「君には、看板娘をやってもらおうと思う」
「バイト中、不思議に思うことがひょっとしたらあるかもしれないが」
なんだか嫌な前置きだなぁ、と思った。野生の勘というやつだろうか。
「怖がらない、気にしないこと。でも雅也くんなら大丈夫かな。君、どっちかといえば能天気、いや、おおらかな性格だろう?」
「えーっと……? まあ、はい、わかりました」
「じゃあ、君の職場はまた次会ったときに案内してあげる。じゃあ……また明日ね」
そこでふわりと浮き上がるような感覚があり、俺は目を開ける。
目を覚ますと、当たり前だけれど、俺の部屋だった。カーテンの隙間から入ってくる日の光の眩しさに、俺は目を細める。そのとき、初めて気付いた。あの夢の中の公園。あれは、お姉さんとよく昔に遊んでいた、あの公園だ。
翌日、夜、ベッドで眠ると、いつの間にか、俺は見覚えのない場所に立っていた。……庭だ。
短く刈られた鮮やかに広がる緑の芝生、その上をくねりながら伸びる石畳の沿道。その向こうには、古びた洋館が建っている。
振り返ると、背後には、木が異様に曲がって絡み合っている、不気味で深く暗い森が広がっていた。そして、いきなり現れて、俺の手を取るお姉さん。いきなりの展開に、ついていけない俺。
「えっ? ここどこですか? ていうか昨日のあれって夢じゃ……?」
「あとで説明してあげるから。まずはこっちにおいで」
お姉さんは気にした様子もなく、そのまま館の裏口っぽい木の扉を開き、俺を中に導いた。どこか、乾いた木の匂いがした。明かりのない薄暗い廊下を先導しながら、お姉さんは口を開く。
「仕事の内容なんだけどね。君にはここに滞在する客のお世話をしてもらおうと思ってる。ま、と言っても普段は客なんて来ないから、洗濯とか掃除とかも手伝ってほしいかな」
「お世話って、何をすればいいんですか。俺、そういうのやったことないですけど……」
「簡単さ。客が困ってたら一緒に悩んで、助けてあげるんだ。手伝うって約束したよね?」
な、なるほど。仕事内容は聞いていたとおりらしい。どうせ夢だし、できることだったら、と俺が流されかけていると、お姉さんは軽い口調で言った。
「あと、他のスタッフにお客様の話を伝えてくれる? 簡単だろう?」
いやお客さんが直接伝えたらいいのでは? そこ、間に俺が入る意味ってある?
想定していたのと違う返事が返ってきたのもあって、きっと不思議そうな顔をしていたのだろう。お姉さんは指折り数えて、遠回りに何かを伝えようとしてきた。
「ヒント1、ここのスタッフは日本語を話せません。ヒント2……」
「あ、いいです、もうわかりました。でもそもそも俺、ここのスタッフの言葉が喋れるか分かんないですよ」
「大丈夫、気持ちがあればそこは何とかなるから」
――「言葉の壁は気持ちで何とかなる」。新しい概念がお姉さんから示された。でも、それ本当にそう? 俺はちょっとそれには異議を唱えたいんだが……!
