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ファクターズ  作者: 綾埼空
五話 その力は誰がために
110/131

上がるか、落ちるか

 久澄が颯真と再開した同日。時は遡り正午少し前。


 三区に意図的に作られたエアスポットの入り口側に満身創痍の己世界が壁に背を預け座り込んでいた。


 葉と亜莉紗が問答をしている間に痛みで意識が無理やり覚醒し、適当な小道へ逃げ込んだのだ。今の界ではそれが精一杯であった。


「あの野郎、絶対にぶっ殺してやる!」


 荒く吐かれた息の合間に挟まれた宣言。ひどく陳腐でありふれた言葉だが、今の界の感情を表すのにこれ以上適切なものは存在していなかった。それは、肉体的なダメージから来るものというより、第一位の名を傷つけられたという精神的苦痛を原動力とした怒りから来るものであった。


 しかしながら、精神に肉体が追い付く状態ではない。『囚われの烏』の力により右腕は腐り落ち、自らの捨て身の代償に内蔵類は殆ど潰れている。落下の衝撃であばら骨もいくつか折れていた。


 無論、MGR社の技術力があれば治せぬ傷ではない。そして彼は第一位のランク4の特殊才能保持者であり、〈唯一無二〉保持者でもある。


 見捨てられる可能性は皆無に等しかった。そこまで計算し、界は戦闘を進めていた。


 連絡を済ませてあるため、後は命さえ保っていればよい。


 けれど、逆立った神経は意識の乖離を認めはしなかった。


 界の耳に、三つのソールと地面の摩擦音が聞こえた。


「よう、速かったな」


 眼球一つ動かさず、そう傲慢に呟く。


 しかし次の瞬間、界の脇腹に焼けつくような痛みが走った。


「あ゛ぐあ゛?」


 苦鳴と疑問がない交ぜになって口を衝く。黒目を動かし、原因を見た。


 焼けつくよう、ではなかった。実際に赤い炎剣が界の脇腹を深々と焼き貫いていた。


 そのまま視線を上げていく。張り付くような黒いスーツに包まれた細い左腕が炎剣を持ち彼に向かい伸びており、顔にはへらへらと薄気味の悪い笑顔を浮かべた道化師(ピエロ)の仮面が。


 さらにその後ろには、背広を着込んだの夜霧新と白い後ろ髪を見せた白衣を羽織った夜霧冷夢が佇んでいる。


「道化師ォ! それに、夜霧冷夢!? てか何でお前がここにいるんだ、夜霧新!!」


「仕事だよ。君と彼の戦いの推移を見守るのもその一つだね。けどまあ、あれだけの代償を払って、なおかつ『あの翼』の攻撃を受けたのに怒鳴る元気があるんだ」


「てめ、何で俺様を。大体あの黒翼は何なんだ。聞いてないぞ、あんな――ゴホッ」


 全てを言い切る前に、喉までせり上がってきた血液が堰で吐き出された。


 もう全てが限界であった。


 余力を全結集し、道化師と原因の新を睨みつける。


 三人の笑みが消えることはなかった。


「彼は僕の駒だよ、己世界。チェス盤のね。役職はルークかな。魔術すら封ずる可能性を示した最強の特殊才能保持者さ。ちなみに道化師(この子)はナイトだ。ビショップでも意味は通じるが、僧正と言ったら彼女たちだから」


 警護役として様々な場所や時間を新と共に過ごしてきた界だが、彼が何を行っているのか理解できなかった。


 だがその達観した瞳でどこか遠くを見つめているのは、彼が時折見せる不可思議な行動の一つだ。


「君を殺しのはまあ、死んでもらう必要があるからだね。あの翼を見て生きてていいのは現状僕と天津目葉。それに、彼(、)だけだ。だからわざわざ出向いてきたんだし」


 その答えに、しかし葉は納得することができない。あの『黒翼』を見たものは生かしてはおけない。ならば、何故自分だったのか、と。


 問うための声は出ない。


 しかしその程度の疑問は新のとって容易に予想できていた。


「簡単な話、君はもう用済みだったんだ。ここにいる冷夢さんが君の特殊才能を『Rise Above』化に成功してくれたからね」


 界の心に驚愕が広がる。〈唯一無二〉はその希少性も特徴の一つだ。


 現在『Rise Above』化が済んでいる特殊才能は第四位の『磁化変換』と第二位の『電離線』のみ。第五位・鈴香赤音――界の脇腹を炭化させている道化師の『空実発火』は周りが思っているほど簡単な作りをしていないため、第三位の『朱雀の右翼』は〈科学魔術〉という、それぞれが特異な事情があり機械化に成功していない。


