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限界転生?!

『誰も私を愛さないで。

誰も私を怖がらないで。


見えない恐怖は、恋よりも恐ろしい。

前世も今世も、結局相手のことばかり気にしないと生きていけない。


異世界のほうが、ハードかもしれない。』


これが、今作の主人公の心の叫び。

あなたは、どう感じますか?

  第1章 黒い会社


 「まったく。そこのところ、君が対応するべきだろう?」

 「すみませんでした……」


 冴えない女は少し年配の男性に嫌味を言われていた。

 

 クレーム、叱責、陰口。

 仕事は減らず、時間だけが削れていく。

 ブルーライトの光を浴びすぎたのか、目の奥が熱い。


 あぁ、定時は5時間前か。


 どれくらいの時間が経っただろう。おぼつかない、いつもの足取りでまるで闇に包まれてしまったように暗い外を歩き、家へと向かう。

 

 「疲れた……!」

 午前3時、やっと帰宅した小さなワンルーム。

 

 私は23歳、佐藤美樹。

 

 普通……いや、ブラック企業に勤めるOLだ。ただ近いからという理由で今の会社に就職したが、どうやら大きな間違えだったようだ。

 

 そんな生活のなかで、唯一の心の支えは、同じ会社の推し、原野純也という好青年。


 推し、生きがい、好きな人。私にとって全てに当てはまる人物だ。

 些細な仕草や表情にキュンとしてしまう。


  「私なんて、きっと眼中にもないだろうけど……」


 恋愛に力を入れる暇もない私は、彼の足元にも及ばないことなんて、とっくにわかっていた。 


 少し灰色がかった彼の瞳が私を捉えるたび鼓動は高鳴る。


「純也さん、今日もかっこよかった。」

 思わず頬が気持ち悪く緩み、口角が上がってしまった。

 

 深夜にニタニタ笑うなんて少々恐ろしいと一度深呼吸をする。

 私は寝ることを諦めて、ビールとつまみを用意し、愛用しているパソコンを開いた。


 俗に言う風呂キャン界隈になってきている私はさらに同僚から悪口を言われるようになってしまった。


 しかし、そんな同僚も人のことを言える立場ではなく、溜まりに溜まった仕事を片付けなくてはならない。


 そんなときどうするか、答えは簡単だ。


 自分たちとは違い、仕事が終わった「真面目ちゃん」に押し付ける、それだけである。

 

 その「真面目ちゃん」に私は不運なことに認定されているようだ。


 「ねぇ美樹〜、最近新しい彼氏できてさぁ。」


 「あぁ、そうなんだ。よかったね。」

 何人元カレ作るつもりだよ。心の中でぼやく。


 「でさぁ、飲みにいくから仕事片付けといてくれない?同僚の晴れ舞台へ一歩近づくんだよ?」


 私は、その同僚からだけでなく、周りの上司、部下、そのほかの同僚たちから見下されているような気配を感じた。


 「わかった。飲み楽しんでね。」

 私は周りからの圧迫感に耐えきれず、結局毎回YESを出してしまう。

 

 「さんきゅー美樹笑笑。」

 「あ、美樹ー、私の仕事もお願いできるぅ?」

 「私もお願いしちゃおっかな!今日早く寝たいんだよねぇ。」


 「佐藤くん、今日も仕事が山積みのようだが、サボっていたのか?しっかりやりなさい。」


 うるさいうるさい……!

 

 __ビクッ!

 寝てしまっていたのか……。

 気がつけば3時間ほど経っており、もう出社の時間になっていた。

 

 コンビニで買ったサンドウィッチと、チョコパンを頬張り、玄関でテキトーに髪を整える。


 駅に向かい、ふらふらと歩いていたその瞬間、あの男、原野純也が駅のホームに向かっているのを発見した。


 蜃気楼だろうか……?いや、あれは確かに純也さんだ。

 近くに住んでいるのかと思考を巡らせ、一人で妄想にひたる。


 その時だった。

 横から猛スピードでトラックが迫る。


  目の前が真っ白になり、鼓動が耳で跳ね返るようだった。風圧で髪が顔に張り付く。


 「ちょっ……! 」


 なに、この真っ白な空間。

 私、死んだの?


 体がなんだか内側からビリビリと痺れる。

 視界が霞み、目を覚ますと、見知らぬ床に横たわっていた。


 全く状況が飲み込めない。


 私はいまなぜここにいる?あの時、確かトラックに跳ねられた……確かな事実なはずだが、それとは裏腹に、骨折も、アザも、体の損傷が全くないのだ。


 疑問に思いながらも、一度冷静になって考えてみる。


 私はあの時、駅に向かう原野純也を見て、気を取られていた……その時に跳ねられたはずだ。


 今思い返すとあの一瞬でも本当に死んでしまうかと思うくらいの迫力と勢いであった。


 むしろなんで生きてるんだと、ツッコミを入れてしまいたくなる。


 そんなとき、一つの疑問が浮かんだ。


 ……誘拐?

 もしかすると、あのトラックは最初から私を跳ねる計画だったのではないか?

 気を失った私を攫おうとしていた可能性もゼロではない。


 だが、誘拐されたとすれば、拘束されていたり、もっと薄汚い屋根裏部屋に監禁されたりするものではないか?


 今私がいる場所は、監禁もされていなければ、むしろ部屋は煌びやかで、豪華な部屋だった。


 そして一番釈然としないのは、やけに視界が低いことだった。


 不思議に思い、鏡を覗く。

 しかし、そこには長い黒髪の薄汚いスーツを着た女性は見当たらず、少し小さなワンピースを着た赤ん坊が綺麗な鏡に反射し,映し出されていた。


 「え、なにこれ……」


  私は混乱が隠せず、思わず言葉をもらす。

 そんな時、ドアノブが半回転し、ドアが開かれた。

 その向こうには、茶髪の美しい髪をもった美形の女性と、同じく整った顔の男性が立っていた。


 2人とも何故か満面の笑みを浮かべている。

 混乱が隠せない私を無視するように、二人の大人が抱き上げる。


 私の頭の中には今、何も浮かばない。

 混乱しすぎて考えるのを放棄してしまいそうだ。

 

 漫画の知識を使って整理すると

 ――私は赤ん坊として異世界に転生した……と言ったところだろうか。

 

 いやまて、そもそも死んだかもはっきりしてないのにそんなありきたりなことを憶測で決めつけるのもおかしな話だ。


 だが、赤ん坊になっているならそういうことである。


 考えたところで、あの世界に戻る方法は今のところなさそうだ。


 あったとしてもこの体じゃ多分現時点で無理である。


 しかし、ブラック企業に戻らずに済むという点は救いかもしれない。


 それに、なんだか悪くない気がする。

 転生した考察があっているのだとすれば、この2人は私を産んだ両親だろう。

 この2人の腕の中は。

 ――なんだかとても、とてもあたたかい。

 

 第2章 数字

 

 あれから結局何もできずに何年も経ってしまった……

 もうこちらの世界では9歳だ。

 異世界に来たものだから、よくある「モンスター」などが出てくるのかとビクビクしていたが、なにもないようだ。


 あの優しく穏やかそうな両親たちには「マリー」という可愛らしい名前もつけてもらった。

 2人とも見事な美形だからか、冴えなかった前世の面影など微塵もない美少女に育った。

 それだけではなく、どうやら家は相当なお金持ちらしく大豪邸に私は住んでいた。


 「今の私だったら純也さんもイチコロなのかなぁ」


 私は馬鹿みたいなことを考えながら読書をしていた。

 

 平和な涼しい風が吹く春の出来事。

 立派な屋敷で私は荷物をまとめていた。

 「ねえ知ってる?あそこのマリーさん家、また人が亡くなったらしいわ。」


 そんな会話が聞こえた私は思わずため息をついてしまう。


 この屋敷に住む私、“マリーに関わった人は毎年誰かが亡くなる”という噂が立っているのだ。


 毎年は盛りすぎだ。実際にはまだ3人しか死んでないだろう。


 ……いや、3人も死んでいるのか。私のせいで。


 私には数字が見える。

 数字がマイナスになった人間は、例外なく死んだ。


 能力としか、認めるしかなかった。

 

 一人の顔が思い浮かぶ。


 前々から私の見た目や、友達がいないことを馬鹿にしてくる少女がいた。


 ある暑い真夏、私が読書していると例の彼女がやってきた。


 すると、彼女の胸元あたりに数字が見えた。


  「16……?」


  彼女の数字が見え始めたと同時に、他の人の胸元にも数字が浮かび上がり始めたのだ。


 しかし、彼女ほど低い数字はまったくいない。


 彼女が私に毒を吐くたびにその数字は減っていく。


 次の日には彼女の頭の数字は5になっていた。


 その次の週、彼女は心肺停止の状態で森の中で倒れているところを見つかったそうだ。


 葬式に行くように両親に促されたため参列したが、その時の彼女の頭の数字は-10。


 もちろん、それだけでは全く数字の規則性なんてわからなかったが、自分のせいで人が死んだと考えるとどうしても考えてしまい、夜も眠れなくなってしまった。


 それから私はみんなの数字が下がらないように努力してきたし、愛嬌も前より断然良くなった。


 そんな私に、追い打ちをかける出来事が起きた。

 ある日、両親の数字がおかしくなっていたのだ。 17と14だった。


 手が震える。

 思い出してみれば、いきなり数字が下がったのではなく、徐々に両親の数字は減っていた。

 私に問題があったのか、いまだに分からない。


 とにかく考えたし、とてもよくしてもらった実の両親だ。


 自分の中で小さく、しかしとても恐ろしい仮説が生まれる。


 「数字がマイナスになれば、その人は死ぬ」

 

 やめて、やめてよ。

 心で必死に叫ぶ。

 しかし、そんなのは時間の問題だったのだ。

 

 涙腺が痛む。

 ――愛されなかったから、両親は死んだのだろうか?


