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ファクターズ  作者: 綾埼空
一話 精霊眼
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接触

 二階建てのアパートの屋根の上に降り立った久澄は、魔術と、それを扱う魔術師について思い返していた。


 魔術は二つの種類に分かれる。


 曰わく、地球の力−−天災。


 曰わく、世界の力−−事象改変。


 彼女が行ったのは前者である事は予想に堅くない。


 しかし、起動文言。それは魔力の量が人間という器に収まり切らなくなった者が使う事象改変の一つだ。


 人を超える魔力は術者の命を蝕む。


 だからこそ、文言スペルに余剰な魔力を込め、そのような危機を避けている。


 起動文言とは、唱える事で文言に貯められた魔力が術者の持つ魔法から貯められた魔力と釣り合うどれかを現すというもの。


 魔術師が操る魔術には名がないため仮称になるが、今回は地割れという事。


 さらに彼女が名と共に名乗ったのは、特殊才能保持者のランク4のように高位の魔術師になると周りから畏怖と尊敬の念と共に付けられる渾名。それは術者の本性を表していたり、魔法自体を表していたりする。


 では何故そのような事を名乗るのか。


 魔術師は、礼儀を重んじるのである。あなたを倒す、或いは殺す者はこういう人物だと伝え、怨まれながら生きていく。


 それが影で生きてきた自分達の存在証明のように。


 つまり彼女は、渾名として付けられる程天災の魔術を得意とするという事だ。そう納得した久澄は、アルニカに事情を説明しないまま飛び降りた。


 彼女−−酸漿奈々美は久澄を狙っていると言ったのだ。つまり、アルニカは関係ない。


 地に足付けた彼の両の瞳は既に紅く光っている。これは、彼の内に眠る血が本当の意味で全身に巡った事を示す。


 鬼人化状態に入った久澄は、さらに痛みのなくなった左目に意識を集中する。緑に輝き幾何学模様が浮かぶ筈が、しかし何の変化もなかった。


「なん−−っ」


 珍しく動揺を示す久澄に、奈々美はそれを振るった。


 奈々美が得意とするのは渾名の通り天災魔術。しかし彼女は、地面に関わる天災魔術しか使えない。


 魔術師の世界では奈々美より天災魔術の幅が広い人間は要るが、[天災]の渾名が彼女が付いているのは、彼女自身の生まれによる特性が関わっており−−


 しかし地面が関わる天災は、確実に人を恐怖させる力を持つ。


 例えば−−地震。


 自然の摂理を無視して久澄の足下だけを揺らす。震度は八強。


 さらに久澄が立っているその場所には爆弾が収められており、奈々美が起こした揺れにより起動し、爆発の威力より、熱風が彼の意識を奪う。


 それの通り爆弾は起動し、動揺と地震に気を取られている久澄の意識を確かに刈り取る−−筈だった。


 起こった爆風が何故か指向性を持ち奈々美に向かい、久澄の姿が消えた。


 奈々美は入射角と力の入れ方を意識して地面に突き上げるような地震を起こす。


 すると地面が捲れ、人の意識を刈る程の力を持つ爆風から奈々美を守る。


 既に気配はない。


「……魔術師?」


 同じく在る筈の人が存在しないアパートの屋根に目を向け、奈々美はそんな少し的外れな、だが当人からしたら決してあり得なくない可能性を呟いた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 久澄はアルニカの空間転移により自室−−正確には室内から見た玄関前−−に降り立った。もちろん、アルニカも共にである。


