終わりは空転し
「えっ!?」
外界。四方の巫女の前に在る魔王の姿が崩れ始める。
「碎斗……?」
アルニカの声は、魔王が崩れる事で起きた風にかき消された。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……え……?」
勇魔空間。外界で魔王が崩れ去っているのと同じ時、ファイは掠れた声を発していた。
ファイは自分の胴体を見る。
そこには生命喰らいが深々と、久澄の手元まで刺さり込んでいた。
「訳が分からないって顔だな」
黒剣にて薙れた筈の久澄が、全くの無傷で話しかける。
確かに刃を向け薙いだ。
腐っても元勇者だ。峰打ちなどはしていない。
なのに。
「お前……何を……」
「簡単な話だよ」
久澄は生命喰らいを放し、力なく垂れている手に乗っている黒剣の刃を握った。
「成る程……そういう、事か」
強く握り込んでいるのに血の一滴も出ていない。
見た目での変化がないことから、特別な力を使用している様子はない。
ならこれは久澄ではなく、剣の方に何かがあると考えるべきであろう。
そう、例えば。
「この剣……刃が研がれていないのか」
「ご明察」
久澄は黒剣を消し、肩を竦めた。
「けど……なんで……君みたいな人間がそんな甘い事を」
「……守るって決めたから」
その一言は、久澄の傷を抉る。
「俺は三年前、一人の女性に救われた」
過去の開示。どのような考えでそれが行われているのか、感情が欠けている彼からは解らない。
「その女は命を狙われていた。だから俺は、ただ救いたいという思いから守るって決めた。その人だからじゃない……ただ、救わなきゃって思ったから」
久澄は自分の古傷――左胸の辺りが痛むような、そんな幻痛を感じた。
「けど結局、俺がこの手で殺してしまった。救う力はあったのに。最後の最後で守ることから逃げた。責任を負い続けることから、逃げた。当たり前だよ、ただ形骸的に救うなんて考えていたんだから」
それが久澄の罪。決して消えない罪科。背負い切れていない十字架。
「その時から、守る重みに目を逸らして。けど」
三年間。久澄は様々な人間に助けられ、護られてきた。
「出会った人間みんなが譲れない一線を守っていて、辛くても、苦しくても逃げずに、あまつさえ他人を思いやる強さまで持っていた」
逃げる事で得られるのは何か。きっと、虚無だけだ。
「だからさ、俺もそういう何かを守りたいと思ったんだ。同じ轍は二度と踏まない。だから」
再び剣を現す。
「武器でありながら誰も傷つけない。俺の意思でしか誰かを、何かを壊さない。全ての責任を自分で持てる。これは、そういう剣なんだ」
それが答え。
ただ罪が形式的に消えるのを待つのではなく、一生付き合っていく。
悲劇を壊す。例えそれで自分がどうなろうと。
譲れない一線は守る。
「そう……か」
そんな久澄を、ファイは冷たい眼差しで見つめていた。
彼も過去、似たような覚悟を持って勇者をしていた。
だが、結果はこれ。ただの復讐鬼にまで落ちぶれた。
この世で一番、誰かを護る事の危うさを知っていた。
「その甘さ、どこまで通用するのかな」
だからこその一言。
「誰かを守りたいって思いが甘さなら……俺はその甘さを貫き通すさ」
「決めてるならそれでいいさ。その答えが言えるってことは、理想と現実の狭間にいるってことなんだろう」
久澄は苦々しげに息を詰まらせた。
ファイの言葉に答えることはせず、久澄は腰に掛けてあるポーチから五センチ四方の青く薄いケースを取り出した。
青絶対鉱石で作られたそれは、先の水素爆発により水滴はついているものの、傷一つ付いていない。
そのケースの中から二つに折られた紙を取り出し、ファイの下へ落とした。
「ティラスメニアにおいて二つ目の名は『生まれながらにして特別な地位』にある者にしか付いていないらしいんだよな」
ニブルドは王族。四方の巫女は呪反射の呪い。
だが一人、久澄の周りには居た。特別な地位でないのに二つ目の名を持つ者が。
「見ろよ、そこには真実が写っているからさ」
ファイは言われた通り紙を広い広げる。
そこには、
「この人は?」
久澄がティラスメニアの科学者に最初に作らせたのはカメラ。
その紙は写真である。
そしてファイの瞳には、一人の女性が写っていた。
