絶望の勇魔と偽りの勇者の戦い
「勇魔空間、ね」
ファイの言葉に久澄は右手の剣を消し、警戒を緩めた。『今はまだその時ではない』と考えたからだ。
「ここはティラスメニア座標上の別位相と考えるべきか?」
アルニカの別空間に近いものだが、あの魔王が作る空間だ。天敵である四方の巫女、空の操手が干渉できる場を創るはずがないと思ったための発言。
「うん。概ねあっているよ」
笑みに含まれた冷たさだけを抑えて肯定。
「それにしても……こんな方法で『魔王の系譜』を破ろうなんてね」
「へぇ、流石、分かるんだな」
「ああ。君と僕は通ずるところ、似たような匂いがあるからね」
「そりゃ光栄だ。それで、俺がどうやって破ろうとしているのか。あんたの意見を聞いていいか?」
言葉とは裏腹に光栄さなど全く感じさせずに肩を竦めるのを見て、より一層楽しそうな笑みを深める。
「簡単な話だ。魔王の核、勇者。魔王に成りきる前の勇者を消す事で魔王の系譜無しで魔王を倒す。それが君の計画、だろ?」
「ご明察。じゃあ、ここに俺が入ってこれた事は分かるか?」
「…………いいや。何故この場にこれたんだい? ここはティラスメニアにあってティラスメニアに存在しない場所。僕以外は存在できない空間なんだけどね」
笑みを収め、本当に不思議そうな表情を見せる。
今を生きている自分より余程人間らしいな、と自虐を含んだ考えを頭に巡らせそうになったが、無駄な思惟だと気付きすぐに頭から振り払った。
「それはすぐに分かるから後の楽しみにしておいてくれ。それよりも訊きたい事がある」
久澄の声にふざけが消える。それもそうだろう。これは『久澄の二つ目の過去』に関わる事だから。
事情を知らないファイも、その真剣さに真面目に耳を傾ける。
「初めて魔王が覚醒させられた時、両目と両腕が無かったな。だが、ハーツに見せてもらった魔王にはどちらもあった」
「それがどうしたんだい?」
「今腕はいい。俺が訊きたいのは『目』についてだ。例えば『新魔王の目が何かの手違いで別空間に跳ばされる』という事はあり得るか?」
彼の性質からは珍しくファイは回答に悩んだ。
そもそも部位の欠損事態初めて聞いた話であったし、ティラスメニア外の事象については言質のしようがないのだから。
けれど予想を展開していく事は可能である。
「……あり得るね。魔王の系譜を受け継いだ僕がこの地に跳ばされたんだ。その際に何かしらの不備が生じてもおかしくはない。まあ、腕や目が無くても魔王の強さは変わらないしね」
その言葉に、どこか嫌なものを含んだような表情を、確実な不快感を面に出す。
「……流石……『天才』だな」
それは久澄にとって八つ当たりに等しい一言。しかし、その一言はファイを、勇者を怒らせるには充分なものだった。
「お前……それをどこで聞いた」
怒鳴りはしない。ただただ冷たいものを無表情の中に含ませる。
気付いて遅し。久澄は正直に回答することにした。
「最後の龍、森の理、本当の役割は『前時空間世界の破壊の理』であるブレイクマスタードラゴンから聞いた」
今でこそティラスメニアに在るが、普通ならば破壊の理は空気のように全ての世界に漂っている存在なのだ。
「破壊の理か……懐かしい名だ」
過去勇者時代に関わった事があるのだろう。
ただ、言葉の響きには懐かしさなど微塵も感じさせなかったが。
「成る程ね。全ての破壊を司るもの。なら僕の始まりについて知っていてもおかしくはないか」
「…………………………」
無言。それは暗にファイの言葉の正しさを肯定していた。
「そうさ。僕は、勇者は魔王が造られているのと同じように造られた存在さ」
