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風の神殿と、風の巫女

 「今日はもう日が落ちますし、どうか今夜は神殿でお休みください」


 そう言われ、俺は戸惑った。


 「え、でも……そんなにお世話になっちゃっていいんですか?」


 ルミエリアさんは優しく微笑む。


 「下に降りるための風の道が開くには、3日ほど掛かりますので」


 ……というわけで、俺と三吉くんは神殿に泊まることになった。




 風の神殿の夜は、驚くほど静かだった。


 昼間は絶えず流れていた風のざわめきが、夜になるとまるで息をひそめたように穏やかになる。

 空には星が広がり、天井のない神殿の広間からは、どこまでも澄んだ夜空が見えた。ほう、と息を吐くと、白い空気が立ち上る。気管の中に、冷たい空気が染み透っていくみたいだった。


 当然ながら、今日1日、ずっとあくせくと働いていたルミエリアさんの姿も現在はない。


 今、ここに流れる風は、まるで眠っているみたいだ。











 風の神殿にやってきて2日目。またバタバタと走り回っているルミエリアさんを眺める俺と三吉くん。ルミエリアさんは、今は西の風が不安定になっているとかで、精霊と話せるという礼拝室に走っていった。神殿には他にも風の民がわんさかいるのだけれど、みんながルミエリアさんを待っている状態である。巫女への相談の待ち列は、既に昼食時の人気ラーメン店のごとくごった返していた。


【見る限り、風の精霊と話せるのがルミエリアさんしかいないから、こんな労働環境だと思うんです】


【異世界にもワンオペとかブラック企業ってあるんだ……。知りたくなかったわー。それで?】


【助けてもらった恩もありますし、改善案を提出しませんか。聞いてみた感じ、他の人も別に仕事を押し付けたい風じゃないんです。ただ、ルミエリアさんしかできないってなっちゃってるだけで】


 さっき見たルミエリアさんは、明らかにげっそりとやつれていた。あれじゃあ、そのうち倒れてしまうと思う。






 改善案その1。風の精霊と話せる人間を増やそう。


【無理目じゃね?】


【ちなみにさっき礼拝室に行ってみたら、普通に話せました】


【そりゃキミはそうかもしんないけどさー。いなくなっちゃうじゃん。ずっとここにいるならともかく……】


【いえ、風の精霊の言葉って、けっこう単純なんですよ。例えば「西が荒れてる」「道が危ないよ」くらいで。言葉のパターンもそんなにないんです】


【なるほどね。言いたいことは分かった。ちょっと精霊んとこ行って対応表作ってきてよ】


【行ってきます!】







【できました】


【えっこわっ……そんなすぐ作れるもん……?】










 その2。神殿の補修とか、代用できる部分は他の人間がやればいいのでは。これは三吉くんの案だった。


【そんくらいやってもらおうぜ。巫女の手助けができるって言ったら乗ってくるだろ】








 その3。食事は当番制にする。


【あんだけ忙しい巫女に作らせるとか、神経を疑うぜ】


【……今聞いてみたら、リリーさんが分かりやすいレシピを作ってくれるそうです! 私にもできたんだから、きっとみんなもできますよ!】










 そして、風の民もさすがにルミエリアさん1人に任せっきりだったという意識はあったらしく、反対せずに受け入れてくれた。何人もの風の民が神殿内で動き出し、ルミエリアさんは困惑しながら周囲をきょろきょろと見回している。


