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ファクターズ  作者: 綾埼空
六話 『今』を『未来』に繋ぐための戦い
122/131

夜霧新の終わりと始まり

 空が遠い。黒い髪をした青年がぼんやりと思っていたのは、そんなどうでもよいことだった。

 青々とした空に昇る黒い煙。様々なものが燃える異臭が充満し、吐き気を催す。だが、青年の霞んだ黒の瞳には一切の嫌悪がなく、ただ遠くを見つめていた。

 崩れ落ち炭化する木々の家。猛々と燃え盛る人間達。地獄絵図の中、青年も右の指先から胸までを食いちぎられ、倒れていた。

 鋭利な牙で抉られた痛みも、熱波によりあぶられる痛みも痺れを経て、消えた。

 迫りくる死の気配に抗う気力もなく、目に映る青空に思いを馳せていた。

 徐々に遠くなっていく空。落ちていく感覚は、命の乖離だ。

「ああ酷い。ああ酷いなぁ」

 喜悦が混じったそんな声が聞こえたのは、意識を手放そうとした瞬間だった。




 青年が目を覚ました時、空は黒く染まっていた。瞬き広がる星々と冷たい光を放つ満月が見えた。

「なにが……?」

 全ては夢だったのか。だとしたら、嫌に鮮明な触感があったものだと溜め息を吐く。

 右手(、、)を支えに上体を起こす。奥まった場所にある山村だ。月明かりをほのかな明かりとし、夜目を慣らすしか暗闇を見渡す術はない。

 徐々に瞳孔が開き、僅かな光も拾う。

 少しだけ視線を上げた遠くに瓦解した木の柱がある。驚きに目を見開き、飛び上がって駆け出す。すぐに足が何かに引っかかり、転んでしまった。冷たい硬さに鼻頭を打ち付けてしまった。

「いっ……なんだよ」

 ごそごそした感触だが、地面に転がる石や砂とは異なる。

 両手を付いて上体を浮かす。月明かりに照らされていて、その正体はすぐに知れた。

 焦げていたり、四肢が欠損していたりするが、それはかつて人だった肉塊

 あまりに遠くへ視線を走らせていたために認識していなかったが、そこでようやく自分が死体に並べられて寝かされていたのだと気付いた。

「ぅぁ」

 喉からは、絞り上げた畝き声が漏れた。悲鳴は出なかった。恐怖に筋肉が収縮し、そこまでの音が出ない。

 カチカチと歯が鳴る。口周りが痙攣して、青年は歪な笑みのような表情をしていた。

 夢ではなかった。目の前の事実が虚構への逃避を許さずに重くのしかかる。

 うなだれ震える青年の耳に、足音が聞こえた。

「ひっ」

「おお、成功者が一人……他にはいなさそうだな」

 その声は、意識を手放すその時に聞いたものだった。

 顔を上げ、その人物を視界に入れる。顔の半分を面で覆った白衣姿の女性だった。

「ふむ、三日待ってみたが、これ以上は望めまいな」

 女性はずかずかと死体を踏みながら、青年の元へ向かう。

 前まで来ると顔を寄せ、仮面のない右目でじっと見つめる。目を合わせるだけで怖気が走る冷酷な瞳をしており、青年は蛇に睨まれた蛙状態ながらも目を逸らした。

「青年、右半身のどこかに違和感はあるか?」

「い、いえ……」

「ふむ、分化の手順は完全だな。ただ、既に死に絶え一定時間が経った者への再生の構成はまだ理論立てが甘いか」

 周りを見渡し、女性はそう嘆息した。

 女性が青年へ左腕を伸ばす。分厚そうな物々しい手套が嵌められていた。裾から覗く腕は純白の包帯でぐるぐる巻きにされている。その手で青年の首根っこを掴むと、軽い動作で持ち上げた。