 ――私に関わってしまったから両親は死んだのだろうか?


 釈然としないまま、月日は過ぎ、両親が亡くなった私は親戚の伯母のもとへ引き取られることになった。


 召使いたちが忙しく動き回るなか私は少し不安げに、窓の外を見つめていた。


  引き取ってくれた伯母の数字が途中で下がったら……そんな事を考えていると、そろそろ屋敷へ移動する時間になったようだ。


 揺れる馬車の中、私は落ち着かずにいた。

 窓の外では、見たことのない花が夜風に揺れている。


 第3章 ベルモント家。


 ベルモント家――その屋敷は想像を超える広大さだった。

 庭には見たこともない花々、建物内部には奇妙な機械や動く絵画、床には淡く光る粒子が漂う。


  そして迎えてくれた伯母は、金髪をくるくるに巻いた派手な女性、見た目は貴族のマダムだが、テンションはとっても高かった。


 「いらっしゃい、マリー!ようこそベルモント家へ!」


 「……え、ええと、は、はじめまして……」


 伯母のハイテンポについて行けそうもなく、ぎこちなく返事を返す。


「まぁ、かわいいわね〜!本当に転生者ちゃんだわ!」


 その瞬間、全身の毛穴がざわつき、心臓が一瞬止まった。


  ――は?なんで知ってるの!?誰にも転生してこの世に来たことはいってないはず……なのに!?

 

 「転生者ちゃん? え、な、なんで私が転生者だって知ってるんですか!?」


 思わず声が裏返ってしまった。


 まさか、ここで私の正体がバレてるなんて……。

 伯母は満面の笑みで私の頬をムニムニ押す。

 

 「おお、やっぱり頬の弾力が違うわ!これは転生者の証ね!」


 冗談っぽく笑うおばさんであるが、こっちはケラケラと笑う余裕などどこにもない。


 本当になんで私が転生したとこの人はわかったんだ?


 「あの、ひとついいでしょ……」

 「さて、まずは屋敷を案内するわ!」

 

 伯母と話すタイミングがかぶってしまった。質問させてくれそうにない。


 「ちょ、ちょっと待ってください」


 伯母は何か言おうとしている私に気づいているのか、無視しているのかわからないが、鼻歌を歌いながら私の手を引き歩いている。


 屋敷は古くて広大だが、中に入るとすぐに豪華な家具と奇妙な大きな機械がおいてある。


  「こ、この家……普通じゃない……」


 「普通じゃないのよ!転生者ちゃん用にカスタマイズしてあるんだから!」


 「カスタマイズって……何を……?」


 「あとで分かるわ♡ まずは“あなた専用の居室”へ!」


  伯母は相変わらずのテンションで話し出す。


 「まさか転生者ちゃんが私の家族だなんて!これはもう奇跡よ♪」

 

  この伯母は一体何者なのだろうか……まさか私を利用したりするために引き取ったとかじゃ?


 これは今、順番に質問していくしかない。


 私は伯母の言葉に続くように尋ねる。


 「あの……先程もお尋ねしようとおもったんですが、なんで私が転生者なのを知ってるのですか?」


 伯母はよくぞ聞いてくれました!と言わんばかりの輝く笑顔を私に向ける。


 それにびっくりした私は思わず足を一歩引く。


 「そう!そうなのよ。そこはしっかり説明しないといけないわね。とにかく部屋に案内して、一段落したら話すわ。もちろん何も危ないことはしないから、安心してね♡」


 信用していいのか?でもこの人、初対面でそんなことは正常には判断できないが、悪い人ではなさそうだった。


 心の中で疑いつつ、伯母についていくと、普通の寝室らしきところに到着した。


  すると、カウチに腰を掛けた伯母少し真剣な顔をして私の方をむく。


 「すこし、私からいくつか質問をしてもいい?」

 

 いや、質問したいのはこっちなんだが……そんな考えが脳裏を遮った。


 なんだか少し空気が重い気がした私は深刻な顔になってしまった。


 「質問ですか……内容によりますが、大丈夫ですよ。」


 そこから長い質問……いや、尋問が始まった。


 「マリーはどこから転生してきたの?」


 果たして地球にある日本、と言って伝わるだろうか……?

 

  少し疑問に思いながら素直に伝える。

  すると伯母は目を輝かせ、再び私に急接近。

 

  「地球!あの有名な!」

 

  「ゆ、有名?」


 思わず訪ね返してしまった。


 どうやら地球については知っているようだ。

 伯母は我に返ったように表情を戻し、ふたたび質問をしてきた。

 

 「おっと、失礼しました……!次の質問よ。」

 伯母の表情が少し曇った。

 

 「マリー、あなたはなんでご両親が死んでしまったかわかる?」


 その一言で、部屋の空気が一瞬にして変わった。

 さっきまで明るく弾んでいた声が、まるで別人のように落ち着いている。


 私は一拍置いて答える。

 「……たぶん、私のせいです。」


 伯母の目が、少しだけ細くなった。


 好奇心でも、軽蔑でもない。

 まるで“確信”を見透かすような目だった。


 「そう。やっぱり、あなたには力があるのね」

 背筋に冷たいものが走った。


 「な、なにを……」

 「数字でしょ?」

 伯母は、やわらかく言いながら椅子に腰を下ろした。

 

 「マリー、それはおそらく人の信頼度を表しているわ。」


 なぜ伯母がそれを知っている……?

 私が言葉にせずとも伯母には伝わったようで、説明を始めた。


 「この屋敷には、かつて“視える者”がいたの。人の感情を数字として視る力。」


 私は息を呑んだ。まさか、同じ力を持つ人がいたなんて。


 伯母は窓の外を見つめながら続けた。

 「あなたのご両親が亡くなったとき、きっと“数字”が下がっていたのでしょう?」


 「……はい。でも、何もしてないんです。むしろ、笑って、感謝して――なのに」


 緊張からか、手が震える。


「マリー、さっきあなたはおそらく私のせい、と言ったわよね?」


 伯母は、先ほどのテンションの女性とは思えないほど冷静で淡々としているように見えた。


 すると伯母は、私の肩にそっと手を置いた。香水の甘い匂いが漂う。


 「ねえ、マリー。人の感情ってね、表面に出るものだけじゃないの。愛していても、恐れても、怒っても……“矛盾した感情”は、時に数字を曇らせるのよ。」


 しばらく沈黙が続き、気まずい雰囲気が漂う。


 「非嫡出子」

 いきなり伯母が口を開き、思わず聞き返してしまう。

 「そ、それってどういう……」  


「あなたは愛されていなかったわけでも,怖がられていたわけでもないわ。あの2人はあのふたりなりに、あなたを愛していたの。」


 マリーの瞳孔が開いた。

 

 伯母は続ける。

 

 「でも、数字は下がっていった。愛していた反面、あなたが成長していくとともに妊娠について周りからの評価を気にするようになったんじゃないかしら。」


 非嫡出子、その言葉は私も知ってる。

 つまり、私の両親……いや、あの男女は結婚せず子供を産んでしまった。それがただ、私だっただけで。


 「愛と恐怖が混ざり合って総合的に恐怖が勝ってしまった、それだけなのよ。」


 核心をつくような伯母の目はまっすぐで,この雰囲気でもなぜか安心感があった。

 

