『サヤちゃんをヒモ男から救う会』結成の日
翌日、俺と勇者がギルドに足を踏み入れると、そこにはすでに多くの冒険者たちが集まっており、ざわざわとした活気に包まれていた。しかし、その視線がこちらに集まるのに、そう時間はかからなかった。
『おい、あの子だよな? 昨日の大騒ぎの原因……』
『古代文字だろうが魔導符号だろうが全部読めたって噂だぜ』
『噂より可愛い……あれ、話盛ってたんじゃなかったのかよ』
俺は視線を一身に浴びながら、少し戸惑いつつ、おずおずと一礼した。隣では、俺様勇者が腕を組み、ギルドメンバーたちの反応を眺めていたが、彼に向けられる視線はほぼ皆無だった。それが彼の機嫌を悪くしているのは、表情から見て明らかであった。根っからの目立ちたがりである。
居づらくなった俺は、こそこそと俺様勇者の背後に隠れる。すると、視線は一斉に俺様勇者に注がれた。それでも全く動じる様子を見せないのが、俺様勇者の凄いところだった。
『おいおい、それでお嬢ちゃんの連れのお前は、昨日何かしたのか?』
一人の冒険者が勇者に話しかけてくれた。おお、ありがとう。俺が背後からこしょこしょと勇者に伝えると、彼は自信たっぷりに胸を張った。
「鳥を捕まえた。貴族の子供が逃がしたやつだ!」
『逃げた鳥を捕まえました。飼っていた子はとても喜んでくれました、とのことです』
俺が伝えた答えに、ギルドメンバーたちは一瞬沈黙し、それからあからさまに興味を失ったように見えた。
『あぁ、あの依頼ね。そりゃご苦労さん』
『で、お嬢ちゃん! 昨日の解読の話、聞かせてくれよ!』
俺様勇者は反応に眉をひそめ、不機嫌そうに舌打ちした。興味を持たれていないのが分かったらしい。……いや、それでも。
俺は、眩しいものを見つめるような気持ちで、俺様勇者の背中を眺めた。昨日のあの子に取っちゃ、お前は間違いなく勇者だったと思うよ。
冒険者たちは、目を輝かせながら、俺の周りに集まってきた。人だかりになったその中の一人が、笑いながら尋ねてくる。
『それにしても、すごい新人が来たもんだ。なあ、どんな冒険者を目指してるんだ?』
その言葉に、俺は少しだけ困った顔をしながら首を傾げた。
『いえ、私ってこの人の通訳ですから……私自身が冒険者にはならないです。だって、もともとは、館の通訳と家事手伝いでしたし。この人の冒険が終われば、私も帰ります。館の掃除もしないといけませんので』
『……は?』
ふふふ、それにしても。思わず笑いそうになってしまい、俺はそっと口元を隠して目を伏せた。いかんいかん。この前もアンケートで女の子らしくないと言われたばかりなのに。しかしおかしいだろ。だって、数時間座ってるだけで腰バキバキになる俺が、冒険者だって。冒険者って魔物と戦ったりするんだろ?
『冒険者に憧れはあります、けど……私なんかにはとても無理ですよっ。務まりませんっ』
俺が言った一言で、なぜかギルドホール全体は爆発したみたいな騒ぎに包まれた。どうしてかはよく分からない。
『いいから考え直せ』
『もったいなさすぎる……!』
『通訳って……いくらで雇われてるんだ?』
『え? タダですよ』
いや待て。むしろ俺が払ってる? 食事代とか、宿代も……うん。全部、俺持ちだ。
すると、それを聞いた冒険者たちは、顔を見合わせて叫んだ。
『ヒモじゃねえか‼』
『でも、この人には私がいてあげないと駄目なので……』
野垂れ死にしそうだし。野宿しちゃうし。それに、世界を救う旅なんだろうから、もったいないわけじゃないと思うな。また全員から睨まれたので、俺は再び俺様勇者の背後にさっと隠れた。そして、俺様勇者の後ろから、顔だけをそーっと出す。
そんな俺と勇者を見て、冒険者たちはため息をつき、肩を落とした。額を手で覆う者もいた。
『懐いてる……』
『悪い男に引っかかってる娘を説得してる気分だ……』
『あ、私、男には絶対引っ掛かりませんよ。もし引っかかったら死にます』
『もう自殺宣言だろこれ』
なかなかギルドの喧騒は静まらなかったが、少し落ち着いた頃、俺はギルドの受付嬢から呼び止められた。
『ねえ、お嬢さん。ギルドマスターが呼んでるわよ。奥の部屋に行って』
彼女は少し興奮したような表情でそう告げる。その言葉に周囲の冒険者たちが一斉にこちらを振り返り、またひそひそと声を交わし始めた。
俺は周囲の視線を少しだけ感じながらも、ギルドマスターの部屋へと向かった。すると、何も言ってないのに俺様勇者も仏頂面でついてくる。奥の部屋の扉にノックをすると、重厚な声が返ってきた。
『入りたまえ』
