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ファクターズ  作者: 綾埼空
六話 『今』を『未来』に繋ぐための戦い
118/131

感情

 R帝国郊外の森林の中に、とたん造りの質素な建物が存在していた。内部は土むき出しの地面にテーブルと椅子がバラバラに置かれ寒風が吹き向けており、簡易的な建築物であるのが窺い知れた。


 ジャンパーを着込み毛皮付きのフードを目深にかぶった酸漿奈々美は、テーブル近くに置かれた椅子に姿勢正しく腰掛けていた。  


 この場所は、世界に仇なす〈身喰らう蛇〉の本拠地である。


 奈々美は確認するように辺りを見回した。しかし、誰もいない。


 開戦を受け、仲間はそれぞれの役割や個人的な仕事を果たしに行った。


 奈々美が〈身喰らう蛇〉に参加した陳腐な理由を果たしに行くにはもう遅い時間だった。


 けれど、奈々美は動かない。刻々と過ぎていく時間の中で、何かを待っているかのように奈々美は居座り続けていた。


 外の雪が踏み鳴らされるのが聞こえる。それが魔術師のものか、はたまた科学の先兵か、それともR帝国軍の兵士なのかは分からない。 


 同じように、多くの犠牲を払ってでもなしたかった目的があったのにそれを果たしに行かなかった理由が奈々美自身にも分かっていなかった。


 どちらを解決するにも、見てみるしかない。


 重い腰を上げようとしたその時、冷風が舞い込んだ。接近する足音はなかった。視線を向ければ、扉が開いる。


「いたんだ」


 無表情の白面で顔を覆い保護色のボディースーツをまとった風間家の残党である集が、感情なく目の前の事実だけを告げた。肩に大きな麻袋を担いでいる。


「ええ、少し確認したいことがありまして。それが久澄さんですか?」


「そうだよ。取り敢えず主様の準備が整うまでここに隠しておこうと思ってな。俺も戦場に出ないといけないし」


 扉を後ろ手で閉めながら入室し、久澄の入った麻袋を壁際に置いた。


「酸漿はまだここにいるつもりか?」


「まあ、そのつもりですが」


「それは好都合だ。サイトンを見ておいてくれないか。かなり強めには叩いておいたけれど、主様曰くなにかと頑丈らしいからな。もし逃げられても困るし、その時は頼むぜ」


「……分かりました」


 暗に既知の人間との戦闘を含ませた集の言葉に、ためらいはない。それだけの覚悟を持って、彼は〈身喰らう蛇〉に在籍し苹果を主と奉っているのだ。


(わたしは……?)


 六年も前のことになる。今考えれば集のおかげであるのは明白だが、まるで日本支部の構造をを理解しているかのように苹果は現れた。ただ、奈々美にという特例の魔術師に出逢うために。


 狼狽する奈々美に何を考えたか〈身喰らう蛇〉への誘いを持ちかけた。それは彼女の中に燻っていた唯一の感情に触れ、寧々への義理も自分の立場もかなぐり捨てて苹果の手を取った。


 それにも関わらず、


(わたしは、何をしているの?)


