約束を守る槍と叶える剣
サン・ピエトロ大聖堂地下。
炎の揺らめきが二つの影を浮き彫りにする。
ローマ教皇を一太刀の元に葬り去ったその懐刀は、手首に仕込んだ機構で糸を巻き取る。先端で重しとなっている鋼がかちりと嵌った。
颯真が手首を振るう動きで指先に釘を挟んだのを見て、関心の声を上げた。
「改めて見ると、よくそこまでその魔眼を使いこなしたものだ。物質創造の魔法か」
左目の魔滅眼は、魔法や魔術の構造を読み解く。読み解く、と言うことは彼の中で構成が知識として刻み込まれるということだ。
魔法を視たことがあるという証左。新と二人でティラスメニアに訪れていたのは、〈夜〉が向こうにいた時期と重なっており、逐一同行は追っていたため認識もしている。
「お褒めに預かり光栄です」
颯真はどぶ溜まりのような瞳を細めた。
「それにしてもわかりませんね。何故あなたがその男を殺したのかが」
「方向は違えど意味は同じだ。ただの人間が気づくと、読み解かれてしまう。だから、お前もここに潜んでいたんだろう」
「確かに意味は同じようです。ならば、あなたには決められた未来を撃ち抜く気がないと言うことですか。新さんを焚き付けておきながら」
「あれはこの世界の人間が超えるべき試練だ。無理ならまた配役が変わり繰り返されるだけ」
ぼそり、と呟かれた言葉に炎の揺らめきが増す。二人の影が一瞬、大きく歪んだ。
「ただ、どうだろうな。今回は例に見ない好条件だ。もしかしたら、進めるかもしれん」
「つまり、あなたはこの戦いを傍観されているつもりなんですね。ならば、私達が敵対することもない。因子を宿し、この眼を発現させた身としては辞退するわけにもいかないので」
「いいや。ある」
腕の力を抜いて臨戦状態を解こうとしていた颯真に〈夜〉は差し込んだ。
「大局はお前ひとりの欠落程度ではなびかないほど盤石なものとなっている。役割は終わったんだよ。だから、その眼を返してもらおうか」
〈夜〉は自身の力で黒い靄を生み出し、その中へ黒の大剣をしまった。
身構える少年に肩を竦めて応じる。
「お前相手には一撃必殺より、使い捨ての乱撃の方が意味を持ちそうだからな」
引き戻された両手には重厚な諸刃の剣が握られていた。
「往くぞ」
腕を交差する動作で黒色の糸を射出し、颯真の足下に接地。行く手を塞ぐ。瞬間に、黒衣姿が靄に覆われ掻き消える。
背後、中空に現れた〈夜〉自身の肩上から斜めに斬り落される双剣は、脳を横に両断する軌道で迫った。
魔滅眼の魔力視覚で空間移動した〈夜〉の顕現を視た颯真は、右の肩口から振り返り万物事象を破壊する破滅眼で剣を含んだその存在そのものを視る。
能力の発露に従い霧散する剣。だが、〈夜〉本人は実像を捉えられず砕け散らない。あの黒の靄が、破滅眼の力を抑制している。
剣が壊されようと動作を止めない。黒い靄から片刃の剣が射出され、柄が握られる。一瞬毎ごとに壊しても、その繰り返しでただ刃だけが迫る。
異空間であるらしい靄のせいで糸の位置は変わらぬまま。後退すれば足首を切り落とされる。
「……ッ」
膝を折って一閃を躱し、返す刀が来る前に〈夜〉の下を転がり包囲網から抜けた。
だが、そこは袋小路。後ろには階段。
目の前の黒衣が翻り、投擲された剣を破滅眼で壊す。そのまま距離の概念も砕いて地上階の廊下に出た。
飾りの施された壁に等間隔で並ぶ柱。頭上からは白い光が降り、鏡面の如き床と反射し白の空間を作り上げている。
距離そのものを壊し意味のないものにできても、その制御ができない颯真の力では近距離を瞬間的に移動することしかできない。
