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ファクターズ  作者: 綾埼空
六話 『今』を『未来』に繋ぐための戦い
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未来を撃ち抜く一撃

 漆黒の塔が高く背を伸ばし、それでも届かぬ純白の月が浮かぶ夜空。


 二区に聳え立つ高層ビル群の一角。その屋上で新は冷めた目を空に向けていた。


「それが君たちの答えなのか……」


 呟きは虚空に溶けていく。


 彼の背後に道化の面で顔を覆った少女が降り立った。


 笑みを形作り、振り向く。


「ちゃんと、覚悟は決めてきたかい?」


「このために作られたんだ。覚悟なんて必要ない」


 人口特殊才能児〈傀儡児〉計画。


 発案を夜霧新とするそれは、人工的に生み出した特殊才能児の中から最高峰の才能を選りすぐり、とある敵に対する決戦兵器の器を造り出すことにある。失敗作は並行的に発案された〈犠牲児〉の素体として確保された。


 敵――〈時〉の概念体を打倒するための兵器。


 魂である霊格を魔術的な力で半分引き剥がすことで無理矢理隙間を作り、いずれ行われる神殺しを簒奪して因子を持つたちと同じ神格持ちを生み出す。


 最高峰の特殊才能に、実戦における戦闘訓練。夜霧新以外の因子を持つ者たちが集まらないという最悪の状況を想定して開発された決戦兵器。


 常に魂の半分が存在しないが故に起こる意識の乖離を投薬で繋ぎ留めながら、今の今も夜霧の傀儡として生きることを宿命づけられた少女。


 それが鈴香赤音。道化の仮面を被る炎熱姫。


 もし今日と言う日を乗り越えても、彼女には明日はないのだ。


 そんな二人の元へもう一人がやってくる。


 きちんと建物の内部から階段を昇ってやってきた、葉だった。


「さてさて、君はきちんと覚悟を固めてきたかな?」


「んなもん知らねえよ。ただ……負けられねえ理由ができただけだ」


「よろしい。それでこそ、人間だ」


 偽りの笑みに喜悦の色が滲み出す。


(颯真くんとフィアブラッドムーンはどうしたのかねえ)


 二人とも、葉と同じく負けられない理由がある。


 可能な限り、本物の神に届く者たちを集めた。


 ティラスメニアと言う世界を見て、そこで広がるもっと大きな事柄も知った。その上で、この世界を救うために戦い続けた。


 それもようやく、終わる。


「じゃあ、概要について話そうか。敵の力を知らないままだと戦えないだろ?」


「ああ」


「概念体は司る概念の力を使役するんだ。過去、今、未来を司る〈時〉は、過去に起きたこと、今起きたこと、未来に起きたことに干渉できる」


「は!?」


 葉が素っ頓狂な声を上げた。


「お前、それでどうやって勝つんだよ!!」


「そこで概念体の因子を宿す僕たちさ。〈時〉が視る時間に同格の僕たちは映らない。じゃなかったら『撃ちぬかなければ』なんて文言がファティマに書かれないし、一番初めに出てきた〈時〉を概念体が封じることもできないだろ」


「そういうもんなのか……?」


「そういうものなのさ。何せ本物の神様方は時なんて関係ない次元で生きているからね」


 まるで見てきたように――見てきたからこそ断言できた。


「じゃあ、その敵はどうやってオレらのことを見つけ出すんだ?」


「外堀からどんどん固めていくんだよ。そういて産まれる空白に、僕らはいる。時間があるって言ったのは、そのためのものさ」


 そして。


 新の背の向こうで〈塔〉が瓦解した。


「バベルの塔は崩れ落ちるってね」


 大仰に腕を広げて、新はうそぶく。


「じゃあ、始めようか。誰にも知られることのない世界を救うための戦いを」


 最後の大詰めで最善の状況でなくなったのは痛かったが、想定の内だった。


 道化師が欄干を飛び越え、熱にて空気を断続的かつ一気に膨張させることで飛ぶように向かっていく。


 葉も欄干に手をかける。視界の端に映る男は、動く気配がない。


「てめえは行かねえのか」


「僕の力は遠距離からのものでね。ここから隙でも窺っておくよ」


 そうかい、と口にし足場を蹴りつけた。


 弾丸のような速度で一直線に進み、先に向かっていた道化師と共に降り立つ。


 それは、そこに降臨していた。


 外壁も〈塔〉も見る影もなく全て瓦礫となっていた。


 残骸は円形に散っている。


 そして、その中央。


 少女の姿をしていた。二つくくりの髪は赤、青、黄に流動し、全てを見透かす水晶の瞳で下界を睥睨する。


 中空で浮いた少女は、小さく口を開いた。


「繰り返されようと時の流れは残酷だ。ニンゲンは決められた定めを変えられない。だから、終わりの審判だ。お前らは確定した〈時〉を撃ち破り、己が手で運命を切り開くことはできるか?」


