第五話(挿絵有)「湖畔に咲くは、水の姫君」
朝――。
森の隙間から斜めに差し込む陽光が、露に濡れた草をきらきらと照らしていた。
焚き火の残り火は灰になりかけており、ほんのりと温もりを残している。
武蔵は木刀を膝に乗せ、静かに座禅を組んでいた。
「……すぅぅ……ふぅぅ……」
呼吸は朝の空気よりも澄んで、微動だにせぬ姿勢。
それを横目に、カエデは小さな鍋をぐつぐつ煮立てていた。
「んー……裂嘴鷲の骨スープ、ええ感じやん。ええ出汁出とる」
「カエデどの、その香り……拙者の五臓六腑に響いておる……」
寝起きの顔でゴツい体を起こしながら、創冶が鍋を覗きこむ。
「朝から骨やらクチバシやら煮てる旅の飯なんて、そうそう無いで。ほれ、ちょっと味見」
カエデが器にすくって渡すと、創冶は鼻を鳴らしてひとくち。
「……うんめえっ……!なんだこれ……ッ!裂嘴鷲の骨、地の力がぎっしり詰まってやがる……!」
「ふふん、ウチの腕前に感謝しなはれ」
その横で、瞑想を終えた武蔵がゆっくりと目を開いた。
「……よき朝。心も、刃も、澄んでおる。我、今日もまた――所望なる生を歩まん」
「いや、刃は使わんのやろ」
「木刀もまた、心を映す鏡よ。斬らぬが、貫く。我が所望はそこにある」
「やっぱり武蔵くん、めんどくさい変態やなぁ……でもまあ、そこがウチは好きなんやけどな」
「おうおう、朝っぱらからイチャつくでない……拙者はそろそろ“素材の整理”を所望するぞ。
昨日の嘴や羽根、よき鞘や飾りになりそうだ。……そうだな、“裂嘴ノ鞘”など、どうだ?」
「……ダサっ」
「カエデどの、そこは否定せずに『味がある』くらいにしてくれても……!」
三人の軽口が、朝の森に優しく響いた。
朝餉を終えると、武蔵が立ち上がり、帯に木刀を差しながら背を伸ばす。
「さて……この道の先に、何が待つか。我らの所望、さらなる縁へと導かれるやもしれぬ」
「せやな。そろそろ、“水”が欲しい頃やしなぁ……」
「――“水”か」
武蔵と創冶は顔を見合わせ、うなずいた。
カエデの言葉は、ただの水源ではなく――
これから出会う“水の加護を持つ者”との邂逅を願うものであった。
朝霧を割って、三人の影が伸びていく。
その先に、たったひとり、湖畔に佇む姫の姿が見えるとも知らず――。
森を抜けた先に、静かな湖が広がっていた。
陽光にきらめく湖面には、霧がうっすらと漂い、まるで夢の中にいるようだった。
「うわ……なんやこの場所……幻想的っていうか……神聖な場所っぽいな」
「“気”が澄んでおる……地の流れも穏やかだ。……武蔵どの?」
「……あれを見よ」
湖畔のほとり。
白銀の装束を纏い、腰まである水色の髪を風に揺らす少女が、静かに手を合わせ祈っていた。
その姿はまるで、水の神に仕える巫女のよう。
だが次の瞬間――湖面が破裂するように炸裂し、水飛沫とともに異形の魔物が現れた。
「……ッ!」
咄嗟に少女は跳び退くが、ドレスの裾が水に濡れ、足を滑らせて倒れてしまう。
「おいおい、あれはまずいんちゃう!?」
「拙者、即応する!」
「我も行く」
三人はほぼ同時に駆け出した。
魔物――その正体は、湖に棲むとされる“水鱗蛇”。
全長三メートルはある鱗だらけの蛇で、水を操りながら自在に滑るように動く。
「カエデどの、側面より矢を。拙者は護りに回る。武蔵どのは……」
「我が斃す」
武蔵は静かに頷き、木刀を抜いた。
「はーい、頼まれんでもやったるわ!」
カエデが風を纏い、素早く樹上に跳躍、風属性の矢をつがえる。
創冶は姫の前に立ち、地の魔力で大地から土塊の盾を築く。
「安心めされよ、姫君。拙者、黒鋼創冶――鍛冶師にして、一時の盾!」
「……あなた方は……?」
「話しは後にて!」
武蔵が走る。
水鱗蛇が鋭く牙を剥き、全身を弾丸のように飛ばす。
「――遅い」
瞬間、武蔵の動きが消えた。
「“静”の極み 一歩」
音もなく、空間を裂くように一閃。
木刀の一撃が魔物の首筋を打ち抜いた。
骨を砕く“響き”が、遅れて湖畔に届く。
魔物は無音のまま崩れ、地面に倒れ伏した。
しん……と静まり返った湖畔に、カエデが木の上から降り、にやりと笑った。
「やるやん、武蔵くん。やっぱ変態やわ」
「変態にして剣豪……これ、拙者メモしておこう」と創冶。
武蔵はゆっくりと木刀を納め、姫の前に立つ。
「……怪我はないか、姫君」
「……ええ、わたくしは……大丈夫です。助けてくださって、感謝いたします、剣の方」
少女は微笑んだ。
その瞳は水のように澄んで、どこか切なげでもあった。
「わたくしの名は、水姫ナギサ。この湖の神に祈りを捧げる者です。
そして……この地に“所望”を求める者でもあります」
武蔵の目が、僅かに見開かれる。
「所望――と申したか」
「ええ。“穏やかなる日々”を。けれど、それが叶わぬほど、この世界は波立っていて……」
その時、ふたりの心の中で何かが静かに共鳴した。
所望を求める者――
それは偶然か、必然か。
水と木が交わるように、静かに、確かに縁が結ばれた瞬間であった。
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次話、魔物を倒した後はお楽しみのアレ!へ続く。