 自問の答えは出ない。


 出ないまま彼女は世界に仇なし、取り返しのつかないところにまで来てしまった。


「それじゃあ頼むぜ」


 集は戦場へと向かった。奈々美は動かない。


「わたしは、何をしているんでしょうか?」


「それは……こっちが聞きたいね」


「――!!」


 麻袋から、久澄の声が聞こえた。


 すぐさま臨戦態勢を採る。


 袋の口が〈五行三禄の自然色〉雷の二式〝雷刃〟をまとった手刀で裂かれ、久澄が気だる気に立ち上がった。


「よう、酸漿。久しぶりだな……寒いな、ここ」


「……お久しぶりです、久澄さん。かなり強めに殴られたらしいんですけれど、元気そうですね」


「ああ。お前がどっかに雲隠れしてる間に頑丈さが増したんだよ。ここまであの野郎がどうやって来たかは知らねえが、三十分も放置されれば回復するさ」


「化け物じみてますね」


「……人間の力だよ。お前が期待しているな」


「そうですか」


 奈々美はその答えに頭を振り、魔力の開放を唱えた。


「天は地に落ち、地は天に昇る」


 封じていた魔力が起動文言により解放され、全力の魔術が振るえるようになる。


 地面を揺らがす。簡易的に組まれただけの板が崩れ落ちる。


 奈々美は踊るような足運びでに敷地外へ。久澄は〝雷駈〟を使い、とたん板を弾き飛ばしながら彼女へ肉薄した。右目が紅の軌跡を伴う。


 右の指を鉤爪のようにし、肩口に落とす。〈五行三禄の自然色〉は使わない。


 奈々美は左足を後ろに流し、肩を逸らす。そのまま下がりながら、元居た場所へ縦に振動を加え地面を突き上げる。


 久澄は鉤爪の勢いをそのままに流すことで捻られた腰の力を左の拳に乗せ舞う雪を穿つ。寒さと長い間袋詰めにされていたために筋肉が委縮しており、挙動が遅い。彼女へはその石壁に阻まれた。


 舌打ち一つ、壁を迂回する。跳びながら後退する奈々美を視界に捉えた。


 〈原視眼〉を以て彼女の進行方向に積もる雪の結合を、深層を凝固し、表層を緩め水にする。


 しかし、奈々美の魔術が氷を砕く。


「通用しませんよ、こんなのは」


 作り物めいた嘲笑を浮かべて彼女は言う。久澄は鈍い脚に鞭打ちながらその姿を追いかける。


「お前、なんでこんなところにいるんだ」


 問いかけながら、火の三式〝火砲〟を雪面に放つ。〈原視眼〉で集められたウラン、重水素、リチウムなどが反応し合い爆発が生まれる。中空に弾ける雪は、熱で水蒸気となり久澄の姿を隠す。


 奈々美は警戒を強めながら距離をとる。だが、決して逃げようとはしない。集の言葉がある。時間が稼げる分には好都合であるのだが、


「……!」


 霧の向こうから、氷の槍が伸びてきた。上体を後方に逸らし回避する。視線を戻すと、久澄がすぐそこまで迫ってきていた。


「くっ」


 駆ける速度をそのままに襲いかかる右手。その手が届く前に奈々美はつま先を捻り横に躱しながら伸びる腕を取り、前方へかかるエネルギーを流すようにして体重差が二倍はありそうな久澄を持ち上げる。このまま彼の質量に任せて叩きつけることもできるし、力の流れのままに投げ飛ばすこともできる。


