勇魔降誕
世界に、絶望が落ちてきた。
縦だけでも五メートル超、横も二メートルはあろうかという形容しがたい闇のカタマリ。
地面が揺れる、割れる、崩れる。
認知していない人間も本能がソレに恐怖し、魔物は歓喜する。
それが魔王。魔の王にして、ヒトと相容れない象徴。
そしてもう一つ。アレは世界。
ヒトも魔物も区別無く住まわせる母なる世界そのもの。
だからこそ、魔王は、魔王は恐怖される。
理由無く、ただ封印が解け降り立った魔王には目的が無い。
ならアレが行うのは一つだけ。
−−破壊。
本能も理性も関係無く、殺戮と崩壊を振り撒く。
生まれる黒い塊。絶望を凝縮したような黒が魔王の前に生まれ−−放たれる。
音も光も命も消え去る光は、しかし一切の破壊を行う事なくかき消された。
「ふぅ、間に合った」
手に持つ過多な装飾のない先端の鋭く尖り、それでいて様々な魔法が複合された槍にも杖にも見える木をクルクルと回しながらアルニカが呟く。
他にも、拳から前腕の半分までを包む透明なガントレット同士を打ちつけているユーディ。この世界の科学力から考えてまだ存在しないであろう灰色の拳銃を二丁の銃口を下に向け、眠たそうな半眼で魔王を見据えるニーネ。水晶のような透明感のある青と黒の鞭を地面に叩きつけているヒーナの姿もある。
さらにその後方から駆ける緑と黒の影。
もちろん久澄である。
五行三祿の自然色、三祿式、龍式、龍絶断。
破壊の理の力を纏った久澄とその手に持つ黒色の神話級武装が魔王を上から下に裂く。
しかし、先程の光線と同等、或いはそれ以上の密度の黒い塊が魔王の身を守る壁となり防いだ。
だが久澄は動揺した様子もなく、空中から姿を消す。
そして、魔王の前方、もしくは上空から理を越える魔法が迫る。
魔王は久澄の攻撃を防いだ黒を広げ、全てを凌ぐ。
だが、魔王の身体は穿たれた。
何故か−−ニーネが銃口を魔王に向けている姿を見れば明らかだ。つまりニーネは、銃から放たれる弾で魔王を傷つけたという事。しかし、例え神話級武装でも魔王を傷つける事は不可能。
だがその性質を知れば答えは自ずと導かれる。
ニーネが手に持つ銃にはシリンダーやマガジンなどの弾を込める部分は無い。それはすなわち実弾での攻撃ができないという事だ。
銃に込められるのは、北の巫女、体現の魔女、ニーネ・アルタナとしての魔力。
だからこそ、魔王の身体に無数の穴が空いたのだ。
しかし一瞬。次の瞬間にはその傷は最初から無かったかのように消えていた。
だがそれは織り込み済み。
ユーディが自身の魔法をガントレットに纏わせ、空中から殴りにかかる。ユーディだけではない。空間転移で魔王の後ろに跳んでいた久澄が下から斬り上げる。
魔王はその二つを防ぐために黒を広げた。
その結果、龍絶断は防がれ、ユーディの拳は薄くなった黒ごと魔王の身体を貫いた。
回復のために一秒に近い時間が要される。
その隙に、ユーディは天星移動で、久澄は再びアルニカの空間転移でその場から姿を消す。
『魔力充填−−百パーセント。
術式−−オールクリア。
オーバルカノン−−発射』
アルニカが−−否、彼女が手に持つ槍にも杖にも感じられるそれから機械的な言語が発せられた。
そして、その穂先から巨大な楕円形の空色の光線が放たれる。
それは、魔王の巨大な身体を呑み込み、消滅させた。
魔王の姿が消えたのを見て、まずは第一段階が終了したな、と五人は冷静な頭で思考した。
確認したかった事は二つ。
まず一つ目は、魔王に対して、今の自分達の実力がどこまで通用するか。
それについては、過去止める、という思考すらできなかった黒い光線を止められたり、ヒーナの攻撃無しでも魔王の存在を掻き消す事ができた事から予想以上の実力を自分達が身に付けていることが確認できた。
そして二つ目。これについては、今彼らの目の前で起こっている現象がソレだ。
つまり、魔王の再生速度。
全身を消し飛ばしてから、一体何秒で全回復するのか。
体感、体内時間で十秒。
たった十秒で魔王の姿は復元された。
それに口にこそ出さないまでも、忌々しさを気配に出す。
だが、それはかなり余裕があった。
彼らは最悪、消した瞬間に再生されるとも考えていたため、十秒という時間は、予想の十倍もある。
そのため、比較的彼らの心や頭は穏やかだった。いや、穏やかではなかった。が冷静ではあった。
なので五人は次なる行動、或いは実験を開始する。
ヒーナは持つ鞭に自身の魔力を纏わせ振るった。彼我の距離は五メートル。対してヒーナの鞭は百二十センチ程度だ。
しかし、届いた。鞭自体がでなく、鞭を受ける事で生じたであろうダメージが届いた。