 『自己世界』もまた、その特異な事情が含まれていたはずなのに。


 夜霧冷夢は振り向き、界を見た。怒りに疑問が混じり濁った瞳を見て、唯一笑みを浮かべず彼女はようやく口を開く。


「ワタシたち夜霧冷夢に不可能はない。それだけよ」


 言葉は、それだけだった。再び出口の先を見つめる。


 界の心に暗い感情が宿る。しかし、霞の向こうへ消えていく。


「それじゃあ、地獄で会いましょう。――道化師、やれ」


 新の命に従い道化師が炎剣を振り上げる。肉と骨と血と脳が焼ける異臭を放ちながら界の意識は痛みも自己もない暗闇へ消え去った。それが浮上してくることはもう、二度とない。


 仕事を終えた道化師は炎剣を消し、一瞬現れた藤色の髪をした少女の触れられ消失した。


 それを確認し、新はぽつりと言葉をこぼし始める。


「君はいつも言っていたね。自分の才能は『思い』から来ていると」


 新は悲しみを携えた瞳で界の死体を見下ろす。


「けれどそれは違う。君の才能は人間の想像力の極致でしかなく、他の特殊才能と何ら変わらない普通の種類であった。もし本当に『思い』からきているのだとしたら、物理法則すら捻じ曲げられたさ。それだけ君は傲慢だった」 


 それは鎮魂歌であり葬送歌。


 瞑目し、界と過ごした日々を思い出す。


 空白は少しの間だった。


「君の屍を超えていこう。これは欺瞞であり偽善だ。いずれ断罪の剣を持った人間が僕を地獄へ送るだろう。だから、それまではおやすみ」


 そこで言葉は終わった。タイミングを見計らったように現れた藤色髪の少女が界の死体を攫っていく。


 新は長い溜息を吐いた。そして自分に言い聞かせるように「あともう少しだ」と呟いた。


 新たと界の一幕に全く興味を示さず表通りを気にしていた夜霧冷夢は、そこで新の方を向いた。


「ウチの娘を利用して満足か?」


 いつも狂気にまみれた笑みを浮かべている夜霧冷夢だが、今は憤然とした表情をしていた。声色も、氷のように冷たい。


 新は目を見張る。


「驚きましたね、あなたが他人を実験体以外と認識するなんて。だからこの場まで足を運んだんですか?」



「亜莉紗は他人なんかじゃない。れっきとしたワタシの娘だ」



 新は正直に気持ち悪いと感じた。自分の弟とも呼べる『夜霧不変』と名乗った男をを実験欲のために犯し作った子供だ。彼女にとって亜莉沙はその実験の延長線上にある肉塊に過ぎないはずだ。


 正常な感情の機微が、夜霧冷夢という存在に限って気持ち悪いものでしかない。常識からずれた異常者が『夜霧冷夢』という群体(、、)である。


「分からないですね。そんなに子供、好きでしたっけ?」


「これが、自分の可愛くて仕方ないんだ。もちろん、『犠牲児』のみんなも可愛かったが、あくまで実験体だった。それに、ワタシたちの母も子供好きだったはずだがな」


 この女性の狂気や興味以外の感情を初めて垣間見諦め混じりの笑みを浮かべながら、最後に付け加えられた情報に旧友の顔を思い出す。


「確かにそうでしたね。夜霧冷夢として確立した存在ではありましたけど。けど、僕が今こうやって歩き進めているのは彼女のお陰だ。悪口はやめよう」


「なら、亜莉紗もあんな怪物からは引き離してくれないか。そうしたら、色々と吹き込んだことにも目を瞑ってあげる」



「今更遅いですよ。あなたが作り上げた化け物に、希望の甘さと絶望の苦さを教えられるのは、あなたの娘だけなんですから」


 夜霧冷夢の見たものを凍り付かせるような怒りを笑みで受け流す。


 張り詰めた空気が充満する。一つ、ほんの一つの何かでこの先の運命が決まる。


 緊張の糸を切ったのは、携帯からの着信音であった。音源は夜霧新のズボンだ。


「出ても?」


「構わないよ」


 新はポケットに手を突っ込み、タッチパネル式の携帯を耳に当てた。


「もしもし。ん、ああその件なら和ヶ原家に話を通してある。ああ、じゃあ、仕事に邁進してくれ」


 短い通話が終わり、携帯は元の場所へ戻される。


「何の話だったんだい?」


「株価とか予算の話だよ。戦争のせいで中馬が持ち株を五パーセントになるまで、洋頭に限っては全株式をうちに買い取らせた。他にも細々と、ね。株価はごみ同然まで下落している。誰が広めたのか特殊才能保持者出兵させるなんて噂が『外』に出回って保護者の方々から子供たちを返すように言われるし。預かっている側からしたら逆らえるわけがないだろ? だからナノマシンの消費が今年度予測の約十倍に達している。研究者や工場はフル稼働だよ」