『俺らも手伝わせてくれよ。あの客人の子が作ってくれた表で、風の精霊様が何言ってるかはなんとなくわかるからよ!』


『柱も直しといたよ!』


『巫女様、チョコレートケーキはお好きですか?』






 しかし、ルミエリアさんは、あまり喜んだ様子がなかった。広場のベンチに座り、働く風の民をぼーっと眺めながら、何度も溜息をついている。


【やっば。あれは仕事に依存してたタイプだわ……ごめん、フォローよろ!】


 結局、風の神殿の職場環境を改善してくれたほとんどは三吉くんのアイデアだったので、ルミエリアさんの精神的フォローくらいは俺が担当せねばなるまい。






 意気揚々とベンチで隣に座った俺を、ルミエリアさんはどこか自信なさげに振り返った。そして、おどおどと視線を彷徨わせながら、ニコッと笑う。


『あ、あはは。みなさんに助けてもらってしまいました……休んでてって、しばらくゆっくりしておいて、ですって』


『自分の部屋の方が休めるんじゃないですか?』


『さっき戻ってみたんですが、1人でいるとどうも落ち着かなくて、出てきてしまいました』


 そう言うルミエリアさんは、目の隈がひどい。ずっと休めていなかったのだと思う。だから、疲れていないわけではないと思うのだが……。けど、今まで働いていたから、急に休めって言われても困る、というのも分かる。……ルミエリアさんは、かつての俺だった。誰かの世話をすることで存在意義を確かめていた、昔の俺。


『わたしは……ずっと、巫女として生きてきました』


 ルミエリアさんは、少し戸惑ったように呟く。


『いつも誰かのための仕事があって、それがわたしのすべてで……でも、今は……』


 彼女は両手を胸の前で組み、ぎゅっと握りしめた。


『急に自由になっても、何をしたらいいのか分からないんです』


『でも、ここにいたら仕事が気になっちゃうと思うので、部屋に戻りませんか? 私も一緒に行きますから』






 風の神殿の奥にある、巫女の部屋。ルミエリアさんが生活している場所。


 俺がそこに足を踏み入れると……そこは、驚くほど殺風景だった。


 広い部屋の中央には、整然と畳まれた白い寝具だけが置かれている。窓辺には風鈴がひとつ、静かに揺れている。


 それ以外、何もない。飾りも、本も、趣味のものも、一切なかった。


 俺は少しだけ、胸が痛くなった。きっと彼女は、ここに寝るためだけに帰ってきていたのだろう。




 ベッドに腰かけたルミエリアさんは、俯いて目を閉じた。


『わたしは、もっと頑張らなきゃいけないのに。まだまだ、全然頑張れていないのに』


 そんなことないよ、とか。十分頑張ってきたんだから任せようよ、とか。たぶん、そう言っても、彼女は納得できないだろう。俺が逆の立場だったらそうだ。俺は、彼女がどれだけ身を削って風の民に尽くしてきたかを、知らないから。だから俺の話には、説得力がない。


 なんて言おうか、迷った。「頑張らなくても、いてくれるだけでいいんです」と、そう伝えたい。でも、そんなことを言われても、信じることなんてできないだろう。いるだけでいいなんて、そんな都合のいい話が、あるわけない。俺が彼女の立場だったら、そう思う。


 今のルミエリアさんは、どれだけ頑張っても、努力しても、きっと足りない気がしてしまうのだ。……なら……。


『ルミエリアさんと私って、友達ですか』


『ええ。そう、思っていますけれど……』


 なんでそんなことを聞くのだろう、と彼女の顔が少し陰った。「働けないお前なんか友達じゃない」と言われるかもしれない、と思ったのかもしれない。彼女が言われたくない言葉が何か、俺には手に取るようにわかる。だから、注意深くそれを避けて、口を開いた。


『もし。私が、ルミエリアさんの代わりに、風の巫女としてここに生まれて』


『今日まで、ルミエリアさんと同じことをしてきたとします。誰よりも早く起きて、何かあれば駆け回り、巫女としての立ち振る舞いを常に求められています。自分の時間なんて、いつ取れたか思い出せません。休みの日に遊びに出かけたこともありません。私が知っているのは、この神殿だけです』


 そのはずだ。この部屋が、そう言っている。


『もし、ルミエリアさんが私の友達だったとして。あなたと同じ人生を歩んできた私に、なんて言いますか? まだ足りないよ、とか?』


 ルミエリアさんは、黙った。




 しばらくというには長すぎるほどの時間を沈黙したあと。彼女は、眉根に皺を寄せ、ふるふると小さく震えた。そして、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、言った。


