水城飛鳥 Side5
時刻は一四時と少し。照りつける日差しは西へ傾き始めていた頃、飛鳥は二区に存在するとある灰色のビルが視界に収まる位置に辿り着いた。
本当ならばこの時間、彼女はリレーの選手としてしのぎを削っていなければいけない筈なのだが、流石の冷兎も夜霧からの命令、しかも唯一実在が確認されている『科学魔術』保持者、水城飛鳥の事となれば体育祭なんかにこだわっていられる理由はない。
無論、体育祭実行委員の方にも話が行っているので、彼女が抜けた事で冷兎学園中等部二年生が敗北なんて事はない。
飛鳥は歩きながら携帯を取り出し、そのブラックアウトしている画面で自身の髪を見る振りをしながら後ろを窺い、さらに左右上下に視線を動かした。
夜霧裂に言われているのだ。自分の元に来る時は、そういう方法で尾行がないかどうか見てからビルに入るようにと。
警戒心の薄い飛鳥は、それをおざなりにこなし、通行人は居れど、自分をつける者は居ないと確認する。
普通はその通行人の中に尾行が在り、建物の陰でコソコソしている方が少ないのだが、映画やドラマのイメージしかない飛鳥は、そういう分かり易い所にしか目を配らなかった。
そして、飛鳥は携帯をポケットにしまい込み、ビルへ足を踏み入れた。
自動ドアが音もなく開き、広がるのは温暖色に照らされたホール。安全面を考慮し電球等はなく、天井の一部に配線を引き、そこが光る仕組みだ。
飛鳥は見慣れた光景なため脇目もふらず、真っ直ぐ二人の受付嬢が座るフロントまで足を進めた。
「いらっしゃいませ」
折り目正しく礼をする受付嬢。この二人は、Home Help Robotである。
(えっと今日は……)
「私、水城飛鳥と言います。姉さん(・・・)に会いに来たのだけれど」
裂に教えられたパスワードを告げる。
『科学魔術』保持者の飛鳥は、虚偽の家族図が用意されており、父、母、姉、兄がここに勤めている事となっている。
出来すぎだが、実際に実在する人物達なので、表面上は信じるしかない作りになっていた。
「了解致しました。ではこちらへ」
HHRの一人が立ち上がり、エレベーターへ向かう。その背に飛鳥もついていった。
階数表示では上に上がりながら、実際には下へ降りる。
到着を告げる鈴の音色のような機械音は鳴らず、
「到着致しました。それでは」
というHHRの言葉で判り、開のボタンを押し続けてくれた事に礼を言いつつ、外へ出た。
一メートル先も見えないような薄い明かりに包まれた銀色造りの通路。
正確なルートを通る事で、裂の元へ辿り着ける。ちなみに、間違えた場合は、と飛鳥が聞いても、裂は無言を貫いた。
「うぅ〜、さぶっ」
地下なためか、熱が伝わらなかった通路内は冷気に満ちており、夏の日差しにより吹き出た汗を使い、飛鳥の体温を奪う。
「さっさと行かないと風邪引いちゃう」
暗闇の中一人な飛鳥は独り言を漏らしつつ、壁に手を付け歩み始めた。
大きな正方形になっている白色光に照らされた鈍色の部屋。そこの真ん中奥を大々的に占める大画面を操るコンソールをいじる影があった。
紫がかった黒の長髪はボサボサにほっとかれ、背丈は座っているため正確ではないが、女子中学生程度。顔は画面に向かっているため、窺えない。
「遅い」
二区内の別ビル。夜霧裂の研究所であるそこの地下施設の扉が開いたのに反応し、彼女はピクリとも動かずそう言った。
「ず、ずいばべん」
返答したのは、歯がガチガチとなるほど顎を震えさせた飛鳥。その肌には吹き出物のような点々が走っており、血色の良かった唇は青紫に変色していた。そのどれもが、人体に発する危険信号だ。
そして何より、彼女の才能を考えると、その状態は普通だったら結構な危険域に達していたりする。
その様子を背中で感じ取り、裂は左手の方向を指差した。
「お風呂沸いてる。話はそれから」
「ごべん、ありがどざぎざん」
ふう〜、と言いながら指さす方へ。その先にあるのは、飛鳥も何度か利用している一般家庭サイズ風呂場に、プラスチック製の湯船とシャワー。
どうせあのような状態になっているだろうと見越して、ぬるま湯に設定し、入れておいたのだ。
裂の耳に、シャワーの流れる音が届いた。
湯浴みを終えた飛鳥は、汗まみれの体操着、ではなく、裂が用意してくれた冷兎中等部の制服に着替えて、出てきた。
「裂さん」
裂の実年齢は十四と飛鳥と同じだが、今画面から話したその顔は、もっとた貫禄を感じさせる鋭いもので、可愛いより美人なものだった。
ただその顔を見つめる飛鳥の表情は、蔑みに満ちていた。
「この制服、どこで手に入れたんですか(・・・・・・・・・・・・)?」
「…………」
裂は顔を静かに顔を逸らした。
「裂さん!?」
「それより、ここまで来るのに一時間半。お風呂に四十分。計二時間。現時刻は四時二五分」
「う、うん」
話を逸らしたな、と思いつつ、勢いに押され頷く。
「単刀直入に言う。あなたは命を狙われている」
「は、はい?」
「聞こえなかった? 時間ないんだから勘弁してよね。もう一度だけ、あなたは命を狙われている」
「い、いや、聞こえているけれど……」
正直言って、理解が追いついてなかった。
命を狙われている?