 余程頭を痛めていたのか、重々しい声音で言葉を吐き出だしていく。


「救いは和ケ原家が支えになってくれていることだが、裏があるように思えるし」


「和ヶ原家の娘を人質に取ってしまえばいいじゃない。いるんだろ?」


「今和ヶ原家を裏切ったら本社まで瓦解するよ。そんな手は取れないさ」


 新は重い溜息を吐いた。


「ままならないね、人生ってやつは」


 新は笑みを深め、歩き出す。夜霧冷夢の横でいったん止まり、


「HHRの方、頼むよ。僕はこのまま本社にとんぼ返りだ」


 そして、このエアポケットを後にする。


 夜霧冷夢は新の計画を何も知らない。何も知らないで手伝っている。 


「……ワタシもワタシの計画を始めますか」


 白衣の裏から長方形の物体を手に取った。スイッチを押し、一人虚しくボイスレコーダーへ言葉を呟き始めた。











 時は巻き戻り、夜。


 久澄は四区を代表する総合病院の前にいた。衣服に付着した血液の除去と開いた穴を他の個所から糸を集めることで軽めに塞いである。流石に靴はそのままだ。


 全身の傷にはすでに薄皮が張られていた。少し前から分かっていたことだが、化け物じみた回復力であった。


 怪我が治り始めているため、久澄の用事は本来のものとは異なる。そもそも、二十四時間体制の緊急外来を除き、赤十字を掲げた聖なる建物は不気味な沈黙を放っている。


 しかしその男は、まるで久澄の来訪を予期していたかのように入り口前にて佇んでいた。


「ついて来い」


 普段久澄が聞くのとは違う口調で、身を翻す。


 明暗などさしたる違いとしない久澄の目は、純白なはずの白衣が鮮血に濡れているのを見逃さなかった。そして、紅き雫を放つはずの傷がないことも。


 医師にはその姿がやけに似合っていた。いや、収まるべきものが収まったというべきか。


 久澄はそんな感想を持ちつつ、その背に追従する。


 防弾ガラスの自動ドアを抜け、ほんのりと緑がかった電灯に照らされたホールを歩く。静寂な院内では僅かな足音でも嫌に響いた。


 エレベータ前で足を止め、医者の指がボタンを押す。一階で待機状態だったらしく、扉はすぐに開いた。


 医者が入り、脇にそれて久澄に道を譲る。二歩分遅れて彼も乗り込んだ。


 真ん中にあたる部分で向き直ったときには、ちょうど扉が重々しく閉じるところであった。


 目的地を指定するボタンの明かりは四階の西煉を指している。意識不明などの重症患者用の館だ。


 駆動音のしないエレベータ内は沈黙に包まれた。お互いにまだ口を開くわけにはいかないという雰囲気が立ち込めていた。


 浮遊感がしばらく続き、横へ加重がかかる。


 滑らかな動作で鉄扉は開いた。入れ替わる空気に従うように二人は外に出た。


 夏場だというのに空気は冷たかった。重厚な雰囲気に久澄は胃が縮こまる感覚を覚えた。


 個室の立ち並ぶ廊下を進み、一つの部屋の前で止まる。


 先導していた医者が横に引いた。


 久澄は一歩踏み込み、淀みなくドアノブを横にスライドさせた。


 生暖かい風が吹き抜ける。レースのカーテンが揺らいでおり、彼は窓が粉砕されているのを目視した。


 そして、


「……!」


 それはすぐに目についた。


 純白の布団が敷かれたベッド。その上に積まれたサイドテーブルに心電図、点滴。それらを固定するように巨大な杭が縦に突き刺さり、さらに横にもう一本杭が心電図を貫き十字を形作っていた。さらにはその上に落ちた白椿が添えられていた。


(嫌味かよ)


 久澄はその十字を見据え、あの悪趣味の固まりである十字架を思い出していた。


 そして、あの日とは違う点である純白の花を目にした。


「……あの花の花言葉知ってるか?」


 久澄の知識の中には椿の花のことは存在してなかった。


「白椿の花言葉は愛や美に関することが多い」


 愛という最低な嫌味に久澄は舌を打った。しかし医者の言葉はそこで終わらなかった。


「だが、病院に椿の花を置いてったのだから込められた意味は別にあるだろう。椿は散るときに首を落とすことから死を連想させるとして見舞いの花としてタブーとされているからな」


