男だとヒモだけど、女だとなんて言うんだろう
俺は、もう1度、貯金通帳を見返した。
ある日いきなり桁が2つほど跳ね上がっているが、その後は減少の一途を辿っている。なぜなら収入がないから。なぜ収入がないのかには、深い事情を説明しなければならないが……一言で言うと、俺が新しく始めたレストランのバイトをクビになったからだ。
俺がいると、店のチームワークにヒビを入れてしまうし、常連の情緒もおかしくなるらしい。俺はチームの一員じゃないのだろうか。
ともかく、現在、我が家は赤字経営である。これは俺がなんとかしなければならない。リリーさんとルミエリアさんは、バイトより先に日本での生活に慣れてもらわないといけないし。
と、ここで、テーブルを挟んで俺と向かい合っていたリリーさんが、こてりと首を傾けた。襲い来る財政難に対し、現在、家族会議というやつが我が家では絶賛開催中である。
「はたらく?」
「それしかありません」
「わたしも、サヤさんのためならはたらきます!!」
最近日本語を学びつつあるルミエリアさんも、真剣な顔で挙手してくれた。
しかし、ルミエリアさんといえばワーカーホリック、ワーカーホリックといえばルミエリアさんである。お姉さんの対極にいるみたいな彼女に下手に仕事をさせてしまったらどうなるか。遠くない将来、労基が介入してくることは目に見えていた。あまり目立ってはいけない現状、それはまずい。
とりあえず、誰が働くかは曖昧にしたまま、パソコンでアルバイトを探してみることとした。どれどれ、っと。
リリーさんとルミエリアさんも、俺の左右から画面を覗き込んでくる。
「どこで働くかですよね。この『短時間! 高収入! 未経験歓迎!』ってどうなんでしょう……」
『すごいですサヤさん! 1時間10万円ですって!』
ルミエリアさんが興奮したように、広告の求人を指さした。そこには、札束の風呂に入った男性が満面の笑顔でこちらを見返しているという、怪しさ100%なやつが表示されていた。こんな広告は最近とんと見なかったが、ここではまだ現役らしい。俺ならあの風呂は絶対入りたくない。ガサガサしそうだし。
『サヤさんの故郷にはこんな文化があるのですね……』と感慨深そうに呟くルミエリアさん。メイド喫茶を見たときも、回転寿司を見たときも全く同じことを言っていた。今の彼女の中で日本がどんな国になっているのか、聞いてみるのがちょっと恐ろしい。
「うーん……私は接客が駄目みたいだから、工場の仕分けとかですかね? あとは配達とか?」
「サヤはどうして接客がだめ?」
「私の接客がチームを壊すからだそうです」
「サヤの言うことはむずかしい」
難しいよ、だって俺にもよく分からないもん。
だが……ほほう、仕分け作業はアリかもしれん。「ベルトコンベアで流れてくる箱を確認し、決められた場所へ移動させます。作業内容はシンプルで、未経験の方でもすぐに慣れていただけます」か。なるほどね。
しかし、工場の仕分け作業の写真を見たリリーさんは、なぜか振り返り、俺をじーっと見た。続いて、ルミエリアさんの視線も、俺の頭のてっぺんから爪先までを何度も往復し始める。2人は特に俺の肩や肘、膝などの関節部をよく見ているような気がした。
「な、なんですか?」
「サヤにはこの仕事は無理」
「わたしもリリーさんに賛成です。サヤさん、きっとケガしちゃいます」
「そ、そんなこと……!」
そんなことない、と言い切れたらどれだけ良かったか。しかし、確かに流れてくる箱を何時間も運ぶことなど、今の俺には到底できそうになかった。だってすぐ息切れするもんこの体。手首も足首もすぐ痛めるし。レストランでお盆に食器を乗せて運んでいた時に、手首がポキッといった時もあった。俺の曲がった手首を見て、周囲のお客さんとスタッフは真っ青になってたっけ。
あ、俺の接客が駄目ってこういうこと? 精神的負担を与えちゃうから? なるほどな……。
しかし、そうなると……どうする? 最終手段としては、狐のお姉さんのマネージャーさんに連絡を取るという方法があるのだが……。「芸能界に興味ない?」とか言ってたし。
だが、問題も1つ。友希さんと接触する可能性が増えそう。現状、俺は元勇者の3人とはまだ顔を合わせられてはいない。どんな顔して会ったらいいか分からないから。ただ、当初はよく突撃してきていた3人は、ここしばらく大人しい。たぶん何か次の作戦を考えてそう。
そして、3人の勇者の中で、友希さんが俺に一番ブチ切れてそうだったから、危険かもしれない。よってこれも駄目と。
その時、リリーさんがポン、と胸を叩いた。
「私に、まかせて」
その後、リリーさんは、ふらりとどこかへ出かけて行った。
そして、3時間ほど経って家に戻ってくる。いい求人でも探しに行ってくれたのだろうか。
しかし、俺の前で、リリーさんはそっとテーブルに何かを置いた。
札だった。いずれもくしゃくしゃで、1万円札が3枚、5千円札が2枚。計4万円。3時間で? 時給1万3千円? そんなバイトある? え? なにこれ……?
