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ファクターズ  作者: 綾埼空
六話 『今』を『未来』に繋ぐための戦い
123/131

命を育む痛み


 過去語りといえど、新が葉たちにしたのは〈夜〉に聞かされた世界の核心部分についてだけだった。だが、それを思い出すには、どうしても二つの出会いが付随して思い起こされる。


 新を不老半不死に変え、夜霧としての骨子を形成した冷夢。


 歪なまま、生きることを消費しようとしていた新の方向性を定めた〈夜〉。


 冷夢は『人工魔術師製造計画』がとん挫したことをきっかけに、一番目(ファースト)の夜霧冷夢に全権を委託し、姿を消した。


 〈夜〉はあれ以来何の情報も入って来なかったが、二十数年前に突然ローマ教皇の懐刀として裏の歴史に姿を現した。その間どこで何をしていたか。ティラスメニアと言う世界にいたのは想像が着いた。しかし、彼の某の目的は依然として知れぬままだ。


 九月の上旬にこの街へ姿を見せたと颯真から報告を受けた。久澄を攫おうとしていたらしい。


(さて、悲恋の主人公は彼なのかな?)


 新が主人公を語るには、騙るには色々と歪だ。その歪を正してくれる他者がいたわけでもなく、自覚しながら直さなかったのもあり、その資格がないことを本人は自覚していた。


 何より、彼にはあれ以上に思い浮かぶ物語がない。


「おい」


 一息のつもりが思考の沼に嵌ってしまったらしく、痺れを切らした葉が声をかける。


「ああ、すまない」


 催促に応じて、新は続きを口にする。


「僕は今の夜霧を形作る骨格を組み立てながら、詳しい情報を調べた。流石に聞いただけだとどうにも信じられないからね」


 男は滔々と羅列していく。


「因子は死者から生者へ継がれる。それは生まれてくる子供だったり生きている人間だったりした。因子を宿すだけの『空き』が魂にある人間に宿るらしい。そして、その多くは自身に宿る力を自覚せずに死んでいく。自覚しても、概念体の力を振るえるものは稀だ。君の黒翼は希少なんだよ、葉君」


「オレの、力………」


 話の規模が大きすぎてついていけていないのが実状だった。ましてや葉は、まだチップの中の映像データを見ていない。


「『囚われの烏』。第二の魔王としても君臨した堕天使の力を恐れた神が施した封印だ。八咫烏(やたがらす)は知っているだろう?


「まあな……」


「八咫烏は太陽神に数えられることすらあるほど太陽と関連性が強い存在なんだ。神は、それを象徴として利用した。まあそれは、魔術より魔法寄りの考え方だね」


「魔法って何なんだ? 魔術とは違うのか?」


「残念ながら僕も詳しくは知らない。そういうものもあると認識だけしといてくれ」


 理解できない情報の連続に葉の眉が徐々に上がっていくが、気にもしていられない。


 時間は刻一刻と迫っている。


「封印の内容はいたって単純なものさ。光と闇。内包する概念の、闇の部分を塗りつぶして大天使だった頃の神聖な力だけにしようとした。だが、堕天していたために闇の概念の方が大きく膨れ上がっていたんだ。白かった烏の身体を黒く染め上げ、力はぐじゅぐじゅに混じり合ってしまった。光と闇は存在するから世界にこそ影響はなかったがね」


 新は指を立て、虚空へ回す。


「発現する力は、その現象をそのまま形にしたものとなった。ぐじゅぐじゅに、腐ったように見えるだろうけどただ色々なものを混ぜているだけだ。烏に囚われた力。それが今の君が内包するものの正体だよ」