 「矛盾した感情……」

 伯母の言いたいことはわかった。


 「あなたの力は危険。でもね、正しく使えば人を救えるの。」


 伯母ふっと笑い、立ち上がる。

 「その力は、奪うための呪いじゃない。選ぶための祝福なのよ。」


 そう言い残して、伯母は紅茶を入れるから、と部屋を出ていった。


 ――祝福。

 私にはまだ、その意味が分からなかった。

 窓の外では風が木々を揺らし、月明かりが部屋を淡く照らす。


 始まった気がした。この壮大な物語が。


 第4章 いきなりの夜会。


 ある春の午後、ベルモント家の広大な屋敷に、厚い封筒が届いた。封蝋は金色で、表面には王家の紋章のようなものが押されている。


 中には、光を反射する豪華な招待状――まるで宝石のようにキラキラと輝いていた。この伯母はそんなにすごい人なのか……ものすごくめんどくさそうだ。


 どこまでも現実的なことを考えてしまうクセは治っていない。


「マリーちゃん、見て!あなた宛の貴族の夜会の招待状よ♡」


 伯母は満面の笑みで差し出した。手を差し伸べるその動作は、まるで舞台に立つ女優のように大げさだ。

 腕を大きく広げ、肩をクイッと上げる様子はコメディ映画の一場面のようで、マリーは思わず笑いそうになった。


 マリーは目を丸くした。

「え、ええ?!ダンスとか……踊れないし、ドレスもつい昨日買ったばかりです。サイズも結局あってなかったじゃないですか!」

 

 結局、ダンス用のドレスはこの前数字がマイナスになってしまい、この屋敷で1番優秀らしい召使い、リナとおばさんの共同作業で仕立てられることになった。


 「この布の感触、最高じゃない?」

 

 伯母は布をひらひらさせ、まるで自分がデザイナーのように得意げだ。

 リナは手際よく測定しながら、マリーのサイズに合わせて縫い合わせる。


 ドレスは深い青と銀の刺繍が施され、夜空の星を思わせる輝きを放つ。

 刺繍の中には可愛らしい花の刺繍もある。花の知識はないが、おそらく彼岸花だろう。


 試着を終えたマリーは鏡の前で固まった。

「わ、私……こんな豪華な服、着たことない……!」


 リナは微笑みながら髪飾りを整える。

「大丈夫、マリー様。私が全部お手伝いしますから」


 マリーは布の光沢に目を細め、花の刺繍を見つめる。それだけで、動悸がするのを感じた。

「……これで本当に夜会に行くのか。大丈夫かな、私……」

 

 マリーはやがて、馬車で夜会会場に向かうことになった。


 外の街並みは異世界ならではの美しさで、魔法の光や浮遊するランタンが空に舞う。街路灯の明かりが反射して、石畳がきらきらと輝いている。

 

 異世界なのは把握していたけど、これって魔法だよな……こんな物があるなんて初めて知った。

 馬車の揺れに合わせ、マリーの心臓も小さく跳ねる。

 能力のこともあり、人と関わるのは避けたかったため、外に出ずに引きこもっていた。そのせいで微塵もこの世界について知らない。


 馬車の中では、伯母が延々とマリーに貴族マナーの指南を始めた。

「夜会では、必ず右手でお辞儀するのよ!左手はポケットに入れない!靴音は一定のリズムで……」

「えええ……頭がパンクしそうです……!」

 マリーは思わず頭を抱える。


 やがて馬車は会場に到着した。扉を開けると、ホールは煌びやかなシャンデリアの光で満たされ、天井からは淡い魔法の光が降り注いでいた。


 音楽が流れ、人々の笑い声が空気を震わせる。

 私は緊張で肩をすくめつつも、目を見開き会場の華やかさに圧倒されてしまう。


 周囲の人々の頭上には、私の能力で数字がちらほらと浮かんでいた。

 友好的な笑顔の裏に「71」「60」などが見える。普通の人間は40〜50前後なため、緊張してる人が多いことがわかる。


 ぎこちないなぁ。わざわざ笑顔を振り撒くなんて疲れる。

 そんなことを考えている時、ある人物と目があった。

 少年の目はとてもきれいだった。すこし灰色がかった瞳は、どこか見覚えがあり、安心感がある。


 マリーが自然に微笑むと、少年はすぐに眉をひそめ、睨むような視線を返してきた。

「な、なんで……?」

 慌てて頭上の数字を確認しようとするが、なぜか何も見えない。


「おばさん……あの人の数字、見えないんですけど……どうして?」

 私は眉をひそめ、不安げに問いかけた。


 伯母は一瞬、口元に手を当てて考え込むように目を細めた。

「あら?!そんな事があるのね。しかも、あの子サパーンド家のレオンさんね。超がつくほどのお金持ちよ」

 手のひらで顎を支え、少し視線を天井に向ける。

「普通なら、人の感情は数字として見えるんでしょ?本当に見えないの?」

おばさんの戸惑った声に、私は首を縦にこくん、とゆらす。

 

 彼女は小さくため息をつき、床を指でトントンと叩きながら考えを巡らせる。

「どういうことかしら……他の人は見えるのに、この子だけ見えない……」


 私はじっとその様子を見つめる。

「おばさん……パーティー会場で人を睨みつけないでください。怖がられますよ」


 伯母は少し微笑み、目を輝かせた。

「まぁ、それもそうね……にしても、これは実験してみる価値があるわ。あなたと一緒に、この子のこと、もっと知りたいわね」


 私は胸の奥で期待と不安が入り混じる。


 頭上に数字は見えないけれど、確かに特別な存在――その事実だけははっきり分かっていた。

 そして、この不思議な少年について、何か新しい発見が待っていることを直感するのだった。

 

 第5章  裏路地


 日光は柔らかく、舗道に映る影がゆらゆらと揺れている。

 街路樹の葉が風に擦れ、遠くでは馬車の車輪がカラカラと音を立てている。

 市場の通りには人々のざわめきと香ばしいパンの匂いが混じり合い、まるで世界が一瞬だけ平和で、誰もが幸福に見えた。


 私はそんな街を、伯母と並んで歩いていた。目的は「数字」だった。

  人々の頭上に浮かぶ数値。それはマリーにしか見えない特別なもの。伯母はその奇妙な能力に心底興味を示し、「ならば研究しましょう!」と宣言して今日の外出を提案したのだ。


「街の人たちを観察して、本当に“あの子”だけが見えなかったのか確かめましょう。科学的探究心ってやつよ!」

 「科学……おばさんの中ではそういう分類なんですね」


 「もちろん! ついでにケーキ屋の限定セールも科学的必然よ!」

 近くの屋台でいちごケーキが半額セールをしている。

 まったく、呆れたものだ。


 結局、彼女の“研究熱心さ”は甘味方向へと全力で逸れていった。

 そういえば、広場に差しかかるころ、おばさんはすでにポスターを見つけていたな……

 「本日限定・ストロベリーケーキ半額!」の文字を目にした瞬間、目が輝いていた。


「マリー、糖分の補給は観察の基本よ! ちょっとだけ並んでくるわね!」

  「ちょっとって……」


 私が顔を向けたときには、すでに伯母は人混みの中へ消えていた。

 残された私は苦笑しながら、通りの端に立つ。

 風が頬をくすぐり、スカートの裾を揺らす。


 仕方ない――一人で観察を続けよう。

  私はゆっくりと人々の頭上を見て歩き始めた。

 浮かぶ数字はいつもどおり。「51」や「58」。


 「やっぱり……みんな、普通に見える」

 そう呟いた瞬間、あの夜会の記憶が胸をよぎる。

 煌びやかなホール、金のシャンデリアの下で一瞬目が合った、金髪の少年。――頭上に数字がなかった、ただ一人の存在。


 あれ以来、私の中では小さな疑問が消えなかった。

 なぜ、あの人だけが“見えない”のか。

 彼だけが、まるで世界の法則の外側に立っているようだった。

 そう考えながら、私は人混みを抜けて裏路地に入った。

 

 この通りは昼でも薄暗く、レンガの壁の隙間から冷たい風が吹き抜ける。人の姿はほとんどない。

 ただ、遠くで猫が鳴き、干された洗濯物がかすかに揺れているだけだった。


 静かだ。ここなら集中できるかも。

 マリーは小さく息を吐き、ゆっくりと歩きながら通りすがりの頭を確認した。

 

 しかしそのとき、背後で靴音がした。乾いた音が一歩、二歩と近づいてくる。


「……ねぇ、あんた」


 声は少年のものだった。

 振り返ると、まだ幼さを残した顔がそこにあった。齢11くらいだろうか。

 しかしその瞳は、年齢には似つかわしくない冷たい光を宿している。


「さっきから何してんの? 人の上半身ばっか見て。気味悪いんだけど」


 マリーは言葉に詰まった。

 「い、いえ……別に……」

 人の信頼度が上半身あたりに見えるなんて口が裂けても言えない。

 