「リリーさん……? これ、どうしたんですか……?」
「稼いできた」
「どうやって?」
すると、リリーさんは困った顔をした。そして、ちょっと恥ずかしそうに目を逸らした。
「内緒」
『絶対、非合法なバイトじゃないですか……!』
『リリーさんはきっと責任を感じておられたのですね……非合法なバイト、というと?』
『そりゃあ例えば、友希さんが私に勘違いしてたみたいな……年上の人とデートしたりそういう……うぅ……やだ……やめてほしい……』
リリーさんが年上の男性とデートしてお金をもらっているところを想像すると、吐き気が止まらない。絶対やめてほしい。というか、お金がないと聞いてノータイムでそんなことしに出ていったのなら、リリーさんの倫理観が心配である。そういうのダメ、絶対ダメ。
……いや待てよ……? たしか前に友希さんが言っていた。世にはママ活なるものもあるみたいだから、まさか女性相手もあり得るのか……? 女性? 女性相手? リリーさんが年上の女性とデートしてお金を……?
『うっ……!!!! 脳が! 脳が割れるみたいに痛い……!!』
『ああサヤさん、しっかりしてください!』
『うわああああああ!!!!』
俺は床をゴロゴロと転がり、壁にぶつかってガンガンと頭を叩きつけた。死んだことは何度かあるが、こんな気持ちになったのは初めてだった。俺はじんじんと痛むおでこを抑えながら立ち上がる。
こんなところで寝ている場合ではない。今すぐ、リリーさんと話さないと!
しかし、リリーさんとの話し合いは難航した。
「別に変なことしてない」
「体を使った仕事をしただけ」
「足りなかったら言って」
こんな言葉が返ってくるだけ。体を使った仕事だと……!? 想像したよりどっぷりじゃないか……! こんなの絶対、絶対やめさせたい……!!
しかし、どうすれば……? こんなことに詳しそうな相手なんて……そうだ!!!
俺は、やっぱりあのマネージャーさんに電話した。だってああいう業界の人なら、そういうことに精通してそう(偏見)。そもそもママ活なんてものが、世の中に本当にあるのか?
プルルルル、という呼び出し音が何度か鳴った後。電話は無事につながった。
少し遠い音質で、エンジンの低いノイズ音が混じっていた。ひょっとしたら移動中なのかもしれない。
『もしもし? どうしたの?』
「あの、いきなりすみません。実はちょっとママ活について教えてほしくて……!」
『…………は? 何を……? マ、ママ活? なんでそんな話になるの? 順に説明してくれる?』
マネージャーさんは焦ったような声を出した。
それもそうだ。……順に? そもそもどうしてこんな話になったんだっけ……?
「ちょっとお金がなくて。それで、稼がないとって話になったんです」
『いや、そもそもね。今ちょっと……違うってば! 私、この子を買ったことないから! いやこの子に限らず買わないけどね!? そんな目で睨まないで!!!』
まるで裁きを受ける地獄の住人みたいな焦った声で、自分の罪状を急に話し出すマネージャーさん。いやどうした。なんでいきなり自分の潔白を……? もしやイマジナリーな何かとお話しする癖でもあるのか……?