「……分かんねえな。おい、夜霧新、こいつを再生でいる機材貸せ」


 葉はズボンのポケットからチップを取り出した。


「まだ見てないのかい? きちんと仕事しろよ、あの女。……そうだな、実際に見てもらった方がいい」


 言葉には色々な棘が含まれていた。珍しく渋面だ。


 立ち上がって、何やら壁を押す。すると天井からモニターが下りてきた。天上の一部分として設計されていたらしい。


「貸せ、セッティングする」


 言葉に従って放り投げる。受け取った新はモニターの側面についている金属部分にチップを差し込んだ。同時にスイッチを入れたようで、画面が光る。


 そこで、葉の横で動きがあった。


 今まで物言わず佇んでいた道化師が、出口に向かって歩き出したのだ。


 それを目の端に映した新がそちらを見ずに言葉を投げかける。


「どこへ行く」


「話は了解した。〈時〉を司る神とやらが世界を滅ぼすが、それとまともに戦えるのは私達だけと言うことなんだろ。戦うことに異論はない。だが、これ以上ここにいても時間の無駄なようだ。だから、その神様が攻めてくるまで私は私の自由を戴こう」


 道化師は部屋の向こうへ消えていく。


「それに、定時だ」


 扉が閉じ、その姿は見えなくなる。


 新は小さく嘆息した。


「たく、ボディーガードに定時とかないんだけど。冷夢さんが死んで、楔が解けたか」


 ぼやく言葉の色には、その内容とは裏腹に毒はなかった。どこか安心しているような、そんな声音。


 新が再び壁を押し、部屋に白い光が下りる。同時に、映像が流れ始めた。


 画面の中の映像は揺れていた。静まり返った街中を、鴉の鳴き声が侵す。地上からはマグマがふつふつと漏れだしていた。


 その中でも奇異な三本足の烏が葉を囲う。黒の螺旋はやがて風景に溶け込むように消え、中から一羽の烏となった人間が姿を現した。


 重なり合った六枚の黒翼が対となりはためく。首には濡れ羽色の首輪とそこから垂れる鎖が。顔には鴉を模した仮面が嵌っている。


『ガアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァ!!』


 泣き叫ぶ声は、絶望にまみれていた。


 白いオオグンカンドリの翼を用いて逃げようとしていた己世界の右腕を、羽の一片が撃ち抜く。肘から下が黒く染まって地面に落ちた。重力に従って落ちた死肉は地面で粒R、その肉片に鴉が群がる。


 瞬間、己世界の姿が消える。しかし、『囚われの烏』となった葉が彼がいた場所に翼を振るうと、斬り下ろした断面が空間が水あめみたく歪んだ。


『夜霧新ァ! あの野郎、俺様を切り捨てやがったな』


 喚き散らす声が中から。そこに正気は感じられない。


『ガアアアァァァァァァァァ!!』と再び葉が鳴いた。


「……ハッ。理性が残っているようには見えねえが、俺様への怒りはあるのかよ。……いいぜ、お前を殺せばあのクソ野郎に一泡吹かせられそうだしな」


 ギチギチ、と己世界の身体が軋み始めた。より先鋭的で空気抵抗のない丸みのあるフォルムに姿を変えた。水っぽい破裂音が断続して鳴り響き、吐血する。


 息も絶え絶えになりながら、口の周りに付いた血を手の甲で拭う。


『殺してやんよォ! 天津目葉!!』


 己世界の姿が消える。瞬き一つの間もなく、コマ落ちしたかのように己世界は地面に叩きつけられていた。本人も状況への理解が追い付いていないのか、素っ頓狂な呻き声が音声として残っていた。


 彼の視線の先には、彼自身が生やしていた翼がある。


 己世界を仕留めた烏は天上からくぐもった声を出した。


「いい様だな、己世界」


 ぼろぼろと葉を戒めていた全てが崩れ落ち、鴉と共にどこかへと消えていった。地面の揺れと溶岩の流出も止まる。


 翼が消えたことで重力に抗うことができずに落下する。拒絶の力で着地した。


『まさか……まさかお前、最初から理性を失っていなかったのか!?』


『違げえよ。これはもっと根本的な話だと思うぜ』


 葉は心底どうでもよさそうに吐き捨てた。


『テメエに殺す価値はねえんだよ、己世界』


 言葉の刃に切られたのか、ぷつりと己世界は気を失った。葉の視線はすでに、倒れ込む亜莉紗に向いていた。


 そこで映像は終わった。


 チップを取り出し、壁を押せば元の場所へ戻っていく。


「さて、こんなわけなんだが」


「……」


 信じられるか信じられないかで言えば、やはり信じられない。あの映像だって由麻静波が作ったのでは、という思いもある。


 だが、葉の欠けた記憶に上手く合致する。


「信じるしか、ねえんだろ」


「そうしてくれると助かる。どうやらまあ、暴走の条件も把握できているし」


 新は懐から携帯端末を取り出し、葉に見せた。


 文章データ。送り主は由麻静波となっていた。文面に目を通せば、『哀』の感情が伴った自身に対する怒りが一定の値を超えた時に発動する傾向がある。追記、拒絶の力は蓋ではない可能性がある、と記されていた。