「……墓標のつもりか」


 意味は二重にかけられているのだろう。どちらにせよ、相馬颯真らしい宣戦布告であった。


 久澄は病室から退出する。脇に控えている医者を見た。


「で、その姿に口調は素……だよな? 隠し事でも教えてくれるのか?」


「ああ」


 怒りを一変たりとも無駄にしないために勤めて軽薄な口調で話しかけた久澄に、医者は首肯した。


 そして医者は――三番目の夜霧冷夢は、静かに自らの素性を語りだした。











 その様子を近くから除く人物たちがいた。


 病院の入り口側で広がる雑居ビル群の一つの屋上。室外機の上に座り双眼鏡を目に当てた少女は藍色の髪を夜風になびかせていた。


「覗き趣味は怖いニャ」


 その背に、特徴的な語尾の声がかかる。


 夜霧萌衣はその声に「冗談が過ぎるわよ」と適当な調子で返した。


 暗き夜の中、普通はこんな屋上に人影があるかなんて分かるはずがない。そこへさらに猫屋計に憑いた恐苛『不幸を司る魔の黒猫』の力を使い、『不幸』にもこの場所を見たい何者も発見できないように阻害している。


 そのため、一か所に集まれば危険な思想を練りかねない彼らが集まってもこの街の『闇』が動くことはない。


 曰く『監視』を黙って見つめていた猫屋は、屋上へ上がれる唯一の階段から僅かな音を聞いた。個人を特定するに足る徒歩では決して出ない特徴的な音に猫屋は警戒を解いて萌衣に報告する。


「夜霧、来客ニャ」


 言うに被せるように、扉から車椅子が跳び出た。


 双眼鏡から目を離し、萌衣は振り向く。


 彼女の視界には、セミロングの黄色髪をした少女が自身の特殊才能で電動車椅子を動かし屋上の中ほどまで進んでいる光景が映された。


「動いて大丈夫だったの?」


「はい。お陰さまで何とか」


「そう。流石は夜霧冷夢の分体といったところね」


 その名を聞いて、渚の顔に生理的な嫌悪が浮かぶ。


「……確かこの件、アスちゃんにも伝えるんですよね」


「彼女も無関係ではないからね。それに、彼個人の感情として久澄兄妹には話を通しておきたいって。望めるなら、協力も仰ぎたいって」


「先輩は分かりますが……〈科学魔術〉の朱雀と言っても一介の中学生に頼るのは……」


「忍びないし、足手まといと」


 一介に重きを置いた渚の真意を汲み取って発言した萌衣は、しかしそのことを指して重要視していないようだった。


「その点は大丈夫よ。なんせあいつ、妹さんのために格上の魔術師と死闘を演じて、勝利するほどの重度のシスコンだから」


「はあ」と渚はどこまでがいつもの冗談か分からず気の抜けた返事しかできない。


「渚の怪我の方もいい感じに治っているし、明日明後日じゃない限り計画に支障はなさそうね」


 その言葉に渚の顔が引き締まる。それを確認し満足げに頷いた萌衣は、双眼鏡に目を戻した。


 しかし彼女は大事なことを確認し忘れている。それに気が付いた猫屋は、内心で呪詛を編んでいた。


(絶対にわざとニャ)


 初対面から印象は最悪。以降も顔は合わせるものの言葉は交わしていない。


 本人は粋な計らいと考えているのだろうが、猫屋からしたらいい迷惑だった。


 けれど、大事なことだ。意を決して口を開いた。


「胡桃、尾行は着いていないだろうニャ」


 力を及ぼしているのはこの空間にであって、個人ではない。来るかも分からなかった人間に使えるほどこの力は燃費が良くないのだ。


「そんな凡ミス犯すと思う?」


 声音は辛辣であった。どんな事情であろうと、渚は〈犠牲児〉に夜霧側で関わった人間を許す気はなかった。


 猫屋はため息で渚の敵意を躱す。そして泥をかぶった言葉を重ねる。


「そう思っている人間が一番怖いニャ」


「大丈夫。あなたたちのお陰でそんな慢心は消え去りましたから」


 二人の間には因縁という壁が大きく立ちふさがっていた。そしてお互いにその壁を超える気も壊す気もなかった。


 夏の生暖かい風と合まり屋上には不快な空気が充満した。


 それを萌衣の吹き出した笑いが霧散させた。


 二人の目線が元凶へ向く。


 萌衣は「もういいや」と双眼鏡から目を離し、二人へ向き直った。


「たく、愉快ったらありゃしないわね」


 実に満足そうな萌衣に、二人は揃って首を傾げた。











 三番目の夜霧冷夢は、自らの正体を端的に語る。


「私は、〈犠牲児〉を応用した夜霧冷夢のクローン体とは別の、彼女本人の思考が植え付けられた三番目の分体だ。だがオリジナルの実験かなにかは知らないが、その思考に異議を持つ反乱分子で、彼女の研究対象、またそうなりそうな人物をを保護する立場にいた」