分解魔法により魔法の身体は真っ二つとなる。
そこへ天星移動で跳んだユーディが、魔王全体の真ん中に現れ、ガントレットを上から下へ振るった。当てたのでなく、振るった。
その瞬間ヒーナにより分断されていた傷口に氷が生まれ、半身通しを繋ぐ。
これは、再生箇所に不純物を挟むとどうなるのか、という実験だった。
答えはすぐに見られる。ただし、よくない結果で。
再生された。まるで氷を取り込むように。
しかし、それなりの戦闘経験を積んできた彼らにはそうでないと理解できた。
まるで、『再生が優先されて氷という存在自体が無かったものとして現実に処理された』ように感じたのだ。
干渉力の問題であろう。天修羅の魔力を纏わせた神話級武装の力より、魔王の再生能力の方が現実−−理への干渉力が高かった。
それはかなり重い事実であった。再生を阻害できないという事は、有限とはいえ無限に近い存在力を有する魔王に決定的なダメージが与えられないという事なのだから。
ユーディは天星移動で魔王の右横に跳んだ後、チラリと久澄を見た。
彼は魔王の系譜をどうにかできると言った。
あの久澄碎斗が言ったのだ。その途中−−魔王の倒し方も頭にあるはずだと考えたためだ。
しかし無意味。彼の考えを外面から知る事は、おおよそ無理な話である。
目は口ほどにものを言うが、肝心の目から感情が読めないのであれば表情からを期待せざる負えないが、戦闘中という極限の集中状態下で内心を表す表情の動きを望むのは夢のような話である。
ただ一つ。この状況で汗の一つも掻いていない事から、焦っていないのであろう、という予想だけは立てられた。
万策尽きていないのであれば彼女はまだ戦える。
自分のためでなく、他人を守るための戦いは好みではないが、彼女がニヴァリスやハーツから受けた影響は、それを上回るものだった。
この場面で久澄を見ていたのはユーディだけでは無かった。
例えば、ヒーナ。
この中で戦闘に一番慣れていないのは彼女である。
経験や覚悟が足りないのではない。(経験は少ないが)
ただ単純に元の性質の問題だ。
強がる事で自身の本心、もしくは本性を偽って、偽らされて生きてきた彼女だが、西の村の一件以降、それは鳴りを潜めている。
それが彼女なりのけじめであった。
しかし同時に、いきなり表に出すには、性質は弱すぎ、状況は厳しすぎた。
彼女はこの戦闘を純粋に他者を守るために戦っている。
自分に悪意を持つ人間でも、見知らぬ他人でも助けるために今魔法を鞭を振るっていた。
世界の黒い部分を知らないからこそ、無知だからこそ宣える性善なる言葉。
それがヒーナの本質であるのだが、つまるところ今現在彼女がそんな綺麗事を支えに戦えるのは、ひとえに久澄の影響である。
あの夜、ヒーナに幾つかのヒントを、現実の一端を、強さの理由を教えてくれたからこそ、この場に立っていられる。
依存ではなく、一種の師事。
ヒーナにとって一つの目標、到着点である久澄の顔に諦めがあったのならば、彼女は折れていたであろう。
しかし、久澄の瞳には流動的に再生する様を無感情に観察しているだけ。諦めは無い。
なら彼女は戦える。
こんな所で諦めていたら、強くなれない、守る事ができない。
それだけは、ヒーナにとって絶対に譲れない一線だった。
例えばニーネ。
彼女と久澄には、そこまでの繋がりは無い。
せいぜい義妹のアンジェが懐いている、というくらいだ。
しかしそれだけで理由になる。彼を信じる理由になる。
ニーネとって、アンジェこそが全てで、極論アンジェのためなら世界に喧嘩を売れる。
四方の巫女の生まれから分かる通り、彼女達に血の繋がりはない。
ただ共通点はある。
互いに拾われ子であり、特殊な力を内に秘めている事。
北の村村長は、そんな二人を家族にした。
理由や真意こそ今では分からないが、彼女にとってアンジェがストッパーとなっていた。
前北の巫女、体言の魔女、アーティナ・オルネットがそうであった、その前も前も前も、初代から続いていた願望器としての生き方の。醜い人間の欲望に汚されていくだけだったニーネの人生を救ってくれたのが、アンジェという存在だ。
だからニーネはアンジェを守るし、アンジェが守りたいと思った人物も守る。
願望器、としてではなく、自分の意志で。
そしてそれと同等に、彼女には久澄に思うところがあった。
それは感覚的な事で言い表せないが、ニーネだからこそ感じるもの。それは奇しくも、久澄も感じていた事だった。
だからこそ、ニーネは久澄を信じているし、久澄もニーネを信じていた。
そんな彼の表情に焦りは無いし、ニーネ自信にも焦燥の念は無い。