「ああ、やってやるよ」


 道化師が炎の剣を右手に生み出す。葉は足下に拒絶の力を這わせた。


 人類の未来をかけた戦いが静かに始まる。








 膨張した空気が爆発となって道化師の身体を押し上げる。炎剣の煌きが〈時〉に襲い掛かった。


 行く手を阻む黒の瓦礫。それは、〈塔〉の一部。過ぎ去った事柄を弄り、今そこに落ちている途中だと改変したのだ。


 斬り落とす。開いた左手を上げて渦巻く炎を向かわせる。


 だがそれは、触れる前に消え去った。それもそのはず、〈時〉の周りだけいつか訪れる無酸素の状況が未来から引っ張ってこられているのだ。火は酸素がないと燃えない。


 下方からロケットのように突撃する葉が、爪を立てた右手で掻き毟る。


 過去に戻る砂礫を元素の海に消し去り、〈時〉に向けて右手を打ち出した。


 解ける二酸化炭素にまみれた未来。しかし、それだけ。


 定められた時を拒絶する手は、横へするりと躱された。


「お前のことは、知っているぞ」


 耳元でささやきの声。振り払いの動作で〈時〉に追撃。


 その時、ある異変を葉は覚えた。腕を振り切りつつ、感触がないことだけを頼りに躱されたのだと判断する。


 視覚の外側が黒く染まっていた。視野の狭窄が起きている。


(こいつ……オレたちには干渉できねえはずじゃ)


 そう、新は言っていた。


 言っていただけだが、その過程を崩してしまえば勝ちの目はなくなる。


(くそ! 考えろ!!)