 その選択の一瞬の刹那の中、一度体験したことがあるからか、あるいは強化されたあの時より強まった動体視力がその隙を捉えたのか。


 久澄は奈々美の頭を左手で掴んだ。


「重……い」


「うっせえよ」


 頭頂部からかかる荷重に膝を折りそうになる。その前に握る腕から振動を走らせる。


 筋肉が、骨が、内臓が、内部から揺れる。久澄の全身から力が抜けた。


 奈々美は停滞してしまった重さを操ることができず、前方にそのまま落とした。


 背中を固まった部分に打ち付け空気の塊を吐き出し、頭を雪にうずめる。


 奈々美は手を離し、後方に跳ぶ。揺れが消えた久澄は身体を捻り、地面を蹴る。低空飛行のままに迫る。


 奈々美は跳びながら腕を交差し、その手を受け止めようとする。久澄は伸びた蹴り足に爆発をぶつける。爆風による推進力を経て、防御の隙間を縫う。


 胸と首の間に手を当て、思いっきり押し倒す。 


 後頭部から落ち、背中を打ち付け空気を漏らす。混乱する頭で本能的に酸素を求めるも息が詰まり、奈々美は咳込んだ。


 久澄は彼女の足下に立ち、雪を分解してできた水で槍を作り切っ先を向けた。


「たく、いきなり襲い掛かってきやがって。頭は冷えたか?」


「……それ、水の槍を向けながら言う台詞ではないですよね」


「まあ、逃げられたり抵抗されたりしても面倒だし。手荒で悪いけど」


 奈々美は溜め息を吐き出した。白い煙が上がって消える。


「降参です。全然勝てないですね」


「さっきも聞いたけどお前、なんでこんなところにいるんだ? 錠ヶ崎寧々、さんも心配してたぞ」


「なんで、ですか……」


 それを今、自問しているところであった。ここにいることに後悔の念はない。だが同時に、ここにいる意義にも迷っている。


「寧々さんには挨拶ぐらいするべきでしたかね。止められたら逃げられないんですけど」


 だからそこに答えぬまま、彼女はそう冗談交じりに口にした。無論、感情は宿っていないのだが。


「寒いです。そろそろ起き上がってもいいですか?」


「あ、ああ、悪い」


 久澄は奈々美の足下から退く。奈々美が立ち上がる間も、氷の槍での警戒が解かれることはない。


「はあ、風間さんに頼まれたんですけど、やっぱり無理でしたよ」


「あの白面は、やっぱり風間か……」


 久澄は意識を失う前のことを思い出す。「やー」から始まる陽気な口調。のちに彼自身が『雷鳴事件』と茶化していた二日間の内の初日に手伝ってもらって以来、友達と呼ぶに差し触りのない間柄にまでなっていた。はずだ。いや、お互いに隠し事があっただけだ。その一歩引いた関係性に友情を覚えたのだから、今更何も言うまい。


「……なあ、酸漿。誘神命って知ってるか?」


「ええ、存じていますよ」


 奈々美の即答に、彼の目が大きく開かれる。


「あいつ(、、、)は今、相馬の野郎と一緒にいるのか?」


 奈々美は、その言葉に一瞬思考が止まった。


 相馬。その名を口にする時に元々低い声がさらに低くなったが、奈々美はその理由を知っていた。保持者の久澄と出逢ったと報告した際に、颯真本人が楽しげに教えてくれたのだ。どういう経緯で命の意識を奪ったのかまでは深く教えてくれなかったが。苹果も深くは言及せず、久澄を釣る餌として好都合なだけと考えていた。


「……いえ。わたしたちは個々の目的があって動いています。それがたまたま苹果さんの目的と合致していたために行動を共にしていたんです」


「颯真のやつが違うなら……」


「そうですよ。苹果さんが、あなたを誘うためにと相馬さんが攫いました」


「そっか……なあ、さっきのさ。お前もなんかしら目的があるってことだよな?」


 奈々美は言葉に詰まった。久澄がこちらの韜晦を許さぬ目で射抜いて来る。逃げるように視線を彷徨わせるも、辺りは踏みにじられ荒れた雪原ととたんの家を隠していた森林しかない。