お姉さんに続いて裏口から廊下を抜けると、大きなホールになっていた。2階までの吹き抜けで、天井には大きなシャンデリア。中央には真っ赤な絨毯の敷き詰められた、大きな階段がある。階段の正面には、これまた大きい、がっしりとした扉が1つ。こちらがおそらく正面玄関なんだろう。
大きな階段は踊り場で左右に分かれており、それぞれ2階へと続いている。1階のホールの左右には、扉が2つずつ。……俺の家の50倍くらいは広い。面積的にはうちの学校の体育館くらいはある。それにしても匂いといい景色といい、夢とは思えない現実感だ。
「1階の右がキッチンと食堂。左が私の部屋と応接室。奥が浴場。で、今日はこっちね」
お姉さんに連れられてやってきたのは、応接室らしき場所だった。ソファーが向かい合わせに2つ、テーブルが1つ。部屋の端には、高そうな風景画が、これまた高そうな額縁に入って立てかけられていた。ここも、柔らかい絨毯が敷き詰められている。そして、壁際には、大きな姿見が1つ、ぽつんと置かれていた。
お姉さんが腰を下ろしたので、向かいにおそるおそる座った。あ、ふかふかだこのソファー。俺はお姉さんにばれないように、控えめにぽんぽんと弾んでみた。おお、すごく沈むし柔らかい。内心ちょっぴりテンションが上がる俺。
「じゃあ、今日1日は、私の後ろについてきて。それが君の最初の仕事」
「……ついていくだけでいいんですか?」
「館の中を知っておいてほしいし、他の者にも紹介しておきたいからね。スタッフは、料理人、案内係、私、君の4人。あとは館に付属してる警備員が1人」
「付属してる……? でも5人としても少ないような……。だってここ広くないですか?」
外から見た感じ、2階にも部屋が10個はありそうな、大きな屋敷だった。
「客はだいたいいつも1人だから大丈夫だよ。さ、いこう」
……お客さん1人でここの経営は大丈夫なのか? まあ、夢だからいいのか。
まず最初にお姉さんが案内してくれたのは、キッチンだった。ホール右の玄関側の扉を開いて中に入っていくお姉さん。キッチンは広く、壁際に食器棚がいくつか並んでいた。ぴかぴかに磨き上げられた流し台が、明かりを鈍く反射している。
鍋の前にいた若い女の人が、俺たちに気づいたのか、こちらにすっと寄ってきてくれた。
『料理人のリリーだ。この館の食事は全部彼女が1人で作ってくれてるんだよ』
『はじめまして、堀田雅也といいます! よろしくお願いします!』
ぺこりとお辞儀した後、俺はこっそりとリリーさんの顔を見つめた。
目じりがきゅっと跳ね上がった端正な顔、白いエプロンとコック帽。でもこの人、顔色がやけに悪い。というか色白を通り越して青白い。大丈夫?
リリーさんは俺の挨拶を聞いて、無表情のままじっとこちらを見つめた。そして何も言わず、目を明後日の方向にそらされる。あ、認識したうえでシカトされた。悲しい。
『彼女の作る料理は評判がいいんだ。客に好き嫌いがあれば、君が彼女に伝えるんだよ』
『はい。あの、これから、よろしくお願いします』
『…………うん』
さっきの声が大きすぎたのかもしれない。小さめに声を掛けると、リリーさんも小さく、今度は返事をしてくれた。
『そうだ、今度君のおやつでも作ってもらってみたら?』
『いいんですか⁉』
すると、こくりと控えめに頷き、ちょっぴり嬉しそうに笑うリリーさん。あ、笑ったらえくぼがすごく可愛い。やっぱりさっきの対応は、声が大きすぎたからみたいだ。
リリーさんは、照れたように笑いながら、力こぶを作って見せた。うわ、腕も白くてほっそい。その腕がすーっと鍋を指したので俺も視線をそちらに動かす。よく見ると、鍋では、毒々しい紫色の何かが煮込まれている最中だった。虹色の泡がぶくぶくと浮かび上がり、水面で弾けてぱちんぱちんと音を立てている。控えめに言って、とっても怪しい。
『味には自信あり。性能もばっちり。あとで食べていくといい』
『……性能って?』
『好きな人に食べさせたらイチコロ』
『ごめんなさい、それどういう意味か聞くのがちょっと怖いです……っ!』
早速いくつかの疑問は浮上したものの、とりあえず台所を辞し、俺達はホールに戻った。
『次は……おーい、おいでフィール』
『呼んだ?』
視界の端に、ふっと急に人影が1つ現れる。広いホールは隠れるところもなく、誰もいなかったはずなのに。「出てきた」としか表現のしようのない登場の仕方で現れたのは、ショートカットで快活そうな金髪少女だった。魔法使いみたいな、可愛らしい黒のローブを羽織っている。それはいいんだけど、すごく気になることがある。この人、なんか5センチくらい宙に浮いてる気が……。
手品? 手品なの? でも、初対面の相手に「あなたなんだか浮いてません?」と尋ねるのは、夢の中とはいえ、さすがにちょっと憚られた。
『この子はフィールって子でね。お客さんを部屋に案内するのはこの子の役目だったんだ。つまりは君の先輩かな。……で、この子が雅也くん。ここで新しく働く子だよ』
『はじめまして、堀田雅也と申します。今日からよろしくお願いします』
『へえー……ふーん……』
フィールさんは、じろじろとこちらを見つめてくる。と、いきなり顔にぺたぺたと触れてきた。ひやりと冷たい。こ、これが外国の挨拶のスタンダードなのか……?