「……てことは、お前の表に出ちゃまずい研究データは」


「お前と接点を持つために偽造した虚偽のものだ。調べ方が雑すぎて、自然の見せかけて掴ませるのには苦労したぞ」


 三番目の夜霧冷夢は肩を竦めて苦笑する。しかし、すぐに表情を改めた。


「私たちは後に来る大戦の隙を突き、〈塔〉を――夜霧冷夢を奇襲する。手伝ってはくれないか?」


「そんな重要なこと、言っていいのか? 夜霧冷夢の監視網はどこにあるのか分からないんだろ?」


「人間も監視システムも浄化は済ませてある」


 久澄は頬を掻いた。


「あのさ……いや、あのデータが偽造だったなら礼節を欠くのはよくないですね」


「私は崩した言葉のままで構わない。というより、今更君に敬語を使われても気持ちが悪いだけだ」


「なら、変えずに。それでさ、俺はさっき誘神をさらった奴に会って、言われたんだ――『餌を吊るしておくから罠にはまってくれ。もし断るなら餌は食べちゃうぞ』って」


「……」


「それが大戦時の話になるんだ。から、無理だ」


「……妹さんを〈科学魔術〉の被験体にしたのが夜霧裂――夜霧冷夢の分体だとしてもか?」


 久澄の眼瞼が震えた。


 それをしっかり見てから、医者は言葉を続ける。


「夜霧裂が〈科学魔術〉の理論を立て、ちょうど試したかったところに神道に自然と染まった朱雀の名持ちがやってきた。夜霧の知的好奇心は、そんな絶好の機会を見逃さない」


「……」


「この真実は、久澄飛鳥のも伝えるつもりだがな」


 その言葉に久澄は医者の胸ぐらを掴み上げた。恐ろしく軽く、人間としての力であるのに片手で持ち上げられた。


「お前、そんな話を一般人のアスにするつもりかよ」


「グッ……私から見れば君も一般人なんだけれどね」


 えずきながら、あくまで淡々と男は語る。


「力は認める。が、私に対等と見られたいなら、殺しを躊躇しないことだな」


 瞳と瞳が交錯する。


「……お前も夜霧ってわけか」


 そこに宿る思いを感じ取った久澄は、やるせない気持ちを瞑目で抑え込み、医者を降ろした。


 そして、頭を下げる。


「お願いします。飛鳥には話さないでください」


「……惨めだな」


 頭を振り、医者は失笑した。


「愉快な気持ちにさせてくれたお礼だ。妹さんには話さないよ」


 望む答えに、久澄は顔を上げた。医者は外の景色に顔を向け、付け足した。


「結神契の件を伝聞する限りでは朱雀の力は魅力的だが、どうせ戦力にはならないだろう」


 医者は久澄に背を向け歩き出す。


「それでは、また逢えることを祈ろう」


「待て」


 その背を言葉で引き留めた。


「なんだ?」


「名前を聞いていない」


「必要性はあるのか?」


「ない。ただ単純な好奇心だ」


「ふむ――」


 医者は半身だけをを久澄の方へ向け、告げた。


「夜霧不変。存在しない夜霧だよ」


 答え、再び歩き出す。その姿は、すぐに廊下の闇へと消え去った。


 久澄が不変の言葉を正しく理解しきったのは、それからしばらくしてからだった。














 月の光が網戸に裂かれ、疎らに畳を照らす。 


 その少年は自室にて自問していた。


 とある女性の言葉と誘いが頭を巡る。


 彼には強さが必要だった。自らの存在の証明と何代も前に存在したとある事件への復讐のために。


「…………」


 思考は収束した。決意する。誰にも理解されることのない戦いに臨むことを。


 刈上壬生は、握った拳で自らの胸を叩いた。


 その外で男女の声で紡がれた一つの喧騒があった。






 葉と亜莉紗は微妙に間を開けた横並びで、昼は小売店や露店が開き賑わう通りを歩いていた。亜莉紗が左手に揺らした黒のビニール袋が夜風になびき乾いた音を立てる。


「何でこんな時間まで遊びほうけなきゃいかねえんだよ」



 葉は心底面倒くさそうに溜息を吐いた。


 亜莉紗は夜を照らすような笑顔でそれに返す。


