ティラスメニア
どれだけ走っただろうか。
どこまで進んでも森林からは抜け出せず、謎の生物も巻ききれない。
『急速に上がってきていた足のスピード』により距離はとれつつあったが、森特有の木の根に足を引っかけ転んでしまった。
転びながら後ろを見る。たった数メートル前にペンギン風は迫ってきていた。まだ人の外に出ないスピードだったとはいえ世界記録レベルは出していたはずだ。
あの小さな足で何故あんな速いのか。疑問はすぐに解決された。
数メートルといっても普通ならば小さい点程度にしか見えない距離。そこからペンギン風は跳んだのである。つまり脚力が強かったのだ。
「はっ? 嘘だろ」
着実に迫る牙。起き上がる体力のない久澄は無意味と分かりながらも左手を突き出した。
しかし、その左手に牙が触れることはなかった。
何故なら久澄の真後ろ、跳び途中のペンギン風からは真っ正面に位置する方向から、木の枝がペンギン風の石みたいな部分に刺さり、近くにある木の幹にぶつかり落ちたからである。
助かった、という安堵感より先に誰が助けてくれたのかと言う疑問が浮かび上がってきた。
勝手な偏見とは分かっているが好戦的でゴツイ男(漢)の人しか想像できない。
そのため返ってきた声に驚きを隠せなかった。
「あの大丈夫でしたか?」
透き通るような同年代くらいの女の子の声である。
そして木の陰から姿を見せた少女に意識を集中させられた。
声同様、同年代くらいの少女で優しく落ち着いた色の金髪。それが腰あたりまで伸ばされたロング。そして一番見入らされたのは目。空色の目。だだの空色とは違いまるで台風が通りすぎた後のような空色。
「えっと、大丈夫ですか?」
ぼうっとしている久澄へ気遣わしいように声をかけてきた。
「……あっ、はい、すいませんでした」
罪悪感から謝ってしまったが、
「? 何がですか?」
久澄の失礼な思考など知らない彼女からしたら謎の発言である。
「あっ、いえ、何でもありません。大丈夫です。助かりました」
「それは良かったです。それにしてもここら辺では見ない服装ですね」
少女の顔にホッとしたと書かれていたのも束の間、見ない顔に対して警戒で表情を固くした。
その移り変わり樣に見てて面白いなと感じつつ、今の状況を利用して必要な情報を手に入れようと質問を開始する。
「あのここはどこですか? 気を失っていたみたいでちょっと記憶があやふやなんです」
久澄はこの短時間で少女の性質を理解し始めていた。とにかく根が優しい。だから今はそれにつけ込むことにした。
(あまり好きな方法ではないけれど……)
しかし、今は好き嫌いを言っている場合じゃない。
そう自分に言い聞かせ彼はわざと彼女の質問を無視した。
「えっ、あっ、それは大変。えっとここは森世界何ですが……分かりますか?」
記憶があやふやを記憶喪失と勘違いしている節があるが一度それは横に置き、
「森……世界?」
「えっとこの天体、ティラスメニア分かりますか?」
森世界、ティラスメニア、さっきの謎の生命体。こんな聞き慣れない、見慣れないものが揃えば突拍子はないがとある一つの仮説がたてられるだろう。
「おいおいまさか異世界!?」
自分で言っといて本当に突拍子のない事だと思ったがこれしか仮説をたてることはできなかった。
「異世界?」
「ありがとうございました。これで大体おかれている状況が分かりました。どうやら自分は異世界人ぽいです」
「? ? ?」
どうやら頭のおかしい人だと思われたみたいだ。あたり前だが。
「えっと、記憶の混乱かな……? 意識をしっかり持って下さい」
全然違かった。すごく心配してくれてたみたいだ。
しかし、勘違いはそろそろ解かなければならないだろう。
「あのすいません、自分記憶喪失ではないんですけれど」
「違うんですか。私ったらとんだ勘違いをしてしまっていたようで」
「いいんですよ。生き続ければ勘違いの百や千するものですよ」
「生き続ければですか……多すぎな気もしますが。けれどそしたらさっき言っていた異世界人だというのは」
