結神契 Side1
結神契は第六区−−外界との手続きを行う会社や、外界と中の行き来を管理する役所のある社会区にて入場許可証を受け取ると、用意されたバスに乗り込み、第三、四区の学生区へ向かう。
五十人は乗車できる銀色の大型バスは冷房が効いており、涼しさが火照った身体を冷やすと同時に、汗ごと体温を持っていき軽く震えが起こる。
だが結神契は汗を掻いていないため、そのような状態に陥ることはない。
外は先の景色が揺らぎ、アスファルトが溶けるという比喩が合うくらいの暑さなのだが、幸いに皆結神契の美しさに見とれ、その異常さには気付く者は居なかった。
しかし流石の結神契でも閉鎖空間では、自身に集まる視線を無視することはできず、軽い微笑を向け、視線を逸らさせる。
結神契は一瞬でバス内の全てを認識すると、まだ誰も座っていない二人掛けの椅子を見つけ座る。
座った瞬間、その隣に全く特筆するところのない純日本風の女性が現れた。が、誰もそれをおかしいとは思わない。皆の認識が改変されているためだ。
さらに意識の改変を行い、自分を認識しにくくする。
これで余程の行動、発言をしない限り、結神契は道の端に存在する雑草の如く、そこに在ると視認されながら、興味まで繋がらない存在へと落ちる。
本当ならば人の認識そのものをされない術を使えるのだが、そこまでしてしまうと異常を感じ取ったこの街が動きかねない。
できるだけ穏便に、この体育祭という催しの空気に紛れて彼女は要人を抹殺しなければならない。
結神契の後にもう一人、黒いコートを着た−−科学繊維の進歩で、夏場に長い服でもおかしくない−−男性客が乗り込むと定時のようで、マニュアルに従いバスが独りでに(・・・・)動き出した。
科学の進歩により、個人で様々な弊害が出てしまう人ではなく、衛星と繋がった機械での交通が今の常識であり、機械を信じられない一部の人が鍛え、使う者を表す以外、この世から運転手という単語は消えている。
「科学魔術、か」
流れる景色を観察しながら、静かにそれを呟く。
「一体どういう構成で動いてるのだろう」
魔術でありながら魔術でない(・・・・・・・・・・・・・)。科学でありながら科学でない(・・・・・・・・・・・・・)。
魔術であり(・・・・・)、科学でもある(・・・・・・)。
結神契はそう当たりをつけた。
何しろ前例がないのだ。
いくら魔術に浸かって久しい『結神家』の直系とはいえ、自身の考えに確証は持てない。
いや、もしかしたら、魔術に浸かって久しい『結神家』の直系だからこそ、そう当たりをつけ割り切れるのかもしれない。
魔術に関わって日の浅い者、家程、科学と魔術は別物だという考えに陥りやすい。
今の魔術形態は、今の科学に対抗するために日々研磨され、時には科学技術を扱う時もあるくらい、両者の関わりは強いものだ。
根は全く違えど、表面の繋がりはある。
それが今の科学と魔術というものだ。
そんな事を考えている内に、五区--外国との交通網を司る空港や会社、外人向けのお店が立ち並ぶ外交区に入るというアナウンスがバスに響いた。
仮にも旧東京二十三区の中心を使い、創られた街。
普通に走ったら一区跨ぐのに数時間はかかる--五区から四区へは『重要度』が違うため、もっとかかる--のだが、体育祭のために交通整備が行われているため、ほんの数十分で次の区へ入れたのだ。
そこから導き第四区−−特殊才能の開発が行われない大学の中でも特筆性の無いものや大した結果の出せない高校が集まる学生区へは三十分くらいで辿り着くだろうと予想した。
そして標的の居る第三区−−外界へ大きな影響力のある結果を出す大学や特殊才能、もしくは学業などで結果を残す高校、先への可能性がある幼、小、中の学校が集まる学校区へは、また同じくらいかかるだろうと考えた。
彼女の性質上あまり必要はないのだが、それでもやる事が無いため、結神契は意識を闇へ閉ざした。
『第四区到着まで、残り五分です』
そのアナウンスが耳朶を打ち、結神契の意識は完全覚醒した。
体育祭が行われるのは、街からの支援が多く施され、大きなグラウンドのある学校の沢山存在する第四区。
なので結神契が意識を覚醒させるのも当然。
ふと窓の外を見れば、夏服に彩られた壮年の男女や幼さの残る中学生程の少年少女がパンフレット片手に歩みを進めている様子が目についた。
会場へ向かっている最中だという事は、まだ競技は始まっていないのだろう。
結神契が意識をバスの中に戻すと、四区に着いた、という旨の音声が流れた。後は停留所に一直線である。
と、そこで、結神契の映す風景に違和感が生まれた。
左前の開いた席に座っていた結神契の後に乗車した黒いコートの男性。