そして〈夜〉には、同系の線を必要としない点と点の間を跳べる移動術がある。
「貴様のような暗きものが死すには、いささか明るすぎないか?」
「居心地の悪さは感じていますよ」
両の指の間に挟んだ八本の釘を投げつける。
現れた大剣にはじき返され、逆に脳をぶち抜かれた。だが、颯真にとって死は可逆的なものでしかない。
『四月一日』。世界に巡る根源の一片を視、万物事象を破壊し尽くす眼が到達した自然法則から外れた力。
世界の法則そのものを塗り替え、起こった事柄と逆の現実を生み出す、能力。
そもそもがなかったことになる以上、意識の断絶などはない。
「不毛だとは思いませんか。私は死なない」
「それは驕りだよ。傲慢。それを司るのは、君たちの陣営に囚われた烏くんだ」
それは、天津目葉の秘める力の出土を知るかのような――否、知っているのだろう。
ふと、何の前触れもなく〈夜〉は虚空を仰いだ。
「ああ、そうなるのか。上手くいった分、世界からそんな修正が来るのか。成る程、だから彼は魔術陣営と敵対し続けることを選んだのか」
「やはり、向こうからの化け物が来たと」
「ティラスメニアと地球は同時空間に重なって存在するからな。概念体の存在しなかった地獄はそのまま呑み込まれた。だから、本来収まっていた魔王の位に位置するあの鴉の力に当てられ接近現象がいくつもあった。地震なんかはその代表格だな」
遠い地の出来事を見つめる〈夜〉は、その化け物の正体を看破する。
「仮初の王直々の降臨か。大罪の一つを司る、暴食のベルゼブブ。多少荷は重い気がするが、あの化け物たちが揃えば修正は可能だろうな」
それらの台詞は、言葉のままの意味だけを内包していない。
天津目葉。彼が持つ神々の力の源流を示唆する。
導き出される天津目葉の力は、一つの神話をなぞる。新が帰結した答えと、同じであった。
「堕天使ルシファー。それが天津目葉が宿す因子の正体か」
「彼の予想通りだったかな? 唯一神話上に名を刻み込んだ概念体。『死骸漁り』の〈絶望〉。力の現出が偶然性で可能だったのは、神話体系があったからこそ人の身が受け入れやすかったからだろう。名が体を表すではないが、名があることで存在を確定することができるからな」
黒い靄から吐き出された剣を両の手に握り込む。
「そろそろ物語は収束する。だから終われ、魔王の眼保有者」
「終われないよ。僕は」
世界に巡る魔の源を身でろ過し、適切な出力とすることで物質を創造。魔の術を操る師の技ではなく、魔の法を使役する技を現界させる。
一本の槍が生まれる。左前にした半身で石突きの部分を右脇で挟み穂先は下げ、刃の腹は横に。
〈夜〉はあの移動術ではなく、自分の足で駆けだした。
剣より槍の間合いの方が広い。左足を踏み込み顔を狙って振り上げた。その際に両の剣は砕く。
〈夜〉は体軸をずらして迂回の動作で走り出す。制動させて穂先を横に、右足を軸に回転して横薙ぎにそれを追う。
だが逃げる動作の方が速く、颯真が後ろに回った時には既に〈夜〉は彼の背を視界に収めていた。背後へ肩越しから振るった上段の一槍はバックステップで距離をとられ空を切る。
正面に向き直って再び下段に構える。
〈夜〉は手を上から下へ垂直に振り、持っていた二本の剣を投擲。さらに片手に二本、計四本の小刀を指の間に挟み、戻す動作で打ち出した。
高さは颯真の視線と垂直。剣の後ろに左右で一本ずつ隠れ、もう一組の小刀は下に忍ばされていた。
魔眼は魔力で使役されるため、目そのものは出力媒体でしかない。だが颯真は、視る、ということで破壊と解析の力に制限をかけていた。
視えるものにしか魔眼の効果は及ぼせないということだ。