「まあ、本当ですね」
そう答えた瞬間絡み付くように木の根が久澄の上半身を拘束するように巻き付いてきた。
「……まっ、普通はこうしますよね」
「すいません」
「いいですって。それでこれからどうするんですか」
「一応、私の住んでいる村に向かい村長に話しを聞いてもらいます」
「ならばさ村に着くまで質問の続きしていいですか」
「まぁ、構いませんが」
と言い少女は久澄の顔を不思議そうに見つめた。
「あの、えっと、顔に何か付いてます?」
「いえ、この状況で随分落ち着いているようなので……」
「だってこの行動には納得できる理由がありますし。今すぐ取って食おうとしているわけでもないんでしょう」
「それは、そうですが……。まぁ、いいでしょう。では質問の続きをどうぞ」
納得した風に振る舞ってみたが少女の内心は、言葉とは裏腹に疑問ばかりであった。
「では、さっきの生物……あれ何ですか」
「あれはシュンシュン……と説明するより魔物と説明した方がいいですね」
「魔物ね……」
「魔物分かるんですか」
「ええ、イメージくらいなら」
ゲームの影響だが。
「けれどシュンシュン級の魔物は人を襲わない筈なのに……やっぱりもう時間がないのかしら」
ボソッと少女は口にした。
「何か言いました?」
「いえ、何でもありません。それよりお名前を教えていただけますか」
「そう言えば名乗っていませんでしたね、碎斗、久澄碎斗です」
「私はアルニカ、アルニカ・ウェルミンです」
「では、改めてアルニカさん、あの魔物たしかシュンシュンを殺した技……あれは何ですか」
異世界、魔物ときてあの技は何ですかと訊くのは白々しいが、一応確認のためだ。
「あれは、魔法です」
「魔法……まあ、そうですよね」
「魔法も分かるんですね。貴方を縛っているそれもその一つ。さっきのシュンシュンに、貴方は殺したと思っているみたいですけれど、あれは相手を眠らせる成分のある木を刺しただけで、殺しても、倒してもいないあれも魔法です」
知っているのは魔術だがと言うツッコミは内心で留めた。
(それにしてもそういう世界か……)
久澄は自身を主人公にはなれないタイプだと考えている。
定番は異世界から来た主人公が世界を救うだが、主人公になれない自分は何のために此処にいるのか。考え方が中二過ぎるが、世の中には理由とも呼べない理由で起こる現象もあるのだからな、とそこまで考えてたところでアルニカから声をかけられた。
「着きましたよ。あれが私たちの村です」
数メートル先、木製の立派な門(潜る式)が建っていた。
「あの、村に入る前に私からも一つ質問してもいいですか」
「? どうぞ」
「その右手に持っている袋の中身は何ですか」
「右手? あっ!」
その右手には何度も死にかけているくせに大事に握られた袋があった。勿論、中身は対ゴキブリ薬剤である。
そして、今更ながら家に三十匹はいるであろうゴキブリに対して鬱になってきた。
対ゴキブリ薬剤の説明をしたところ、アルニカの中で必要性を感じないものと判断され木の根を使った魔法で円形に密閉され取り上げられた。
さらば少しの間だ命(?)を共にした戦友よ。
門の前に着いたところで二十代くらいの男性がアルニカに声をかけてきた。
「お帰りアルニカ。どうだった森の様子は……ってあれそちらの人は」
「駄目だったわシュンシュンが人を襲うまでになっていたもの。そしてこいつがシュンシュンに襲われてた……」
久澄は自分のことを村人にはアルニカに説明してもらおうと考えていて、今その流れになり委ねているがやはり不安はある。
(大丈夫だよな。害がある人物にはならないように努力は一応したし)
不安から手のひらに人と書き飲み込もうとしたが体の自由が効かないことを改めて実感し諦めた。
そして少しの逡巡の後アルニカは口を開いた。
「……不審者野郎よ」
「えー〜ー〜ー〜ー」
驚きと悲しみが両方。
「言動、行動そして頭がおかしかったわ。だから村長の元に連れて行って判断してもらおうと思って」
「ちょ、ちょ、ちょま……」
