追走
(何でここにクズミンが!?)
久澄を目の前にし、忌々しげに顔をしかめ、計は内心で呻いた。
(この場所はまず普通の人間は近寄らない立地だ。普通じゃない奴ら、吸血鬼体質のクズミン対策にも、こんな街の外れを選ばせたってのに!)
計はそう思いながら、久澄を無視して飛び上がる。
今の計は見た目の通り黒猫の力を有する。それを人間大で行うのだ。
この突き当たりを作っている廃ビルの屋上に足を乗せる。
正面には月が。光が夜目に突き刺さり瞳孔が狭まる。
「待て、猫屋!」
猫の聴力は、ブレつつこちらを呼ぶ久澄の声を捉える。見ずとも、久澄が廃ビル間を蹴って上昇しているのが分かった。
「けったいだニャ」
計は死体を抱える力を強め、先程まで居た裏路地に向かい落ちる。
「ッ!」
その行動は虚を突けたらしく、久澄の表情が強張った。
その面に、足を突き刺す。
久澄はその足を防ごうと、両腕をクロスさせ顔の前に構えようとする。
しかしそれを読んでいた猫屋は、この状態に伴う力を発動する。
猫屋の背後で黒い影が蠢いた。
月明かりを遮る影の発生を訝しむ久澄だが、もう遅い。
影が突き刺すように、久澄を通り過ぎた。
「なっ! ……?」
何事も起きず戸惑う久澄。
しかし動揺が走ったためか、『不幸』にもガードが間に合わず、計の足裏が突き刺さる。
「ぐっ!」
「じゃあニャ」
計はそれを踏み台に先とは別の廃ビルの屋上へ。
ガードしようとした勢いをそのままに足を掴もうとする手は、しかし『不幸』にも指一本分届かない。
計はそのまま夜に紛れ、立ち去っていく。
地に顔から落ちていく久澄は、手を伸ばし、一瞬倒立の形に。すぐさま肘を曲げて前転し衝撃を逃がす。
立ち上がり鼻頭を押さえる。
「っ痛ー」
痛みに顔が歪み目端に涙の浮かぶ左目が閉じる。右目は細まったものの閉じはしなかったので、計の逃げた方向を見つめた。
「あの野郎」
血の臭いは未だに細い線となって鼻に届いている。
前頭葉にまで響く鈍い痛みに耐えながら、久澄は目を通常の状態にまで開いて、左目に意識を走らせる。
原視眼。封印された精霊眼の残り滓で形作られる魔眼の力を使用し、酸素原子を操り空気中に空気の踏み台を生み出す。
それを蹴り上げ廃ビルの屋上に。
血の臭いを追い廃ビル間の屋上を跳んでいく。
少し進んでいくと臭いは下に。どうやら裏道を使いどこかへ向かっているらしい。
彼我の距離は少しある。
だがそれでも、距離は詰まってきている。
「−−−−」
疾駆疾走。最短距離で。
時には壁の一部を原子レベルに分解して近道をする。
そうするとすぐに尻尾が見えた。
直線の先に黒猫の姿。
「−−−−ッッ!」
五行三祿の自然色、雷の式、一式、雷駈。
原子に含まれる電子を電気信号に変換。それを筋肉や神経に走らせる事で運動能力を上げる。
雷を身に宿し駆ける。
こちらに気付いたらしい計による影が迫るが、向上した反射により触れる前に身を捻り躱す。鍛えられた久澄の身体は、その程度の動きで悲鳴を上げたりしない。
奥の手を封じられた計がその事実を視認するために振り向く。その顔には焦りが生まれていた。
けれど、容赦はしない。
久澄は手を伸ばし。
「ニャ」
計の腰あたりで揺れる尻尾を思いっきり掴み引っ張った。
「『ニャャャャャャャャャャャャャャャャャャ!!』」
二重に聞こえる悲痛な鳴き声が、計の喉奥から響き渡った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「『ニャャャャャャャャャャャャャャャャャャ!!』」
「?」
近くから聞こえてきた猫のらしき悲鳴に、路地裏の持つイメージとは似つかわぬ少女が首を傾げた。
