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ファクターズ  作者: 綾埼空
六話 『今』を『未来』に繋ぐための戦い
116/131

奇縁

 〈塔〉の内部は、真ん中を全階層に通じる階段が貫き、その周りをバームクーヘン状に分けられた区間が、三十階以上は最上階を除いてドーナッツ状の境がない円形の構造をしている。水道や電気、ガスなど全て内部で精製しているが、エレベータなどの自動輸送機は存在しない。


 二十階層以下は主に住居区間に分類されておるが、MGR社の研究員が以上の研究施設にこもっていることが多いため、実質魔術師だけの空間となっていた。


 上階に行けば行くほど機密性の高い実験が行われていたり、重要度の高い情報が隠されていることを考えればその扱いはぞんざいと判断するに足るものだが、厳重な監視の下に置かれるわけでもなくある程度の自由が確約されていたのは、その忠誠心が信用されていたからである。華と寧々による姦計による偽りのものだったのだが。


 そんな事情から、〈Day=Walkers〉が一階層から地下へ逃げ道を作ることはそう難しいことではなかった。


 区画を隔離する科学的なロックが施された防壁を魔術で無理矢理切り開き、非戦闘員の魔術師たちは、進入禁止区域とされた一角のうちの一室の前にいた。


 戦闘系の魔術を保有しながら、戦闘に参戦しなかった魔術師の一人が部屋の扉に手をかける。電子ロックが仕掛けられていると思われていたそれは、しかし簡素な音を立てて開門した。


 その理由は、すぐに分かった。


 白電灯で照らされた白壁紙の部屋。隔離に伴い荷物が運び出されたそこは、空虚な趣を感じさせた。地下へと通じる穴を塞ぐ溶接されただけの蓋が砕かれていた。


「あれ、あんたたちは?」


 ところどころ跳ねた紫がかった禍々しい黒髪をそのままにし、白衣を翻しながら振り返るは、女子中学生ほどの背丈の女性。


「……ああ、そう。考えることはわたしと一緒か」


 答えは聞くまでもなく彼女の中で帰結し、その会話の速度は魔術師たちに反応を許さない。


 夜霧裂――または、二番目の夜霧冷夢。


 とたんに彼女は狂った笑みを浮かべる。


「そう……そうそう! 反逆、ねえ。あは。ははは。ーーじゃあ、罰してもいいよね?」


 白衣の内側から、タッチパネル式の携帯端末が取り出される。起動と共に、彼女は語りかける。


「外部演算、コードAK4」


 裂の身体が強い衝撃を受けたかのように仰け反る。戦闘に慣れぬ彼らは、その光景に呆気にとられていた。


 それは一秒とかからず終わり、彼女はただ半月を刻んだまま、結果だけを示す。


 裂の身体が前触れなく紅蓮に包まれる。炎はやがて右の肩甲骨に収束し、世に神聖なる焔を顕現させた。


 この中の誰もが知っている。それが、四神が一つ、朱雀の力を科学的に再現した第三位、久澄飛鳥の〈科学魔術〉であると。神格や霊格を切り裂く、魔術殺しの魔術であり、特殊才能。


 何故その力が裂に宿っているのかと、問う声はない。皆一様に現実に飲まれ、恐れおののいていたから。


 その光景すら笑みの糧とし、彼女は、夜霧冷夢は調子の外れた声で告げた。


「貴重な実験動物モルモット、いただきまぁす」











 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇











 ――脳漿と血に濡れた〈塔〉三十四階層にて、錠が解かれるような甲高い金属音が響いた。寧々の魔術は事象改変であり、たとえ個人認証が必要な鍵であろうと開錠は可能である。


 最奥にあるHHRの製造施設前。禁断の扉に今、先頭の寧々が手をかける。


「行くよ」


 背後から息を飲む音が。監視されるように囲まれた萌衣たち五人も同様の反応を見せていた。


 そして、地獄の窯が開く。あっさりと、音もなく。


 その部屋には明かりがともされておらず、廊下の電灯も血に濡れ僅かな光しかこぼさず、入り口部分がほんのりと見えるだけだ。


 生唾を飲み、一歩、寧々が踏み出す。


 人の熱源に反応し、部屋の電気が自動で点いた。


「……!!」


 余裕のない意識の間隙に刺し込んだ光に視線を仰ぎ戦闘態勢に入る。それがただの電灯だと認識して息を吐く。


 しかしその安心は、背後から聞こえたえずきに似た音により、かき消される。


 すぐさま視線を戻す寧々。その双眸が映したのは、あるいは予想通りの光景であった。


 ずらりと並ぶ大小あらゆるサイズの試験管が立ち並んでいた。どれにも液体が入っている。大きな試験管には裸体の少女――HHRが浮かんでいる。小さな試験管にはHHRを構成するのであろう機械的な部品の数々、そしてその中に紛れるにはいささか違和感を禁じ得ないピンク色のブヨブヨとした塊や青筋の浮き出た赤い筋肉が浮かんでいた。


 それが何かは、振り向けばすぐにわかる。


「……悪趣味ね」


 と、寧々は吐き捨てると一人進んでいく。呆ける魔術師たちの隙間を縫い、不変も奥へと進む。


 寧々が部下に聞こえないような声で彼に呟く。


「つまり、そういうことだな」


「差異はないと思われる」


 それだけで、共通の解を得ているのだとお互いに認識する。


 遅れて追いついた部下たちに、寧々は感情を押さえつけた声音で命ずる。


「壊すわよ」


 魔術師たちは各々の力を使い命に準ずる。彼女は静かにその様子を眺めていた。


 足下が保存液で濡らされる頃には、全ての作業が終了した。血に似た色の油と混じり合い、胃を持ち上げるひどい臭いが充満していた。


 無表情のまま、淡々と告げる。


「出ましょうか」


 外も外でひどい臭いなのだが、寧々は気にしなかった。筋骨隆々の男の方に身体を向ける。


「じゃあ次は四神の解除ね。……夜霧冷夢討伐隊と班を分けようと思うのだけど,いいかしら?」


「効率を考えたらそうでしょうな。で、編成は?」


「私を除いた魔術師全員を結界の解除に当たらせる。理由は二つ。一つは、装置の場所が分からない以上、人海戦術しかないから。二つ目は、夜霧冷夢を守護しているであろうHHRの炎翼に対し、魔術師は後手に回るしかないから」


