久澄碎斗 Side4
午前の部が終了し、久澄はどう時間を潰すか思案していた。
あまり活躍せず、午後になれば完全に応援する側の人間だが、お昼時になればレストランの類が満員になるのは目に見えているので、少し早いが昼食にする事にした。
レストランで一時間程度時間を使い、後は本屋とかで過ごせばいいか、と粗めの予定を立て、川上学園高校のグラウンドを出ようとした時、その背に声がかかった。
「久澄さん。ご一緒しても?」
「ん? 酸漿か」
「はい、酸漿奈々実です」
いつかあったような掛け合い。
久澄としては、てっきりクラスの女子らに囲まれているものだと思っていたので、彼女が自分の元に来たのは意外だった。
その旨を訊くと、さも当然のように、
「新しい友達関係を作るのも大事ですが、正直慣れていないので。あなたのように疲れない人と居たいのですよ」
と言った。
奈々実の中での評価が高い事に驚きながら、その理由に久澄は納得できた。
確かに生まれが生まれ。今まで闇を歩んできた彼女は、明るい世界に適応するのに時間がかかるのだろう。
「そうなんです」
「人の思考を読むな。てかなんで分かった」
「仕方ないですよ。あなたとわたしは似すぎているんですから」
「……………………………………」
奈々実の感情が欠けた口調で言われると理解するのが遅れるのだが、それを踏まえても多い時間、久澄は反応を返せなかった。
それは彼自身も肌で感じていた事だったから。
「いいや」
しかし、久澄は首を横に振る。
「似てないよ、俺達は」
はっきりとした声音で、久澄は断定した。
奈々実は被害者だが、自分は加害者だからだ。
結果は似ていようと、過程が間逆すぎる。
感傷的な気持ちなどに長くなれない久澄の精神が、冷静にそう判断した。
それと同時に、そんな共通点如きで二人は今も接点を持っている訳ではない。
そんな傷の舐めあいは、二人ともお断りだった。
奈々実は任務、久澄は損得勘定。自身に何かしらのメリットがない限り、彼らのような心の持ち主が他人と関わる事はない。
だから奈々実が追ってきたのも、久澄の監視を継続するためだ。
まだ特にアクションを起こす気はないため、久澄は何も言わず、正門を出た。奈々実もそれに続く。
久澄が足を運んだ先は、川上学園から一時間ほど歩んだ所にある裏路地を、さらに進み、結果表と裏の境目にあるようなカフェだった。日本支部は縦より横の広がりの方があるため、同じ区ながら一時間も使うのである。ちなみに、裏路地を選択したのは、人の流れに沿いながら進むより結果的には速いと感じたからだ。
久澄に連れられていた奈々実から見た店の外観は、新しいだった。
現代の建物は皆、鉄製か日本支部のとんでも技術が使われたものばかりというのもあるが、自然保護が唱われているため、ぱっと見百パーセント木は、稀少なのである。しかもそれが、科学の色が強い日本支部で見れるのも。
「一応全て天然素材。釘の一つも使われてないんだとよ」
奈々実の雰囲気からそれ読み取ってか、久澄はそう補足した。
「こんな場所があるとは」
「意外だろ。実家がこんな感じだったからさ、気に入ってるんだよ。それに、こんな微妙な場所にあるからそういう客はあまり来ない」
そういう客と聞けば不穏なものを感じられるが、奈々実のような人間に対しては別。表側で平和に浸かった、眩しい人達を指す。
つまり久澄は、気疲れしている奈々実を気遣い、わざわざ場所を選んだのだ。
「食事は気楽に食うのが一番だからな」
感情の揺らぎのない声で言い、扉を開いた。
カランコロン、と鈴の音が鳴り、全てが木で彩られた世界が広がる。
決して大きくなく、団体で来ればそれだけで手狭になってしまう広さは店の独特な雰囲気を創り、木肌と同じ焦げ茶色の椅子とテーブルは、カウンター席として椅子が六つ、向かいの窓際には、テーブル四つの椅子が一テーブルに四つずつ配置されている。単調な感じをなくすためだろう。インテリアとして壁に取り付けられている黒塗りされた木で彫られた熊の顔が落ち着いた感じとミスマッチに思える。
「いらっしゃい」
言ったのは、無愛想な壮年の男性。髭は生えておらず、髪もしっかり整えられていて、身にまとうスーツのような制服も埃一つない。コーヒーを淹れるカップを磨く手から覗く爪は、きっちり切られていた。
そんな店主の感じからして、分かる人には分かる店なのだろう。
久澄は身を引く事で奈々実に店内へ入るように示し、彼女が入店したのを確認して、静かに扉を閉めた。
慣れた様子で窓際のテーブル、扉から見て二番目の奥の奥の席に着いた。奈々実も倣い、久澄の斜め側に座る。
