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ファクターズ  作者: 綾埼空
一話 精霊眼
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帰還

「んっ……」


 耳に流れる規則的な機械音。まどろむ意識がそれを追いかけ覚醒していく。


 多少はっきりしてきた鼻に付くのは消毒液のような香り。ぼやける視界に映る白に、ここが病室だとなんとなしに予想する。


「おはよう、というよりこんにちは、と言うべきだね」


 低すぎない若い声。だが女性のとするにはそれはテノールという感を醸し出していた。


 その声の主の存在にあの体験・・・・をした普通の人間ならば驚くところだが、彼の精神はそんな事で感情を表さない。


「先生……って事は……」


 彼−−久澄碎斗は理解する。


「戻ってきたのか……」


 ここはMGR社日本支部第四区に存在する大病院の一室であった。






 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「ふむ、異常は見当たらないね」


 カルテを見ながら先生は検診結果を告げた。


 しっかりと整えられた黒髪。気苦労が堪えないはずなのにしわ一つ無い容貌。実年齢より若く見られる事が多そうな男性だ。


 だが久澄は逆に医者という仕事上、清潔でいるのは基本中の基本だが、ここまで清潔さが似合わない男性はいないだろう、と思っていた。


 名前は−−分からない。首に掛けられているはずのネームプレートも存在しないし、この医者とは約一年の付き合いだが、名乗るところを見た事がない。


 訊けば答えてくれるのだろうが、特別知ろうと思わない久澄は、ただの一度も訊ねた事がなかった。


「それで−−何があったんだい? あの金髪の少女になにか関係あるのかな?」


 答えるべきか、一瞬迷った。が、その思惟はすぐに取り払われ、答える事にした。


 彼らは互いに利用しあう関係だが、それでも必要最低限の事情は知られても困る関係でもない。


「簡単に説明しますと−−−−」


 端的に異世界・ティラスメニアに跳ばされていた事だけを告げた。


 そこで何があったのかまでは言わない。


 だがそれでも、


「ほう、異世界と」


 彼の興味を引くには十分であった。


「あの人−−アルニカ・ウェルミンは異世界人です」


 それを聞いた医者の瞳に剣呑な色が混じる。


 医者が口を開く前に久澄が、


「おい。人体実験なんてしたらあんたがやってきた事、全て表に出す」


 その一言で、医者が漂わせていた危険な雰囲気が収まる。


「はぁ、まだこの関係は続くのかい……」


 変わりに本当に嫌そうな声色で告げる。が、それは久澄も同じであった。


 できる事ならこの医者との関係は終わらせたい。しかし、そうするとマズいものや事が沢山ある。


 それは目の前の医者も同じ。


 腕は確かだが、その基盤となっているものを表に出されては、彼は社会的に抹殺される。


 互いの弱みを握り合う事で、彼らの協力関係は結ばれている。


「まあいいや。それで、今後の対応はどうするんだい? 多分『風紀委員』が動き始めているだろうから、本当に異世界に行ってきたのならば、心理系能力者に視られるのはマズいんだろ」