「え、ええ!?」

「驚くな。少々弄っている(、、、、、)最中なだけだ」

 それがどういう意味なのか、理解はできない。ただ、あまりに青年の常識の埒外のことが生きた人間により及ぼされ、恐怖の感情が奥底へ追いやられてしまった。

 女性は青年を持ちながら来た道を戻る。

 死体の大地を超えると、乱雑に青年を投げ落とす。

「何するんだよ!」

「煩い餓鬼だ。少しは節操と言うものはないのか」

 女性の言葉は淡々としていた。せいぜい羽音を鬱陶しいと感じている程度のものだ。

「何なんだよ、あんた」

「私に私と言う個人を確立することなど意味をなさない。個の語り口も、不確定上のものさ。人間の器で人間を超えるには人間を知るしかない。ならば、一の型に固定されることなど研究の妨げにしかならない。分かるか、青年?」

 全く理解できなかった。疑問符を顔に浮かべていたのか、

「それでも私と言う個人を認識するために名が必要だと思うなら、君が好きに名づけてくれ。私はその名で呼ばれることを許容しよう。これから長い付き合いだ」

「どういう意味だよ」

「人間の身体はな、情報が刻まれた二重螺旋と小さな部屋の塊でできている――わかるか。いや、解らないな。人間はもう少し、自分らと言う種に興味を持った方がいい」

 女性の冷たい瞳に濁ったた喜悦の色色が混じる。

「螺旋と部屋の分裂が永遠に続けば、人間は死ぬことはない。その論式の確立のための実験に、お前を使わせてもらった。喜べ、半分成功だったよ」

 疑問に答えられていない。思わず「は?」っと声が出た。

 しかし女性は、滔々と続ける。

「不死に関してはまだ治癒の続行性の部分が甘くてな。分化する細胞の働きを促進させ、四肢を作ったり、生やしたりすることはできるんだがな。面の破壊や連続性の破損、頭部、心筋の損壊のに追いつかない現状があってな……それでは半不死だ。だから、今のお前は不老半不死。それでも時の権力者が望んでも手に入らないものだぞ」

 老いることなく、大事がなければ死ぬこともない。その事実の認識した瞬間、体の芯から震えが来た。

死なない。死ねない。

青年は背後を見て、歯の根を震わせながら女性に向かって叫んだ。

「な、なにをしてくれたんだ!!」

「救ってやったんだ。何故悪態を吐く?」

 女性の言葉は、青年に先程のことを想起させる。

迫りくる化け物。瓦解する家屋に蹂躙される畑。そして食いちぎられ、、燃やされる人間。

痛みが青年の右胸に走る。あの恐怖を、もう一度、いやもう何度も繰り返さなければならないのか。

女性は少年の鬼気迫る様子を視て、ああ、と合点の行った様子でつまらなそうに冷笑する。

「〈生きた天災〉か。そう言えば、城下の街の方も大きな火事があったな。お上は生き残ったそうだが、城下はあまりに酷過ぎて、素体として使えそうな形を保ったものなど殆どなかったな」

