その異常事態を『びっくりした』の一言で済ますな
「館のスタッフはみんな服を着ていない」という突然のカミングアウトを聞かされた俺は、フィールさんをあらためて見つめる。
……着てる、よな? さらさらの金髪に黒いリボンとローブが似合ってる、可愛い服装。俺もさすがに相手が服を着ていなかったら気づく、と思う。でも一応聞いてみよう。もう自分に自信が持てない。
『あの……着てるように見えますが……』
『これもう体の一部みたいな感じなのよね。リリーも同じ。あれ皮膚みたいなもんよ』
俺はリリーさんの纏っていた給仕服のようなものを思い出す。あれがボディペイント? あんなに恥ずかしがってたのは裸だったから? むしろフィールさんも服着てないなら、ここは裸が制服……? あのお姉さんだし、あり得ないとは言い切れない……?
『お、俺は服着てしまっていいんでしょうか』
『なに、あなた裸で歩きたいの? その年と見た目で随分な変態なのね』
『違います!』
すると、返事を聞いたフィールさんは、うーんと何かを悩みながら、思いっきり眉間に皺を寄せた。……やばい。俺が原因で困らせてるみたい。いや、この人が何に困ってるのかは、正直くみ取りかねるけど。裸仲間じゃないんだ、というがっかりだろうか?
そして、フィールさんは少しひきつった笑顔を浮かべ、俺を見つめた。言葉にせずともひしひしと伝わってくる、無理してる感。何に悩んでたのか知らないけど、でもきっと、俺が露出とかしないって常識的な判断をしてくれたと思う。お願いそう言って。
『ま、まああれよ? 別に脱ぎたいならそれはあなたの自由じゃない? でも、その……お客様とあたしがいないときにしてね、お願いだから』
『俺は……非常に……心外です……っ!』
俺が懸命に弁明した結果、フィールさんはわかってくれたと思う。うん、そう信じたい。
『ほら、館の中を案内してあげるからとっととついてきて』
『ありがとうございます。でもフィールさんのお仕事はいいんですか?』
『だって今、客もいないし。暇潰しに付き合ってあげる。そっちの方が面白そうだから』
フィールさんは、くふふと含み笑いをしながらこちらをそっと見て、廊下を進み出した。
俺は大股で歩きながら、フィールさんの足元をちらりと見た。やはり今日も、彼女は明らかに10センチほど浮いている。やっぱりこれ、透明な足場に乗ってるとか、糸で吊り下げられてるにしてはふよふよ浮きすぎてる気が……さっきも扉をすり抜けてたし……。他の世界、とかお姉さんも言ってたし。
1度息を吸って、大きく吐いた。よし、聞こう。こういうのは疑問に思った時に聞いてしまった方がいいのだ。後々だと聞きづらくなってしまうものだから。
『あの、こんなこと聞いていいかわからないんですけれど……その、フィールさんって』
『お察しの通り、本物の幽霊よ。これでいい?』
『どうもありがとうございます。解決しました』
あ、すぐ答えてくれた。まあ、俺、フィールさんの足元ずっと見てたしね。……え? 幽霊……?
『ちなみにスタッフに生きてる人間はいないわ。リリーはあれゾンビだしさ』
『マジですか。さっきから俺の常識がだいぶピンチなんですが』
『で、ハモさんは……あ』
フィールさんの視線を追うと、バラバラになった鎧が、廊下のあちこちに散らばっていた。昨日見た、西洋の甲冑というか、銀色に鈍く光る金属製の鎧だけ。中身はどこへ……? と思ったら、フィールさんが腰に手を当て、鎧に声を掛ける。
『あーあ。また転んだのハモさん』
『そこの方、すみませんが組み立てていただけませんかな』
何もない空間から話しかけられて、俺は身を震わせた。ハモさん、どこですか。俺にはあなたが見えません。
『会話ができるなら今日は調子いいわね。ほら、そこのハモさんの左足取って』
『は、はい……っ!』
手に取ると、伝わってくるずっしりした重みと、ひんやりとした手触り。その後、スケール1/1実物大ハモさんプラモの組み立てには、実に30分ほどの時間を要した。ぐるぐると腕を回すハモさん(完成品)。さっきまで、絶対に中身はなかったのに。
『やれやれ、ありがとうございます。今まではあの方かリリー殿が通りかかるまで待っていましたが、これからは貴女にも世話になりそうですな』
『ハモさんすぐ転んでバラバラになるもんね』
『……そう、なんですか……大変ですね』
確かに鎧だと歩きにくそうではある。そこだけ同意できた。そこだけ。後は丸ごと無理だった。ていうかさっき流しちゃったけどリリーさんも何? ゾンビなの?
