未だ夜は明けず、貫くは断罪の剣
MGR社日本支部某所。
建築の関係上どうしても生まれるデッドスペースの、さらに奥まった場所にある一角。よからぬ噂や都市伝説すら立たず、純然に知るものは避け、知らぬものも雰囲気から近寄らないような場所。
そこに大きなキャリーケースを引く女性の影があった。
紫紺の髪を闇夜に馴染ませるように手で梳いて、彼女は建物と建物の間から僅かに覗く空を見た。
舞う埃が月明かりに反射してきらきらと星の輝きを思わせた。
光は女性の顔を映し出す。
夜霧裂の顔を。
彼女の視線の先には、人の姿があった。建物の屋上。淵ぎりぎりに座り込んで一区の方角を見ている人物。
「珍しいなぁ」
その正体に思わず感嘆の声を上げていた。
本来の目的地からは寄り道をしてしまうことになるが、見かけたからには会わなければなるまい――いや、向こうに要件があるから待ち伏せをしていたのだろう。
そのビルに入ってエレベーターから最上階に。キャリーケースをひっぱり欄干へ近づく。
相手は見向きもせずに軽く手を振った。夜風に乗ってなびく黒髪が風景に溶けている。
「全く………一個人の人間でしかない私が、いいものが見れたよ。Magic gulf rack――魔術の深淵の破壊。夢想家もその理想を叶えれば英雄ってね」
「久しぶり。元気そうで何より」
「元気元気。わりかし楽しい人生だからな」
「今まで何していたの?」
「んー、普通の人生だぜ。子供に囲まれて、ものを教えて」
「実験などは……やってなかったのか」
「そういうのは一番目に任せてたのよん」
「その一番目が死んだから、出てきたのか」
「いやさ、夜霧冷夢という個人の群体が解き放たれたわけだから、そろそろ真面目な取り組みをすべきかなって。そっちはどんな感じだい?」
「色々したいことが多い。第一位の『Rise-Above』の実地投入や多重才能の機械化」
「朱雀の炎翼を扱ってた割に魔術には興味ないの?」
「どうにも琴線に触れない」
「じゃあ、そのキャリーケースの中身頂戴よ」
「あなたは魔術に興味がおありで」
「もっと根源的なものがありそうでね。世界の法則を理解しなければ不可能を可能にするなど言えないんだ」
「じゃあ、あげるよ。それで、研究室はどこに構えるつもり?」
「本場。ティラスメニア、と呼ばれるところ」
「どこよ、それ」
「興味が出てきたら自力で知らべんさい。それにしても、あの子が死んじゃったのは痛いな」
「誰?」
「奈々美ー」
「ああ、あの失敗作」
「うん。なんか魔術師が使う魔術って名で縛られてるじゃん。それってどうにも、型ができるからっぽいんだよね。魔力とかって呼ばれるものが走る回路……というよりは神経経路。だから、それを引っぺがして他の人のをくっつけたり、もしくは上手く歪めた神経を入れれば最強の魔術師にしてあげれたのに」
「まあ、そこら辺は領分の違いで」
「そだね」
ころころと喋り方を変える女性との会話は、そこで終わった。
「じゃあ、世界を面白くかき混ぜてね二番目」
「そっちも、科学を面白く煮詰めてね零番目」
自己の欲のため、狂気に生きることを選んだ二人の夜霧冷夢の道は分かたれる。
だが、その目的へ歩む道が血肉にまみれているのは変わらず、人類史に最高峰の功績と悲劇を刻むのは確定していた。
降りかかる夜の帳は、これからが本番だった。
◇ ◇ ◇ ◇
緩やかに朱は落ち、瑠璃色を落とす元R帝国の空。
抉れ、昏い穴をところどころに作った大地は、先頭の激しさを俯瞰的に証明していた。
損失も、喪失も大きな戦いだった。
戦火の音が消えたことから徐々に集まり出した魔術師たちから逃げるようにして苹果と集は姿を消した。忍刀も回収している。
契から華の最期を告げられた魔術師たちは、その死を悼む。
それを遠くから眺めていたアルニカは、魔物と言う種の強大さに思いを馳せる。
(いつかは、戻らないといけないか)
魔界。遠くない日に、人界を囲って存在するその地に人類は踏み入らねばならない。