 寧々はあくまで死を確認する役として付いていくのみ、と言うことだ。


 男は逡巡を見せるが、


「……分かりました」


 彼は魔術師たちに寧々の言った言葉をそのまま引用して伝え、いくつかの班に分ける作業を始める。


 重い溜息を一つ。寧々はそこから目を離し、ぐしゃぐしゃになった自身の上半身から服を求める無表情の不変に焦点を合わせる。


「夜霧冷夢討伐にはあなたたち五人に私を加えた少数で臨むわ。異論は?」


「ないな」


 血でべたべたのインナーは諦め、上着を肌着とした不変が即答する。


「このメンバーでさえ連携は組めない。今から魔術師と足並みを揃えるなど不可能だ」


 他の四人も、その意見で納得する。


「じゃあ、行きましょうか」


 身を翻し、階段へ繋がる扉へ歩を進め始める寧々の背に、追随しながら不変が問う。


「奴の居る場所がわかるのか?」


「HHRの研究室にいないとなれば、もっと重要な施設……そう例えば」


 と、首だけ振り向き乾いた瞳で渚を撃ちぬく。


「例えば、人口特殊才能児計画研究施設とかにいる可能性が高いと考えているわ」


 渚は顔をしかめ、その瞳から逃れるように逸らした。もしその通りになったならば、その奇縁を作り出した神様を一生恨んでやる、と内心で思いながら。


「さて、こちらからも質問したいんだが」


 開け放たれた扉を抜け、階段に足をかける。


「ある程度は私からも説明できるだろうけど……あれについて、夜霧としての見解をいただいてもいいかしら」


「そうだな」


 不変の応に、皆神経を傾ける。戦闘後に残った不自然なものと実験施設で見つかったものの繋がりがいったい何を意味するのか。答え合わせのように、専門家の意見を清聴する。階段を一歩一歩、上りながら。


「だがまず、前提としてHHRがどういうものか。その共通理解が必要だ。夜霧萌衣、幼少の一時期とはいえ夜霧に在籍していた以上、その構造と歴史背景は認識しているな?」


「面倒くさい言い方するわね」


 矛先を向けられた萌衣は、その固い言い回しに辟易しつつ、脳内の情報を言葉にする。


「まだMGR社が設立される前のゼロ年代に夜霧が、特に日本を中心とした忙殺的な社会において手の回らない家事を賄う、人間の社会に適応できる人型の機械の製造を目標とした計画を形にしたのがHHRよ。開発上の問題点として、人間が人間を模した無機物に対する嫌悪感があったけど、基本的には瞳の無機質性を改善すれば脳を錯覚させることが可能だった。そして、脳の代替に基礎的な知識を刻み込んだ学習型のAIを埋め込むことで、ルーチン的な会話への忌避も回避した」


 その原理と理念の元売り出されたゼロ年代におけるHHRの上げた利益は、今の夜霧を形成する重要な要素として切っても切り離せないものである。金銭的な意味でも、軍事力的な意味でも。


 区切りで一つ、息をこぼす。


「以上だけど、これでよかったかしら?」


「ああ」


 不変は階段の先を見つめながら、言葉を引き継ぐ。


「機械であるHHRが特殊才能を使役し始めた原理自体は簡単だ。脳領域空間アイデンティティさえあれば特殊才能は使える。なら、脳領域空間を持った脳を使えばいいんだ。人口特殊才能児で、試験管内でも特殊才能を備えた脳の生産は可能になったからな」


 それはある意味で、渚の生まれに伴う原罪。歯を食いしばって感情を殺し俯く渚の肩に萌衣が手をかけ慰めの言葉をかける。


 だがそんなことは彼の舌を止める理由にはならず、義務的に続ける。ただ一人、寧々だけが先を見据えた表情で核心を待っていた。


「HHRの製造に使われているのは、生きた人間だ」


「……え?」


 声を上げたのは誰だろうか。皆、舞華と萌衣の姉妹ですら足を止めこの言葉の真意を察しようと脳を回す。


 だが、どう考えようとその言葉はその言葉以上の意味を持っていることはなかった。


「人口特殊才能児計画は、それだけ多くの価値を持っていた。試験管で生み出した命にも特殊才能が宿っていることが証明され、特殊才能の量産が可能になった」


「あの~」


 と、今まで口を挟んでこなかった舞華が手を上げた。


「どうして生きた人間が必要だったの? 夜霧はパーツごとの培養も可能でしょう」


「〈科学魔術〉は魔術の側面も持っているからな。概念的な命を持った生物である必要があった」


「はぁ、あれが噂の〈科学魔術〉だったの」


 はあ、とか、へえ、とか呟きを続けながら、ズボンのポケットから折り畳みの櫛を取り出した。開くと金具が噛み合う音がし、それで髪を真っ直ぐに梳き始める。


 あくまで一歩引いたスタンスでいるようだ。


 それを見た妹は苦笑を。不変は気にせず、言葉を進めようとし、苦虫を噛み潰したような表情で一つため息を吐いた。


「久澄碎斗には感謝しなければならんな」


 脈絡もなく既知の名前が出てきて、寧々を除いた四人が呆けた表情をする。魔術師だけが不変とは違った感情を抱きながら似たような表情を浮かべる。


 淡々としていた不変の声色にも暗い影が孕まれていた。


「あの炎翼は、久澄飛鳥の特殊才能だ。そして特殊才能に全く同じものはない。だから自我統一性アイデンティティを経由した才能アビリティーなんだ」


 まるで思考する余裕を与えるかのようにそこで一区切り。そこまで言われれば、誰だってある疑問を覚える。何故、他者に発現された特殊才能を使っていたのか、その量産化が行われているのか、と。


「成る程ね」「そう言うこと」


 専門的な知識があるからだろう。すぐさま答えに辿り着いた夜霧姉妹が忌々しげに吐き捨てる。


 首肯する不変の姿を見て、苦くひきつった表情を浮かべた。


「脳領域空間を発現した脳を複製した脳を使えばいい。〈科学魔術〉はあくまで特殊才能であり、その特性は脳領域空間に含まれる。そして、脳を複製するには、頭蓋を開き、脳の細胞を採取する必要がある」