 なんとなく、理解があった。こうして答えることなくしていても彼は、


「復讐、か」


 そうやって、答えを当ててしまうのだ。


 ぼんやりとした口調で、彼は続けた。


「なんとなく分かったよ。お前が俺に似ているって言った理由」


「……」


「性格とか、考え方とかじゃ、なかったんだな」


 奈々美は頭の片隅で、違う、と思った。何がどう違うということではない。感覚でしかないが、彼と自分が得ているものは異なっていると思った。


 だが彼女は口にすることはできなかった。だってそれは、まだ彼女自身は自覚していないものの――確かに感情と言うものが混じった考え方だったから。


 物心ついたころには、異常を常識として感情を得ることなく日常を送ってきた奈々美にとって、それは確かなつっかかりとして言葉を詰まらせるに十分なものであった。


「さて」


 ついには誤解が説かれぬまま、久澄は氷の槍を水に戻した。


「九氷火がどこに居るか、分かるか?」


「いえ。……一度惨敗したのに、挑むのですか?」


「知ってるのな。まあ、誘神には貸しがあるからなあ……それに、ここで諦めるわけには行かないんだよ」


 久澄は苦い笑いを浮かべた。


 奈々美はその姿に、目を背けたくなる。


「んじゃあまあ、行くよ。これからお前がどうするか分からないけど、また逢えたら、よろしく」


 久澄はそのまま駆け出そうと背を向ける。その背に、まだ話すべき言葉があるはずだ。


 だがそれを遮るように、縦に突き上げるような強い揺れが襲い掛かってきた。


 久澄が振り返る。だが、奈々美にこんな強い地震を起こすほどの力はない。彼女も辺りに視線を彷徨わせ伏兵の可能性に備えていた。


 その姿に、久澄もまた目付きを厳しくしながら駆けだしていく。揺れは収まらない


「あ」


 奈々美のこぼすような呟きが耳に入ったが、彼はただ前だけを向き進み続けていた。








 その場所でも、縦に突き上げるような揺れがあった。


 青と白の傘が鬱蒼とした影を生む森の中。白の地面に点々と紅の染みが滲んでいた。


 それを追っていけば、べったりとし不気味な無表情の白面が特徴的な男が、やや左に傾きながら歩いている。


 右腕からぽつぽつと血がこぼれ、雪面を小さく侵す。斬り上げたばかりの腕からそれだけの量しか血液が漏れていないのは、忍として弄られた身体の構造の賜物であった。


 鍛えられた体幹により腕一本が消失してもある程度は真っ直ぐに歩けるものの、不便さは感じていた。


 あれだけの被害を出したため追撃は考えなくてもよいだろうが、今後の展望的にも早めに損失は取り戻した方がいい。


 そう冷静に考えて、集は目的を持って足を進めていた。


「……」


 腰に掛けられた鞘が揺れる。捨て置いて来た小刀のものはない。忍刀の収められているものだけだ。


 鍔に左手を添える。


「殺せなかった」


 集の脳裏に鮮血の記憶がよぎる。水仙蒔華の魔術による一族の大虐殺。馬鹿を共にやっていた友も近所に住んでいた女の子もいつも厳かながら理不尽ではなかった優しい両親もみんなぐずぐずに崩れ、鮮血の花を咲かせた。


 呆けた口に入り嚥下してしまった血肉の味は、今でも覚えている。


 振り払うように頭を振り、彼はとある木の下で足を止めた。膝を付き、左腕を地面に突き刺す。


 掘った穴を何かでカモフラージュしていたのか、腕は肘の辺りまで入った。引き上げると、その手には長い白のトランクケースが握られていた。


 それを本物の地面に置き、ロックを外す。開けると中には、保存液に浮いた肩まである右腕が詰まったボトルが、緩衝材に嵌められていた。


 掴み上げ、蓋を取る。ボトルを傾け、たぷたぷに注がれた液と共に右腕を流す。ボトルは投げ捨てて地面に落ちる前にキャッチする。


 その腕を股に挟み、まだ断面を表す傷口の箇所に合うように忍刀で斬り落とした。血は出ない。


 形を同じにした傷口同士をくっつける。すると不思議なことに断面が接合し始めた。


 分化細胞がどうのと言われたが、集にはよくわからなかった。ただ、あの街に這入り込んで幾年月がたったある日、ある女性から細胞提供の代わりに四肢や臓器のクローンを提供してもらっていた。十か月前に今の姿で調節してもらった様々なパーツがあのとたん造りの家屋の周りに埋めてある。


 集は腕を押さえつけることを辞める。腕は不足なくくっついていた。


 指を動かしたり腕を振ったりして調子を確認する。筋肉量の違いであったり、失われたものが戻った重さに、先程と若干の差異を感じる。何より、神経系が鈍い。慣れるまでは肉の重りをつけているようなものであろう。


 だが、なければ体の軸は偏ったままだ。流石に隻腕で華に勝てるとも思えない。


「……。ッ!」


 白い息を吐き零して木に体重を預けようとしたその時、集の耳に雪塊を踏み鳴らす音が届いた。


 左手を腰に回して忍刀の柄に逆手で指を絡ませる。式神は先程の戦いですべて使い切ってしまった。


 足音は確かにこちらに近づいてきている。その歩みには淀みはない。気付いていないのか。――否、


 足音が急激に速まる。音源は真っ直ぐこちらに。


 音の大きさで距離を測り、集は膝を折りながら木陰から身を現した。丁度、相手の懐に潜り込める距離になったところで。


 忍刀を鞘から抜き、一閃。相手の姿など、死体にて確認すればよい。


 空いた腹部を上から裂く煌きは、しかし羽織られた黒いシャツすら斬り裂けずにその上を滑る。それは、硬質の鉄板の上を鈍ら刀で走らせる感触に似ていた。


 彼はそのまま止まることなく腕の振りで傾いた重心を利用し、右の回し蹴りを顔に向けて入れる。


 だが、その行く手に左手が掲げられる。防がれることを予見した集は、足を腕に引っ掛け、そこを軸に身体を持ち上げる。そのまま振り子の要領で飛び上がり、背面になった身体を捻じって武装のない脳天に切っ先を向ける。