 医者の尤もな意見に、久澄は袖をまくり腕を出す事で答えた。


「ああ、外に行っていた事にするんだ」


 医者は「少し待ってて」と言った後、問診室の奥に行き、数十秒後、透明な液体の詰まった注射器を一本持ってきた。


 机の端にある茶色いビンを開きピンで中から消毒液に浸されたガーゼを一枚取る。


 それを腕に塗り、ガーゼを捨てた後、引き出しから紐を一本取り出す。


 ぞんざいな扱いだが、慣れたものである。


 その紐で腕を縛られ、十秒。血管が浮き上がり始める。


 そこに注射針を刺し、中の液体を流す。


 液体の中身はナノデバイスであり、能力開発で使われている薬剤の働きを止めるもので、もし外で何かしらのアクシデントに巻き込まれても大丈夫なようになっている。


「……終わったよ」


 最後にガーゼを貼られ、工作は終了した。


「ナノデバイスの注入に偽のカルテ作り。計十万は取りたいね」


 久澄はすぐに頭の中で貯金の残高を計算し、ある事を訊いていなかったのに気付く。


「今、何月の何日ですか?」


「七月の二十一日さ。あと二日で夏休みだよ」


 五ヶ月と少しの経験をしたはずなのにこちらでは二ヶ月と少し。


 時間の流れの差異を理解した。


 だがそれよりも、


「二ヶ月経っているなら払えそうです」


「そうか。なら受付には適当な理由付けるからよろしく」


「ありがとうございました」


 アルニカの病室に戻ろうと立ち上がった久澄の背中に、医者が一言投げかけた。


「あの・・・には会わなくていいのかい?」


 ピタリと、久澄の動きが止まる。


「……いや、今はまだ会わせる顔はないよ」


「そうかい……なら彼女を回収して戻ってくれ。君達は今日運び込まれてきたから情報も上手く回っていないだろう。これ以上の面倒は御免だからね」


 厄介払いをするかのようにヒラヒラと手を振る。


 それもいつもの事なので、無言で退室した。





 久澄が知らされていた病室に行くと、既に彼女は目を覚まし周りを観察していた。


 彼女−−アルニカ・ウェルミン。


 透くような金色の髪に、嵐がすぎた後の空の色のような瞳。その目は知的な色を宿しているが、容貌は未だ幼いものを持っている。


 異世界・ティラスメニアにて四方の巫女、空の操手という数奇な運命の元に生まれた少女。


 その空色の双眸が久澄の姿を映す。


「碎斗……ここは」


 不思議と疑問系ではない。まるで、そうなる事が分かっていたかのようだった。


 久澄は改めて自分にも言い聞かせるように告げる。


「地球だよ」






 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 久澄碎斗は地球時間で二ヶ月と六日前、異世界・ティラスメニアへと跳ばされた。


 原因は、分かっていない。


 だが彼はそこで、死の運命を受け入れてしまっていた少女と出会う。


 助かる方法はあるのに、その先にある贖罪の道が辛いからという理由で死を歩むアルニカに、久澄は生きる道を半ば強引に押し付けた。


 その事件から久澄は三人の少女と合いまみえた。


 その三人の少女とアルニカ。


 彼女は四方の巫女という大きな流れの中に生まれた少女達だった。


 彼らは、五百年前から続く勇者と四方の巫女、そして魔王という存在を巡る愛憎の運命に対面する事となり、一応の解決を見た。


 そして今。ティラスメニアに居た筈の久澄とアルニカは、何故か地球に帰って、或いは跳んできていた−−





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 久澄はアルニカを回収して、様々な人が行き交う受付前、赤いATMを動かしていた。


 ちなみに、財布は向こうの世界に忘れたままだが、このATMは指紋と網膜、そして四桁からの暗証番号判定で自身の口座が開くので、問題は無い。


 MGR社日本支部は、人間の脳の一つの終着点、特殊才能アビリティーという能力の開発、もしくは発掘をしてる。


 特殊才能は五つのランクに分かれ、〇、一、二、三、四と上に行くほど強力な力を持つ。


 学生−−高校生まで−−は実験台になる代わりに、月に生活できるだけのお金を振り込まれている。


 ランク上位者程与える科学、経済効果は大きく、当然の帰結して支払われるお金も大きくなる。


 久澄はランク〇なため一ヶ月に五万円が支払われる訳だが、残高は三万八千五百二五円。


 あと数日を生き延びるには十分だ。


 受付に行き手続きをして数分後、「久澄碎斗さーん」と女性に呼ばれ十万ピッタリを払う。


 その際一つの白い小袋を貰った。処方箋ではなく、既に薬の入れられた袋。


 あの先生か、と思いはしたが面に出す事はせず、普通に受け取った。







「さて、どういう事だ」


 財布が無いならもちろん鍵もないため、寮長さんを適当に騙くらかして、合い鍵を受け取り開けてから、中に対ゴキブリようの薬剤を投下し、効果が終わる数十分の間、寮の屋上にて事情を聞く事にした。


 既に空は橙に染まっている。ゴキブリ退治が終わっている頃には、日は落ち、世界を人口の光が染めるであろう。


 逆光により久澄がオレンジに染まる。それにより対面にいるアルニカの表情は見えにくい。


 が、それでも彼の目は彼女が困ったように笑ったのを映した。


「ハーツがね」


 ハーツとは、アルニカの前の空の操手。その身を『知恵の実』に変換した少女。


「天現の城に含まれる力を使えば別時空間への扉が開けるって」


「そうか」


 合点がいった。


 全ての空の操り手。空の操手。


 力さえあれば空間を越える事も可能なのだろう。


「お前は良かったのか? ティラスメニアから離れて、地球に来てしまって」


 言外に贖罪の事を問う。あの世界で積まれた罪は、あの世界でしか背負えない。


「まあ、碎斗がティラスメニアで何かを見つけたみたいに、私も何かしらの答えが見つかるかもだしね」


 儚い笑みを浮かべられ、久澄は何も言えなくなってしまった。


「それに、全ての運命には何かしらの因果が絡まっている。私がこの世界に来たのも、意味がある事なのよ」


「次はいい因果だといいんだがな」


 そう言いながら、この世界に絡まる因果はまともじゃないんだよな、と思っていた。


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