 あのHHRの正体は、簡単なものであった。久澄飛鳥の脳から採取した脳細胞から培養された脳を、侵し尽くした人工的な命に埋め込むことで奇跡を量産した存在。


「機械的な部品は、人体の弱点を補うための補助パーツだろう」


 そう最後に付け加えられた言葉で、全ての謎が解ける。あそこまでの光景を目に焼き付けながら、現実味を感じられず確証を持てなかった原理が、何より夜霧不変と言う男から語られることで理解に変わる。


 知っているはずだった。だが、改めてその深淵の深さに触れ怖気と恐怖が心身を縛る。


「……なんで?」


 渚が問うた。造り出された人間である彼女が、訊く。


「なんであの女はそんな非道なことができるの!?」


「夜霧冷夢に倫理の是非を問う、か……」


 男は遠くを見つめ、どこか投げやりに呟く。


 その足は、第三十六階層に踏み入れていた。人口特殊才能児計画〈犠牲児〉研究跡地。つい先日の天津目葉と胡桃渚の一戦まで稼働していた、今なお血臭漂う命の尊厳を弄んだ最悪の地。


 渚は四月に由麻静波のより封の解かれた過去の筆舌に尽くし難い悪夢を思い出し、怒りを燃やす気丈な精神とは裏腹に膝は笑い、顔面は蒼白としていた。そのことに気付き、これでは使い物にならない、と少ないキャパシティーを裂いて心的外傷による脊髄反射を電気で止める。


 それを横目にしいたたまれない気持ちになる萌衣だが、それは彼女自身でしか抱えられない問題だ、と冷徹に割り切り、姉の方を向く。


「お姉ちゃん、結局脚立は調達できなかったの?」


「うーん。流石にあんなアンティークな品、こんな未来的な都市じゃあ扱ってないみたい。あったとしても、あんな騒ぎの中じゃあ探している暇なかったし……まあ、脇差使うからいいよ」


 そんな会話を耳にしながら、猫屋の心中は焦燥をにじませながらもぶれず姉の安泰のみを考えていた。頼れる人物は全員この場に居り、恐苛の力を戦闘にて使役するため冷華を守る盾は存在しない。


 寧々は魔力を練りながら、使い潰されてきた同胞と、一人の少女のことを思っていた。


(奈々美……)


 行方は知れぬまま、時は流れた。あの感情が殺された少女は、この行為をどう思うのだろうか。


 全ての思いが交錯する地獄への扉は一つ。結局不変は渚の問いに答えることなく扉に手をかけた。


 横に引く扉は、あっけないほど軽かった。


 そして、地獄が佇んでいた。


 色の抜けた白い髪は乱雑に飛び跳ね、細い眼窩の収められた黒い瞳はどんな汚泥よりも濁りきり、青白い唇は灼熱の大地、或いは極寒の氷雪の晒されたかのように乾いている。しかし、一見乱雑なその容貌は、人を引き付ける狂気を纏い壊滅的な美しさを咲かせている。


 彼女は、血に濡れ過ぎ全てが赤く染まった白衣をはためかせ、旧知の友を迎え入れるように頭を垂れた。


「ようこそ、我が親愛なる友人モルモットタチよ」


 吐き出される声音は、人間の恐怖を掻き立てる。


 挨拶も宣戦布告もなく、彼らは各々の持てる力を放つ――否、その前に。


 光が、差した。











 混沌とした眼下を望みながら、ゼブラの皮をかぶった肉食獣が三区の空を駆ける。縞髪を風になびかせぎらついた目付きで進行方向を見据える葉は、地面から自身を拒絶することで建物の屋根や屋上を足場に区の外れを目指していた。


(目立った攻撃はねぇな)


 ほぼ正反対の外れに位置するあの病院から飛んでしばらく経つが、由麻静波が駆り立てた不安が具現化する予兆は今のところない。


 混乱の群集の中にあの少女が混じっていないか注視しながら、進むこと数分。住宅街から一棟、ぽつんと切り離された二階建ての新築の一軒家が見えた。その実は、必要最低限しか住んでいないために身綺麗なだけなのだが。


 玄関前で着地し、ポケットから鍵を取り出し開錠。簡素な金属音が静寂に響き渡る。


 べっとりとした白塗りの扉を開けて帰宅の感慨もなく義務的に「ただいま」と口にして、彼は真っ直ぐにリビングへと向かう。


 そこでは予想通り、を斜め上へ突き抜けた光景があった。


「ふが、ほかへひ」


 脚の長いテーブルを挟んで向かい合う椅子の片側に座り、まだ暑さの滲む時節でありながら湯気の上がる茶をすすりながら特売品の割れせんべいを口に詰める頬杖をついた少女。清水のように美しく流される茶色い髪にせんべいを詰めながらも小動物のような愛らしさのある容貌は、流石立体映像に覇権を奪われそうなアイドル業界を支える人物の一人としての納得を生むが、いかんせん素でのセンスが酷かった。それが数十日共に住んでみて得た感想だった。


 彼女との同棲で若干常人の感性に矯正された葉は、密かに残念な美少女とはああいうのを言うんだろうな、と妙な感慨を覚えていた。


 そんな残念さが、ここで発揮もされていたようだ。


「お前、テレビ見てないのか?」


 しばらく咀嚼音。啜る茶と共に嚥下し、にやにやとした笑みを浮かべながら彼女は答える。


「うん、観てないよ。ただ、お節介やきの葉君が何を言いたいかはわかるけどね」


 彼女は、夜霧亜莉紗はテーブルの上に置かれた、装飾のあしらわれたピンクのケースに守られたタッチパネル式の携帯端末を指差す。


「マネージャーから連絡あったし。かなり交通網が荒れているからすぐには迎えに来れないらしいんだけどね」


「じゃあ、お前から行けばいいだろ。少なくとも、こんなところでせんべい食ってるよりはましだろ」


 どこか彼女の母親が浮かべる笑みに似たにやけ顔に過去の呪縛を感じいらつきを覚えながら、彼は断言した。


 だがその言葉は、少女の笑みを深めるだけの結果に終わる。


「そんなことないよ。ここが一番安全。だって、葉君が守ってくれるんでしょ?」


 ああ、この笑みだ、と葉は思った。底抜けに誰かを信用(、、)している笑み。夜霧冷夢も、時たまそんな笑みを向けてきた。


 そしてその約束は、今の彼にとって絶対に拒絶できないもの。故に少年は言葉を噤んだ。


 生まれる一瞬の静寂は、両者の奇縁が確固としていたためのもの。しかし、その間隙を狙ったかのように亜莉紗の携帯がけたたましく着信音を響かせる。彼女自身が歌ったらしい曲のアップテンポなメロディーが、嫌に耳にこびりついた。


