第三十二話「武蔵、久方振りのガチ所望!?」
──とある夜。
五行庵の中庭にて、月明かりの下、武蔵は焚き火を前に独り座していた。
ぱちぱちと爆ぜる火の音の向こうに、彼の声が静かに落ちる。
「……我、思うところありてな。未完成の五輪書……この異世界で、もう一度一から記したい所存……」
火の粉が宙に舞い上がり、天へ溶けていく。
それを見上げる武蔵の横顔は、どこか儚げで、しかし確固たる意志をたたえていた。
「……ただ、そのための筆も、紙も、墨も、いや、それどころか、“心”に響く道具そのものが、この異世界には未だ見つからぬ」
その“所望”の響きに、すぐさま反応した者がいた。
「武蔵どの……それはつまり、“魂を刻むに相応しき道具”を拵える、ということでござるな?」
ぬっと闇から現れたのは、例の如く火照った顔をした黒鋼創冶。
気がつけば、すでに背には材料詰め込みすぎでギシギシ言う革袋。
変態魂が疼き出していた。
「うふふ、それならまず筆ですわ。 紙の素材は水で漉けるものがないか探してみますわ♪」
ナギサはすでに、水辺で使える植物素材のメモ帳を開きながら、しれっと参加。
「筆は鳥の羽根で……いや、骨でも作れるかも? 今度また鳥系倒したらウチに捌かせてな!」
カエデは頬を軽くポンと叩きつつ、どこか楽しそうにニヤリ。
「オレさま、墨作る! 溶岩で焼いて、炭を圧縮して、火魔法で真っ黒に!!!」
「天道空雷は、“文字が浮かび上がる紙”の術式研究に着手しよう。霊圧感知式でな……ふふふ、変態技術者の血が騒ぐ」
気づけば全員が「五輪書:異世界改訂版」プロジェクトに全力の姿勢。
だが、武蔵はぽつりと呟く。
「……我が書き記したいものは、“極意”ではないのかもしれぬ。“心のうつろい”そのものを……在りのままに、刻みたいのだ」
すると天道空雷が目を細める。
「なるほど、“技術の継承”から、“魂の継承”への昇華か。剣豪どの、それはもはや書物ではない。芸術、あるいは――宗教の域だ」
「宗教ちゃうやろ!」
カエデがツッコみつつも、皆の目には真剣な光が宿っていた。
⸻
「……ふむ、“極意”と“飯の話”と“変態語り”が混ざっていても……よかろう」
筆をとった武蔵は静かに微笑んだ。
次に必要なのは、“魂が震える言葉”――
その時、五行庵に吹き抜けた風が、ふと神木の葉を揺らし、黄金の枝がひとつ……音もなく落ちた。
それはまるで、この異世界がその執筆を祝福しているかのように――
黄金の枝が地に落ちたその瞬間、五行庵の空気がぴんと張りつめた。
それを最初に拾い上げたのは黒鋼創冶だった。
「ほほぅ……これは……またしても“素材”が拙者に語りかけておるぞ……!」
両の手で大切そうに枝を掲げ、目を閉じる。
その様はまるで、異教の神官か、ただの変態か。
「創冶どの、これは……我の木刀素材とはまた違う波動を持っておるな」
武蔵がそっと枝に手を伸ばす。
触れた瞬間、微かな光が彼の指先を撫でて消える。
「おそらくこの枝……“想い”を吸収する性質を持つ。筆軸にするなら、これほど相応しきものもない」
ナギサが目を細め、手元の魔道書をぱらぱらとめくる。
「つまり、想いを込めて書けば書くほど、読む者にもその感情が伝わる……そんな魔力伝達特性があるのですわ」
「うっわ、なにそれ! ウチ、ぜっっったい読みたいやつやん!」
「読むよりさ、ラジオで読んじゃえばよくね? 朗読会、やろうぜ朗読会!」
「オレさま“木刀の哲学”の章、めっちゃ気になる!」
天道空雷がすっと指を上げて静かに口を開く。
「朗読放送……“武蔵の五輪夜話”、非常に有益な提案だ。武蔵の言葉には“変態的静けさ”があり、リスナーの精神に安らぎを与える。実証済みだ」
「待て、天道。それは褒めておるのか?」
「無論、最大級の敬意だ」
⸻
そして、いよいよ筆造りが始まった。
創冶が黄金の枝を慎重に削り出し、毛先には、かつて武蔵たちが討伐した“金眼のフェニクス”の尾羽の一本を使う。
「この筆……書く者の魂を、余すことなく紙に流し込むでござる。名を……『想魂筆』と申そう」
「命名した……!」
「変態すぎて震えるわ……!」
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一方その頃、紙の素材探しはナギサとカエデが担当していた。
「この神木の若皮、乾かせば柔らかく、それでいて破れにくい。しかも魔力が流れる……!」
「和紙の代わりになるってことやな。ほなウチ、紙漉きの工房でも作るかぁ」
そして数日後——
五行庵の一室に、慎ましき机と筆、紙、そして墨壺がそろった。
机の上には、一枚の薄く金がかった和紙。
そこに、武蔵が筆を取る。
「よいか、我はただの剣豪ではない。この手で“継ぐ者”となる。五行の理、静と動、そして――所望を込めて」
そして、筆を走らせた。
第一筆、『地』。
【地は重し、動かずして支えるもの。所作の基なり】
【剣は立たず、地を踏まずして構え成らず】
【我、木刀を以て地を断たず、ただ地に立ちて“有”を悟るなり】
筆が止まる。
そこには、確かに“武蔵の心”が刻まれていた。
「……良い。次は『水』といこう」
「連載決定ですわね!」
「よっしゃあ、ラジオの夜枠で『五輪夜話』爆誕や!」
「オレさま、BGM用の和太鼓持ってくるわ!」
「天道空雷はナレーション担当で」
「拙者は巻物の装丁を作るでござるよぉぉぉぉぉ!!」
そして、五行庵ラジオでの“朗読五輪”がついにスタートする。
⸻
その放送は、やがて魔道大国にも届く。
富裕層の中には、なぜか涙する者、剣を捨てる者、林を拓いて庵を建て始める者まで現れる始末。
“あの木刀剣豪の言葉に、なぜか魂が揺さぶられる”
リスナーのあいだでは、いまや“武蔵教”という言葉すら生まれかけていた。
だが武蔵本人は……
「我? ただ……書きたいことを所望して記しておるだけだがな?」
と、すっとぼけた笑みを浮かべながら、新しい巻物を巻き、次なる筆へと手を伸ばしていた。
次話、「とある人物の熱狂的反応!?」へつづく。