 「別に、ねぇ。俺、ずっと見てたけどさ。お前、変だよ。ずっと上向いて、ニヤニヤして」

 少年は一歩、また一歩と近づいてくる。手の中で何かが光った。

 それがナイフだと気づいた瞬間、マリーの背筋が凍る。


「やめて……っ」


 しかし少年は笑った。しかし、それは“人を傷つけること”に慣れている者の笑いではない。

 ただ、退屈を紛らわすために悪戯を楽しむような、そんな笑みだった。


「動くなよ、怖い顔見せてくれよ」


 銀の刃が、ひゅ、と空を切った。

  私は避けきれなかった。鋭い痛みが脇腹を走る。視界が一瞬白くなり、足元が揺らぐ。

  息が詰まり、喉が焼けるようだった。


「……ぁ……」


 声にならない声が漏れる。血の匂いが、春の甘い風に混ざった。

   少年は楽しげにナイフを指先で回しながら、薄く笑う。


「お嬢様ってのは脆いな。ちょっと刺しただけでこれかよ」


 そのときだった。

 裏通りの入口から、影が差した。

 金色の髪が光を反射し、黒の上着が風に揺れる。

 その姿を見た瞬間、マリーは思わず息を呑んだ。


「――やめろ」

 低く鋭い声が響いた。

 金髪で顔の整った少年。片手にはトートバッグのような物を持っている。


 レオンだった。

 彼はためらいなく歩を進め、ナイフを構えた少年の腕を掴む。

 ひとつ、短い動き。次の瞬間、ナイフは手から滑り落ち、石畳に甲高い音を立てた。


「て、てめぇ……!」

 少年が叫ぶ。だがレオンの目は氷のように冷たく、揺るがなかった。

「こいつに二度と手を上げるなよ」


 マリーはまだ動揺で息を整えながら、驚きと感謝の気持ちで彼を見つめる。

 相変わらず、彼の数字は見えない。

「……ありがとう、レオン……」

 しかし、レオンはちらりと振り向くだけで、すぐにそっぽを向く。

「別に。てか、こんな人気のないところを一人で歩くなんて、お前馬鹿なのか?」


 私はその言葉に頬をふくらませる。


「そ、それはたしかにそうかも知れないけど……でも、本当にありがとうね、次から気をつけるよ。」

 私はそっと命を助けてくれた喜びと安心が混じった満面の笑みを浮かべた。


 レオンは目を合わせようとはしてくれなかった。


(顔が赤いけど……どうかしたのかしら?もしかしてさっきの男の子に何かやられたんじゃ……?!)


 「ね、ねぇ、レオン……」

 心配な言葉を言おうとしたそのとき、遠くから伯母の声が聞こえた。

「マリーちゃん!ケーキ買いすぎちゃったわ♡」

 大きな紙袋を抱えたおばさんが駆け寄る。話を聞きたくて再びレオンの方を見るが、彼はもうどこにもいなかった。


「……いたのに……」

 私は小さくため息をつく。だがその胸の奥には、あの少年が特別な存在であることを直感していた。


「マリーちゃん、なんかドレス赤くなってない!?」

 伯母が驚きを隠せないのも、無理はないだろう。ケーキを買いに戻ってきたら腹部をナイフで刺されているなんて誰も予想はできない。


 とても心配そうにおばさんはしている。

 私としては痛さはあるものの、体の内側からポカポカと温まっていく感覚が全身を襲っており,正直言って、いますぐ水風呂に入りたい。何かで冷やしてもらいたい。

 緊張から汗が止まらなかった。

 屋敷に戻ると、おばさんは不機嫌ながらマリーの腹部を手当てしている。


「まぁ……これは相当深い傷じゃない?!相当痛かったでしょう、ごめんなさいね。」

 おばさんは優しい。仕方のないことでも謝ってくれる。

「問題はありません。そんなことより,検証結果なんですが」


 淡々と話すマリーに伯母はすこし驚く。

 「よくこの状況で検証の話をできるわね……」

 

 「少し、間を空けましょう。休憩も大切よ♪」

 おばさんは笑っていたが、なんだか切なそうな、悲しそうな瞳をしていた。

 

 第6章 一節 レオン

 

 断れなかった、それだけで十分な理由だった。

 音楽はうるさいのに、会話はどれも薄い。

 

 その中で、ひとつだけ。

 視線が、意図せず止まった。

 彼女は立っているだけなのに、この場から、わずかに浮いて見えた。


 音楽が変わったことにしばらく気が付かなかった。


 グラスに注がれた果実のジュースの中身も気がつけばなくなっていた。


 誰かが笑っている。

 誰かが話しかけてくる。

 相槌を取り、頷く。必要な反応は返しているはずなのに、そのすべてが一つ向こう側の世界のように、遠く感じられた。


 彼女は立っているだけで、誰かと話しているわけでもない。

 その時、可愛らしい桔梗の花の刺繍が施されているドレスを着た彼女が確かにこちらを捉えた。

 

 名前も知らない彼女は、レオンに微笑む。

 その瞬間、胸の奥がひゅっと縮んだ。

「……っ」


 声にはならなかった。

 反射的に視線を逸らす。


 (ちがう)


 何が、とは考えない。

 ただ、見ていたのを見られた、それだけで顔が熱くなるのが嫌だった。


 ……やけに動悸がする。


 グラスを持つ手に力が入りすぎて、指が少し痛い。

 落ち着け、と自分に言う。

 見ていた理由なんてない。見られた理由なんて、視線に気が付いただけだろう。

 普通のことだ。

 彼女は立っていただけだし、桔梗のドレスだって珍しくない。

 たまたま目に入っただけだ。

 ……そういうことにしておく。

 

 音楽が急にうるさく感じた。

 周りの視線まで、こっちを見ている気がする。

(……もう帰ろうかな)


 それは決断というより、逃げだった。

 でも今は、それでいい。

 レオンはグラスを置き、誰にも声をかけずに会場を後にした。

 その背中は少しだけ早足だった。


 春の朝は、思ったより寒い。


 何も言わずにパーティーを抜け出して勝手に帰ったせいで昨夜は少し怒られてしまった。

 

 「レオン、これ頼める?」

 母は当然のように言った。


 テーブルの上に、小さな買い物袋のリストが置かれる。

 レオンはそれを見てから、顔を上げた。


 「……召使に行かせればいいと思います」

 そう言うと、父が新聞から視線を上げる。


 「そう思うか?」


 「はい。時間もありますし」


 父は一瞬だけ考えるような顔をして、それから言った。


 「教育の一環だ。自分の足で行って、買って、戻る。」

 母も頷く。

 「そういうこと。難しいことじゃないでしょう?」


 レオンは、少しだけ唇を引き結んだ。

(難しくは、ない)

 そう答える代わりに、視線を逸らす。

 

 教育の一環、か。

 「……わかりました」


 それ以上言っても、意味がないことは分かってる。


 足音が、やけに大きく聞こえる。

 こんな音がする道だっただろうか、と考えかけて、首を振る。

 余計なことを考えるほどの距離じゃない。


 朝の空気は冷たく、頭ははっきりしていた。

 対象の店を発見した。入店すると少し店員は戸惑いながら挨拶をする。


 驚くだろうよ。当然の反応である。

 別に,嫌ではない。金持ちが自分で買い物するなんてそうそうないだろう。自分でもそう思う。


 ……教育の一環。

 手に持った袋の中身を確かめる。頼まれたものは、全部ある。それで十分だった。


 さっさと帰ろう。

 大通りは少し時間がかかるが、裏路地は近道だ。

 いつも通っているし、今さら避ける理由もない。

 遅く帰って変に怒られるほうが避けたかった。

 そう思い、レオンは裏路地に入った。

 

 塗り立てのペンキのような匂いが鼻につく。

 実際になんの匂いかはわからない。

 

 朝の日差しがあるはずなのにここだけなぜか光は届かない。

 すこし早足で帰ろう。別に怖いわけではない。

 もう一度、靴底が音を立てる。


 次の瞬間、聞こえたのは自分の足音じゃなかった。


 なんだ?と思い、後ろを振り返るも、誰もいない。

 安心するより先に、肩に力が入っていることに気がづいた。

 ……気のせいだ。


 そう結論づけるには、音の位置がはっきりしすぎていた。

 レオンは一歩だけ、元いた場所に足を戻す。

 砂利が鳴った。

 今度は、それだけだった。


 変に警戒する必要もない。いくら裏路地といえど、人の1人、2人くらいいるだろう。

 そう思った瞬間、今度は声が聞こえた。

 笑ったような声が交じる。楽しそう、というほどでもない。


 レオンがまた一歩踏み出すと、今度はか細い声が聞こえる。馴染みのある、そんな声だったが、どこか違う。


 声が止まった。何も起こらない。

 それが逆に、不自然だった。


 レオンは足音を立てないように、壁際に寄る。

 影が2つ見える。

 一人は背の低い影で、もう一人が、それを見下ろしている。

 それに気づいた瞬間、胸の奥が嫌な音を立てた。

 恐怖心、好奇心、わからないが、影のむこうにいる誰か、を確認せずにはいられなかった。

 