文句を言おうとした瞬間口を縛るように木の根が巻き付いた。
「フガフガフガ(何するんだよ)」
どうやら言いたいことが分かったらしいアルニカは迷惑そうに小声で説明した。
「ちょっと黙ってなさいよ。今適当に誤魔化しているのだから」
「フガ、フフィンファファファファフィファフ! (でも、不審者はないだろう!)」
これは伝わらないだろうと思いつつも口にせずにはいられなかった。
小さい男である。
これを聞き−−意味は理解できていないが−−男性は当たり前(?)の意見を発した。
「なあ、アルニカこいつ何か言っているけれどほっといていいのか。お前の魔法なら分かるだろう」
魔法の便利さに驚きながらも誤魔化してくれているようなので言われた通り黙っている。
「いいのよ。さっきも言ったとおり、不審者で言動もおかしいから。今も私を混乱させようと色々おかしな事吹き込んでくるだけだから」
「そんな奴村長の元へ連れてっていいのかよ」
「だからこそよ。大体村長にはあの事の報告もしなきゃだし」
「……っとそうださっきそいつの影響で横流しにしていたがやっぱり駄目だったのか」
話の流れを見る限り、横流しにしていないのだがというツッコミも黙っていろと言われたため口にしない。
「ええ、そうよ」
「……あと七日か。大丈夫だぞアルニカもしもの時は、いやその前に村長が手を見つけてくれる」
「いえ、多分手はないわ。それにみんなをあの子の二の舞にはさせたくないからもしもの時でも……止めてね」
「いや、それはまだ決定したわけじゃ……それに……」
「気持ちだけで充分よ。じゃあ、村長の所に向かうから。明日楽しみにしているわね。ほら、行くわよ」
とアルニカは久澄の上半身に巻き付けた木の根を掴み、引きずり始めた。
この時、久澄の脳内では一つの仮説がたてられていた。
(ちょっと、訊きたいことが増えたな……)
村の中ではどうやら明日の何かへ準備中らしく、色々な人が忙しなく動き回っていた。
どうやらアルニカは人気者らしく会う人全員に話しかけられ、皆全員門前の男性と同じ事を話題としていた。つまり村人に不審者と紹介されているわけで、
(ま、周りの目が痛い……)
敵意しか感じられない。
「ふぅ、着いたわ。ここが村長の家」
思っていたよりこぢんまりとした家であった。(それでも他家とは違い二階建てだったが)
木の扉を開き広がった光景に久澄は驚愕させられた。
一階と呼ばれるであろう所には、乱雑に置かれた本で埋め尽くされていた。いや、よく見ると二階に続く階段の周りのみは不自然に本が置かれていなかった。
アルニカに引っ張られたまま階段を上り二階へ。
大量の天井まで届くくらいの縦長の本棚が一番最初に目に入った。
どうやら二階には本は散らかっておらず、下の本は上から投げられたもののようだ。
床から前へ視界を移したところで、直立姿勢で本を読むお爺さんが目に入った。
横姿のため顔は余り見えないが、サンタクロースのような真っ白い髭を蓄え、髪も歳を表すかのように真っ白。しかし、その姿は歳など感じさせず威厳を纏った佇まいであった。
家にいる云々は横に置いても、あの人が絶対村長だろう。
「ただいま、村長」
アルニカが声をかけたことで此方に気付いたらしい村長は、苦い顔をし振り向いた。
アルニカはそれが気に食わなかったらしく文句を言う。
「何よ、人に声をかけられてその苦い顔は」
それに村長は渋い声で、
「しょうがないじゃろう生まれたときから今な顔で育ってきたのじゃから」
と言った。が、生まれつきは流石に言い過ぎだろうと思った。アルニカも同じらしく、
「生まれつきって……」
とツッコんだ。
「一言多い子じゃのう。とそれよりどうじゃった」
苦い顔を厳しくし言った。
「駄目だわ。シュンシュンまでもが人を襲うようになっていたから。こいつはその被害者よ」
「ふぁっふぃふぉふぃっふぇふふぉふぉふぁふぁっふぁっふぁ(さっきと言っていること違うじゃないか)」
「……アルニカや、まずはその口の木を解いてやったらどうじゃい」
「あっ! 忘れてた」
