四方の巫女、黒き暴走者
変化は、突然であった。
向けられていた圧力が理性を含んだ柔らかいものから、目の前の全てを排除するべく行動する野生の如き本能的なものへと変化する。
それは殺気と言うにはあまりにも棘が無く、冷たいものであった。
まるで、目の前に居るものが、もう自分の手により死ぬ事が確定しているような、そんな冷たさ。
そして、姿も変わる。
左手首と中指に残っていた《死》の力である黒いリングがその場所に入り込み、形を消す。
それが引き金となるように目から死を連想させる黒色が消え、右の瞳が紅く光り出し、左の瞳も紅と淡い緑を混ぜたような黄色に輝き始める。左の瞳には幾何学模様が描かれている。
身体を覆っていた目と同じ雰囲気を醸し出していた黒色も一旦引き、新たに乾いた血の黒色が身体を染める。
「グガガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」
空気を震わす叫び声と共に、自身の力に呑まれ暴走する久澄は地面を蹴った。
人外の力を擁し、その力をフルで使える今の久澄は、地面を蹴って前に進むという動作一つとっても常識の範疇を越える。
この場合の常識は、ユーディを対象にしたものである。
ユーディ達は脊髄反射、というより本能の判断により上へ跳んでいた。
「チッ、いきなりかいな」
ユーディは腕に抱えたアルニカの目の周りに巻き付く封印魔法付きの布を天空砲撃で焼き切る。
「目、大丈夫か」
「ユーディ……ごめん、無理」
一度閉じた瞼を開こうとする動作を見せたが、すぐに閉じる。今は灰色の雲が空を包んでいたが、約十四日間目を覆われていたであろうアルニカには、そんな天気でも目に染みるようで、涙が流れる。
「分かった……けど、目慣れ次第この場から逃げてもらうで」
一瞬の集中力の乱れが命に関わるこの戦闘にて、天空砲撃の放射力と天星移動を圧縮した天空放射など準備してはいられない。
アルニカを戦闘に参加させないのは、彼女の力は認めているが、目隠しに使われていた封印紋は先遣隊本隊が魔力反応をギリギリまで抑えるためにつけられた魔力使用不可の紋で、それを十四日も付けられていたなら魔法の使用に不備がでるかもしれないからである。
だがそれは後付けの理由でしかない。
相手は異質な、歪んだ力を有する者。
例え正常であろうと『普通』の魔法使いでは確実な決着が望めないかもしれない。
けど、四方の巫女は理を越える『異常』な魔法使い。
能力以上の現象を起こす、というある意味で理を覆す可能性のある異質な力を、唯一超えられる力。
その可能性にデーゲンも至っていたからこそ、ユーディ達が残り何を成そうとしているのか解った上で、ただの一言も静止の声を上げなかった。
滞空時間が終わり地面に足が付くと同時に、ユーディは久澄とは反対の、正面へと跳んだ。
アルニカを抱えている以上、まともな戦闘は行えない。
その意図を理解していた二人は、ユーディが地面にアルニカを置き、離れると同時に、戦時と同じように分解領域に不可侵の絶対魔法を重ねが消したもので彼女を覆う。
「天体転写!」
天に向かい手を挙げ唱えた。
真なる覚醒を遂げた彼女は魔法名を唱える必要はない。
だが、叫ぶ。とある決意を確固たるものにするために。
「絶対に殺さずに取り戻す!!」
その決意は戦いの中においては犠牲を増やすだけのもの。
ましてや今のユーディ達が暴走する久澄を殺さずに止めるには、多少なりとも『手加減』をしなければならない。
だが、
「……もちろん」
「行くわ」
ニーネと分解女帝の顔になったヒーナが同意を示す。
ユーディにとって、その回答は予想済みのものであった。
「天体砲撃」
なので、真の意味で唯一無二の魔法を使い戦いを開始した。