 どうでもよさそうに呟かれ、青年は掴めない女性の正体に慄く。理解できないものは、怖い。

「不老不死なんて求めて、あなたは一体何がしたいんですか……?」

「勘違いするな。不老不死も、経過に過ぎない。私はただ知りたいんだよ、人間の可能性を」

 そう語る女性は、恐怖で身震いする狂気を笑みにしていた。

 青年はこれ以上の詮索を辞めることにした。理解を得ようとして実感した、隔絶した思考の違い。

すらり、と伸ばしてきた女性の左手が青年の頬に触れた。分厚い、皮の感触。

「ひっ」

「そう怯えてくれるな。これから長い付き合いなんだからな」

「ど、どういう意味なんだよ、それ」

「実験体の経過を見ることも研究の一環だ。これから、君に何と言われ続けようと、ついてきてもらうぞ」

 顔の横で、皮の手套が軋む。先程、その左手だけで持ち上げられたという事実が脳裏をかすめる。

「抵抗するならそれでいい。君は生半可なことでは死なない身体になったんだ。少し、痛みに関するデータでも採らせてもらうことにするよ」

 青年は恐怖に笑う膝から崩れ落ちた。




 快晴の空。があ、と大量の鴉が鳴き死肉をむさぼる。

滅びた山村であることもあいまり、いっそ風刺のような地獄絵図だった。

 一夜明け、青年はあれから一度も寝れなかった。夢であるという幻想も抱けず、現実に押しつぶされそうだった。

「やあ青年やあ青年」

 背後から、声。女性のものだ。反射的に身をすくませてしまい、起きていることがばれる。

「少しそこを退いてくれるかい」

 しぶしぶと、青年は立ち上がる。反論なく女性のいる位置まで逸れたのは、恐怖と睡眠不足で鈍った思考が彼をやけにさせていたからだ。

「そこでいい」

 静止の声に従う。ぼんやりとした眼で風景を見渡した。死体のすぐそばに身体を置いていたらしい。いっそ貪られる死肉の一員になっていたかった。

 そうだ、と思い出し服を捲る。失われた右手が生えたくらいだからと思ったが、生まれつきある脇腹の刺し傷に似た痕は残ったままだった。気にしたことはなかったのでいいのだが。

「よっこいしょ」

 そんな声を聞こえ、視線を戻す。女性の横に何か色付きの巨大な容器が見えた。長身痩躯な女性の半分はありそうな高さに、周囲は彼女が三人ほど入りそうだ。中には透明な液体が八分目まえ注がれていた。

 容器を左腕のみで軽々と傾け、中身を死体の群へ流した。さらさらと流れ、臥した人間だったものへ触れた。

 ぶくぶくと液体が泡立ち始め、とてつもない臭気が辺りに広がった。ツンと刺す臭いを混じらせた骨肉をどろどろに溶かす臭いは、排煙の中で漂う血生臭とは一線を画す、嗅覚を殺し胃を持ち上げるようなものであった。

 胃を押される感覚が青年を襲い、うずくまってぽたぽたと胃液をこぼす。二日間何も口にしていなかったのが逆に悪影響をもたらし、永遠に続く吐き気と戦わなければならなかった。

 焼けつく音に聴覚が慣れてくる時には、悪臭に嗅覚が麻痺していた。気怠さを引きずりつつも立ち上がる。

「何を……してるんだ!」

 荒れた息を正すことなく、青年は感情のままに言い切った

 女性はきょとん、と首を傾げた。

「ごみ掃除だが。ん? ああ、これは強アルカリと言ってな、人体を構成するたんぱく質を溶かすんだ。時間はかかるが、ほっといても溶けてなくなる。いらなくなったものは、きちんと処分しないとよくないだろ?」

 ごみ。何の感慨もなくそう言ってのけた女性。青年にとっては愛すべき隣人であり、家族もいた。価値観、或いは思考回路路の違いを突きつけられる。

 交わらない感覚に対して青年の中には諦観があった。あの化け物に殺されてから、生きる気力が失われてしまった。殺されるより前の自分を演じているだけで、本心ではなにも感じていない。そんな自分に気付いても、何も思えなかった。だから、この異常な女性の行動も、これから縛られて生きることも、諦められる。

 女性は義務的にやるべきだったことを終えた感で踵を返す。

「さて、そろそろこの村から出たいのだが」

「……好きにしてください」

大も小も燃やされ、彼が持つべきはその身一つだ。元々、一農家の長男である青年が旅先に携帯する手荷物など、持ってはいないのだが。

 ふらふらとした足取りで先導する女性の後を追う。

 狭い土地だ。村の出入り口まですぐにたどり着いた。

 そこで、面妖なる来客の存在を知る。

輪郭だけが彫られた顔なしの面をつけた、人間。人体の弱点部分を硬質の素材で防護したゆったりとした形の黒の外套で身を包んでいる。手を包む手套も、くるぶしより上まで伸びる深い靴も、真っ黒だった。煌々と光る太陽とは裏腹に、そこだけ夜をくり抜いたようだった。