 ――影の向こうから、人影が現れた。

 

 昨日の彼女だ。そう判断したのは、頭より先だった。

 「――やめろ」

 押し殺した声だった。


 レオンは一歩踏み出し、何かを持つ少年の腕に手を伸ばした。

 今、何が起こっていたかなんて何も理解できていなかった。

 ただ、手を伸ばした瞬間、その少年が尖った銀製のものを持っていることに気がついた。


 嫌な予感がした。

 彼女の方をチラリ、と確認すれば、腹部に赤い、何かが滲んでいるのがわかった。


 それをみた瞬間、ものすごく怖くなった。手が震える。

 自分にも危害を加えられてしまったらどうすればいいだろう。

 そんな考えが浮かんだ。

 

 だが、今こいつを助けることができる人物は自分しかいない。

 そう言い聞かせ、少年の手からナイフを落とす。


「二度と、こいつに手を上げるなよ」


 それだけしか言えなかった。あの少年は走って何処かへ逃げていく。


 「……ありがとう、レオン……」


 彼女が口を開いた。まるで風のように透き通る声だ。

 まだ手が震えている。


 怖かっただろうな。そんな目で、ちらりと彼女の方を向いた。


 「別に。てか、こんな人気のないところを一人で歩くなんて、お前馬鹿なのか」


 思っていることと,なぜか真逆のことを発言してしまった。


 彼女はムスっと頬を膨らませ、不服そうにしている。


 しかし、すぐに日光のような、温かい笑顔をこちらに向けてきた。


 ……小動物かなにかか。こいつは。

 また動悸がしてきた。思わず目を逸らす。


 こいつと一緒にいるとなぜかこうなる。

 昨日のことを思い出すと、また顔が熱くなってきた。


 向こうから高らかな声が聞こえてきた。

 声の主は両手にたくさんの紙袋が。

 「マリーちゃん!ケーキ買いすぎちゃったわ♡」


 ……買いすぎちゃった。


 そうだった。おつかいの帰り道だったことをすっかり忘れていた。さっさと帰ってしまおう。


 裏路地には、優しい春の風が吹いた。

 

 第7章 信じ方。


 気持ちの良い日光が上がってきた、朝7時。

 窓の外では鳥の声がして、カーテンの隙間から淡い光が床に落ちている。

 空気はまだひんやりとしていて、夜の名残が指先に残っていた。


 私は部屋の隅に立ち、召使、リナの胸元に浮かぶ数字をちらりと確認した。

 今日も50前後で安定している。数字は私だけの人生の標識だ。


「マリー、また数字ばかり見てるわね?」


 背後から伯母の声がした。振り返ると、いつもの無表情のまま、しかしどこか冷たい光を宿した目でこちらを見ていた。私はハッとして、言い訳めいた声を出す。


「だって……数字は、嘘をつかないでしょう?人間と違って。」


 伯母は口元をわずかに歪め、ため息をつく。

 「数字だけに頼っていたら、誰も信じられなくなるわよ。人間関係で悩んでいる人は、あなただけではないのよ。もちろん、その悩んでいる人は数字が見えないのよ。」


 マリーは胸の奥がざわつくのを感じた。数字にすがる自分と、人を心で信じたい気持ち。互いに揺れる感情の中で、彼女は何を選べばいいのか、まだ分からなかった。

 

 数字は、嘘をつかない。

 それは事実だ。


 少しずつセミが鳴くようになった涼しい昼下がり、マリーは屋敷の中を歩く。

 私はゆっくりと息を吐きながら、すれ違う召使たちの胸元を見る。

 四十八。五十三。

 大きな変動はない。


 ――大丈夫。

 今日も、誰も死なない。

 

 それだけで、胸の奥が少し軽くなる。

 安心している自分に気づいて、私は眉をひそめた。


 ……おかしい。

 「誰も死なない」ことを基準に安心しているなんて。


 私は、人を見ているんじゃない。

 数字を見ている。


 伯母の部屋の前で足を止める。

 ノックをする前に、ふと考えてしまった。

 今朝の会話をつい思い出してしまう。


 もし――

 もし、数字が見えなくなったら?


 その瞬間、背中に冷たいものが走った。

 喉がひりつき、うまく息が吸えなくなる。

 視界の端が、少しだけ暗くなった気がした。


 私は、どうやって人と話せばいい?

 どうやって信じればいい?

 どうやって、「大丈夫」だと判断すればいい?


 数字がなければ、私は何も分からない。


「……入りなさい」


 伯母の声に、我に返る。


 部屋に入ると、伯母は書類から顔を上げ、私を一瞥した。

 マリーの視線は一瞬、伯母の目ではなく、数字の表示される胸元に落ちる。


「また、見てたでしょう」


 責める声じゃない。

 でも、許す声でもない。


「……見ないと、怖いんです」


 正直に言った。

 取り繕う気力がなかった。


 伯母はしばらく黙り、それから椅子にもたれかかる。


「数字は便利よ。とてもね」

「でも、それは“道具”よ、マリー」


 分かっている。

 そんなこと、何度も考えた。


「道具に、縋ってるのは……私です」


 声が小さくなる。


 伯母は、すぐには否定しなかった。

 それが、逆につらい。


「ねえ、マリー。人を信じるって、何だと思う?」


 突然の質問に、言葉が詰まる。


 信じる。

 信頼。

 信用。


 ――数字が高いこと?


「……裏切られない、ことですか」


 伯母は、少しだけ目を細めた。


「違うわね」


 きっぱりと言われ、胸が痛む。


 「あなた、一瞬『数字が高いこと』って、思ったわね?」


 心を読まれている……

 

「人への信頼は、誰だっていつでも完全じゃない。」

 いつもの伯母からは想像できない鋭い声と目線だった。

 「裏切るかもしれないけど、『その可能性を覚悟してでも関わる』」

 続けて伯母は言った。


 それは、私が一番避けてきたことだ。

 唇を噛み締めすぎて、血が出てきそうだ。

「数字に頼れば、その覚悟はいらないわ」

「でもね、それは同時に……誰のことも、ちゃんと信じていないってことでもある」


 静かな声だった。

 でも、逃げ場はなかった。


 私は俯く。


 信じたい。

 でも、信じて失うのが怖い。


 だから私は、数字を見る。

 安全な距離から、人を見る。


「……弱いですね、私」


 そう言うと、伯母は小さく笑った。


「ええ。とても人間らしいわ」


 慰めじゃない。

 肯定でもない。

 ただの事実として。

 「その可能性を覚悟してでも関わる」か。


「答えはまだ要らないわ。だってまだ一巻7章だもの」


 意味が分からなくて顔を上げると、伯母は意味深に微笑んだ。


「迷っている章で、結論を出す必要はないの」

 ――まだ、分からなくていい、か。


 私は、もう一度だけ廊下を見る。

 やっぱり、みんなの数字は安定している。


 胸の奥に、何かが引っかかっている。

 痛みでも、不安でもない。

 言葉にしようとすると、形を失ってしまう違和感。


 数字は、何も変わっていない。

 それでも胸の奥に残る、このざらつきだけは、どうしても消えなかった。


 8章 10歳


「誕生日おめでとう!」


 明るい声が屋敷内に響く。


 甘そうなホールケーキには、10本の蝋燭がたっていた。


 あぁ、ついにこっちにきて10年も月日が経ってしまったのか。


 「マリー、今日で10歳ね!」

 

 明るく眩しい声の主は伯母だった。見つめられてるこっちの目が潰れそうなくらい、目を輝かせている。


「は、はいぃ。そうですね」


 思わず引いてしまった。


 人の誕生日にこんなに喜べる人がいるのだな。いいことだけど。


 そこで伯母がティーカップを持っていた手を机に置き元気よく挙手した。


 学校かよ……

 思わず心の中でツッコミを入れる。


 「一年大人になったマリーに、提案があるの!」

 「て、提案……?」


 提案とは一体なんだ?

 まさか独り立ちしろとかじゃないだろうな……?!