「誰に? 何で?」
「まず誰に? から答えよう」
裂はコンソールをいじり、大画面にグラフ化された情報を表す。
「名前は結神契。魔術師よ。あの結神家……じゃ分からないか」
グラフの画面を一旦保留状態にし、別の、言語化された文と巫女の服をまとった黒い短髪の女性の写真が収められているフォルダを開く。
「まあ、簡単に言ってしまえば魔術界の名門。その上に特異体質〈聖人〉が重なっている化け物よ。〈聖人〉は知っているよね」
「えっ? ああ、うん」
「よし。じゃあ次は何」「まっ、待って」
性急に話していた言葉の上に声を重ねられ不快そうな表情になった裂だが、それでも飛鳥を優先し、口を閉ざす。
「命を狙われている。結神契さんに? 私が? 何故?」
「ああもう、それを説明しようとしてるんじゃないか」
パニックになるのは仕方ないけど、と呟きながら、焦りを隠さず、続ける。
「何故か−−それは単純、あなたが『科学魔術』を持っているからよ」
「えっ?」
「信じたくないかもしれない。そんな才能を持っていたあんたが悪いなんて言わない。発掘したうちを怨むなら怨め。けど、事実だ!!」
目まぐるしい情報と、裏で蠢いていた真実に、飛鳥の頭は許容しきれずいっぱいいっぱいであった。
そもそも、まだ命を狙われているというところから受け入れが完了していない。
『科学魔術』を持とうと、本質は普通の中学生。その精神は、いきなり死が迫っているなど伝えられても理解できる筈がなかった。
だが状況は、飛鳥を待ってはくれない。
「「−−−−−−!!ッ」」
三半規管を揺さぶる轟音が、地下施設に響く。
「っ! −−−−上か!!」
裂が先程まで操っていた巨大パソコンの画面には、上にあるビルが爆破された事を知らせていた。
「飛鳥、飛鳥! 聞こえている」
「……裂さん……キーンってなって聞こえずらい」
「チッ、持っていかれたか」
低い声で呟いた後、
「飛鳥! 今開けるドアから逃げなさい!! 真っ直ぐ行けば、外に出れるから!! そして隠れていて!! 数時間後には、全て終わらせとくから!!」
飛鳥の耳朶を叩くために大声を出しながら、コンソールを操る。
言葉が終わると同時に、右側の壁の一部が動き、開く。
「裂さんは?」
耳がおかしくなっているため、若干音程をずらしながら、飛鳥は告げる。
「この状況下で他人の心配してるな!! うちは上に連絡しなければならないから!! 人が攻めてくるならともかく、現象に対しては強い造りだから、ここ!!」
「でも」
「行きなさい!!」
微かながら、しかし確かに届いた裂の言葉に、飛鳥は歯を食いしばりながら、背を向け、駆けだした。
裂の言う通り、数十秒で太陽の光が見えてきた。
外に出てまず感じたのは、熱気。見えたのは、逃げ惑う人々。聞こえたのは、阿鼻叫喚の悲鳴。
振り向けば、上の方が砕け、今なお炎上しているビルが見れた。
「っ!!」
飛鳥は、やるせない気持ちになり、手を拳の形にし、強く握った。
だが裂が告げた事の正しさを飛鳥に教え込むように、脅威は迫っていた。
−−左右から、特徴のない童女型の日本人形のような女性が、無感情な瞳で飛鳥を見つめていた。
(写真で見た結神とは違うけれど……巫女だから、もしかして式紙とかいうやつ!?)
飛鳥が思考している間にも、契の使役する式紙は増えていく。
「くそっ!!」
裂の逃げろという言葉に従い、飛鳥は空いている正面へ走り出した。
その背を、十の式紙が追う。
そして飛鳥と式紙の鬼ごっこは、およそ一時間半続いた。
現在六時。夏で日は長いとはいえ、流石の太陽も西の方へ大きく傾いていた。
飛鳥は息を荒げながら、辺りを見渡す。いつの間にか、式紙は消えていた。
辿り着いていたのは、外交を司る五区。その奥の奥にあるコンテナ置き場。
赤や銀の大きな鉄箱の中には、外へ売る科学製品のパーツが幾つも詰め込まれている。しかし、その扱いはぞんざいで、コンテナは乱雑積まれ、床は整備されたアスファルトではなく小石の転がる荒れ地。
こんな外れまで逃げてきたのかと思うのと同時に、違和感があった。
(何で私は、こんな危険な場所に居るの!?)
外は魔術師により攻められている。どんなに入り組んだ道の先に逃げても、その事実は変わらない。
もし自分の意志で駆けていたのなら、もっと近く、より安全な冷兎学園に向かっているはず。
誘導された? と飛鳥の脳裏にその可能性がよぎる。
無意識のうちに人の単純な方向性を操る技術など幾らでも存在する。
そして今回、追われる事でここへ誘導された。
しかし誘導された、というのも、飛鳥の中では仮定でしかない。
それより、疑問があった。『科学魔術』を持っている自分を狙うだけで、何故あそこまでの被害を出したのか。そこまでしといて、途中で諦める程の価値しかないはずなのに。
自己評価の低さ。客観的に自分を見られない者が陥る一つ。
彼女は知るべきであった。『科学魔術』がどれほどの価値があり、冒涜的な在り方なのかを。
そして知れなかったからこそ、飛鳥の運命は決定する。
−−何かが壊れる音がした。
比喩的に、物理的に。
その音に反応して、飛鳥は音源へ振り向いた。
そこに居たのは、白煙を背に歩む高潔さを醸し出す黒髪の女性。
決して接点を持ってはいけなかった二人。
出会ってしまえば、片方が破壊されるまで殺し合わなければならない関係。
その正体と、肌を刺す何か危険な感じに後ずさった飛鳥。
それを嘲笑うが如く右手を動かし。
飛鳥の信じる平穏を壊すようにその手を振るって。
結神契は、姿を現した。




