第六話「水鱗蛇の夜宴(すいりんじゃのやえん)」
湖畔の静寂を破った激闘の余韻が消えぬ中――
「……あの魔物、回収するで! あんなん絶対ウマいやろ!」
「ウチの料理魂が騒いでんねん!」
カエデが目を輝かせながら、倒れた水鱗蛇の巨体へ駆け寄る。
その手には、包丁型の双剣――すでに解体モードだ。
「ほう……水鱗蛇。これはまた、上質な鱗に、神経系の骨構造……グフフ、たまらぬな……!」
黒鋼創冶も興奮気味にしゃがみこみ、鱗や牙、骨の構造を食い入るように観察する。
「ふむ、このような時の二方……妙に気が合うものよの」
武蔵がぽつりと呟く。
「ウチと創冶くんの趣味は、まあ、変態寄りで一致してるからなぁ!」
「変態ではない。拙者、芸術家なり」
「素材を“グフフ”言いながら舐めまわす芸術家なんか聞いたことあらへんわ!」
「いや、見てみよこの牙のカーブ! 刃先の意匠に活かせるぞ!? グフッ……」
「……本気で申しておるのが創冶どのらしいの」
そのやりとりを、ナギサはぽかんと見ていたが――すぐにふわりと笑った。
「なんて愉快な方々でしょう……けれど、とても素敵です。こうして笑いあえる仲間がいるというのは」
「ナギサっち、あんたも結構変態の素質あるで?」
「ふふ、それは褒め言葉として受け取っておきますわ」
そうして始まる、カエデの料理と黒鋼の素材解体の同時進行。
カエデは獣のような腹部から最上部の背肉まで手際よく捌き、香草を摘んで即席のスパイスを調合し、焼き始めた。
「水鱗蛇の背肉照り焼き! 外はパリッと、中はじゅわっとジューシィに仕上げたったで!」
芳ばしい香りが湖畔を包む。
「ほう……うまそうじゃのう……」
「これは、いい……」
「まぁ、なんて美味しそうな香り」
「さあ、みんな。熱いうちに食べてみてや」
四人は火を囲み、串に刺した照り焼きを一斉に口へ運ぶ。
「――――ッ! うっまっ!!!」
「……肉汁が……溢れ……る……」
「カエデどの、拙者、今度から“料理の鍛冶師”と呼ばせてもらおう」
「それ絶対おいしくなさそうやからやめて」
「ナギサ、そなたも遠慮せず食え」
「はい、武蔵さま。いただきます……ん、これは……! ああ……なんて優しい味……!」
「優しさ……どこに……?」
「あるんや、舌の奥の感性に……!」
わいわいと笑い、食べ、語らい、素材は黒鋼の魔道具「小鍛冶の袋」に次々と収められていく。
「嘴はナックルガード、羽根は弓矢の矢羽根、骨は刃の芯材……グフフ……」
黒鋼の口から、またも変態じみた加工プランが飛び出し、カエデから「もうええわ!」と全力ツッコミを受けたのだった。
月が高く昇り、風が湖面を撫でる。
四人は満腹のまま、焚き火を囲んで、静かに寄り添うように眠りについた。
仲間という言葉では足りない、奇妙で温かな“縁”が、またひとつ強く結ばれた夜だった。
⸻
火がぱち、と小さく弾けた。
照り焼きの香ばしさも、笑い声も、今はもう静寂の彼方。
カエデと黒鋼は、焚き火を背に丸くなって寝息を立てていた。
武蔵は火の前で、腕を組んだまま、まどろむでもなく、じっと座っている。
その隣に、ナギサがそっと腰を下ろした。
「……眠れませんの?」
「我、いつも寝付きは遅い。考えごとをしてしまうでな」
「ふふ、真面目でいらっしゃるのですね。何をお考えに?」
武蔵は焚き火の中の火をじっと見つめたまま、小さく呟く。
「この世界について、である」
「この“世界”のことを?」
「ああ。我は……この世界に来たときより、疑問を持ち続けておる。なぜ我はこの地に? そも、“ここ”は何なのか?」
ナギサは少しだけ目を見開き、静かに火を見つめ返した。
「――武蔵さま。ひとつ、打ち明けてよろしいでしょうか?」
「なんであろうと聞こう。そなたが話したいと思ったのなら」
「……わたくし、実は前世の記憶があるのです。ほんの少し、ですけれども」
武蔵の目がわずかに細められる。
「ほう……」
「わたくしは、“日本”という国の姫小説をたくさん読んでいた記憶がございます。まだ幼き頃、ベッドで本を開いていた――そんな情景だけ、まるで夢のように……」
「……日本、日の本か」
武蔵の声に、ふっと懐かしみが混じった。
「この世界は、あの国の“江戸”よりも少しばかり、混沌としています。でも……不思議と懐かしさを感じるのです」
「我もだ。刀に、町並みに、暮らしぶりに……いずれも“懐かしい”と感じる。“知らぬ”はずのものに、心が騒ぐ」
ナギサはこくりと頷いた。
「この世界は、“写し身”……わたくしたちの記憶の、どこかにあった理想や幻想が織り交ぜられて、形作られているのかもしれません」
「なるほど。成り立ちとは、つまり“願いの延長”か」
「ええ。この地にあるもの、ないもの……何が足りていて、何が欠けているのか。それを思索しながら旅をするのも、きっと、意味があることだと思うのです」
「……そなたは、賢いな」
「いえいえ、そんなことありませんわ。わたくしは、ただの姫でございます」
ナギサはふわりと笑い、少し肩を寄せた。
「でも……そんな謎を一緒に追える仲間ができたこと。それが、今は何よりも嬉しいのです」
「……我も、である」
焚き火がぱちんと弾けた。
武蔵の視線は、火の先の夜空へ――
「そなたは何を“所望”しておる?」
「わたくし? ……ふふ、静かな日々、ですわ。誰かと寄り添って、笑いながら過ごせる日々。武蔵さまは?」
「……同じ、であるな。所望とは、静けさにてあり、和やかなること。我は、ただそれを貫くために、力を振るうだけよ」
「――天下無双の剣豪さまにして、所望のために剣を振るう。なんて、素敵なのでしょう……」
ふたりの沈黙が、夜の闇に溶けてゆく。
やがて、そっと風が吹き、湖面を撫でる。
この地で始まる物語は、まだ序章に過ぎない。
それでも、心を寄せ合う一歩が、ここに確かに刻まれた。
⸻