それは、邪悪な魔物を拒絶する〈聖域〉の効力がいつ切れぬとも知れないからであり、ティラスメニアという世界の歴史を紐解くうえで必要不可欠と言われているからでもある。
ましてや、魔王のことがあったのだ。
(けどなぁ、戻るって言ったって)
空を望む。
繋がりは、絶たれてしまった。
(それに、あの馬鹿野郎のことだって)
あー、と頭をかきむしる。
悶絶するアルニカの元へ、寧々が歩み寄った。
「もしもし」
「え、あ、はい」
来たのは寧々一人だった。遠巻きから送られる舐め回すような目線が気持ち悪い。
「私たち魔術師はあなたの正体について一切詮索しない。一応、そういう風に決めといたから」
「え……あ!」
素っ頓狂な声を上げて、背中に冷や汗を滲ませる女子中学生。
「聞かれる可能性とか全く考えてませんでした。うへえ……ありがとうございます!」
「その代わりといっては何だけど」
親指を立て、肩からベルゼブブの死骸を差した。
「後日、あれの正体についてのことは聞かせて……何も知らないせいで後手に回って、また何かを失うのは嫌だから」
「わかりました」
どこまで教えていいのか。
どこまで信じてもらえるのか。
そういった思考を飲み込んで、アルニカは力強くうなずいた。
「じゃあ、私たちは後始末があるから先に行くわ。送りは、必要ないのよね?」
「ええ。来たのと同じ方法で帰ります」
一礼して魔術師らを見送り、一人。
アルニカは、ベルゼブブの方をかえりみた。
鮮烈な水仙の花の色が目に焼き付いて離れない。
「……帰ろ」
〝空間転移〟を紡ぐ。
その時だ。声が聞こえた。
空気を伝う微弱な振動が言葉に翻訳されて脳で理解される。
『よう、〈空の操手〉。お前にならこの声は届くだろ』
「!!」
アルニカは目を見張り魔力の流れをせき止める。
今もまさに灰とも砂とも思える残滓となって崩れている蠅の王が音の主だった。
そして、〈空の操手〉と、この存在は言ったのだ。
『まあ聞けよ。どうせ何もできねえ』
「なんで……」
いくつもの疑問を一つにまとめ、声を作った。
『偽りであろうと一応は神だからな。神託でも授けてやるよ』
答えは、彼の者の理由だった。
金属がこすれるような音がする。それが笑い声だとわかったのは、それこそ〈空の操手〉としての力だろう。
『いきなりどこかへ飛ばされたかと思ったらよぉ、偽りの王様の気配はするし、第三秘術まで薄れた術もありやがる。ただまあ、〈四方の巫女〉様に実際に会えたから、良いとするか』
「なんだよ」
アルニカは敵愾心を隠すことをしない。
例え死に窮していようと、魔物はある種の天災。ベルゼブブという上位の存在であることを考慮していようと、あれだけの人材を投入して損失なしには切り抜けられなかった事実は重い。
『神託だ。お前らはどこから生まれ、どこへ行く? なあ、魔王を殺すための少女たち』
その言葉を最期に。
絞りかすとなったベルゼブブの身体は乾いた風に攫われていった。
――魔王を殺すための少女たち。
四方の巫女の在り方を表す言葉だった。
考えてもみなかった。
人間としての血脈を持たぬ存在。
「私たちは……」
どこから生まれ出て、その終わりはどこにあるのだろうか。
神託という触手は心を侵し、疑念を孕ませた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
〈時〉との未来を賭けた戦いは終わり。
勝者たちは実感を得られぬまま、しばらくは押し寄せる疲労に身を任せていた。
あるいは、不確定さこそが未来を掴みとったということなのかもしれないが。
ともかく戦いは終わり、戻るべき場所があるものが一人、立ち上がった。
「じゃあ、取り敢えずオレは行くぜ。なんかあるなら明日以降にしてくれ」
新に言葉を向けつつ、視線は久澄の方へ走らせた。
一度は見返した久澄だったが、肩を竦めて目を逸らす。
三年前ならいざ知らず、今の彼が葉に因縁を感じたりはしない。
渚を救えたか救えなかったか。