 しかし、対象が後方に下がり行き先を失う。着地した瞬間、刃を振るい牽制しつつ正面を見据えた。


 その視線の先にいる人物の正体は、回し蹴りの時点で視界に収めていた。


「クズミン……」


「……よう、風間」


 久澄碎斗。右目が血の色のような紅に光っている。


「その仮面、外せよ。面隠す必要は、ないだろ」


 久澄の言葉を、集は聞き流した。


「酸漿はお前を止められなかったんだな」


「ああ」


「……手足くらい弾いとけばよかったな」


 忍刀を掲げ、その輝きを誇示する。


「そっか」


 久澄は何かを諦めたように呟いた。


「お前の事情は詮索しないよ。俺には関係ないし、どうすることもできないからな」


「……」


 先に走り出したのは、久澄だった。集が一瞬遅れて颶風となる。


 消え去った忍の姿に久澄は足を止めた。一閃は、背後から迫っていた。


 原子の揺らぎが視界に入り、前方に駆け出すことでそれを回避する。〝雷駈〟は効力を発揮したままだ。


 再び集の姿が消える。出所は視えている。しかし、その刃がどのように動くのかが分からぬ限り迂闊に手は出せなかった。


 躱す、消える、躱す。その繰り返しの中で縦に揺れ続ける地面が、久澄の平衡感覚を奪っていく。


 ついぞ、よろめく。その隙を集は見逃さない。


 久澄は回避を諦め、土の二式〝土鎧〟を纏う。


 現れた集は、まま刃渡りの短い忍刀に沿うように風の刃を武装し、その延長線上として右腕に颶風を渦巻かせる。〝疾風刃雷〟。風の速度で、凝固した炭素の鎧を身に付けた久澄へ連撃する。光沢のある衣服の上ではなく、むき出しの頭や手、兎通のランニングシューズに守られただけの足を狙う。


 風間集の魔術の制限として、風と成ることと風を集めることは両立できない。だが、〝疾風刃雷〟は集めた風で腕を操作し、風間の魔術を疑似的に再現するものだ。


 疾風の剣戟。久澄の目にも残像を追わせる速度で連撃を繰り出す。鉄塊に刃を走らせる感覚に襲われながら、三十。


「終い」


 〝疾風刃雷〟を解き、風と成り距離をとる。


 刃の暴風に晒された久澄は、薄皮一枚が斬り裂かれ、薄っすらと血が滲ませていた。やはり、弱点の多く狙いやすい顔に傷が集まっている。


「頑丈だな」


 その結果に吐き捨て、再び消える。


 久澄は自身の傷を見つめ、体内の炭素結合を元に戻し〝土鎧〟を脱ぎ捨てた。


 前に広がる足跡だらけの雪面につま先で弧の跡を残す。肺の中の酸素を全て白い息として吐き出す。


 集が背後で形となる。銀の一閃はうなじを狙ったもの。


 久澄は水の一式〝水霊(みずち)〟を使い、雪を自身の周りに集の足下に触れるであろう高さの鋭利なつららを突き立てた。


 集は風にならずにその先端を軽く蹴った。綿のように浮き上がり、狙いを脳天へと変える。


 だが、その一瞬を稼ぐことが久澄の策略であった。


 つららを生み出すと共に背後を向く。動きの鈍い右手を掴みにかかる。


 集は仮面の内から苦鳴を漏らし、身体を(ほど)く。


 ――大丈夫、正面だ。


 久澄はそう、笑みを浮かべた。


 颶風へと姿を変える。だが、足跡が残っている限り点ではなく線で動いているはずだ。消えるところさえ視れれば、その姿は追える。


 原視眼で辺りの酸素濃度を集に向けて濃くしながら、左の中指に火種を仕込む。親指と弾き合わせ、集の居る場所に爆発を導く。火の一式〝火鉢〟。


 酸素濃度の変化で危機は察していたようで、直撃は避けられた。余波で白面が宙を舞う。


「ようやく面が拝めそうだな」


 両手を手刀の形にして駆け出す。その先端には、火の二式〝火砲〟が。


 爆風をもろともせず押されるがままに地面を滑る集の目には、それは映らない。久澄に爆発による攻撃方法があることを知った彼は、白銀を光らせる。〝背水の刃〟。風を薄く凝縮し刃に纏わせ、、足先を変え前傾姿勢にて久澄へ駆る。防御は考えない、最速にして必殺の刃。


