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ファクターズ  作者: 綾埼空
四話 〈犠牲児〉
104/131

芽吹く力

 久澄は左目に宿る原視眼と同じ力で視る事で、葉の特殊才能を看破していた。


(あの野郎の周りに漂う原子。必要最低限以外は弾かれてやがる)


 それは反射されているのと似ているが、弾かれ方が荒々しい。まるで、拒絶されているよう。


(触れたら、どうなんのかね――)


「――と」


 転がる石がその場に在る事を地面に拒絶され、空中に弾かれる。そのうちの一つを、葉は蹴り出していた。


 空気を拒絶し、切迫する弾丸。


 しかしそれは、吸血鬼の目が捉え、雷駈で処理能力の上がった脳内が全身に回避を命令。吸血鬼の血と雷駈の力が巡った身体は、瞬時に左へ翻す。


 地に崩れ落ちる渚を抱える。膝裏と肩に手を回したそれは、俗に言うお姫様抱っこの状態だ。


「なっ! 先輩!?」


 この状況にデジャビュを感じるも、それに浸っている暇はない。


 次弾は散弾。その形で在る事を拒絶され、鋭利な刃となり空気を押し退けていく。


「捕まってろ」


 その弾幕を、圧倒的な速度で避ける。


 範囲外まで逃げおおせた久澄は、渚を丁寧に地面へ降ろした。


「隙を見て逃げろ。……居られても迷惑なだけだ」


 突き放すような声音。だがそれは事実だった。


 敗北を認めた渚に未練はない。


 ただ一つ離れたくない理由があるとすれば――


「……分かりました」


 久澄に渚の心中は分からない。だからその言葉を信じ、駆け出す。


 弾丸攻撃が意味をなさないのを理解してか、葉が自分を足下から拒絶し、前へ跳躍する。


 拒絶を纏った両手を前に構え、だ。


 それをサイドステップで躱わす。が、反撃はできない。


 虎のような笑みを浮かべながら、葉は久澄の進行方向に腕を振るう。力強さも、鞭のようなしなりもない攻撃だが、かすりでもすれば命の危機がある。


 だが、触れなければ怖くないと、久澄は判断していた。


(こいつの特殊才能は、自分に、いや、今の状態を正確に表すには、自分と纏う拒絶に触れたものにしか効力を発揮しない)


 膝を曲げ、身長を縮める。


 頭上を行く腕は、止まる事なく振り抜かれた。


(加えて戦闘経験は浅い)


 溜め込まれた力を爆発させ、後ろへ跳ぶ。


 先程まで居た場所を、葉の蹴りが薙ぐ。


 葉の特殊才能は圧倒的強さを誇る。触れるか、触れられれば勝ちなのだから。


 そして常人ではまず、纏われた拒絶に気付かない。久澄も原視眼がなければ拳をぶつけ、殺されていた。


 『犠牲児』は葉の特殊才能経験値を上げる計画で、決して戦闘能力を向上させるものではないらしい。


(と言っても、何をしてくるのかわからないのは厄介だな)


 修練された動きには一連の流れのようなものがある。無論、それを見破るには幾つかの傷を代償とするが。


 だからといって素人の動きが怖くないわけではない。流れがないからこそ、予測ができない。向こうからしたら適当に出した攻撃でも、こちらからしたら虚をつくものになるかもしれない。


 久澄自身、何度も使用している手だけに、その恐ろしさは理解していた。ましてや、一撃でも触れられたら終わり。


(拒絶を封ずる手は見つからない……なら)