 「学校に行ってみない?」

 

 「ん?」


 「だーかーらー!学校に行ってみない?」

 

 思わず聞き返してしまった。この世界にも教育を受ける場所があるんだな……しかし、10歳からなのは確かな違いだ。


 「どう?10歳から、20歳まで教育を受けれるのよ!」

 「20歳まで?!」


 なるほど、そういうことか……行ってみないか?と言われてもどんなところか全く想像がつかない……。


「あ、いま『どんなところか想像がつかない』って思ったでしょう?説明してあげるわ!」


「えぇ?!なんでわかるんですか!」


「なに?そんなの勘よ〜、か!ん!」


 勘って……こっちからしたらびっくりするしかないっての。


 しかし、聞かないわけにもいかないので、大人しく聞いておくことにした。


 「まず、学校はさっきも言った通り10年あるわ。次に一日7時間授業。ご飯や遊ぶ時間を含めれば10時間ね。そして、1年に一回、クラス替えがあるの。」

「学校ってね、すごーく限られた人しか行けないのよ!」

 伯母は続けて言った。


 「すごく、限られた人……?」


「えぇ、そうよ。なんにせ全国に二つしかないんですもの。」


 ふ、2つ?!一年に一回クラス替えなのはそこまで変わらないから安心していたが……。


 「まず、この家から700メートルくらい先にある『ルエルスピターキムソン学校』」


 名前なっっが。絶対人名くっつけただけだろ。

 そんなことはさておき、700メートル先か……微妙に遠い。徒歩では到底無理な距離だがどうやっていくのだろう……。


 「そして二つ目がここからもっと北の方にある『ムファエル学校』まぁ……距離は馬車で3年かかる距離よ……」


 「な、なるほど〜」

 馬車で3年は流石に無理だ。


 「って、ことだから学校に行くとしたらルエルスピターキムソン学校しかないわけなんだけど……どう?行ってみない?」


 これは本当に慎重に選んだ方が良さそうだ。


 「ちなみに、ルエルスピターキムソン学校には,レオンさんも行くらしいけど……?」


 なるほどなぁ……。

 学校に行くということは、交流を交わしながら必要なことを学ぶということ。

 交流を行うのは正直なところ、わたしにとって避けたい話だ。人間関係が壊れるのは嫌である。


 しかし、レオンがいるならまた別だ。もし、友好な関係になれたら……?なぜ数字が見えないかわかるかもしれない。


 「ねぇ、おばさん。レオンって同じ学年なの?」


 「確か早生まれで今は一才年上なだけで、学年は同じだったはずよ」

 

 「なるほど……」


 「……ねぇ、マリー。すごく慎重なのはいいことなのよ。でもね、これから生きていくには大きな選択が必要な時があるわ。ゆっくりでいいから、結論を聞かせてちょうだい。」


 人生の決断……。


 それは、私を不幸にするもの?幸にするもの?


 確信なんてない、か。


 「数字は便利よ。とてもね」

 「でも、それは“道具”よ、マリー」


 伯母の言葉が蘇る。

 その瞬間、私の中で少しだけ、明るいものが差した気がした。


 「私、行きます!行かせてください。」


 伯母は優しく微笑み、こちらを見つめた。


「わかったわ。7月になったら入園よ!って、あと2日しかないわね!心の準備しときなさいよ!」


 言ってしまった。学校か……。

 いや、ネガティブに考えるのは一度やめよう。

 なんにせ、誕生日なんだから。


 その翌翌朝は、とても眩しく、優しい日光に照らされ目が覚めた。

 

 「朝か……」

 ついに今日は登校日だ。一応、入学式らしい。


 今日はたくさんの人に会うだろう。

 笑顔を作っておかなくてはならないが大丈夫だろうか……

 流石に緊張する。


 そしてわたしにはもう一つ心配事があった。


 レオン。彼のことだ。


 最後に会ったのは裏路地に入った時。あのときに怪我おさせてしまっていたら?絶対に嫌われていることだろう。


 そして、学校で私と会った瞬間いきなりレオンが倒れ込んだら……?


 到底、わたしは責任なんて取れない。むしろ、逃げてしまうだろう。

 

 「マリーさん!ご飯ですよ」


 そんなことを考えていたら召使が到着したみたいだ。部屋を出るとき、ついでに鏡を見て笑顔を作った。


 ……笑顔よりも自分の寝癖にびっくりだったが。


 私は昨日の自分のことで,少し反省している節があった。

学校に行く理由…それはレオンと有効な関係になる…つまり数字がなぜ見えないか探るためだって思ったこと。

 また数字で決めてしまった。

 

 学校にはもっとたくさんの人がいるのに。


 わたしは、大丈夫だろうか?


 優しい日光に照らされ、ついに屋敷を出た。


 「おばさん、ところで700メートルの距離をどうやって移動するんでしょう?」


 徒歩では行けなくはないが毎日はキツい。

 しかし馬車で登校するのは目立つか…?


 「あら、そんなことを心配しているの?」


 伯母はきょとん、としたような、驚いているような、そんな顔をしている。


 「あなた、この指輪をつけなさい。」

 

 「あ、あの……これって?」

 

 「この指輪はね、一度行ったことのある場所を記憶して、遺伝子レベルで体を分解し、ワープすることができるのよ!」

 

 「い、遺伝子…?!」

 

 (なんか危ない気が……)


 つまり、失敗したら遺伝子レベルで私は消え去るってコト?!


 「あらマリー、心配無用よ!この指輪で失敗したのは世界で1万人しかいないわ!」


 「んん?!多いんですか?少ないんですか?」


 そんな問いかけを無視するように、伯母は私の指に指輪をはめ、ボタンを押した。


 「あ!ちょっ……」


 気がつけばとっても大きく、漫画でしか見ることのないような門が立ちはだかっていた。


 「い、今私、ワープしたの?」

 内臓がなぜかゾワゾワする。地面に立っていることを実感している……


 痛い……ナイフで刺されたところがまだ完治していないせいか、ワープしたせいか、とてもお腹がキリキリする。


 戸惑いを隠せない私に、伯母は冷静に言った。


 「わたしはここから先は行けないので,1人で行くのよ。そしたら、広場中央にあるクラス発表される受付に行きなさい。」


 背中を伯母におされ、巨大な門をくぐると、そこには想像以上の人だかりができている。


 「ルエルスピターキムソン学校」――名前の長さに見合うだけの、威厳ある石造りの校舎がそびえ立っている。


 後ろを振り返っても、もう伯母はいなかった。

 マリーは胸元に手を当て、深く呼吸をする。


 視界には、右往左往する新入生たちの頭上に「62」「45」「78」といった数字が、まるで光の粒のように無数に浮遊している。


 (酔いそう……。でも、今日から新しい生活なんだから)

 

 掲示板の前には、黒山の人だかりができていた。

 

 マリーは人混みをかき分け、ようやく「4組」のリストに自分の名前を見つける。


 「あった……佐藤、じゃなくて、マリー・ベルモント」


  指先で自分の名前をなぞり、ふと、そのすぐ下の名前に目が止まった。


 そこには、昨夜から何度も頭をよぎっていた、あの名前が。


 「レオン・サパーンド……えっ、同じクラス!?」

 心臓が跳ねた。

 

 期待か、それとも恐怖か。自分でも分からない感情が渦巻く。

 

 とにかく教室へ行こう。そう自分に言い聞かせ、4組の教室のドアを開けた。

 

 教室内は、すでに新しい友人を作ろうとする生徒たちの活気で溢れていた。

 

 自分の名前が書かれた札を探すと、それは一番窓際の、後ろから二番目の席だった。

 

(よし、ここだ。……ってことは、後ろの席は誰……?)

 

 恐る恐る振り返る。

 

 そこには、まだ誰も座っていない椅子と、机の上に置かれた「レオン・サパーンド」という名札があった。


「……嘘でしょ。話すしかないだろ、これ」

 

 思わず、前世の口調が漏れる。

 その時、ガタッと椅子が引かれる音がした。

 

 顔を上げると、そこには、相変わらずの綺麗な金髪と、灰色の瞳。

 そして、やはり数字の見えない少年が、不機嫌そうに立っていた。

 

 レオンはマリーと目が合うと、一瞬だけ目を見開いた。

 

 しかし、すぐに鼻を鳴らして椅子に座る。


 「……またお前か。ストーカーかよ」

 

 開口一番、それである。

 

 マリーはつい、思い切り振り返って言い返した。


 「失礼ね!こっちが言いたいわよ。偶然、同じクラスで、しかも前後の席になっただけじゃない!」

 

 レオンは窓の外を向いたまま、ムスッと答える。

 

「……偶然にしては、出来すぎだろ」


 まったく。いい加減こちらの目をみて話して欲しい。


 第9章 嵐の自己紹介

 

 窓から差し込む日光が、教室の埃をキラキラと反射させている。

 

 私の席は、窓際の最後列から二番目。そして、すぐ後ろにはあの

 「数字の見えない少年」

 レオン・サパーンドが座っている。

 背中越しに伝わる不機嫌なオーラに、私の胃はキリキリと鳴った。

 

 出席番号順に自己紹介が始まり、ついに私の番が回ってきた。


 (落ち着け私。中身は23歳。営業スマイルと挨拶はお家芸でしょう?)