コートの襟から少し見える首元に力みが入り、小さく腰を浮かせ始めた。
結神契は何が起ころうとしているのか察する。
首の力みは手や腕に力の入った証拠。腰を浮かせようとするのは、これからアクションを起こすため。
また服装。前の考察と合わせると不自然な点が出てくる。科学繊維がいくら発達したからといって、周りの光景を見ての通りコートなどの長袖類、また黒い服を着ている者は居ない。気分的に嫌なのだ。
一見目立たず、物を隠すのに最適な服を見にまとった男性が、手に何かを握り立ち上がろうとしている。
それはまだ、一秒の間の出来事。つまり、他の乗客は気付いていないという事。
結神契は目的のため、目立ってはいけない。
しかし、彼女が幼き頃より教わってきた教訓が、それを無視する。
−−全てを救う正義になりなさい。
魔術界の中でも常にトップランクの人材を輩出してきた結神家。その中でもさらに驚異の力を持って生まれた結神契の力の方向性を示す教えだ。
だが同時に、彼女は目的も忘れてはいない。
だから結神契は動かない。ただ視線と意思を一直線に男へ向ける。
それだけで男は気絶した。
別に殺気を向けたわけではない。そもそも殺気とは、平和とは一線を引いたあちら側に身を置く者にしか判らないもの。
四区に入り動き始めたのを見るに、特殊才能保持者を狙った産業スパイが何かだろう。
日本の産業スパイ如きでは、純粋な殺気には気付けない。
それを確信していた結神契はプレッシャーを与えた。気絶する程重い、だが。
プレッシャーならば万人共通。
ただし、プレッシャーに関しては産業スパイも超とまでは言わずとも、それなりのもの。それを気絶させるには、かなり高等な技術を要する。
普通に血みどろの世界に身を収めるだけのものは、発したプレッシャーに殺気が混じってしまい、プレッシャーを食い潰す。弱まったプレッシャーは相手に甘く届き、警戒させる要因になってしまう。
今年で二十歳。まだまだ業界では若手の結神契がそのような技術を使用できるのかは、やはり彼女の『体質』に関係するだろう。
魔術界には〈聖人〉と呼ばれるもの達が居る。その数は同じ時に四人。
神の子が磔刑に処された時、その両手首両足首にそれぞれ一本ずつ釘が刺された。
その傷痕は〈聖痕〉と言われる。
その〈聖痕〉を生まれながらに持っているのが〈聖人〉。
事実結神契の右手首にも、リストバンドで隠されているものの、その下には一見痛々しい傷痕が刻まれている。
〈聖人〉とは神の子の力を振るうものであり、それは科学でいう戦略級兵器と同等−−もしくはそれ以上。
故に〈聖人〉は魔術界にて厳重に管理されており、外出一つで様々な手続きを践まなければいけない程。
そんな結神契が敵対するMGR社の日本支部に仕事で訪れるのは、科学魔術がそれくらい危険視されているからだ。
そんな結神契は世界で二人、世界最強である九氷果に勝てるとされる人間の一人だ。
本当は四名であったのだが、五ヶ月前、残りの二人であった〈聖人〉第四位と三位をその魔法で仮死状態にしてしまったため、必然的に〈聖人〉第一位−−つまり〈聖人〉第二位の九氷果より優れている結神契と彼女のマスターであり、過去には九氷果と競い合った旧魔術ランク二位、現在の魔術界トップである水仙蒔華に限られてしまった。
第四位と三位は絶対零度で絶対凝結の氷の中で仮死状態なので、新たに〈聖人〉が生まれることはないため、世界の裏側の話であるが、彼女達は人類の希望だったりする。
ちなみにあらゆる分野で世界最強だった九氷果が唯一の黒星となった〈聖人〉第一位の座。結神契が奪えたのは、彼女が結神であり(・・・・・・・・)、契だから(・・・)だ。
そんな強大な背景を持つため、結神契は誰にも分からせることなく、『正義』を執行できた。
と。
『ご乗車、ありがとうございました。第四区、南口停留所に到着いたしました。忘れ物のなきよう、お気を付けくださいませ』
そんな一幕を知らぬバスは一定のリズムで抑揚なく告げる。同じく気付いていない乗客も我先にと灼熱の大地へ降り立つ。
結神契も立ち上がった。その頃には彼女の隣に座っていた特徴のない女性−−彼女の使役する式神は人型紙の姿に戻り、ズボンのポケットの中へ自然に入り込んだ。
既に結神契は男性の方へ意識を向けない。それが彼女の『正義』であり、純粋に考えた結果だから。
いつまでも起きない男性を不思議がりバスを管理する業者の者が来るだろう。そんな人が目にするのは、気絶しながら手に握られた凶器。
男性の身柄は最早捕らえられているのと同じ状態なのだ。
だから結神契は地に降り立つ。
外法を狩る正義の執行者として。