 〈時〉による瓦礫の過去への巻き戻しが視界の外から襲い掛かる。


 その全ては衝撃となる前に拒絶されるが、依然として状況は変わらない。


 機を窺っていた道化師が推進力のままに逆袈裟で〈時〉へ斬り上げる。


 ゆるり、とまたしても躱しながら〈時〉は過去へ干渉し今に書き換える攻撃を続ける。


 焔の乱撃。炎剣が文字通り縦横無尽の軌跡を描き〈時〉を押し込んでいく。


 開いた左手を背後、思考する脳が胡乱となってきた葉へ向け、炎を吐き出した。


 葉を鮮やかな炎が包む。彼へ触れるものはすべからず消えていく。と同時に体内を侵される感覚も止まった。


 赤のカーテンを引き裂き、進む。


 症状は緩和せず、体は鉛のように重い。


 原因は、先程の道化師による炎でわかった。


 酸素中毒。超高分圧の酸素を吸わされたのだ。


 仕組みが看破された以上、もう炎を操る道化師がいる状況で酸素による攻撃は使ってこないだろうが、多く削られた。


 再設定を行い、体内の酸素を全て拒絶しきった上で中毒症状を消し去る。


 道化師の剣戟は全て躱されていた。


 余裕すらあるらしく、口が言葉を発する。


「時に映らぬ者たちを知ることはできない。だが、お前らが戦ってきたニンゲンの傷を視ることはできる。そこから癖を見抜くのは容易きことだ」


 過去の現象が今へ置換され、瓦礫の雨が降り注ぐ。


 道化師が左手を頭上へ。不可視の熱を放出し、空気を膨張させて弾き飛ばす。


 葉は彼女の脇を抜け、回し蹴りを放つ。


 後ろへ下がって躱される。


 葉はそのまま旋廻。入れ替わりで踊るように回転した道化師が切り払いをかけた。


 またしても後方へ避ける。その身体が横一文字に焼き切られた。


 不可視の炎による間合いの引き伸ばし。


 切り分けられた身体は消滅し、新たな〈時〉が上空に現れる。


 神々に身体の存在は意味をなさない。その本体は魂でしかなく、それを削り取らなければどのような派手な一撃も必死にはならない。


 君臨した〈時〉は、右手を構えた。


「さあ、滅びの顕現だ。撃ち抜くことはできるか、ニンゲン」


 その手には、灼熱の球体。


 その正体は、いずれ迎える滅びの未来の一つを縮図として顕現させたもの。つまり、太陽の爆発。


 葉もまた、上空へ手を伸ばした。拒絶の放射。


 放たれた二つの力はお互いを食らいあい――拒絶を成す。


 しかしその奥、天を覆うほどの巨大な岩の塊が待ち受けていた。


 巨大な隕石の衝突。


 さらに、身体に激痛が走った。道化師も苦悶で身を固めていた。


 人類が自然界に踏み込み過ぎたが故の、未知の病原体。


「私が隕石を」


 道化師が行く。ただの時間稼ぎ。


 葉は正体を知らぬままに自らの体内にある異物を型とし、辺りに漂うウイルスに拒絶の照準を合わせた。


 消し去る。未来から今へ持ち込まれた滅びの二つは現代から霧散する。


 続いて、炎剣で押し込もうと応戦する道化師の方へ照準を合わせ、


「……!」


 そこで葉は、脳領域空間に限界が来たのを感じた。


 常時拒絶を削り、酸素中毒の症状で脳の機能を落とさせた。今日一日で使った拒絶の力は、今までにない回数だった。


 あれ程の物質を、たかが人の腕力で撃ち破ることはできない。


 隕石がひとりでに割れ始める。罅は巡り、やがて拳大の欠片となって地上に降りかかった。


 地上を穿つ雨。道化師や葉を飲み込んで降り注ぐ。


 轟音と共に砂煙が舞う。


 晴れればそこには、静寂が生まれていた。


 潰れ、自らが作った血だまりに溺れる二人の人間を見下ろし、〈時〉は終わりを知る。


「この結果は必然だ。滅びは確定しているのだからな」


 他にも二人か見れない人物がいるが、向こうに見える屋上から動かない。


 ならば、終末を始めよう。


 先程のような縮図ではなく、〈時〉は今を書き換える。その時だった。


 動きが水晶の瞳に反射した。


 始めは赤い揺らめき。炎が道化師を舐め回し、再生を促していた。


 左手からも炎は這い、葉の身体を包んだ。


 焔をまといながら炎剣を支えに立つ道化師、否、道化の面を失い冷たい相貌を露わにした赤音。


 葉もまた、拳を地面に打ち付けて立ち上がろうとしていた。


「ぐだぐだご高説垂れてるんじゃねえよ!」


 葉は天に向かって吼え猛る。


「こっちには負けられねえ理由があるんだよ!!」


 瞬間、鴉が鳴いた。


 響くは終末の歌。


 何処から現れた三本足の烏が葉を食らおうかという勢いで迫りくる。それを彼は、自らの手で掴み取った。


 終末を覆すため、己が意思の証明を刻むために。


 背から伸びる十二枚の黒翼。鴉の面が噛みつき、濡れ羽色の首輪から伸びる半ばまでの鎖がじゃらんと音を作る。


 初めて、意識があった。


 異常もあった。


 体内で、蠢く力の流れを感じたのだ。


 決してそれは外向きの力ではなく。


 都合よく発現してくれたからには、代償が伴うらしい。


「いいぜ、持ってけよ」


 即断だった。力が伸びて、脳に触れる。


 葉の中にわずかながら存在する明るい記憶の一部が墨汁を振りかけたように黒く黒く黒く染まっていく。


 そして浮き出てくる、絶望にまみれた記憶。


 まるでその力は、葉が殺してきた死者の怨恨に思えた。


(構わねえ)