独白。しかし久澄は言葉を挟む事はしない。同情はしないが、それでも酷い過去ではあるのだから。部外者の言葉でこれ以上汚したくない、と久澄が思わず思ってしまう程の。
「ブレイヴァリは人間魔族関係無しに、生物に関しての技術が他世界より優れていた。
表向きは高度な医療など。しかし裏では様々な実験を行っていた」
−−そしてその末に開発されたのが。
「魔王の系譜。元々はそれを目的とした実験だったからね」
そこまでは、ある見方で言えばまだファイにとって人ごとだった。しかし、
「これで倒すべき悪−−魔王に困る事は無くなった。が、倒す善−−勇者の存在がブレイヴァリには欠けていた」
欲望にまみれたブレイヴァリの王族は、もちろん自分達が勇者になる事など考えず、しかし民衆からの評判を落としたくないため、無理矢理勇者に祭り上げるのも不可能。なら、と禁断の実験を執行した。
「人工勇者計画。性質:天才と光を絶つ陰という二つの勇者資質を宿した勇者を生み出す研究を行った。その結果生み出されたのが僕」
性質:天才は、物事を一瞬で理解する頭と心の事。特に心の面では、ある意味で久澄と似通っていた。
だからこそ、ファイは久澄と通ずる気がし、久澄は御免だと言うばかりにスルーした。
二つ目の資質:陰は、魔王の真の属性である光を唯一かき消せるもので、五行三碌の理の核となるもの。
五行三碌の自然色の創主は、この性質を見抜き理を断念したのだ。
こうして勇者の始まりは明かされた。しかし、ファイの口は止まらない。久澄の知らない先へと導く。
「勇者と魔王。けど、それだけでは終わらなかった。王族の上層部、その一部はもう一つの計画も進めていた」
止めるべきか、一瞬迷う。この先はマズいと本能が告げる。が、その一瞬の迷いがまたしても久澄の運命を左右した。
「四方の巫女が理により生み出された存在だっていうのは知っているよね?」
無意識の内に首を縦に振る。
「空の操手、ハーツ・フェアリー。彼女は『知恵の実』に成り色々調べていたみたいだけど……何故彼女が『知恵の実』なんてものに成れたか解るかい」
「……いいや」
彼がブレイクマスタードラゴンから聞き及んでいないという事は、破壊が関わっていないという事だろう。
ブレイクは自分の知っているブレイヴァリの全てを教えると言ったのだから。
「適性があったのさ。『実』に成るための適性」
「……適性……実験……まさか!」
「そう。そのまさかさ。あいつらは生まれたばかりのハーツ、そしてアーティナに実の『種』を埋め込んだ」
「知恵の実の種と……生命の実の種」
「察しが良くて助かるよ。あいつらは僕らの旅が終わった後、二人に埋め込んだ種を発芽させて、実を生らせ、その実を使ってとある『樹』を世界に顕現させようとした」
「セフィロトの樹」
知恵と生命。この二つが関わる神話で樹と言われたらそれしか思いつかない。
「そんな名前だったね。セフィロトの樹。それを顕現させる事で人の身でありながら神を殺す力を持てる。そして神の権能を奪い去り、全時空間世界を支配する。そんな事を謳っていたさ」
だが、
「それは頓挫した。このティラスメニアに跳ばされた、というのもあるが、元々僕が手を打っていた」
アーティナが願望器としての生き方をするのを止めるため、ファイは敢えて口付けをした。それが種への封印だったのだ。
これが性質:天才。
だがそんな事を知らない久澄の思考は、母星、地球について考えられていた。
知恵の実や生命の実にセフィロトの樹。それは地球にある神話に出てくる単語。
何故それがブレイヴァリに出てくるのか。
異世界間の交流。