「痕跡をたどれば……珍しい」

 仮面が青年を眇める。中背的な声で、性別は窺えない。

「ああ、なるほど。そういうことか」

 面妖なる人間は、何かに納得したような声を発した。

 青年は不気味さを覚えながらも彼の常識に則って(、、、、、、、、)来客に応じる。

「あの、このような山村に何のご用でしょうか?」

「痕跡を追ってきたんだよ。三日も経ち、君は生きていた。なら、そろそろ来るぞ」

「なにが――」

 来るのだろうか。その疑問は問う前に形を成して降りかかってきた。

 背後に巨大な落下音。地を揺らし木々を騒めかせる。

 たらり、と頬を伝う汗。振り返るまでもなくその正体は理解できた。

「火竜。現場の被害状況とも合致するな」

 赤く分厚い鱗が幾重に連なる肌。鋼を編み上げたが如く頑健かつ隆々な肢体は剣を思わせる鋭い爪を生やして大地を掴む。無数の古傷を誇示しながら泰然と構える体躯は剛健なるものの証。張る羽には鈍く光る棘が無数に飛び出ていた。

「ガァルルル!!」

 吠え猛る。槍の穂先でできたかの牙が覗く。爬虫類の縦に黒の線が入った眼が三人を捉える。

 尾を鞭のようにしならせ地面を叩くと同時に、竜が駆け出す。

 真っ直ぐと青年に向かっていた。彼は動けないでいた。死への忌避が薄くなっていても、殺されたという事実は身体が覚えている。ましてや、大きく開けられた口は彼の最後に感じた恐怖の象徴だ。

 口内は赤い肉でできていた。蜥蜴のように縦に長い顔のため、喉までが深い。

 そこに呑み込まれる自分を想像し、脱力した。死を、受け入れたのだ。

 だが、前方に黒い影が飛び出る。どこから取り出したのか巨大な鋼の剣を両手持ちに腰横に構え、そのまま竜の顎へ打ち上げる。死への門が閉ざされた。

 上体が浮くも、その反動として剣は砕け散る。

「地竜じゃないくせに硬いなッ!」

 そうぼやくのは、黒衣の人間だった。胸の辺りに漂う黒い靄に手を突っ込み引くと、先程砕けたのと同じ大剣が出てきた。

 それと同時に竜の前足が地面に接地する。土煙を巻き上げ翼をはためかせる。衝撃は脳まで届かなかったらしい。

「鬱陶しいな。そこの化け物女! お前の左腕を貸せ!!」

 右手を上空の竜へ振るいながら顔無しは叫ぶ。

 それだけで何かを承知したのか、青年の横で微笑をたたえていた女性が左足で飛び上がる。風になびき揺れた裾から包帯が覗く。

 翼を以て空気を掴んだ竜の頭上(、、)にまで飛び上がった女性は、左の手の平を握り込んで振り下ろす。弾けた花火のような胃の底に響く轟音が生まれ、飛行の勢いが死ぬ。それだけではなく、そのまま引っ張られて地面に落ち、臥した。陽光を反射しキラキラと光る糸が竜に巻き付いていた。

 頭蓋に直接衝撃を受け、流石の竜でも意識の明滅は起きているらしい。

 地面には、顔無しが黒い靄から取り出した様々な形状の剣が乱立していた。

「手数で押し切る!!」

 両手に細身の剣を取り駆け出す。だが、その瞬間を狙いすましたのか、竜がとてつもない勢いで立ち上がった。手首から射出した糸に引っ張られ浮き上がる。剣で切ろうと勢いは殺せず、顔無しは上空に。女性もまだ重力に従い落ちているだけだ。