「? 登録してない番号だ。誰だろ?」


 応答を押して、耳に当てられる。


「はい、亜莉栖です。えっ、あ……はあ、ええ」


 業務的な電話だろうと仮定して出た亜莉紗だったが、どうやら的は外れたようで気の抜けた応答をしていた。


 そして首を傾げながら、携帯端末を葉の方へ差し出した。


「何かよくわかんないんだけど、由麻静波さんって人が葉君に代わってくれって」


「ああ?」


 その名に過敏に反応し、彼は薄いそれを受け取る。耳に当てると、鼓膜に静電気に触れたような軽い音が弾けた。


『末恐ろしいですわね。とっさにスピーカーモードに変えるとは』


 目線を向ければ、彼女は驚きに目を見張っていた。


「……何の用だ」


『一番目の夜霧冷夢の命が狙われていますわ。そちらとしては見過ごせない事態だろう思い、こうして連絡させていただいた次第ですの』


 前置きもなく告げられた情報に、葉も目を見張る。音量を一段下げ、問う。


「誰に?」


『そこらへん諸々を、またあの監視カメラのデータの受け渡しもしたいので、今そちらに向かっております』


 静寂の住宅街に、枝葉の触れる音が響く。言葉との符号を確かめるべくリビングの窓から外を覗き、「おいおい」と言葉が転がり落ちる。


 上空に、羽のないヘリコプターが滞留していた。


『上がってきてもらえます?』


 本人には気づかれぬよう、亜莉紗の意識を向ける。いずれ彼女のマネージャーが来るとはいえこの状況下で目を離すのはとても不安だ。


 たとえ母と合わせるという約束を反故にしたとしても、彼女は守らなくてはいけない。その約束が、行き先の知れぬ化け物の力に方向性を与えてくれているから。


 だがそんな懸念は織り込み済みのようで、ぬるり、と彼女は囁く。


『大丈夫、わたくしの部下を置いていきますわ。一応の安全だけは保障できますの』


 由麻静波を信用していいのか。そこに対する疑問は存在する。行動の理由が見えず、気持ちが悪い。


「訊かせろ、由麻静波。お前はどんな理由で動いている?」


 問いに対し、電話口の向こうから初めて静寂が生まれた。だが一瞬。


『わたくしに信念や理由を求めないでくださいまし。こんな体質ですから。常に誰かの第三者になるだけ。今はただ、一人の男の人生を観測するため、行動しているまでですわ』


 その口調は、いつもと変わらぬものだった。諦観すら滲まぬ達観。少なくともその言葉が嘘ではないと、葉は感じた。


 現在第三者として依存しているという男の目的に、亜莉紗を利用しないと証明するものではなかったが。


 答えを出さない葉に焦れた静波がはやし立てる。


『警戒は分かりますわ。ですがいつかは選ばなければいけない。選択の秤にかけるのを躊躇ったままでは何もかもを失いますわよ』


 わたくしが言うのもおかしな話ですけれど、と付け加え、彼女は答えを待つ。


 決して自虐などではなかった。自身の性質が危ういと分かっているからこそ、言い聞かせるような言葉だった。


 亜莉紗の存在に力の在りどころを求め、自らの選択の責任を放棄している。強大な力に振り回されてきた彼に生き方は、そういう依存の傾向がある。


 根源は違うが、それは静波と何ら変わりない。


 だからこそ、その言葉は葉の心を動かしえれた。少なくとも、狭窄していた視野が開くくらいには。


 背後にいる少女のことを窺い、ぽつりと零した。


「約束は、守るものだよな……」


「え?」


 声は聞こえていないだろうが、唇が動いたことを見て目の前の少女が戸惑いの声を上げる。


「……向かう」


 電話口の向こうへ告げて、葉は通話を切った。


「悪い、ちょっと行ってくる」


 ――約束を守るために。それを言葉にすることはせず、携帯端末を返した。


「どこに?」


「古巣に」


 少女から言葉はなかった。少年はその横を通り過ぎ、玄関へ向かう。


 靴を履く。外と中、歩む場所を分ける靴を履く。


 玄関の扉を開けば、薄暗い玄関口に陽光が差して照らす。


「いってらっしゃい」


 声があった。驚き背後を振り向くも、亜莉紗の姿はない。


 葉は、


「いってくる」


 と、玄関から跳ね出た。迷いで失った時間が惜しい。


 空を見上げ、地面から自身を拒絶する。飛び上がると同時に、ヘリコプターから黒い影が落ちてきた。知れ違いざまにそれが先程案内役をした女性だと気付く。


 空いた扉に焦点を合わせ、操縦席の存在しないヘリコプター内部に乗り込む。二人掛けの皮張りの椅子が対面に一つずつ並んでいるだけの簡素な空間であった。左奥に座る静波の斜め前に坐した。


「あいつになんかしたらお前、わかってるな」


「いきなり怖いですわね」


 脅しにわざとらしく震え上がる静波。左の指先が可視可能なほど帯電していた。扉がひとりでに閉まり、ヘリコプターが動き出す。


「これ、お前が動かしているのか?」


「そうですわよ。わたくしもあの子も、電磁系の特殊才能保持者ですし」


 ヘリコプターは真っ直ぐ一区へ向かっていく。


 彼女の右手が葉の前に掲げられる。指の間に黒いチップが挟み込まれていた。


「これが三区の監視カメラのデータですわ。……かなり凄いものが映っていましたわよ」


 そう言いながら全く表情は動かさず、指の動きでチップを投げる。


 手の平に乗せ受け取った葉だが、この中身を見るための機器を持ち合わせていなかった。


「貴方が持つ以上に安全なことはないでしょう? 終わっってから見るといいですわ」


 その言に納得し、ズボンのポケットに落としておく。


「で、オレは誰と戦うことになるんだ?」


「貴方との縁が深い方々が多いですわ」


 面白そうに顔をほころばせ、彼女は告げる。


「『ファースト・チルドレン』の胡桃渚、『不幸を司る魔の黒猫』を使役する猫屋計、離反者の姉妹である夜霧萌衣と『不死鳥』の夜霧舞華、三番目の夜霧冷夢である夜霧不変、そして、〈鍵鑰けんやく〉の錠ヶ崎寧々」