「ここ、食べ物はサンドイッチかオムライスしかなくて、飲み物はコーヒーのブラックしかないけど……どうする」
「じゃあ、サンドイッチとコーヒーで」
即答だった。奈々実も女の子である。サンドイッチのような軽食を選びたい心の動き、がある訳はなく、ただお腹が空いてなかっただけだった。
「そうかい−−マスター、サンドイッチ一人とオムライス一人、コーヒーは二人で」
マスターと呼ばれた男性は声を返さず、作業を始めた。
「アルニカは?」
待つ間だの話題として、まずは共通の人間関係を選択する。
「もちろんバイトです。こんな稼ぎ時に呼ばれない訳ありません。まっ、アルニカさんも観戦は好きじゃないと、何の未練もない様子でしたけど」
「まあ、そういう性質だよな。けど、お昼ご飯作ってもらわなかったのか? 俺は面倒くさかったからだけど、同居人、それこそあいつなら、喜んでやってくれそうだけど」
「それがそうもいかないんですよ」
奈々実は口角を小さく上げ、
「最初はもちろん作ってくれましたが、あまりの美味しさにある日、料理の作れないわたしでは無理ですね、と口を滑らしてしまって、それが彼女の琴線に触れて『料理も作れないようじゃ女の子として駄目でしょ。お嫁に貰ってもらえないわよ』などと」
「たまに面倒くさくなるよな、あいつ」
「ええ、全くです。押し付けたあなたを殺そうかと考えましたよ」
今まで殺した人間の数が三桁に届く奈々実が言うと普通は笑えないが、それでも久澄は小さく笑った。
彼女は私利私欲で人を殺さない質だと判断しているからだ。
それは正しく、奈々実が人を殺めたのは全て上からの命令でだった。
そういう情報から判断していき、どうにか奈々実の無感情な冗談を判別できるようになってきた久澄である。
「それは冗談として、それでも、わたしがお弁当を作ってもらえない理由がお嫁に行けないとかなら……酷い話ですよね?」
「ん?」
「だってわたし、女性機能失ってますし」
決して小さい声ではなかったがマスターは特別反応を示さなかった。表と裏の境界。そういう場合に使われるときもあるのだろう。対する久澄も変化はなかった。が、
「……それ、俺に言って言い情報なのか?」
「お気遣いどうも。ですが昨日の帰り道で萌衣さんからわたしの出生をに話してしまったと謝られたため。あなたならこれくらいの予想はしていたでしょう?」
「まあ、な。……できれば当たっててほしくなかったけれど」
「諦めましょう。これが現実です」
「やだね。この前宣言しただろ。そういう理不尽は受け入れないんだよ」
「それはあなたと、あなたの『護りたい者』にしか当てはまらない筈では?」
「そりゃそうだ」
「……まさかあなたの『護りたい者』の中にわたしが入っているとでも?」
空気が張り詰める。良くないものが燃えるような本能的危機感を煽る重圧が空気を支配した。
殺気、と呼ばれるものだと、久澄は察する。
初めて受けるものだが、奈々実の殺気は戦場を思い起こさせるものなんだな、と冷静に判断した。
判断して、久澄は自分の意見を正直に告げた。
「そんな寒い事は言わないさ。傷の舐め合いなんてあり得ないだろ? それが一方的なものでも、やられる方が苦痛なのは分かっているさ」
その答えに殺気が引く。
「ならよ」「ただ」
久澄が言葉を被せた。狙ったようなタイミングで。
「お前をそんなにした冷夢は、俺が殺したい程憎んでいる奴の関係者だ。悪いが、俺はそれがどんなにいい奴でも、夜霧に所属しているものは殺す。そうやって人間いじくり回すような奴は特に、な」
声は平淡。本人達が居ないためだろうが、闇で名を聞かないような『一介』の高校生が言うような意見ではなかった。
少し前、奈々実は久澄の過去について探りを入れていた。
彼の過去には『夜霧新』と『恐苛』が関係しているのは判明していたため、その方面から。
しかし、分からなかった。一片も、その影すら掴めない。
大きな力によって封じられた事件。それが今の久澄碎斗という人間を形成しているはず。
(聞けば教えてくれる−−否、わたしだって聞かれても決して教えないもの)
お互いに知れているのは断片。だが、それから多くを考えられる久澄。そこで立ち止まってしまう奈々実。
フェアではないが、それが現実だと奈々実は納得した。
頼んでいた品が来たからでもある。
白い長皿には、両面キツネ色に焼かれた耳なしの食パンにレタスとトマト、チーズが挟まれたものと、キュウリとツナマヨネーズのもの、マヨネーズで和えられた卵の入った三枚のサンドイッチが斜めに両断され、計六枚になったできたてが置かれていた。