 葉の動きに最大限の警戒をしながら、一瞬左目に意識を向けた。


 原視眼。その本来の用途のために。


 葉の周りの酸素原子を他原子と入れ替える。


「あ……ぁぁ」


 首を抑え、呻く葉。


 やがてそれはかきむしるような動作となり、顔を赤らめ声にならない叫びを上げ始める。


 白目を向き、口からは大量の唾液が滴り落ちる。


 だが彼の上向いた黒目は、久澄を射抜いていた。


 獰猛な獣の最後の足掻きか。久澄に向け手を伸ばす。


「なっ!」


 驚く事に、脳に酸素が行き渡らなくなった今でも拒絶の力は纏われていた。


 伸ばした手は操られた酸素原子に触れ−−原視眼の力を拒絶した。


「がはぁ。あ、があ」


 突如として吸い込めるようになった酸素に驚きながら、吐くことも忘れて吸い込む葉。


 久澄は舌を打った。夜霧新のお気に入りで、拒絶という途轍もない力を持つ少年を常識で計ってしまった。


 種が割れてしまえば使えない。どんなに遠くへ行かせようと、拒絶を纏った散弾に追いつかれる。


 唯一の手を自ら潰してしまった。


 歯噛みし失敗を嘆くも、時は戻らない。


 久澄は葉から距離をとる。


 焦点の合った目は血走り、純粋な殺意をこちらに放射してきている。笑みはない。


 ああいう状態になった人間は、何をしでかすか分からない。


(考えろ、考えろ、考えろ!)


 脳内を幾つもの考えが巡り――全て消去。


 葉唯一の弱点である人間の部分がつけなくなった以上、久澄にやれる事はない。


 チラリ、と操車場全体に視線を巡らせる。


 渚はもう逃げたようだ。


 逃げようと思えば、逃げれる。


 しかしそれでは、渚を救う事ができていない。そして、夜霧新への敗北を意味する。


 現状を把握したことで、幾分か冷静さが戻った。


 故に気付く。葉の方に動きが全くない事を。


 目を向ければ、俯いている。空気をかすって、久澄でも聞き取りづらい小さな声を捉える。


「……っ……ぜ……つ……」


 微かにしか届かない。


 久澄は二歩踏み込み、その声を聞いた。


「拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶」


「っ!!」


 背筋に、恐怖が這いずり回る。


 葉の言葉にあったのは、どこまでも深い怨念。刺すような感覚の怒りと違い、どろり、と粘っこく絡んでくる生暖かい感情がここまで気持ち悪いとは。


 拒絶の言葉は続いていく。彼が何を拒絶したいのか。考えるだけでぞっとする。


「チッ」


 恐怖に揺れる心を押さえ込みつつ、久澄は背を向け逃げ出そうとする。


(まずは身を潜めよう。何か手はあるはずだから……)


 本人は否定しているが、暗澹とした気分で足を踏み出した――その時。


「どこへ行くんだ?」


 背後に、悪魔が忍び寄ってきたのかと思った。


 おののき振り向けば、数十メートル先に葉が居るだけ。


 しかし、気を抜く暇はなかった。


 葉が顔を上げていた。


 ただそれだけの事。それだけの事に久澄の中の経験が警鐘を鳴らした。


 久澄は一人の人物を思い出していた。二日前に圧倒的実力差を見せつけられた、最強の魔術師を。


 死にたくなければ逃げろ。先日の記憶が訴えかける。


 久澄は無意識のうちに左手に目を落としていた。


(くそっ! こんな時に思い出すなんて!)


 否定し続けた力が、今になって惜しい。


 そんな自分を、否、今の自分を最低だと感じながら、久澄は全速力で逃げを選択する。


「全部、拒絶する」


 静かな声だった。彼の中で何が処理されたのか−−理解できない。


 そして、言葉通り。


 操車場が、拒絶される。


 屋根は瓦解し、地面はめくれ上がる。石は宙に浮き、レールは波打つ。原子はビリヤードの玉のように弾かれ、配列をバラバラにする。電車やコンテナは全て消失した。


「はははははははははははははははは」


 破壊の中、それを受け止めるよう両手を広げ笑う葉。


 その姿は、比喩なしに悪魔だ。


 久澄は原子眼にて酸素原子を集め、固定。酸素の階段を駆け上がり地上へ。


 逃げおおせる。


 しかし、


「拒絶だ!」


 弾かれたように跳んだ葉と、空中にて相対。


 そして力の奔流が久澄を包み。


 暗闇に落ちる視界の中、一つの事実を思い出す。


(『犠牲児』は、戦闘による特殊才能の成長を狙った計画。けど、その相手は誰でも――)