 顔をしかめた葉に対し、いっそ清々しいほどの笑みで言い切る。


「本当、面白い奇縁ですわね」


「洒落になんねえぞ」


 辟易する葉をよそにヘリコプターは二区を超え一区に入った。


 窓からそれを確認し、静波は笑みを消し義務的な口調で言う。


「一つ、お教えしますわ」


 それに葉は怪訝そうにしつつも、重々しい雰囲気に気持ちを改める。


「貴方の特殊才能は、あくまで後発的なものでしかない。その蓋が外れた時にこそ、貴方が何故人口特殊才能児〈犠牲児〉の中核を担っていたかがわかりますわ」


 蓋。〈拒絶〉の特殊才能が、何かに被さっているということか。そしてそれが、己世界を斃せた理由。


 あの時特殊才能は完全に無効化され、殺されかけた。――いや、それは以前にもあった。胡桃渚との最後の実験の時、猫屋計の力で不幸にも脳領域空間の力が尽きた。そして、あの男に意識が飛ぶまで殴られ続けた。


 何か、差異があって、葉の中にあるらしいよくわからないものが発現するかどうかの有無があるらしい。


 だが今は、それを考えている時間はない。


「どう行くんだ? 今更一階から昇っても追いつけねえだろ?」


「ええ。夜霧冷夢がいるのも、三十六階層、〈犠牲児〉たちを生み出した研究室のある階ですもの」


「そりゃあまあ、いい趣味してんな。で、誘ったからには策があるんだろ」


「もちろん。だからこそ、貴方に声をかけたんですもの」


 ヘリコプターのドアが開く。〈塔〉の敷地内ヘ這入はいる際に迎撃用の兵器は発動しなかった。それだけ、この無敵と思われていた牙城が追いつめられているということだ。


「全ての衝撃を演算し、吸収してしまう〈塔〉の外壁は、どんなに破壊力があろうと壊すことができない。だけど、全てを拒絶する貴方の才能ちからなら――」


「そういうことか」


 静波の言いたいことを理解し、葉は凶暴な笑みを浮かべて外へ身体を倒した。


 頭から落ちる葉は右手に拒絶の力を宿す。何ものも寄らせず、どんな物質も原点に回帰させる拒絶の力を。


 だが、誰かを守ることもできる、力を。


「ぶち、抜けええええええ!!」


 右の拳を振り下ろし、最上階に当たる部分から触れる全てを拒絶していく。


 重力に従い、落ちる、堕ちる。


 彼は、衝撃を拒絶しそこに四足の姿勢で着地した。三十六階層。対夜霧冷夢連合とその女の間に。


 ゆらり。立ち上がり彼は告げる。


「よう、久方ぶりな奴が多いな」


 欲しいのは理解ではない、結果だ。そのための最短の道のりを選ぶ。


「天津目、葉!!」


 針とゴム弾を宙空に浮かせた渚が、目を見開いて忌々しく名を呼ぶ。


 背後からも、呆然と自分を呼ぶ声があった。


「天津目葉、お前、何しに……」


「今お前に死なれるわけにはいかねえんだよ」


 目の前の集団に聞かれないように呟き声で漏らして、渚の方へ応じる。


「元気そうだなぁ、胡桃渚。それに、猫屋計。あの男が居ねえのは興がそがれるが、あの日の続きと行こうや!」


「――あらあら酷いですわね。わたくしもいますわよ」


 板についたお淑やかな声色は上から。白のアンブレラを開き葉が空けた穴を通って悠然と降りてきた静波が、葉の前方に静かに着地する。弾ける電気の音だけが、うるさかった。


「お前、なんで……」


「ここまで来たんですもの。付き合ってあげますわよ」


 白の肌を守るような首から足首までを囲う白のドレスに、手の平を覆うレースの付いた白の手袋。首には白のチョーカー、足には白のソックスとヒール。白の髪を流した西洋風の面持をしたお嬢様然とした女性。


 だが、世界を外側から観察する瞳だけが、何もかもを台無しにする凶暴性を秘めた赤。


 典型的なアルビノ体質。


 その声に、姿に、渚の思考は加速する。


「あんたら、相も変わらず……今日こそは!」


 針が左右上下の壁面に向かい打ち出される。そこへ弱々しい電気を走らせ、電圧を増大させていく。その力を使役し、〈電子の暴女〉としての力の一端を取り戻す。


 彼女の背後に浮くゴム弾の数が十へ増え、炸裂。絶縁体の弾幕が二人の骨を砕きに迫る。


 しかし、葉に当たった弾はその形を拒絶され、静波に向かったものは主導権を奪われ逆に返されてしまう。


「なッ」


 躱せない。そう思った瞬間、強い力で横に引かれた。


「落ち着け、胡桃渚」


 不変によるものであった。


 横を抜けたゴムの塊は踵を返そうとし――萌衣の特殊才能で沈められる。


「お姉ちゃん!」


「任せなさいな」


 顔が地面に触れるかと言うところまで上体を落とし、それを支える強靭な足で駆ける。


 そこへ、静波が放射能を使役する『電離線』を扱い、迎撃を狙う。


 だが、静波だけは感じた。不可視の放射線が触れるのを避けるように舞華を躱しているのに。わざとらしいくらいに不自然な現象。陳腐な言葉で片付けてしまうならば、まるで静波が『不幸』にでもなったかのような、現象。


 足下を見れば、猫のシルエットをした影が自分の影に絡んでいた。


「影、踏ましてもらったニャ」


 黒炭のような色合いの猫耳としっぽを生やした計が、嫌味な笑みで言った。


「嫌ですわね……」


 後ろに跳んで、距離を取ろうとする。しかしその頃には、低空滑走で視界から外れていた舞華が、突如現れたかのように錯覚するくらいに突如体を上げ、目の前に佇んでいた。


 右手には、開かれた櫛。そっと、死神の鎌を思わせ首に添える。


「縦に流せば梳き、横に引けば斬る」


 〝梳斬櫛すきぐし〟、ご賞味あれ。舞華はその脇差で迷いなく静波の命を刈り取りに、


「邪魔だ」


 静波の後ろにいた葉が、拒絶を以て舞華の〝梳斬櫛〟を手ごと消しにかかる。もちろん、その手が戻されるのを予見してのことだったが、葉は理解していなかった。『不死鳥』の意味を。