地球にある都市伝説として、過去に築かれた文明の水準の高さは宇宙人によるものだ、というのがあるが、例えばそれが異世界間交流にて行われていたらどうだ。
神話を司るのは魔術師だが、魔術師自体、人間の発祥と共に世界の裏側で暗躍していると言っても過言ではない存在だ。
ブレイヴァリと地球は、或いは他の消えた世界とも関わりがあったとしたら−−
「−−駄目だ。話が突拍子すぎてまとまらない」
だが一つ言えるのは、地球と異世界には関わりがあり、今の世界の有り方に、また他世界の有り様に地球が関わっていた可能性が高いという事だ。
そしてそれは、今現在まで続く勇者と四方の巫女と魔王の関係性に関係しているかもしれない。
それにこの事実を、現在世界の一番上にいる夜霧が知らない筈もなく−−
「これは……さっさと地球に戻る必要がありそうだな」
話は終わった筈だ。久澄は緩めていた気配を引き締め、戦闘態勢に入る。
久澄の考えを裏付けるように、向こうは依然として飄々とした様子だが、油断はしていない。
だが余裕が見られるのは事実。だから久澄は、まずその鼻っ柱を折る事にする。
右手に持つ剣の重量を改めて確認し、瞳を紅く光らせる。
鬼人化。血の力を予備無しで全身に巡らせ、百パーセントの効力を発せさせる。
さらに、左目に一瞬意識を集中し、黄色く光らせ、瞳には幾何学模様を浮かばせる。
原視眼を発動し、最後の準備も終えた。後は、
五行三碌の自然色、雷の式、一式、雷駈。
鬼人化+雷駈による駆動で常人の三倍の速度で駆ける。
しかしそれでも、ファイから余裕が消える事は無い。
だが、久澄はまず、何も持たない左手を振るった。
意味の無い行為。フェイントにもならないそれにファイも疑問を覚える。
もし左手に右手に在る剣と似た幅広の剣心の剣が握られていたのなら当たるであろう、という時、それは起こった。
突如、久澄の左手に柄のない大木の皮を無理矢理剥いだような荒々しく、辛うじて剣の形をしているようなものが握られた。しかも、透明な焔を纏い。
五行三碌の自然色、火の式、四式、火焔。
さらに、右手からは、
五行三碌の自然色、雷の式、四式、雷迅。
意を付かれたファイの元に吸い込まれるように直撃し、吹き飛ばされる。
「−−どうだ。自分と同じ攻撃を喰らった気分は」
久澄にあれ以上目立った変化は無い。だが、身に纏う空気が何か違った。
「生命喰らい(ライフイーター)。それにこれは……」
森の聖域、世界樹に在ったもう一つの神話級武装にして、勇者ファイの武器の一つ。それが生命喰らい。
そして、
「これか? 俺は破壊の理と行動を共にしていた。それで分かるだろ」
「……! まさか!!」
ファイが魔王戦で初めにしたのと同じ行動。破壊の理。
天才はそれだけの情報で悟る。
「そうさ。ブレイクが記録していた勇者の因子を取り込んだ。俺は五分間だけ、お前と同じ身体能力を得た」
真実を知ったファイから無駄な余裕が消える。
「……たったの五分? たったの五分で五百年の運命を終わらせようと言うのか!!」
残ったのは、絶望を固めた冷たさ。
だが久澄はそれに臆する事なく、
「ああ、終わらせてやる。全部終わらせてやる−−−−!!」
二つの黒い影が人間の認識を越えたスピードで駆け出す。
全ての終わりが−−始まった。
生命喰らい。五百年前勇者ファイが魔王戦にて使った一振りにして、聖域の神話級武装。
その名の通り、持ち主の生命を喰らう事で力を増していくという魔剣。
アルニカの空間視覚が喰われたのもそういう原理であり、また勇者と魔王に縁深いからこそ、共鳴反応で中に居るファイの本能に訴えかけたのだ(取り込みが無かったら手遅れだったという事である)。ファイしか存在できない勇魔空間に在れるのも、拒絶する力を喰らっているからである。