 竜は打ち上げられてから閉ざしていた口を青年のいる向きに開く。その中には、灼熱の塊が。

砲口(ブレス)!?」

 焦りに満ちた声。上空に浮き上がっていた顔無しが靄と消える。

 火竜吐き出す砲口は、彼に記憶に深く焼き付いていた。轟々と燃え盛る家屋。焦げ付く隣人。それは大火の顕現によるものであった。

 夜を思わせる黒の靄が青年の前に現れる。重なり合う石の壁が生まれた。顔無しは今まさに竜の首筋に大剣の刃を突き立てようと腕を振り下ろしているところであった。

 砲口が放たれる。放射状に撒かれる豪火は、一条の線となって石の壁ごと青年の腹部を貫いた。

 針ほどの細い傷口からは、沁みる痛みから始まり、次の瞬間には爆発的な熱が全身を駆けずり回った。

「――!!」

 痛みが声にならない。圧倒的な喪失による空虚さもなく、ただ何もかもを燃やし尽くす熱が全身を犯す。それは死が伸ばす触手だ。

 波打って広がる熱。熱。熱。消えることのない痛みは、生きるているという証明であった。膨大な熱量が命を燃やして『今』を生きろと叫ぶ。

 横に、地上に降りた女性が寄る。

「何を苦しんでいるんだ? それくらいじゃあ、お前は死なないだろ」

 死なない。死ねない。なら、死にそうなこの痛みはなんだ?

 それを自覚した瞬間、青年の細胞は超速の分化で傷口を塞ぎ終えた。次第に熱も引く。

「ゴルアァァァァァァァァ!!」

 一方で、逆鱗に刃を突き立てられた竜は全身を捩り、尾を振り回して辺りを蹂躙する。

 顔無しはすぐさま竜の首筋から離れた。神経が集まる逆鱗に刺激を与えられた時、全身の鋼より鋭く堅牢な鱗が逆立つからだ。それは即ち、防護の膜に僅かながら隙間ができるということでもある。

「ただまあ、あれにはなかなか近づけないけどね……」

 激情した竜は所構わずに砲口を乱射する。先程の貫通性能を高めた線上のものではなく、一般的にみられる面状のものだ。

「知能は見られないけれど……さて」

 顔無しは背後に意識を向ける。すぐそこに気配があったからだ。

「どうなっているんだ? 致命傷なはずだけど」

 脂汗まみれ青年が幽鬼のように立っている。俯く彼に代わってとても嬉しそうに女性が答えた。

「彼は死なない。だってそう造り変えたのだから!」

「そう……やるのか」

 青年が一本の剣の柄を握り込んだ音を聞き、顔無しその意思を知る。

 顔無しも分厚い大剣を腰横に構える。

「隙は作る」

 顔無しが霞と消える。竜の背面にその残滓は現れた。

 尾が振るわれる。それを斜めに打ち上げて尾を弾き飛ばし、その反動で竜の身体に落ちる。肩に剣を腹を乗せ、そのまま鱗と鱗の隙間に突き刺した。

 内側の柔らかい肉にずぶずぶと剣の刃先がめり込んでいく。足運びで身体を正面に向け、さらに押し込んでいく。

「ガアアアアァァァァァァアアアア!!