「……」
後ろへ跳びながら迫りくる二本の剣を破滅眼で砕く。同時に前で上げるのではなく、後ろの手で押すことで浮かせた槍の切っ先で下から並走してきた左の小刀を斜め軌道で打ち上げ、後から追従する刃と共に逸らした。腕を戻す動作に手首のスナップをかけ、右も同じようにして打ち落とす。
着地。そして槍を身体の前で円に回し、わざと速度を落として放たれていた糸を絡めとった。
「眼がいいな」
「見分けるためにここに出たのですしね」
〈夜〉は煩わしそうに手を軽く振った。それだけで柄が切断される。
巻き取りながら自分も走り出す。靄が主人の手に対の剣を添え、颯真の足元にも同じく二本。
異空間へ自分を消し、途中経過を無視して距離を埋める。正面から時間差で袈裟に斬りかかる二刀を破滅眼で砕く。だがそのまま振り切られた手が足下付近の柄を握りしめ、下段から斬り返す。
視れば対処できる。だが、視覚が奪われてしまう。銀の残滓を見送った後には、〈夜〉の姿は正面にない。かろうじて魔滅眼が左手にその存在を感知する。
頭から順に向いていく。その過程で槍を手の中に創造し、剣戟を霧散させながら柄を引いた槍の振り下ろし。頭上に飛び超え躱す〈夜〉を追撃して弧を描く。左半身を引きながらの叩き落としは、しかし防御として取り出された刃と刃の交差点に挟み込まれる。
肘を伸ばして、突く。だが二つの剣に絡めとられて行く先をずらされる。
懐を晒した颯真へ骨底の蹴り。鉄板仕込みが胸骨を砕いて心臓を突き刺す。衝撃で槍を離してしまい、背後の大理石でできた壁に追突。
『四月一日』が発動し、損傷の事実を逆転させなかったことに。鉄杭を手の平に生み出して投げつけ時間を稼ぐ。
向こうが手数と小手先で攻めてくる以上、戦闘能力が通常のそれでしかない颯真ができるのは力技で押し切ること。視た糸の構成材質を模倣する。
それを槍と呼ぶのは、粗削りが過ぎるかもしれない。腕ほどの黒絶対鉱石の先端が削られただけの乱暴な武具。
切っ先を下にして右手に持ち、柄を脇から背中に通す。これが防がれればあとはじり貧だ。〈夜〉が何を狙っているのか颯真の知識では予想すら立てられないが、少なくとも彼には今まで見せた手札以上のものはない。
鉄杭をはたき落とした〈夜〉は、靄から黒剣を取り出した。材質上普通の武器では足止めにもならない。今度は剣までも靄で隠している。
人間か、それ以外のものなのか。何もわからない某。
分からないからこそ、一つだけ気になっていることがあった。
「あなたは、なんのために戦っているんですか」
〈夜〉は一瞬固まり、逡巡を見せた。
答えは別に期待していなかった。正体不明のそれに、理由があると知れただけでも問いかけた意味があった。
だが、なんの気まぐれか。声があった。
「……約束を、叶えるため」
「約束は守るものですよ」
反射的にそう返していた。無表情の仮面の向こうから息を呑む音が聞こえる。
「全く、誰のために戦っているのですかね」
嘆息しながら、破滅眼で距離の概念を壊し空間を跳躍。
完全に意識の隙をついて斬り上げた。
胸を反らし、回避される。左手で上から掴み、腕を外へ捻りながら顔へ突く。身体を捻り直撃は避けられたものの、ぴしり、と音を立てて破砕し、頬肉が抉られた面が現れる。
「さて、伝説の凶手のご尊顔を仰がせてもらいましょうか」
〈夜〉は外套から夜色の髪を振り下ろして目元を隠す。しかし、顔の作りは紛れもなく女性のものだった。
関係なく、その顔を潰すために横へ叩く。太い黒の柄が頬骨を砕く。
身体を相対するように捻じりながら横へ飛ぶことで掠めるだけに終わらせた女性。それを追って黒槍を左手で放った。