「命を喰らえ、生命喰らい!!」
久澄の中から何かが減る。
同時に生命喰らいが内蔵する力の質が上がった。
原子を持たない構造である勇魔ファイに対して土の式は使用できない。
さらに、
「《暗き闇の絶望》」
高くも低くも聞こえる声が全方向から響く。瞬間−−
周りの風景が霞むほどの黒い闇が放たれた。
「ぐっ−−−−!」
一瞬で解る。あれは水の四式、水魔でも受け止められないと。
だがしかし、普通の回避は間に合わない。
なら、
「−−−−−−っ」
久澄の身体が緑に光る。龍絶断の予兆だ。
さらに、右手に持つ剣の周りに黄と赤が纏われる。
生命喰らいが破壊の理の一撃と化し振るわれる。
だが受け止められ切れない。それは解っている。
生命喰らいを振るいきると完全に同時のタイミングで右手の剣を光線の側面に当てる。
五行三碌の自然色、雷、火の複合式、雷火。
雷の切断力。火の高密度エネルギーが複合された式は、原視眼で起こされる爆発による回避より速く久澄の身体を横に吹き飛ばした。
《暗き闇の絶望》は逸れる事なく進み、掻き消えた。
「へぇ、無理矢理な方法でかわすね」
右手を前に出した姿で感心したように告げる。
だが久澄はファイの気軽な様子を気にしていられる余裕はなかった。
理由は単純。暗き闇の絶望がもう片方の手で放たれる可能性を予想してしまったためだ。
だがそれでも、内心久澄は笑っていた。
あの三ヶ月で行っていたのは、最適な身体の動かし方、そして勇者の因子を取り込める身体作りだ。
勇者の因子。破壊の理がその役割から記録していた勇者の戦闘の全て。
最後の勇者にして最強の二刀流使い。
その力を、たった五分とはいえ全力で模倣できるのだ。
しかもただの模倣ではない。それだけでは自身の動きを理解しているファイに見破られてしまう。
勇者の因子に自分の動きを取り入れたために生まれた唯一無二の戦闘スタイル。
可能性は、あるのだ。
だが、その可能性を潰すからの魔王。
「《《暗き闇の絶望》》」
声の響きが二重に聞こえる。
見ると、両手を前に出していた。
「チッ」
雷駈を足に巡らせ、横に大きく跳ぶ。
「まだだよ。《希望潰しの闇雨》」
上から闇の塊が雨のように降り注ぐ。
久澄は塊の間と間を縫うように、或いは両手に握る剣で弾きながら直撃を免れていく。
そして、前に跳んだ。
龍絶断と雷火は纏われたまま。
追撃は、こない。
久澄の振るった二振りの剣は、寸分違わず人体の急所に導かれる。
「《黒殻》」
しかし黒い塊が久澄の攻撃を防ぐ。
堅い手応えを感じだのと同時に後ろへ跳ぶ久澄へ、次は追撃が来た。
「《絶望の光》」
上に手を上げ唱える。すると三メートルの円周を持つ黒い光が久澄の着地予測点めがけて降り注ぐ。
「だぁぁァァァァァァァ」
土の式を使ってからでは間に合わない。そう察した久澄はポーチ内の水の水素を爆発させた。
背骨から嫌な音が鳴るのを無視し、急いで態勢を立て直す。
「遅い遅い《絶望の柱》」
下から上へ、手を振るう。
すると先程の黒い光が三メートル四方の柱となり突き出す。
立て直したばかりの姿勢では、回避までは不可能。
よって突き出す柱の直撃を受ける。が、勢いのない状態なため、ダメージは無い。
理解ができない久澄。しかし真実はすぐに訪れた。
「《絶望の光》」
すぐ真上に、外界で魔王が放った光線など比にならない密度の光が現れ−−降る。
回避は不可能。なら相殺しか手はない。
雷駈を全身に巡らせ筋力を無理矢理上げ、さらに後の負担など考えず血の力を制限なく使う。