「しょうがないじゃん。せっかくのオフだったんだし。こんな時世、本当は私たちアイドルは忙しいんだよ」



「知るか。興味ねえ」


「うわ、そういうこと言う。実はこうやって私に歩幅を合わせてくれているのに」


「喧嘩売ってんのか?」


「まっさかー。勝てない勝負をするほど馬鹿じゃないですからー」


 そう言うと、前に進みながらくるくると回転し始める。


 意味は分からないが、上機嫌なのは葉でも理解できた。こうやって裏表なく感情をそのまま前面に押し出す彼女の性格は、対人関係の苦手な葉にはありがたかった。


「てか葉君。家遠くない? まだ歩くの?」


「居候するのにいいご身分だな。ごまをすれ、ごまを」


「ならばこれを進ぜよう」


 葉の予想していた答えとは異なり、演劇じみた言葉遣いで左手の袋をあさった。


 上がった右手には、黒地の箱が握られていた。


「はい」と渡されれば、受け取るしかない。


 リアクションを期待した目に促され、葉は辟易しながら箱を開けた。そこには、髪留めにピンが入っていた。


「お前、こんなもの買ってたのかよ」


「ええ!? いいじゃん、お揃いだよ」


 袋の中身が見せられる。握っているのと同じような箱がもう一つ鎮座していた。


「……ぜってぇ着けねえ」


「なんで……いいと思ったのに……」


 騒がしかったのが打って変わってしおらしくなる。


 うつむき悲しそうにする姿に、葉の胸に謎の罪悪感が込み上げてきた。頭を掻く。


「分かったよ。なんかには使う」


 上目遣いで潤んだ目が葉を射すくめる。 


「……絶対?」


「あ、ああ」


 少女は立ち止まり、もう一度目線を降ろした。


 葉も足を止めて、反応を待つ。


 謎の緊迫感が二人の間に流れた。夜風に吹かれまたもや乾いた音を立てたビニール袋が膠着を解いた。


 亜莉紗は肩を震わせる。その行動へ繋がる感情の機微が理解できず葉は狼狽した。だが徐々に聞こえ始めた喜悦の声――俗にいう笑い声が聞こえ始めて彼は彼女の職業がそれも含むことがあることを思い出した。


 亜莉紗は拳を突き上げ、高々と笑い声を上げた。


「言質取ったりー! ちゃんと守ってよ!!」


 彼女は一流のアイドルだ。そのためドラマやCMなどで演劇経験は十分にある。泣き真似などお茶の子さいさいであった。


「子供かよ……」


「そうよ!!」


 自信満々に返されてしまえば二の次は継げない。葉はうつむき呆れを含ませた表情で頭を抱える。しかしうっすらと、彼自身も気づかず笑みを浮かべていた。






 医者から衝撃の告白を受けた久澄は、病院を後にしていた。


 ぁの言葉が真実か、彼には分らない。分からなくても問題はなかった。


 彼は彼の戦いをしなければならない。


「どうやって行けばいいのかね」


 目下の問題はそこだった。海を渡る術など彼は有していない。


 どうにかこうにか方法を模索しながら歩いていると、目の前に見知った人物がこちらに向かい歩いてきていた。


 久澄は足を止め、彼女の名を口にする。


「錠ヶ崎寧々、さん」


「待っていたよ、久澄碎斗君」


 指先で二本の銀色の鍵を束ねた輪っかをもてあそび、寧々は久澄の目の前まで歩んだ。


 寧々の魔術は、封印を施した対象の所在地を知ることができる効果も持つ。


「久しぶりね。左目の調子はどう?」


「お久しぶりです。お陰さまで問題ないです」


「そう。じゃあ残念だけど、封印解かせてもらうわよ」


「え?」


 久澄が言葉の意味を咀嚼する前に、空中を回っていた鍵の一本が破砕音と共に霧散した。


 同時に久澄は左目に違和感を覚えた。熱く重い。何か大きな力だ巡っているのが理解できた。


「……いいんですか? 精霊眼は魔術界の禁忌なんですよね」


「私の魔術は封印を持続させるためにその対象へ魔力を流し続けなければならない。この先の戦いではそんな余裕はないの。だから精霊眼であろうと今回は一時的に封印を解かせてもらうわ」