結局、最終的には、無理やり納得した。うん、ここは普通の旅館じゃなくて、本物の妖怪の働く場所なんだ。だから当たり前。それでいいのか俺。
その後、なんとなくキッチンをのぞいてみると、リリーさんが火にかけられた鍋を無表情でじーっと眺めているところだった。さっきの今なので余計に気になる。リリーさん、ゾンビって本当なのかな……? やがて、そのリリーさんは鍋に手をぴとりと当てた。じゅーっという、肉が焼ける嫌な音がする。
『ちょちょちょちょリリーさん! 手離して⁉』
『どうしたの? 何騒いでるのよ』
フィール先輩がふよふよとこちらに漂ってきたけれど、それどころじゃない! 俺は駆け寄ってリリーさんの手を無理やり離させ、そのまま水道まで引っ張っていった。
『リリーさん! 熱くないですか⁉』
『……感覚ないから大丈夫』
『にしてもなんで触ったんですか⁉』
『温度確かめようと思って』
『感覚ないんですよね⁉ なんで⁉ 触ったんですか⁉』
『温度確かめようと思って』
そこで見かねたのか、フィール先輩が間に入ってくる。
『あなた何回同じこと聞くのよ。リリーがかわいそうじゃない』
『俺が悪いんですか⁉』
俺がフィール先輩と言い合っていると、リリーさんが後ろからぽつりと呟いた。
『新入りが情緒不安定でちょっと心配』
『俺が⁉ 悪いんですか⁉』
『うるさい子ねえ』
次の日、というかその日、俺は再び朝に自分の部屋で目覚めた後、そのまま登校した。つかれた……。教室でぐったりしていると、俺の机まで由依がやってくる。
「どしたの雅也。なんか元気ないじゃん」
「バイトで疲れた……」
俺の顔を見て、由依はちょっぴり気遣うような表情になった。というか、夢で働いてると、休んでる気がしない。寝不足(?)なのか、すごく頭もぼんやりするし。
「バイト始めたの? で、朝から疲れてんの? ……ああ、新聞配達とか?」
「旅館のお世話係みたいな……? まだお客さん1人も来てないけど」
「意外に本格的なのやってんのね……で、なんかあったの」
「同僚が個性的すぎて」
「……どんなの?」
「先輩がいるんだけど、扉をすり抜けたり、実は服着てないって唐突にカミングアウトされたり。あと、煮えたぎる鍋に手を当てて顔色変えないシェフのお姉さんとか。それから警備員の人はバラバラになって廊下に散らばってた」
「待って待って情報量が多すぎる」
由依は、なぜかこめかみに手を当て、大きいため息を深々と1つ、ついた。そして、しばらく沈黙した後、「1つずつ確認させて」とやけに落ち着いた声で呟く。
「まず、先輩がいる」
「うん。全員先輩だけど。仕事を教えてくれる女の先輩がいるんだ。結構面倒見がいいよ」
「ま、そこまではいい。次、その人は服を着ていない」
「うん。着てるように見えるんだけど、本人曰く、着てないんだって」
由依は「聞き間違いじゃなかったか」と呟き、目を閉じて首を振った。
「もうさ、それが嘘でも本当でも変態じゃん」
「1アウト?」
「いやこの時点で試合終了でしょ。コールド負けだよ。……え、なにその不服そうな顔」
「でもその先輩は仕方ない気もする。物理的に着られない、って意味だと思うし」
すると、由依は呆れたような顔でこちらを見てきた。待って、それじゃまるで俺が服着てないことに肯定的な仲間みたいじゃないか。やめて。……あれ? 待てよ? お姉さんを除くと、俺以外は全員裸……? 確かフィール先輩はそんなことを言ってたような……。
「どしたの、困った顔して」
「そういえば、その人だけじゃなくて……先輩たちは全員服着てないらしいんだ」
「みんな裸なの⁉ 何その旅館⁉ いかがわしい! てか、着てない『らしい』って何⁉」
……まずい。これでは俺の職場がすごく変だと思われてしまう。いや、すごく変なのはそうなんだけど、第三者に言われると重みが違うというか。
「……あ! でもその代わり、警備員の人は鎧装備してるよ。というか鎧が本体なのかも」
「『あ!』じゃないから。何の代わりにもなってないから。え、雅也、大丈夫? 騙されてない? 鎧? そもそもバラバラになってるってどういうこと?」
由依が不思議そうに尋ねて来たので、俺は昨日あったことをそのまま伝えた。
「警備員の人の体が廊下で散らばってたから俺が組み立てて、お礼言われた。ありがとうございます、これからもよろしくって。渋い声だったから結構年上なのかな」
「想像すると絵面がスプラッタすぎる……化け物屋敷じゃない……」
「ああ年下にも丁寧な人なんだなぁって思った」
「あたし雅也のその反応がこれまでの話の中で一番怖いよ」
由依は、両手で自分の体を抱きしめながら、後ずさるように俺から少し距離を取った。でも、落ち着いて聞いてほしい。
「いや、俺もね。先輩が扉通り抜けた時とか、バラバラになってる人から話しかけられた時は正直びっくりしたよ?」
「だからその異常事態を『びっくりした』の一言で済ますな」
「でも話してみたら全員いい人だし。フィールさんも呪い殺さないって約束してくれたし。リリーさんはふわふわしてて、ちょっと心配だし」
「いい人っていうか、まず人は扉を通り抜けたりバラバラになったりしないんだよねぇ」
「……後者はそうとも言い切れないんじゃないか?」
「真顔で怖いこと言うな」
まあ雅也には向いてるところなのかもね、と言って呆れたように会話を締めくくった由依。俺も変わっていると言われたようで少し不本意だった。
「それに、見習いなんだけど日給2万円だし」
「高っ⁉ 怖っ⁉ いかがわしい! それ、絶対お世話係(意味深)なやつじゃん!」
「由依ならそう言うと思った」
その日の夜も、ベッドで寝入ると、いつの間にか俺は館の床に横たわっていた。この出勤の仕方、大丈夫? お客さんが部屋にいたら「従業員が床で寝てる」ってなっちゃわないか? でもハモさんが廊下にバラバラに散らばってる時点で、その心配は今更のような気がした。
俺は、暇そうにうろついていたお姉さんを捕まえる。してほしいことがあったから。
「結局、全然仕事の内容が分からなかったので、教えてもらっていいですか? 前提から」
「ここって異世界への入口みたいなものなんだ。ここはさしずめ受付かな」
ふむふむ。ここまでは前回聞いたこととほぼ同じ。……受付、というと?