 その手は戻されず、静波の薄い首筋を着実に斬りかかっていた。


「ッッッ!」


 間に合わない。その考えが頭に走ったその時には、レベル2の力を使用していた。拒絶の遠隔操作。


 舞華の手が、〝梳斬櫛〟ごと消し飛んだ。


 流石に武器がなくなったら退くしかない、と舞華はバックステップで距離をとる。右手を振るっていたが、すぐさま燐光を放つ炎が生まれ、治っていた。


「錠ヶ崎寧々、天津目葉の特殊才能を封じろ!!」


 計の叫びに、すでに寧々は鍵を構えていた。一つのことにしか使えない計の力より、許容量は減るものの複数回使える寧々の魔術の方がこの場は適している。


 二人の考えは一致しており、だからこそ狙いが当人たちに伝わってからも回避の時間はない。拒絶する時間も、舞華に気を取られていたせいでない。距離と言う概念を無視して結果だけを示す寧々の魔術は、その実力の通りに葉の拒絶の力を封じた。


 計算違いが多い。冷や汗を垂らしながら静波は純粋に思っていた。笑みは流石に浮かばない。


 個々の力がどんなに強かろうと、烏合の衆。個人で言えば最強と呼んでも差し支えない葉の力があれば決着は一瞬のはずだった。


 だが、渚の暴走以外とても即席と思えない連携であった。


(実戦経験が豊富だって言うことを計算し忘れていましたわね)


 臨機応変さに富んでいる。


「さて……」


 自分の姿をアンブレラで覆う。特殊才能が使えない以上、そんなフェイクで時間を稼ぐしかない。またそうやって口唇を読まれないようにし、葉に言う。


「わたくしが足止めしますわ。そこで佇んでいる女に聞けばいくらでも抜け道はあるでしょう。お逃げなさい」


「何言ってるんだ、お前」


「本来の目的を忘れないでくださいまし。貴方は、なにのため(、、、、、)にこの場に来たのですか? ……大丈夫ですわよ、わたくしはこんなところでは死なない。だから、心置きなく行きなさいな」


 はっと、気付きを得た葉は、逡巡を滲ませつつ「悪い」と口にした。先程言った選択の秤の話をまだ引きずっているのだろう。そして秤が、そちらに傾くのは当たり前だ。


 もう後ろを見ることはせず、アンブレラを掲げ直す。


「さて」


 この面子相手に時間稼ぎなど数秒できればいい方だ。ましてや、特殊才能が使えない今ではなおさら、だ。


「来なさいな、正義を掲げる偽善者たちよ」


 あの男を思い出しながら、唇に薄い笑みを引く。


「本物の善人は、そんなに甘くないんですわよ!」


 右足を一歩、踏み込む。その華奢な足で、地面を噛み締め走り出すために。


 同時の動きでアンブレラの柄に仕込んだ剣を引き抜こうとし、


「――っ!?」


 身体に強い倦怠感がのしかかった。その逆らうことのできない重みに従い受け身をとれずただ倒れ込む。


 衝撃に息が押し出される。


(なにが?)


 すでに声すら出ない。初めに疑うのは、やはり自身の体質。だが、それにしては前兆がなさ過ぎた。


 鈍行に眼球を動かし情報を得ようとすると、すぐに答えは目の前に現れた。


 それは、足首まで伸びた血色の白衣の裾でしかない。だけど、それだけで何者かがわかってしまう。


 夜霧冷夢。守られるべき彼女が、静波の視線の先に佇んでいる。


 ならこれは、薬によるものか。拒絶が失われた葉も、それにより沈められたと考えるなら、この状況に説明がつく。


(けど、なんで……?)


 先程から疑問しか廻らない。なんだ、この状況は。観測者である自分が認識しきれていない現実に静波の脳は停止寸前まで動揺を覚えていた。


「ゔゔ」


 後方から獣のようなうめき声が聞こえてきた。その音は、間違いなく葉のものだ。


 彼は、静波と同じ倦怠感に苛まれながら、しかしその手で床を掻くようにして必死に前へ進もうとする。


 夜霧冷夢を立たせようと屈んだ瞬間、注射針にて何か神経系に作用する薬を打ち込まれながら、彼は聞いた。


「いいのよ」


 そこには、ちぐはぐな喜怒哀楽の感情が混じった色があり、


「ワタシはそもそも、あそこにいる誰かに殺されるつもりだったんだから」


 と、彼女は言った。


(なんなんだよ、それはぁ!!)


 何かが違う。彼に知る夜霧冷夢と、今あそこにいる夜霧冷夢は。


 だけど、駄目だと思った。いつの間にかずれていた歯車を嵌めなおさないと。決定的な何かが終わってしまう。


 しかし、今の葉に力はない。自分を殺そうとする人間たちに少しづつ近づく夜霧冷夢と、その挙動に警戒心を強める彼らの姿を、瞳に映すことしかできない。


 特殊才能が失われたが、都合よく謎の力があふれ出したりすることはない。


 ただ時だけが刻一刻と過ぎていく。


(くそ、動け! なんで拒絶できない! なんでこんな時に限って、拒絶できねえんだよ!!)