「本来ならばもっと時間をかけて封印を解き、きちんと使えるようになってほしかったんだけどね。九苹果が動き始めたせいで計画を早めなくてはいけなくなった。ファティマで預預言されていた以上、感応して顕れるのは確定だったのに」


 ファティマ第三の預言の本文は、魔術について授業を受けていれば誰でも知ってる有名なものだ。葉も虫食いではあるが知っている。


「確かあれは、魔術界の衰退が預言されていたんじゃねえのかよ」


「そう解釈させるためにローマ教皇が動いただけだ。実際は神様から僕たち人間への挑戦状だよ。未来から過去へ送られた、黙示録の啓示」


 新は親指を立てて人差指を虚空に向けた。


「未来を撃ち抜け。器として作られた人間が、神々の呪縛から逃れるにはそれしかないんだ」


「……だから、あいつの命がかかってると言ったのか」


「そうだよ。本当は、全人類のだったけどね」


 手を降ろして肩を竦める。そして、葉を見据えた。


「どうする、天津目葉。僕らちっぽけな人間の反抗戦に乗るか、乗らないか」


 答えなど、決まっている。天津目葉が天津目葉と言う個人であるために、決して消えない罪過を背負うために。


 重々しい口調で、彼は言う。 


「やるさ。やるしか、ねえだろ」


「なら、夜まで自由にしているといい。なんなら亜莉紗ちゃんの所に戻るのもいいよ。もしかしたら、最後の挨拶になるかもしれないしね」


「〈傀儡児〉の奴もそうだけどよ、そんな悠長でいいのか?」


「〈時〉の神様は計っている最中だからね。今までの人類史を振り返り、滅ぼすかどうかを。そして、アレは絶対にここに来る。神格を持つが故に刻まれた歴史から読み込めない僕らが集まっているから。過去、今、未来に干渉できない故に消すことができない不確定要素を潰すため――或いは、未来を撃ち抜く最後の可能性である僕たちを計るために」


「……だったらよ、オレの力はある程度制御できた方がいいだろ。お前、どうやって封印だとかを解こうとしていた?」


「結局は気持ちの持ちようなんだ。力を自覚した以上、君がどうありたいかによって変わる。だって因子は、君の魂に宿っているからね」


 それに、と男は苦笑して続ける。


「たとえ概念体の力を使えなくとも、君の魂に因子が内包されている限りその一撃は神に届く。未来を拒絶されちゃあ、困るけどね」











 太陽は西への傾斜を強め空の光度が一段下がる。澄み渡った青は大地を照らすものの、刺し込むような熱気はない。うっすらと月の影が見えている以上は、もう少しで日が西の空を燃やして消え去る頃ということなのだろう。


 〈塔〉を囲う外壁を抜けた葉は、そんな空の様子を見上げて、特殊才能を使う。


 血に濡れた、〈拒絶〉の力を。


 大地に立つことを拒絶した葉は、途中途中で足裏の空気を拒絶して空を駆ける。目的地は三区の奥にある自宅。


 戦争の影響で人の姿がない。


 新の言葉にいまいち実感がわかないのも、その戦場を見ていないからだろう。人生で、魔術師と関わったことなどないから、超常的な現象があると知っても理解はできない。


「……」


 いや、と葉の脳裏に否定の言葉が浮かんだ。傲慢を打ち崩したあの少年は、きっと自分の認識の外で生きている人間だ。


 二度と会うことはないと思うし、その在り方に羨望を覚えたりなどもしない。


 四九九九人の人間を殺した事実を背負い、手の平に抱え込めるものが守り切れればそれでいい。


(そういえば、あの男はきちんと渡したのか?)