そちらに向け、少女は駆け出した。
黄色の長髪が、空を靡く。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
手触りのよい毛質をしながら、掴めば固い芯のある尻尾。
ただ伸びているのが男の−−それも友達と呼べる間柄の腰部分からだという事実に、若干辟易する久澄。
そんな思いのため−−ではないだろうが、久澄の手に強く握られた尻尾が消失した。
引っ込んだのではなく、消え失せた。
元からそんなものは存在しなかったとばかりに尻尾はなくなった。次いで言えば、猫耳や猫目も。
猫屋計を黒猫のシルエットに仕立てていた全ての要素が等しく消えたのだ。
そして膝を着いて俯く計の傍らに、月色の目以外真っ黒な猫が現れていた。
「ニャにをする、人……吸血鬼?」
そしてその黒猫が、首を傾げ重く低い声色で戸惑いを混ぜながらも語りかけてきた。
「何だ……この猫? 恐苛か?」
「正解ニャ、吸血鬼人間」
「何じゃそりゃ?」
恐苛と認めた事には驚かず−−久澄としては、それ以外でこんな流暢に喋る猫が居るなら教えてほしい−−疑問を呈ずる。
「ニャんだと言われても、お前は人間だし吸血鬼だからニャ」
「それは−−」
どういう意味か。確かに今は吸血鬼の力を発動する鬼神化状態だが、それでも比率としては人間の部分が多いはず。
しかし問いかけは遮られた。
「引っ込んでろ、『不幸を司る魔の黒猫』」
計の、この声に。
「う、うわ、せっかく出れたのに」
焦るように言うも、何かができたわけではなく、計の影にその身体を沈ませた。
「猫屋」
「クズミン」
そして邂逅した時のように、互いの間合いを測る。
どこまで近付いたら逃げられるのか。どこまで近付かせたら捕らえられるのか。
そのギリギリを見極め、二人は語り出す。
「どういう事か……ってのは話してもらえるのか?」
「それはこっちの台詞ニャ」
疑問には答えず、計は続ける。
「クズミンの鼻が利く距離は理解していたニャ。だからこそ、敢えて道を外れないかぎり絶対に分からない場所にこの子を逃げさせたニャ。この子を助けに来なかったって事は、表通りをぶらぶらしていたんだろう。なんでニャ?」
その言葉の羅列に疑問符を覚える久澄だったが、口にしたのは違うものだった。
「まさか、情報を開示せずに情報が引き出せるとは思ってないよな」
「その台詞、そっくりそのまま返すニャ」
「俺の方が先に問いかけたんだぜ」
「だからこそ、先に言うニャ。名前も自分から言うだろ。それと同じニャ」
「それは違うだろ」
会話は平行線。
計の疑問に答える情報がない久澄と答えられない背景があるらしい計。
だからといって、一応は悪友の計と戦闘を繰り広げる気はないし、恐苛最強種の吸血鬼、加えて魔眼を宿す久澄に勝てる気がしない計は逃亡方法を練りかねていた。
停滞する空間。
−−ビュッ。
張り詰めた糸を切り裂くように、電気をまとった物体が計に飛来した。
「ニャ……ッ」
猫の感覚が電気に反応してたのか、久澄が動きを見せる前に計はその場から飛び退いていた。
原視眼で電気までは視認した久澄。しかし今地面に軽くひびを入れ転がっている物体については、吸血鬼の視力が判ずる方が早かった。
それは、ゴム弾。
「これは……」
電気を纏って飛んでくるゴム弾という頭の中で帰結した結果は、一人の人物を想起させる。
射線を追い、廃ビルの屋上へ。
弱い夜風に靡く隙間から月の光が差し込み、黄色い髪が輝いて見える。
黒の半袖のパーカーから白の半袖が覗き、下はカーキ色の短パン。
交錯する視線は、二人同時に口を開かせる。
「胡桃!」「久澄先輩!?」




