第一章 (2)親孝行息子レイ
レベッカが目を覚ましたのは時には、辺りはもう真っ暗だった。
廊下とこの部屋を隔てた扉の隙間から、僅かに光が漏れてくる。
自分の身体に毛布がかかっていることに気付いたが、誰がかけてくれたのかは気にかけなかった。
「私、どれくらい寝たんだろう……」
右手で目をこすりながら、上半身を起こし、窓の外へ目をやった。
そこには、不気味な闇が広がっていた。
「村の中なのに、なんでこんなに真っ暗なのかしら」
そんな小さな疑問を持ちながら、レベッカは軽くあくびをして起き上がった。
寝惚け面のまま、1階へフラフラッと急な階段を下りていった彼女は、一気に目が覚めた。
信じられないほど、1階全体を占めている酒場部分がキレイになっているのだ。
昼間見たときはホコリだらけで何がなんだか分からなかったというのに、その時とは別世界のように塵一つ見当たらない。
部屋の奥の棚には、美しくウイスキーなどのビンが並べられ、その目の前には5人ほどが座れる高級感溢れるカウンターが、どっしりと横たわっている。
さらに丸テーブルが4つ、カウンターと出入り口の扉の間を、正方形に取り囲むように置いてある。
いずれもこの大陸ではとても貴重な高級木材をふんだんに使用したものばかりだ。
その上、どれも真新しく見える。
小さな村の小さな宿屋にしては不釣合いな金のかかった代物の数々に、あまりそういったものに興味のないレベッカも、階段のを下りてすぐに足を止め、ついそれらに見入ってしまった。
「おう、お目覚めになられたか」
カウンターの内側から、宿主が顔を見せた。
「キレイになりましたねェ」
レベッカが溜め息混じりに言った。
その言葉を待ってましたとばかりに、
「そうだろう、そうだろう。いやぁ、ここを1人で掃除するのは、さすがに老体に響いたわい。今日は酒場を開けられないかなと、一時は思ったんだが、ちょうど普段は働きに出ている息子が帰ってきてね。そいつが手伝ってくれたおかげで、なんとか間に合わせることができたよ」
深いしわが刻まれた顔が、柔らかく微笑んだ。
「よかったですね」
レベッカも感心しながら笑みを返した。
「そういえば、宿主さんには息子さんがいらしたんですね」
レベッカは、先ほどの老人の自慢話の中で気になったことを、何気なく尋ねた。
「ああそうか、お嬢ちゃんに言ってなかったかな。ほら、あれが私の息子だよ。名はレイと言うんだ。今年で18になった」
カウンターでグラスを磨く、スラッとした長身の美少年を指差しながら、宿主は早口に喋った。
足が短く背が低い父親からは、想像ができないほどスタイルが良い。
おまけに小鳥のようにうるさい父親と違い、とてもクールそうに見える。
レベッカは思わずポーッと彼に見とれてしまった。
そんな彼女の様子を面白そうに観察しながら、宿主は鼻下を指でこすりながら言った。
「私が言うのもなんだが、レイはとても働き者でね。普段はこの村を出て働いているんだ。そして仕事に区切りがつくと、村に戻ってきてここを手伝ってくれるんだ」
「親孝行な息子さんですね。ところでどんな仕事をされてるんですか?」
レベッカの何気ない一言に、宿主は僅かに顔を曇らせた。
「それが分からないんだ。何度訊いても答えてくれないんだよ」
宿主はレイのほうにチラッと目をやってから続けた。
「この宿屋も元はとても寂れていたんだ。客観的に見たら、今もそうかもしれんが、去年と比べたら天と地の差だよ。レイは金を稼いでは、宿屋のためにいろいろな物を買ってくれた。自分で稼いだ金なんだから自分のために使いなさい、と私が言っても、『親父の喜ぶ顔が見たいから、俺が勝手にやってる事なんだ。勝手にやってる事が、俺の為でなく、一体誰の為なんだい?』と優しく言ってくれるんだよ。その時はもう涙が出てきてしまって……」