いきなり知人のデリケートな部分に遭遇した俺が、ハラハラしながら耳を傾けていたら。
受話器の向こうから、地獄の閻魔様みたいな、低い声が聞こえた。その声は、友希さんの声に、とてもよく似ていた。
『…………サヤちゃん? ママ活ってどういうこ』
ピッ。
とりあえず分かったことが1つある。
マネージャーさんに、もう連絡はできない。
そして、「リリーさんいきなりお札を出す事件」から30分後。
なんとリリーさんは、俺の話し合いを経て「額が少ない」と解釈したらしく、もう一度出かけてくると言い出した。さっき帰ってきたばっかりなのに。これはいけない。
『ということで行きますよルミエリアさん』
『ええわかっています。この前、「てれび」とやらで見ました。尾行ですね!』
俺とルミエリアさんは、マンションのエントランスホールの壁に張り付き、2人揃ってそっと顔を出した。たぶん第三者から見ると明らかに怪しかっただろうが、そんな場合ではない。
俺は帽子とマスクを装着しており、ルミエリアさんはサングラスを掛けている。にしてもルミエリアさん、サングラス似合うな……。
リリーさんの後を、俺とルミエリアさんはこそこそと追いかけた。
リリーさんは足が速い。なんとか遅れないようについていくが、すでに俺の息は上がってきていた。ぜーはーと荒い息をつく俺の腕を、ルミエリアさんがそっと支えてくれる。
そしてリリーさんが立ち止まったのは、商店街の外れにある、こじんまりとしたラーメン屋の前だった。
『あ、あそこに入りましたね』
『待ち合わせ……でしょうか?』
しかし、リリーさんは誰かを待つ様子もなく、さっさと引き戸を開けて入っていった。
中を覗くと、カウンター席しかない小さな店だった。俺とルミエリアさんは顔を見合わせ、ガラス越しに覗き込むことにした。リリーさんは店員に何事かを伝えた後、ぼーっと壁のメニューを眺めている。
しばらくして、店員が両手で抱えるようにして運んできたのは、洗面器ほどもある特大どんぶりだった。縁すれすれまで注がれた濃いめのスープ、その中から麺の山が島のようにそびえ立っており、チャーシューが地滑りを起こしたみたいに何枚も折り重なっている。どんぶりの直径は、どう見ても俺の肩幅より広かった。
隣のカウンターのサラリーマンは、箸を止めてそれをじーっと見ていた。
リリーさんは箸を取り、静かに食べ始める。
『なんか注文ミスを具現化したみたいなやつ来た……! 何あれ食べ物ですか? オブジェじゃなく?』
『でも普通に食べておられますよ』
『リリーさん人見知りだから間違いだって言えないんじゃ……私、ちょっと行ってきます!』
『待ってください。リリーさんは慌てていませんし……。もう少し様子を見ましょう』
リリーさんの箸は、止まらなかった。
やがて店内から、ぱらぱらと拍手が起きた。信じがたいことに、15分程でオブジェを完食したリリーさんは口元をハンカチで拭い、店員から何かを受け取って席を立った。
どうやら注文違いではなかった……のか……?
……体力をつけてる……? ママ活には体力がいるのか……?
『サヤさんの故郷にはこんな文化があるのですね』
『いや……私にも……よく……?』
リリーさんはまた歩き出した。俺たちはあわてて後を追う。
リリーさんが次に入ったのは、可愛らしい外観のカフェだった。一見明るいが、こういうところだからこそ、そういう待ち合わせに使われるのかもしれん……!
今度はテーブル席がある。俺とルミエリアさんは、リリーさんから少し離れた席にそっと腰を下ろした。メニューを開く。注文しないと不自然だし、せっかくだからケーキでも頼もうか。
俺はショートケーキを頼んだ。ルミエリアさんはチョコレートケーキを頼む。
しばらくして、リリーさんの元に店員が運んできたのは、テーブルの上にそびえ立つバベルの塔のようなパフェだった。クリームとフルーツと色とりどりのお菓子が幾重にも積み重なり、一番上には綿菓子が雲みたいにふわりと乗っかっている。てっぺんに刺さった小さな旗には「頂上制覇チャレンジ」と書いてあった。高さは、ゆうに50cmはある。
隣の席の女の子2人組が、スマホを構えたまま固まっていた。撮影より先に、現実を受け入れられないでいるようだった。
リリーさんは向かい合い、少しだけ首を傾けた。それから、スプーンを取った。
上から、崩さずに、丁寧に食べ始めた。
ママ活って、甘いものを食べることだった……?
いや、ひょっとして甘いもので懐柔されてるとか……?