 走る二つの点はやがて重なり、刃が交わる――瞬間久澄は、突き出した両の手を指を曲げて重ね合わせた。


 点の爆発同士がぶつかり合う。火は、濃い酸素に誘われて集へ向かう。


 直撃。間近にいた久澄は、顔を袖で隠して余波をやり過ごす。傷口があぶられる感覚に歯を食いしばりながら、爆風に従い後ろに飛ばされる。


 着地に手間取りながらも、前を見据えて推移を窺う。熱い。水蒸気が影となり集を隠す。左目は倒れる忍びを映しているが。


「うぅ……」


 前方から呻き声。一歩ずつ、小さく近づいていく。


 もくもくと立ち込める白煙に傷をなぶられながら、久澄は集の元に辿り着く。衣服は焼け落ち、見えるだけでも全ての肉が焼き爛れていた。


 ちょうどそのタイミングで、縦への揺れが収まる。


 集は、苦しげに呻き続けていた。喉を焼かれたのだろう。いくら弄られているとはいえ、ゼロ距離での爆発までには対応しきれない。


 爛れた顔の肉を怜悧な目線で見下ろし、言葉を落とす。


「誘神は、どこに居る」


 問いに、集は皮肉気味に笑うだけで、言葉を発さない。発せない。


 分かっていたことだ。


「貰っていくな」


 久澄は、集の左脇に落ちている忍刀に手をかけた。その時、伸ばす手に軽い違和感が。手首を左手に掴まれていた。熱い。焼け爛れた手はべたべたとし、熱を蓄えていた。


 そして言うのだ。ガラガラに枯れた声音で、しかし深淵から響かせるような声色で。


「奪わせねえよ! 形見……なんだ!」


 久澄は見た。粘ついた執念に濁る瞳を。その奥に薄っすらと映る、自分を。


「……」


 久澄はその力なき手を振り払い、背を向け、歩を進める。少し離れた場所にある白面を取り、再び集の元へ。


「なあ、風間」


 答えが返ってこないことを理解したうえで、呼びかけた。


「俺はもう、誰かのために頑張ることは、辞めたんだ」


 悲しみに満ちた呟きは、彼にして珍しい本音だった。久澄碎斗が吐露した、感情だった。


 膝を折り、白面を集の胸の上に置く。


「じゃあな」


 久澄は走り出した。原視眼で映る、多くの人が集まる場所へ向かって。


 忍刀は、忍びの脇に置かれたままだった。


 それを確認できた集は、天を仰いだまま白い息を吐き出した。










 揺れが収まったその時、奈々美は未だ立ち尽くしていた。


 胸の奥に渦巻く疼きは何なのか。彼女は、自身の精神に起こった変化を持て余していた。


 何をするわけでもなければ、何ができるわけでもない。


 ただ、落ちてくる雪に身を晒しこの高ぶりを覚ますことしかできない。


 そんな少女の元に、来客が現れた。


「やあ、ナナミン」


 奈々美ははっとし、音源へ振り返る。彼女をそう呼び人間は、この世で二人しかいない。片方は、この国にいない相馬颯真。そしてもう一人は――


「……新さん。生きて、いられたんですね」


「そりゃあ、簡単に死んでやるわけにはいかないからね」


 夜霧新。水仙蒔華率いる魔術師によるMGR社本社襲撃により行方不明になっていたのだが、やはり存命していた。


 新は、雪に埋まった椅子を引きずり出し、背もたれを前にして座った。


「一つ、質問しても?」


「驚きが薄いね……いや、違うか……」


「なんです?」


「ううん、何でもない。で、なんだい?」


「MGR社の対応の早さが気になっています。まるで、この地が全ての起点になることを最初から知っていたかのような」


「そりゃあ、そうだよ。だって、スパイ忍ばせたもん」


 あっさりと、新はそう言った。八月の二十六日。サン・ピエトロ大聖堂にて〈身喰らう蛇〉による襲撃があった。その時、あの男はこぼす必要のない言葉を新に聞かせた。


 ――次は新R帝国で会いまみえましょう、と。


「颯真君は、誘神命ちゃんの時から、僕を手伝ってもらっているんだよ」


「そうですか」


 得たのは、納得だった。背信ではなく、最初から間者として入った。それは、見抜けなかった自分たちの落ち度である。


「ねえ、ナナミン。僕も質問してもいいかな?」


「わたしに、ですか?」


 尋ねられることは、大体予測できた。辺りに伏兵の気配はないが、警戒を強める。