 その確認も兼ねて葉は向かっているのだが。勘案の間に辿り着く。


 閑静を通り越して空っぽの住宅街。


 降り立った葉が見たのは、夜霧冷夢の死体を胸の前で横向きに抱える不変を見つめる亜莉紗の姿だった。


「あの野郎」


 それは告げなくてもよい真実だ。前に駆け出そうと足を出した瞬間、横から前進を止める物体が差し出される。


 視界に入っていなかったが、葉の着地地点の真横、歪な家族の再会から少しばかり離れた場所に二人の少女がいた。家屋の陰に隠れて日の光から逃れる静波と冷淡目で成り行きを見守る絵里。


 静波の黒いアンブレラに行く手を阻まれ、本人を睨みつける。だが、彼女は意に介さない顔だった。


「成り行きを見守るべきですわ。貴方の意思は一方的なものでしかない。彼女個人を認めるならば、ここは介入しないべきですわ」


 舌を打ち、身を潜める。


「なんであいつは夜霧冷夢の死体をあいつに見せている」


「さあ、何故でしょうね。答えは聞いてませんが、憶測でなら語れますわよ」


「……言ってみろ」


「あの方はあの娘に騙すようなことをしたくないのだとわたくしは思いますわ。別段、貴方の隠し通すことが守るという考え方も間違ってはいないでしょう。だが、いつかは直面する問題がある。自分自身の行動理由をお忘れなわけはありませんよね」