『なんだ。あなた、普通にあったかいのね』
『むしろそちらの手が冷たいんだと思います』
『そりゃ当たり前でしょ』
『あ、当たり前?』
「あとは鎧のハモさん。館の備品なんだけど、ガードマンもしてくれてるよ。ほら、あそこ。今は忙しそうだから、また今度ね……と。これで全員かな。雅也くんにはさっき言ってたとおり、フィールと一緒にお客さんの案内係と通訳をしてほしいんだ。通訳はずっと私だけでやってたけど、1人だと忙しくてね」
鎧とはいったい……? その時お姉さんが窓の外に顎をしゃくったので、俺も視線をそちらに移す。すると、銀色の全身鎧姿の人が巨大なはさみを持って、がしゃがしゃと庭の植木を整えているところだった。何だあれ。絶対植木を刈るのに鎧って向いてないと思う。
「通訳は1人で? 誰かに日本語覚えてもらったらよかったんじゃ」
「だって通訳ってそばにいないといけないから。そうするとハモさんには無理だろう?」
「いやハモさんがどういう人かよく知らないので何とも言えないですけど」
と言いつつ、なんとなく想像はついた。鎧を着こんだ人がそばにずっといたら、確かに落ち着かなさそうだ。いや脱げよって話なんだけど。
「ま、ハモさんのあれは仮装みたいなものだと思えばいいさ」
「でも、フィールさんとかリリーさんがいるじゃないですか?」
「案内するだけならいいんだが、フィールは物が持てないからね。扉も開けられないし」
「も、物が持てない? あと扉が開けられないなら行き来できなくないですか……?」
箸より重い物は持てないお嬢様、みたいな意味、なのかな? 確かになんだか品のある雰囲気はあったけど、けっこう気も強そうだったような……。
「それにリリーは人見知りだから接客なんて無理だよ」
「あ、それは何となく伝わってきました」
にしても日本語ができないと聞いていた通り、名前的にも全員外人さんらしい。ハモさんはまだわからないけど。……あれ? 俺はそこで、今更ながら違和感に気づいた。
「でも、さっき普通に会話できてませんでした?」
「今更? そりゃそうだよ。それが君にあげた能力なんだから。実際、どんな言葉でも分かるだろ? さっきも異世界語で話せてたよ、君」
「ちょっと待ってください。能力って何ですか能力って」
「何ならあとでリリーあたりに能力見せてもらう? 結構ホラーで面白いよ」
「いやお姉さん何者なんですか⁉ なんで普通に能力あげるとかできるんスか⁉」
「なんでって、君が欲しいって言ったのに……」
ていうか、なんでも手に入るんだったら! なんで俺は影の薄いのを何とかするよう願わなかった⁉ 他にもスタイル良くしたいとかカッコよくなりたいとか……もっとこう、あっただろ過去の俺! いやそもそもポンと手に入ること自体がおかしいんだが!
「その話だよ。……ここで1年間バイトしてくれたら、その影の薄さ、なくしてあげる」
お姉さんが切り出したのは、魅力的な話だった。ここまでの流れが多少、そう、多少怪しかろうが、改善できるなら全部に目をつぶるくらいに、俺にとって大事な話だった。
……だって。もし、影の薄さがなくなったら。世界はひょっとして、まったく違う風に見えるんじゃないか、そんな思いはいつも胸の内に燻っていたからだ。誰も俺を見てくれていない、そんな寂しさというか。俺1人がぽつんと置いて行かれるたび、思い知る。
「つまりね、なんで影が薄いかっていうと。君のそれ、コントロールできてないんだよ」
「影の薄さなんてコントロールできるんですか?」
すると、「そりゃできるよ」と言い切られた。あ、そうなのかな……。と納得しかける自分が嫌だった。いやいや、そんなわけない。しっかりしろ俺!