救えたから、久澄は満足を得ていた。
葉の方では色々ともやもやとしたものを抱えていたりするのだが、それを表に出さず立ち去れるのが彼に訪れた変化だった。
「さて」
と、わざわざ口にして区切りをつけるのは新だ。
「じゃあ碎斗くん。僕たちのごたごたも、ここで終わらせようか」
大仰に手を広げて、受け入れるような姿勢をとった。
「さあ、復讐を成すといい」
「お前は……正しいな」
「さあね。世界の正しさと個人の正しさは違うと僕は思っているよ」
その言葉の真意は理解できないが、嫌に耳に残った。
「……一つ、聞いておきたい」
「なんだい?」
「全部、お前のせいでいいんだよな」
全部。この世界における、久澄が体験してきた事件について、だ。
ティアハート。命。奈々美。飛鳥。渚。
彼女たちが傷ついたのは、新が必要だからとそういう風に盤面を操ったからなのか。
「そうだよ」
「未来を、救うために」
「そうだよ」
「……じゃあ、お前自身の救いはどこにある。戦う理由は、どこにあった」
「今、ここさ」
「そうか……」
納得した。
久澄は、右手を手刀の形にした。
歩み出す。
「おや、吸血をしてくれるわけじゃないんだね」
「お前なんか背負いたくもねえよ」
へらへらと笑う新に不快感を覚えながら、右手を振りかぶる。
「言いたいことはあるか、夜霧新」
「いんや。さっさと終わらせろ、久澄碎斗」
鉾が空を穿ち、肉を抉るための動きを見せた。
こうして、久澄碎斗の物語は終幕を迎え――
刺し貫いた。
「……」
されど、それは久澄の手ではなく。
「がッ……あか、ね……ちゃん」
新の背後から伸びる――鈴香赤音の炎剣だった。
「この時を、ずっと待っていたわ」
心臓を一突き。
燃ゆる剣は傷口を焼き焦がすので、血は漏れない。
「私を、私たちの……」
呟きは消え入るほど小さいもので。
「悔い改め、悔い改め、悔い改めって」
剣を握る左手に力がこもる。
「そんな暇、与えないわよ」
斬り上げる。
肩から突き抜ける一閃。
戻し右肩へ引いて、崩れ落ちる頭を薙ぎ斬った。
新が倒れるとともに、炭化した脳の断面が久澄の方を向く。
手が止まったまま、久澄は動けない。
そんな場へ、もう一人現れる。
奇妙な魔女の面を付けた人物。漆黒の外套と胸部等の弱点部分を覆う黒絶対鉱石からそれが〈夜〉だとわかった。
黒い靄が生まれ、手を突っ込む。中から取り出したものを久澄の足下へ投げつけた。
吸血鬼の動体視力により空中にて弧を描いた瞬間から、その正体は知れた。だからこそ、視線はそれに誘わる。
目から上こそ失われているが、颯真の顔だった。
「さあ、お前がこの世界に縛られる理由は消えたぞ」
〈夜〉は、手を伸ばして告げる。
「私たちと共にティラスメニアへ来い。お前の物語は、まだ終わらないぞ」
赤音は炎剣を消し、身を背ける。
久澄の足下には、求めていた光景が広がっていた。
中心は久澄碎斗ではなく、また別の人物にも焦点はある。
この終わりを求めていたのは久澄だけではなかった。それだけ。
理解はしていても、息が荒れた。
状況に霞む頭。
ティラスメニア、という世界の名がが新の言葉を思い起こさせた。
左手に目を落とす。
(もう、この世界に危険はない……よな)
だったら、自身の正体を探るのは許されるだろう。
それは多くの人たちとの別離を意味する。安全委返ってこれる保証はなく、なにもかもを宙ぶらりんにしたまま放置する行為――一瞬、アルニカの顔が浮かんだ。別れ際の泣き顔。
「それでも、俺は……」
自分の正体は何なのか。概念すら殺す力を宿していた自分は、当たり前のように日常へ戻ってもいいのか。
そんな疑念が、後ろ髪を引く手を払いのける。
人間性を壊され、三年間を費やした仇敵の死体。
それを乗り越えながら、少年は前に歩み出した。
その先に広がる夜の街に目を送り、〈夜〉を見直す。
久澄はティラスメニアへと続く手を、取った。
その先に広がるものも知らずに。
第二部・未来への道ーー完