単にお腹が空いているという可能性もあるのが、リリーさんの読めないところだった。
やがてパフェは、消えた。
リリーさんはまた何かを受け取って、店を出た。隣の席の女子2人組は、スマホを下ろしたまま、呆然とリリーさんを見送っていた。
次は、ステーキ屋だった。
店の前まで来ると、入り口に店長らしき人物がしゃがみ込んで、何かを書いていた。手元には白いボードと太いマジック。
『チャレンジ達成者は以降ご参加いただけま』
書きかけのボードを持ったまま、店長さんは顔を上げた。
リリーさんと店長の、目が合った。
店長さんの手から、マジックがころりと転がり落ちる。
リリーさんは少しだけ目を逸らした。それから、会釈した。
店長さんは天を仰いだ。それから、書きかけのボードをそっと地面に伏せ、深呼吸を一つして、無言で扉を開けた。俺とルミエリアさんも、こそこそと後に続いた。
案内された席からは、リリーさんのテーブルがよく見えた。運ばれてきたのは、皿というよりまな板に近い何かの上に乗った、分厚い肉の塊だった。3kgと書かれたポップが添えてある。俺の頭くらいある。いや、もしかしたら俺の頭より大きいかもしれない。表面はこんがりと焼かれており、断面からじわりと肉汁が滲み出ていた。香ばしい匂いが、店内いっぱいに広がっている。
周囲のお客さんが、一斉にリリーさんのテーブルに視線を向けた。
リリーさんはナイフとフォークを取り、静かに切り始めた。
俺は店員さんに、ハンバーグランチを注文した。ルミエリアさんはカルビ丼を頼んだ。メニューを開いたら、軽いものが何もなかった。ステーキ屋なので当然だった。
ハンバーグが来た。いつもなら嬉しいはずのそれ。ハンバーグを一口食べる。美味しかった。頑張って、もう一口食べた。頑張って、もう一口食べた。
ルミエリアさんは、無言で、カルビ丼を食べていた。その顔には一切の表情が浮かんでいなかった。
しかし、リリーさんのテーブルでは、3kgの肉塊がみるみるうちに小さくなっていた。ナイフを入れるたびに肉汁が溢れ、じゅうじゅうという音が聞こえてくる。リリーさんの表情は、最初から最後まで、何一つ変わらなかった。
やがて、リリーさんのテーブルから、肉が消えた。
店内から、どっと拍手が起きた。店長さんが厨房から顔を出し、リリーさんを見て、それから天を仰いだ。それから何かを諦めたような顔で、奥へ引っ込んでいった。
引き返してきた店長は、リリーさんにくしゃくしゃの1万円札を手渡した。それを、リリーさんは表情を変えず受け取り、少しだけ首を傾けた。
店を出ると、夕暮れが近づいていた。商店街のあちこちに、橙色の光が灯り始めている。
ステーキ店を出て、すぐ、リリーさんがこちらを振り返った。続いて店から出てきた俺たちの顔を見ても、その表情は全く変わらない。
「……ひょっとして、気づいてました?」
「うん」
「いつから、ですか?」
「最初から」
そう答えて、リリーさんは少し考え込んだ。
「おなか、すいた? 何かたべていく?」
『「え」』
俺とルミエリアさんの声が、きれいに重なった。
「だ、だってリリーさん、さっきいっぱい食べてたじゃないですか?」
「あれは別腹」
リリーさんは、至って真剣な顔をしていた。
「別腹って、そういう意味じゃ……」
リリーさんは少し考えた。
「仕事と、ご飯は、ちがう」
俺はルミエリアさんを見た。ルミエリアさんは、片手をお腹に当てたまま、助けを求めるように俺を見た。そして目を閉じ、そっと首を横に振る。
「……今日は、お腹いっぱいなので。明日、行きましょう」
リリーさんは少しだけ首を傾けた。それから、小さく頷いた。
「明日。たのしみ」
それだけ言って、リリーさんは歩き出した。俺とルミエリアさんは顔を見合わせて、その後ろについていった。
家に帰ったら、また通帳を確認しないといけない。それから、今後のこともいろいろ考えないといけない。それとやっぱり、俺も何かバイトを探そう。
でも、明日は3人でご飯を食べに行く。
それだけで、なんだか、十分な気がした。
でもひとまずよかった……! ママ活じゃなかったみたいだし。
ただ、何か忘れているような気が……。何か忘れ物したっけ……?
俺は、ポーチを開けて軽く中身を探ってみた。
あ。スマホがない。店に忘れてきたかな……?
『サヤさん、「すまほ」なら家のテーブルに置いていませんでしたか?』
『あ、そうでしたか。なら何も問題ないですね!』
そして家に帰ると、俺の忘れていったスマホには、友希さんからの着信が129件入っていた。
絶対に掛け直した方がいいと思うのだが、怖くて、まだ折り返せてはいない。
なんかこういうこと起こりそうだなって。
友希さんはサヤちゃんの連絡先を知らないはずなのですが、たぶんマネージャーさんから友希さんに伝わって、サヤちゃんの留守電には何かメッセージが入ってたんでしょうね。怖い。
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