勇者様が聖女を選んだので、婚約者の私はパーティーを抜けて魔王軍に就職します
「ミラ。婚約を解消してほしい」
魔王城まで、あと三日。
人類の命運を賭けた旅も終わりが見えてきたという夜に、勇者レオンはそう言った。
今日の野営食である鍋を煮込んでいたタイミングのことだった。
「魔王を倒して生きて帰ったら、俺はシャルロット様と結婚する」
鍋を挟んだ向こう側で、勇者の隣に聖女シャルロットが座っている。
元から大人しい彼女だが、今日はいつもよりも口数が少なく、俯いたままだ。
なるほど。
ミラは手にしていたおたまで鍋をかき混ぜながら、なんとなく事情を察した。
「シャルロットと結婚するの?」
「……ああ」
レオンは苦しそうな顔をした。
シャルロットは国王の娘で第二王女。
魔法が使えるだけのただの村娘であるミラと結婚するより、うまみが強い。
シャルロットとしても、魔王討伐後の勇者を王家に取り込むことは、政治的にメリットがある。
シャルロット自身が望んだ結婚なのだろうか。
そう考えて、すぐに違う気がした。
第二王女である彼女は、これまでも何かにつけて「国のためですから」と口にしていた。
今回もきっと、その延長なのだろう。
それでも自分のせいで一組の婚約者が別れることになるのだから、居心地は悪いらしい。
「すまない。君には本当に感謝している。故郷を出たときからずっと、俺を支えてくれた。でも、旅を続けるうちに気づいたんだ。俺が本当に愛しているのはシャルロットだと」
"愛"という言葉が出てきて、ミラは驚く。
共に旅をしていて、二人の距離が近づいたような兆候を感じたことはなかった。
だからてっきり政治的な判断だと思ったのだが、いつの間にかミラのあずかり知らぬところで、二人は愛をはぐくんでいたようだ。
(まあ、婚約者である私の前でイチャイチャはできないか)
きっと二人はミラから隠れてこっそりと愛情を深めあっていたのだと、ミラは納得した。
「分かったわ」
「……え?」
「婚約を解消しましょう」
あっさりと引き下がるミラの返事を聞き、レオンは固まる。
隣では、シャルロットは驚いたように顔を上げる。
「いいんですか?」
「はい、いいですよ」
ミラはでき上がった鍋の味見をする。
おたまですくってお皿に移し、少し飲んでみたスープは少し味が薄い。
横に置いた容器から、塩をひとつまみ追加した。
「すまない……俺たちは十年も婚約者として過ごしたのに」
「そうね」
「俺たちは子供の頃から一緒だったのに」
「そうね」
「俺が勇者に選ばれたときも、一緒に来てくれたのに」
「そうね」
――『俺たち、大人になったら結婚するんだろ?』
まだ勇者に選ばれる前の子供の頃のレオンから、そう言われたときのことを思い出す。
『そうなの?』
『だってずっと一緒にいるじゃん』
『……まあ、そうね』
村には同世代の子供が少なく、そのときはお互いしかいないと思っていた。
だから結婚を承諾したし、レオンが勇者だと発覚して王城から迎えが来たときも、村を旅立つその日も、そうするのが普通だと思ってついて行ったのだ。
「怒らないのか?」
「怒ってほしいの?」
レオンは答えなかった。
面倒くさい男だ、とミラは思った。
婚約者だったから、今まで口には出さなかったけれど。
彼はいつもこの手の本音をはっきりと口にしない。
「それじゃあ、私は明日の朝に出発するわ」
「どこへ?」
「帰るのよ」
「帰る?」
「ええ、故郷へ帰るわ」
レオンが目を見開く。
「ちょっと待て。魔王はどうするんだ」
「あなたが倒すんでしょう?」
「いや、そうじゃなくて。パーティーは?」
「抜けるわ」
今度こそ、焚き火の周りが完全に静まり返った。
その場で存在感を消すように黙って干し肉を齧っていた戦士ガルドが、手にしていた干し肉を落とした。