そう言った宿主は、今にも溢れ出しそうなほどの滴を目の中に溜め込んでいる。
しかし、その表情はとても清々しい。
レベッカは、ちょっと深いところに突っ込みすぎたかな、と多少反省した。
突然、宿主は思い出したように底抜けの造り笑顔で言った。
「おお、そうだ。お食事がまだでしたな。起きられてすぐに私のつまらぬ身の上話などしてしまって、本当に申し訳ありませんでしたな。すぐに息子に準備をさせます」
彼は、グラスを磨き終えてカウンターの内側に佇んでいるレイに、大きな声で言った。
「こちらのお客様にご飯をお作りして差し上げなさい」
レイは父親の命令に軽く頷くと、テキパキと動き始めた。
「お客様はお好きな席で待っていてください」
そう言うと、宿主はうつむき、そそくさとどこかへ去ってしまった。
無論、それが客に涙を見せないためということに気付かないレベッカではなかった。
「ありがとう」
宿主の後姿に明るく言うと、5つあるカウンター席の内の、真ん中の席に座った。
彼女のほかには、1番右端の席で、ウイスキーのグラスを傾けながら新聞を読んでいる、旅人と思しき白ヒゲの男がいるだけだ。
黒マントに身を包んでいるところが少し怪しいが、このような男は、旅をしていれば意識せずとも見つかるものだ。
レベッカは特に気に留める事もなく、料理をするレイの顔に見入っていた。
一見するとクールな印象を受けるが、本当はやさしい温かい心の持ち主なんだよな、彼の顔を眺めながら、そんな事を考えていた。
「親孝行か……」
レベッカが溜め息混じりに呟くのとほぼ同時に、
「お待たせいたしました」
レイの美声が彼女の耳に響いた。
自分の世界に入りこんでいた彼女は、その一声で現実世界に引き戻された。
次に、とても良い香りが漂ってきた。
その時初めて、彼女は自分がとても空腹である事に気が付いた。
「もう、夜も遅いですから、温かいコンソメスープとパンでもどうぞ」
接客が本業ではないレイの口調は、不慣れな新入社員といった感じだ。
しかし彼が、もう夜遅いから軽い食事を出したということは、十分に彼女に伝わった。
「おいしそう。いただきます」
レベッカは、あつあつのスープとパンを、あっという間に腹に収めた。
久々の温かい食事に、彼女はとても満足した。
レベッカは、食器を洗っているレイに尋ねた。
「そういえば、ここの村はやけに真っ暗なのね。起きたときビックリしちゃった」
宿主から話を聞いたせいか、レイの料理がおいしかったせいか、彼に話しかけるレベッカの口調は、自分でも驚くほど彼に対して親近感の溢れるものだった。
なぜか同じカウンターに座っている黒マントの男が、ピクリと反応したが、彼女は気付かない。
レイは黒マントの男に一瞬視線を送ってから、
「ええ、とても寂れた村で、ここ以外は空家が多いんですよ。だから、酒を飲みたくなったら、皆ここに来るしかないんです」
愛想よく答えた。
その言葉に、レベッカは周囲を見渡した。
4つある丸テーブルは全て埋まっている。
「本当ね」
彼女は、彼の言うことに多少違和感を感じたが、そのまま流した。
「そうだ、とても星がきれいなんですよ。今夜は晴れてるし、よく見えると思いますよ。よかったら私が案内しましょうか」
やはり人間は外見では判断できない。
見た目からは想像がつかないほど、明るく社交的だ。
「星か……今まで気に留める余裕すらなかった。是非、案内をお願いするわ」
彼女が独り言混じりで笑顔で言うと、
「それでは私に付いて来てください」
カウンターの内側にある勝手口を開け、彼は彼女を誘導した。
彼女が外へ出たのを確認すると、黒マントの男とカウンター越しに軽く何かやり取りをしてから、彼もまた勝手口から外へ出て、後ろ手で扉を閉めた。
こうして、若い男女は荒野の夜空を眺めに外へ出た。