 そこまでだった。


 腹部に衝撃を受け、久澄の意識は完全に閉ざされた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 天津目葉の特殊才能は、確定した事象の逆行を以て拒絶と成すものである。


 形として存在したものを最小単位へ戻すことで拒絶とする。


 なかったことにする。その力の源は、遠き日の、届かぬ記憶によるものだ。


 あの日をなかったことにしたい。必要とされなかったという事実を、なかったことにしたい。


 拒絶したいと思い続けた結果、それに答えるように拒絶の特殊才能が開花した。


 しかしその才能は周りを否応なしに傷つけ、孤独を深めるものでしかなかった。


 だが、なかったことにできる拒絶の才能は、北極を覆う瘴気を消し去ることができる可能性がある。そう語った夜霧新の言に従って、葉は協力する事にした。


 周りから拒絶された彼は、誰かに頼られるのが純粋に嬉しかったのだ。


 発現時の拒絶は、触れたものに小さな傷を生む程度だった。なので、それを伸ばす実験が始めることになった。


 何人かの関係者と顔合わせをし、実験は始まった。


 特殊才能の練度を上げるため、傷つけることしかできない葉の力に対して行われたのは、限りなく人間に近い人形への力の行使だった。


 葉がレベル2に目覚めればさらに解決の糸口は見えてくる。だから、特殊才能の連度を上げるために人形と戦い続ける。そんな言葉を疑う事なく信じ、葉は描かれたシナリオ通りに白い部屋で暴虐の限りを尽くした。


 生々しい断末魔。瑞々しい肉の感触。軽く硬い骨の手触り。生暖かい鮮血。


 最初は吐き出すくらい嫌だったが、人形だと割り切れば乗り越えられてきた。


 そんな幻想が打ち砕かれたのは、三千人を越えた時か。どこかで無意識には気付いていたのか、或いは、気付かないように見て見ぬ振りをしてきたのか。不思議と衝撃はなかった。


 ただただ空虚な気持ちと、どうしても抑えられない殺戮を楽しむ心だけが残っていた。


 そんな自分を拒絶しようと、いつしか葉は最強である事を求め始め――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ははは……」


 乾いた笑みが地上、廃倉庫前にこだまする。地下の道はぐるりと回り、入り口と隣接した場所に操車場があったのだ。


 その声を、聞く少女が居た。


 負担など考えずに身体に電気を流し、全速力で逃げ出していた渚だ。


「せん……ぱい?」


 無意識のうちに発してしまった小声に、葉が振り向いてきた。


 その表情は喜悦に染まっているが、こちらに向ける視線は無関心なものだった。


「よう、始まりの子。せっかくだ、見ろよ」


 コツン、と軽く久澄に蹴りを入れる。


 久澄はそれを躱さない、否、躱せない。


「はじくだけじゃなく、止めることで拒絶を成す、か」


 流動的な事柄を停滞させる。それは、まるで、


「時を止める……つーのは脚色が過ぎるな。まあ、やってることは変わんねえけどよ」


 地面に伏す久澄。まるで石像のように、微塵も動かない。


 それが葉の言葉の証明になった。


 胸の前まで手を持って行き、視線を落とす。口を半月形にした笑みと共に拳を作り、開く。


 その様子はまるで、新しい力を喜んでいるみたいだ。


「どうやら脳領域空間の要領ギリギリで、拒絶は使えないみたいだがな。と、変な真似はするなよ。アクティブがだめなだけで、触れたものを原子レベルにまで拒絶するパッシブの方だけは維持できているからな」