 久澄は近い未来に待つ大戦へ、この女性が大きな決意を抱えてているのを悟った。


 しかし敵は、昔の仲間。魔術師が規則(ルール)を破ってまで戦おうとすることに疑問を感じた。


 けれど、それは関係ないことだと思考を切り離す。彼には彼の戦いがある。


「それでは、失礼します」


 久澄は軽く会釈し、その場を立ち去ろうと踏み出す。


 それを寧々の言葉が引き留めた。


「待って。君には聞きたいことと話したいことがある」


「何ですか?」


「奈々美の所在を知らない?」


「どういうことですか?」


「少し前から行方が分からなくてね。君も連絡をもらってないとなると、いよいよ手詰まりだな……」


「何か事件に巻き込まれたという可能性は?」


「奈々美がどうしようもできないほどの事件は起こっていない」


「なら、最悪の事態ってことはないんですよね」


「多分、ね」


 なんとも歯切れの悪い答え方だった。寧々は知っているのだ。本当に最悪の事態は、音もなく忍び寄ってくることを。


 ましてや、奈々美の出自はそれに該当する。


 久澄もそれは実体験として理解していたが、あくまであれは特例だと割り切っていたのと、奈々美の過去の全容を知らないことから寧々の不安を察することができない。


「それで、話したいこととは?」


「あ、ああ。君に仕込まれた、もう一つの封印についてだ」


 久澄は寧々の右の人差し指にかけられたリングに一つ残った鍵を見た。


 それに気づき、寧々は鍵をズボンのポケットへしまった。


「これは関係ないよ。その鍵の所持者は、夜霧新だ。三年前の夏から君に作用している」


 三年前の夏に封印。ピースの欠けたパズルの重要な部分が今揃った気がした。


 久澄は深く息を吸い、驚きで跳ねる心臓を抑え込む。酸素は循環し、冷静な思考は最適な言葉を選択した。


「それは、何のために」


「さあ? 彼がこそこそとやっていることなんて私には知る由もないわ」


「自分の魔術なのに、そんなことも分からないんですか?」


「残念ながら。私は命じられるがままに閉めただけ。開錠できるのは彼だけよ」


 そう言い切ると、寧々は小さく手を挙げた。


「じゃあ、次会う時にはまたその目を封印させてもらうよ」


 音なく彼女は夜道へ消えてった。


 残された久澄は、得られた情報をまとめ上げていた。


(循環の蛇により心臓内で循環させられていた吸血鬼の血。夜霧新は数パーセントの名残りだと言った。半分以上ならいざ知らず、循環が主な力の恐苛に抑え込まれていた少ない血が、少し心臓の動きを速めただけで漏れ出るか?)


 そこまでは以前猫屋と会話した内容と同じだった。情報の整理のために、前置きとして確認した。


(けれど、もし仮に全ての血があるとしたらどうだ? そうすればここ最近の力にも説明はつく。あの夏の日、俺が人間に戻る前に錠ヶ崎寧々さんが血液を施錠した。その封印を解いたのがティラスメニアでの実験だとしたら完全に辻褄が通るな)


 その仮定で納得しようとした久澄。しかし、実験に際しとあるナニカが言った言葉が関連して思い出された。


(あいつは、≪(くろ)≫はもう一人(、、)を目覚めさせたと言った。他にも生命喰らいの代償で命が失われるはずなのに、何か別のものにそれが肩代わりされる感覚があった。それにあの声は……)


 その先を考えてしまったら、それは真実となってしまう。


 久澄は一度自らの右手を見つめ、首を横に振った。


(いや、あいつは俺が殺した。それだけはない)


 笑う三日月を仰ぐことなく、久澄は帰路を進み始めた。






 冷兎大学付属中学校の女子寮ロビーは、煌びやかな様相で彩られている。休憩所として幾つか供えられた横長のソファーには、なめし皮が張られている。


 お風呂から上がり宿題を終わらせた生徒たちは、消灯時間までこの場所か自室で仲の良い友達と過ごすことが多い。


 アルニカと飛鳥もその例に漏れず、ロビーに現れ空いた席を取った。いつものメンバーには三人ほど足りないのだが、皆宿題に四苦八苦していたり、実家へ返されたりして揃うことは当分ない。


 飛鳥はドライヤーで乾かしたまま垂らした長髪を鬱陶しげにかき分けながら、隣に座すアルニカの方を向いた。


「どう、学校には慣れた?」


「何とかね。最初は覚えることばっかで迷惑かけちゃったけど」


「いいよ、それくらい。お母さんと碎斗も機械音痴で似たようなこといくらでもあったし。それに覚えが良くて特に負担にはならなかったしね」


「そう言ってくれると助かるよ」


 文明の進み方が異なる世界で過ごしたアルニカにとってこの世界にあるもののほとんどは、その存在価値すら理解できないようなものであった。しかし、目新しいものは興味を引き、持ち前の学習能力で今や不足なく使えるにまで至っている。


「それにしても、物騒な世の中になっちゃったわよね」


「戦争、ね」


 その言葉の重さを、アルニカは測りかねていた。死闘を経験したことはあるものの、戦争は体験したことはない。ましてや、魔法と類似した点のある魔術や、魔法以上に多様性と凡庸性に溢れた科学が同居する世界だ。既存の常識など意味をなさないだろう。