 上体の仰け反らせ苦鳴を轟かせる竜。体躯を大きく振るって顔無しを振り下ろす。

 だが、すぐにその動きは止まった。

 空いた喉を青年が剣で深々と貫いたから。

 紅い鮮血を浴びながら呆ける青年の首根っこを顔無しが掴んで引く。握り込んだ剣が硬直し始めた肉に引っかかり、刃が中折れした。

 先程まで青年が立ち尽くしていた場所も巻き込んで竜がくずおれる。

 混濁した瞳には生命の色はない。流れ続ける紅色。

「何かを得るには、何かを切り捨てるしかない」

 そう顔無しが呟く。自身の行動の根源的理由を知り、青年は柄を手放した。

「……少しだけ、話をしないか?」

 血まみれのまま青年は頷いた。この人間は、全てを知っていると分かったっていたから。

 そのために、と視線を走らせれば、白衣の女性はこの某より竜に興味があるらしくその死骸を漁っていた。二人きりで話せる。

 顔無しは燃え上がった角材が崩れて積み上がった場所に腰かけた。

「まあ座れ」

 青年は地べたに尻をつけた。

 間を空けることなく、彼の方から口を開いた。

「あなたのことは何とお呼びすれば?」

「魔界の魔女。根源の寵児。悪夢(ナイトメア)。呼び名はいくつかあるがそうだな……〈夜〉とでも呼んでくれ。これが一番わたしを指し示すに私と言う存在を確立している」

「では〈夜〉、あれとあなたの関係性は何だ?」

「何故わたしたちを結びつける?」

「両者とも、見たことのない存在だったからだ。あれは生物として、あなたは使用していた化生の術を」

「わたしのは術ではないのだがな……まあいいさ。魔術についても避けては通れない存在だからな」

 が人差し指を立てる。その先に仄かな火が灯った。さらに、椅子代わりにしている木炭が見る見るうちに薄い黄色の乾いた木材に戻っていた。

 青年は目を剥いた。

「天災と事象改変。魔術はこの二つからなる、魔の法を形式化した術だ」

「魔術……そんなものが……」

 信じられないが、彼の眼にはしっかりと焼き付いている。

「〈生きた天災〉の暴虐に権力者たちだけは生き残れたと思う? それが、魔術師と言う存在の証明なんだ。この世界の裏側には、常識の埒外にいる人間が根付いているぞ」

 人差し指の火を木材に触れさせる。火は爆発的に燃え上がる炎に変質し、木が燃え上がる。だが、〈夜〉は身じろぎ一つすることなく猛火の中で悠然としていた。

 炎が生む光を仮面が反射し、てらてらと光る。陽炎が光と影を表し顔のようなものを作り出す。実に悪魔的に見えた。

「さて、次は君らがと呼ぶ存在について語ろう。青年、異世界論を信じるか? こことは別に、違った世界があるという、事実を、信じられるか?」

「ここまで色々と言われれば、信じるしかないですよ」

「話が早くて助かる。〈生きた天災〉、竜は、向こうの世界から来た生物だ」

「竜が当たり前にいる世界が存在する」

「ああ。ただし、今はない。ただ、既に過ぎ去った過去によりその世界ができるという未来は確約されている。その世界には、あらかじめ歴史が刻まれていることとなっている。ならば、過去となる今に繋がる」

 青年の脳内に疑問符が浮かぶ。だから、次の説明を待った。

「遠い未来だ。その時に、ある力の塊が、その世界に合った形で、顕現する。その余波は、周りの世界を混ぜ合わせ、現れた世界の一部分を持っていきティラスメニアと呼ばれることになる世界を形成する。嵐の中心は凪いでいるというのと一緒で、中心になれば被害は少ない」

 その補足で、漠然と掴めた。新たに創られることが確約された異世界はゼロから始まるのではなく、元々歴史があることとなって存在するのだ。過去にあったと未来で確約されているので、たとえ何も存在しなくても歴史は事実として刻まれる。順序が逆になっているのだ。

「そのティラスメニアと言う世界から、竜は何の目的で来たのですか? それに何匹来てるのかはわかっているのですか!」

「この世界に竜は一匹しか来てないよ。あれが特別種なだけで、今はそれどころじゃないからな。目的は単純だ。この世界を形成する概念の力を宿したものを殺すことで、王たる存在を復活させようとしているんだ。器が満たされたものか、同じ存在が殺さない限り力は継承されてしまうんだがな」

 〈夜〉の言葉を脳内で反芻し、ほっとする間もなく青年は気付く。

「さっき、あなたは僕が生きているからあれは来ると言った……」

「推察通りだ。お前は先の戦争で失われた〈終わり〉の概念を、所持している。〈終わり〉の因子を、お前の霊格は内包している」

 青年は自分の胸を押さえる。今まで十九年間生きてきた中で、一度たりとも特別なことはなかった。

「概念体の力を内包するものは、その魂にその因子を刻む。その力を使えるかはわからないが、宿したものの霊格は、神格へと位が上がる。人の身でありながら、神と同じ位置に立てるのだそれは即ち、神々に戦いを挑むことができるということだ。霊格は純粋な神格持ちに傷をつけることはできない。それは、作られた身であるが故に背負わされた原罪でもある」

