうべきは、私達のような大きな力を持った者達なはず」
契は眼下に広がる光景を瞳に映し、
「この風景を守るのが、私達の役割なのよ」
式紙は聞き入っていた。
それが驕りだと分かるには、式紙は若すぎた。
結局契は、式紙との談笑で時間を潰した。
まだまだ日は出て明るいが、時刻は四時半。途中ハプニングがあったようで三十分オーバーしたが、自分を除く全観客が外へ出た。
一人も街中に残っていないか、街に入る際に特殊なカメラで顔を撮られ、帰りにそのカメラが顔認証で判断するのだが、契は式紙の一つを自分と瓜二つにし、生体反応まで同じにしたので、公式的には契は居ない人物となっていた。
「じゃあ、始めますか」
隣の式紙は既に、通信モードで微動だにしない。
「A班。爆発して」
命じてすぐに二区方面から爆音が。
「B班。ターゲットが出てき次第、裏路地を使わせ最短距離で、けどギリギリの間合いでα地点へ」
音を気にせず、命令を続ける。
「CからJ班までは、一区を除く全ての区で暴動を起こして。但し、人を傷付けては駄目。それだけで略奪の理由になるから。変わりに、班に一体ずつ神を降ろすから」
契は言葉を終えると、目を瞑り、どこからか幾枚の折り紙を取り出した。
「紙を結って神と結ぶ」
その文言は、結神家特有の神結び。
折り紙は、まるで小学校の行事に飾られる輪の形に勝手に結ばれる。
そしてその紙を媒体に、神の力のほんの一部を降ろして、同じ紙である式紙に流す。流された式紙は、式神へと変貌を遂げ、おおよそ戦闘能力を倍加させた。
これが、結神家の力。
「さて、私も用意しますか」
連絡中継係の式紙を紙に戻し、契は一足先に目的の場所へ跳び始めた。
今契が居るのは、五区の外れの方にあるコンテナ置き場。
中身は何か知らないが、こういう場所でなら契は本気を出せるため、ここを選んだ。
体育祭の出店を楽しみながら探した普通の人が通れる最短距離の道をセレクトして誘導したにも関わらず、一時間以上待たされたが、契の瞳にようやく一人の少女が入り込んだ。
黒い髪をポニーテールにまとめた、可愛らしい制服姿の少女。黒い瞳が大きいのが特徴と言えた。
一時間以上のランニングは堪えたのだろう。手を膝に付き、激しく呼吸をしていた。しかしその背は、安堵に満ちていた。
それもそのはず。この場所への誘導が成功した時点でB班の役割は終わりで、今はC班からJ班の役目に加わっている。
と、安堵があった背に、疑惑がよぎる。
誘導された可能性に気付いたのだろう。
そして契は、自分が隠れていたコンテナを、平手で吹き飛ばした。
金属のひしゃげる音が、何か当たり前に在った法則が壊れる音に似ていた。
吹き飛ばされたコンテナは乾いた地面に落ち、白煙が舞う。
それに構わず契は、悠然と歩を進めた。
音に反応した飛鳥の視線と契の視線が、ぶつかる。
契が見た飛鳥の瞳は、未だ平穏に満ちたものであった。
そして飛鳥は、契に嫌な雰囲気を感じ取ったのだろう。後ずさった。
だから−−。
契は右腕を上げ。
飛鳥という存在が信じている平穏を嘲笑いながら。
右腕を振るい。
戦いの狼煙を、上げた。