「アスちゃんは、実家には帰らなくていいの。ここも科学の総本山には違いないんでしょ? 戦場になる可能性だって十分にあると思うんだけど」


「うーん。返るように連絡が来てないてことは、多分お母さんやお父さんはここが一番安全だって判断したんだと思う。あたしもそれには同意見だから、残るかなー。アルニカは?」


「私も残るかなー」


 アルニカの故郷は表向きK共和国となっている。学んだ世界情勢を頭に広げながら、偽りの理由を紡ぐ。


「戻ったほうが安全なんだろうけど、今のご時世飛行機飛ばすのも危ないらしいし」


「そっかー」


 飛鳥はそう返すと、気難しい表情を顔に刻んだ。


 それに気づいたアルニカは、首を捻った。


「どうしたの?」


「いや、今はいいけどさ、実際に戦争になった時、あたしは多くの人に恨まれるんだろうなって思って」


 アルニカは言葉を返せなかった。


「あたし個人だけが悪いって勘違いしているわけじゃないよ。原因を探ろうと思ったら何百何千年前に遡んなきゃいかないだろうし。けど、要因の一つではあるんだよね」


 飛鳥は〈科学魔術〉という特異性を除いて普通の女子中学生である。彼女自身もその立場を好んでいる。


 しかし、そんな少女はたった一つの特異性故に大きな責任を負うこととなった。彼女は何も悪くない。何が悪いのかと問われれば、飛鳥の言う通り人類史を大きく遡らなければならなくなる。それほどまでの問題だ。


 その小さな身体に、ましてその心には、多くの人間の命に対する責任は重すぎる。


 アルニカの中には幾つかの言葉が浮かんだ。けれど、そのどれもが根本的な解決に至らないその場限りの慰めでしかなかった。


 兄である久澄も守ることはできても、救うことはできないと思った。いや、守ることすら叶わないだろう。飛鳥に向けられる悪意の大きさは、一個人で立ち向かうことが不可能なほど肥大するはずだ。


 (あかし)の言葉が胸に刺さる。結局言えるのは形だけの綺麗事で、誰かを救う言葉は思いつかない。


 自分の未熟さに内心で歯噛みすることしかできないアルニカが飛鳥にできたのは、隣でその綺麗事を口にすることだけだった。







 MGR社日本支部は円形の壁により外の世界と隔絶した空間を作り出している。


 日本支部の周りは青い葉をつけた木々囲まれており、千葉や大阪、もしくは京都までは大きな都市開拓の済まされた地はない。


 森の中では今年最後の世代だろうセミが命の灯を燃やした泣き叫び、コオロギがそれを応援するかのように音を奏でていた。


 虫たちの生きざまを表す二重奏を聞きながら、酸漿奈々美は枯れ葉を踏み鳴らし進んでいく。


 この先で待つ仲間の元へ向かうために。


 しばらく足の裏に伝わる軽い感触を楽しんでいると、三人の人影が目についた。


「お待たせしました」


「いやー、僕より遅いと思わなかったよ、ナナミン」


 軽薄な笑みにどぶのような目。だが時折見せる真剣な表情に底知れぬ何かを感じる。それが颯真に対する奈々美の感想だった。


 その横には闇夜と木蔭に紛れるように立つ無表情の白面を嵌めた忍者・風魔の唯一の生き残りである風間集が佇んでいた。少女を肩に担いでいなければ気付けなかった。


「彼女が、誘神命ですか」


「そうだよー。あの誘神家の末裔でもあるけど、今回は――」


「――精霊眼をこちらの儀式場へ呼び出すための餌ね」


 颯真の言葉を遮ったのは、先頭で後姿を見せた九氷火であった。氷塊にも蒼炎にも見える色の髪を夜風に遊ばせている。


苹果(ひょうか)さん。彼(、)の説得は?」


 奈々美は魔術名でなく、本名の方の意味で彼女を呼ぶ。


「わたしがわざわざ出向いたのよ。彼が断わるわけないじゃない」


「そうですね」


 奈々美が理解を示すと、苹果は地面を蹴りだした。


 颯真と集はそれに付き従う。


「わたしたちは〈身喰らう蛇〉。再生すること叶わず、自傷し続ける蛇である」


 苹果は歩きながら、歌うように言葉を紡いでいく。


「故に世界へ仇なそう。この理不尽な世界を造った神を殺すために」


 大仰に手を広げた。人に許された限界を超えた魔力がその動作だけで漏れ出て、木々をざわつかせる。


「――さあ、宣戦布告は成された! 人間の矜持を胡坐をかいた神々へ見せつけよう!!」


 そして、祝詞は結ばれる。


 奈々美は日本支部を一度振り向き見た後、三人のあとを駆け足で追った。

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