 葉の内心の慟哭は彼の中でしか消化されず。


 夜霧冷夢の歩みの前に、夜霧不変が立ち塞がった。何を仕出かすか読めない冷夢に、不死者である不変が相対するのは自然な流れであった。


「やあ不変。愛しの弟よ」


「……薄気味悪いことを言うな。私はあの日から、いや、初めからお前らとは違うんだ」


「寂しいことを言うなあ。子を成した仲だというのに」


「あの行為にいったい何の正当性があったというのだ?」


「欲が、知識欲が満たされる。それが夜霧冷夢だろう?」


「……もういい」


 重低音の声は、聞く者に静かに煮えたぎった血を予感させた。その感情は不変の身体中に、何年もの年月をかけて馴染んでいるのだ。


 拳を握り、腰の横まで引く。歯肉から出血するほど歯を噛み締める。損傷したところから直っていくその体質を生かして彼は、脳のリミッターを強制的に外す。


 冷夢は大仰に手を広げた。何もかもを受け入れるように。


 空いた胸の中心。奇行による策略の可能性などは、煮立つ頭では考慮できていない。不死ゆえに、死をそもそも考慮していない。


 左足を前に、力を伝導させる。踏み込みと同時に引いて溜まった反発力を爆発させる。


 空気を裂き迫る拳を、冷夢は、避けない。


 巌が胸骨を砕く。砕けたまま、押し込まれる。衝撃を小骨が心臓を貫いた。


 拳の振りぬかれた勢いのまま後方へ吹き飛ばされる冷夢。静波の、葉の身体の上を超えはるか先で後頭部から落ちる。


 硬質な音が酷く響いた。


 誰もが声を失う。その光景に、様々な感情を以て。


 ただ一人、これを作り出した不変だけは前へ歩を進めだした。


 静波、葉の横を通り過ぎていく。二人にその足へ掴みかかる力はない。


 死に体となった冷夢の前へ辿り着き、見下ろす。


 右手に伝わった命を砕く感触は、彼に一つの区切りを与えてくれた。


「……」


 自分が夜霧冷夢を殺してしまったことを謝罪しよう。そう思い振り返ろうとしたその時、彼は聞いた。息を吐くようなほど微かなものでしかないが、確かな冷夢の声を。


 喉に粘度の高い血を詰まらせ、脳も損壊している。意味のある言葉ではないだろうが、自分には聞く義務があると思った。


 膝を折り、耳を澄ませる。


 こぽこぽ、という音に混じり、彼女は告げた。


「……夜……霧冷夢……は……終わら……ない……」


 それが最後であった。瞳に宿る淀みと言う色すら薄れ、吐息で鳴る喉の血だまりのはじける音は消えた。


「……終わりだよ」


 彼女の瞼を降ろし、不変は立ち上がる。


 異変は、そこで起こった。


 足下が縦に突き上げられるように揺れた。背筋が泡立つ。背後から、尋常でない気配が駆け上がってきた。


 恐怖で固まる筋肉を無理矢理動かし、男は振り返る。


 ガア、と鳴く鳥が葉の開けた穴から這入り、彼の倒れていた場所を覆う。終末を歌う三つ足の『烏』が全てを、黒く、黑く染め上げる。


 三つ足の侵入が終わった後も、外ではどこからか集まった夥しい量の二つ足の烏が日輪の遮る影となる。


 三つ足の烏はやがて風景に溶け込むように消え、露わになった葉は先程までの惨めに這う姿でなく、直立不動で佇んでいた。俯く顔には鴉の頭を模した仮面が、首には濡れ羽色の首輪が胸の辺りで途切れた鎖を垂らしている。


 その背からは、彼の身の丈はあろう二枚の黒翼が――否。左右に六枚づつ羽が生え、重なり合うことで対の大翼を形作っていた。


「ガアアアアアアアァァァァァァァァアアアアアア!!」


 葉は鳴いた。この世の絶望を押し固めたような声音で、怨嗟の声を吐き出し続ける。


「なんだ、あれは……夜霧新は天津目葉を、〈犠牲児〉を使って何をしようとしていたんだ!?」


 理解不能な事態が立て続けに起こる。


「堕天使……」


 鳴き声と揺れの合間に、寧々の呆けた声が届いた。


 成る程、言い得て妙だ。


 不変と鴉の視線が、交錯する。


 翼が後ろに引かれ、前へ。射出の力で両の翼から羽が放たれる。不変で交差するように撃たれたそれは高速の速度を持ち回避を許さない。


 が、しかし羽は、不変の薄皮一枚を裂く程度の位置で交わって横の壁に突き刺さる。純白の壁は触れた面からぐずぐずに腐敗していった。


 不変の傷口も壊死したが、すぐさま直る。


「駄、目、だろッ……!」


 仮面の奥から苦しげな声が聞こえてきた。身を抱き、胸を掻いて何かを押さえつけようとしている。


 不変はそれを隙に駆けだす。筋繊維が千切れるほど足を酷使し、素早く葉の横を抜け仲間の元に戻った。


「錠ヶ崎寧々、封印は?」


「無理。私の改変力じゃあ、あんな化け物封じ込められない! なんなの、あれ本当に人間!?」


 疑念と驚愕を混じらせ歯噛みする。正当を持たない不変は計に声をかける。


「猫屋計――」


「もうやってる! だけど、無理だ。あれは特殊才能でも、魔術でも、恐苛でもないぞ!!」


「それはそうですわ」


 その声に、誰もがはっとする。計が力を使った。それ即ち、その前に使っていた封印が解けるということだ。


 生体電気を操れる静波なら、代謝を促し薬の効果を弱めることも可能だろう。


 体質の問題か、若干だるそうな様を残しながら、彼女はアンブレラから直剣を抜いて不変たちの前まで歩んだ。


 忌々しげに臨戦態勢を強める六人に、静波は両手を上げ戦闘の意思がないことを告げた。


「こちらとしても、あれは想定外なんですのよ。まさか発動条件が、彼自身の絶望――手遅れの能力なんて、嫌味な話ですわね」


「お前は、あれを知っているのか?」


「表層程度ですが、知っていますわよ。と、言いましても、あまり知る人物が多いのはよろしくないそうなので詳しくはお教えできませんわ」


 機先を制し、余計な詮索を封じる。その上で、彼女は最低限必要だと思われる情報だけを告げた。


「あれは、〈絶望〉を司る神の身姿。魔術界で言う〈聖人〉に近しいものがありますわ……上位互換ではありますけど」


「どういうことなのよ」


「どういうことも何も、それ以上でもそれ以下でもありませんわ」


 現在の魔術界の第二席である寧々でも、静波の説明に思い当たることは存在しなかった。


「それより、今わたくしたちがすべきことは、あの迷惑な鴉を退治することでしょう?」


「ガアアアアアアアアアアアアアア!!」


 天へ突き上げる慟哭が呼応するように被さった。


「逃げるなら今ですけど、どうしますか?」


 静波の問いに、動く者は一人もいなかった。恐怖のためではない。ある種の蛮勇であり、ここで逃げても意味がないことを理解しているからであった。


「分かりましたわ。あの翼には、たとえ羽であっても触れないでくださいな。あの壁みたいになりますから」


 静波が剣の切っ先を呻く葉へ向ける。他の面々も、己が武器を構える。


「では、参ります!」


 刃を道筋に、牽制の電撃を放つ。何かを堪えるようにしていた葉は一転、翼をはためかせ上へ飛ぶ。翼に触れた天井から腐食が始まり、落ちていく。


 葉が上に行き、何をしようとしているのか。皆一瞬で理解した。


 その羽を、上空から雨のように掃射するつもりなのだ。


「飛ぶんじゃない!」


 萌衣が特殊才能を使い葉の行く手を阻む。しかし、弱い。彼の翼が持つ推進力の方が上であった。翼の動く速度だけが落ちていないことを見るに、その周りの念力だけ消えているようだ。