「そんなにピリピリしなくてもいいよ。道化師も別件でここにはいないし。ただ、なんでこんなところでたそがれているのかなって思っただけだから」


「別に、たそがれてないですよ」


 予想外れの質問に毒を抜かれながら、淡々と、彼女は言う。損失がない限り嘘を吐くなんて感情は、彼女には備わっていない。


「でも、悩みはある様子だ」


 楽しそうな笑みを浮かべ、何故か新はしつこく追い下がる。細められた目の奥には、全てを悟ったような達観した瞳が彼女を射すくめる。


 分かっているのだ、奈々美の抱える異常を。その上で、本人にそれを言わせようとする。


「……誤解を解きたいんです。わたしが久澄さんに感じているものと、彼の理解が異なっていたので」


「碎斗君にか……それで、ナナミンは彼に何を感じているんだい」


「それは……」


 奈々美は問いに対して答えるために口を開こうとして、


「……」


 できなかった。


 理解が追い付く。


「どうしたんだい?」


 新が首を傾げる。笑みは形を保ったまま。


「わたしは……久澄さんに何を感じているんでしょう? 彼の存在は、わたしに、その……」


 彼女は熱に浮かされたように、一生懸命に言葉を模索している様子だ。


「わたしは、久澄さんとお話した時、自分に似ている人がいるな、と思ったんです。精霊眼保持者として、殺さなきゃ、いけなかったのに、彼が死んでしまうのは、惜しいと思ったんです。けど、殺さなきゃ、あの街にわたしの居場所はなくなってしまう」


 奈々美は珍しく、矢継ぎ早に話していく。


「けど、殺せなくて、なんて言えばよいのでしょう……良かった? そう、思ったんです」


「なんで良かったって思ったんだい?」


「なんで……?」


 奈々美の語りが止まる。彼女は顎に手を当てる。


 その動作を見て新は、笑みに悲しみを混ぜた。だが、それは一瞬。


 悩み続ける奈々美に答えが出ないことを察した新は、問いかけを辞めた。


「ナナミン、それは君にとって、いつの間にか芽生えたもので、今まで持つことすらできなかった君には理解できないものなんだよ」


「……新さん?」


「人は、それを感情って呼ぶんだ」


 奈々美は目を見開いた。


「始まりは、キーちゃんが君に『マギ』という居場所を与えたことなんだろう。そしていつか、〈身喰らう蛇〉という場所も得た。決して交わることのない二つの、君を道具や動物ではなく、人間として認めてくれる場所の存在は、ナナミンが摩耗した感情と言うものを刺激した」


 新はそこで一呼吸の間を開け、目を伏せた。


「そして、碎斗君という、同種が現れた。教えとくね、ナナミン。人は、孤独には耐えられない。だからさ――」


 奈々美は胸を押さえていた。そうして繋ぎとめておかないと、いまにでも胸の奥が引き千切れてしまうそうだった。


「――手遅れになる前に行った方がいいよ。あの子は自罰的で、酷く脆い。感情を自覚したナナミンが、彼に会って、したいと思うことをしてきた方がいいよ」


「……はい」


 奈々美は、迷いが晴れた表情をしていた。


 久澄の足跡を追うように、彼の消えていった道の上を駆け出す。新のその向こうに。


 すれ違いざま、青年は少女の感情のない瞳に一つの光を見つけた。


「あ」


 制動。彼女は肩から上だけを新の方へ向けた。新は振り向かない。


「もう一つだけ、質問していいですか?」


「なんだい?」


「新さんは、未来が見えているんですか?」


 未来の情勢を正確無比に見据えるその行動に、疑問を得たものだった。


「いやいや、そんなわけないよ」


 新は笑みを深めて、言った。


「ですよね」


 奈々美は彼方へと走り出していく。遠ざかっていく足音に、ようやく新は奈々美の方を向いた。その背を見て、笑みを自嘲的なものへと変えた。


 人工魔術師製造計画。その発端と経過を考えた時――これは自己満足な贖罪でしかない。


 そして、その贖いもきっと、救いを呼ぶことはできない。


「結局は、あなたが言った通りなんですね……」


 新は今を映さぬ、遠い昔を思い出すような瞳をして呟いた。


「これは、悲恋の……」

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