「作られた存在……?」

「この地球と言う世界は、天と魔界を分ける蓋として生成された。そこを管理するための存在として人間は作られた」

 話の規模が大きくなりすぎて、ふわふわとした感覚に襲われる。脅威の理解力を見せているのも、山村故に学びの場がなかったからこそ、学があれば信じられないことの連続をありのままに受け入れているからだ。

「ようやく本題に辿り着けた。全ての始まりについてだ」

 を囲う日の勢いが強くなる。青年が浴びた鮮血はぱりぱりに乾いていた。

「前置きしておく。このお話も、今から繋がれていく未来にあるのも、悲恋の物語だ。悲恋で始まって、悲恋で終わる。ただそれだけの物語」

「物語……」

「ああ、物語だ。何度も紡がれてきた(、、、、、、、、、)、な」

 その言い種はどうにも青年の心に引っかかりを生んだ。それではこの世界が、自分と言う存在が誰かによって予定されているもののようではないか。

 そんな思考を見透かして、〈夜〉は挑発気味な笑い声を上げた。

「もしこの言い方が気に入らないのなら、抗って覆してみろ。何度も間違え続けてきた物語を、超えられるのならな」

 二人の間に黒い靄が生まれた。靄は四角い形をとり、青年の側に絵を映す。白い羽を持つ存在と赤い羽を持つ存在が軍団となって向かい合う絵だ。

「はるか昔、人間種など存在しない時代。世界がまだ一つだった頃に、神々だけの世界があった。勢力は二分し、神聖なる神々を名乗るものと、そこから堕落し魔を名乗る軍団が、自分らの覇権をかけて争っていた」

 対立している図が蠢き、足下に羽を生やした存在が絡みつく純白の甲冑姿をした長髪の女性が描かれた。

「神々は〈破壊〉と〈終わり〉の概念体である魔王を殺すため、〈創造〉と〈始まり〉の概念体である女神(じょしん)を勇者として祭り上げた」

 再びこねくり回され、白と赤の軍団が殺し合う絵とそれに重なって黒の中でも更に浮き出て見えるほど濃い黒色をした存在が発狂している姿。その真上で剣を鞘に納める女勇者と目を隠した黒い塊が刻まれる。

「そこで繰り広げられたのは、血で血を洗う闘争と小さな純愛。そして、多くの死に当てられた〈死〉の概念体の最悪の暴走だった」

 蠢動し、次は白と赤の軍団の亡骸から湧き出る、硝子の瞳を持つ少女の絵。

「神魔の衝突とその亡骸が蠱毒となり、新たな概念体が生まれたからだ。両者の世界にあったのは過去からの因縁と停滞する今。全てに願われ生まれたそれは未来と言う新たな時間軸を内包した〈時〉の概念体だった」

 今までの絵が個々で並び、円を作る。

「だが、未来を知れるがために、それは知ったんだ。何かが始まれば必ず終わりを迎える。世界は、その繰り返しでしかないと。それは過去があり、今があり、未来があるからだと。そこに価値を見いだせず、生まれたばかりの赤子のようなそれは、だからこそ悟ったかのように考え付いた。世界を巻き込んだ壮大な自殺を」

 発狂した姿の黒に向かい合う五つの存在。

「暴走する〈死〉を捕らえるために全ての概念体が肩を並べた。〈破壊〉と〈終わり〉の魔王、〈創造〉と〈始まり〉の女勇者。〈正〉と〈悪〉の主神。〈光〉と〈闇〉の堕天使。〈生〉の聖母」

 その絵へ、先程の少女が降臨する。

「〈時〉はそこに一計を投じた。背反する〈生〉と〈死〉の力の衝突を少しずらし、他の概念体の力をバラバラにするように未来を書き換えたんだ

 そこで、靄は霧散した。昔語りは終わったのだ。

「被害を免れたのは主神だけでな。聖母は衝突の際に幾分の存在力を奪われて概念としてだけでどこぞで療養中らしい。堕天使は存在そのものを削られて、力だけがこの世界の誰かに宿っている。主神によって楔が打たれているがな」