コーヒーにはガムシロップもミルクも添えられていない本物のブラックだった。
久澄の目の前には、俗に言うふわとろ卵のオムライス。その下には細かく切られたチキンとパプリカの入ったケチャップライスがあり、上には深い香りが鼻孔をくすぐるデミグラスソースが黄色を覆い隠すくらいにかけられていた。
コーヒーは奈々美と同様だ。
「いただきます」
言って、まずものを口に運んだのは久澄。
「……ん」
美味い、という暇を惜しんで二口目。
まず口に広がるのは、デミグラスソースの芳醇な香り。長年継ぎ足しが行われているような肉や臭さを感じさせない酒の程よい風味が口いっぱいに広がる。
噛めば卵は絹糸のようにほぐれ、スッ、と喉の奥へ溶けていく。だがケチャップライスは食感を残し、卵が消えた後も口を飽きさせない。鶏肉はしっかりとした食感に甘い味わい。パプリカは噛んでいる感じがない程火が通されているため苦みはなく、逆に噛めば噛む程パプリカ本来の深い甘味が出てくる。
一つ一つ違う感覚が、口を飽きさせない。
オムライスとコーヒーは合わないイメージだが、甘味のある食材が多いため、口直しとして苦みはちょうど良いもの。
五口目でコーヒーを含んだ。
安いインスタントコーヒーにあるような酸味はなく、ブラックに相応しい苦み。その苦みも流れ消えるものでなく、深い余韻が残る。
久澄の食事姿を見て、奈々実も、
「いただきます」
まずはチーズandベジタブル。
パンは外はカリッと中はふんわりを体現しており、小麦の匂いが鼻から抜ける。
野菜は新鮮で、しっかりとした歯応えのあるレタスながら青臭くなく、瑞々しい。トマトは歯で噛み切れ、甘さと酸味が口いっぱいに広がった。チーズのトマトとはまた違った甘みと酸味はパンと合い、これぞサンドイッチという感じで軽く胃へ収められた。
次はツナキュウリ。キュウリはわざわざ説明しなくてもよいだろう新鮮さ。ツナとの相性は抜群で、口に運ぶ手が止まる事はなかった。
最後に卵。単純が故に、最も難しいであろう具。
「……はぁ」
思わず、溜め息。
美味いとかデリシャスの次元ではなかった。
黄身とマヨネーズの舌触りは抜群で、喉越しはスッキリ。白身の弾力性は抜群で、その食感がとても新しかった。脂っぽい感じがなく、あっさりと楽しめた。
正直言って、奈々実はコーヒーを飲む気力が失われていた。
このままサンドイッチの余韻を楽しんでいたい。
だが同時に、鼻を突く深い香りにも好奇心が湧く。
「……………………っ」
逡巡は一瞬。音を立てずに口に含んだ。
二人は知らない話だが、このお店では料理ごと、性別ごとにコーヒー豆を変えている。
女性のサンドイッチ注文者には、匂う香りは強く、余韻を生かすスッキリとした味わいになっていた。
「「ふぅ」」
二人の落ち着く声が被った。
「……それにしても意外でした」
「何が?」
「ランク1までしか居ない臥内高校がここまで勝ち抜けるなんと、と」
「んー……臥内が凄い訳じゃなくて、一年二組には変わり者が固められているからな」
「確かに」
奈々実はコーヒーを飲んだ。
「けれど、これから先はキツいでしょう。川上学園も順調に勝ち上がっているようですし」
「いや」
コーヒーを飲み干して、
「騎馬戦まで行ければ、あいつ(・・・)が本領を発揮できるからな」
あいつ? と奈々美が疑問を発する前に久澄が立ち上がった。
「ごちそうさまでした。さて、行くぞ。気付いてないかもしれないけれど、ここに来てからもう一時間経ってるからな」
「え?」
このお店には時計がないのと独特の空気で、体感時間が狂ってしまっていた。
ティラスメニアで体内時計を鍛えた久澄がいなければ、もしかしたら時間に遅れていたかもしれない。
奈々実は急いでコーヒーを喉に流した。しっかり味わいながら。その隙に代金を払われてしまったが、そんなちっぽけなプライドは捨てざるを得なかった。
「ごちそうさまでした」
しっかりマスターと食材に礼を言い、久澄に開けられた扉を抜け、忙しなく流れる表の世界へ向かった。
「それでは、赤音さんにもよろしく伝えといてください」
「……ああ。また来いよ」
「えっ!?」
赤音という名前に振り返る。
そして気付いた。
扉の上にある看板に。
そこには中くらいの文字で、『SUZUKA』と書かれていた。
「ここ、第五位の?」
静かに扉を閉めた久澄に、奈々美は小さく聞いた。
「ああ。義理のお父さんらしいが。ちょっとしたゴタゴタの事後処理でここを紹介してもらったんだ」
何て事ない様子で言いながら、来た道を戻る久澄。
奈々実はもう一度振り返り、久澄の後を急いで追いかけた。