「だって、言葉も理解できるようになっただろう? 同じことさ。手伝ってくれるよね?」
影の薄さと言葉を理解することは、美術と陸上くらいジャンルが違うような気もしたけれど、不思議なことなのは間違いない。なぜか説得力を感じてしまい、俺がおずおずと頷くと、お姉さんは、ぱあっと満面の笑顔になった。それが逆にちょっと胡散臭かった。
「そういえば、ハモさんが仮装してるなら、俺もやらなきゃ駄目ですか?」
フィールさんの黒いローブみたいな服装を思い出しながら、いちおう聞いてみた。そういうコンセプトの宿とかだったら、俺も合わせなきゃいけないのか?
「いや別に……うん、やっぱりした方がいい。その方が面白そうだしね」
しまった。墓穴だったみたいだ。猛反省したものの、既に時は遅し。お姉さんは、いそいそと立ち上がり、応接室の端の洋服箪笥をガラリと開ける。
「君も普通だけど見られない顔じゃないし、いっそ女装して魔女の格好とかしてみる? ローブととんがり帽子でさ。案外似合うと思うよ」
なんでそんなのあるんだ、と思ったけれど、フィールさんのかもしれない。帽子をかぶせたら完璧に魔女っ娘な恰好だったし。
「うーん、フィールさんとリリーさんが美人なので、ちょっとそこに俺が混じるのは勇気がいりますね……」
なんというか、異物混入、という表現が正しい気がした。あと俺に女装の趣味はない。
すると、お姉さんは腰に手を当て、じろりと俺を睨みつけた。
「そこで私を外すとはいい度胸してるねえ」
「いえ、お姉さんも美人ですって。でも外人さんのキャストに俺が混じったら変でしょ」
「まあ、そうか。……よし! ならこうしよう!」
お姉さんは、胡散臭いほどの笑顔で、俺を上から下まで眺めた。うんうん、と何度か力強く頷いている。……なんだか、すごく嫌な予感がした。
「君には、看板娘をやってもらおうと思う」
「看板……娘……? えっ? 娘?」
「いや、ちょうどいいや。だってリリーはあんなだし、フィールは気分屋だし、ハモさんは鎧だろう? 客がね、うるさいんだよ。この館に普通のやつはいないのかって」
お姉さんが明らかに省かれているような気がしたが、もとより普通ではないのでそこは置いておく。それよりなんて? 看板娘? 通訳じゃないの?
「いや、影が薄いのを何とかしようとするとさ、色々いじらないといけないから。そうすると、作り変えるのが一番楽なんだよ」
お姉さんはそう言うと、俺の胸に手を文字通り突っ込んできた。ずぶり、という嫌な音とともに腕が手首までめり込み、中でごそごそとお姉さんが手を動かす感触が続く。突然のことに固まる俺。
「えーっと、うん。可愛い系にしよう。なんたってフィールとリリーは美人らしいからね」
……やばい。明らかに根に持たれている。その後も、「うーん」とか「えーっと」とか言いながら、俺の体の中でお姉さんが何かをしている時間が過ぎた。そして。
「よし。できた! ほら、見てごらん。自信作だよ」
お姉さんが部屋の隅にある姿見を指し示したので、俺はおそるおそるソファーから立ち上がり、鏡に近寄った。すると、鏡の中には、見たことのない人物がいた。
ミルクティー色の肩くらいまで伸びた髪、少し赤らんだ頬のあどけない顔つき、宝石みたいに澄んだ大きな金色の瞳。花のつぼみが今にも咲きかけているような感じの可愛らしい小さな少女が、びっくりしたように目を見開いて、鏡の中から俺を見返している。
ゴッ! と思わず俺は鏡に額を打ち付けた。すると、鏡の中の少女も同じように勢いよくこちらに頭突きしてくる。……痛かった。
「……えっ? いやいや……えっ? な、何これ……?」
叫んだ声はいつもの俺の声と違い、鈴を震わせるような、澄んだ声だった。ついでに服もいつの間にかスカートとブラウスに変わっていた。その下を確認する勇気はなかった。
一方、こちらの様子なんて知らぬと言わんばかりに、お姉さんは話に戻った。
「でさ、バイトのことなんだけど、昼は学校があるだろう? だから、夜、君が寝ている時に、夢の中で働いてもらおうと思うんだ」
「当たり前のように話を続けないでくれます⁉」
「だってなんだか怒ってるから……でも、ほら、これで看板娘はできるだろう?」
「もっと! 大きな問題が! 発生してるんですけどぉ⁉」




