序章:壊された日常
序章
緑の森の只中に、木造にわらぶき屋根の家が5〜6軒。
村というよりは集落と言ったほうが正しいだろうか。
日がそろそろ昇るのをやめようかという時刻。
辺りに響く、鳥のさえずりと風の音が心地よい。
日々から食欲をそそる温かい香りがこぼれてくる。
いつもと、何一つ変わらない平和な日常が続いていく……ハズであった。
突然、鳥達が甲高い叫び声をあげながら森の中から一斉に飛び立った。
まるで何かから逃げ出すかのように。
辺りは何かを予期するかのようにシンと静まり返った。
一軒の家から、一人の40歳くらいの男が出てきた。
とても穏やかそうな顔つきをしている。
男は家の脇にある薪置き場から7〜8本の薪を取りだし、両腕に抱えるように持った。
そして、家に向かって歩き出そうとした。
その瞬間、乾いた銃声が静寂を劈いた。
それと共に、男の胸からは深紅のドロッとした液体が流れ出し、声にならぬ叫びをあげながら、その場に崩れ落ちた。
「なんだなんだ?」
「何の騒ぎだ?」
銃声に驚いた住人達が、次々と家から出てきた。
そして、その内の一人の若い男が、うつぶせに倒れている男を発見した。
「大丈夫か」
若い男はそばに駆け寄り、うつぶせの彼を抱くようにして仰向けにした。
死んでいる。
見る見る内に男の顔色が変わり、なんとも言えぬ叫びをあげた。
叫びは悲鳴を呼び、悲鳴は次々と伝染し、集落はパニック状態と化した。
その悲鳴を合図にするかのように、
「打ち方始め!」
という声が森の中から聞こえてきた。
その声に、一瞬悲鳴が鳴り止み、皆、辺りをキョロキョロ見まわした。
束の間の静寂。
しかし、それも2秒と続かなかった。
四方の森の中から銃弾がシャワーのように襲いかかってきたのだ。
逃げる間もなく、人々は吹き飛ばされるように次々と倒れていく。
全身に無数の穴を開けられながら。
人口が30人にも満たないこの集落の住民が全て殺されるのに、そう時間はかからなかった。
あっという間に、足の踏み場もないほどの、死体と血が広がった。
「やれやれ、てこずらせやがって」
銃撃部隊の指揮官と思われる中年の男が、死体を足でいじくりながら言った。
「ランドロット隊長、この後の行動についての指示をお願いします」
深緑色のヘルメットを深々と被り、迷彩柄の服を着た若い男が、指揮官の前で敬礼をして、キリッと言った。
「うむ、そうだな…」
ランドロット隊長と呼ばれた男は、少し考えてから、顔を上げて大声で叫んだ。
「よく聞け。A班からD班は、生き残りがいないか、全ての家を隈なく調べろ!
もし生き残りがいたら、たとえ病人だろうが赤ん坊だろうがすぐに撃ち殺せ!!あとの班はここで待機だ」
「了解しました!!」
先ほど住人を撃ち殺した200人ほどの兵士達が、全く同時に敬礼をした。
余程厳しい教育を受けているのだろう、一つひとつの行動に全く乱れがない。
「行動開始!」
ランドロットの一言で、兵士達は素早く任務に取り掛かった。
一番始めに狙撃された男の家の寝室。
この部屋に、15歳の少女と10歳の少年が隠れている。
2人の姉弟は、2つあるベッドの間に身を隠すように座っていた。
姉は白い肌をしており、美しい瞳を細い眉毛がそれを引き立てている。
弟は姉と同じく澄んだ青い瞳をしていて、あどけない顔をしている。
「姉ちゃん、今の悲鳴、一体何が起こったの」
少年は涙ぐみながら言った。
「………」
しかし、姉は何も応えない。
「まさか、死んじゃってないよね」
語尾のほうに嗚咽が混じっている。
少年は受け入れ難い事実に堪えられず、布団に顔を押し付け、泣き出してしまった。
それにつられて、今まで我慢していた少女も、遂に目頭を押さえ涙を流した。
「お父さん、お母さん……」
大粒の涙をボロボロ流しながら泣いた。
もう、父と母は戻っては来ない。
手の届かない所へ行ってしまったのだ。
もう泣いたってどうにもならない。
だから私がしっかりしなきゃ。
弟を守っていかなきゃ。
分かっている。
だけど……
ガチャ。
玄関の扉が開く音がした。
少女はハッとした。
「ここに来る」
そう直感的に思ったからだ。
案の定、2〜3人の兵士が銃を構え、ゆっくりと忍び足でこの寝室に向かっていた。
「逃げるよ、ジャック」
少女は弟の腕をガッと掴むと、はやる気持ちを押さえ、音を立てぬよう慎重に窓を開けた。
「ジャック、先に行って」
姉が呟くと、弟ジャックは窓を跨ぎ、外へと出た。
窓の外は森になっているから、伏せていればそう簡単には見つりそうにない。
弟が無事に外へ出られた事を確認すると、姉も急いで窓枠に足をかけ、軽く跳ぶようにして降り立った。
その刹那、寝室の扉が開いた。
「ジャック、隠れて」
そう言うと、姉はサッと窓のすぐ下の壁に背中をくっつけしゃがみ、息を潜めた。
ジャックはというと、なんとか小さな茂みに隠れることができた。
しかしそれは、彼の身体を完全に隠せるほど大きな物ではない。
3人の兵士は寝室の中を、空き巣のように調べ始めた。
タンスを下から順に開け、中の洋服を引っ掻き回したり、ベッドの下などに生存者がいないかどうか隅々まで調べてたりしている。
ふと、そのうちの1人が、開いている窓から顔を出した。
姉に緊張が走る。
どうか下を見ないでくれ。
彼女にとって、祈るような気持ちで過ごした、この数秒間は永遠のように感じられた。
汗が白い頬を伝う。
パーン。
ついさっき、皆の命を奪った耳障りな音が、辺りに響き渡った。
弟が隠れていた茂みがガサッと虚しい音を立てた。
「えっ……うそ………」
時間が止まった。
姉の顔が瞬時に引きつった。
白い顔が蒼白く変色してゆく。
「どうした?」
突然の味方の発砲に驚いた兵士の1人が、窓辺の兵士に問うた。
「茂みに子供がいたんだ。だから撃った。それだけさ」
あまりのショックに魂が抜けかけている姉を嘲笑うかのように、軽々と言った。
「なんだ。味方を間違って撃たないように気をつけろよ」
白い歯を見せながら、ポンと銃を撃ち放った男の肩を叩いた。
それに対して、撃った男はヘラヘラ笑って見せた。
「ここはもう良いだろう。次に行こう」
タンスの中を調べていた男の一声で、兵士達は寝室から去って行った。
それを確かめると、放心状態の姉は、無我夢中で弟の元へと這い寄った。
「ジャック!!」
目に涙を浮かべながら、姉は必死に呼びかけ、弟の身体を揺すぶった。
しかし、弟はピクリとも動かない。
弟の瞳は、カッと開かれたまま全く動かず、命の気配を感じられない。
それでも、必死になって頬を叩いたり、身体を揺すぶったりし続けた。
その度に、弟の身体から温もりが徐々に消えていくのが分かった。
遂に姉は、弟の胸の中に顔をうずめた。
まだ、僅かばかり温もりを感じる事ができる。
「なんで、私だけが……ジャック、ごめん、ごめんね。………守るって決めたのに、守れなかった…」
全く表情を変えることのない弟に向かって、姉は呼びかけ続けるのであった。
いつまでも、いつまでも。