「いやいやいやいや」
ガルドは慌てて干し肉を拾い、ついてしまった砂をはたいて落としながら口を開く。
「待て、魔女。婚約解消とパーティー離脱は別の話だろ」
「そう?」
「そうだろ!」
「でも私、レオンと結婚するから旅についてきたのよ」
ミラは不思議そうに首を傾げた。
「婚約者でもない男のために、どうして魔王と命がけで戦わなくちゃいけないの?」
誰も答えなかった。
◇
翌朝。
ミラは本当に勇者パーティーを抜けた。
「じゃあ、元気でね」
背負った荷物は小さい。
杖一本。
着替え。
薬草。
携帯食料。
それだけだった。
「ミラ」
レオンが呼び止める。
「せめて魔王を倒すまで一緒に来てくれないか」
「嫌よ」
「なぜ?」
「昨日説明したでしょう」
ミラはため息をついた。
「それにシャルロットがいるじゃない。彼女は王都一の聖女なんでしょう?」
シャルロットがびくりと肩を震わせた。
「回復魔法も結界も使える。私なんかいなくても平気よ」
「でも薬は?」
「シャルロットが回復魔法を使えばいいでしょう」
「食事は?」
「ガルドが作れば?」
「俺ぇ!?」
「結界は?」
「シャルロット」
「魔物避けの香は?」
「知らない」
「武器の手入れは?」
「自分でやって」
「水の浄化は?」
「シャルロット」
「道は?」
「地図を見なさいよ!」
ミラはとうとう怒鳴った。
「私を何だと思ってたの!?」
レオンは黙った。
「……仲間の魔法使い?」
しばらくの沈黙の後、代わりにガルドが口を開いた。
「そうね。じゃあ魔法使いがいなくても勇者と聖女と戦士がいれば魔王くらい倒せるわ。頑張って」
「でも、一人で帰るなんて危ない」
ようやく、自分たちの心配ではなくミラを心配する言葉が出たことに、ミラはげんなりしながらも笑みを浮かべた。
「私なら大丈夫だから」
じゃあね、と軽く手を振って集団から数歩離れる。
「ミラさん」
しかし今度はそれまで黙っていたシャルロットに呼び止められる。
「……申し訳ありません」
謝罪を受け、ミラはシャルロットへと振り向く。
シャルロットはうつむき、心の底から申し訳なさそうな顔をしていた。
女として勝ち誇るような感情は、一切見えない。
「気にしないでください。愛し合ってるんですよね? 出会いの順番が悪かっただけです」
ミラはシャルロットの心を軽くするように笑った。
シャルロットはしばらく黙って、何かを考えているようだった。
「愛って……なんでしょうか?」
「え?」
「いろんな愛の形がありますよね……」
「何が言いたいんですか?」
「男女の恋愛という意味なら、私と勇者さんは愛し合っていないと思います」
「え?」
「昨日は、ミラさんを諦めさせるためについた勇者さんの嘘だと思いました。だから黙っていたのですが……」
逡巡するように何かを言いかけて、シャルロットは首を振る。
「いえ、憶測で話すのはよくないですね」
シャルロットは顔を上げ、まっすぐにミラを見つめた。
「私は、魔王を倒した勇者と結婚します。それが国王の決定だから。……レオンと結婚するのではありません」
そう、シャルロットは常にレオンを名前ではなく「勇者さん」と呼んでいた。
彼女にとって大事なのはレオンそのものではなく、レオンの肩書なのだ。
「……わかりました」
ミラはそのことについて特になにも言わず、今度は全員に向かって大きく手を振った。
「さようなら、みんな。元気でね! レオン、シャルロットを幸せにしてあげてね!」
そうして十年付き合った婚約者との別れは、驚くほどあっさり終わった。
◇
三日後。
ミラは森の中で道に迷っていた。
「おかしいわね」
地図を上下逆さまにする。
おかしい。
もう一度戻す。