うっかり、という風に片手を口の前に添えたアルニカ。
すぐさま口元から木の根は退いていった。
「ふはぁ……アルニカさん少しお話があるのですが」
「いいわよ。そのために貴方を此処に連れてきたのだから。さあ村長と私に全てを話して」
巧くかわされた感しかなかったが、此処で文句を言っても時間の無駄だと思った久澄は、ここまでの経緯を簡単に話すことにした。
「えっと、俺が暮らしていた世界は地球と言いまして、ここでいう魔法に似た魔術だったり特殊才能……まあ、これも魔法に似たものがあります。自分は持っていないので実演はできませんが。そんな感じの世界からこの世界に来たみたいで……」
「で、どう思う村長」
「そうじゃのう……数年前だったら信憑性に欠けると言ったじゃろうが、今は裏ギルドの身喰らう蛇のマスターが異世界人という噂があるくらいだしのう」
身喰らう蛇。その単語に久澄は反射的に自分の左手に目を落とした。
だがそれに誰も気付かない。
「けれど噂は噂でしょ」
「そうじゃがな……あと可能性としてもう一つ」
「「もう一つ」」
不意にアルニカと声が被ってしまう。
しかし、二人の心境は全くもって違かった。
久澄は此処で信用されないと不審者のまま、扱いがどうなるかは予想もつかない。
一方アルニカはさっさと不審者と実証して『元々の役割』に集中したいのである。
「ふぉっふぉ、そう急かすな。可能性、それは……世界に喚ばれた場合じゃ」
「世界に……喚ばれた?」
まずは久澄が疑問を挙げた。
しかし、村長がその疑問に答えるより早くアルニカが、
「待って村長それこそ有り得ないわ。だってそしたら……」
と反論を挟んだ。
「のぅ、可能性の一つとして考えられる程度の事じゃ。もしかしたら儂のこうなってほしいという願望がこういう考えに走らせているのかもしれんしのぅ」
「そう……よね。そうあってほしいわ」
俯いたアルニカを、まるで孫の心配をする祖父の様な目で見つめた後、立ち惚けていた久澄へ声をかけた。
「のぅ、主、名は何と言うんじゃ」
考え事をしていたため身体を一瞬上下させた後一拍遅れ反応した。
「……碎斗、久澄碎斗です」
「サイトか、良い名じゃ。今夜はもう遅い。この家の裏に小さいが小屋があるのじゃ。ひとまず今夜は其処を使ってくれぬか。訊きたいこともあるじゃろうが色々は明日にのぅ」
「……分かりました」
階段を下りドアの元へ。
(色々は明日ね。ま、そうだよな)
そしてドアを開け言われた目的地へと足を進めた。
ドアの閉まる音を聞いた後、村長は口を開いた。
「何とも変わった少年じゃな。もう色々と考えを巡らせておるわい」
其処でアルニカは顔を上げ、今日何度目かになる否定の言葉を口にした。
「そうかしら。あの不審者馬鹿っぽかったからそういうのに疎そうよ」
「あまり人を外面だけで判断するのはよくないのぅ。しかも不審者とは、村人に説明する時にそういたのじゃな」
露骨に失敗したという顔を作ったアルニカに、村長は呆れ顔を作り、断罪の言葉を口にする。
「それはよくないのぅ。村人にの誤解を解かんといかんわい。アルニカよお主は罰としてサイトにご飯を作っていくように」
かなり迫力を出していたためアルニカは首を横に振ることはできず裁きを受け入れた。
「ほっほっほ……それでやはり外は駄目じゃったのか」
声を低くして問う。
「えぇやはり駄目みたい。予定通り七日後……私が犠牲になる他ね」
「もう手は無いのかのう。最後の手段であの少年を信じるしかのぅ」
その言葉に一瞬アルニカは怒気を纏った表情を作ったが、すぐに無表情に戻り感謝の言葉を述べる。
「村長、嬉しいけれど私を助けたすぎて頭の働きが悪くなっているわ。だって今、私が突きつけられている現実は……この世界に殺されることなのよ」
「そう……じゃったのぅ」
「そうよ。もし彼が世界に喚ばれたのならそれは……私を殺す役割のためだわ」
村長の希望を切り捨て言った。
「それじゃあ話題の彼に持って行くご飯作らなきゃだから行くわね。明日楽しみにしているわ」