左の瞳は黄金に輝き始め、それでも抑えられないのか縁取る目が紅く光る。纏われる緑にも紅が混ざり始め、破壊の理の一撃が変質する。
明らかに人の身−−久澄の限界を越えた力。しかし、これでも『まだ足りない』。
「喰らえ、生命喰らい!!」
彼の根幹を占める『何か』が失われる。が、規定量を超える命を喰らった事で、生命喰らいの形が変わる。
切っ先は平らになり、剣自体の厚さが目に見えて変化する。
斬る事に特化した姿から、叩き潰すのを目的とした形状へ。
左を上段へ、右を肩に担ぐ。
五行三碌の自然色、三碌式、龍式、龍潰滅。
黄色を纏う左を振り下ろし、
五行三碌の自然色、雷、火混合式、焔迅。
透明な焔と雷を纏う右を薙ぐ。
「−−−−−−−−ッ」
全身に力を込めているため、声を発する事はしない。
ただ上から降るエネルギーと言う名の暴力とただ下から上へと伸びる柱に挟まれ、筋肉は悲鳴を上げ、骨は軋む。口からは血が流れ出る程に噛み締めた。
そうして−−両の手の剣を振り斬った。
つまり、相殺したのだ。
「へぇ〜、あれを消すなんて」
ファイの口から感嘆の声が出る。
だが久澄の聴覚に響いているのは、循環の蛇の再生のための音声だけであった。
一瞬で走ったそれを確認した久澄は、二、三メートルまで突き上がった《絶望の柱》から飛び降りた。
苛烈を極める交戦に久澄の身体は限界に達していた。しかし、それに反比例するように集中力は高まっていた。
脳のリミッターを無理矢理外しているためか。心の性質と合いまり、こんな状況でありながら、物事を冷静に見れていた。
前兆を視る。
微かな原子の揺れからファイが右手を動かそうそしているのを理解した久澄は駆け出した。
予想外だったのか、ファイの顔に焦燥の色が現れる。
しかし右手は止まらない。
「《暗き闇の絶望》」
さらに、
「《暗き闇の絶望》」
左手を右手に重ねるようにして放つ。
闇に含まれる絶望の密度が変わる。
弾けない。悟った久澄は右の剣を軸にして上へ 棒高跳びの容量で跳んだ。
手から離れるぎりぎりの地点で黒剣に消えるように念じ、空中で横に移動できるように爆発を起こす。
着地と共にトップスピードに乗り、同時に黒剣を改めて出す。
彼我の距離はすぐに詰められ、空いている右横腹へと両剣を薙いだ。
「《黒殻》」
しかし現れた黒い殻がファイの身を守る。
だが久澄もその対応が来る事は予想していた。
《黒殻》の上を滑らせるように剣を走らせ回り、守られていない左横腹に両の剣を導く。
対応が間に合わなかったのか、ファイが初めて回避の動きをとる。
ただ前に出る。
それだけで久澄の二撃は空を斬った。
だが終わりではない。
空を斬った事で生まれる回転エネルギーに敢えて逆らわず、ファイに向けて半身が向けられたところで右足で急ブレーキ。
左足を軸にして、再び横薙を行った。
「《黒殻》」
しかしその微かな時間で余裕が生まれていたのか、《黒殻》を作動させる。
だが、それこそ久澄の狙い。
右の黒剣が《黒殻》に触れるその時、黒剣の姿を消した。
振り斬られた右手に再び黒剣が握られ、刃を返し迫ってくるのは予想の範囲内。
しかし、まだ久澄には生命喰らいが残っている。
外界の魔王がやったように伸ばして両方に対応する事を考えたが−−止めた。
今の久澄の一撃は、伸ばした《黒殻》では防げない。
ならば、とファイは下から上へ、軽く指を動かした。
「《絶望の柱》」
先程は久澄の逃げ場をなくすために使用したが、本来は緊急回避として使うものだ。
黒剣と生命喰らい。両方の剣は《絶望の柱》に当たり轟音を起こしたものの、ファイにダメージを与える事はできなかった。
そしてファイは《絶望の柱》を三メートルまで伸ばし、右手を下へ、左手は上へ構えた。