 心を蝕まれながら、戦う理由が霞んでいきながらそれでも葉は立ち上がる。


「こちとらまともな幸せなんか望んでねえんだよ。ただなあ、あいつはオレを人間だって言ったんだ。だったら人間の意地見せなきゃなんねえだろうがぁぁぁ!!」


 拒絶をするな。受け入れろ。


 彼女は受け入れてくれたんだ。


 いずれ自分からその手を取るために。


 『今』で終わらせるわけにはいかない。


 叫びに呼応するように、葉を縛っていた首輪が破砕する。


 〈時〉は終末への書き換えを中断した。


「いいだろう。裁定を再開しようか。見せてみろ、ニンゲンの可能性を」


 絡みつくような『今』への停滞は撃ち破られ、状況は『未来』へ向かい加速していく。


 そんな中で三人は、一つの足音を聞いた。


「てめえ……」


 音の主を見やった葉が、呆然と呟く。


 とある少年が戦場に間に合ったのだ。


 紅い双眼が、戦場を照らし出した。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 時は巻き戻る。


 静かな戦闘だった。だが、水の中に水あめが沈殿していくような緩やかな歪みも感じられる。


 遠くから窺う新は、背後に足音を聞いた。


「戻ってくるって……そういう意味かい」


 苦笑する。あくまでわざとだ。


 そういう覚悟があったのは、あの時点で察していた。


 月を見れば、その顛末もわかる。


 新はそちらへ向き直った。


 久澄碎斗が佇んでいる。固まり始めたような血を思わせる紅の瞳。


 屋上――昼夜の違いはあれど、こちらもまたあの日の焼き増しだった。


「盤上へいきなり出てきてクイーンになるなんて、荒唐無稽もいいところだ」


「何もかもがお前の思い描く通りにならねえってことだよ」


「そうかもしれないね……それでも僕が思い描く盤上の光景は揺るがない。で、何しにきたんだ?」


 いつものへらへらとした物言いとは一線を画した真剣さが宿った言葉だった。


「……知ったから来た」


「フィアブラッドムーンを、始まり(アルファ)の因子を宿した彼女を食らったか……存在を、魂を食らったのか」


「ああ」


「力は、どこまで戻ったんだい? 月光の影響はあまり受けていないみたいだけど」


「……夏休みの頃よりは格段に落ちている。それでも、今までよりは……人間からは大きく外れたと思う」


「わざわざ日光を浴びて調節してたみたいだしね。それくらいが妥当か……いやはや、彼女は本当に優しいね」


 君に優しすぎる、と付け加えて、新は久澄に冷笑を向けた。


「それで、世界を救うために小数を切り捨ててきた僕に賛同できたか?」


「……確かにあんたは正しいよ。いつだって正しかった。それが正義で、それが優しさなんだ」


 そうだ。彼はいつだって正しい。


「それでも、俺はお前を許さない。絶対にだ」


 新が切り捨ててきたものの中に、久澄が守りたい人がいた。


 だから、二人は相容れない。


「だが僕と共にこの世界を救う。それが矛盾していることにはわかっているよね」


「お前は英雄だし、俺は英雄にはなれない。正義を綺麗事の偽善だといって小石を投げつけるような偽物なんだ……お前が正しくて、俺が間違ってるんだ。それでも、間違っているなりに貫き通したい意地がある」


 それが久澄の答えだった。


 新は楽しそうに顔を歪めた。


「いいね、それ。今の君だったら、参戦させる価値がある」


 新は久澄の左手を指差した。


「〈死〉の概念体が司る概念すら殺す力。それはあれに届きうるだろ?」


「……知っているのか、これについて」


 驚愕の感情が掠める。左手の中に黒い球体を生み出し。生み出そうとして。


「ッ!?」


 はじけて消えた。


「おっと、拒絶反応か」


「拒絶、反応……」


「あと何発残っているんだい?」


「一発ある」


「じゃあさっきの拒絶反応の感覚を忘れずに、次はもっと繊細に扱うことだね。だって久澄碎斗はあくまで死を管理する器なんだからね」


「器。どういう意味だよ、それ」


「僕が知っているのは、あくまで聞いた話だからね。もし多くの真実を知りたいのなら、もう一度ティラスメニアに行くことだ」


 ティラスメニア、と久澄は思案する。


 あの世界はなんなのだ、と。


 なにがあるのか、と。


「……まずは、目の前のあれを片付けてからだ。誘神と酸漿の分、きちんと終わらせねえと」


 新の脇を抜けて欄干を飛び越え落ちていく。膝を折って着地。そのまま駆け出す。


 それを見下ろした新は、声のトーンを落として囁いた。


「……命ちゃんは、生きてるんじゃないかな。それに……」


 その先は口にせず。


 夜霧新もまた、ビルの屋上を後にする。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 そして戦場に、久澄碎斗は現れた。


 或いは、新なる敵の存在。或いは、転機を生み出した人物。或いは、その赤き瞳の内に。


 それぞれがそれぞれの思いを抱えて戦場は停止した。


 彼にも多く、認識を超えた点がある。


 それでも――敵の正体を知った瞬間から久澄の心に沸き立つ感情があった。


 ただ一点。〈時〉を司る彼女に向けて少年は叫んだ。


「あんまり人間舐めんじゃねえぞ、神様! 俺たちは一歩先の未来を掴むために今を精いっぱい生きているんだ。それをあらかじめ決められているなんて、切り捨てて選んできた道を、歩み続ける苦悩を誰かのせいにするなんて、ふざけるんじゃねえぞ!!」