 それは他に青年と同じ概念体の因子を刻むものがいることを指している。いや、それは城下を竜が襲ったという時点で明白な話であった。

「魔王は〈破壊〉を宿し魔の王足り得た魔法を暴き操る目を奪われ、力なきものを有無を言わさず操る腕を取られ、神に仇なす力の源であった〈終わり〉の力を剥がされた。そして、その力はお前の中にある」

 神に仇なせるだけの力が自分の中にはある。その重荷を理解するには、力の正体がわからな過ぎた。

「女勇者の力はさっき言った、力の塊として残った世界に降る。その後、何かしらの形で力は現存するだろう」

 青年は語られた情報を自分なりに呑み込み、語られた物語を真実だと仮定して、足りてないと感じた部分を問う。

「〈死〉と〈時〉の概念体はどうなったんですか?」

「特別な器に封印された。そこで長い長い眠りについている。だがもし、大きな力が、概念体がこの世に顕れることがあったら、その余波で目覚めてしまうかもしれない。〈時〉が視た未来を人間が超えられなければ、この世界は終わらせられるだろうな」

 頭は決して良くない青年だが、それでもわかることがあった。

「なんで僕に世界を救わせようとしているんですか? 僕は世界のために戦う理由はないですよ

 青年が他のために戦えないのは、竜を貫いた理由が死した家族隣人のためではなく、自分が殺される前に殺すという思考であることからも明白だ。

「君が生に執着し、実際に生き残ったからだ。何かを得るために何かを捨てることができる。その可能性は、この世界にやがて来る終末の未来を撃ち抜くことができると思ったからだ。そしてそれは、止まった物語を動かす鍵となる」

 〈夜〉は今までの淡々とした口調とは打って変わって、悲痛な感情を混ぜて続けた。

「生けしものは生きているだけで罪を犯し続ける。永遠を生きれば断罪を求め始める。死に場所を見つけるその時まで生きるために、君は戦え」

 その理由は青年に深々と突き刺さった。自分のために他を切り捨てられる人間だというのは身体に張り付いた紅色が象徴している。これから死ねず、生き続けるならば似たことは何度もあるだろう。いつかその重さに押しつぶされる時が来る。

「死ぬために生き延びようと抗うなんて…凄い話だな」

 だが、納得できてしまった。その未来を予見できてしまったからだ

「やらなきゃ、いけないでしょう」

「そうか」

 青年の決意に対する言葉はそれだけだった。

「わたしは君のような存在を総じてこう呼んでいる。因子を持つ者たち――ファクターズと」

 燃え盛っていた火が消える。炭化した木が砕ける音がした。

 壊れた椅子から立ち上がって、〈夜〉は言う。

「最後に一つ助言をしておこう。本懐を遂げるその時まで、笑みで本心を隠せ。言葉すらも他者と一線を引いておけ。今のお前の口調は、余りに本心が見え透きすぎる」





 日はまだ昇り続けている。

 〈夜〉を名乗る某は去っていった。

 悪夢のような出来事だったが、少し振り返ればこの数日で失われた全てが見れた。

 竜を弄繰り回していた女性が、紅くなった白衣をなびかせて横に並ぶ。

 彼女は不思議そうに青年を見た。たった数十分見ない間に、大きく雰囲気が変わっていたから。それは、女性にとっては好ましい変化であった。

「行きましょう、冷夢」

「れいむ?」

「冷たい夢。あなたにはぴったりでしょう。これから、長い付き合いになりそうなので、そう呼ぶことにします」

「なら、私はお前をどう呼べばいい」

「新」

「なら新、どこへ行く?」

「確定した未来を撃ち抜く力を得られる場所へ」

 笑みを浮かべて青年は、新は歩み出した。

 そして、二人は人間史の闇へと消えていく。

 彼らが夜霧を名乗りこの世界に台頭するのは、これから約三百と五十年経った、始まり(アルファ)の墜落を目前に控えた時だった。

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