 

 私はスッと立ち上がり、ドレスの裾を軽く持ち上げ、完璧な角度でお辞儀をした。


 教室中の数字が「期待」や「好奇心」で跳ね上がるのが見える。

 

 「皆様、初めまして。マリー・ベルモントと申します。至らぬ点も多いかと存じますが、これから十年間、誠心誠意努めてまいる所存です」

 

 完璧。鈴を転がすような美声に、前世の新人研修で叩き込まれた美辞麗句。

 クラスメイトたちは「おお……」と感嘆の声を漏らしている。

 

 だが、安堵した瞬間、意識が完全に「佐藤美樹(23)」の方へ引っ張られてしまった。

 

 「……つきましては、今後のプロジェクト、あ、いえ、学校生活におきまして、何かございましたら私の方でアジェンダを整理し、迅速にリスケさせていただきますので、何卒ご査収ください」

 

 言い切ってから、血の気が引いた。

 ……いま、なんて? 査収? 10歳が、何を査収しろと?

 教室は静まり返った。


 先生ですら「あ、あじぇんだ……?」と困惑している。

 

 後ろから「ぷっ」という、耐えきれないような吹き出し音が聞こえた。


 振り返るまでもない。レオンだ。

 私は顔から火が出る思いで、逃げるように椅子に座った。 

 「つ、次。レオン・サパーンド」

 まだ動揺している様子の先生に促され、椅子がガタリと鳴る。

 

 教室の空気が一変した。サパーンド家はこの国の重鎮だ。

 生徒たちが一斉に息を呑み、彼を見上げる。

 

 私は首が折れそうなほど振り返り、彼の頭上を凝視した。

 

(……やっぱり、何も、ない)

 

 他の生徒には「42」だの「55」だの、平均的な数字がぷかぷかと浮いている。


 なのに、レオンの頭上だけは、まるで切り取られた空白のように「無」なのだ。

 

 「レオン・サパーンド。……よろしく。」


 短い。短すぎる。他の人たちはみーんな特技、趣味を数千と並べ、マウントを取りあってたのに……


 彼はすぐに座り、呆然としている私を射抜くような鋭い灰色の瞳で睨みつけた。

 

 「……おい。いつまで見てんだ、ストーカー」

 レオンは私にだけ聞こえるような小さい声で囁いてきた。


 「ひっ……!」

 

 思わず声が漏れる。前世で理不尽な上司に睨まれた時より心臓に悪い。


 冷や汗を拭う暇もなく、最悪の議題が投げかけられた。

 

 「さて、次はクラス代表を決めよう。誰か立候補はいるかな?」

 

 その瞬間、教室の数字たちが激しく明滅した。

 

 (やりたくない)

 (面倒くさい)

 (誰かに押し付けたい)


 ――そんなドス黒い感情が「30」や「25」といった低い数字となって乱舞する。

 

 私は反射的に机に突っ伏した。

 

 ダメだ。目を合わせてはいけない。ブラック企業時代、「佐藤さん、君は真面目だから」と笑顔で深夜残業を押し付けてきたあの部長の顔がフラッシュバックする。


「ねえ、ベルモント家のマリーさんなんてどう? さっきの挨拶、すごかったし、家柄も素敵じゃない。」


 悪魔の囁きが聞こえた。さっきのビジネス用語連発が、まさかの「有能」判定を食らったらしい。

 

 「そうね! 迅速にリスケ(?)してくれそうだし!」

 

 周囲の数字が「期待」という名の「押し付け」で、みるみるうちに輝きだす。やめて。その期待は、前世で私を殺した毒だ。


 23歳の語彙力をもってしても、先ほどの自己紹介から「お嬢様キャラ」を維持したまま角を立てずに断るのは至難の業だ。

 

 その時だった。

 背後から、鼻で笑うような乾いた声が響いた。


 「おいおい、正気かよ」


 レオンだ。彼は組んでいた足を組み替え、冷淡に言い放つ。

 

 「ベルモントを代表にするなんて、正気の沙汰じゃない。こいつ、この前裏路地で腰を抜かして泣いてたんだぞ。代表どころか、自分の帰り道すら怪しいバカだ」

 

 教室が静まり返る。

 

 私の頬がカッと熱くなった。

 ……助けてくれたのは分かる。でも、言い方!


 10歳児(中身23歳)に向かってバカってあんまりじゃない!?

 

 「な、なんですって!? 失礼ね!」

 

 私が抗議の声を上げると、レオンはフンと鼻を鳴らした。

 

 「事実だろ。こんなトロいやつに代表なんて務まるわけない。時間の無駄だ」

 

 レオンのあまりの毒舌に、私を推薦しようとしていた空気が一気に霧散していく。

 

 クラスメイトたちの数字は「怖っ……」「関わらないでおこう」という拒絶の色に染まったが、私への押し付けの矛先は見事に外れた。

 

 自由だ。私は社畜(学級家畜)にならずに済んだのだ。

 心拍数を落ち着かせながら、私はこっそり後ろを振り返る。

 レオンは相変わらず窓の外を見ていたが、その耳の端が、ほんの少しだけ赤くなっているような気がした。

 

 数字は見えない。

 けれど、彼の言葉の裏にある「何か」を、私は初めて数字を通さずに探そうとしていた。


 終礼のベルが鳴り響くと同時に、私は重い溜息を吐き出した。

 

 人生二度目の初登校。営業スマイルを使い果たし、脳のリソースはアジェンダとリスケに食いつぶされて、もはや一歩も動きたくない。

 

 カバンをまとめて教室を出ようとしたその時、横を通り過ぎる影があった。

 

 「……おい、アジェンダ」

 低く、どこか楽しげな声。振り返るまでもなくレオンだ。

 

 「アジェンダって呼ぶな! 私にはマリーっていう名前があるの!」

 

 「……。明日からは普通に喋れよ。気味悪いからな」

 彼は私の抗議を無視して、ひらひらと手を振りながら人混みへ消えていった。

 

 (……腹立つ。本当に腹が立つわ……!)

 

 頬を膨らませながら、私はふと立ち止まった。

 

 不思議だ。散々バカにされたはずなのに、胸の奥がちっとも重くない。


 前世で「数字(評価)」を気にして、顔色を伺っていた頃のあの泥のような疲れがないのだ。

 

 数字が見えない相手に罵倒されるのが、こんなに「対等」で清々しいものだなんて。

 

 「さて……次は命がけの帰宅ね」

 

 私は校門を出て、人目を避けるように裏庭へ回った。

 

 指には、あの忌々しい「ワープ指輪」。


 遺伝子レベルの分解。世界で1万人の失敗例。

 

 「残業で死ぬのは御免だけど、ここで塵になるのもお断りよ……!」

 

 私はOL時代の不屈の社畜根性を呼び起こし、生への執着を込めてボタンを押し込んだ。

 

 視界がぐにゃりと歪む。


 内臓がひっくり返るような浮遊感のあと、足元に確かな土の感触が戻った。

 

 「……帰って、これた」

 

 目の前には、ベルモント家の豪邸。


 生きている実感を噛み締めていると、玄関の扉が爆発せんばかりの勢いで開いた。

 

 「おかえり転生者ちゃん! 無事に再構築されたみたいね!まぁ、とは言ってもこの91億人いる世界でたったの11万人しか死んでないし確率はとても低い。心配無用ね!」

 

 伯母さんが巨大なイチゴケーキの皿を抱えて突進してきた。

 

 「聞いてくださいよおばさん……。挨拶でビジネス用語は誤爆するし、変な男子にはバカにされるし、散々でした」

 

 私は力なくカウチに倒れ込み、今日の「アジェンダ査収事件」の始末を報告した。


 伯母さんは私の話を聞きながら、ケラケラと喉を鳴らして笑った。

 

 「いいじゃない! 10歳のお嬢様が『リスケ』なんて、シュールで最高だわ。それに、そのレオン君?」

 

 彼女はフォークでケーキを突き刺しながら、悪戯っぽく目を細める。

 

 「数字が見えない相手に『バカ』って言われるなんて、最高のリハビリよ。相手の顔色じゃなくて、相手の『言葉』をそのまま受け取るしかないんですもの」

 

 「リハビリ……。確かに、そうかもしれませんけど」

 

 「あなたの呪いを解くのは、案外そういう『見えない』無礼者かもしれないわよ?」

 

 夜。リナが淹れてくれた温かいハーブティーの香りが部屋に満ちる。

 

 窓の外を見上げれば、異世界の月が二つ、静かに浮かんでいた。

 

 (明日も、学校か……)

 

 前世の社畜時代なら絶望していたはずのフレーズ。

 