「〈時〉を司る神として問おう。ニンゲンの滅びが必定だったとしても、それでもお前らは未来を信じ続けられるのか?」


 睥睨するは、時の重みそのもの。世界の運命が、その牙を剥いていた。


 それでも三人は、その重圧から目を背けることをしなかった。


「ハッ、知らねえ奴のことなんざどうでもいいんだよ。それでもなあ、ここで終わっていいはずがねえんだ。ここで終わったら、オレがしたことがなかったことになっちまう。なかったことになんかしちゃいけねえし、最後まで抗ったから美しいなんて美談で片付けるつもりもねえ。何も始まってすらいねえのに、終わらせるわけにはいかねえだろうが!!」


 怨嗟の声に似た音を立てて黒翼が内へと引き絞られる。


「未来なんかどうでもいいわ。人類なんてもっとどうでもいい……それでも、私が誰かに決められているなんて言うのはまっぴらごめんよ」


 炎剣が赤の煌きを増す。


「――最後の裁定は終了した。ならばその言葉に真はあるか、見せてもらおうか」


 〈時〉はこの先の未来、人類史が存続している間に起こりうる終末を自らに当て嵌め形とした。


 〈時〉が知りたいのは、現象そのものを解決する能力ではなく、可能性だ。


 滅びはいずれ、なのだ。人間が乗り越える可能性を見せてくれれば、それを〈時〉は信じられる。


 たとえその道が地獄のようであろうと、その先に光を生み出せると。


 今この時に滅ぼすのが救済とはならないと。


 多くの天災は乗り越えた。ならば、最後の審判だ。


 終末の未来そのものに打ち勝つことができるのか。


 証明し続けろ。人間がいずれ来るであろう終末に抗える可能性があることを。


 ひときわ大きな炸裂音を立てて空間にひびが入った。隙間から覗くのは、底の見えぬ黒。


 蜘蛛の巣状に広がっていくひびは、その破片を剥がれ落としていく。月の姿が崩れ、世界を黒の深淵に染め上げる。


 今が、終わろうとしていた。


 三人は動き出す。


 空を駆ける赤音による肩口へ落とす斬りかかり。間合いが目に見えないため、必然的に横へと避ける。


 そこには、赤音を囲って張られた黒い羽の弾幕が。


 過去を今へと持ち込み、相打たせながら赤音の横払いを下に躱す。


 黒翼が内包する絶望に折れる、という概念が現象となって瓦礫を崩していき、砂が視界を覆う。真正面から空白。誰かが迫り来ている。


 咄嗟に上体を逸らした。


 黒翼の薙ぎ払いが先程まで胸があった場所を通る。


 下から打ち上げる久澄の拳は、躱しきれなかった。


 炎剣の斬り落としにより、身体を両断され、神格に傷が入る。


 だが、まだだ。まだ彼らは終末の未来を否定しきれていない。


 上空に現れた〈時〉は、力を型に押し込み、受肉させる。生まれるは剣の雨。


 対するは絶望を司り、全てを折るという概念を抱えた羽。


 翼を振るい、応戦。無数の相打ちに足を奪われる。


 隙間を縫い攻め入る赤音。正面に二刀の鎧騎士が生まれる。


 左手にも炎剣を生み、剣戟を打ち鳴らす。


 剣の折れる音は涼やかな音色となり、剣戟は静かながら熱を帯びる。


 赤音は左手の炎剣で敵の二撃を払うとともに熱を生み出して鎧の胸部分を溶かした。懐に滑り込み、右の一刀を刺し込む。


 抱え込む形で背後から肩甲骨へ貫き刺さる鎧騎士の攻撃を無視して、捩じり入れる。


 そのまま発火。体内から焼き尽くす。


 焦げ付く臭いを残して力は霧散した。


 久澄の前にもまた、脅威が現れていた。幻想生物であり、最強の一角に君臨する龍。地に噛みつく四本の脚は編まれた鎖のような筋肉で構成されている。


 軽く払われた前脚で久澄を押し潰す。


 ミンチとなった久澄は瞬時に再生をして前へ進んでいた。


 吹き飛ばされるような大きなもの以外は気にしない。どうせ再生するから。


 着実に迫り来る小蝿に業を煮やし、龍は大きく前脚を振るった。鈍い風切り音は空気を押し、後退した久澄の肺腑を絞り上げた。


 龍の喉が大きく膨れ、口腔に光が生まれる。砲口ブレスだ。