まずは『小手調べ』で五百の光の線を向ける。
覚醒前の通常で放てた星光線の数は一度に百まで。これは場を、星を広げる魔法の出せる規模が少なかったからである。
しかし彼女は今、ラウラ平原上に広がる全ての空を、我がものとしていた。
だがラウラ平原は昼に近い明るさを保っていた。
それは、星一つ一つが尋常ではない輝きを放っているからである。
星の輝きが強いのはイコールで内蔵されている魔力の量の多さを示す。
今までのように、一回や二回で魔力切れを起こす心配はない。
これが天修羅、ユーディ・ニィーズの手にした新たな力の規模であった。
が、そんな新たな力の攻撃を久澄は前に跳ぶことでかわした。
過去の戦闘の経験からユーディも少しずつ前にずらし放っていたのだが、そんな光速で迫る光線を越えるスピードで久澄は跳んだのだ。
それにユーディは意外感を覚える。
彼女が感じるように久澄の血の力には弱点が存在する。
それは、距離と速さが両立できない事。長距離を跳ぶには速さを捨てるしかなく、速く駆けるにはその分短く進むしかない。
無論それなりの工夫はして補ってはいたが、どれもその制約から抜け出すものではなかった。
しかし、今行った跳躍はその両方を兼ね備えるもので。
そんな思考を行っていたため、彼女は眼前にまで迫った久澄の五指に腕をクロスすることで対応してしまった。
一瞬、あるいはそれ以上のスピードで腕、そして頭が貫かれる未来図が過ぎった。
だが、腕の数ミリ前で久澄の黒い手が止まる。
ユーディの目の前には何も存在はしない。
しかし止まる。まるで透明な壁がその行く手を遮っているかのように。
「ニーネ!」
後ろに下がりながらそれを起こせる人物の名を言い礼を示した。
真なる絶対魔法を手にしたニーネが張る魔法壁は、絶対に破れない程の耐久力を実現する。
ユーディが下がったのを見て、ニーネは何もない虚空を殴った。
小さく、本当に小さく空気が震える。
ニーネはその空気の震えに絶対を付与する。
そしてその空気の震えは高速で駆けながらユーディやヒーナの技をかわし続ける久澄に当たり、その動きを一瞬止めた。
その一瞬にヒーナが久澄の足下を分解して崩し、その穴に向かいユーディが天体砲撃を落とした。
地面の焼ける音が響く。
やったか? 警戒は解かずにそんな事を三人は考えた。
しかし、
「ギヒャャャャャャャャ」
地面が揺らぐ。否、正確には、穴を中心に半径十メートルの地面が崩れ始めたのだ。
五行の理、土の式、三式、土破。
声に乗せられた広域分解術が土の原子結合を崩す。
久澄は穴から飛び出し、この場で一番厄介だと本能的に判断したニーネを消しに行こうとして、止める。
ニーネは、この状況においても絶対魔法にて行動を始めていた。ユーディも天星移動にて破壊圏外へと移動していた。
なら、と唯一移動方法のないヒーナの元へ跳んだ。
「……っ」
実戦経験の少ないヒーナは正しい判断をする事ができず、横へ足を進めようとして、崩れる地面に足を取られる。
一瞬の隙が生死を分けるこの戦場にて、その動作はあまりにも危機を招く行為で−−。
魔法名を唱えず意識的に、故に一秒と発動にかからない分解糸を向ける間もなく、久澄の手刀が首へ迫る。
ニーネは絶対魔法をかけた魔法壁を張ろうとするが、しかし移動しながら対象を定めるために手を向ける時間は無く、十メートルより外に居るユーディも気付くのが遅れ、彼らの真上にある星からの天体砲撃も発動できない。
誰もがこれから起こる悲劇を連想した。
「グルアァァァ」
叫び声と共に右手が振り切られる。
−−何もない虚空を。
未だ訪れない痛みにヒーナは目を開いた。
「……貴女は!?」
ヒーナの目の前には、まだ目を瞑る金髪の少女−−アルニカの姿があった。