 自らの頭を小突き、注意を促す。無論それが優しさなどではなく、ただ単にこちらの生死に興味がなくなっただけというのは、瞳を見れば明らかだった。


 そして、その言葉の虚実は関係ない。拒絶が使えないと耳に届いた一瞬に、渚は安堵してしまったからだ。自分を救おうと戦ってくれた久澄の事など全く考えずに、だ。


 そんな自分が嫌になり、しかし何もできない。


 打ちひしがれる渚を前に、最強となった少年は動きを見せた。


「なぁ、感謝してるよ、テメェには。ただなぁ、あの紅い眼、魔眼かなんかは知らねえが、オレを殺そうとしやがったのはいただけねえ」


 足下に転がる久澄に言葉を落としていく。


 だが聞こえないのは分かっているはず。なら、誰に聞かせるのが目的か。


「おい、始まりの子。いいもの見せてやる」


 久澄と対峙してから初めてこちらをまともに見る葉。


 半月の上に舌を這わせていた。


「こいつの状態は停滞だ。かかる衝撃も、伝わる前に停滞する。ならば、だ」


 地に落ちていた瓦礫の一部を手に取る。そこまでの重量があるようには見えなかったが、両手で抱えるようにして持ち上げていた。


 その動作を眺め、矛先を向けられた渚は言葉の意味を悟る。


「や、止めて……」


「止めない」


 その瓦礫を、久澄の顔面に振り下ろした。


 瓦礫は割れず、葉は再び持ち上げる。


 その下の久澄の顔に、変化はない。


 次はあばら部分に。


 瓦礫は、割れない。


「止めて、死んじゃう!」


 渚の叫びがまるで讃美歌であるかのように、何度も何度も何度も落としていく。


「止めてって!」


 何度目の落下になるのだろうか。そんな瓦礫に、雷撃を放ち、砕いた。


 横目で葉が見てくる。ただしその狂喜に淀んだ瞳には、彼女への関心があった。


「ようやく手を出したかよ。オレも大概だが、テメエもテメエで腐ってるな」


「何……を……?」


「行動が遅すぎる。おおかた、助けてオレに襲われる可能性とか考えてたんだろ? かと言って、すぐには逃げなかった。が、それは献身なんかじゃねえ。ただ単に、逃げて周りに糾弾されるのを恐れただけだ」


「違う!」


「違くないさ。自分の行動を鑑みてみろよ」


「……そんな……こと、は……」


「言い切れてねえじゃねえかよ。はは、すげーな。すげえよ、夜霧冷夢。本当に人間造り出すんだから」


 久澄に足をかけ、天に向かい高らかに笑う葉に、歯噛みする事しかできない。肯定はしないが、否定もできないからだ。


「もういいぜ、オマエ。実験は終わりだ。オレは最強を手に入れ、試験管から作られた魂には確かな信が宿るとも証明された。このくそッたれな計画は、最高の結果をはじき出したぜ」


 哄笑の隙間から上ずった声で告げる。


「オレはコイツを拒絶してから帰るからよぉ。よかったな。『せんぱい』のお陰で生き残れたぜ。コイツも大見得切った割にはしょぼかったが、満足だろうよ」


 その言葉に渚は右手を正面に構えた。開かれた手の中には、ゴム弾が一つ。


 喜の表情が、途端に怪訝そうになる。


「なんのつもりだ?」


「せめてもの抵抗」


 決して自然でない笑みを浮かべ、気丈に渚は告げる。


「私の本心なんて、私にも分からない。けれど今、私はこうしたい。だからそうする」


 ゴム弾に電気が走る。否、それだけではない。


 渚の全身から、荒々しい電気が放流。


 髪が逆立ちその姿は、まさに電子を従えた暴女。


「たったの一撃に全特殊才能を収束させるか!」


 こちらの狙いを、高揚した声音で看破する。


「けどいいのか? テメエ、代謝いいだろう。例えば、髪が伸びるのが異様に早かったり」


「……それが何?」


「傀儡と違って、使い捨ての試験管ベイビー様は、体質の造りが単純で、寿命が短いらしいぜ。特殊才能も同じ。使えば使う程目減りしていく」


 初めて聞く事実だった。


 そして、今の状況で嘘を吐く必要性はない。


「それが何?」


 返すは、先程と同じ言葉。しかしそこには、揺るがぬ決意が込められている。


 葉はつまらなそうに渚を見据え、落胆の息と共に吐き出す。


「じゃあやれよ。残りの余生を、廃人みたいに過ごせや。それもまた、夜霧冷夢の望む結果だろうしな。最後までテメエは、アイツのお人形だったって事だ」


「成さずに後悔するよりはマシよ」


 右手を葉へ構える。そして、全身を暴れていた電気が一点、ゴム弾に集約されていく。


 その動作の中、渚は一つの突っかかりに気付く。


(お礼は……言えなかったな)