 吐き出される破壊の一条。悉くを蒸発させる熱が迫り来る。


 久澄は怯むことなくその下をくぐるように身を屈め、前へ飛び出した。


 砲口は後方に着弾し、ドーム状に爆発を広げる。吹き荒れる熱風が彼を加速させ、巨大な龍の足元に着地する。


 例え龍が相手であろうと、知能を持たない贋作であるのならば問題はない。三ヶ月間ひたすらに理性のある(、、、、、)本物の龍と戦い続けた経験は伊達ではない。


 待ち構えていたかのように前蹴りが繰り出され、どてっぱらを貫いた。


 せり上がる血に咳き込み、それでも久澄はただのまやかしでしかないと牙を剥く。


「本物はもっとえげつなかったぞ」


 食らいついた。絶対搾取により龍の姿が薄れていく。


 腹は満たされない。


 本来は今に存在しない力だ。


 上空で炎が躍った。〈時〉と赤音を囲んでいる。


 炎剣が右から左へ振り落される。


 だが、生み出される無酸素状態。炎が鎮火した。


 赤音は動きを止めることなく、身体を捻って右足で蹴り抜いた。


 押し込まれた先で〈時〉は、焼き付く感覚を得た。


 酸素がなくなろうとも、熱は存在する。


 揺らめきすら見せず、炎熱姫は〈時〉を炙り焦がす。


 落ちていく赤音の瞳は、下を見渡せた。久澄に向かって左手を構える。


 〈時〉による力の供給がなくなり、剣の雨は止んだ。


 葉は黒翼で羽ばたき、熱に喘ぐ〈時〉の元へ向かう。


 そして、翼の面の部分で上空に打ち飛ばした。


 熱の牢獄から解き放たれた。


 その行き先には、


「正しさなんて今にも、過去にもないんだ。あるのはただ確定した事実だけ。だから未来を信じようって人間は言うんだ」


 突如飛来する声は、神殺しの槍と共に。


 神の子の死を確定させた五番目の聖痕と神を殺す魔王おわりの力が混じり合った、禍々しき聖槍。


 その切っ先が水晶の瞳に近づいていく。


 だが、しかし。


 不意を突いたはずの槍は、〈時〉自身に過去から今に改変した瓦礫をぶつけることで躱された。


 先程まで葉がいた場所に佇む新に向け言葉を作る。


「お前がいるということは、知ってる」


「そうだね。それは僕も知っている」


 だから。


「それがお前らの可能性か。万策は尽きたな。ならば終わりだよ、ニンゲン。お前らの志は、確定事象の未来を撃ち抜けない。さあ、未来は今途絶えた。過去を反芻しろ。後悔の渦に呑まれながら消え失せ――」


「――勝手に終わってるんじゃねえぞ、未来」


 遮る声は、〈時〉の背後。それの視る世界に映らない空白。


 左手を向けていた。


 手の平の中には、黒の球体。


「お、前……」


 想定していなかった。


 少年が宿す因子は始まりであり。


 いつの世も器は仮の器でしかなく、〈死〉の本来の器はすでに目を覚ましている。


 それなのに——だからこそ。


「ク、ヅミサイトぉぉぉぉ」


 確定した未来を撃ち抜くため、真っ直ぐに。


 放たれた球体の力は、〈時〉の神格そのものを強制的に殺し尽くす。


 死に行くことに感慨は生まれず、黒く染まる意識の漂流の中。


 その刹那だった。


 それは確かに聞いた。


「チェックメイト」


 幾重にも張り巡らされた姦計は、四百年もの歳月を経て編まれた罠の糸。


 最後の最後で不確定要素すら味方につけた。


 これが人間の可能性。


 何千何万にも及ぶ滅びの運命の中で、ただの一度(、、、、、)もそれを受け入れなかったものたちが掴み取った、一つの勝利。


 いずれ繰り返されてしまうかもしれないが。


 今はただ、この滅びを受け入れよう。


「……そう、か……ならば、人間(、、)の矜持を、貫き通してみろ」


 〈時〉の姿が霧散して消える。


 入れ替わるように、月の光が滅びゆく定めであった黒の世界に差し込んだ。


 そして地球せかいは救われ。


 未来は人間の手に委ねられた。

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