「《暗き闇の絶望》、《希望潰しの闇雨》、《絶望の光》」
《希望潰しの闇雨》と《絶望の光》が嵐の中の雨のように降りしきる中、《暗き闇の絶望》を右手で操り久澄を追う。
どれもが直撃すれば即死の免れぬ攻撃。
久澄は雷駈の多くを脳へと送り、視覚と反射の伝達を最大限にまで高める。
全てを、自分の動きすら置き去りにする世界の中、軌道を予測して間隙を縫い切る。
《暗き闇の絶望》や《希望潰しの闇雨》、《絶望の光》そして《絶望の柱》は後方でその破壊の結果を衝撃として伝える。
背を押され、加速する。
最後にして唯一のチャンス。
全神経に命令し、前へ駆ける。
さしものファイでも空中では自由に行動できない。
今から《絶望の柱》を生やそうにも、回避としても今からでは久澄の跳躍力で乗られてしまうし、障害として置いても数秒稼ぐ程度。今の状況では数秒では意味がない。
同じ理由で《暗き闇の絶望》、《希望潰しの闇雨》、《絶望の光》も無意味。
この戦闘にて、いや、ファイという少年が戦ってきた中でここまで追いやられるのは二度目の体験だった。
空中にて思考する。
まだ魔王になりきれていない自分は絶望による回復はできない。
つまり、一撃でもまともに食らえばその時点で終わる。
「なら――」
右の手首を左手で掴み支えるようにした。
「《希望殺しの闇雷》」
ファイの右手から黒い雷が放たれる。
黒い雷はファイから離れると横や縦に枝分かれのように分裂し始め、回避する隙間と距離を奪う。
「まッ――だだァァァ!!」
久澄は思考すら排斥し、反射のみで前へ進もうとする。
脳で処理され停滞して映る状況は、前へ進む足の方向を無意識で定める。
——要るのは速さだ。
唯、速さを。
刹那を駆け抜ける、速さを。
生の一瞬を無限に広げ、単一に還元する速さを。
疾く、速く。世界が動き出すより前に、悉くを凌駕しろ。
意思が、止まった世界で彼に一歩を踏み出させた。瞬間——虚脱感が、久澄の身体を襲った。
それは、確実に世界に刻まれていた。
五分のタイムリミット。
刹那の攻防の中でその一瞬の停滞は致命的なもの。
久澄はなす統べなく絶望の雷の直撃を受けた。
「僕をここまで本気にさせるなんて……素直に誉められるべき事柄だよ」
無限に闇が連なる空間にて、白煙は立たなかった。結果のみが誤魔化しようもなくそこにある。
勇者の因子による雰囲気の変化や原視眼、鬼人化は解かれ、黄色のオーラも消えている。
だが――久澄碎斗は五体満足でまだ生きている。
これは循環の蛇の力ではなく、服や二式、土鎧で上げた防御力、そして純然なる久澄の力であった。
流石の循環の蛇でも、肉片から人間を回復、失われた肉体の再生まではできないのだから。
「だけどさ……僕は魔王だから」
ファイは足下に転がってきた黒剣を拾い上げた。
「こういう終わらせ方を好んじゃうんだよね」
一歩一歩、焦らすように、絶望を植え付けるように歩む。
そして、
「君の名前は……分からずじまいだったけど、君という存在は忘れないよ」
ここでやっと久澄の回復が終わり現状を理解する。
黒剣は手に触れていなければ消す事は不可能。
先程の衝撃で遠くに飛ばされた生命喰らいを一度消し再び手に再現。しかし間に合わない。
黒刃が久澄に迫る。
諦めず生命喰らいをファイの胴体に突き刺そうとするが、ファイの手の方が速い。
元とはいえ勇者。剣の扱いには慣れている。
「まあ、全部嘘だけどね」
最後の最後に、全ての者の心を折るような声色で冷たく告げたと同時に、無慈悲な一撃が久澄を薙いだ。
五分と四十秒。終わりの始まりが――終わった。