 この数分で変化した心の在りように、渚はさらに笑みを深くした。自分を鼓舞するためのものでなく、温かい感情に包まれ自然に出たものだ。


 だから、せめて言おうと思う。自分が背負うべき、心の傷として。


 終わるその時に、胡桃渚は胡桃渚であったと、思えるために。


「ありがとうございます、先輩。嬉しかったです」


 その声は電気がはじける音に混じり、やがて消え――


「勝手に人を過去の人にしてんじゃねえよ」


 突如、声。


 低く、しかし通りのよいその声は、


「久澄先輩!?」


 疑念と驚きの入り混じった叫び。


 しかしその感情は、葉の方が深かった。


 何の前兆もなく、久澄にかけた時間の拒絶が解けたのだから。いや、それだけでない。自分を守る拒絶も、だ。


 原因は、分かる。脳領域空間アイデンティティに割ける容量がなくなったのだ。


 しかしこのタイミング。あまりにも久澄達にとって都合が良すぎる。


 まるで、葉が『不幸』にでもなったかのように。


「……まさかッ!!」


「そうニャ。そのまさかニャ」


 背後から聞こえる声に振り向けば、昇る陽光が目を差した。その明かりに目を細めつつよく見れば、連なる倉庫屋根の一つに、太陽を背負う黒猫が居た。


 場違いもいいところである。葉は忌々しげな声音で叫んだ。


「テメェ、人質をとられた協力者じゃねぇのかよ! 実の姉を見捨てるのか!!」


「黙れよ」


 冷酷な声色で言いながら、飛び降りる。猫の身体能力で、膝をクッションにして全ての衝撃を吸収する。


「俺の事情をお前が語るな」


 冷夏の前でないにも関わらず、『不幸を司る魔の黒猫』を宿した副産物である「ニャ」を押さえ込み、告げる。


姉ちゃん(、、、、)は俺がどんな手を使ってでも守る。それだけのことだ」


 失われた関係性を口にすることで自戒にするが如く、その声音は痛ましかった。


 だが、同情や憐憫は許されない。


 それは計が決めた道。様々な思いを抱え、それでも自らに嘘をつかないためにために決断したのだから。


 他人が何かを思うのは、それを汚す行為になる。


 だから何も問わず、久澄は葉の足をどかせ、立ち上がった。笑みを浮かべながら。


 それを見ていた計の口角も、つり上がる。


「行け、クズミン。今のお前の拳は、雨津目葉に届く」


「なッ!!」


 計に集中していた葉は、久澄に足をどけられてようやく彼が動けたことを知る。


 時間の拒絶を使ってから、色々な方法でダメージを蓄積させた。


 渚に言ったように、時間が元に戻れば、そのダメージは一斉に久澄を襲う。


「違うよ、猫屋」


 苦痛に喘ぎながら久澄は言った。


「なあ、胡桃」


「始まりの子!!」


 葉は意識の端に追いやられていた記憶を、視認で思い返す。渚が何をしている最中だったのかを。


「やらせるかよッ!!」


 焦りを表情ににじませ突撃をしようと地面を蹴る。


 その機先を、久澄が足首を掴み制した。


「くたばりぞこないが!!」


 身を回し、掴む腕を横から蹴り抜く。肘から骨のなる音が響くも、離さない。つま先が嵐のようにあらゆる個所を打っていく。


 あばらを軋ませる蹴りに手を離してしまった。それでも、久澄は渚へ告げる。


「それが本心で選んだ答えなら、俺はお前がどうなろうと止めない。やりたいようにやれ」


「もちろんそのつもりですよ。……けど、ありがとうございます」


 収束は、終わっていた。