ギルドマスターの部屋は広々としており、壁には冒険者たちの戦果を示すトロフィーや地図が飾られている。その中央にどっしりと座っていたのは、威厳ある顔立ちの壮年の男性。彼は俺とその後ろの勇者を見ると、眉を少し上げた。
『君が、昨日の新人か……。来てくれて助かる。少しテストをさせてもらいたい』
テーブルの上には、様々な書物や巻物が並べられている。その中には、見たこともないような奇妙な記号や図形が描かれたものもあった。
『このギルドでは、特別な才能を持つ者を評価し、その力を最大限に生かすために活動している。君の能力が本物かどうか、確かめさせてくれ。あらゆる言語を理解できる、と聞いたが、本当かな?』
『はい』
すると彼は、古びた巻物を差し出した。それには、古代語と思われる複雑な記号が並んでいる。
『これは『風を司る精霊への祈りの言葉』ですね。『五つの星が揃う時、道は開かれる』と書かれています』
ギルドマスターは少し驚いた表情を見せたが、すぐに別の巻物を差し出した。
『これはエルフ語ですね。『森の守護者への捧げ物の儀式』について書かれています』
次々に出される言語のテストを、俺は全て正確に答えた。古代語、魔導符号、エルフ語、果ては死語とされるような希少な言語に至るまで、どれも難なく読み解くことができた。
ギルドマスターの表情は徐々に険しくなり、ついには机の引き出しから最後の紙を取り出し、差し出した。
俺はその紙を手に取った瞬間、見覚えのある文字に驚く。なぜなら、それが明らかに日本語だったからだ。俺様勇者と顔を見合わせ、2人で迷いなく読み上げる。
「『少年よ、大志を抱け』」
その瞬間、ギルドマスターは完全に表情を失い、難しい顔で黙り込んだ。その視線は俺を通り越して、どこか遠いものを見ているようだった。
『……どうかしましたか?』
そう尋ねると、彼は小さく首を横に振り、深いため息をついた。
『いや、何でもない。ただ、君という存在があまりに得体が知れなくてな……最後のものが読めたということは、王にも報告を入れなければならんが……』
その声は微かに震えており、彼の中で何かが大きく揺らいでいるのを感じさせた。部屋の中に、奇妙な沈黙が流れ込む――それは、これから何かが起きる前触れのように思えた。……いや、にしても、なんで日本語?
そして、ギルドマスターはぴたりと口をつぐみ、俺の隣につつーっと視線を滑らせた。その顔には困惑が浮かんでいる。……あ。なんとなく、この後に何を言われるかは分かった気がする。
『というか今更だが、隣の彼は……なんなんだ? 呼んだ覚えがないんだが、どうして当たり前みたいな顔でここにいるんだ?』
『この人、私の連れというか……実は、勇者様なんです』
『伝承の中にある、あの? 加護が強いのは見て分かるが……信じがたいな』
なんで加護が強いのが分かるんだ、と思ったら、光ってるかららしい。あ、そういうものなんだ。道理で他の冒険者たちも光ってることには言及しなかったわけである。ということは、店の人たちには「加護が強い強盗」みたいに見えてたのか。やばい存在である。
『……ともかく! 君の能力はよく分かった。できれば冒険者として登録してもらいたいところなんだが……』
『いえ、私、戦えないので。すみません……』
『いやいや。後方支援専門の冒険者もいる。そちらに加わってくれたら百人力だ。……というのも、近年、冒険者の数は減っていてな……。何とかしないと、とは思っているんだが……』
とりあえず、能力は認めてもらえた、らしい。悩み始めたギルドマスターを置いて、俺と勇者は部屋を退室した。
そして、俺たちがホールに戻ると……なんとこの短時間で、『サヤちゃんをヒモ男から救う会』という謎の集団が結成されていた。旗や垂れ幕まで作成されている。ぱっと見で10人以上にも上る彼らは、一斉に俺様勇者をぎろりと睨んだ。
「なんだあいつら。あれ、なんて書いてあるんだ?」
「い、いえっ……! なんでしょうあれ? さっぱり読めないですっ!」
「さっきなんでも読めるって言ったばっかりじゃん……」
俺は、垂れ幕や旗をできるだけ視界に入れないようにしながら、討伐隊のリーダーのマーカスを探し、そちらに近寄った。マーカスは何やら苦笑いしている。
『今日って、フェルガルフの討伐隊に行くんですよね?』
『ああ、君も一緒には……難しそうだな』
俺の細い手足をちらりと見て、マーカスは口をつぐんだ。鍛えてないのが一目でわかったらしい。そりゃそうだ。とすると、俺様勇者には1人で討伐隊に向かってもらうことになるが……。
ハラハラする俺をよそに、俺様勇者は討伐隊に加わり、フェルガルフのいるという草原に颯爽と向かって行った。あの感じ、周囲が日本語通じないってこと、絶対理解してないと思う。賭けてもいい。