「ミヤ・エルト。あんたの子孫だよ、勇者ファイ・エルト」
「……えっ?」
ファイは視線を写真に下ろした。
この似ても似つかない女性が子孫、と言われてもピンとこない。
「五百年も経てば血も薄まるさ。けど、確かにあの時、あんたが暴走した時、奥さんのアーティナ・オルネットはお腹に新たな命を宿していたんだ」
着床してから一ヶ月も経ってはいなかったらしい。
あの時ハーツがアルニカに残した情報を大まかにまとめると三つ。その内の一つがこれだ。
だからこそ、久澄は科学力を上げカメラを作らせた。
絶望にまみれたファイにこの真実を伝えるために。
「信じられないかも知れないがな。確かにエルトとオルネットの血は続いている」
だから、
「アーティナさんの最後が不幸と絶望で終わったなんて事は決してない」
何故なら、
「あんたと自分との関係。それが完全に断ち切れていないという証明があったんだからな」
ファイが絶望に染まったのはかつてのブレイヴァリ王族のせい。
その全ての始末が終えられたこの世で、久澄に倒される事を抗ったのには理由がある。
最期の最期で最愛の女、アーティナを絶望の底へ落としてしまったという自己嫌悪からの絶望。
それが彼を魔王として戦わせていた。
でなければ、《絶望》や《希望潰し》、《希望殺し》の名を冠するあの技を振るえはしないのだから。
だが、それが消えてしまえばただの少年。
例え魔王殺し・勇者の呪縛が消える事は無くとも、魔王である必要は無い。
「まさか僕が最期に受けるのが希望だとはね」
ファイの姿が薄れ始める。
限界でもあり、彼を魔王たらしめていた柱の破壊を意味する。
「少し、お話をしようか」
ファイの前に青と黒の塊が生まれ、久澄の胸に吸い込まれる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勇魔ファイが生み出した青と黒の塊が胸に触れた瞬間、久澄の視界は青黒い空間を捉えた。
濃淡のない黒一色の勇魔空間から、彼は瞬時にこの場に移動していたのだ。
久澄が自分の力で移動したわけではないので、当然彼自身も理解できない。
「ここ……は?」
「僕の魔力と存在力で形創られた空間だよ」
久澄の疑問に答える人影。茶色い髪に、理知的な青い瞳を宿した少年、ファイ・エルトである。
勇者と魔王の狭間に存在する勇魔だ。
「四方の巫女の力継承の儀は、この空間で行われていたらしいけれど、知らない?」
「知らないな」
「そっ」
適当な調子で答えるファイに、久澄はもう一度問う。
「で、ここは何なんだ?」
「まあ、簡単に言ってしまえば僕の心象風景を切り取って、〇と一の時間軸の狭間に嵌め込んだ空間だよ。こちらでどんなに過ごそうと、現実では一秒も経っていない。無論、長くは維持できないけれどね」
「……凄えな」
あまりに桁外れな所業に、流石の久澄も絶句する。
「それで、本題は?」
「うん」
ファイは時間が迫っている事を感じられるのだろう。語りも急ぎ足になる。
「幾つかの対話を設ける必要がありそうだったからね」
「…………」
余計な口を挟み時間を失う事を忌避し、久澄は黙って耳を傾ける。
「君は魔王がゾーンと呼ばれ、世界と繋がり、倒せば世界が滅ぶのは知っていたのかい?」
「ああ」
「なら、何故こんな方法を取ったんだい?」
「簡単だ。この世界は、いや、ティラスメニアに限らず全世界は、たった一つの概念によって支えられているわけじゃないからだよ」
「…………」
「世界には様々な概念が在る。破壊と創造。始まりと終わり。光と闇。希望と絶望。生と死。宇宙論とも呼ばれるそれらの柱で形成されているんだ。絶望の種子から生まれた魔王が世界に根を張っているのは当然で、けれど失われたからって他の柱が支え、新たな絶望の概念を待つ。それが世界の在り方なんだ」
「…………」
ファイは瞼を伏せ、思考を巡らせた。
今された説明は正しかった。
だから、それを久澄に教えた某を考える。
何故なら、その世界の構造はファイが魔王の中核となってようやく知れた事実だからだ。あまりに深い位置にありすぎて、〈知恵の実〉のハーツですら知らないであろう。
そして、巡りに巡らせ、思い当たる。
「破壊の理か」
ファイは眼瞼を開き呟いた。