『……頑張ったね、って。言ってあげたい……』


『じゃあ、私があなたに言うことも同じです。友達ですから。ルミエリアさん……頑張りましたね』


 その瞬間、ルミエリアさんの目からぶわっと涙が溢れてきた。そして彼女は、俺の胸に縋り付いて、声を出さずに泣いた。









【で、あの巫女さんはどうしたの?】


【自分の部屋で寝てますよ。たぶん疲れたんだと思います。ゆっくり寝かせてあげましょう】


【あたしはさ、たまにキミが怖くなるよ……いや焚きつけといてなんだけど】


【あの人の気持ちはすごくよくわかったので】








 その日1日、ルミエリアさんは起きてこなかった。











 そして、3日目。ルミエリアさんは、朝から、柱の陰に隠れて俺を見つめている。まぶたが腫れてパンパンであった。ぐっすりと眠れたものと思われる。そんな状態なのにまだ辛うじて美少女の範疇に留まっているのが、ルミエリアさんの恐ろしいところだった。


【なんだねあれは。ストーカーかな?】


【たぶん何か言いたいことがあるんだと思います。そんな顔してるので】






 ルミエリアさんは、その後も色々な場所に現れた。食堂でご飯を食べているときは台所の向こうから顔をのぞかせていたし、広間で三吉くんが風の民に指示をしているときは、そばのベンチに座って本を読むふりをしていた。なぜふりだと分かったのかというと、本が逆さだったからだ。うーん……。


【たぶん、昨日はありがとう、みたいなことが言いたいんだと思うんですよ】


【ならさっさと言えばいーじゃん】


【ルミエリアさんも私と同じく友達が少なそうなので、気持ちは分かります。ああいうのって、声を掛けるタイミングが全然わからないんですよ】


【コメントに困るプチ情報入れてきた……】


【ふむ、それにしても、困りましたね。よし、ここは私から!】


 俺は、バッグに入れていた、キラキラと輝く青い羽根を取り出し、手のひらの上に乗せた。これは、礼拝室に行った時にひらひらと宙から舞い落ちてきたものだ。なんでも、これは風の精霊の贈り物で、持っていると普段よりちょっと幸せになれるらしい。これをあげて、仲直り(?)の印としよう。なんたって、昨日は俺も踏み込み過ぎた感があるし。




『ルミエリアさん!』


『は、は、はいっ!』


 俺に呼び止められ、ルミエリアさんは直立不動で立ち止まった。そして、ギギギ、と音が聞こえそうなほどぎこちなく、ゆっくりとこちらを振り返る。そんな彼女に対し、俺はそっと羽を差し出した。


『これ、あげます。受け取ってください』


『………………えっ?』


 ルミエリアさんは、羽を視認した瞬間、ぴしりと固まった。広間を行き交っていた風の民たちも、ぴたりと足を止めた。広間が、しーんという深い沈黙に満たされる。誰も動かなくなった広間で、俺は混乱しながら右に左に視線を巡らせた。……え? これって時間停止の魔法でも掛かってんの……?


 しかし、よく見たら、風の民は足を止めただけだった。でも、全員が首を曲げ、こちらに真顔を向けている。正直怖かった。なんだなんだ。


 そして、ルミエリアさんは、顔を赤くしたり、青くしたり、目を閉じて天井を見上げたりと何やら百面相をした。最終的には真っ赤になった彼女は、その後も結構な時間、何かを悩んでいたけれど、おずおずと羽に手を伸ばし、そっと胸元で抱き締めた。ごくり、と広間の誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。


『お受けします……。私でよければ、あの、不束者でつまらない人間かもしれませんが、よろしくお願いいたします……!』


 …………えっ?

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一体何人の脳を焼けば気が済むんだこの娘………… 勇者三人衆に加えて、王都のギルド、リリーさん…。この分だと芽依ちゃんも焼かれてるし、実はお姉さんも脳を焼かれてたりするんじゃないか…。 翻訳の能力とはま…
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