そしてアルニカは村長の家を後にした。
アルニカが家から遠ざかったのを視た後、一人残された村長はボソッと、
「のぅ、あの少年が本当の意味で世界に喚ばれた異世界人ならば、あの娘の……界に呪われし名を持つ『空の操手』の運命も変えられると思うのじゃがのぅ」
誰にも知らせていない、否、誰にも知られてはいけない今回の事象の要因を告げた。
その言葉は虚しく消えていった。誰の耳にも届くことはなく。
久澄は中学校三年生の頃に男性の平均身長を越した長身であるのだが(未だに成長中)、そんな久澄でも余裕で横になれた木の台の上で考え事をしていた。
アルニカについて……ではない。
久澄からしたらアルニカの事情などどうでもよく、面倒ごとに巻き込まれたくないから訊こうとしているだけだ。話したくないと言われれば無理には訊こうと思わない。
久澄にはその程度の関心しか持てなかった。
では何を考えているのかというと、自身の夕食についてである。
「はあ、掻き揚げ食いてー」
今日の夕食予定だったメニューを口にしてみたが腹は膨れない。逆に空いてきた。
これはピンチだなと本気で思い始めた頃に木のドアからノック音がした。
誰だろうと思い木のドアノブに手を掛ける。
(もしかして俺のことを不審者と勘違いしている村人たちかな。そうだったらヤバいな)
しかしもうドアを開ける手は止まらない。
そして、開いた先にいた人物は久澄にとって意外な人物であった。
てか、またやってしまった。
「これは意外な来客でアルニカさん。えっと何かすいません」
其処に居たのは、アルニカであった。
「? 何謝っているのよ。やっぱりあんた不審者何じゃないの……いや今は馬鹿男だったわ」
「馬鹿男って……で、何の用?」
「用というか、村長に命令されて貴方に夕食を持ってきたのよ」
「まさか毒は……」
「盛ってません」
「なら頂きたいな。お腹空いてたし」
「それは良かったわ。じゃあ……これ」
アルニカが差し出した物は緑色の液体が入った木の茶碗であった。(中身が分からなかったのは茶碗の上に木の板が置かれていたからである)
「アルニカさん……これは?」
思わず指を指す。
「これは木の実と食用樹の樹液を水で薄めたスープよ。ボリュームは保証するわ」
味の保証は、とツッコみたいところだが腹の虫は鳴くばかり。
意を決しスープを受け取り一口。
「…………!? ………………!!」
「ど……どう?」
「………………美味い」
「ほんと! よかった。見た目はアレだけれど美味しいのね」
「ちょっと待った。美味しいの「ね」って何だ」
「ああ、それ新作なのよ。見た目アレだったから味見してないのよ」
アルニカはつまりと一息おいて、
「貴方を実験台に使っちゃったのよ。ごめんなさいね」
「まあ、いいんだけれどさ」
「あ、もしかしたらそれ毒入っているかも」
「!! 毒ってマジが」
思わずむせ返る。
「何てね、嘘よ、うそ」
その言葉の意味を理解するのに、およそ五秒は費やしてから咳を止めた。
「……たち悪いな」
「本当にごめんなさいね。けれど食べ物に毒入れるなんて最低なことはできないわ」
「……さいですか。ああ、そうだアルニカに訊きたいことがあるんだけれどさ」
軽く訊いた久澄の言葉に対してアルニカには、目に見えない緊張が走った。
その原因はさっき村長が言った理解しているという言葉を思い出したからだ。
(いや、まさかその可能性は自分で否定したじゃない。まさか期待しているのかしら。いえ、それこそないわ。だって……)
しかし、そんな緊張はおくびにも出さず言う。
「何、前の質問の続き?」
「いや、違くて。あのさ、明日何があるの? ほらアルニカさん、会う人全員に明日楽しみにしているって言ってたじゃを」
「あぁ、そのことね。明日は村長の生誕祭なのよ。生まれたことに感謝しようってね。この村じゃ当たり前の事よ。人口少ないから全員のやれるし」
アルニカは安堵の色をどうにか心の中だけに留めることに成功した、と思っているが変な間を開けないようにと意識していた結果、最初の方の言葉に実感の動揺が混じったことには気付くことはなかった。