暇になってしまった俺は、受付嬢から、フェルガルフについての話を改めて詳しく聞いてみた。……やはり、フェルガルフの被害は大きいらしい。通常なら、魔物がこんな街の近くに降りてきたりはしないんだって。
『あの子のことが心配?』
『ええ、周囲とちゃんと仲良くやれてるでしょうか……』
『あ、そっちの心配なのね……母親か!』
魔物にやられるかもって普通なら思うかもしれないんだが、そのへんはなんか不安にならないんだよな。なんでだろう。そういうところが、勇者なのかもしれない。
受付嬢は、カウンターの上で肘を突き、からかうような笑みを浮かべた。
『てっきり、あなたもついていくって言うものだと思った』
『いえ、私が行っても足を引っ張るばっかりですし……』
俺は、そっと窓の外に視線を移した。討伐隊が出ていくときは晴れていた空には、今は少しずつ雲がかかり始めている。
……ずっと、引っかかっていることがあった。館を出るときに、お姉さんが言っていた台詞だ。「君はきっと、明後日にはこの館に戻ってくるよ」。お姉さんは確かにそう言っていた。館に戻る、ということは、つまり、俺が死ぬということ。もう、館を出てから3日が過ぎているから、お姉さんの予言は外れたことになる。……それでも、きっと。お姉さんがそう言った理由は、何かある、はずだ。
討伐隊は、夕暮れになって戻ってきた。魔物とは何体か遭遇したが、フェルガルフは見当たらなかったんだって。俺様勇者は『なかなか筋がいい』とマーカスから褒められていた。さすが勇者である。
そして、次の日も、その次の日も。討伐隊は草原地帯に向かったが、フェルガルフと遭遇することはできていない。あれだけ被害を出していたはずのフェルガルフは、ぱったりとその消息を絶っていた。
3日連続で討伐に向かったため、本日は休み。冒険者たちはみな、思い思いの様子でギルド内で過ごしていた。ここ数日と違い、ゆったりとした時間が流れる。
俺と勇者がテーブルでのんびりと話していると、そこに、ニコニコと笑みを浮かべ、何人かの冒険者がやってきた。全員笑っているのが逆にちょっと怖かった。俺の記憶が正しければ、確か全員が『サヤちゃんをヒモ男から救う会』とかいう邪教の信者であった。黒ミサでもするのかな?
『あの、なんですか?』
『サヤちゃんって、そいつと同じ部屋に泊まってるって聞いたんだけど、そうなの?』
『あー……まあ、そうとも言えるし、そうでないとも言えます』
『でも、付き合ってる人いないって言ったじゃん』
『言いました。あれは嘘じゃないです』
『じゃあどういう関係?』
えーい! しつこい! 俺は、ガタンと椅子を鳴らして勢いよく立ち上がった。そして、思いっきりテーブルを平手で叩いた。ぺちんっ、という弱々しい音が響き、俺の手がじんじんと痛みを訴える。
『だから、彼氏じゃないですっ! 私、彼氏とか一生作らないので! 作ったら宣言通り、死にますからっ!』
『何があったんだよ……』
『ずっと泊まってるのに付き合ってないってこと?』
『余計闇が深くなった……!』
そんな風に緩んでいたギルドホールの空気だったが、ある者が訪れた瞬間から、一変した。ギルドの扉を開けて入ってきたその者は、豪奢な刺繍の施されたローブをまとっており、鋭い目つきでホールを見回した。冒険者たちは一瞬でざわつきを飲み込み、静寂の中でその者の動きを見守った。
『ギルドマスター殿はいるか。王の名において、重要な件を伝えに参った』
彼の声は威圧的で、ホールの隅々まで響き渡る。出てきたギルドマスターは重々しく頷き、彼を自室に案内した。その扉が閉じると、ホールの冒険者たちは再びひそひそと囁き始めた。
『王からの使者だとよ。何があったんだ?』
『何か大事な依頼か、それとも警告か』
『嫌な予感がするな……』
俺はその場でじっとしていたが、心の中に小さな不安がじわじわと広がっていくのを感じた。
しばらくして、使者はギルドマスターの部屋から出てきた。その表情には何の感情も見えない。彼は一言も発することなくホールを横切り、ギルドを去っていった。だが、その背中を見送ったギルドマスターの顔には、普段の落ち着いた表情はなく、微かに険しい影が落ちていた。
『……サヤさん、少し話がある』
その後すぐギルドマスターに呼び止められた俺は、その声の硬さに違和感を覚えながら彼の部屋に入った。部屋の中に入ると、ギルドマスターは深いため息をつき、厳しい顔つきでこちらを見つめた。
『実はな……フェルガルフの討伐に、君も同行してほしい』
ちりちり、と頭のどこかで警鐘が鳴る音が聞こえた。