 けれど、布団に潜り込んだ私の心は、少しだけ浮き立っていた。

 

 数字が通用しない、あの灰色の瞳に明日なんて言い返してやろうか。

 

 23歳のプライドをかけた「子供の喧嘩」の準備をしながら、私は深い眠りに落ちていった。


 10章 佐藤美樹


 「……すみません。本当に、すみません……っ」

 

 謝罪の言葉が、ひび割れた唇から零れ落ちる。

 

 視界は、過労で焼き付いたブルーライトの残像でチカチカと歪んでいた。


 デスクに積み上げられた書類の山は、もはや紙の束ではなく、私の人生を圧殺しようとする巨大な墓標に見える。

 

 「謝れば済むと思ってんの? 佐藤さんさぁ、代わりなんていくらでもいるんだよ。君がここで泣いて時間を無駄にしてる間にも、会社には損害が出てるわけ。わかる?」

 

 目の前で嘲笑う男の顔が、霧がかかったようにぼやける。

 

 頭上に浮かぶ**「12」**という数字。それは彼自身の人間性というより、私に向けられた「敵意の純度」のようだった。

 

 周りのデスクからは、カチカチという無機質なタイピング音だけが響く。

 誰一人として顔を上げない。隣の席の同僚は、私が罵倒されている間、まるで見えない壁があるかのように丁寧に視線を逸らしていた。

 

 (助けて……誰でもいいから、私を見て……)

 心の中で叫んでも、声にならない。

 

 私は、自分がこの部屋の空気の一部になって、誰にも認識されないまま消えていくような感覚に陥った。

 

 惨めだった。

 

 必死に生きて、誰かの役に立とうとして、結局行き着いたのは、午前3時のオフィスで


 「代わりはいくらでもいる」

 と言い捨てられるだけの、記号のような存在。

 

 熱いものが、頬を伝った。

 

 一度溢れ出した涙は止まらず、汚れたデスクの上にぽたぽたと落ちて、重要な書類を無残にふやかしていく。

 

 「あ……ああ、ごめんなさい、汚しちゃう、直さなきゃ……っ」

 

 震える手で紙を拭おうとするが、涙で視界が塞がって何も見えない。

 

 「うわ、泣き落とし? 勘弁してよ、そういうの。……もういい、消えて」

 

 男の言葉と同時に、オフィスが、デスクが、積み上げた書類が、音を立てて崩れ去った。

 

 真っ暗な闇の中、私は一人で泣き続けていた。

 

 自分の嗚咽だけが耳に痛い。

 

 誰にも触れられず、誰にも肯定されず、ただ「数字」という成果だけで判断され、切り捨てられた私の二十三年――。

 

 「……マリー様。マリー様! お願いです、目を覚ましてください!」

 

 肩を強く揺すられる感覚。

 

 重い瞼をこじ開けると、視界に飛び込んできたのは、涙を浮かべて私を必死に呼んでいるリナの顔だった。

 

 「……リナ……?」

 

 「ああ、よかった……! ひどい声を上げて泣いていらしたから、どうして良いか分からず……」

 

 リナの温かい手が、私の頬に触れる。

 

 夢の中で感じた「誰も触れてくれない恐怖」が、その体温で少しずつ溶けていく。

 

 私は、リナの腰にしがみつくようにして、子供のように声を上げて泣いた。


 前世の私が、オフィスで流せなかった本当の涙。

 

 「……ごめんね、リナ。怖かった……誰もいないのが、すごく、怖かったの……」

 

 リナは何も聞かず、ただ「私はここにいますよ」と繰り返しながら、私の背中を優しく叩き続けた。

 

 彼女の頭上の数字は、少しも揺らぐことなく「82」を示している。

 

 窓の外からは、朝を告げる鳥の声が聞こえる。


 庭園の桔梗が風に揺れ、その清涼な香りが部屋に満ちていく。

 

 私はようやく、自分がもう「代わりのきく事務員」ではなく、この世界で「マリー」として生きていることを、その痛いほどの心の震えとともに実感していた。


 あぁ、なんでだろうな。お金持ちの人のところに生まれ、母に似て美人で。こうして平和に生きているというのに?


 なぜわたしは虚しいと感じるの?


 第11章 アジェンダ


 「はぁ」


 朝の眩しく、優しい日光に照らされた食卓に座るが、あまりいい気持ちではない。

 思わずため息をつく。

 変な夢を見たせいで頭が痛い。そしてついでにお腹も痛い。


 (あのナイフ刺したガキ……一生許さん。)


 物騒なことを考えながら、リナが焼いてくれた狐色の香ばしい食パンを頬張り、投稿の準備をする。


 「マ、マリーさん。お顔が怖いですよ?」


 リナに珍しく怖がられてしまいびっくりする。それほどに恐ろしい顔だっただろうか。

 

 「あ、ごめんなさい。笑顔を作りますね」

 嘘っぽく口角だけ上げ、空になった食器を眺める。


 「はぁ。」


 またため息。


 ダメね、こんなんじゃ今日1日やっていけない!

 鏡の前に立ち、頬をバチっと叩き、やる気を起こす。


 「よし!」

 声を出したところで,指輪をはめた。


 1万人……

 いまだにドキドキする。


 「いってきまーす!」

  元気よく家を飛び出し……いや、正確には分解され、学校に到着した。


 ふぅ、とりあえず生きている。


 内臓がゾワゾワと動いている感覚、そして地面に到着した実感だけが体を包み込んでいた。


 「よぉ、アジェンダ。」


 そんな動悸を抱えていた時、低く、弄ぶような聞き慣れた声がした。


 振り向くと案の定、レオンがいた。


 「だから!わたしは佐藤…じゃなくてマリーって言ってるじゃない!」

 

 「砂糖?腹減ってんのか?」

 

 思わず前の名前を言ってしまうところだった。危ない。でもまぁ、そういうことにしとこう。


 「あ、あはは……そーかも。」

 

 ごまかすように笑う私を、レオンは怪訝そうにジロジロと眺めてきた。

 

 相変わらず彼の頭上には、何も浮かんでいない。

 

 他の生徒たちの頭上には、「期待」だの「緊張」だのを示す五十前後の数字がうるさいほど浮かんでいるというのに、彼だけがぽっかりと空いた「無」の世界にいる。

 

 「……変なやつ。じゃあな」

 

 レオンはそう短く吐き捨てると、私の横を通り過ぎようとして——ふと足を止めた。

 

 「おい。……腹、まだ痛むのか」

 「えっ」

 

 この前の裏路地でのことだ。

 

 不意に投げかけられた言葉に、私は心臓が跳ねる。

 

 刺された傷のことなら、おばさんの手当てと異世界の回復薬ですっかり塞がっているはずなのに。

 

 「……別に。もう大丈夫よ。なに?もしかして心配してくれてんのぉ〜?」

 

 茶化すように言うと、彼は「は?」と顔をしかめ、今度こそ早足で歩き去っていった。


 でも、去り際の彼の背中が、ほんの少しだけ強張って見えたのは気のせいだろうか。

 

 数字が見えないから、一言一句が重い。

 

 一挙手一投足に、理由を探してしまう。

 

 (……これって、前世の営業先より難易度高くない?)


 教室に向かう途中の廊下は、既に人で賑わっていた。


 (あれ?男子トイレと女子トイレの間に、また違うトイレがある。なんだろ?)


 青と赤の扉の間に紫の扉がある。

 ……、トランスジェンダー的なトイレかな?


 よそ見して歩いていると、怖そうな先生にぶつかってしまった。


 「す、すみません……!」

 軽く会釈し、逃げるようにため息をつき、賑やかな教室へと一歩踏み出した。


 「失礼しまーす。」

 小声で一応挨拶をする。


 まぁ多分、誰にも聞こえてないだろうけど。


 一限目は……なんだ、あれ?


 後ろのボードには「魔道具工学」と書かれてある。

 何もわからずとりあえず荷物を置き、自分の席へいく。

 うーん、どうするべきか。魔道具工学……まったくわからない。誰かに聞いたほうがいいのだろうか?


 しかし、誰に聞けばいいのか……


 後ろの席のレオンは、相変わらず窓の外を眺めていて、話しかけるなオーラが全開だ。

 

 クラスメイトの数字を盗み見ても、みんな自分の準備に必死で、四十前後の「余裕のなさ」が浮かんでいる。

 

(……詰んだ。一限目から公開処刑の予感……)

 

 私が絶望とともに机に突っ伏そうとした、その時だった。

 

「……ねぇ。君、ベルモント家のマリーちゃんでしょ?」


物語はまだ始まったばかり。

謎多き少年・レオンとの関係や、ベルモント家の秘密など、書きたいことは山積みです。


この度は本書を手に取っていただき、ありがとうございました。

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