 夜霧冷夢と会わせるという約束。それだけが自分と亜莉紗を結びつけるものだ。


 それはもう、叶わない。いつまでも伸ばし続けられるはずもなく、いつかはぼろが出る。その時には、隠していたことを糾弾されるだろう。


「録音機を渡す意思もあるみたいですから、貴方にとっては悪いことは何もない。問題として挙げるとしたら……あの娘の精神がどこまで持つか、と言うことだけですわね」


 内心で首肯しながら亜莉沙を注視する。


 彼女は葉が降り立った時に気付かないほど周りが見えていない。


 ただ不変の担ぐ冷夢を見つめているのは、きっと感情が追い付いていないからだ。泣き崩れることをせず、ただ呆けている姿は酷く痛ましい。


 不変の方に動きはないのも、そういう精神状態をかんがみてのことだ。


 時は刻まれていく。太陽は西へ最後の灯を燃やし、空は瑠璃色、月光が世界を支配し始める。


 そこでようやく、動きがあった。


 一筋。頬を伝う一筋の涙が西日を反射して輝く。


「そっか……お母さん、しんじゃったんだね」


 その言葉はどこかふわふわとし、現実の帯びていないものだった。


「そうだ、私たちが殺した」


「何で、ころしたの?」


「この女は、様々な悪意を振り撒いた。私たちは私たちが奪われたものを取り返し、大切者を奪われないために行動した。その結果だ」


「そう……」


 流れ落ちる雫を拭うこともせずに亜莉沙はぽつりとこぼす。


「お母さんはそこまで悪いことをやってたんだ。……結局、仲直りはできなかったな」


 その言葉に葉の心が痛んだ。ちくちくちくちく、と罪悪感という奴に刺され、血が滲む。人殺しを快楽とした事実に壊れた心から、腐った血があふれ出す。


 不変は亜莉沙を真っ直ぐ見据えたまま、言葉を返す。


「天津目葉は、最後までお前との約束を守ろうとしていたよ」


 葉は目を見開き、顔を歪めた。


 亜莉紗の姿が痛々しくて、不変の言葉に助けられている自分がみっともなくて、葉は前へ踏み出した。止めるものはない。


「もういいだろ」


「天津目葉」


 不変が振り返る。乾いた瞳をしていた。


 それでようやく、不変の意図を知る。


「お前もその女と変わらねえんだな。自分勝手で、破滅的で」


「何が言いたい」


「気付いてねえのかよ」


 わざわざ指摘するのも億劫だった。自分を悪役にして復讐による死を望んでいるなど。こっちにも様々な感情はある。なのに彼女は自分勝手な死を選んだ。もうこりごりだ。


 葉は男の横を抜け、亜莉紗の元へ。それを追って不変も体の向きを戻す。


 少女は少年の登場に驚きを表していた。悲しみを表す涙は、せき止められてしまったようだ。


「葉くん……」


「大丈夫か?」


「うん……ちょっとつらいかな」


「そうか」


 普通の反応で安堵を覚える。母を亡くした娘の反応。折れたり歪んだりはしていない。


 再び葉は不変を見据えた。


「お前、録音機は渡したのかよ」


 不変は冷夢を肩に担ぎ直し、懐から黒い長方形の塊を取り出した。


「確かに届けたぞ」と、葉に投げつける。そのまま身を反転させた。


 弾道は弧を描き葉の手の平に収まる。去り行こうとする背へ彼は言葉を投げかけた。


「逃げるなよ。殺したお前には、残された言葉を聞く義務がある」


 一歩踏み出していた足が止まる。男の希死念慮は、一番目の夜霧冷夢に対する全てが終わったからこそ来る虚脱感によるものだ。人生の目的を失った半不死は、復讐の螺旋を終わらせるべく自分の終わり方をそう定めた。


 だが、終わっていなければ。自分が死ぬことで潰えるはずの螺旋が再び芽生える可能性があれば、男の戦いはまだ終わっていない。


「聞こう。本当に終わる為に」


「ああ。……おい」


 視線の動きで自分が呼ばれたのだと知った亜莉沙は、赤く腫らした目で葉を見返す。眼前に録音機がかざされた。


「これは、そこの女が死ぬ前にお前宛で残したもんだ。再生ボタンは、お前が押せ」


「お母さんが……私に」


 差し出した手に置かれる。硬質で温かみのない、母親の手と同じ感触だった。


 迷う理由はなかった。心構えも必要ない。


 母親が死んだという弧とは、目の前の事実として認識させられた。感情も追いついた。悲しみだけではなく、憤りもある。


 それでも、自分へ向けて何かが残されているならそれを知りたかった。


 一息。瞑目して心を静め、瞳を開くとともに再生ボタンを押し込んだ。


『あーあーあー。起動は、しているね』


 誰もがもう聞くことはないと思っていた、夜霧冷夢の声が流れ始めた。


『さて、愛しき我が娘、亜莉紗。知人に頼んでお前の同居人である天津目葉にこの録音機は届けてもらっている。ワタシが死んだ時に渡すように、と条件をつけてな。そろそろ殺される頃だと思いこのメッセージを残す。誰に殺されたか。予想は最後にしよう』


 静寂の中で彼女の薄気味の悪い声は嫌に響く。死体の前で生前に残した言葉を聞くのは、何とも不思議で趣味の悪い事だった。


 亜莉沙を除いた、冷夢の悪意を知る誰も彼もが今まさに不変の肩に担がれた女が動き出しそうな錯覚に陥りながら次の言葉を聞く。


『まあ、簡単な話が遺言と言うことだ。ワタシの科学者としての一面を知るものが聞けばひっくり返りそうだな。ワタシがそんな感傷に流されたようなことをするなんて、と。だがまあ、お前だけには普通でしか居られないんだよ、亜莉紗。だからこれは、母親として娘に残したものだ。


 お前がどこまで知っているか、ワタシは知らない。新クンが教えたことは、知られたくはなかった。結局あの男は、お前をあの怪物にくっつけるために動いていた。残念ながらお前が家出した時点でワタシにはどうすることもできない状態だった。その日を狙って新クンは、天津目葉を退院させたんだからな。そのタイミングで帰宅ルート上にお前が来るように仕向けていた。部下の保護が間に合わず、彼の書いたシナリオ通りに二人は接点を持った。


 まあいい、仕方がない。そう割り切れなくなったのはいつからだったかね。だからこうやって未練がましく言葉を残しているのさ。さて、ようやく本題と言うところに入れそうだ。