破壊の理の名の通り、あれは破壊の概念体である。世界の真実そのものだ。
「成る程ね」
ファイは得心がいき、頷いた。
「なら、次は勇者の定義についてだ」
それに何の意味があるのか、久澄には解らなかった。
「そもそも勇者とは、魔王を滅した者に付けられる異名だ」
だがファイが語るそれは、この戦いの結末について関わらないはずがないと、言葉を脳内に染み込ませていく。
「そして〈魔王の系譜〉。これは、勇者となった者に取り憑く。本人が、周りがどう思おうと、魔王を倒した瞬間に取り憑くんだ」
「はっ!? なら!!」
思わず叫ぶ。叫ばずにはいられない内容だ。
今彼はファイを倒したばかり。
〈魔王の系譜〉が受け継がれてしまうのなら、この戦いには何の意味もなかったのだから。
それを認識し、ファイは柔和に微笑んだ。
「安心してくれ。君が言った通り、僕は魔王に成りかけ、つまり魔王ではない。から、〈魔王の系譜〉も発動しない」
「……なら何でこんな話を?」
「確かに魔王でない。が、対外的に見た僕は何なんだ?」
「そりゃ……いや……けど、事実は、違うだろ……」
久澄が伝えたい真実に気付いたのを見、ファイは笑みを抑え続ける。
「そう。僕は事実は違えど、君と破壊の理以外からは魔王と見られている。そして、魔王を屠った者は漏れなく勇者となる。本人が、どう思おうと。現実がどうであろうと。この場合においては、勇者であると見られている事に大きな意味がある」
「けれど……それが? 〈魔王の系譜〉がないなら、勇者の称号なんかあってないものだろ?」
「いや、今言った通り、勇者であると認識される事には大きな意味が付随してしまうんだ」
久澄の疑問に、ファイは表情を変えた。無機質で、瞳は絶望を知る濁ったものに。
「この世界に限らず、全時空間世界には色々な勢力がある。正義もあれば悪もある。平等もあるだろう。けれど、そのどれもが、自分達の掲げる目的のために力を求める」
僕の出生のようにね、と自虐は含まず淡々と付け加えた。
「魔王を屠るという功績は、それだけでそのような組織から引く手あまただ。もう手は付けられているようだけれど」
「どういう意味だ?」
思わせぶりなファイに、久澄は一歩寄った。
「ちゃんと時間は計りながら話しているから、そう急かすな」
呆れたように肩を竦め、ファイは眉根を寄せた。
「あれ? 君の使っている五行三祿の理に似ている技、なんて言うんだっけ?」
「五行三祿の自然色だが」
「そうそれ。それの四式が、一度使うと一定期間使えないように細工がされている」
ファイが言っているのは、二週間の使用不可の事だ。
五行三祿の自然色について教授してくれたのは、ユーキだけ。そのユーキが敵だったのだから、そこから疑うのは必要だったであろう。
とそこで、一つの疑問に行き当たる。
「ブレイクさん……破壊の理はそれについて気付いていなかったけれど……」
「君は誤解しているのかもしれないが、別に破壊の理も万能ではない。むしろ、破壊に関する事柄しか司れない分、参知は狭いと言っても過言ではない」
本人からもそのような事を何度も聞かされていた。
先程からぽかが多い。深呼吸をし、思考を一旦落ち着かせる。
「……分かった。ありがとう、教えてくれて」
「うん、どう致しまして。けれど、わざわざ僕がそれを教えただから、その先まで君なら聞いてくるのかと思っていたけれど……何を急いでいるんだい?」
「その先?」
「もしかして、外の魔王と戦っている仲間でも居るのかい」
久澄の催促は無視で、ファイは自身の疑問の解決を優先する。
「なら大丈夫だ。僕が君に折られた時点で、外のは崩れ落ちている」
「……ならいいが」
その久澄の姿に、ファイは彼の弱点を見つけた。
だが、口にしない。
したところで、どうにかなる問題でもないからだ。
そしてファイはこの空間の崩壊が近い事を悟り、自己で思考を行うのを止める。
「まあ、答えについては自分で考えてくれ。すぐに分かるものだしね」
とそこで、空間がひび割れていく。
「時間、か……」
ファイは目を細め、遠くを見た。
そして一度目を閉じ、すぐに開く。
その間に去来した思いを、久澄には計れない。
彼を形成する思い出は、それ程に重く輝かしいものなのだ。
ファイは朗らかな笑みを浮かべ。