腰横の靄に右手を突っ込み、抜き放つ動作で黒剣で斜めに斬り上げた。
開いた身体へ両の指に挟んだ六の釘を撃つ。左手首の籠手で弾かれた。
後ずさりながら着地。衝撃を殺す膝をそのままに、右の腰横に両手握りの黒剣を構えた。
「そんなに視たいなら視てみろよ、私の姿を」
彼女を覆う黒い靄が、消失した。魔滅眼の読み込みを阻害していた粒子が、なくなる。
〈夜〉の実像が槍を創造しながら駆ける颯真の脳に映される。それは、今まで視た全てと異なり、複雑な構成をしていた。それにもっと深い。人間の認識領域を超えてるように思えた。
「人間じゃ、ないんですね」
「その眼の持ち主が操るものと一緒さ」
変声は仮面に仕掛けたものだったのか、女性の声だった。
左腕だけが振るわれる。そこから射出される糸が颯真の右目を撃ち抜いた。
「ガッ!」
足が止まる。右目が熱く、浮いた感覚がある。
思考ができるのなら、脳まで到達はしていない。
槍で糸を切り裂き、前へ。左手をぼろぼろにしながら残った糸を後ろから引き抜けば、すっと右目が元に戻る。
〈夜〉も駆けており、槍の間合いに踏み入る。
靄がないため、本人はともかく黒剣の実像ははっきりとしている。砕きながら、何の防護もない脳天に向け刺突。
だが、
「……ッ!?」
魔眼が、発動しない――
槍の軌道は振り上げられら剣にずらされ見当違いの場所へ。振りかぶった動作のまま眼前、懐に這入り込んだ〈夜〉は、呟いた。
「できれば使いたくなかったんだけど」
剣を降ろして横へと回り、眼球へ斜めに斬りつける。
「根源の寵児。その渾名の意味をよく考えるべきだったね」
剣速と角度は防御や回避を許さず、そのまま薙ぎ斬り眼球を両断。脳と顔面を分かつ。
死ねない呪いである『四月一日』も、発動しない。
「……押し付けるなよ、自分の死に所を」
残心をとり、息を吐き出す。
黒剣を握る右腕を振り上げる。重力のままに力を入れずに降ろし、それでもすとん、と首を刎ねる。頭のない顔を左手で掴み、再び生み出した靄へ突っ込む。
戻り引かれた手には、面が握られていた。
闇から出るは、夜色の化粧塗りが施され、目元に涙形を流しながらもケタケタと不気味に嗤う、魔女の仮面。
動揺を吐き出させられたのに表情無しと言うのも嫌味が過ぎる。それにこれからの物語に関わっていく以上、顔無しではいられない。
そっと嵌める。
血脂を拭った剣もしまい込んだ〈夜〉は、靄の中へ姿を消す。
彼女の行き先には、いつも闇が広がっていた。
――だからこれは、ある男の走馬灯だ。
「……わかった」
彼女は言った。揺れる眼差しでこちらを見ながら。
あの少年はきちんと覗いたことはあるのだろうか。瞳の奥底に存在する空っぽを。
「久澄碎斗と誘神命が近くにいる、か」
「なに」
「いや、なんでもないさ。それで、なんでその決断をしてくれたんですか」
「人が死ぬのは、寝覚めが悪いでしょう。それに、碎斗ならどうにかしてくれる」
「……」
笑い飛ばすべきなのだろうが、そうできなかった。ただ、納得があった。
「人間か……それはとても、いいです」
「だから、どういう意味?」
「いずれわかるかもしれません。わからないなら、それがいい」
両の眼を光らせ、少女に触れた。
「どちらにせよ、今から意識を失うあなたには関係ありませんよ。僕が死ぬまで、貴方にかけた『嘘』は破れない」
こうして、相馬颯真と誘神命の契約は成された。
倒れ込む少女をそっと地面に寝かせ、笑みと共に嘯いてみる。
「さあ、嘘を殺してくれるのは君かな、碎斗君?」
そうしてまた一つ、世界に大きな嘘が刻まれた。




