羞恥心なら捨てました、任せてください
俺は、引き続き、お姉さんから仕事内容を改めて聞いていた。だって、看板娘をしてくれ、としか言われてないし。さすがにふわっとしすぎである。
「この館の敷地の外は異世界なんだけど、いきなり違う世界には行けないんだ。しばらく体を慣らす必要がある。だから、ここで1週間ほど過ごして準備をするんだよ」
「そもそも、どうやってお客さんはここに来るんですか?」
「どこからか湧いてくるね」
「言い方……!」
でも、通訳がいるということは、違う世界には、当然ながら日本語は流通していない、ということだろう。当たり前だけど。そうすると、出て行ったお客さんたちはどうするの? 言葉が通じない世界にいきなり放されても、って感じにならないのか?
「異世界に呼ばれる者は、人間のままじゃなく、そのまま精霊とかになることが多いんだけどね。言葉なしに意思を伝えることができるから、話す必要は特にないんだ」
確かに物語とかだとあるよな。頭の中に話しかけてくるタイプ。原理が気になるところだが、俺は新幹線に乗る時に設計図を確認する人間ではないので聞くのはやめておいた。
「それで、どういう人が異世界に呼ばれるんですか?」
だって、今の話だと異世界に行ったら行きっぱなしなんだろ? なら、普通の生活をしてる人はすごく困るんじゃないだろうか。世間ではそれを蒸発というのでは……。
「この館を訪れる者は、3種類いる。迷い込んだ者、異世界に生まれ変わる者、勇者だ。そうそう、仕事の話に戻そうか。迷い込んだ者は客じゃないから、食事を振舞ってさっさと追い出せば結構。だから仕事としては、残りの2種類の者のお世話をするのと……あとは、元の世界に帰る者がいれば、お土産を渡すくらいかな」
あ、俺の意図とは違う答えが返ってきた。ともかく、お世話をして、あとはお土産を渡す、と。……あれ?
「現実に帰るパターンもあるんですか?」
「滅多にないけどね。『勇者』と呼ばれる奴がそうさ。そいつらは例外的に、人間の姿のままで旅に出る。……これでいい? じゃあ、今日は好きにしていいよ」
お姉さんは説明に飽きたらしく、一方的に話を打ち切って去っていった。うん、ここは異世界への入口で、受付で、たまにお土産を渡す場所。あとごく稀に勇者とやらもやって来る、と。ファンタジーな世界観。そして、今日は自由らしい。了解。
さて、ならまず掃除でもしようか。俺は腕まくりをして、掃除用具を手に館を駆け回った。館の中には、どこか甘くほのかな香木の香りが漂っており、遠くで時計が時を刻むカチカチという規則的な音が静寂を引き立てていた。それは、まるでこの館自体が生きているかのような感覚を覚えさせる。……あ。壁の上の方、ちょっと汚れてる。
俺は精一杯手を伸ばしたが、どうにも届かない。ぴょんぴょんとその場で跳ねてみたりしたけれど、無駄だった。……くそう……元の姿ならギリギリ届きそうなのに……。
諦めて踏み台を駆使し、ホールをひたすら拭き掃除していると、誰かがひょっこりと壁から顔を出す。あ、フィール先輩。
『あら、熱心ね。感心感心』
『ありがとうございます。お客さんが来る前に綺麗にしておこうと思って』
すると、フィール先輩は窓枠に指を滑らせ、ふっと息を吹きかける真似をした。この人、ぜったい形から入るタイプだ。
『まあ、真面目さは合格かな。あんまり埃はないと思うけど』
フィール先輩は、棚の上の隙間で猫みたいに丸まりながら、ふぁ、と軽くあくびをした。
『それにしても災難だったわね。女の子に変えられちゃったって? 恥ずかしくないの?』
『大丈夫です。羞恥心なら捨てました。給料も高いし仕事と割り切るんで、知り合いに会わなきゃ大丈夫っす。任せてください!』
『へえー、感心感心。ずっとそう言えたなら褒めてあげる』
両手をえいえいと振り上げ、やる気を示す俺。しかし、俺に何か言おうとしたフィールさんは途中で宙を見上げ、不思議そうに首を傾けた。
『あれ……? 客? そんな予定あったっけ? まあいいわ。ほら、行くわよ、あっち』
『は、はいっ!』
とりあえず、ふよふよ浮いて移動し始めるフィールさんの後を全速力で追った。フィールさんの移動速度が結構早いというのもあるが、普段の俺より歩幅が小さいのでダッシュで追いかけないと間に合わないのだ。そして、すぐに息が切れてくる。
「はぁっ……! はぁっ……!」
膝に手を突き、肩で大きく息をついた。なんだこの体。いくらなんでも体力がなさすぎる。そして、しばらく息を整え、ようやく顔を上げると……いつの間に現れたのか、俺の目の前には、困ったような顔をした男子が立っていた。
「あの、君、大丈夫?」
「は、はいっ! いらっしゃいませ! ようこそ……えーっと……境界の館、へ……?」
尻すぼみに小さくなった俺の言葉に困惑したような顔をしたものの、お客さん(仮)はそれ以上追及しては来なかった。なんだいい奴じゃないか。……あれ……? でもなんかこいつ、見たことあるような……。
俺は改めて相手を眺めた。背が高くて、活発そう。で、サッカーでもやってそうでイケメンで……まるで同じクラスのサッカー部の中村にそっくり……というか本人では? いや、本人だこれ。
その瞬間、足元がやけにスースーしたような気がした。だって俺スカートだもん。なんなら、下着までまるごと女子。ちなみに下着はパステルカラーの可愛いやつだ。ぜったい見せないけど。
改めて、状況を整理しよう。知り合いの前で、俺は、下着までまるごと女子の格好で、接客している……?
その瞬間、足元がガラガラと崩れていくような感覚に襲われた。駄目だ、このまま消えたい。……いや、待て! まだ、まだ俺本人だとはわからないはず……!
中村は、プルプルと震えている俺から目を逸らし、ポリポリと頬を掻いた。頼むから何も言うなよ、絶対に言うなよ……! なんか恥ずかしそうにしてるけど、それ以上俺を追い詰めないでくれ。いいから、何も言わずこの場から消えるんだ。頼むぞ……!
俺の願いを込めた視線を受けて、中村は照れたように頬を染めて笑いながら、口を開いた。
「それにしても、すごく可愛い子が走ってきたんでびっくりしたよ。一目惚れした、って言ったら迷惑かな? よかったら名前とか連絡先とか……」
「わァ……ぁ……」
「泣いちゃった……!!! そ、そんなに嫌⁉」
中村は、俺のクラスでも中心的な存在で、誰にも物怖じしない上、性格だって悪くない。さらに言うと、席が近く、あろうことか同じ班でもある。つまりは知り合いだ。知り合いの前でこんな……いや、待て! 俺の姿は変わっているわけだし、このまま平静を保てば問題ない……!
しゃがんで両手で顔を覆った俺の心境をまとめるなら、上記のような内容になる。
1分程、両手で顔を覆ってうずくまった後。俺はパタパタとスカートを無意味に払い、何事もなかったかのように澄ました顔で立ち上がった。
中村は、遥か上の方から、おずおずと俺を見下ろしてきた。くそう。いつもは同じくらいの身長なのに……!
「……あのさ、だ、大丈夫?」
「ふぁい。だいじょぶでっす」
「明らかに大丈夫じゃなさそう……!」
で、客に、どうすればいいんだっけ……? 記憶がなくなるまで後頭部をひたすら殴打しろというなら、喜んでこのまま実行するのだが……。