久澄はそれを聞き逃すことはなかったが、敢えて表に出さず次の疑問を呈する。
「へー。じゃあアルニカの誕生日は何時なの」
「ん〜、秘密よ」
「秘密ね……」
「そうよ。まぁ、だから貴方も明日は楽しみなさい」
「楽しみたいのは山々何だが……誰かさんの所為で村人から俺不審者扱いされているから」
「それは悪かったわ。けれどあまりみんなを動揺させたくなかったから」
「十分動揺すると思うけれどな。でもさ何か他になかったの平和的なのが。例えば記憶喪失少年とか」
「あっ、それは否定されてたから頭から抜けていたわ。そのアイデア頂き。明日みんなにそう説明しておくわ」
「頼みますな」
「それじゃあ、時間が遅くなってきたから帰るわね」
その台詞に久澄は部屋を見渡したが時計は置いてなかった。
不意に小詠先生を思い出してしまう。
「どうしたの?」
挙動不審の久澄に声をかけたアルニカ。
「いや、色々あったなって」
「ふぅ〜ん。まぁ、いいわ。明日絶対楽しみなさいよ」
不信感たっぷりの視線で久澄を見つめたが、当の本人はどこ吹く風。
アルニカは呆れ顔でドアノブへ手をかける。
其処で久澄が思い出したように声をかけた。
「まだスープ飲み終わってなかったんだが」
「いいわよ。そのお皿とスプーンは魔法でできてて外に放置してくれれば勝手に自然に戻るから」
「魔法って便利だな」
久澄は今まで見てきたそれに純粋な感嘆の声を漏らした。
久澄のその言葉に何か思うとこれがあったらしく、複雑な表情を作り口を開いた。
「それなりに疲れるから便利便利って使えないんだけれどね」
その言葉に、魔術と似ているなと感じた。
魔術では魔法(久澄の頭にはアルニカの木の根の魔法が例として出された)の様な現象は生み出せない。
しかし使う度に疲れるという点は一緒だった。
魔術は発動するために使用者の生命エネルギーを必要とする。最初は体力だが使用者の体力の一定置を越えると次は寿命−−細胞エネルギーが減少していく。
それを踏まえた上で久澄は何も言わなかった。
アルニカは無言で出て行った。
なので久澄も無言で見送る。
外に出たアルニカは久澄とのやり取りを思い出し、
「何かに気付いている様子はないわね。村長も慌てすぎなのよ」
そう言い自分でも気付いてなかった不安を切り捨てた。
アルニカはそのまま無言で家まで足を進めた。
アルニカの死まであと六日。
目を覚まし、意識の完全覚醒を促すため外に空気を吸いに出ると、昨日門の前でアルニカと会話していた男性が数メートル先の木に寄っかかっていた。
男性は此方に気付いたようで小走りに近付いてくる。
「よう。村長とアルニカから話しは聞いた。サイトだったか、俺はクネル。困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。力になるからな」
それじゃ、と言いクネルと名乗る男は踵を返し、立ち去っていった。
多分門へ向かったのであろう。
クネルはそれを言いに待っていてくれた様である。
それにいい人だなと思いつつ、
「それにしても記憶喪失ね。我ながら上手く立ち回ったものだ。これで怪しまれずに色々訊ける」
そんなことを言いつつ、久澄は遠目ながら村を見渡した。
昨日から感じていたことだが、この村には木以外の物質が見当たらない。家や家具までならともかく、服もよく見ると木の皮や繊維で編み込まれた物だと分かる。此処が森世界と呼ばれる場所だからだろうか。
久澄は考えたが答えが出るはずもなく、盛り上がる村を探検しつつアルニカを探していた。
しかし夕方になるまで探していたが全く見当たらなかった。
「何だよ。ちょっと頼みたいことがあったのに」
久澄は疲れ気味の半眼でそう漏らした後、近くの木の椅子に座り込んだ。
月の綺麗な漆黒が空を彩る時刻。
「え〜、それでは今回の主役である村長から一言頂きます」
昨日訪れた村長の家の前で木で作られたメガホンを手に司会をしているのは、良い人ことクネル。