やっぱりおかしい。
「この道、昨日も通ったような……」
自分が方向音痴だと思ったことは一度もない。
むしろ地図を読む能力に長けていたから、勇者パーティーで道案内の役割をしていたのだ。
もう一つおかしい点がある。
魔王城の近くだと言うのに、魔物と一度も遭遇しないのだ。
魔物除けの香があるとはいえ、これまでのことを考えるとあり得ないことだった。
「……まあ、悪いことじゃないわね。そのうちどこかに着くでしょう」
ミラは深く考えず、歩を進めた。
適当に歩くこと半日。
森を抜けたミラの前に、巨大な黒い城が現れた。
「あら」
見覚えがある。
王国から渡され、何度も見返した地図。
そこに最終目的地として描かれていた城だ。
「……魔王城じゃない」
帰るつもりだったのに、なぜか目的地に着いてしまった。
「どうしよう」
「ようこそ」
背後から突然男の声がし、慌てて振り返る。
黒い外套。
漆黒の髪。
頭部から伸びる二本の角。
そして、人間離れした赤い瞳。
ミラは背後にいた男をしばらく見つめ、何者か答えを導き出す。
「……魔王?」
「いかにも」
「本物?」
「魔王の偽物がいるのか?」
「知らないわよ」
魔王はミラの回答に、にっこりと笑みを深めた。
「人間の魔法使いが一人で何をしに来た」
「……魔法使いってわかるの?」
「もちろん」
「……」
底知れない相手にミラは警戒する。
魔王はニコニコとミラを見つめ、回答を待っているようだった。
(本当のことを言った方がいい)
相手はミラが魔法使いだと瞬時に見抜いた。
それならば、嘘も見抜けるかもしれない。
幸いなことに、ここには討伐しに来たのではない。
本当のことを言えば、敵意はないことを知ってもらえる。
ミラはそう判断した。
「帰ろうとしたら、ここに着いたの」
「そうか、勇者は?」
「え?」
(なぜ、"勇者"という言葉が出てくるの?)
ミラは警戒を強め、魔王を見つめる。
相手はミラが勇者パーティーの一員だと、すでに知っていたのだ。
「勇者パーティーからは脱退したわ」
「なぜ?」
「勇者と結婚の約束をしていたからついていたけど、彼は聖女と結婚するらしいから」
「そうか」
「なので、あなたを害する意思はないわ」
「それはよかった」
魔王が笑みを深め、赤い目がさらに細くなる。
(私の話を信じてもらえているのだろうか)
これだけ言っても、魔王はまだミラを見つめている。
敵ではないと理解してくれたなら、そろそろ興味をなくしてもいいはずだ。
「では、もう行っても?」
おそるおそる、口にした。
「ミラ・ベル」
「!!」
それは、ミラのフルネームだった。
(名前まで知ってる!?)
ミラは思わず身構える。
ただの勇者パーティーの一員ではなく、ミラを個人として認識している。
パーティーを抜けたから見逃してもらえると思ったが、そうはいかないようだ。
「我が軍に来ないか」
「え」
しかし、魔王から出たのは予想外の言葉だった。
「なぜ」
考えるよりも先に疑問の言葉が口をついた。
「君の能力は高く評価している」
ミラは瞬いた。
「私の?」
「王国では『勇者の婚約者』という扱いらしいが、我々は違う。君は魔力探知。広域結界。呪術解除。薬学。魔道具整備。魔物生態学。そして野営技術。君はすべてが優れている」
「……私のことをそこまで調べたの」
「君のせいで我が軍の奇襲作戦は十二回失敗している」
「え」
「魔法罠は二十三個解除された」
「そんなに?」
「毒沼を一晩で無害化されたときには、担当者が泣いていた」
「……そんなこともあったわね。悪いことしたわ」
「敵だったのだから謝る必要はない」
魔王は苦笑した。
初めて見せた、感情を載せた表情。
ミラは混乱した。
(魔王にも人間と同じ感情がある?)