 鍵も持たず買い物に行けた理由に、これもあるか、と思考できる程、久澄に余裕はなかった。


 人間に限らず生きているものは慣れる事で種の繁栄を築いてきた。


 だが三年前−−決定的なのは一年前だが−−から感情が希薄な、物事を割り切る事に特化した精神状態であった久澄は、動揺という人間らしさに鈍感になっていたらしい。


 だがそれも数秒。戦闘中という緊張状態から解き放たれた久澄の精神は、現実を現実のままに受け止め冷静さを取り戻す。


 だがここで頭を巡らせるのは危険に感じた久澄は、アルニカに荷物を置くように告げた後、彼女と共に人気のない裏道へ姿を移した。


 アルニカを置いていかなかったのは、既に姿を見られ、魔術に違い技能を有していると見破られているだろうという判断の上だ。


「まず」


 時間がない。そう感じている久澄は若干早口になりながら口を動かす。


「彼女は魔術師だ」


「うん」


 アルニカも理解していたのだろう。手早い相づちが帰ってきた。


「そして俺は、それ以外に彼女、酸漿奈々美の正体を知らない。ただし」


 時間がないのを解っていながら言葉を一度切ったのは、これから告げる事を特に印象付けるためだ。


「あれはこの街の闇だ」


 それだけで十分に伝わったのだろう。アルニカは首を縦に振り、理解を示した。


 そして二つ名−−左目に宿る原視眼が使えない考察を口にする前に、地面が揺れた。


「酸漿、奈々美」


 現れた人影に、久澄はそれだけを言い鬼人化を発動。彼我の距離を数瞬で詰める。


 鼻柱目掛けて容赦なく振るわれた右拳は、しかし奈々美の地震が生み出した壁により速度を落とされる。


 奈々美は姿勢を落として久澄の胃が在る部分に平手を置いた。


 瞬間−−久澄の全身に冷や汗が浮き出る。


 奈々美が操るのは地震という現象というより、地震の振動、と言った方が正しい。


 今奈々美は平手から振動を流し、久澄の胃を決して行われない強さで揺らしているのである。


 そこから導かれるのは、猛烈な吐き気。


 しかし振動を操り中身が食道に逆流するのを防ぐ。


 吐き気がするのに中身がなくて吐けない、ではなく吐く中身があるにも関わらず吐けない。


 先程の慣れの話ではないが、おおよそ普通の人間が体験しない体調に、久澄はまともな思考が霞んでいるのさえ理解できずに意識を落とそうとしていた。


 しかし、またしても久澄の姿が消える。


『魔力充填−−百パーセント。

 術式−−オールクリア。

 オーバルカノン−−発射』


 機械的な音声に振り向くと、杖にも槍にも見える木の棒の切っ先を向けているアルニカの姿が目に入った。


 切っ先には空色の光が集まり−−楕円形の空色の光が奈々美を呑み込んだ。


「−−かわされたっ!!」


 しかしアルニカの瞳は映していた。


 奈々美が自身の足下を割り、下に落ちる事で避けた事を。


 さらに、


「あなたは邪魔」


 アルニカの下にも地割れは訪れ、態勢を崩す。


 空間転移を試みようとしたが、それよりも速く駆けてきていた奈々美が両胸に平手を当て、不規則に揺らした。


 その結果、肺が無理矢理動かされる事で酸素が全て体外に放出、体内に取り込もうとするのを奈々美に抑えつけられる事により、アルニカの脳は意識のシャットダウンを選択した。


 奈々美は倒れてくる身体を受け止め、迫り来る久澄の蹴りをアルニカを挟む事で止める。


 久澄が距離を置いた事で膠着状態が生まれた。


「……お前の目的は何なんだ」


 蒼白な顔で、ようやく久澄はそれを訪ねた。


「それには答えた。あなたを捕獲する。以上」


「だから何でだ。誰の命令なんだ」


「依頼主は教えられません。ですが、あなたを狙う目的なら話してよろしいでしょう。と、いうより話せと言われてました」


 うっかり、と無表情で頬を掻く奈々美に、どうにもペースが掴めなくなる久澄。


 だが奈々美が次に発した一言は、久澄の思考を凍らせる。


「あなたは魔術界の禁忌、精霊眼保持者だと判断された。精霊眼、分かる?」


「……いいや」


 反応に一瞬遅れたのは、魔術界の禁忌という言葉のためだ。


 魔術師の世界には、科学と手を組む前から決められていた幾つかの法がある。


 その法のどれもが、世界を壊しかねないとされるものを取り締まるために作られている。


 だが知識はあるとはいえ、百パーセント科学側に属する自分が魔術界の禁忌に触れた? と思考を巡らせたが、結局精霊眼というものが理解できなかったため、頭を情報整理の形に切り替えた。


「精霊眼。精霊と呼ばれる神を宿した魔眼。その力は、同位である神をこの地に堕としたり、実際に存在を消滅させる事ができる、というもの」


 神という存在は、天上に在り天上に無い概念世界上に有すとされている。


 それを堕とし、あまつさえ殺す事ができるのは、神という存在と邂逅して、その神聖さを目の当たりにした事のある魔術師の歴史が許さなかったのだろう。


(精霊眼も魔眼、か……なら原因はあれか……)


 久澄は原視眼が使えなかった理由でもあるそれを原因だと断定した。


「だから捕獲命令が出た。けど、わたしとあなた、実力は拮抗している」


 久澄もそれには同意だった。互いの手の内は知れ渡っている。


 身体能力は久澄が上手うわて


 技術力は奈々美が上手。


 このままではジリ貧である。


「わたしは今、一人で動いている。けど、わたし達で動けばあなたを捕らえるのは簡単。この子はそれまでの人質」


 奈々美が何かの合図か。手を上に伸ばそうとして、途中で止める。


「またまた忘れてた。久澄碎斗、夜霧新から伝言」


「なに」


 久澄の目が見開かれる。


「〈塔〉で待っている。以上」


「おい!!」


 しかし奈々美は手を伸ばしきり、姿を消した。


 向こう側に転移能力保持者が居る、という事だろう。


「夜霧新」


 久澄は街の中枢、高く天に突き刺す黒き塔を見据えた。






 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「隊長。独断で動かれるのは困ります」


 〈塔〉の一室。MGR社において唯一魔術師だけで編成された暗部、『マギ』に与えられた会議室に戻ってきた奈々美を、連絡統括係、副隊長である男性が窘めた。


「ごめん。けど、知りたかったから」


「それを悪いとは言いませんが……おや、その娘は?」


 副隊長の目に金色の髪が映る。


「魔術に違い力を振るいながら、魔術でできない現象を起こした者。標的に対する人質であり、わたしの観察対象。

 検査に回して。但し傷つけるのはダメ。どんなイレギュラーを抱えているか分からないし、もしかしたらわたしと同じ−−造られた子かもだから」


「了解いたしました」


 副隊長は奈々美からアルニカを預かると、部屋から出ていった。


 自分一人になったのを確認し奈々美は、


「彼、わたしに似てたな」


 その声には、やはり感情はこもっていなかった。


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