 だが、僅かに速度は落ちた。


 続いて、二人の電磁系特殊才能保持者が追撃として電撃の蛇を放つ。が、対の翼が振るわれ消滅した。


 黒翼を戻す勢いで二枚の羽が撃たれる。狙われた二人を、不変と自身の魔術で脳が掛ける駆動の限界を封印した寧々が抱えて躱す。


 先程まで彼女たちのいた場所に突き刺さり、階下を望む穴が開く。不変の時のような惑いは存在していなかった。


 それを見た二人は、降ろされると同時に自己の肉体に電気を流し、反射と行動の速度を上げる。


 不変らはそのまま、肉体を限界まで使役し飛び、天井の空いた穴の淵に手をかけ昇っていく。重量制限や飛ぶ能力のない夜霧姉妹はそのまま地上に。計は姿が見えない。


「胡桃渚!」


 静波の呼びかけに、振り向く。


「どでかいの一発、あの阿呆に食らわせてやりますわ。手伝いなさい!」


「口調が乱れてるわよ」


 薄く笑い、渚はありったけの針を飛ばしてまだ無事な各階の天井と、隙間を縫って今まさに向かおうとしている小さな穴しか開いていない最上階の天井に突き刺していく。


 その一つ一つに二人は、異なる道筋で電気を流す。その行き先は、最上階の二本。


 増大した電流の槍が葉を今まさに穿とうとす。だがそこには、何物もを腐らせ堕とす黒い翼が。


 背後へ引かれる十二枚翼。その隙間を狙い、二つの影が葉の斜め上に入った。


 不変と寧々が、掲げたの握りこぶしを、空白となった肩に振り下ろす。筋繊維を犠牲とした一撃は、肩甲骨を外し背中を開かせる。そこから生えていた翼も同期して外にずれた。


 それに沿うように、二つの槍が突き刺さり、胸の中心――心臓で交差する。重力に従い落ちていく二人が見たのは、そんな光景であった。


 翼自体が意思を持っているだけではないらしく、心臓に電撃を受けた葉もまた重力に従い落ちていく。


 不変と寧々が着地する。同時に、重い音を立てて背中から葉が落ちた。


「やった?」


「……そういうこと、言わないでくださいまし」


 切っ先を葉に向け、警戒を緩めぬ静波。


 暫くして、彼女の懸念通り、間接を無視したような、まるで起き上がるための間の動作を無視した動きで立ち上がった。


 心臓を止めるほどの電流だったはずだ。だが、立ち上がる。


「ガアアアアアアアア!!」


 葉の鳴き声に、太陽を遮っていた二本足の烏たちが渦を巻きながら降りてきた。


 地面に接地すると潮が満ちるように烏が広がる。


 足下へ烏が這いよる。その鋭い嘴でなく、膨大な質量による圧殺が目的だ。


 舞華の『不死鳥』の能力は、回復しかできない。だから、面の攻撃ができるのは、渚と静波のみ。それでもこの数には対応しきれない。


 烏たちが上へ割れ、面へと広がる。煌く眼光に、確かな死を見た。


 と、そこで、一階上から「ニャあ」と声がした。


 黒猫。太陽による逆光で姿は見えないが、そのシルエットは大型ではあるが、確かに黒猫であった。


 姿が見えなかったのは、猫の伸縮性を生かすのでなく、外側から階段で回り込んでいたためだ。


 このような、イレギュラーな事態に備えて。


 封印はできなかった。だが、もっと本質的なところなら。


 葉へ影が伸びる。『不幸を司る魔の黒猫』の、影が。


 烏を使役する、葉へ。


 影を捉え、絡まる。不幸が、侵蝕していった。


 上下に分かれていた鴉の群れが、不自然なまでに横に割れ、彼らを避けていった。


 後ろへ消えていく黒の奔流の中、静波は、その細足で駆け出す。流れに逆らい、女性は剣を持つ手を腰に引く。


 一度地面に叩きつけた後、威嚇のように翼を広げ襲い掛かる葉。不幸は既に取り除かれた。


 だからこれは賭けでしかない。〈恐苛〉なんて神と人の力の副産物(、、、、、、、、、)が挑むのはそもそもが不可能な話であり、人が神殺しを成すにはまだ準備が足りない(、、、、、、、)。


 一息、吸い上げ、


「夜霧亜莉紗!」


 その名を、口にした。


 彼にとって、誓いであり、呪いの言葉。


 効果は劇的であり、ほんの一瞬ではあるが、確かな停滞を見せた。


 都合がいいと思うなら笑いなさい。そう彼女は心の中で吐き捨てる。彼にとって彼女との絆は、こんな形で成り立っているのだ、と。


 間合いに左足が踏み込む。走った力をそのまま溜め込み、腕を前方へと打ち出す爆発的な勢いと化す。


 その切っ先は迷わず額へ向かい、その鴉面を砕く。黒と銀の残滓の舞。刺突用でない直剣もまた、その勢いにより砕けていた。


 面を狙ったのに理由はない。ただ、葉を生かしながら開放する方法がこれしか思いつかなかったのだ。


 結果は――首輪と羽が、黑い光となって弾けて消える。揺れが収まった。


「ふう」


 明確な結果に静波は疲労交じりの息をこぼした。他の面々も、この目に見える結果に警戒を解いた。


 あの記録データ通りなら、静波が次に言うべき言葉は決まっていた。


「ご気分はどうですか?」


「……ああ、最悪だ」


 頭痛が酷いのか。深いしわを顔に刻みながら頭を押さえていた。


 あれだけの傍若無人な力を暴走させながら、この程度の代償で済んでいる。それは、計の力にも言えることだ。


 何の対価もなしに、一度に一つの事象限定とはいえ、可を不とできてしまう。


(本当にあの男の言った通り……)


 女の脳裏には、あの男の達観した瞳がどこか遠くを眺めているときの姿を思い浮かべていた。


 その眼をするとき、男は必ずこう始める。






 ――この世界は、化け物どもに侵されている。

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