そんなことはどの文献にも書かれていなかった。
外見的特徴と、人間と同じ言葉を操ること、そして知性があることしか知らなかった。
「ミラ、君は有能だ。だからこそ欲しい」
その言葉に、ミラは少しだけ黙った。
欲しい。
レオンからそう言われたことはない。
プロポーズもされなかった。
最後に誰かにそう言われたのは、いつだっただろう。
もしかしたら、なかったかもしれない。
「待遇は?」
ミラの返事に、魔王の口角が上がった。
◇
一方その頃。
「レオン」
「なんだ」
「このキノコ、食べられると思うか?」
「……知らない」
「私も知りません」
三人は森の中で立ち尽くしていた。
ガルドのお腹が鳴る。
「昨日から木の実しか食ってないぞ」
「仕方ないだろ!」
レオンは苛立っていた。
ミラがいなくなってから、何もかもうまくいかない。
魔物は避けられない。
毒草を踏む。
夜営地を決められない。
武器は錆びる。
シャルロットは回復魔法の使いすぎで魔力切れ。
そして最大の問題は。
「魔王城って、どっち?」
三人とも道が分からなかった。
「……こっちで合ってるよな」
レオンは地図を睨んだ。
誰も返事をしない。
いつもなら隣から「こっちよ」と呆れた声で返してくれるミラはもういない。
生まれたときから同じ村にいて、物心ついた頃には隣にいた。
だから、いなくなるということを考えたことがなかった。
『旅を続けるうちに気づいたんだ。俺が本当に愛しているのはシャルロットだと』
あの言葉に嘘はなかった。
シャルロットは美しく、優しく、聖女として何度も自分たちを救ってくれた。
旅を続ける途中の宿で、国王からの使者がレオンとシャルロットを呼び出し、結婚の打診をしてきたときも、嫌だとは思わなかった。
むしろ嬉しかった。
だから、シャルロットを愛しているのだと思った。
ミラとの婚約を解消しなければならないことだけが、ずっと胸に引っかかっていたけれど、それも仕方のないことだと思った。
ミラなら分かってくれる。
それに、それで終わるような関係じゃない。
そう思っていた。
『分かったわ。婚約を解消しましょう』
あの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
自分から言い出したはずなのに、ショックだった。
もっと怒ると思っていた。
泣かれるかもしれないとも思っていた。
あっさりと了承されたことが、なぜこんなに苦しいのか分からない。
村に帰れば、ミラはまた以前の生活に戻るのだろう。
いや、以前とは違う、レオンのいない生活になるのだ。
(……そうだ。もう帰っても、ミラとは会えない……)
そう考えた途端、胸の奥が妙に冷えた。
王女と結婚したら、レオンの住む場所は王城になる。
これまでのように朝から晩まで顔を合わせる生活にはもう戻れない。
くだらないことで喧嘩もしない。
レオンは地図を握る手に力を込めた。
ミラは、やがて誰かと出会うかもしれない。
その男に笑いかける。
自分にしていたように世話を焼いて、隣を歩いて――。
その男と、結婚する。
(……嫌だ)
考えるよりも先に不快感が沸き上がり、レオンは想像するのをやめた。
(何が嫌なんだ)
自分から婚約を解消した。
シャルロットを愛していると言った。
なら、ミラが誰と結婚しようと自分には関係ない。
そのはずなのに。
知らない男がミラの手を取るところを少しイメージしただけで、胸の奥がずきりと痛んだ。
「なんだよ、これ……」
今まで一度も感じたことのない感情だった。
いや。
本当に、一度もなかったのだろうか。
村の祭りでミラが他の男と踊ったとき。
薬草を買いに来た若い商人と楽しそうに話していたとき。
理由もなく腹が立った。
そのたびにミラを連れて帰った。
婚約者なんだから当然だと思っていた。
違う。