司会をしているところを見ると以外と偉い人なのかも知れない。
家から村長が出てきた。クネルからメガホンを手渡され一言。
「じゃのう…………」
それだけを言いクネルにメガホンを渡した。
「……えっと以上だそうです。それでは朝言われたとおり遠慮なく楽しみましょう」
おお−、と村人たちが声を上げる中、久澄は村長の一言に、
「はは……本当に一言だ」
と苦笑いしてしまった。
生誕祭。実際に参加してみるとお祭りというよりも宴という感じで一時間も経つと出来上がっている人が増え、もう大変なことになっていた。
記憶喪失少年(仮)である久澄としては此処を使わない手はない。
なので軽く出来上がっている人をターゲットに村を歩き回ることにした。
「つってもどこの人も大変なことになっているしな。いるかな軽くの人」
出遅れたと考えている久澄であったが、食べることに夢中になり気付いたときにはこんな状態だったという事実を思考の外へ上手く持って行き忘れていた。(食べ物は木に関係する食材のみであった)
しかし天はそんな久澄を見放さなかった。
「……あの人いい感じじゃね……ってクネルさん」
門前で久澄の理想に近いいい感じに酔った顔をして門の前に居たのはクネルであった。
此方の確認の声に反応して振り向いた。
「おっ、サイトじゃないか。楽しんでいるか」
「お陰様で。一人で何しているんですか」
歩み寄り訊ねる。
「アルニカの帰りを待っているんだ」
「え? アルニカどっか行ってるんですか」
「ああ、朝に森の奥の方にな。だからぜんぜん見当たらなかっただろ」
「うっ! 探していたの知っていたんですか」
久澄の非難の声にクネルは知らないという顔で、
「えっ! 探していたの」
と答えた。其処に悪意は感じられなかったため特に意趣返しをする必要もないなと感じ、久澄は当たり障りのない答えで返し話題変換を図った。
「はぁ、まあ良いですが。それより訊きたいことがあるんですが」
「何だ? ああ、そういえばお前記憶喪失だったな。いいぜ俺に答えられることなら何でも訊いてくれ」
その言葉を聞き久澄は心中で人の悪い笑みを浮かべた。
「では、此処、ティラスメニアでしたっけ。それについて教えて下さい」
「いいぜ。ティラスメニアはな−−−−」
聞いたことを簡単にまとめるとこうだ。
ティラスメニアには四つの界があり、それぞれ『石』、『鉄』、『氷』、そして『森』。そして世界の中心部には四つの界の性質を持たない王域ティラスメニアというなの土地に存在する王都・プルファがある。
界とは人より上位に立つ存在が世界の主となり、その主が契約した性質が最強となる世界である。例えば森世界では木に関わるものは例え相手が鉄であろうと勝ててしまうというものである。
「成る程。ありがとうございました」
「どう致しまして」
クネルがそう言ったと同時に葉っぱを踏むような音がした。
二人して其方を見ると其処には見知った少女が居た。
アルニカである。
「へぇ、かなり盛り上がっているのね」
「お帰り……アルニカ」
クネルが言う。
「うん、ただいま。さて私も村長に報告して、遊ぶぞー」
アルニカは何かから逃げるようにダッシュで村長宅の方へ行ってしまった。
そのアルニカの姿と、目に映る落ち着きがありながら豪華な飾り付けがされた村を見て久澄は一つの疑問を思い出した。
「クネルさん。アルニカの誕生日っていつ? 本人は教えてくれなくて」
「ん? 十日後だよ」
その言葉に適当な相槌を打とうとしたがその前にクネルがボソッと、
「多分来ることはないけれどな」
と予定より早かったが此方の狙い通り一言落とした。
「何か言いました?」
「い、いや、何でも。それじゃあ楽しめよ」
そう言い焦って村の中心部へ走っていった。
久澄はその後ろ姿を表情では不思議そうに、心の中では人の悪い笑みを浮かべ見送った後、一言。
「漫画や小説の主人公じゃないんだ。聞き逃すわけ無いだろ」
やっぱあの人は都合の良い人だと思いながら、村長の家へと足を進め始めた。
その顔には笑みはもう浮かんでいなかった。