 ワタシは遺伝子上の弟とまぐわった。知的好奇心を満たすためだ。散々だったよ。痛い痛い。身籠った後も大変だ。時期が経てば身体はだるく、気は重く、腹の内側から殴られ蹴られで大変だ。産む時は体が内側から裂けるかと思ったものだよ。だがまあ、産まれた瞬間に何かが抜ける感覚と、お前の泣き声で何かが満たされる感覚があってな。そういう痛みが、本来命を育むってことなんだと思ったよ。


 だからねえ、疲れちゃったんだよ。命を弄ぶ夜霧冷夢と言う在り方に。と言って、ワタシは夜霧冷夢を辞められない。残念ながら、ワタシは夜霧冷夢と言う型から抜け出せない人間だったんだよ。だから、演じることにした。残虐非道な夜霧冷夢を。夜霧亜莉沙の母親としてのワタシと、切り離した。


 一方で試験管で育てた子供を殺しながら、一方で自分の腹を痛めて産んだ子供を愛でる。なんとも酷い話さ。どうであれ、ワタシが非道であることは変わらない。


 だから、自分勝手だけれど、誰かに止めてもらうしかなかった。ようやくだよ。ようやく復讐の種が芽を出した。ワタシは自分の犯した罪過に殺される。その終わり方が、一番いい。


 誰が殺しに来るかは、大体予想がつく。〈犠牲児〉の渚ちゃん。ワタシが昔お姉さんを実験台にしようとした恨みがある萌衣。姉を人質に夜霧に縛っている飼い猫の猫屋計。魔術師の錠ヶ崎寧々も来るだろう。だけど、ワタシを殺すのは、きっと夜霧不変の奴だな。ワタシを殺すという行為で無垢な子供たちの魂が汚れるのを良しとしない男だからな。ワタシの死体を見せるために目の前にいる大男だよ、お前の父は。


 そろそろ長くなってきたから、最後の言葉としよう。結局言いたいのは、これだけだったんだがな。


 ワタシはお前の母親でいられてよかったと思っているよ。ワタシを夜霧冷夢以外の何者かにしてくれたことを、感謝している。不幸を振り撒いてきたワタシが言うのも違う気もするが、幸せになれよ。


 ……ああ、最期にお前の顔をもう一度だけ見れないのは心残りだな。新クンを呪っておこう。そのくらいの権利はあるだろう。亜莉紗が与えてくれた、この母親と言う立場からならね』


 言葉は、そこで終わった。


 重い静寂が降り注ぐ。


 葉が感じていた冷夢の変化は、それだった。母親になることで何かが変わる。そんなことはこの場にいる誰もがわからないことだが、確かに冷夢は変わっていたのだ。


「……結局は、似たもの同士、と言うことか」


 自嘲気味な笑みを浮かべて不変はそう呟いた。ようやく、気付いたらしい。


 葉の隣では亜莉沙が堰を切ったように涙をこぼしていた。子が生まれることで母親は生まれ、母親に育まれることで子は生まれる。そこにある絆は、少なくとも親を知らない葉には計り知れるものではない。


 彼は、夜霧冷夢に壊された側の子供だ。彼女を許すことはないだろう。それでも、夜霧冷夢の中に夜霧冷夢以外の何者かが存在していたことは認める。


 彼女は犯してきた罪は贖えるものではないが、先の言葉がただの逃げだと唾棄することはできなかった。


 夜霧冷夢と言う化け物の中で生まれ出ていた良心の最期を弔うために葉にできるのは、置き土産を形にすることだけだった。


「さて、後はお前次第だぜ、おとうさん?」


 お父さん。そう言ってやれば不変は忌々しそうに葉を見た。


 亜莉紗は夜霧不変が父親だと知っている。だからこそ、葉はその名前を呼ばなかったわけだが、冷夢があそこまで露骨に仕込んだ以上は拾うべきだと判断した。


「確かに私は父親なのかもしれない。だがな、今更なにがある。私は私の意思で離反し、この女を殺した。この母娘の間にあるものを埋められるはずもない。どうであれ、私と言う人間の存在をどう認証するかは、夜霧亜莉沙の裁量一つだ」