あれは――。
「……俺、もしかして」
言いかけて、レオンは口を閉じた。
認めるには、まだ少し怖かった。
◇
一か月後。
ようやく魔王城へ辿り着いた勇者一行は、満身創痍だった。
まず道に迷った。
レオンは剣なら扱えるが、地図を読むのは得意ではない。
これまではミラが地形を確認し、魔力の流れを読んで進む方向を決めていた。
シャルロットもガルドも、それぞれの得意分野ならエキスパートだが、地図を読めなかった。
次に、魔物の群れに何度も襲われた。
以前ならミラが魔物避けの香を焚いていたため、そもそも遭遇することがほとんどなかった。
夜になれば結界が必要だった。
シャルロットにも結界は張れる。
だが聖女の結界は強力な代わりに魔力の消耗が激しい。
ミラが毎晩何気なく張っていたものとは性質が違った。
結果、シャルロットは夜ごと魔力を消耗し、翌日の回復魔法にも支障が出た。
食料も尽きた。
ガルドが捕まえた獣を焼いて食べた翌朝、三人揃って腹を壊した。
そんな散々な旅が、魔王を倒すことでようやく終わる。
「魔王! 覚悟しろ!」
レオンが勢いに任せて玉座の間へ飛び込んだ。
玉座には魔王がいた。
そしてその隣には――
「……ミラ?」
「あら。久しぶり」
黒いドレスを着たミラが玉座の横にしつらえた机に座り、優雅に紅茶を飲んでいた。
「な、なぜここに!?」
動揺する三人をしり目に、ミラは落ち着き払った態度で答える。
「就職したの」
「就職!?」
「魔王軍の宮廷魔術顧問」
玉座にいた魔王が補足する。
「副官待遇だ」
「待遇がすごく良かったのよ。週休二日で、有給もあるの」
「週休二日に有給!?」
ガルドが反応する。
彼は王立騎士団に所属しており、その中で最も強い戦士として、勇者の旅に同行していた。
週休二日に有給まである。
王立騎士団より好条件だ。
「魔法の研究費も全額出してくれる」
「研究費を全額!? 国がですか!?」
シャルロットが反応する。
彼女は王女だが第二王女。
旅に出る前、聖女として神聖力の活用法を研究していたが、国から支給される予算は少なく、自費で賄っていた。
「あと部屋が広い」
「ミラ!」
黙って聞いていたレオンが名を呼んでミラの言葉を遮った。
彼は数秒ミラを見つめたあと、剣を落とした。
代わりにミラへと手を差し出す。
「帰ろう」
「どこへ?」
「俺たちのところへだ!」
「嫌よ」
「なぜだ!」
ミラは心底不思議そうに首を傾げた。
「これだけの好待遇、捨てるわけなくない?」
思わずガルドとシャルロットがうなずく。
「それにあなた、シャルロットと結婚するんでしょう? 私は邪魔じゃない?」
「邪魔なんかじゃない!!」
レオンは大きく首を振りながら叫んだ。
「俺たちには……いや、俺には君が必要だ」
そう言われてミラは黙った。
「十年間、ずっと俺を支えてくれた。俺はそれを当たり前だと思っていた。君を失って、初めて――」
「それは愛じゃないわ」
今度はミラがレオンの言葉を遮った。
「不便になっただけでしょう?」
ミラの質問にレオンの顔が固まる。
「私がいなくなって困ったから必要になった。だったらあなたが欲しいのは婚約者じゃない。便利な魔法使いよ」
「違う!」
「何が違うの?」
「俺は……俺はミラを愛しているんだ!!」
レオンの渾身の告白だった。
流れで出てきた言葉だが、口にするには相当な勇気が必要な魂の叫び。
シャルロットを愛していると言ったときとはまったく違った。
知られたら自分の弱点になる。
本能的にそう思うからこそ、認めるのが怖かった。
勇者なのに、いや、魔王を倒さなければならない勇者だからこそ、愛に対しては臆病だった。
ミラは紅茶を一口飲んだ。
「魔王様はね、最初から私を欲しいと言ったわ」
魔王が頷く。
「当然だ。優秀だからな」
「給料も高いわ」
「当然だ。優秀だからな」