――そして景色は瓦解し、現実に戻る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そう言えば君の名を聞いていなかったね……教えてくれるかい?」
「碎斗、久澄碎斗だ」
「サイト、か……」
ファイはフッと暖かさのある笑みを浮かべた。
「ありがとう、サイト。じゃあね」
ファイの姿が消え去り、勇魔空間が砕け散った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここは……」
久澄が足を付けているのは天現の城内部。
生命喰らいはその役目を終えたかのように粉々に割れており、残っているのはミヤの写真のみだ。
一応プライバシーの保護のために広いポーチの中に入れる。あとでミヤ渡せばよいだろう。
『碎斗、そこに居るの!?』
頭にアルニカの焦った声が響く。
空間認識により見えているだろうと一回頷いた。
『今すぐ逃げて! そこに魔王が向かっている!!』
轟音。床からボロボロの黒い塊が迫ってきた。
すぐに応戦しようとするが、この魔王に普通の攻撃は通用しないのを思い出す。
今から龍式の準備をしていたら間に合わない。
そして−−魔王はすぐに久澄の眼前まで迫り、
左目に衝突し、消滅した。
「ぐ」
左目を強く押さえる。
「グァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」
喉を裂くかという程の絶叫。
左目に鋭く鈍い激痛が走る。
循環の蛇が発動しないところを見るに、生命の危機では無い模様だが、勇魔戦で食らったどの攻撃よりも痛みを感じた。
本能的に鬼人化を使い脳から必要最低限以外の血を送らず痛覚を弱めた。
「はぁはぁはぁはぁ……」
左目は見えないが、どうにか耐えられる痛みにまで落ち着く。
だが、
「うおわ」
地面が揺れる。
先程魔王が突き破ってきた穴から風景を右目だけで望むと、情景流れていた。
つまり、墜ちているのだ。
魔王が天現の城を浮かす何かを壊してしまったのだろう。
だから、
「ブレーーーーイク!!」
叫び、穴から飛び降りた。
すると、
「――無茶をする」
灰色の鱗に緑の瞳を持つ龍の姿が現れる。
その背に着地し、久澄は上空を見据えた。
「上まで飛んでくれ」
「心得た」
久澄を乗せたブレイクマスタードラゴンは、その翼をはためかせ、天現の城のはるか上部まで上がった。
「助かる」
そして久澄は飛び降りた。
久澄は左手に意識を集中する。
すると、その左手から暴走時に在った黒いリングが一つ現れる。
そのリングを放とうとした、その時、
『待って碎斗。その城を無くさないで』
「アルニカ!?」
伝わっていると予想し、言外にその言葉の真意を問う。
『いいから! その城には利用価値がある。だから!!』
「けど!」
『ハーツが教えてくれたの!!』
「っ! ハーツが!?」
天現の城との接触まであと少し。
「……………………」
久澄は黒いリングを収め、黒剣を振るった。
人一人が通れる穴が開き、そこから内部に着地する。
「俺はどうすればいい?」
「ここに居てくれればいい」
「アルニカ!?」
いつの間に跳んできていたのか、すぐ左横にアルニカが居た。
「居ればいいって……」
「だいじょーぶ。この私、空の操手に任せておきなさい」
やけに自信満々に言われ、反論の余地がなかった。
「主様。あなたもここから離れていてください」
「分かった。それではな、アルニカ」
何か思い当たる事でもあるのか。反論なく消え去る。
「さて、やりますか。左手出して」
「あ、ああ」
言われた通り出すと、右手で握られた。
循環の蛇の対外的能力、生物強化が自動発動される。
「よし! これでやれる。しっかり掴まっててね」
アルニカが開いた左手を地面に向ける。
久澄もそれに従い姿勢を屈めた。
そして、大きな力が巡ったと感じた次の瞬間、
目が眩むほどの空色の光の奔流と、激しい風が吹き荒れた。
「あっ」
若干の油断があったのか。右手から黒剣が滑り落ちる。それ程の風圧。
光は世界を照らし、風は天現の城を包む。
そして−−天現の城を構成する全ての力が失われ、地に落ちると共に轟音を響かせ砕け散った。
あとに残ったのは、天現の城の残骸と、ラウラ平原の地に刺さる黒剣のみであった。