ならこの戦いに勝機はある。
そう信じられた。
そしてアルニカ。
彼女の場合は見る、というより感じるという感覚に近いのだが、彼女に不安は無かった。
久澄の表情に揺らぎが無いのだ。
彼女にとって久澄とは、命の恩人であり、不可能を可能にできる人物であった。実際に見せられているのだから、その評価は揺るがない。
彼が負の表情を見せない限り、この絶望しかないような戦いにも、きっと光明が見えると彼女は思えた。
久澄は四人の姿を瞳に収めていた。
あまり視線に敏感な方ではないが、それでも悪意のこもった視線と過度な期待を含んだ視線には敏感である。
そして久澄は、その視線を受け彼女達に絶望が無いのを確認した後「そろそろ仕掛けるか」と小さく口に出した。
戦闘開始から約二十分。欲しい情報はあらかた集まっていた。
まずあの黒い壁。あれは二人分の攻撃を防ぐために伸ばされない限り、アルニカの神話級武装の特異技『オーバルカノン』かニーネの神話級武装の特異技『ボーダーブレイカー』でしか砕けない事が判明した。
二人分に伸ばされたものなら四方の巫女の特異魔法は勿論、ユーディの神話級武装の特異技『アブソルートゼロ』やヒーナの神話級武装の特異技『インフィニティドライヴ』も通る。
ただ龍絶断だけは三人分に伸ばしても砕けなかった。これは、線だからこその力の入り方の問題で、今回は面の攻撃である彼女達に有利なものなんだと、久澄は客観的に判断した。
再生の方も細切れで三秒かかると判明し、攻撃の方も光線のみ。光線も防ぎきれる威力なため、不利にはならない。
今魔王が戦えているのは、再生量の多さのみ。それも五人の気力を削ぐものとはならない。
必要な事は全て判明した。あとは、この停滞する状況を動かすのみ。
久澄は『予定通り』、何も無い虚空へ開いている左手を伸ばした。
明らかに戦闘とは関係無い、油断ととれる行動。
戦闘中余裕があったとしても、油断をするのは絶対にしてはいけない事。
それは久澄も解っているはずなのに、それをした。
彼女達には意味のある行動には思えなかった。
念の為、アルニカは視覚だけでなく、空の操手の力を使い空間視野にて感じた。
そして、久澄の左手に力を向けた瞬間−−力が呑まれた。
「!!」
とっさの言葉が出ないくらいに驚かされた。
普通の魔法ならいざ知らず、覚醒状態の四方の巫女の魔法を呑むものなど、同じく理を越えるようなものでしか有り得ない。が、それをただの人間が所有している事もアルニカには有り得ない事象である。
さらに有り得ない事は続く。
魔王の身体が半分に割れ、中からどす黒い触手のようなものが現れ、久澄を掴んだ。
「碎斗!!」
流石にこれには声が出た。
だが久澄はあくまで無表情で、
「大丈夫だ。『魔王の系譜をどうにかする方法』。その計画通りだ」
久澄の身体が黒い触手により割れた魔王の身体の方へ運ばれていく。
「次に俺がこっちに戻ってきた時、このくだらない因縁に終止符は打たれている。だから、希望を失うな」
そう言い、久澄は魔王の身体の内部へ消えていった。
『希望を失うな』
四人はこの言葉を頭の中で反芻し、無言で武器を構えた。
なにやら大事な事を言っていたような気がするが、まず行うべきはそれではない。
久澄は最後まで無表情を崩さなかった。
なら、彼女達が希望を失う理由は無い。
「魔王!」
アルニカは叫んだ。倒すべき相手を再確認するように。
四方の巫女と魔王の戦い。ブレイヴァリでも成し得られなかった禁断の戦いが始まる。
久澄は暗闇の中に居た。いや、暗闇でありながら、久澄の目は昼間のようにしっかりと見えた。それでも暗闇だが。
あまりに同系色すぎて遠近感が狂いそうだ、と彼にしては珍しい事に焦りを感じていた。
だがそれはしょうがない事だ。これから行われるであろう事を考えれば、遠近感が狂うのも、空間の把握ができないのも避けたい事態だった。
というより、空間の把握ができないから遠近感が狂いそうだ、と考えるべきか。
あまりに色にムラが無さすぎて、すぐ後ろに壁があるようにも、一キロ先まで道が続いているようにも見える。
「いや、この空間は無限さ」
久澄の思考に、答える声があった。
身構える。相手は解っているが。
久澄の目の前に突如現れたのは、或いは顕現したのは、茶色い髪と理知的な青い瞳をした聡明そうな少年。
「勇者……ファイ」
久澄の言葉に、ファイは首を横に振った。
「いや、今は魔王……になりきれていない勇者。さしずめ勇魔ってところさ」
ファイは高い理性を感じされると同時に、氷のような冷たさを含んだ笑みを浮かべ、嘯いた。
「ようこそ。勇魔空間へ」