 全ては亜莉沙の意思一つと言うことだ。


 母を失ったばかりで、大きな選択が求められる。夜霧の姓を冠しようと一般人。あまりに酷なことだ。


 葉は横を窺う。


 夜霧亜莉沙は、もう泣いていなかった。


「もう……いいのか?」


「うん。最後の最後にお母さんはお母さんだって知れたから」


 涙の跡を拭って、少女は一つの答えを以て男に相対する。


「不変、さん。私は、あなたを父親だと思うことはできません。物心つく前から母と二人。それが当たり前でしたから」


「ならお前は、私をどう定義する」


「……きっと、あなたが望む答えは、母を殺した殺人鬼、と言うものなのでしょう」


 静かに、亜莉紗は不変の抱えた終わりを口にした。


「だけど、私は別にそんなことは思わない。あなたが言った私とお母さんの間にある関係性のように、あなたとお母さんの間にも何かしらの関係性があったはずだから。お母さんはあなたに殺されることを予想したんじゃなくて、願っていたんだ。罪過に殺される。あなたの存在こそがお母さんにとっては大きな罪の形だった。そして、私がこういう答えを出すのもわかっていたはず――」


 彼女は希望の偶像ではなく、夜霧亜莉沙として最も残酷な答えを提示する。


「生きて贖い続けろ。殺されることを望むくらいなら、生きてお母さんの幻影を背負い続けろ。夜霧冷夢としてのお母さんと私のお母さんである人を覚え続けていることを、私はあなたに求める」


 それは、夜霧冷夢に縛られながら生きるということだ。


 不変はそれを聞いて、歪に笑った。


「そうか、そう言う存在として私を見るか」


 燃え尽きていた瞳に意思が宿る。


「見続ける、か。それも、悪くはない」


 その答えは、彼の中で上手く嵌ったようだった。夜霧冷夢として失敗するように作られた男が、夜霧冷夢に復讐するために捧げた人生。目的を終え人生に意味を見いだせなくなった男は、もう一度夜霧冷夢に縛られることで意味を見出す。復讐鬼の、歪んだ終わり方。或いはもう、そういう風に生き始めていたからこそ納得が生まれたのかもしれない。


 医者と言う身分を使った目的への過程の中で、多くを見続けてきたから。


 不変は冷夢を担いだまま踵を返した。


「普通の葬式ができる身分でもない。墓の場所が決まったら追って連絡する」


 そう言って、不変は歩き出した。それを見て静波たちも立ち去る。


 こうして、夜霧冷夢にまつわる戦いは終わりを迎えた。


 後に残るのは、守られなかった約束だけ。


 葉の中で、覚悟は決まっていた。


「……オレは約束を守れなかった。だから、ここで」


「へ? いやだよ」


 深刻な顔で告げる葉へ、亜莉紗はあっけらかんと言いのけた。


「何言ってんだ、お前!? オレはお前を夜霧冷夢に会わせるためにお前といた。その約束がなくなれば、オレみたいな化け物がお前みたいな人間と一緒にいるわけにはいかねえだろ!!」


「と、言われましてもねえ」


 少女は困ったという表情で肩を竦めた。


「自分のことを化け物なんて言って蔑む人間を一人になんてできるものですか。多くの命を踏みにじったお母さんですら人間性はあった。なら、葉君にないわけがない」


 亜莉沙は踏み込んで顔を近づける。葉は一歩下がった。少年の意識が顔に行っている隙に彼の手を取った。


「ほら、拒絶できない」


 言われてしまい、葉は固まった。


 だってそれは、人間でありたいという心を諦めきれていないからで。


 夜霧亜莉沙と言う人間の眩しさに目を細める。


「だから人間だよ、葉君は。人間であることを認めるまで、離れてやらないんだから」


 宝石のような輝きを放つ瞳に射すくめられ、少年は完全なる敗北を察した。それは、あの時握られた手を拒絶できなかった時点で決まっていた。


 亜莉紗は手を離して、演技がかった動作で人差指を向けた。


「恋じゃないぜ。勘違いするなよ」


 そうおちゃらけた口調で言って、彼女は笑った。


 葉は苦笑することしかできない。


 ――そうして、ここでも一つの終わりを迎えた。


 月は爛々と、紅く光を放っていた。

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