「研究室まで作ってくれた」
「当然だ。優秀だからな」
ミラは満足そうに笑った。
レオンは、ミラのその表情を見たことがなかった。
「だから帰らない」
「……ミラ」
ミラには、レオンの想いが伝わらなかった。
一度『シャルロットを愛している』と言った口だ。
そこから語られる『愛』は軽くなり、心の重さが伝わらなくなるのは当然だった。
「さようなら、勇者様」
ミラの別れの挨拶にレオンは俯いた。
しかしすぐ、剣を拾い上げる。
「なら……魔王を倒して、君を取り戻す!」
「なぜそうなるのよ!」
ミラは立ち上がった。
魔王も立ち上がる。
「いいだろう」
「魔王様!?」
「勇者よ。決着をつけよう」
「望むところだ!」
「ちょっと待って! 私を賞品みたいに扱わないで!」
二人の男が剣を抜いた。
ミラは杖を握り、魔力を込める。
「――二人とも、止まりなさい!」
ミラの最大魔法が繰り出された。
巨大な炎の玉が二人の間で炸裂し、爆風が二人の行く手を阻む。
しかし、二人の男は止まらなかった。
◇
後世の歴史書には、この日の出来事についてこう記されている。
勇者と魔王の最終決戦は行われなかった、と。
一度は始まった戦いだが、どちらかが相手を傷つけるたびにミラが激怒した。
勇者にとっても魔王にとっても、相手は倒すべき敵である。
だが同時に、ミラを巡る恋敵でもあった。
ここで相手を殺せば、ミラから一生嫌われる。
その事実に気づいてしまった二人は、互いに決定打を与えられなくなった。
結果、どちらかが死ぬまで続くと思われた戦いは、ミラによって妨害され、決着がつかなかった。
勇者は魔王を倒せず、魔王も勇者を殺せない。
ならば戦争を続ける意味もない。
こうして魔王領と人間王国の間で和平交渉が開始され、百年に及んだ戦争は終結へ向かった。
なお、このあまりにも情けない和平の真相は公には伏せられ、二人の戦いはなかったこととして闇に葬られた。
――しかし、
「ミラ」
玉座の間に設置された机で事務仕事をするミラに、魔王が話しかける。
「何ですか、魔王様」
「今夜、食事でもどうだ」
ミラが書類から視線を上げ、魔王を見る。
「仕事ですか?」
「いや」
魔王は少しだけ視線を逸らした。
「……私的な誘いだ」
「あら」
ミラは笑い、返事をしようとしたそのとき、
「ちょっと待った―――――!!」
玉座の扉が大きな音を立てながら勢いよく開かれ、叫びながらレオンが現れた。
「ミラ! 今夜は俺と食事しよう!」
「……また来たか」
魔王はため息をつく。
勇者には一度行った場所なら行き来できる魔法があるため、こうして頻繁にやって来る。
「今度はなんの用なの?」
「用がなければ会いに来てはいけないのか?」
「そうでしょ? あなたにはシャルロット様がいるんだから、用もなく他の女に会いに来てはダメ」
「シャルロットとの結婚の話なら、俺が魔王を倒せなかったことでなくなった!」
「あら、そうなの……残念ね」
せっかく王家と縁を結べるチャンスだったのに、それがふいになってしまった。
村から王族になる者が出たら、喜びで村はお祭り騒ぎになっただろう。
ミラは元村人として、心の底から残念に思った。
そんなミラの反応に、レオンはショックを受けていた。
少しは喜んでくれると期待していたのだ。
「用はそれを伝えること?」
「あ、い、いや、違う!」
このままだと追い返されると察したレオンはすぐに気持ちを立て直す。
「村でミラのお母さんから料理を渡されたんだ! これを今夜俺と二人で食べるようにと!」
レオンはちゃんと武器を用意していた。
「そうなの……」
母の料理を持ちだされ、ミラの気持ちが揺れる。
村に戻ったレオンはミラの家族を味方につけ、ミラを取り戻そうと戦っていた。
こうして、魔王と勇者の戦いは、水面下で今も続いているのだった――