 数歩の距離は、葉にとって残酷なまでに長かった。


「バカ! 止めろ!」


「止めないわよ」


 ゴム弾に溜め込まれた電気はプラス極。手の平に張り付いているのは、同じ力のマイナス極だからだ。それを、渚はプラス極に変換した。


 ゼロ距離で反発し合う力はゴム弾に爆発的な力をかけ、音速の弾丸と化す。


 尾を引く光の軌跡は進むほど細くなっている。空気抵抗の熱でゴム弾が小さくなり、一点集中型の球体に変化している証拠だ。


 それを腹部に受け、葉は弾かれるように後方へ跳んだ。


 一瞬遅れて、重い衝突音が響く。その中に、空気を吐き出す音が微かに混じる。


 地面を転がる葉。痛みが遅れて彼の全身を駆けずり回る。


「グゥ……」


 筋肉や骨だけでなく、内蔵もやられ、吐血する。貧弱な身体だ。貫通もしている。何より辛いのは、全身を巡る電流だ。だが生きている。


 倒れ続けている訳にはいかない。ようやく手に入れた『最強』が消え去る。


「ハァハァハァ、グッ」


 痺れる身体、震える足を無理矢理動かし、立ち上がる。惨めでもいい。口を濡らす鮮血を手の甲で拭いながら、葉は正面を見据える。


 そこに、膝を震わせながら、それでも立ち上がる久澄の姿が。その眼は、操車場で見た時よりも紅色が深く、輝いていた。


「なん……なんだよテメェ。外から湧いた害虫が……正義の味方気取りかよォォォ」


「俺は完全な部外者だ。厚かましいだけだろうよ。正しさを貫けるほど、強くもねえ。それでもな、俺は猫屋の友達で、胡桃の先輩なんだ」


 久澄が動く理由は、それだけだった。


 特殊才能を使えない葉は後ずさりそうになる心を必死に抑え、しかしおののき叫ぶ。


「なんでだ。才能もねぇテメェが、なんでそんなに立ち上がれるんだ。いい加減、諦めろよ」


「……確かにこの世には才能がある。努力できる事も才能だし、努力が実を結ぶかも才能だ」


「ならッ……」


「だからってな、それで何かを諦めていい理由にはならないんだよ。だから俺は、諦めない」


「綺麗事並べてるんじゃねぇ。そんな事でオレとオメェの実力差が埋まるわけないだろ。オレは最強。その事実は、変わらねえ」


「浅いんだよ。お前は絶対に『最強』なんかじゃない」


 回避不能な位置まで近付き、腰の横に引いた右の拳を葉の顔へと突き刺さす。


 頬骨を撃ち抜く。崩れる葉の胸倉を掴み上げ、


「まだだ」


 久澄は冷酷に宣言した。


「ご高説は期待するなよ。こちとらまともな感情がないんでな」


 振り上げた肘を鼻頭に落とす。


「がッ……止め……」


 先程とは打って変わり情けない声を上げる。彼はその特殊才能から、痛みには慣れていない。


「痛いか?」


 そんな葉を、久澄は冷たい眼差しで睨みながら、問う。


「よかったな。それは生きているって事だ」


 が、答えを待たず、容赦なく拳をつむじに叩きつけた。


「お前の手にかかった四千九百九十九人は、もう、痛みを感じられないんだぞ」


 脳天に一撃食らい落ちる身体。その腹部に膝を入れ、最後の言葉を紡ぐ。


「それにな。胡桃が受けた痛みも、これから抱えていく痛みもこんなんじゃ済まねえんだよ」


 それからは、肉と骨を打つ音だけが響き渡る。


 久澄の拳が砕け、意識を失うまで続いた。


 朝の澄み切った空気に久澄が地面に伏す乾いた音が伝播する。


 悲鳴は既に、響かない。

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